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これ当時ピットで生で観ました(年がばれる)。予選の時点でぶっちぎりタイム。本番用のタイヤの皮むき走行ですら日本勢の予選タイムを上回っていましたからw 本選ではセーフティーリード保ってからは2台が順に富士のストレートをスリップストリーム合戦してくれて盛り上がりました。身内が日本勢のとあるチームの関係者だったけど「こんなタイム差どーにもなんねーよ」と言っていたのを覚えています。
第二次世界大戦の戦闘機において、過給器+インタークーラー+水メタノール噴射は実用化され戦闘してましたから、ボルボは当然メカニズムを理解してましたね。
さらにサーブの戦闘機のアフターバーナーはボルボ製。
ボルボ240のすごいとこは基本構成が20年前の車のままのロートルをベースにしていながら一線級の戦闘力があったってとこなんだよな。
この頃、日産がピラーレスに拘っている中、リフトで上げた状態でもドアがしっかり閉まるなど整備工場の方を驚かせました。既にレースで勝つために、エンジンだけでなく、箱が出来ていると思っていました。当時、整備士の方がこのレースを見て勝つのは必然的だとまで言っていました。
当時テレビでこのレースは観ましたけど、レーシングマシンとしての完成度が日本勢とは雲泥の差でした。ボルボがクイックチャージャーやエアジャッキを当たり前に装備していたのに、国産勢は人力のジャッキでえっちらほっちらしていましたから。あと、当時ボルボの販売会社は外資企業への規制の関係で『帝人ボルボ』という日本との合弁会社でしたよね。
輸入・販売権を帝人ボルボから翌年設立のボルボジャパンへ移管する直前の宣伝活動という意味合いが大きかったと思います。
当時富士スピードウェイで観戦してました。ターボ故音も静かでストレートを通過して行く様は圧巻でした。異次元の速さとはまさにピッタリの形容でしたね。
ストレート、めっちゃ速かったですよね〜!
何故か国内メーカーに反対されて装備しませんでしたが、VOLVOはアルコール検知装置もやろうとしていましたね。
Gr.Aレースでの勝利の肝は、①どのレース・チームとジョイントするか②メーカーがチームの意向を「エボリューションモデル」に組み込めるか、③チームの意向に沿った公認パーツの申請ができるか、という大枠で3つの要素が重要だったのでは?と個人的に思います。要はどの「レース屋」とジョイントするかがかなりのウェイトを占めていると思います。そういう視点でGr.Aをみるとなかなか面白いですよ!!あと、三菱スタリオンの活躍の裏にはランタボのラリー活動が大きく影響してると思いますよ。欧州仕様は2000ccのG63Bを使ってますから。今後のGr.Aネタも期待しております。
ラリーアートは当初運営や車両開発をベルコ、エンジンをHKSに委託していましたが途中から更に強力なコンストラクター、ノバ・エンジニアリングにシフトしていますね。
240ターボの市販版に6年程のっていました。日本に輸入されていたのは、米国仕様がベースとなっており、左ハンドルでした。米国仕様の巨大なバンパーがついていたので、全長4.9mもありましたが、小回りがきいて乗りやすかったです。すごく気に入っていましたが、ターボチャージャーがブローして泣く泣く手放しました。懐かしいです。
今240のセダンに乗ってます。ひとえに良い車です。
地味にいいクルマ作りますよねボルボ。硬いから幸せな家族アピールのファミリーカーとしての需要もかなりありますし。ただ北朝鮮やら東ドイツに色々売っていたせいで中国資本になりましたが。
メーカーやチームの本気度の差がまだとても大きい時代ターボ係数を含めて排気量を決めると車重やタイヤの幅もレギュレーションで決まってしまうからトータルバランスが良い車両を開発量産にどこまで取り組むか考え方がモロ解り
当時でもボルボの下馬評はすごかったボルボ見たさに行ったぐらいだしスタリオンは1984年からセミワークスがアメリカ、オーストラリアでチャンピオンだった筈インターテックでもそこそこやれるって意見はありました😆
グループAはほぼ市販車ベースで行われるのでユーザーの共感を得やすく、販売にも直結するのでメーカーが注力するのも当然の成り行きですが、戦闘力の高い高価なモデルをホモロゲ分生産・販売しなければならないリスクもありますね。WRCでは認められていませんが、サーキットレースでは生産台数の1割をエボリューションモデルにすることができたのは知りませんでした。
懐かしいですね空飛ぶレンガ🧱、昔のレースはこれだから好き
そらとぶレンガはフライング”ブリック”ですよ。
空飛ぶタイヤは三菱ふそう
未だに940はスウェーデン開催のアマラリーだと地元勢によって他国勢相手に大暴れしてるんだよね。ちなみに240は状態のいい個体を選ぼうとすると150万以上は出さないといけません。
しかし、古くてもまだ部品は出るらしい。
スタリオン。同じインターTECで無双したのには秘密があってね。ヨーロッパツーリングカーレースではGr.Aが1983年から日本に先駆けて行われていた。そこに出ていたのがスタリオンだった。今度はスタリオンのG r.Aを掘り下げて欲しいです!
