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生成AIの話はなかなか触れづらいと思うのですが、プロの目線でのお話を聞くことができて大変興味深かったです。また創作物の力・価値についてのお話が、できないことや弱点の多い自分のような人間には嬉しかったです。
コメントありがとうございます😊。生成AIについては、過去の自分の経験が全く通用しない新しい技術で、未来予測ができないですが、とにかく手を動かして普通に絵を描く事が生業として残る未来であって欲しいです。
今の画像生成AIは「整った絵」とか「キレイな絵」「ウケる絵」という方面で大進化しているように思いますが、「そもそも人間が絵を描こうとした時に頭の中でやっていること」の学習やトレースは全くやっていない(出来ない)のではと思います。光と影がぁとか、奥行きがぁとか、モチーフとかテクスチャとか人物の表情とか、そもそもなぜその構図で描こうと思い立ったのかとか…(ここ重要)。「ヒトはなにゆえ絵を描くのか? 太古の洞窟の壁に狩の絵を描いた理由とは?」というあたりを深く洞察しないと、また同様に「人間が絵を観た時にどのように受け止めるのか(ピカソのキュービズムの絵はなぜ感動を呼ぶのか[でも当初は評価されなかった])」等についても深く考えない限り、生成AIは単なるパクリツールでしかないし、パクリの精度と速度が上がるだけでそこからの進化も期待できないので「真っ当な絵描きさん」は生き残れるような気がします。日本画を専攻された身として「描くとはなにか・何がそのパッションとなるのか・インスピレーションとは何か」どうお考えになりますか?
生成AIは無断学習を続けたまま事態を進行させてしまって「もうやめられないでしょう?」っていう状態になる前にそろそろ立ち止まって制度をしっかり考えてほしいなと思っています。技術としては面白いと思うのですが雑な使い方をする人が多い現状はなんとかしたいですね。
絵は必ずしも精度・正確さを追求するものではない。人それぞれ違う絵に優劣は無い。AIを使う側の意識が低いと結局流行りの絵しか出来ない。
絵を描くということは今後スポーツと同じようなポジションになっていくのかもしれませんね。
AIの学習プロセスの透明化や利益分配というとこですけど、もしこれが実現できるならいいとは思うのですが、仰ったように1つの国の問題ではないですしかなり難しいと感じます、仮にグローバルでそういったコンセンサスが取れたとしても仰るように既存の絵描きの絵に頼らない学習法はすでに生まれつつありますし、そうでなくても例えば大企業が数千億の予算を投じて器用な絵描きを大量に雇いこういう絵を描いてくれといった具合に多様な絵柄でAI学習用の絵を大量に用意する事だってやろうと思えばできちゃうと思うんですよね、その場合下手すれば今の生成AIよりも色んな画風でクオリティーの高いモノが描けてしまう凄いAIになってしまうかもしれません、今までの知見がありますからAIに最適化された形で学習素材を与えていくと思うので、全てオリジナルなデータセットで今よりも凄い画像生成AIを作るのが可能であるならあまり透明化や利益分配も長期的にはあまり意味がないのかなと個人的には思ってしまいます。ネット上のAI学習で言うと例えば一部の某SNSなどはすでに、「このSNSを使用するならあなたの投稿をAI学習する事に同意したこととします」といった感じの規約も盛り込まれています、もちろんそういうSNSを使わないという選択は出来ますが今の時代はSNSを選択的に使ってるというよりはユーザーがそこに集中しているので使うという構造になっているのでSNSに限らずデータをどう収集して扱うかもプラットフォーム側に選択権があるというのが実情なのかなともし法律で何とかするとなるとやはりその国のAIの技術発展は遅れるでしょう、絵に限らずですがAIのデータセットの透明性が必要ということになれば他の今ある便利なAIも同様の制限を受けてしまうという事なのでしかしAIがいくら発展しようが人間にしか出せない魅力やブランド性は残ると思います、それはAIを使おうが手で描こうが何かしらの人間の細やかなこだわりは評価されるものだと思います。私は一応絵を描いている立場ではありますがAIの発展は止められないしどうせあるんだったら使う使わないに関わらず受け入れて楽しんでこうと考えています。
