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井上ケイさんの話です。田岡組長以降、なぜ関西では893の抗争が繰り返されたのか。関西では縄張りがきちんとしていなかったそうです。一方、関東では江戸時代から縄張りがきっちりしていた。だから昭和になっても抗争は起きなかった。幕府が江戸にあったおかげで、色々な意味で江戸、東京の秩序は維持されていたということでしょうか。
世の中は常に支配する側とされる側の二極にあり、それが入れ替わり続けているのが時代というもの。
江戸では町奴と旗本奴の抗争なんかあったりと初期の戦国の名残で封建制からあぶれた者たちが社会の中で自分たちの居場所、役割を築いて行ったという流れだったようですね。
アップありがとうございます。めちゃ楽しみにしていたチャンネルなのでガチ嬉しいです。
お待ちしておりました。リクエストなのですが、江戸時代に生まれたと言う、落語をお願い致します。三遊亭圓朝は寄席で師匠に演じようとした噺を先にされたから、怪談を演じたら、大受けしたとか。あと、東京都北区王子が舞台の王子の狐に出てくる扇屋で働く人と酒を飲んだことがあります。今は卵焼きをこじんまりと売っていますが、当時の料亭がどうだったのか、気になりますし、扇屋の特注卵焼きを魔理沙に見せたらどう反応するのか、気になります。
長らくお待ちしておりました。ライトな歴史好きとしては、とても楽しく視聴させて頂いております。今後も動画を楽しみにしております!
難し微妙な問題に的確な斬り込み😊お見事です。👍
魔理沙かわゆい☺️💕今回も面白かったです👍
幾らでも広がっちゃう話なんだけど、上手く纏めてるなあと感心しました。
木枯らし紋次郎シリーズの一つに奥州七日の疾走という作品があって、関東だと寺社領だの幕府直轄地とか複雑だったから賭場が開きやすかったって説明があった記憶が御座います。いやぁ紋次郎さん好きだなぁ今でも、コミュ障気味だから。
ゆったりしたテンポで聴きやすいです。散歩中に聴いていたりするので、ありがたいです。
待ってました!!今からゆっくり見ます〜!
お久しぶり!復帰動画面白かった!マイペースでよろしいので楽しみにしてます!
待ってました!今や銭湯にも行けない刺青が、流行りモノだったなんて。その良い悪いは置いといて、日本文化の移り行く流れって面白いですね
今でも彫り物入ってても行ける銭湯ありますけどね。彫り物入れた人にはカタギの職人さんもいますよ。
あの仁義が、「山!、川!」みたいな暗号・暗証だったとは。ありがとうございます。
林家木久扇の師匠である桂三木助は、若い頃は日本橋界隈で「隼の七」の名で知られた博徒だったとかあと、仁義を切る時に、膝に置いている左手は、親分持ちなら「親を隠す」と言う意味で親指を握り込み、親分がいない一人者なら手を開いて親指を出す、または手の平を見せるのだったとか
動画内容もそうだけど、ここのはコメント欄も勉強になる
待ってました。
いつも楽しみに観ています!リクエストなんですが、江戸時代の居酒屋事情を知りたいです。いまは焼き鳥とかありますけど、昔は営業時間とかツマミとか色々お酒関係しりたいです^_^
当時の火消しは命懸けの職業彼らの刺青は軍隊のドッグタグと同じでもしもの時の識別票にもなったらしいからみんながみんな二つとない絵が入ってたんだろう
そうそう。当時は岩絵の具だったから、灰に成らないなら黒こげにになっても岩絵の具は燃えないから入れ墨で誰かわかったんだよねー
もともと和彫りは肌の晒すことの多かった職人さんたちが褌一丁の体を補うために体に着物を彫ったのが始まりですからね。あと入れ墨といういうのは刑罰に使われた腕に黒い円を書くような物ですので和彫りは彫り物と呼ばれてました。入れ墨と和彫りは全くの別物です。刺青と書いていれずみは谷崎潤一郎の小説刺青から始まった造語です。
歌舞伎に登場する江戸時代の侠客に幡随院長兵衛がいます、幡随院長兵衛が登場する芝居で一番有名なのは鈴ヶ森ですね!それから幡随院長兵衛を主人公にした芝居(極付幡随院長兵衛)です
なんか、「やぁやぁ我こそは!」みたいなノリやな。更新待ってましたンゴ。
(鎧武者)「やぁやぁ我こそは!」→(任侠渡世人)「手前、生国と発しまするは…」→(サラリーマン)名刺交換
天保水滸伝の笹川繁蔵もなかなか面白いですよ飯岡一家と最初の決闘になった神社では笹川繁蔵が相撲取りだったこともあって土俵があり神前相撲が行われますそして毎年夏には出羽海部屋の方々が合宿に訪れて稽古を見せてくれます
待っていました!