あの当時だとクラス違いだけどレビトレ(ユーロではクーペGT)もそうでしたね。
なつかしいね「フライングブリック」。
去年の秋、ビーナスラインで240ワゴンとすれ違ったけどいちょうと紅葉の山道に似合ういい車
その後の850Rのセダン乗ってました。FFでしたが楽しい車だったな。当時BS放送でBTCCやってたのを必死で観ていました。( ⁼̴̶̤̀ω⁼̴̶̤́ )
空飛ぶレンガだからブロックじゃなくてブリックが正解。ウォーターインジェクションは戦争中の飛行機のエンジンにも合った技術。ターボもスーパーチャージャーも戦争中に実用化されていた。
「ブロック」じゃなくてレンガを意味する「ブリック」ですよ
「Flying Brick Volvo」ですからね!!
最近は間違えていても訂正せずシカトしてるみたいですね。人名読み間違いもあったりするけど再生&登録数と高評価さえ増えりゃ関係ねーやって思ってるかも笑
そうですよね、自分が今まで間違えていたのかと焦りました
嘘情報を垂れ流しにする輩が多いからゆっくり系で収益剥がされても同情できない
吹いたwフライングブロックって何よ?プロレス技か?wブロックじゃなくてブリック(レンガ)だろ?
ボディ剛性が日本車と違いすぎるから、そりゃ速いわ
フライングブロックじゃなくて、フライングブリック(空飛ぶレンガ)ですね。
いいですねえ~!空飛ぶ煉瓦!32GT-Rが出て来る前。重けりゃパワーでいわせ、止まんなきゃ強烈なブレーキ!ある意味造り方がベンツですね。
ボルボ繋がりで、BTCCに出てた850とかも良かったよね。
しかも参戦当初はセダンではなくステーションワゴン(850エステート)w
@@tasko5113 確か、TWRでね出場だった気がします。
エステートの方がルーフが長く空力的に有利だったのだろう。さすがTWR、センスが秀逸だ。
ボルボジャパンが設立される前の販売代理店は帝人ボルボだったような・・・
そうですね。まさこちゃんが宣伝してましたよ。当時会社の偉い人が車を買い替えるという事で車を持って来てくれて試乗しました。錆対策で下回りがコールタールで覆われていて驚きました。日本だと一夏で落ちると言ってました。
前の動画のコメ欄で空飛ぶレンガだと指摘されてたのにw
再生&登録数と高評価さえ増えりゃ関係ねーよバーカって思ってるかも笑
R32が登場するまで、ツーリングレースでは海外勢に歯が立たなかったのが史実ですね。
そしてこのボルボはR32に惨敗したという
@@Yチャンネル-z2k 240TはR32登場前には既に居なかったも同然でしたね。R31とフォードシェラが争っていた時で既に外野でしたから。
スエーデンで外貨を稼いでるのは、ボルボと SAABとABBAだ。と言われていたね。
この時代のボルボ(この240は勿論740、760、262、940、960それら全て)は好きでしたね。勿論比較されたスカイラインも。ただボディー形状が明暗を分けた感じがしますね。2ドアセダンに近いボルボは軽量化しても充分な剛性が確保出来た(ノーマルボディーが重過ぎただけ?)のに対して、スカイラインはハードトップボディーで軽量化に限界があった事実がよく分かりますね。スタリオンやセリカXXも同様で空力が良くてパワーがあってもボディーが重過ぎましたからね。
ボルボは1960年頃には帝人がディストリビューターになり、正規輸入されていたようです。ディーラー名は「帝人ボルボ」。通称「アマゾン」というモデルが当初メインだったそうです。
威厳の塊みたいな名前だ帝人ボルボ
昔ボルボに乗ってた。年をとったらまた乗りたい。でもデカイサイズばかりになったのが残念。昔はいいサイズのクーペとかハッチバックもあったのに
P1800,美しくていい車だったなー叔父が乗ってて,夏休み毎日ドライブしてくれて・・・カーキチが誕生しました。 OHVは音がサイコー。
13:50~240T「いきなり出てきてゴメ~ン🎵まことにスイマメ~ン🎵」他メーカー「…ナンだコイツぅ~!?」wwこれの後に無双した「フォードシエラRS500」の解説なども是非🎵(^ω^#)
できればエッゲンバーガー車とアンディ・ラウス車による「造った車から見るフィロソフィーの違い」までやってくれたら最高ですね!!
