Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
西日本近郊はこういった歴史の長い村落が多いですね。自分の地元(岩手)の場合は飢饉の影響等で人知れず朽ちて忘れられてしまった様な所が多く、廃村の昔に馳せる思いは余りに遠く、郷愁よりも哀愁に似た感情が湧くばかりなので、こういう繁栄と衰退の歴史を知れる事は本当に価値ある企画だと、毎回感心するばかりです。そして今後も十分に気を付けて頂きつつ、今尚其処に在る時の流れに埋もれし未だ見ぬ伝説の醤油瓶の発掘に期待してます。尚、当方は高所恐怖症な為、渡河中の橋の揺れを目にして心底肝が冷えました。オカヤス氏の挙動も含めて絶景で御座いました。草々。
当時の住民の方に挨拶に出向いたり集落の歴史や人の営みにスポットを当てている所が廃墟廃村探索系の他の方々とは一線を画す所にとても好感が持てます
お二人本当に仲が良いですね😊
お二人が素敵で楽しくて毎日視たくなります。吊り橋と言えば徳島県の祖谷のかずら橋も行って下さい。祖谷(いや)地域も訪れる価値有りの平家の落人伝説がある限界集落です。祖谷に限らず剣(つるぎ)山系どこも今のうちに訪れてください。1週間ぐらい泊まり込みかな(笑)祖谷に縁はありませんがご検討を。
観光地化されてないとこに訪問し、現地の人にお話を伺う素晴らしいメディアです
ひさしぶりの動画ありがとうございます😊見ていて一番楽しく安心して見れる お二人のかけあいが大好きです。
10年位前会津若松に行った時吊り橋を渡りました。わたしは病気持ちでバランスが取れませんので吊り橋を一歩踏み出した途端もう動けなくなった事を思い出しました。その時より何倍も長い吊り橋、怖かったでしょう、安藤さんが怖いと言った気持ちよくわかります。色んな所に行かれて熊よけの鈴🛎️も付けてご苦労がよくわかります、会津に行った時には車の前を熊の親子ずれが通って行きました。山奥に入って行かれてますので気をつけて下さいね。いつも楽しんで見ています
1988年に和歌山県新宮市から十津川を抜けて渡瀬温泉郷を経由して奈良に行った思い出があります。その当時は車でのドライブでしたが、かなり今回の吊り橋も挑戦した記憶があります。本当に怖かった。お二人も怖かったことでしょう。
おかやすさん。橋の途中で身体が固まる理由はとてもわかります。ここはとても揺れるんです。端でも真ん中のところでも。何年かすれば廃れてわたることもできなくなります。寂しいですね。和歌山県はこのような所がここを含めて沢山有りました。渓谷が綺麗ですよ。1988年当時からこの70歳に間近になるまで、東京から三重県経由で訪れています。
1200年頃から集落があった可能性があるなんて…。 吊り橋の向こうは、その昔…人が住んでいた頃はとっても美しい風景だったんだろうなぁ〜って感じ、思いを馳せました💚 こちらもヒヤヒヤしましたが、古くて長〜い吊り橋、よくぞ渡ってくださいました! 貴重な映像に感謝します💐 これからも気をつけて、取材してくださいね☺️
コメント返しありがとうございました😊最初のお好み焼き食べてる所で、2種類のうち海鮮はどちらのチョイスなんだろうかと思っていたらまさかの仲良く半分こで和みました😊吊り橋は恐怖ですねー私なら渡れる気がしないです今回もとても良かったです。これからも気をつけて取材して下さいね❗️
内容が濃くて独創的な集落探訪動画、素晴らしいですね。奈良県は秘境集落が沢山あって興味深いですね。撮影お疲れ様でした。
集落は住居と畑のみ…?子どもたちは吊り橋で向かいの学校などへ通っていたのでしょうか、生活路に釣り場が有る事に少し憧れがあったのですが、手すりが腰の高さ、足場の細さにゾッとしました。冬場は風も強いでしょうし自然の揺れも加わるのでしょうね。集落跡地が草木に飲み込まれるのと、吊り橋が落ちてしまうのとではどちらが早いのか。決して便利とは言えない地に人が住む理由がいつも不思議です。取材お疲れ様でした。
久しぶりに来ました。チャンネル登録者着実に増えてますね。嬉しい。
こんばんは。あの長い吊り橋は怖かったと思います。あの吊り橋を渡って学校へ行くのは大変だったでしょう。雨の日風が強い日病院に行ったりと当時の人々は強いですね。でも結局林業や養蚕など仕事が衰退し 、生活して行くのには不便なので離村したんですね。橋を渡って集落の中は開けて、今でも整備されてるのですね。当時住んでた方のお話しが聞けてよかったです。動画配信ありがとうございました。