競争として絵を描いてる人はAIに批判的自分の理想をただ純粋に絵に落とし込めたい人は冷静私も結構な時間を絵に費やしてきたのでAIが話題になった当初はショックだったけど自分の目的がただ理想の世界を創りたいっていうことがわかったので今ではどっちでもいいむしろ本当に自分のイメージしてるものが絵にちゃんと落とし込めるならAI最高けれど神は細部に宿るみたいなもんで神の領域には程遠い新海誠の映画がAIで1週間で作れるようになりましたみたいな現実、想像つかないもんそしてその現実がかなってる頃にはもう映像って概念自体が古びたものになってる
人の感じ方とかを抜きにして考えた時、法律がよりどころになるけど、国によって裁定がバラバラだったりするからいまは完全にグレーになっちゃってますよね日本だと実害が出てる証明がないと何ともな感じみたいですし多分なぁなぁなまま徐々にあちらこちらで使われ始めて行きそうな感じはします問題なのはどうするのが正解かわからないことだとおもってます。AIを使わなかった時に世の中で活用するのが当たり前になったりしたら置いて行かれてしまう、けれど使っていく方向で勉強した時に規制する方向に世の中が動いたら勉強したことが無駄になってしまうどうすればいいのかわからない状態なのが問題だなぁと感じてますもうギャンブルみたいですよ
AlphaGoも人間の棋譜を学ばない方が強くなったみたいですし、ゼロからお絵描きするAIは出てきても全く不思議ではないですね
数千数万のイラストをつなぎ合わせても、絵師自身すら自覚のない無意識の構成要素とその間にある繋がりや一貫制はAI絵には作れないのではと思います。異世界を題材にしたイラストを想像してみても例えば遠景の煙突から立ち上る煙の色からその世界での主なエネルギー源が伺いしれるでしょう服の裾からでたアクセサリーから身分差があることや貧富の差が見て取れるかもしれません奇抜な生物の骨格からその世界の重力の弱さが感じ取れる可能性もあります。絵師によって語られない世界の断片はこうした機微に顕著に現れると確信します集合体であるが故に、AIは真の世界観は持ち得ないと思わざるを得ないのです。
その通りだと思います。その反面、AIで描かれたものは、人が魂を込めて書いたもののつぎはぎであるので、つぎはぎの不気味な魂を感じる事もあります。人間であればこれくらい上手く描けるなら描いたものに意味や自分の価値観を無意識にでも込めているはずだ、と思って見ると全く整合性がなかったりするので途方に暮れます。
生成AIの話はなかなか触れづらいと思うのですが、プロの目線でのお話を聞くことができて大変興味深かったです。
また創作物の力・価値についてのお話が、できないことや弱点の多い自分のような人間には嬉しかったです。
コメントありがとうございます😊。生成AIについては、過去の自分の経験が全く通用しない新しい技術で、未来予測ができないですが、とにかく手を動かして普通に絵を描く事が生業として残る未来であって欲しいです。
今の画像生成AIは「整った絵」とか「キレイな絵」「ウケる絵」という方面で大進化しているように思いますが、「そもそも人間が絵を描こうとした時に頭の中でやっていること」の学習やトレースは全くやっていない(出来ない)のではと思います。光と影がぁとか、奥行きがぁとか、モチーフとかテクスチャとか人物の表情とか、そもそもなぜその構図で描こうと思い立ったのかとか…(ここ重要)。
「ヒトはなにゆえ絵を描くのか? 太古の洞窟の壁に狩の絵を描いた理由とは?」というあたりを深く洞察しないと、また同様に「人間が絵を観た時にどのように受け止めるのか(ピカソのキュービズムの絵はなぜ感動を呼ぶのか[でも当初は評価されなかった])」等についても深く考えない限り、生成AIは単なるパクリツールでしかないし、パクリの精度と速度が上がるだけでそこからの進化も期待できないので「真っ当な絵描きさん」は生き残れるような気がします。
日本画を専攻された身として「描くとはなにか・何がそのパッションとなるのか・インスピレーションとは何か」どうお考えになりますか?