240はすごく小回り効くんだよね
車幅もトレッドも狭いからね。このレースで240ターボが脚光を浴びたけど市販モデルの2ドアターボは生産終了していたのが残念。対米仕様に準じた日本仕様は排ガス対策でパワーダウンしていて同時期国産車セドグロ&スカイラインターボより遅かった笑
フジが初めてTVをやりましたね。みのもんたが競馬と全く同じやり方で実況してました。
このレース、テレビでダイジェストを見ていました。ヨーロッパでの噂は聞いていましたが、ここまでとは思いませんでした。日本車だけでなく、他の海外車も全く歯が立たず、でした。
漫画こち亀で麗子が運転するグループCアウディ・クワトロが族車の犯人追ってジャンプ台登ったというネタはこの動画の冒頭でアウディのCMが紹介された時、元ネタがこれだったんだって直感的に思ったし、こんな時代になって初めて知ったからウケたww
80年代前半迄はSUBARUにもOHVエンジンが残ってましたね。
90年前半までありましたよ=SUBARU OHV
やっぱボルボレーシング魂は素晴らしい
これよりも前のBMW2002ターボとイメージが重なるTHE箱車って見た目なのに速い近所にボルボを三台も持っている人が居ますがそれだけ惚れ込める車なんでしょうね知り合いのサーフィンカメラマンも長年乗っていてその方のトレードマークにもなってました電装が壊れなきゃとても良い車なんですがね…
会社の上司がレンガワゴンに乗ってました。雪国で10年乗ってましたがサビは少なかった。同じ年代の国産車はボロボロです。
ボルボの創業者は、正しくはアッサール ガブリエルソンとグスタフ ラーソンですよ。
ケレン味たっぷりなこのスタイルが強烈な個性を放つクルマ。当時、衝撃的なデビュー戦で度肝を抜かれたのを思い出します。スタイリッシュな国産勢を尻目に断トツのぶっちぎりで1-2フィニッシュとか…ふざけんなと笑いながら憤慨したのを覚えてます。日本車もこんな揉まれた時期を経ての進化があったのかと今更思います。
おおお!人呼んで「フライング・ブリック」(かっ飛びレンガ)!カッコいい!😍👍重くてデカいボディにパワフルなエンジンを積み、豪快に走る!しかし、ボルボってかなり昔から欧州でラリーやレースで活躍し、速いクルマという定評があったようですね。ETCCではワゴン車体で走ってたらしいよね。セダンとワゴンで空気抵抗係数が変わらなかったそうな😅
速いとカッコ良く見えるから不思議だよね
自分が幼少の時に15歳年上の兄にVOLVO=空飛ぶレンガって聞いて何のことやら?って思ってたが、7周もの大差をつけて勝ったとは、、、、
当時田舎ではレースの中継なんかしてなくて、東京来て初めて見たレースで速いイメージが無かったボルボ240ターボが圧勝してビックリした思い出が…屋根の上にブルドーザーを乗せてたCMもあったかな?
結構前ですが、この車のワークスエンジンがヤフオクで売ってましたね。タービンは三菱でしたけど。
87式240ワゴン乗ってました。懐かしい!
レース登場当初はステーションワゴンで、そのほうが空力的に有利だった。空力付加物(リアウィング)が前面投影面積からはみ出てはいけないとなってセダンに変わった。角ばってたし屋根が後部にいくほどすぼんでいくデザインでもなかったので今のラリーカーのようなデカい空力付加物を付けられず。イギリスのボルボレースチームのトムウォーキンショーが残念がってたとかなんとか。
785Rの5MT乗ってたのでフライングブリックは憧れでしたね。速くて広くて旨すぎる車でした。
この頃のボルボの本国での平均使用年数は19年と言われていたはず。帝人が輸入していて繊維会社なので服飾雑誌に広告が載ってた。ヤナセもちょっとだけ扱っていたので修理依頼すると受けてはくれる。工賃高いけど。
今、ウチの父親がこれに乗っている。何度か運転させてもらったが良い車です。アンダー若干強めだけど素直なハンドリング,パワーも充分。乗り心地もいい。35年前の車としては、当時の国産車よりもいいかも知れない。ただ,登りでなかなかシフトダウンしないA Tはどうなのか..個体差なのか、仕様なのか..
後、言い忘れたけど、シートがすごくいい。点ではなく、面で体を支えるというか..上手く言えないのだけど。しかし昔乗っていたルノー4のシートはもっと良かった。あんなシートの車には、もう二度と会わないと思う。
インターTEC観にいきましたけど本当に全く違うカテゴリーの様に早かったですねランデブー走行で日本車をラップして行く姿は子供と大人の喧嘩みたいでした。
赤いボルボTURBOのセダン&ステーションワゴンは、高速道路最速の、走るレンガと呼ばれたとの事!😳🤔
フォード・シエラが速かった時代もあった気がする。
日本国内でもワークスのお下がりが走ってましたね。
@@maruhiroya417 長坂氏が一般販売された車とワークス車は足回りから全く違う車だったとコメントしていましたね
R32GT-R登場前はフォードシエラRSコスワースが国内GrAではほぼ一強で圧倒的な強さでしたけどね。それですら一瞬にして過去のものとしたGT-Rはオーパーツ的な代物でしたね。
フライングブリックだぞ
黒船来襲は73年の富士ツーリストトルフィーでのフォードカプリrs2600が始まり、70年代のオイルショックや51年排ガス対策でメーカーはレースどころではなかった、80年代にはいりメーカーが富士LDseriesにリソースしていたのでツーリングカーの開発は行われなかった。85年に始まったインターテックでのボルボの速さは当時の富士のコースレイアウトにも有利でしたね ホームストレート274km!ギャレットt3gターボ、インタークーラーで340馬力、翌年86年は500馬力のTWRジャガーXJSが富士のトップスピード290kmマーク。この頃ですでにLDシリーズのC2クラスより速かった。
出たー空飛ぶレンガこいつのイメージをもってgx61買いました懐かしいな。
文字通り大暴れしたんだそういえばこち亀のボルボ西郷もその時期にデビューしてたな。
当時空飛ぶレンガって言ってたね。
空飛ぶレンガ🧱 750エステートの速さにはびっくりでしたね。
「レンガはえ~」なんて言われてました。
850TのエステートでGr.A出走してませんでした?