老婆心ではありますが、「入れ墨」と言うと犯罪者の刑罰として入れるもので、華やかなファッションとして入れるものは「彫り物」と呼ばれたのではないかと思います。
職人の事を彫師と言い入れ墨は名の通り黒一色でした。
「入れ墨」は刑罰で「刺青」はファッションですね
ためになります
いつも楽しく視聴させております。収益化が再開されて良かったですね。それにしても、かなり攻めたテーマでしたね(*_*;
待ってた。大好き。
浪人と関所、通行手形をどうしてたとかまで解説して欲しいなあ
佐々木道誉とかの婆娑羅って傾奇者のさらにルートってことはないですかね?
おかえりー。新作待ってたよー。
久しぶりのupありがとうございます。いつも楽しく拝見しております。一つ気になる事が…。確か、「入れ墨」は、刑罰用語で、博徒、俠客のそれは「刺青(ほりもの)」と区別していたかと。現在では混同されていますが、できれば、一言解説が欲しかったです。
楽しみにしてました!
17:10「六方」って、歌舞伎の六方と関係あるのでしょうか?
4:13の音源はどこのですか?
町火消しって無償だったの!?(地域からの付け届けは多そうだけど)すげーな・・
楽しみに待ってました(*^▽^)/★*☆♪
今でも実際に火災現場に出場する東京消防庁や消防団とは別に、江戸町火消しの伝統を引き継ぐ江戸消防記念会というのがありますね。町鳶の人たちで構成されて、はしご乗りや木遣り歌で有名ですが、昔やってた特集番組で、今でも小頭とかの役職があったり、中には立派な彫り物のある人がいたのを覚えています。
何故江戸時代入れ墨が流行ったのかと言えば彫り物自体にIDの役割があって例え頭部が失われても彫り物で誰か特定できる為というのは有名ですが、もう一つ「男らしさ」を誇るのに髭で魅せる文化が衰退した反動もあるんですよね。流石に江戸初期には奴髭という伸ばした髭を脂などで固めて風変わりな形にするというのもありましたが。更にその反動で明治では髭の形に拘るという文化が復興したとここまで風雲児たちの受け売りでしたw
そういえばベラミ事件の実行犯の鳴海清も死体の本人確認に彫り物が決め手となりましたからねえ
ちょうど、「木枯し紋次郎」の世界の話ですね。
面白い。面白いよ。
今で例えるなら同じ暴力団でも暴走族みたいな迷惑なだけの奴と警察官や消防士のような一目置かれるような人も居たと言う事か。
そうそう。そもそも警察の役割してたしねー。それを束ねるのが町奉行。しかしそれでは武士身分より上の身分が上のランクの犯罪は取り締まれないので身分関係なく取り締まれる、火付け盗賊改って役職も作られた。彼らもヤクザと組んで町の治安守った。戦後の暴力団追放がすすむまでは、実は警察と暴力団は公然の仲間だったんだよ。
侠客といえば、個人的には幡随院長兵衛を思い浮かべます。芝居などでかなり脚色され、実際の人生や散り際などとは違うものだったようですが、それでも「良いヤクザ」というイメージです。実際の侠客などの成り立ちの時代背景や複雑な系譜を知ることができ、とても楽しかったです。
大前田英五郎
蟠随院長兵衛はヤクザではなく町奴ですよ。
現代の場合、弱気をいじめ強気に媚びる
飛脚人夫とか一回,御用を勤めたらめちゃくちゃ給金が良くて半年あそんで暮らせたって聞いたなあ😅
こんにちは😀旗本退屈男ってこういう人だったんだなぁ〜。町の自警団であり、揉め事や理不尽な仕打ちに対する相談や解決役、、、遠山の金さんなんか、こういう立場の人を身分を隠して「演じていた」んだなぁ。
伊達魔理沙可愛い♪(∩´∀`)∩
日本でも侠客は義侠心を持って弱い人を助ける武装集団の意味合いがありましたよ。石川五右衛門なども遊侠と呼ばれてますし。博徒のようなアウトロー以外でも漁師、大工、町火消、芸者の人たちも侠客と呼ばれてました。
寅さんが引用されていて嬉しい。
よ!待ってました!千両役者!