historicaのアンドウさん・オカヤスさんこんばんは~お好み焼に焼きそば美味しそうですね。鹿淵集落に住んでおられた方にお話聞けて良かったですね。吊り橋なつかしいな~わたしが高校時代自転車で渡ってたつり橋は板を張り合わせたものでした。今はもうなくなって頑丈な橋にかわっていました。家屋は結構残っていましたね~朽ち果てたものもありましたけど・・・草木に浸食されつつある廃村ちょっと切ない。あちこちで熊出没・襲われたとかニュースでながれています。山間部歩かれるときは充分に気を付けてくださいね。
すごい吊り橋…!
明治の大水害で移住を決断した600戸、2489人が北海道へ、、広大な平坦地の新十津川町を切り開いた。
あらためて人の営みが素晴らしいと思いましたね😀
お二人が吊橋渡ってるのを見て、両足の血管がキューッと縮むような感覚になりました。美しい集落だったんでしょうね。昔、小学校でお蚕さん育ててました。可愛かったです。桑の木になる実も、可愛くて美味しいんですよね。いちばん上の家の屋根の形が、うちの田舎のタバコ農家の屋根と似てるなあと思いました。養蚕やってるお家にも、あんな出っ張りがあるらしいですね。あと、うちも猫飼いです😄
オカヤスさんの吊り橋上の恐怖が私にも移ってきて、画面見てるだけなのに、わーぎゃー叫びながら、おののいていました。あー、怖かった💧無事生還よかったです~
中々スリリングな橋ですねw奈良県は秘境だらけで素晴らしいですね。
配信、お疲れ様です😊サムネで見た時は結構広そうに感じた吊り橋ですが、あんなに狭かったとは。並んでは歩けないですね。怖いわ〜。奈良県の他の吊り橋、別のUA-camrさんの動画だと猿が渡ってるのを見ましたよ。そして現地での聞き込み、大事ですね。今回も最後の住人の方にお話を伺えてよかった。これからもご安全に。
吊り橋の床板に縞鋼板が使われているのを見たのは初めてかもです、雨の時とか滑って歩き辛くないですかね、グレーチング床材は側溝に使われているので良く見ますけど、あの風が強く吹いても使えるのが吊り橋ですよ固定橋だと風に煽られて床板が畝って反対に危ないですね外国だと思いますが新しい橋が風で煽られて崩れた橋の動画を見た記憶が有ります
最終離村が平成なら、電気水道は来てて当たり前でしょうね。対岸の集落からそれほど遠くもなく、吊橋一つ伝えば通すのは簡単ですから。でもガスはこんな田舎はLPGボンベに決まってますよ。吊橋の片側の手すり、波々にたわませて通してあるのが電力線と電話線、下部の太いのが、凍結防止に断熱材にくるんだ水道管でしょう。吊橋が架かったのはいつだったんでしょうね。それ以前は舟で渡っていたのかな。生業が舟での運搬だから、舟で対岸に渡るのも大変じゃなかったのかな。昔は川の水量が多かったんでしょうか? 今の水量では舟での運送は出来ませんよね。水の多い季節だけ運送をやっていたのかな。昔と今で、年間に流れる水量が同じだとすると、昔は季節によって水位が高いときも乾く時もあり、今はダムで水量が平準化されて一律低水位ってことかなぁ。いろいろ疑問が次々に涌いちゃいます。。
懐かしかったです😂吊り橋の右側から川原に下りれる道があります!橋から下を映した所で泳いでいました。帰りが疲れましたけどね😅ありがとうございました😊
アンドウさん、オカヤスさんこんばんは🌝恐怖の吊り橋ですね。吊り橋を渡らないと生活できないなんて、ご苦労でしたね。でも電気も水道も通っていたんですね。ビックリ❗十津川あたりは吊り橋が多いので、鹿淵のような集落があるかもです。
隣の集落への移動手段が結構な高さにある人の肩幅ほどの吊り橋って凄いですね。あの光景を見た瞬間、私も足がすくみ、揺れる、下が見えてしまう…で、しゃがみ込んでしまうだろうと思いました。でも生活する上で必要な手段だから克服されていたんでしょうね。逞しさを感じました。
岡安さんに拍手!自分高所恐怖症!?なので、怖い物わ怖わいですよね、行ける時に訪ずれて見たいけど、つりばしわ無理かも、笑、今回もきちょうな動画、ありがとうございました、がんばって下さい、吊り橋😊。
熊野川(十津川)も場所と季節によっては水量ないので歩いて渡れそうな部分もありますが、昔はこういった吊り橋の安全性(渡る怖さマシマシ)を取ってのアクセス方法っすかねぇ
9:26 それ多分野生のオカヤスサンのやつです!
