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物凄く共感できます。特に、手癖を潰すことは自己否定になるから辛いという部分が痛いほど刺さります。落書きでも途中から粗探しが始まり整えはじめ完璧を求めてしまいます。高みに行きたいが故に自己肯定してしまうと成長が止まってしまう気がして、楽しく自由に描くということに恐怖してる感覚です。プラス、上手く描けなかったらどうしようという負の緊張感もあります。なので描くことが好きなのに描くことで鬱になります。割り切って手癖で描けた日には、絵を描くってこんなにも楽しいのかと開放感が凄まじいです。私の場合には自己肯定よりも自己受容が必要なのかな…など、何事もバランスは大切だと痛感しています。動画の内容とはズレたコメントでしたら申し訳ありません。
自分がコメントしたのかと思うくらい同じ症状でびっくりしました描き始めたらたとえ落書きでもついつい自分の中のハードルを上げてしまうんですよねそしてしまいには描くのが怖くなるという、負の永久機関みたいになってます
言われて気づきましたけどそういう経験めっちゃありますね常に落書きをして自己否定を散らしながら、頭の方も暖気しておくのっていいアイデアですね
動画内容とコメ欄全てに同意してる。分かるで溢れかえってる
完成すると楽しいし絵として残っているのは嬉しいけどその過程があまり好きでないのを気にしてしまっているし、知識が足りないから今は蓄える作業を頑張っています
力みすぎて失敗したり描き上がったときは微妙に見えて、後から見直すと意外と悪くないじゃないかってのは私も良くあります。手癖に抗わないと一気に腐ってしまうけど、それがずっと続くと本当にしんどいというお話はまさに自分も悩んでいましたが同人誌であったり手帳にラクガキなどで手癖を肯定する場を作ってあげるというのは目から鱗でした。描き続ける上で自分の調子の操縦法を模索していましたが大きなヒントをいただけたと思います。
小池一夫氏の「人を惹きつける技術」で、魅力あるキャラクターを創る為には、一日一時間必ず机の前に座って毎日3つ以上顔を描きましょうと書いてあり、落描きをするのは大事と言えますね
急におすすめで流れてきて先生ご本人のチャンネルと知ってびっくりしました。解像度の話、なるほどなぁと思いました。自分も昔絵を描いていた時期があったのですが、確かに力んで描いた時より何気なく描いてる時の方が良い感じに描けたと思うことありました。その時は力んで描いた時の経験がいい方向に作用したのかなと思ったのですが、解像度が上がってたってことでもあったんですね。
私は絵描き初心者ですが、抱えている悩みがほぼ一緒で驚きました。線一本すら描けなくなって絵を見るのも描くのも全部嫌になって2週間触れなかったのですが、今は描けない自分が悔しくて、手癖と絵柄の矯正と好きな絵の模写をひたすらしてます。始まった直後は辛いのですが、途中から楽しくなってきます。おそらくまた同じようなことになるので、その時のために自分メモ(こう描くと良くなりそう、こういう絵が好きなど)を描いてデスクトップに貼り付けてます。
なるほど!そういう事だったのか、と腑に落ちました。私は絵描きではないのですが、文章や写真などで創作物を作るときに同じ感覚になる事がありました。手ぐせを自分で肯定しながら作品を作ると周りからの評価は意外に低いことが多いです。それが出ないようにする中で滲み出る手くせが個性なんですね!素晴らしい言語化で痺れました。ありがとうございます♪
なんかすごくわかります。私もベッドにスケッチブックとえんぴつを必ず置いて休憩するときも何かしら気楽に描くようにしてます。
絵描けないけど安倍吉俊先生のお姿見れたり解説聞けるのありがたすぎます。描いてない自分でもわかりやすいと思ったので絵描いてる人にはより伝わるのかなと。機会があったらレインとかニアとか既存のキャラも描いて下さると嬉しいです~
落書きのイラストめちゃくちゃ好きです!落書き実況の動画とか見てみたいです!