この動画に付けられている番号は「 その65 」で良かったのでしょうか???
ご指摘ありがとうございます。お蔵入りの作品があり一つ飛んでいました。うっかりしておりました、その64に訂正致します
侠客や中国で言う「武侠」。これらは世の決まり事(法律)や大義と言われるモノよりも「自分が納得できるかどうか」が行動原理だったとか。
久しぶりの動画だ、待ってました!今回はアウトローか、ヤクザとかしんどそうだけど、旅人とかは憧れるなー実際は大変だろうけどね!
儲かるからなるんですよ!昔から変わらない。呼び方が 違うだけ。
このような時期ですので、無理のない取材をして下さいね。(⌒‐⌒)
ひさしぶりそして魔理沙が伊達政宗の兜をかぶっているぞ
>現代の組織とは全く関係はございません六代目清◯一家「いや、そのりくつはおかしい(震え声
血縁とか縁者とか無く名前だけ再興だから関係ないは正解。
次郎長に直接関係ある清水一家は1966年に解散しており、その幹部だった人間のつくった組の若頭高木康男が「うちの親分は昔清水一家若中だったからその子分のワシが継いだる!」という論理で2007年に勝手に名乗ったのが現存する「6代目」清水一家。なお高木は親分の経歴以外5代目とはなんの関係もない。無論健在だった5代目の田辺金吾にも無断であった。
【日本のアウトロー業界が外国マフィアに近づいたきっかけ】日本のアウトロー業界が質的に大きく変わったきっかけは、戦後のドラッグ・ビジネスの興隆です。闇業界ではドラッグが一番儲かるけど、古い伝統的な任侠(地域共存型)はドラッグで地元民をボロボロにするのを認めずに覚せい剤の撲滅運動を行いました。しかし外国系犯罪者は主に覚せい剤で効率よく儲けました。暴力団は上納金を沢山納める人が最も出世する世界なので、暴力団の上層部が外国系犯罪者だらけになり自然に手下にも外国系犯罪者が増えて、古い伝統的な任侠組織が無くなってしまったのです。それでアメリカが日本の暴力団幹部を金融機関でも制裁(口座凍結など)する際に、彼らの名前を政府機関サイトで公開しましたが、制裁対象の幹部4人のうち3人が外国人の本名と日本の通名を持っていることを示す結果になりました。www.treasury.gov/press-center/press-releases/Pages/jl2250.aspx
あなたの以前のアドバイスが私にとって大変有用でした。感謝しています!
@@WiollNibisz こちらこそご返信ありがとうございます😊
父方の曾祖父が博徒だったらしい。大きな一家を抱えていて、祖母の話だとタンスのなかにドスと言うものがいくつも入っていたとか、出入りの時には曾祖母と逃げる算段はいつも整えられていたとか、何だか世界が全く違う話ばかりだった。曾祖父が博徒を引退したのは、祖母や大叔父に全うな道を歩ませたいと言うことだったらしい。どんな手を使ったのか知らないが、祖母は師範学校から教職につき、その後判事だった祖父と結婚した。 大叔父は、若いうちに陸軍中野学校に進み、行方知れずになった。私が生まれたときは、曾祖父も曾祖母も鬼籍の人で断片的な話しか知らないが、祖母も父をはじめとする伯父も肝は座っていた。私はその血を引いているとは思えない博打嫌いの小心者。
ドスって居合の白さやとはかなり違うんですよね?
待ちかねましたよ。
確か鉄火巻きってその筋の人達絡みで誕生したんでしたっけ?