橋は頑丈に見れるけどかなり揺れがあり長い橋を渡るのはほんとガチで怖いですね、オカヤスさんなかなか進めないのもわかりますよ!で頑張って渡りましたね!見るだけのに自分の事のように感じわたり終えたときはホッとしました!ほ
動画を見て真っ先に思いついたのが百夜月。百夜月どうですかと書こうと思ったらとっくの昔に訪問されていたw
今回の吊り橋は 怖いですね❗昔の人でも 高所恐怖症の人って 居たと思うんですけど 、大変でしたね❗最近 醤油壺の調査はしませんね。楽しみにしてるんですけど🎵
二度目の拝観して気づいたのですが、愛知の食文化はやはり東日本圏なんですかね。関西ではお好み焼きと焼きそばには+白ご飯がつくのが鉄板ですよ、お二人とも少食ですね。😊😊
極度の高所恐怖症の私には、ありえないほど恐怖を覚える吊り橋です…😨💦
おいらは、 かきおこが食べたいよぅ〜
南朝方の勢力範囲だったのでしょうね
またお邪魔します。南河内のおばちゃんです。大阪ではお好み焼き屋さんにはとんぺい焼きやキャベツ焼きが大体ありますね。キャベツ焼きは1つ100円で売られてることが多いからリーズナブルです。勿論焼きそばにたこ焼きもありますよ🧑🏻🍳🥣鉄板文化があるので魚介やお肉も駄菓子屋さんでも食べれる所もありますよ❤奈良市内は基本的に天ぷらが有名ですが村にいくと案外大阪の食があったりお寿司(柿の葉寿司、めはり寿司、わさび菜寿司、鮎寿司)が沢山あるし、和歌山県もお寿司(めはり寿司、さんま寿司、ラーメン屋さんには一口鯖馴れ寿司)の文化ありますね。そして大阪にはお寿司と言ったら押し寿司、茶巾寿司、田舎チラシになります。愛知県とはまた違う食事から歴史を感じて下さい😋
マイク大損(タイソン)でいいんでは
地図で見たら山のふもとで川の手前戦国時代なら安全かもしれないけど今だと不便なだけだね
何になるのかって?勇気の充電だと思う(^_^ i
吊り橋の汚れは、鹿のフンだと思います。鹿淵集落ですから、昔は鹿が多い地域だったと推測できます。
陸の孤島に電気も水道も物資を届ける設備も通すインフラに驚きました。今の日本だったらこれだけの余力と思いやりがあるだろうかと疑問に感じてしまいました。
「マイク失くし男」は長い。普通にアンドゥさんがいいですー。
緑色のスズメ…キビタキでは?
河原に降りれるんですかね~?