このインターテックでドリキンがAE86でクラス優勝してるんだよね
R30から飛んでR32の話コメ多いけど、R31GTS-Rの存在抜けてる😓デビューレースのインターTECこそトップからセッティング不足も有り壊れたけど、その後は活躍してる。GTRニスモは他車をブッチギリにしただけ。
日本でボルボを最初に輸入したのがかの大屋政子さんのご主人(いわゆる「ウチのお父ちゃん❤」大屋晋三) の会社(帝人?)と聞いたことがあります
リア・ディゾン懐かしいな。
サーブ900とかも出てなかったですかね?
空飛ぶ弁当箱って俺だけ?みんなレンガなんだー?
9:21 SOHCシングルカムとは
当時、カーグラフィックTVでフツーに空飛ぶレンガは言われてたけど?富夢王金将の話もフツーにされてた。
野暮なことかもですが、blockじゃなくてbrickじゃないかなあと...
密かにGT-Rが試験走行してる時期だね?
実際行ってみたよ。まあこのおかげでR32GT-R迄たどり着いた訳で、殴られた価値は在ったわけだ。
240乗ってたけど、市販モデルはびっくりするくらい遅かった。が、本当にいい車だった。死ぬまでにもう一度乗るつもりです。
ギャランvr-4やメルセデスベンツ190Eのような車ですね。
ギャランはちょっと違うかもVR4はWRC狙いですね
ベンツ190は当時驚いた、消費税以前の3ナンバーが高い時代だったんで標準仕様が5ナンバーだった事がね。しかし、当時としては画期的なマルチリンクサスとかその後の展開(2.4→2.6の16バルブ)迄見据えてたんでしょうね。
ボルボは60年代にはヤナセから販売されていたよね❗😁
私もスウェーデン鋼しか出てこない
VOLVOが片輪走行で富士を1周してたよね😁
鉄火面スカイラインはズタボロだったのに‼️、しかしハルトゲBMWが三位になったけどねー!
そんなに優秀なのに、中国資本に買収されたんだ・・・
元々ボルボは車だけでなく、船舶や建築部門、航空部門、金融部門等を取り扱っていたコングロマリット企業で、グループの財政悪化で乗用車部門をフォードに売却したものの、米国の金融危機で高く買ってくれた吉利に売却される羽目になりました。ちなみにトラック部門はルノーに売却され、その後ダイムラーに株式の一部を売却しダイムラー・ルノーグループの傘下に入っています
VOLVO乗ってた人にツーリングワゴンって言うと、『エステート』って毎回言ってたなぁ。850乗ってたけど、一部部品が本国にもないってディラーに言われたってたなぁ。
VOLVO( ´・ω・`)トラックが…有名で😌
この当時は 私の記憶では トムウヲキンショーがレーシングカーの開発責任者だったと記憶しています。私もこの時240Rとか 試乗しましたが、硬すぎてやめましたメルセデスにしました 毎年のように 車かえてました この頃車検が来るまで乗らなかった。メルセデスの 300TEも考えたが、まだ買う意欲は出ませんでした。
フロントガラスのはちまきで、一目瞭然やけどヨーロッパの一流本気な、レース屋制作のマシンだからねぇ😏
フライングブロックじゃなくて、ブリックでしょ
フライングブリックですがな
このレース現場で見ました本当に速くビックリしました。けどグループA は12か月で2500台以上✖️2年か5000台以上✖️2年と年代によって違いますが日本の街中で1回しか見て無いですかなり あやしいです。
にーよんまるって読んでた240
ボルボの3点式シートベルト、パソコンOSLINUXなどの無償解放、北欧の人たちは神に近い心もってる、
スープラ?当時はまだセリカでは?
ボルボの後に、こっそりついて行った、スタリオンもOHCだぞ。高橋国光・中谷明彦組の。北米でもヨーロッパでも頑張っていたのに。
ワゴンも、強かったね。
此って名門のエッゲンバーガーのチューニングのお陰でしょ?🤔
ボルボ850 めちゃめちゃ速かったの信じられない。
ワゴンでも、レースに出ちゃうもの。空力は、何だろうと思う
昔 何かのビデオで見たのですがランエボ9とランエボのワゴン ワゴンの方が最高速は延びたらしいですよ
空力面だと変にファストやノッチにするより状況次第ではワゴンみたいなルーフ処理が有利だったりするしね、ホンダが一時期シビックやアコードのハッチバックモデルでそういう傾向の処理をしてたのも納得。
レーシングオンにワゴンを使った理由とか書いてあるのに何で調べないでバカにしてるの?