鉄火場(賭博場)で、片手間にパッと食べられる巻き寿司。って名付けですね。サンドイッチもポーカー大好きサンドイッチ伯爵が片手間に食べられる軽食として開発させた。という話もありますので、かつての博徒は私達の日常を少し便利にしてくれてますね。
@@mitzelh.5819 サンドウィッチのルーツは他に「サンド(砂)とウィッチ(魔女)以外は何でも挟んで食べられる」というのも聞いたことがある。まぁ、俗説なんであなたが紹介してる方が正しいと思う。
@@sukeyu-5194 魔女も挟めばいいのに。。とか一瞬思ってしまった私は良くない教育を受けてきてしまったみたい。その砂と魔女の方がイギリス人らしくていいですけどね。
やっとこちらで江戸時代を学ぶ事ができますね。そういえばお話で木枯らし紋次郎って時代背景はいつくらいなんだろう?かっこええなーって再放送を見てた記憶しかないな…
いつの時代か?あっしには関わりのねえ事で
そう考えると暴れん坊将軍の北島三郎は適役だったんだなあ
あの、お控えなすって!以下の挨拶をつらつら言えるって大したものですが、うまくできれば一宿一飯と路銀がもらえて、しくじっらた袋叩き…。挨拶された方も憶え切れるとも思えず、単に挨拶芸で食っているようなものです。よく、あの子は不良だけど挨拶はきちんとする、なんて評価がありますが、ちょっとした事で暴力沙汰になるアウトローのほうが、まともな社会人よりよほど挨拶が大事なんでしょうね…。
一部の政治結社の構成員の方々が教育ニ関スル勅語を諳じるのもそれができないと上役的な方々からボコられるからでしょうしね。
「凶状持ち」の意味がやっと分かった。寺銭は解かるが、岩倉具視のように公家共が屋敷の中「バクチでショバダイ」を稼いでいたのは何と言うのだ。大きな寺院、神社で「富くじ」で金を稼いでいたのは有名な話が。よく調べてるののは感心した、面白い。
ファントム無頼←意外とヤバかった
沖中士もいたな。入れ墨繋がりで銭湯に行くといたな
旅の博徒といえば私は花山の男立ちのモデルになったやつだな。
こんばんはリクエストなんですが桜田門外の変を解説していただけますか?
竹田恒泰氏が桜田門外の変を滅茶苦茶分かりやすく、かつ細かに説明してたんだけど会員限定動画か。残念。
今では政府自治体がばくち場の誘致で互いに競争する時代になり果てた。
島帰りのしるしの刺青は?知らんけど🤔
20年前くらいならキャラメル箱の連中かな?
♡一兆文銭♡伊達魔理沙
賭博場に出入りしていると流行病をよくもらう弊害があるんだよなそのせいでうちの実家と元旦那の家族は腸チフスで命を落としたのよ。
木枯し紋次郎、まあアウトローだよな無宿渡世だし。
まあどう言い訳をつけてもまともな部類ではないと言うのが全ての時代に共通する。まして現代ではろくでもない外国人が増え、武士のなごりもへったくりもない。
浮浪者のおっさん(65歳)は浪人だった・・・?
落語でよく出る「口入屋」って暴力な人たちだったんですねー、勉強になります
そういえば我が国最大の暴力団組織と言われる謀組も元々は神戸港の港湾労働者の集団(もしくはその手配師業)から始まったんだから神戸港が開港してからできた組織、つまり少なくとも幕末以降(開国以降)の話なんだよなあ(;´Д`)
関東では、江戸時代から続く老舗の一家も沢山ありますよ、今は、住吉会と成った幸平一家、大前田栄五郎の大前田一家、静岡の山口組傘下に成ってしまいましたが、清水の次郎長で有名な清水一家など、
無法者か、政権衰退期や交代期には目立つね。視点が変われば新鮮だね。今では意味が変わりつつ有る二足の草鞋ですね。
スマホで見てるので、字が見えない
現代の極道・・・強気を助け、弱気を挫くって事で間違いないな。
アウトローよりアウトローじゃない奴を数えた方が早いのが世の常。国会中継ではアウトローしか映らないですよね?
麻雀が江戸時代にあったら、誰も仕事しないだろなw
北島三郎はそんなに凄かったのか・・・。
今どきはヤクザも有名私大政経卒
今と違うのは薬と銃器を扱わないだけでしょ?www
じつはわたしの父は若いときに、地区の消防分団長を努めておりましたが、いざ、災害現場となるとたいへん威勢がよく警官でむ怒鳴り付けていたと自慢しておりましたぬ。
字が小さいよ(´・ω・`)
おひさ
ゆっくりのセリフを出している部分の背景は不透明か半透明にしてください。背景が直射日光を受けているまっ白な砂なのでまぶしいです。とくに魔理沙のほうは文字のふちどりが黄色なので白背景だとなおさら読みにくい。
そう思えばニートってアウトローだよな?