1get
1200年・・・歴史で勝てる?のはデンマーク英国くらいでしょうかぬっこ「見られてる・・・狩るつもりか!らしいです
前置きが長すぎる、
お疲れ様です♪
西日本近郊はこういった歴史の長い村落が多いですね。
自分の地元(岩手)の場合は飢饉の影響等で人知れず朽ちて忘れられてしまった様な所が多く、廃村の昔に馳せる思いは余りに遠く、郷愁よりも哀愁に似た感情が湧くばかりなので、こういう繁栄と衰退の歴史を知れる事は本当に価値ある企画だと、毎回感心するばかりです。
そして今後も十分に気を付けて頂きつつ、今尚其処に在る時の流れに埋もれし未だ見ぬ伝説の醤油瓶の発掘に期待してます。
尚、当方は高所恐怖症な為、渡河中の橋の揺れを目にして心底肝が冷えました。オカヤス氏の挙動も含めて絶景で御座いました。草々。
当時の住民の方に挨拶に出向いたり集落の歴史や人の営みにスポットを当てている所が廃墟廃村探索系の他の方々とは一線を画す所にとても好感が持てます
お二人本当に仲が良いですね😊
お二人が素敵で楽しくて毎日視たくなります。
吊り橋と言えば徳島県の祖谷のかずら橋も行って下さい。
祖谷(いや)地域も訪れる価値有りの平家の落人伝説がある限界集落です。
祖谷に限らず剣(つるぎ)山系どこも今のうちに訪れてください。1週間ぐらい泊まり込みかな(笑)
祖谷に縁はありませんがご検討を。
観光地化されてないとこに訪問し、現地の人にお話を伺う
素晴らしいメディアです
ひさしぶりの動画ありがとうございます😊見ていて一番楽しく安心して見れる お二人のかけあいが大好きです。
10年位前会津若松に行った時吊り橋を渡りました。わたしは病気持ちでバランスが取れませんので吊り橋を一歩踏み出した途端もう動けなくなった事を思い出しました。その時より何倍も長い吊り橋、怖かったでしょう、安藤さんが怖いと言った気持ちよくわかります。色んな所に行かれて熊よけの鈴🛎️も付けてご苦労がよくわかります、会津に行った時には車の前を熊の親子ずれが通って行きました。山奥に入って行かれてますので気をつけて下さいね。いつも楽しんで見ています
1988年に和歌山県新宮市から十津川を抜けて渡瀬温泉郷を経由して奈良に行った思い出があります。その当時は車でのドライブでしたが、かなり今回の吊り橋も挑戦した記憶があります。本当に怖かった。お二人も怖かったことでしょう。
おかやすさん。橋の途中で身体が固まる理由はとてもわかります。ここはとても揺れるんです。端でも真ん中のところでも。何年かすれば廃れてわたることもできなくなります。寂しいですね。和歌山県はこのような所がここを含めて沢山有りました。渓谷が綺麗ですよ。1988年当時からこの70歳に間近になるまで、東京から三重県経由で訪れています。
1200年頃から集落があった可能性があるなんて…。 吊り橋の向こうは、その昔…人が住んでいた頃はとっても美しい風景だったんだろうなぁ〜って感じ、思いを馳せました💚 こちらもヒヤヒヤしましたが、古くて長〜い吊り橋、よくぞ渡ってくださいました! 貴重な映像に感謝します💐 これからも気をつけて、取材してくださいね☺️
コメント返しありがとうございました😊
最初のお好み焼き食べてる所で、2種類のうち海鮮はどちらのチョイスなんだろうかと思っていたら
まさかの仲良く半分こで和みました😊
吊り橋は恐怖ですねー私なら渡れる気がしないです
今回もとても良かったです。これからも気をつけて取材して下さいね❗️
内容が濃くて独創的な集落探訪動画、素晴らしいですね。
奈良県は秘境集落が沢山あって興味深いですね。
撮影お疲れ様でした。
集落は住居と畑のみ…?子どもたちは吊り橋で向かいの学校などへ通っていたのでしょうか、生活路に釣り場が有る事に少し憧れがあったのですが、手すりが腰の高さ、足場の細さにゾッとしました。冬場は風も強いでしょうし自然の揺れも加わるのでしょうね。
集落跡地が草木に飲み込まれるのと、吊り橋が落ちてしまうのとではどちらが早いのか。決して便利とは言えない地に人が住む理由がいつも不思議です。
取材お疲れ様でした。
久しぶりに来ました。チャンネル登録者着実に増えてますね。嬉しい。
こんばんは。あの長い吊り橋は怖かったと思います。あの吊り橋を渡って学校へ行くのは大変だったでしょう。雨の日風が強い日病院に行ったりと当時の人々は強いですね。でも結局林業や養蚕など仕事が衰退し 、生活して行くのには
不便なので離村したんですね。橋を渡って集落の中は開けて、今でも整備されてるのですね。当時住んでた方のお話しが聞けてよかったです。
動画配信ありがとうございました。
historicaのアンドウさん・オカヤスさんこんばんは~
お好み焼に焼きそば美味しそうですね。鹿淵集落に住んでおられた方にお話聞けて良かったですね。
吊り橋なつかしいな~わたしが高校時代自転車で渡ってたつり橋は板を張り合わせたものでした。
今はもうなくなって頑丈な橋にかわっていました。
家屋は結構残っていましたね~朽ち果てたものもありましたけど・・・草木に浸食されつつある廃村ちょっと切ない。
あちこちで熊出没・襲われたとかニュースでながれています。山間部歩かれるときは充分に気を付けてくださいね。
すごい吊り橋…!
