1987年の保津峡客車列車(現在の嵯峨野観光鉄道)

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 8 вер 2024
  • 1987年当時、山陰地区から京都方面の通勤は長大編成の客車列車にゆだねられていました。
    特に朝ラッシュの京都駅着8時台は通勤電車なみの運転頻度で客車列車がやってきました。
    風光明媚なこの区間に乗車券(京都ー保津峡230円)だけで客車列車に乗れた当時は天国でした。

КОМЕНТАРІ • 24

  • @ノリノリン
    @ノリノリン 3 роки тому

    UPありがとうございます。感涙必至です。DD51、あさしお、47系の汽笛懐かしい‼️あ~あリバイバルで運行せんかな。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  3 роки тому

      馬堀の線路をつなげたら通り抜けができるので、よりリバイバル運転もしやすくなると思うのですが、まだ12系とDD51はありますからね。

  • @marioloyce4514
    @marioloyce4514 6 років тому +2

    懐かしい映像をありがとうございます。
    嵯峨野線(当時は山陰本線)沿線で生まれ育ったので、子供の頃はまさに気動車や
    DD51牽引客車に乗って京都方面へ向かっていました。
    キハ47系普通列車、キハ40系急行丹後、キハ181系特急あさしお等々
    今からすると懐かしい列車ですが当時は古くさいものばかりだと不満でした。
    また単線での行き違い待ちが結構あってイライラしてました。
    ただここの区間については季節の移り変わりを感じられてよかったです。
    保津川下りの船が見えるとなんともなしに手を振ってみたりして・・。
    今では嵯峨野観光鉄道の乗客がこの「儀式」を受け継いでくれているようですね。
    まあトロッコ列車に乗っている人にとっては、ここが旧山陰本線だと思ってくれている
    のかは?ですが観光鉄道として活用するほうがこの路線にはあっているのかも。
    なんか久しぶりにキハ47系に乗ってみたいという気になりましたね。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 років тому

      mario loyce 地元の方からのコメントありがとうございます。
      キハ40系は新型気動車と思ってましたが、世代ですかね?

    • @marioloyce4514
      @marioloyce4514 6 років тому

      あっ、すいません!!
      キハ40系急行丹後ではなくてキハ52系急行丹後でした。
      個人的には「あさしお」よりも「丹後」の方が親しみがあって好きでした。
      日本海方面へ海水浴に行くときに利用していました。
      綾部駅でのスイッチバックの待ち合わせ時に立ち食いうどんを食べていました。
      今となっては懐かしい思い出ですね。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 років тому

      mario loyce 今は停車時間も短いし、そもそもホームの蕎麦屋がなくなったので、そんな楽しみも失われましたね。閉じられた空間で、食堂車のみならず、車内販売もないので、買い忘れたら途中で買うのはほぼ不可能です

  • @user-de4vb2dw8w
    @user-de4vb2dw8w 5 років тому

    今とは違い線路の間近で撮影したらかなりの迫力がありましたものね。現在は線路の中に入れ無いようにフェンスがしてあったり、高架化されて昔のように線路の中に入って間近で撮影する事も出来なくなりましたね。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  5 років тому

      厳密にはダメだったのでしょうが、当時の状況でとがめられることはなかったですね。

  • @rhscm989
    @rhscm989 4 роки тому

    この時期はもう既に旧客は一掃されており、12系と50系の2本立て体制になっていましたが、それぞれのスジはあらかじめ決められており、冷房ありの12系を狙うだけでも一苦労でした。気動車の普通列車で言えばキハ28・58形。冷房なしの50系客車やキハ47形気動車にあたると、腹が立ったものでした(1984年春の段階でも、キハ28 64/キハ58 38・65も冷房がなかったので、これらが来ると腹が立った)。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  4 роки тому

      rhscm989 真夏はそうでしたね。
      燃えるレッドとか言うてました

    • @rhscm989
      @rhscm989 4 роки тому

      @@user-tabiichiro キハ47形はワンマン改造後の1992年暮れ頃からバス用冷房を順次取り付けていったため、夏場の問題は解決しましたが。

  • @masashi0089
    @masashi0089 6 років тому +3

    撮影お疲れ様です。
    約30年前の映像ですけど、それ以上に懐かしく感じますね。
    今は、嵯峨野観光鉄道で活躍していますけど、山陰本線の旧線の歴史を踏みしめてほしいですね。
    梅雨の時期になりましたが、湿気対策を施して過ごしてくださいね。
    私も、鉄道関連の動画をUPしていますので、よろしければ、チャンネル登録お願いします。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 років тому +1

      ちゃんねるまさやん
      「山陰本線であったことを噛み締めて欲しい」は完全同意です。
      ただの遊園地のアトラクションに思われるのは悲しいですね。
      チャンネル登録させていただきました。

    • @masashi0089
      @masashi0089 6 років тому +1

      旅一郎さん
      コメント&チャンネル登録ありがとうございます。
      実は、私も、嵯峨野観光鉄道には乗ったことがありまして、真夏の保津峡の清流が綺麗だったのを覚えています。
      鉄道ファン同士頑張っていきましょう!
      よろしくお願いします。

  • @user-bg8qb8mt8w
    @user-bg8qb8mt8w 5 років тому +1

    投稿ありがとうございます。私、当年60歳の乗り鉄大好きのオッサンですが1989年頃だったと思いますが敦賀から小浜線を経由、綾部駅を経てスイッチバック京都行に乗ったことがありました。確かその列車は急行わかさ京都行だったと思います。勿論、当時保津峡は撮影場所と同じルートでした。懐かしい。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  5 років тому

      新快速 89年ならギリギリ旧線経由の頃ですね。
      若狭線も今では京都や福井直通もなく、線内完結の電車になってから行くこともなくなりました。
      余談ですが、若狭線の気動車に乗る動画を別にアップしていて、折り返しの気動車が急行わかさになります。
      ご覧いただければ幸いです
      www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/tabitaro1234/entry-12387608878.htm

    • @rhscm989
      @rhscm989 4 роки тому

      この急行「わかさ」が小浜線電化開業記念の一環行事として、2003年3月8日に1日限りの復活を遂げたことは記憶に新しい。