たびびと、とは言わないだろう、たびにんが正しい
井上ケイさんの話です。田岡組長以降、なぜ関西では893の抗争が繰り返されたのか。関西では縄張りがきちんとしていなかったそうです。一方、関東では江戸時代から縄張りがきっちりしていた。だから昭和になっても抗争は起きなかった。幕府が江戸にあったおかげで、色々な意味で江戸、東京の秩序は維持されていたということでしょうか。
世の中は常に支配する側とされる側の二極にあり、それが入れ替わり続けているのが時代というもの。
江戸では町奴と旗本奴の抗争なんかあったりと初期の戦国の名残で封建制からあぶれた者たちが社会の中で自分たちの居場所、役割を築いて行ったという流れだったようですね。
アップありがとうございます。めちゃ楽しみにしていたチャンネルなのでガチ嬉しいです。
お待ちしておりました。
リクエストなのですが、江戸時代に生まれたと言う、落語をお願い致します。
三遊亭圓朝は寄席で師匠に演じようとした噺を先にされたから、怪談を演じたら、大受けしたとか。
あと、東京都北区王子が舞台の王子の狐に出てくる扇屋で働く人と酒を飲んだことがあります。今は卵焼きをこじんまりと売っていますが、当時の料亭がどうだったのか、気になりますし、扇屋の特注卵焼きを魔理沙に見せたらどう反応するのか、気になります。
長らくお待ちしておりました。
ライトな歴史好きとしては、とても楽しく視聴させて頂いております。
今後も動画を楽しみにしております!
難し微妙な問題に的確な斬り込み😊
お見事です。👍
魔理沙かわゆい☺️💕今回も面白かったです👍
幾らでも広がっちゃう話なんだけど、上手く纏めてるなあと感心しました。
木枯らし紋次郎シリーズの一つに奥州七日の疾走という作品があって、関東だと寺社領だの幕府直轄地とか複雑だったから賭場が開きやすかったって説明があった記憶が御座います。いやぁ紋次郎さん好きだなぁ今でも、コミュ障気味だから。
ゆったりしたテンポで聴きやすいです。散歩中に聴いていたりするので、ありがたいです。
待ってました!!今からゆっくり見ます〜!
お久しぶり!
復帰動画面白かった!
マイペースでよろしいので楽しみにしてます!
待ってました!
今や銭湯にも行けない刺青が、流行りモノだったなんて。その良い悪いは置いといて、日本文化の移り行く流れって面白いですね
今でも彫り物入ってても行ける銭湯ありますけどね。彫り物入れた人にはカタギの職人さんもいますよ。
あの仁義が、「山!、川!」みたいな暗号・暗証だったとは。ありがとうございます。
林家木久扇の師匠である桂三木助は、若い頃は日本橋界隈で「隼の七」の名で知られた博徒だったとか
あと、仁義を切る時に、膝に置いている左手は、親分持ちなら「親を隠す」と言う意味で親指を握り込み、親分がいない一人者なら手を開いて親指を出す、または手の平を見せるのだったとか
動画内容もそうだけど、ここのはコメント欄も勉強になる
待ってました。
いつも楽しみに観ています!
リクエストなんですが、江戸時代の居酒屋事情を知りたいです。
いまは焼き鳥とかありますけど、昔は営業時間とかツマミとか色々お酒関係しりたいです^_^
当時の火消しは命懸けの職業
彼らの刺青は軍隊のドッグタグと同じで
もしもの時の識別票にもなったらしいから
みんながみんな
二つとない絵が入ってたんだろう
そうそう。当時は岩絵の具だったから、灰に成らないなら黒こげにになっても岩絵の具は燃えないから入れ墨で誰かわかったんだよねー
もともと和彫りは肌の晒すことの多かった職人さんたちが褌一丁の体を補うために体に着物を彫ったのが始まりですからね。あと入れ墨といういうのは刑罰に使われた腕に黒い円を書くような物ですので和彫りは彫り物と呼ばれてました。入れ墨と和彫りは全くの別物です。刺青と書いていれずみは谷崎潤一郎の小説刺青から始まった造語です。
歌舞伎に登場する江戸時代の侠客に幡随院長兵衛がいます、幡随院長兵衛が登場する芝居で一番有名なのは鈴ヶ森ですね!それから幡随院長兵衛を主人公にした芝居(極付幡随院長兵衛)です
なんか、「やぁやぁ我こそは!」みたいなノリやな。
更新待ってましたンゴ。
(鎧武者)「やぁやぁ我こそは!」→(任侠渡世人)「手前、生国と発しまするは…」→(サラリーマン)名刺交換
天保水滸伝の笹川繁蔵もなかなか面白いですよ
飯岡一家と最初の決闘になった神社では笹川繁蔵が相撲取りだったこともあって土俵があり神前相撲が行われます
そして毎年夏には出羽海部屋の方々が合宿に訪れて稽古を見せてくれます
待っていました!