明治の大水害で移住を決断した600戸、2489人が北海道へ、、広大な平坦地の新十津川町を切り開いた。
あらためて人の営みが素晴らしいと思いましたね😀
お二人が吊橋渡ってるのを見て、両足の血管がキューッと縮むような感覚になりました。
美しい集落だったんでしょうね。
昔、小学校でお蚕さん育ててました。可愛かったです。
桑の木になる実も、可愛くて美味しいんですよね。
いちばん上の家の屋根の形が、うちの田舎のタバコ農家の屋根と似てるなあと思いました。養蚕やってるお家にも、あんな出っ張りがあるらしいですね。
あと、うちも猫飼いです😄
オカヤスさんの吊り橋上の恐怖が私にも移ってきて、画面見てるだけなのに、わーぎゃー叫びながら、おののいていました。あー、怖かった💧無事生還よかったです~
中々スリリングな橋ですねw
奈良県は秘境だらけで素晴らしいですね。
配信、お疲れ様です😊
サムネで見た時は結構広そうに感じた吊り橋ですが、あんなに狭かったとは。並んでは歩けないですね。怖いわ〜。
奈良県の他の吊り橋、別のUA-camrさんの動画だと猿が渡ってるのを見ましたよ。
そして現地での聞き込み、大事ですね。今回も最後の住人の方にお話を伺えてよかった。
これからもご安全に。
吊り橋の床板に縞鋼板が使われているのを見たのは初めてかもです、雨の時とか滑って歩き辛くないですかね、グレーチング床材は側溝に使われているので良く見ますけど、あの風が強く吹いても使えるのが吊り橋ですよ固定橋だと風に煽られて床板が畝って反対に危ないですね外国だと思いますが新しい橋が風で煽られて崩れた橋の動画を見た記憶が有ります
最終離村が平成なら、電気水道は来てて当たり前でしょうね。対岸の集落からそれほど遠くもなく、吊橋一つ伝えば通すのは簡単ですから。でもガスはこんな田舎はLPGボンベに決まってますよ。
吊橋の片側の手すり、波々にたわませて通してあるのが電力線と電話線、下部の太いのが、凍結防止に断熱材にくるんだ水道管でしょう。
吊橋が架かったのはいつだったんでしょうね。それ以前は舟で渡っていたのかな。生業が舟での運搬だから、舟で対岸に渡るのも大変じゃなかったのかな。
昔は川の水量が多かったんでしょうか? 今の水量では舟での運送は出来ませんよね。水の多い季節だけ運送をやっていたのかな。昔と今で、年間に流れる水量が同じだとすると、昔は季節によって水位が高いときも乾く時もあり、今はダムで水量が平準化されて一律低水位ってことかなぁ。
いろいろ疑問が次々に涌いちゃいます。。
懐かしかったです😂吊り橋の右側から川原に下りれる道があります!