@@村上晋-b6g 自分は普段、プロレス動画にコメする事が多いですがあちらでは「本に書かれている事鵜呑みにするの?w」と書き込んだバカがいましたね。
海外のレースを観ると何故か日本のレースより倍以上速く観えていて、そりゃガチ勝負すりゃ負けるの当たり前だろ!!現在は交流戦とかを観てようやく互角に戦える様になったけど、数十年前は以下に亀車で争っていたのかと落胆した。
これ当時ピットで生で観ました(年がばれる)。予選の時点でぶっちぎりタイム。本番用のタイヤの皮むき走行ですら日本勢の予選タイムを上回っていましたからw 本選ではセーフティーリード保ってからは2台が順に富士のストレートをスリップストリーム合戦してくれて盛り上がりました。身内が日本勢のとあるチームの関係者だったけど「こんなタイム差どーにもなんねーよ」と言っていたのを覚えています。
第二次世界大戦の戦闘機において、過給器+インタークーラー+水メタノール噴射は実用化され戦闘してましたから、ボルボは当然メカニズムを理解してましたね。
さらにサーブの戦闘機のアフターバーナーはボルボ製。
ボルボ240のすごいとこは基本構成が20年前の車のままのロートルをベースにしていながら一線級の戦闘力があったってとこなんだよな。
この頃、日産がピラーレスに拘っている中、リフトで上げた状態でもドアがしっかり閉まるなど整備工場の方を驚かせました。既にレースで勝つために、エンジンだけでなく、箱が出来ていると思っていました。当時、整備士の方がこのレースを見て勝つのは必然的だとまで言っていました。
当時テレビでこのレースは観ましたけど、レーシングマシンとしての完成度が日本勢とは雲泥の差でした。
ボルボがクイックチャージャーやエアジャッキを当たり前に装備していたのに、国産勢は人力のジャッキでえっちらほっちらしていましたから。
あと、当時ボルボの販売会社は外資企業への規制の関係で『帝人ボルボ』という日本との合弁会社でしたよね。
輸入・販売権を帝人ボルボから翌年設立のボルボジャパンへ移管する直前の宣伝活動という意味合いが大きかったと思います。
当時富士スピードウェイで観戦してました。ターボ故音も静かでストレートを通過して行く様は圧巻でした。
異次元の速さとはまさにピッタリの形容でしたね。
ストレート、めっちゃ速かったですよね〜!
何故か国内メーカーに反対されて装備しませんでしたが、VOLVOはアルコール検知装置もやろうとしていましたね。
Gr.Aレースでの勝利の肝は、①どのレース・チームとジョイントするか②メーカーがチームの意向を「エボリューションモデル」に組み込めるか、③チームの意向に沿った公認パーツの申請ができるか、という大枠で3つの要素が重要だったのでは?と個人的に思います。
要はどの「レース屋」とジョイントするかがかなりのウェイトを占めていると思います。そういう視点でGr.Aをみるとなかなか面白いですよ!!
あと、三菱スタリオンの活躍の裏にはランタボのラリー活動が大きく影響してると思いますよ。欧州仕様は2000ccのG63Bを使ってますから。
今後のGr.Aネタも期待しております。
ラリーアートは当初運営や車両開発をベルコ、エンジンをHKSに委託していましたが途中から更に強力なコンストラクター、ノバ・エンジニアリングにシフトしていますね。
240ターボの市販版に6年程のっていました。日本に輸入されていたのは、米国仕様がベースとなっており、左ハンドルでした。米国仕様の巨大なバンパーがついていたので、全長4.9mもありましたが、小回りがきいて乗りやすかったです。すごく気に入っていましたが、ターボチャージャーがブローして泣く泣く手放しました。懐かしいです。
今240のセダンに乗ってます。ひとえに良い車です。
地味にいいクルマ作りますよねボルボ。硬いから幸せな家族アピールのファミリーカーとしての需要もかなりありますし。
ただ北朝鮮やら東ドイツに色々売っていたせいで中国資本になりましたが。
メーカーやチームの本気度の差がまだとても大きい時代
ターボ係数を含めて排気量を決めると車重やタイヤの幅もレギュレーションで決まってしまうからトータルバランスが良い車両を開発量産にどこまで取り組むか
考え方がモロ解り
当時でもボルボの下馬評はすごかった
ボルボ見たさに行ったぐらいだし
スタリオンは1984年からセミワークスがアメリカ、オーストラリアでチャンピオンだった筈
インターテックでもそこそこやれるって意見はありました😆
グループAはほぼ市販車ベースで行われるのでユーザーの共感を得やすく、販売にも直結するのでメーカーが注力するのも当然の成り行きですが、戦闘力の高い高価なモデルをホモロゲ分生産・販売しなければならないリスクもありますね。WRCでは認められていませんが、サーキットレースでは生産台数の1割をエボリューションモデルにすることができたのは知りませんでした。
懐かしいですね空飛ぶレンガ🧱、昔のレースはこれだから好き
そらとぶレンガはフライング”ブリック”ですよ。
空飛ぶタイヤは三菱ふそう
未だに940はスウェーデン開催のアマラリーだと地元勢によって他国勢相手に大暴れしてるんだよね。
ちなみに240は状態のいい個体を選ぼうとすると150万以上は出さないといけません。
しかし、古くてもまだ部品は出るらしい。
スタリオン。同じインターTECで無双したのには秘密があってね。
ヨーロッパツーリングカーレースではGr.Aが1983年から日本に先駆けて行われていた。そこに出ていたのがスタリオンだった。今度はスタリオンのG r.Aを掘り下げて欲しいです!