老婆心ではありますが、「入れ墨」と言うと犯罪者の刑罰として入れるもので、華やかなファッションとして入れるものは「彫り物」と呼ばれたのではないかと思います。
職人の事を彫師と言い入れ墨は名の通り黒一色でした。
「入れ墨」は刑罰で「刺青」はファッションですね
ためになります
いつも楽しく視聴させております。
収益化が再開されて良かったですね。
それにしても、かなり攻めたテーマでしたね(*_*;
待ってた。大好き。
浪人と関所、通行手形をどうしてたとかまで解説して欲しいなあ
佐々木道誉とかの婆娑羅って傾奇者のさらにルートってことはないですかね?
おかえりー。新作待ってたよー。
久しぶりのupありがとうございます。
いつも楽しく拝見しております。
一つ気になる事が…。
確か、「入れ墨」は、刑罰用語で、
博徒、俠客のそれは「刺青(ほりもの)」と区別していたかと。
現在では混同されていますが、
できれば、一言解説が欲しかったです。
楽しみにしてました!
17:10「六方」って、歌舞伎の六方と関係あるのでしょうか?
4:13の音源はどこのですか?
町火消しって無償だったの!?(地域からの付け届けは多そうだけど)すげーな・・
楽しみに待ってました(*^▽^)/★*☆♪
今でも実際に火災現場に出場する東京消防庁や消防団とは別に、江戸町火消しの伝統を引き継ぐ江戸消防記念会というのがありますね。町鳶の人たちで構成されて、はしご乗りや木遣り歌で有名ですが、昔やってた特集番組で、今でも小頭とかの役職があったり、中には立派な彫り物のある人がいたのを覚えています。
何故江戸時代入れ墨が流行ったのかと言えば彫り物自体にIDの役割があって
例え頭部が失われても彫り物で誰か特定できる為というのは有名ですが、
もう一つ「男らしさ」を誇るのに髭で魅せる文化が衰退した反動もあるんですよね。
流石に江戸初期には奴髭という伸ばした髭を脂などで固めて風変わりな形にするというのもありましたが。
更にその反動で明治では髭の形に拘るという文化が復興したとここまで風雲児たちの受け売りでしたw
そういえばベラミ事件の実行犯の鳴海清も死体の本人確認に彫り物が決め手となりましたからねえ
ちょうど、「木枯し紋次郎」の世界の話ですね。
面白い。面白いよ。
今で例えるなら同じ暴力団でも暴走族みたいな迷惑なだけの奴と
警察官や消防士のような一目置かれるような人も居たと言う事か。
そうそう。そもそも警察の役割してたしねー。それを束ねるのが町奉行。しかしそれでは武士身分より上の身分が上のランクの犯罪は取り締まれないので身分関係なく取り締まれる、火付け盗賊改って役職も作られた。彼らもヤクザと組んで町の治安守った。
戦後の暴力団追放がすすむまでは、実は警察と暴力団は公然の仲間だったんだよ。
侠客といえば、個人的には幡随院長兵衛を思い浮かべます。芝居などでかなり脚色され、実際の人生や散り際などとは違うものだったようですが、それでも「良いヤクザ」というイメージです。
実際の侠客などの成り立ちの時代背景や複雑な系譜を知ることができ、とても楽しかったです。
大前田英五郎
蟠随院長兵衛はヤクザではなく町奴ですよ。
現代の場合、弱気をいじめ強気に媚びる
飛脚人夫とか一回,御用を勤めたらめちゃくちゃ給金が良くて半年あそんで暮らせたって聞いたなあ😅
こんにちは😀
旗本退屈男ってこういう人だったんだなぁ〜。
町の自警団であり、揉め事や理不尽な仕打ちに対する相談や解決役、、、遠山の金さんなんか、こういう立場の人を身分を隠して「演じていた」んだなぁ。
伊達魔理沙可愛い♪(∩´∀`)∩
日本でも侠客は義侠心を持って弱い人を助ける武装集団の意味合いがありましたよ。石川五右衛門なども遊侠と呼ばれてますし。博徒のようなアウトロー以外でも漁師、大工、町火消、芸者の人たちも侠客と呼ばれてました。
寅さんが引用されていて嬉しい。
よ!待ってました!千両役者!