橋から下を映した所で泳いでいました。帰りが疲れましたけどね😅
ありがとうございました😊
アンドウさん、オカヤスさんこんばんは🌝
恐怖の吊り橋ですね。
吊り橋を渡らないと生活できないなんて、ご苦労でしたね。でも電気も水道も通っていたんですね。ビックリ❗十津川あたりは吊り橋が多いので、鹿淵のような集落があるかもです。
隣の集落への移動手段が結構な高さにある人の肩幅ほどの吊り橋って凄いですね。あの光景を見た瞬間、私も足がすくみ、揺れる、下が見えてしまう…で、しゃがみ込んでしまうだろうと思いました。でも生活する上で必要な手段だから克服されていたんでしょうね。逞しさを感じました。
岡安さんに拍手!自分高所恐怖症!?なので、怖い物わ怖わいですよね、行ける時に訪ずれて見たいけど、つりばしわ無理かも、笑、今回もきちょうな動画、ありがとうございました、がんばって下さい、吊り橋😊。
熊野川(十津川)も場所と季節によっては水量ないので歩いて渡れそうな部分もありますが、昔はこういった吊り橋の安全性(渡る怖さマシマシ)を取ってのアクセス方法っすかねぇ
9:26 それ多分野生のオカヤスサンのやつです!
橋は頑丈に見れるけどかなり揺れがあり長い橋を渡るのはほんとガチで怖いですね、オカヤスさんなかなか進めないのもわかりますよ!で頑張って渡りましたね!見るだけのに自分の事のように感じわたり終えたときはホッとしました!ほ
動画を見て真っ先に思いついたのが百夜月。百夜月どうですかと書こうと思ったらとっくの昔に訪問されていたw
今回の吊り橋は 怖いですね❗昔の人でも 高所恐怖症の人って 居たと思うんですけど 、大変でしたね❗最近 醤油壺の調査はしませんね。楽しみにしてるんですけど🎵
二度目の拝観して気づいたのですが、愛知の食文化はやはり東日本圏なんですかね。
関西ではお好み焼きと焼きそばには+白ご飯がつくのが鉄板ですよ、お二人とも少食ですね。😊😊
極度の高所恐怖症の私には、ありえないほど恐怖を覚える吊り橋です…😨💦
おいらは、 かきおこ
が食べたいよぅ〜
南朝方の勢力範囲だったのでしょうね
またお邪魔します。南河内のおばちゃんです。大阪ではお好み焼き屋さんにはとんぺい焼きやキャベツ焼きが大体ありますね。キャベツ焼きは1つ100円で売られてることが多いからリーズナブルです。勿論焼きそばにたこ焼きもありますよ🧑🏻🍳🥣鉄板文化があるので魚介やお肉も駄菓子屋さんでも食べれる所もありますよ❤奈良市内は基本的に天ぷらが有名ですが村にいくと案外大阪の食があったりお寿司(柿の葉寿司、めはり寿司、わさび菜寿司、鮎寿司)が沢山あるし、和歌山県もお寿司(めはり寿司、さんま寿司、ラーメン屋さんには一口鯖馴れ寿司)の文化ありますね。そして大阪にはお寿司と言ったら押し寿司、茶巾寿司、田舎チラシになります。愛知県とはまた違う食事から歴史を感じて下さい😋
マイク大損(タイソン)でいいんでは
地図で見たら山のふもとで川の手前
戦国時代なら安全かもしれないけど
今だと不便なだけだね
何になるのかって?勇気の充電だと思う(^_^ i
吊り橋の汚れは、鹿のフンだと思います。鹿淵集落ですから、昔は鹿が多い地域だったと推測できます。
陸の孤島に電気も水道も物資を届ける設備も通すインフラに驚きました。今の日本だったらこれだけの余力と思いやりがあるだろうかと疑問に感じてしまいました。
「マイク失くし男」は長い。普通にアンドゥさんがいいですー。
緑色のスズメ…キビタキでは?
河原に降りれるんですかね~?
1get
1200年・・・
歴史で勝てる?のはデンマーク英国くらいでしょうか
ぬっこ「見られてる・・・狩るつもりか!
らしいです
前置きが長すぎる、
お疲れ様です♪