ありがとうございます。そういうのもいいかもしれないですね
いろんな見かたができると自分は思いました。人物の絵、風景の絵、この世に存在しないイメージ、写真的なイメージ、それぞれ違いますし絶対的な答えみたいなものが存在しない。だけど、漫画やアニメの絵において人物画というのは他の要素に比べて偏ったメタファクターがあることで疑似的な答えみたいなものが生まれていると思います。だから、人物を描く時のプレッシャーや自他の要求というのは他の要素を描く時とは違うし、自由度も違う。あと、得意不得意への向き合い方の違いもありますよね。個人的によく経験することなんですけど、どうしても自分の不得意を克服したいと思ってしまう。それが実質的にはギャンブラーみたいに”克服できない事”事態に依存しているみたいになってしまってもです。そういう時は常に力みを感じるけど、得意なことをやっている時はただ心地よい集中力の上昇だけがあって、その”努力の無さ”に罪悪感を感じるほどです。あるいは、ただ自分の理想に自分の実力が追い付いていないというパターンも考えられると思います。手の届かないところにあるものを取ろうとして精一杯背を伸ばしたりジャンプしてみたりするのですが結局は届かない。その時に感じる力みと、「結局届かなかった」という徒労感。実際には実力やディテールの問題が、メンタルの問題と完全に取り違えられたりするのはこういう時なんじゃないかなと思っています。
僕も、苦手に挑戦して、克服できたり、何がしか戦い方がわかった時の成功体験が大きすぎて、苦手や欠点を探して潰す事に執着しすぎている、と最近感じるようになりました。
@@yoshitoshi_ABe_g 苦手なことにより執着するのは多分、そっちの方が明白だからなんじゃないかなと自分の中では思います。自分が苦手なことというのはもう明瞭に見えていて、そのパターンも分かっている。だから”確実な投資先”のように感じられる。だけど、得意なことと言うのは…難しいですよね。だって上には上がいるわけですし(絵にはそういうことはないとはおもいますが)、自分がどのくらいそれを得意なのかが分からない。本当に得意なのか、ただ平均値を出しているだけなのかもわからない。その上で、得意なことで負けたらとても傷つくんじゃないかという不安もある。だからなかなかそこに”投資”できない。でも安倍さんがおっしゃっていることと僕が言っていることでは、全然レベルというか深度が違うかもしれません。安倍さんが普段どういう思考で絵を描いているのか想像することもできませんが、安倍さんの絵にはすごく特別なクオリティがあるので…。
物凄く共感できます。特に、手癖を潰すことは自己否定になるから辛いという部分が痛いほど刺さります。落書きでも途中から粗探しが始まり整えはじめ完璧を求めてしまいます。高みに行きたいが故に自己肯定してしまうと成長が止まってしまう気がして、楽しく自由に描くということに恐怖してる感覚です。プラス、上手く描けなかったらどうしようという負の緊張感もあります。なので描くことが好きなのに描くことで鬱になります。割り切って手癖で描けた日には、絵を描くってこんなにも楽しいのかと開放感が凄まじいです。私の場合には自己肯定よりも自己受容が必要なのかな…など、何事もバランスは大切だと痛感しています。動画の内容とはズレたコメントでしたら申し訳ありません。
自分がコメントしたのかと思うくらい同じ症状でびっくりしました
描き始めたらたとえ落書きでもついつい自分の中のハードルを上げてしまうんですよね
そしてしまいには描くのが怖くなるという、負の永久機関みたいになってます
言われて気づきましたけどそういう経験めっちゃありますね
常に落書きをして自己否定を散らしながら、頭の方も暖気しておくのっていいアイデアですね
動画内容とコメ欄全てに同意してる。分かるで溢れかえってる
完成すると楽しいし絵として残っているのは嬉しいけどその過程があまり好きでないのを気にしてしまっているし、知識が足りないから今は蓄える作業を頑張っています
力みすぎて失敗したり描き上がったときは微妙に見えて、後から見直すと意外と悪くないじゃないかってのは私も良くあります。
手癖に抗わないと一気に腐ってしまうけど、それがずっと続くと本当にしんどいというお話はまさに自分も悩んでいましたが
同人誌であったり手帳にラクガキなどで手癖を肯定する場を作ってあげるというのは目から鱗でした。
描き続ける上で自分の調子の操縦法を模索していましたが大きなヒントをいただけたと思います。
小池一夫氏の「人を惹きつける技術」で、魅力あるキャラクターを創る為には、一日一時間必ず机の前に座って毎日3つ以上顔を描きましょうと書いてあり、落描きをするのは大事と言えますね
急におすすめで流れてきて先生ご本人のチャンネルと知ってびっくりしました。
解像度の話、なるほどなぁと思いました。
自分も昔絵を描いていた時期があったのですが、確かに力んで描いた時より何気なく描いてる時の方が良い感じに描けたと思うことありました。
その時は力んで描いた時の経験がいい方向に作用したのかなと思ったのですが、解像度が上がってたってことでもあったんですね。
私は絵描き初心者ですが、抱えている悩みがほぼ一緒で驚きました。
線一本すら描けなくなって絵を見るのも描くのも全部嫌になって2週間触れなかったのですが、今は描けない自分が悔しくて、手癖と絵柄の矯正と好きな絵の模写をひたすらしてます。始まった直後は辛いのですが、途中から楽しくなってきます。
おそらくまた同じようなことになるので、その時のために自分メモ(こう描くと良くなりそう、こういう絵が好きなど)を描いてデスクトップに貼り付けてます。
なるほど!そういう事だったのか、と腑に落ちました。
私は絵描きではないのですが、文章や写真などで創作物を作るときに同じ感覚になる事がありました。
手ぐせを自分で肯定しながら作品を作ると周りからの評価は意外に低いことが多いです。
それが出ないようにする中で滲み出る手くせが個性なんですね!