あの当時だとクラス違いだけどレビトレ(ユーロではクーペGT)もそうでしたね。
なつかしいね「フライングブリック」。
去年の秋、ビーナスラインで240ワゴンとすれ違ったけど
いちょうと紅葉の山道に似合ういい車
その後の850Rのセダン乗ってました。
FFでしたが楽しい車だったな。
当時BS放送でBTCCやってたのを必死で観ていました。
( ⁼̴̶̤̀ω⁼̴̶̤́ )
空飛ぶレンガだからブロックじゃなくてブリックが正解。ウォーターインジェクションは戦争中の飛行機のエンジンにも合った技術。
ターボもスーパーチャージャーも戦争中に実用化されていた。
「ブロック」じゃなくてレンガを意味する「ブリック」ですよ
「Flying Brick Volvo」ですからね!!
最近は間違えていても
訂正せずシカトしてるみたいですね。人名読み間違いもあったりするけど
再生&登録数と高評価さえ増えりゃ関係ねーやって思ってるかも笑
そうですよね、自分が今まで間違えていたのかと焦りました
嘘情報を垂れ流しにする輩が多いから
ゆっくり系で収益剥がされても同情できない
吹いたwフライングブロックって何よ?プロレス技か?wブロックじゃなくてブリック(レンガ)だろ?
ボディ剛性が日本車と違いすぎるから、そりゃ速いわ
フライングブロックじゃなくて、フライングブリック(空飛ぶレンガ)ですね。
いいですねえ~!空飛ぶ煉瓦!32GT-Rが出て来る前。重けりゃパワーでいわせ、止まんなきゃ強烈なブレーキ!ある意味造り方がベンツですね。
ボルボ繋がりで、BTCCに出てた850とかも良かったよね。
しかも参戦当初はセダンではなくステーションワゴン(850エステート)w
@@tasko5113
確か、TWRでね出場だった気がします。
エステートの方がルーフが長く空力的に有利だったのだろう。
さすがTWR、センスが秀逸だ。
ボルボジャパンが設立される前の販売代理店は帝人ボルボだったような・・・
そうですね。まさこちゃんが宣伝してましたよ。
当時会社の偉い人が車を買い替えるという事で車を持って来てくれて試乗しました。
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R32が登場するまで、ツーリングレースでは海外勢に歯が立たなかったのが史実ですね。
そしてこのボルボはR32に惨敗したという
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240TはR32登場前には既に居なかったも同然でしたね。
R31とフォードシェラが争っていた時で既に外野でしたから。
スエーデンで外貨を稼いでるのは、ボルボと SAABとABBAだ。と言われていたね。
この時代のボルボ(この240は勿論740、760、262、940、960それら全て)は好きでしたね。勿論比較されたスカイラインも。
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ボルボは1960年頃には帝人がディストリビューターになり、正規輸入されていたようです。
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通称「アマゾン」というモデルが当初メインだったそうです。
威厳の塊みたいな名前だ帝人ボルボ
昔ボルボに乗ってた。年をとったらまた乗りたい。
でもデカイサイズばかりになったのが残念。
昔はいいサイズのクーペとかハッチバックもあったのに
P1800,美しくていい車だったなー
叔父が乗ってて,夏休み毎日ドライブしてくれて・・・
カーキチが誕生しました。 OHVは音がサイコー。
13:50~
240T
「いきなり出てきてゴメ~ン🎵まことにスイマメ~ン🎵」
他メーカー
「…ナンだコイツぅ~!?」ww
これの後に無双した「フォードシエラRS500」の解説なども是非🎵
(^ω^#)
できればエッゲンバーガー車とアンディ・ラウス車による「造った車から見るフィロソフィーの違い」までやってくれたら最高ですね!!