生成AIは無断学習を続けたまま事態を進行させてしまって「もうやめられないでしょう?」っていう状態になる前にそろそろ立ち止まって制度をしっかり考えてほしいなと思っています。技術としては面白いと思うのですが雑な使い方をする人が多い現状はなんとかしたいですね。
絵は必ずしも精度・正確さを追求するものではない。人それぞれ違う絵に優劣は無い。AIを使う側の意識が低いと結局流行りの絵しか出来ない。
絵を描くということは今後スポーツと同じようなポジションになっていくのかもしれませんね。
AIの学習プロセスの透明化や利益分配というとこですけど、もしこれが実現できるならいいとは思うのですが、
仰ったように1つの国の問題ではないですしかなり難しいと感じます、
仮にグローバルでそういったコンセンサスが取れたとしても仰るように既存の絵描きの絵に頼らない学習法はすでに生まれつつありますし、
そうでなくても例えば大企業が数千億の予算を投じて器用な絵描きを大量に
雇いこういう絵を描いてくれといった具合に多様な絵柄でAI学習用の絵を大量に用意する事だってやろうと思えばできちゃうと思うんですよね、
その場合下手すれば今の生成AIよりも色んな画風でクオリティーの高いモノが描けてしまう凄いAIになってしまうかもしれません、
今までの知見がありますからAIに最適化された形で学習素材を与えていくと思うので、
全てオリジナルなデータセットで今よりも凄い画像生成AIを作るのが可能であるならあまり透明化や利益分配も長期的にはあまり意味がないのかなと個人的には思ってしまいます。
ネット上のAI学習で言うと例えば一部の某SNSなどはすでに、「このSNSを使用するならあなたの投稿をAI学習する事に同意したこととします」といった感じの規約も盛り込まれています、もちろんそういうSNSを使わないという選択は出来ますが今の時代はSNSを選択的に使ってるというよりはユーザーがそこに集中しているので使うという構造になっているので
SNSに限らずデータをどう収集して扱うかもプラットフォーム側に選択権があるというのが実情なのかなと
もし法律で何とかするとなるとやはりその国のAIの技術発展は遅れるでしょう、
絵に限らずですがAIのデータセットの透明性が必要ということになれば
他の今ある便利なAIも同様の制限を受けてしまうという事なので
しかしAIがいくら発展しようが人間にしか出せない魅力やブランド性は残ると思います、それはAIを使おうが手で描こうが何かしらの人間の細やかなこだわりは評価されるものだと思います。
私は一応絵を描いている立場ではありますがAIの発展は止められないしどうせあるんだったら使う使わないに関わらず受け入れて楽しんでこうと考えています。
競争として絵を描いてる人はAIに批判的
自分の理想をただ純粋に絵に落とし込めたい人は冷静
私も結構な時間を絵に費やしてきたのでAIが話題になった当初はショックだったけど
自分の目的がただ理想の世界を創りたいっていうことがわかったので今ではどっちでもいい
むしろ本当に自分のイメージしてるものが絵にちゃんと落とし込めるならAI最高
けれど神は細部に宿るみたいなもんで神の領域には程遠い
新海誠の映画がAIで1週間で作れるようになりましたみたいな現実、想像つかないもん
そしてその現実がかなってる頃にはもう映像って概念自体が古びたものになってる
人の感じ方とかを抜きにして考えた時、法律がよりどころになるけど、国によって裁定がバラバラだったりするからいまは完全にグレーになっちゃってますよね
日本だと実害が出てる証明がないと何ともな感じみたいですし
多分なぁなぁなまま徐々にあちらこちらで使われ始めて行きそうな感じはします
問題なのはどうするのが正解かわからないことだとおもってます。
AIを使わなかった時に世の中で活用するのが当たり前になったりしたら置いて行かれてしまう、けれど使っていく方向で勉強した時に規制する方向に世の中が動いたら勉強したことが無駄になってしまう
どうすればいいのかわからない状態なのが問題だなぁと感じてます
もうギャンブルみたいですよ
AlphaGoも人間の棋譜を学ばない方が強くなったみたいですし、ゼロからお絵描きするAIは出てきても全く不思議ではないですね
数千数万のイラストをつなぎ合わせても、絵師自身すら自覚のない無意識の構成要素とその間にある繋がりや一貫制はAI絵には作れないのではと思います。
異世界を題材にしたイラストを想像してみても
例えば遠景の煙突から立ち上る煙の色からその世界での主なエネルギー源が伺いしれるでしょう
服の裾からでたアクセサリーから身分差があることや貧富の差が見て取れるかもしれません
奇抜な生物の骨格からその世界の重力の弱さが感じ取れる可能性もあります。
絵師によって語られない世界の断片はこうした機微に顕著に現れると確信します
集合体であるが故に、AIは真の世界観は持ち得ないと思わざるを得ないのです。
その通りだと思います。その反面、AIで描かれたものは、人が魂を込めて書いたもののつぎはぎであるので、つぎはぎの不気味な魂を感じる事もあります。人間であればこれくらい上手く描けるなら描いたものに意味や自分の価値観を無意識にでも込めているはずだ、と思って見ると全く整合性がなかったりするので途方に暮れます。