素晴らしい言語化で痺れました。
ありがとうございます♪
なんかすごくわかります。私もベッドにスケッチブックとえんぴつを必ず置いて休憩するときも何かしら気楽に描くようにしてます。
絵描けないけど安倍吉俊先生のお姿見れたり解説聞けるのありがたすぎます。描いてない自分でもわかりやすいと思ったので絵描いてる人にはより伝わるのかなと。機会があったらレインとかニアとか既存のキャラも描いて下さると嬉しいです~
落書きのイラストめちゃくちゃ好きです!落書き実況の動画とか見てみたいです!
ありがとうございます。そういうのもいいかもしれないですね
いろんな見かたができると自分は思いました。
人物の絵、風景の絵、この世に存在しないイメージ、写真的なイメージ、それぞれ違いますし絶対的な答えみたいなものが存在しない。だけど、漫画やアニメの絵において人物画というのは他の要素に比べて偏ったメタファクターがあることで疑似的な答えみたいなものが生まれていると思います。だから、人物を描く時のプレッシャーや自他の要求というのは他の要素を描く時とは違うし、自由度も違う。
あと、得意不得意への向き合い方の違いもありますよね。個人的によく経験することなんですけど、どうしても自分の不得意を克服したいと思ってしまう。それが実質的にはギャンブラーみたいに”克服できない事”事態に依存しているみたいになってしまってもです。そういう時は常に力みを感じるけど、得意なことをやっている時はただ心地よい集中力の上昇だけがあって、その”努力の無さ”に罪悪感を感じるほどです。
あるいは、ただ自分の理想に自分の実力が追い付いていないというパターンも考えられると思います。手の届かないところにあるものを取ろうとして精一杯背を伸ばしたりジャンプしてみたりするのですが結局は届かない。その時に感じる力みと、「結局届かなかった」という徒労感。実際には実力やディテールの問題が、メンタルの問題と完全に取り違えられたりするのはこういう時なんじゃないかなと思っています。
僕も、苦手に挑戦して、克服できたり、何がしか戦い方がわかった時の成功体験が大きすぎて、苦手や欠点を探して潰す事に執着しすぎている、と最近感じるようになりました。
@@yoshitoshi_ABe_g 苦手なことにより執着するのは多分、そっちの方が明白だからなんじゃないかなと自分の中では思います。自分が苦手なことというのはもう明瞭に見えていて、そのパターンも分かっている。だから”確実な投資先”のように感じられる。
だけど、得意なことと言うのは…難しいですよね。だって上には上がいるわけですし(絵にはそういうことはないとはおもいますが)、自分がどのくらいそれを得意なのかが分からない。本当に得意なのか、ただ平均値を出しているだけなのかもわからない。その上で、得意なことで負けたらとても傷つくんじゃないかという不安もある。だからなかなかそこに”投資”できない。
でも安倍さんがおっしゃっていることと僕が言っていることでは、全然レベルというか深度が違うかもしれません。安倍さんが普段どういう思考で絵を描いているのか想像することもできませんが、安倍さんの絵にはすごく特別なクオリティがあるので…。