240はすごく小回り
効くんだよね
車幅もトレッドも狭いからね。
このレースで240ターボが脚光を浴びたけど
市販モデルの2ドアターボは生産終了していたのが残念。対米仕様に準じた日本仕様は排ガス対策でパワーダウンしていて同時期国産車セドグロ&スカイラインターボより遅かった笑
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このレース、テレビでダイジェストを見ていました。ヨーロッパでの噂は聞いていましたが、ここまでとは思いませんでした。
日本車だけでなく、他の海外車も全く歯が立たず、でした。
漫画こち亀で麗子が運転するグループCアウディ・クワトロが族車の犯人追ってジャンプ台登ったというネタはこの動画の冒頭でアウディのCMが紹介された時、元ネタがこれだったんだって直感的に思ったし、こんな時代になって初めて知ったからウケたww
80年代前半迄はSUBARUにもOHVエンジンが残ってましたね。
90年前半までありましたよ=SUBARU OHV
やっぱボルボレーシング魂は素晴らしい
これよりも前のBMW2002ターボとイメージが重なるTHE箱車って見た目なのに速い
近所にボルボを三台も持っている人が居ますがそれだけ惚れ込める車なんでしょうね
知り合いのサーフィンカメラマンも長年乗っていてその方のトレードマークにもなってました
電装が壊れなきゃとても良い車なんですがね…
会社の上司がレンガワゴンに乗ってました。雪国で10年乗ってましたがサビは少なかった。同じ年代の国産車はボロボロです。
ボルボの創業者は、正しくは
アッサール ガブリエルソンとグスタフ ラーソンですよ。
ケレン味たっぷりなこのスタイルが強烈な個性を放つクルマ。
当時、衝撃的なデビュー戦で度肝を抜かれたのを思い出します。
スタイリッシュな国産勢を尻目に断トツのぶっちぎりで1-2フィニッシュとか…ふざけんなと笑いながら憤慨したのを覚えてます。
日本車もこんな揉まれた時期を経ての進化があったのかと今更思います。
おおお!人呼んで「フライング・ブリック」(かっ飛びレンガ)!カッコいい!😍👍
重くてデカいボディにパワフルなエンジンを積み、豪快に走る!
しかし、ボルボってかなり昔から欧州でラリーやレースで活躍し、速いクルマという定評があったようですね。
ETCCではワゴン車体で走ってたらしいよね。
セダンとワゴンで空気抵抗係数が変わらなかったそうな😅
速いとカッコ良く見えるから不思議だよね
自分が幼少の時に15歳年上の兄にVOLVO=空飛ぶレンガって聞いて何のことやら?って思ってたが、7周もの大差をつけて勝ったとは、、、、
当時田舎ではレースの中継なんかしてなくて、東京来て初めて見たレースで速いイメージが無かったボルボ240ターボが圧勝してビックリした思い出が…
屋根の上にブルドーザーを乗せてたCMもあったかな?
結構前ですが、この車のワークスエンジンがヤフオクで売ってましたね。タービンは三菱でしたけど。
87式240ワゴン乗ってました。
懐かしい!
レース登場当初はステーションワゴンで、そのほうが空力的に有利だった。空力付加物(リアウィング)が前面投影面積からはみ出てはいけないとなってセダンに変わった。角ばってたし屋根が後部にいくほどすぼんでいくデザインでもなかったので今のラリーカーのようなデカい空力付加物を付けられず。イギリスのボルボレースチームのトムウォーキンショーが残念がってたとかなんとか。
785Rの5MT乗ってたのでフライングブリックは憧れでしたね。速くて広くて旨すぎる車でした。
この頃のボルボの本国での平均使用年数は19年と言われていたはず。帝人が輸入していて繊維会社なので服飾雑誌に広告が載ってた。ヤナセもちょっとだけ扱っていたので修理依頼すると受けてはくれる。工賃高いけど。
今、ウチの父親がこれに乗っている。何度か運転させてもらったが良い車です。アンダー若干強めだけど素直なハンドリング,パワーも充分。乗り心地もいい。35年前の車としては、当時の国産車よりもいいかも知れない。ただ,登りでなかなかシフトダウンしないA Tはどうなのか..個体差なのか、仕様なのか..
後、言い忘れたけど、シートがすごくいい。点ではなく、面で体を支えるというか..上手く言えないのだけど。しかし昔乗っていたルノー4のシートはもっと良かった。あんなシートの車には、もう二度と会わないと思う。
インターTEC観にいきましたけど本当に全く違うカテゴリーの様に早かったですねランデブー走行で日本車をラップして行く姿は子供と大人の喧嘩みたいでした。
赤いボルボTURBOのセダン&ステーションワゴンは、高速道路最速の、走るレンガと呼ばれたとの事!😳🤔
フォード・シエラが速かった時代もあった気がする。
日本国内でもワークスのお下がりが走ってましたね。
@@maruhiroya417
長坂氏が一般販売された車とワークス車は足回りから全く違う車だったとコメントしていましたね
R32GT-R登場前はフォードシエラRSコスワースが国内GrAではほぼ一強で圧倒的な強さでしたけどね。
それですら一瞬にして過去のものとしたGT-Rはオーパーツ的な代物でしたね。
フライングブリックだぞ
黒船来襲は73年の富士ツーリストトルフィーでのフォードカプリrs2600が始まり、70年代のオイルショックや51年排ガス対策でメーカーはレースどころではなかった、80年代にはいりメーカーが富士LDseriesにリソースしていたのでツーリングカーの開発は行われなかった。85年に始まったインターテックでのボルボの速さは当時の富士のコースレイアウトにも有利でしたね ホームストレート274km!
ギャレットt3gターボ、インタークーラーで340馬力、翌年86年は500馬力のTWRジャガーXJSが富士のトップスピード290kmマーク。この頃ですでにLDシリーズのC2クラスより速かった。
出たー空飛ぶレンガこいつのイメージをもってgx61買いました懐かしいな。
文字通り大暴れしたんだ
そういえばこち亀のボルボ西郷もその時期にデビューしてたな。
当時空飛ぶレンガって言ってたね。
空飛ぶレンガ🧱 750エステートの速さにはびっくりでしたね。
「レンガはえ~」なんて言われてました。
850TのエステートでGr.A出走してませんでした?