この動画に付けられている番号は「 その65 」で良かったのでしょうか???
ご指摘ありがとうございます。お蔵入りの作品があり一つ飛んでいました。うっかりしておりました、その64に訂正致します
侠客や中国で言う「武侠」。これらは世の決まり事(法律)や大義と言われるモノよりも「自分が納得できるかどうか」が行動原理だったとか。
久しぶりの動画だ、待ってました!
今回はアウトローか、ヤクザとかしんどそうだけど、旅人とかは憧れるなー実際は大変だろうけどね!
儲かるからなるんですよ!昔から変わらない。
呼び方が 違うだけ。
このような時期ですので、無理のない取材をして
下さいね。(⌒‐⌒)
ひさしぶりそして魔理沙が伊達政宗の兜を
かぶっているぞ
>現代の組織とは全く関係はございません
六代目清◯一家「いや、そのりくつはおかしい(震え声
血縁とか縁者とか無く名前だけ再興だから関係ないは正解。
次郎長に直接関係ある清水一家は1966年に解散しており、その幹部だった人間のつくった組の若頭高木康男が「うちの親分は昔清水一家若中だったからその子分のワシが継いだる!」という論理で2007年に勝手に名乗ったのが現存する「6代目」清水一家。なお高木は親分の経歴以外5代目とはなんの関係もない。無論健在だった5代目の田辺金吾にも無断であった。
【日本のアウトロー業界が外国マフィアに近づいたきっかけ】
日本のアウトロー業界が質的に大きく変わったきっかけは、戦後のドラッグ・ビジネスの興隆です。闇業界ではドラッグが一番儲かるけど、古い伝統的な任侠(地域共存型)はドラッグで地元民をボロボロにするのを認めずに覚せい剤の撲滅運動を行いました。
しかし外国系犯罪者は主に覚せい剤で効率よく儲けました。暴力団は上納金を沢山納める人が最も出世する世界なので、暴力団の上層部が外国系犯罪者だらけになり自然に手下にも外国系犯罪者が増えて、古い伝統的な任侠組織が無くなってしまったのです。
それでアメリカが日本の暴力団幹部を金融機関でも制裁(口座凍結など)する際に、彼らの名前を政府機関サイトで公開しましたが、制裁対象の幹部4人のうち3人が外国人の本名と日本の通名を持っていることを示す結果になりました。www.treasury.gov/press-center/press-releases/Pages/jl2250.aspx
あなたの以前のアドバイスが私にとって大変有用でした。感謝しています!
@@WiollNibisz こちらこそご返信ありがとうございます😊
父方の曾祖父が博徒だったらしい。大きな一家を抱えていて、祖母の話だとタンスのなかにドスと言うものがいくつも入っていたとか、出入りの時には曾祖母と逃げる算段はいつも整えられていたとか、何だか世界が全く違う話ばかりだった。
曾祖父が博徒を引退したのは、祖母や大叔父に全うな道を歩ませたいと言うことだったらしい。どんな手を使ったのか知らないが、祖母は師範学校から教職につき、その後判事だった祖父と結婚した。
大叔父は、若いうちに陸軍中野学校に進み、行方知れずになった。
私が生まれたときは、曾祖父も曾祖母も鬼籍の人で断片的な話しか知らないが、祖母も父をはじめとする伯父も肝は座っていた。私はその血を引いているとは思えない博打嫌いの小心者。
ドスって居合の白さやとは
かなり違うんですよね?
待ちかねましたよ。
確か鉄火巻きってその筋の人達絡みで誕生したんでしたっけ?
鉄火場(賭博場)で、
片手間にパッと食べられる
巻き寿司。って名付けですね。
サンドイッチもポーカー大好き
サンドイッチ伯爵が
片手間に食べられる軽食として
開発させた。という
話もありますので、
かつての博徒は私達の日常を少し
便利にしてくれてますね。
@@mitzelh.5819
サンドウィッチのルーツは他に「サンド(砂)とウィッチ(魔女)以外は何でも挟んで食べられる」というのも聞いたことがある。まぁ、俗説なんであなたが紹介してる方が正しいと思う。
@@sukeyu-5194
魔女も挟めばいいのに。。
とか一瞬思ってしまった私は
良くない教育を受けてきてしまったみたい。
その砂と魔女の方が
イギリス人らしくていいですけどね。
やっとこちらで江戸時代を学ぶ事ができますね。
そういえばお話で木枯らし紋次郎って時代背景はいつくらいなんだろう?かっこええなーって再放送を見てた記憶しかないな…
いつの時代か?