このインターテックでドリキンがAE86でクラス優勝してるんだよね
R30から飛んでR32の話コメ多いけど、
R31GTS-Rの存在抜けてる😓
デビューレースのインターTECこそトップからセッティング不足も有り壊れたけど、その後は活躍してる。
GTRニスモは他車をブッチギリにしただけ。
日本でボルボを最初に輸入したのがかの大屋政子さんのご主人(いわゆる「ウチのお父ちゃん❤」大屋晋三) の会社(帝人?)と聞いたことがあります
リア・ディゾン懐かしいな。
サーブ900とかも出てなかったですかね?
空飛ぶ弁当箱って俺だけ?
みんなレンガなんだー?
9:21 SOHCシングルカムとは
当時、カーグラフィックTVでフツーに空飛ぶレンガは言われてたけど?富夢王金将の話もフツーにされてた。
野暮なことかもですが、blockじゃなくてbrickじゃないかなあと...
密かにGT-Rが試験走行してる時期だね?
実際行ってみたよ。まあこのおかげでR32GT-R迄たどり着いた訳で、殴られた価値は在ったわけだ。
240乗ってたけど、市販モデルはびっくりするくらい遅かった。
が、本当にいい車だった。
死ぬまでにもう一度乗るつもりです。
ギャランvr-4やメルセデスベンツ190Eのような車ですね。
ギャランはちょっと違うかも
VR4はWRC狙いですね
ベンツ190は当時驚いた、消費税以前の3ナンバーが高い時代だったんで標準仕様が5ナンバーだった事がね。しかし、当時としては画期的なマルチリンクサスとかその後の展開(2.4→2.6の16バルブ)迄見据えてたんでしょうね。
ボルボは60年代にはヤナセから販売されていたよね❗😁
私もスウェーデン鋼しか出てこない
VOLVOが片輪走行で富士を1周してたよね😁
鉄火面スカイラインはズタボロだったのに‼️、しかしハルトゲBMWが三位になったけどねー!
そんなに優秀なのに、中国資本に買収されたんだ・・・
元々ボルボは車だけでなく、船舶や建築部門、航空部門、金融部門等を取り扱っていた
コングロマリット企業で、グループの財政悪化で
乗用車部門をフォードに売却したものの、米国の金融危機で
高く買ってくれた吉利に売却される羽目になりました。
ちなみにトラック部門はルノーに売却され、その後ダイムラーに株式の一部を売却し
ダイムラー・ルノーグループの傘下に入っています
VOLVO乗ってた人にツーリングワゴンって言うと、『エステート』って毎回言ってたなぁ。850乗ってたけど、一部部品が本国にもないってディラーに言われたってたなぁ。
VOLVO( ´・ω・`)
トラックが…有名で😌
この当時は 私の記憶では トムウヲキンショーがレーシングカーの開発責任者
だったと記憶しています。私もこの時240Rとか 試乗しましたが、硬すぎてやめました
メルセデスにしました 毎年のように 車かえてました この頃車検が来るまで乗らなかった。メルセデスの 300TEも考えたが、まだ買う意欲は出ませんでした。
フロントガラスのはちまきで、一目瞭然やけどヨーロッパの一流本気な、レース屋制作のマシンだからねぇ😏
フライングブロックじゃなくて、ブリックでしょ
フライングブリックですがな
このレース現場で見ました
本当に速くビックリしました。
けどグループA は12か月で
2500台以上✖️2年
か5000台以上✖️2年と
年代によって違いますが
日本の街中で1回しか見て無いです
かなり あやしいです。
にーよんまるって読んでた240
ボルボの3点式シートベルト、パソコンOSLINUXなどの無償解放、北欧の人たちは神に近い心もってる、
スープラ?当時はまだセリカでは?
ボルボの後に、こっそりついて行った、スタリオンもOHCだぞ。高橋国光・中谷明彦組の。北米でもヨーロッパでも頑張っていたのに。
ワゴンも、強かったね。
此って名門のエッゲンバーガーのチューニングのお陰でしょ?🤔
ボルボ850 めちゃめちゃ速かったの信じられない。
ワゴンでも、レースに出ちゃうもの。空力は、何だろうと思う
昔 何かのビデオで見たのですがランエボ9とランエボのワゴン
ワゴンの方が最高速は延びたらしいですよ
空力面だと変にファストやノッチにするより状況次第ではワゴンみたいなルーフ処理が有利だったりするしね、ホンダが一時期シビックやアコードのハッチバックモデルでそういう傾向の処理をしてたのも納得。
レーシングオンにワゴンを使った理由とか書いてあるのに何で調べないでバカにしてるの?
@@村上晋-b6g
自分は普段、プロレス動画にコメする事が多いですがあちらでは「本に書かれている事鵜呑みにするの?w」と書き込んだバカがいましたね。
海外のレースを観ると何故か日本のレースより倍以上速く観えていて、そりゃガチ勝負すりゃ負けるの当たり前だろ!!
現在は交流戦とかを観てようやく互角に戦える様になったけど、数十年前は以下に亀車で争っていたのかと落胆した。