あっしには関わりのねえ事で
そう考えると暴れん坊将軍の北島三郎は適役だったんだなあ
あの、お控えなすって!以下の挨拶をつらつら言えるって大したものですが、うまくできれば一宿一飯と路銀がもらえて、しくじっらた袋叩き…。挨拶された方も憶え切れるとも思えず、単に挨拶芸で食っているようなものです。よく、あの子は不良だけど挨拶はきちんとする、なんて評価がありますが、ちょっとした事で暴力沙汰になるアウトローのほうが、まともな社会人よりよほど挨拶が大事なんでしょうね…。
一部の政治結社の構成員の方々が教育ニ関スル勅語を諳じるのも
それができないと上役的な方々からボコられるからでしょうしね。
「凶状持ち」の意味がやっと分かった。寺銭は解かるが、岩倉具視のように公家共が屋敷の中「バクチでショバダイ」を稼いでいたのは何と言うのだ。大きな寺院、神社で「富くじ」で金を稼いでいたのは有名な話が。よく調べてるののは感心した、面白い。
ファントム無頼←意外とヤバかった
沖中士もいたな。入れ墨繋がりで
銭湯に行くといたな
旅の博徒といえば私は花山の男立ちのモデルになったやつだな。
こんばんは
リクエストなんですが
桜田門外の変を解説していただけますか?
竹田恒泰氏が桜田門外の変を滅茶苦茶分かりやすく、かつ細かに説明してたんだけど会員限定動画か。残念。
今では政府自治体がばくち場の誘致で互いに競争する時代になり果てた。
島帰りのしるしの刺青は?知らんけど🤔
20年前くらいならキャラメル箱の連中かな?
♡一兆文銭
♡伊達魔理沙
賭博場に出入りしていると
流行病をよくもらう弊害が
あるんだよな
そのせいでうちの実家と
元旦那の家族は腸チフスで
命を落としたのよ。
木枯し紋次郎、まあアウトローだよな
無宿渡世だし。
まあどう言い訳をつけてもまともな部類ではないと言うのが全ての時代に共通する。まして現代ではろくでもない外国人が増え、武士のなごりもへったくりもない。
浮浪者のおっさん(65歳)は浪人だった・・・?
落語でよく出る「口入屋」って暴力な人たちだったんですねー、勉強になります
そういえば我が国最大の暴力団組織と言われる謀組も
元々は神戸港の港湾労働者の集団(もしくはその手配師業)から始まったんだから
神戸港が開港してからできた組織、つまり少なくとも幕末以降(開国以降)の話なんだよなあ(;´Д`)
関東では、江戸時代から続く老舗の一家も沢山ありますよ、今は、住吉会と成った幸平一家、大前田栄五郎の大前田一家、静岡の山口組傘下に成ってしまいましたが、清水の次郎長で有名な清水一家など、
無法者か、政権衰退期や交代期には目立つね。視点が変われば新鮮だね。今では意味が変わりつつ有る二足の草鞋ですね。
スマホで見てるので、字が見えない
現代の極道・・・強気を助け、弱気を挫くって事で間違いないな。
アウトローよりアウトローじゃない奴を数えた方が早いのが世の常。国会中継ではアウトローしか映らないですよね?
麻雀が江戸時代にあったら、誰も仕事しないだろなw
北島三郎はそんなに凄かったのか・・・。
今どきはヤクザも有名私大政経卒
今と違うのは薬と銃器を扱わないだけでしょ?www
じつはわたしの父は若いときに、地区の消防分団長を努めておりましたが、いざ、災害現場となるとたいへん威勢がよく警官でむ怒鳴り付けていたと自慢しておりましたぬ。
字が小さいよ(´・ω・`)
おひさ
ゆっくりのセリフを出している部分の背景は不透明か半透明にしてください。背景が直射日光を受けているまっ白な砂なのでまぶしいです。とくに魔理沙のほうは文字のふちどりが黄色なので白背景だとなおさら読みにくい。
そう思えばニートってアウトローだよな?
たびびと、とは言わないだろう、たびにんが正しい