東北方言「たった」の挙動を見れば、「た」の謎が解ける【「た」と東北方言】
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- Опубліковано 3 сер 2024
- 今回は高田先生ゲスト回の第2弾です。「”た”はオールラウンダー、”たった”はスペシャリスト」「東北方言と韓国語を研究していた理由が明らかに」「モダリティの”た”も『ジョジョの奇妙な冒険』」など、東北方言の”た”と”たった”を通してモダリティの”た”について話しました。
【目次】
0:00 モダリティの「た」は○○
1:43 「来たった」お客はもういない
8:21 今を生きる東北の「た」
11:40 「ゐる」はなぜ「存在する」?
16:41 今「いた」?さっき「いたった」?
19:22 韓国語の「た」はお父さんを煮る娘
24:54 モダリティの「た」は確言がややこしい
32:32 地球は青かっ「た」の意味は?
37:31 地球の青さを知ったとき、認識が変わる
47:14 モダリティの「た」は『ジョジョの奇妙な冒険』
54:57 要求はアファメーション
58:14 東北方言で仮説は検証できる
1:04:12 言語体系比較で見える可能性
【高田先生が補足noteを書いてくださいました!】
◯方言から迫る「た」の本質!【「た」と東北方言《後編》補足】
note.com/sunday_hornist/n/ne8...
【参考付文献】
◯東北諸方言の存在表現とアスペクト・テンス
amzn.to/3QcgGoK
動画では割愛した〈過去〉のスペシャリスト「たった」の成立過程を知ることができる論文。「たった」が〈過去〉の表現として「た」と併用される体系と、そのもとになったと考えられる「てあった」が用いられる体系の関係について論じている。
◯日本語東北方言と韓国語の〈過去〉の表現について
www.jstage.jst.go.jp/article/...
東北方言の「た」「たった」と意味・用法や成立過程が類似した韓国語の過去表現との対照研究を行った論文。
◯日本語存在表現の歴史
amzn.to/3rE7lf7
金水先生が長きにわたって取り組んでこられた存在表現に関する研究がまとめられた一冊。古典語では「立つ」の対義語で、「ゐたり」(座っている)の形で存在を表した「いる」が存在動詞化した過程についても述べられている。
◯ムードの『た』の過去性
da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel...
「た」のモダリティ的な意味と〈過去〉というテンス的な意味との関係について考えが深められる論文。
◯日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す2
amzn.to/44WeKEY
◯ジョジョの奇妙な冒険
amzn.to/3q8cbkA
◯古文単語ゴロゴ プレミアム
amzn.to/3Q87GAT
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www.valuebooks.jp/bp/VS005884...
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【高田先生が補足noteを書いてくださいました!】
◯方言から迫る「た」の本質!【「た」と東北方言《後編》補足】
note.com/sunday_hornist/n/ne8dd2cc05bb9
【参考付文献】
◯東北諸方言の存在表現とアスペクト・テンス
amzn.to/3QcgGoK
動画では割愛した〈過去〉のスペシャリスト「たった」の成立過程を知ることができる論文。「たった」が〈過去〉の表現として「た」と併用される体系と、そのもとになったと考えられる「てあった」が用いられる体系の関係について論じている。
◯日本語東北方言と韓国語の〈過去〉の表現について
www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/4/4/4_KJ00005586584/_article/-char/ja/
東北方言の「た」「たった」と意味・用法や成立過程が類似した韓国語の過去表現との対照研究を行った論文。
◯日本語存在表現の歴史
amzn.to/3rE7lf7
金水先生が長きにわたって取り組んでこられた存在表現に関する研究がまとめられた一冊。古典語では「立つ」の対義語で、「ゐたり」(座っている)の形で存在を表した「いる」が存在動詞化した過程についても述べられている。
◯ムードの『た』の過去性
da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/81001271/
「た」のモダリティ的な意味と〈過去〉というテンス的な意味との関係について考えが深められる論文。
◯日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す2
amzn.to/44WeKEY
◯ジョジョの奇妙な冒険
amzn.to/3q8cbkA
◯古文単語ゴロゴ プレミアム
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韓国人です。韓国語と比べるくだりはとても興味深かったです。
東北方言の「た」に対応する語尾「-었-」と「たった」に対応する「-었었-」が韓国語にあります。
高校生のときに習ったことを思い返してみると、
「-었-」には過去と完了を表す2つの語尾が偶然同じ形をしただけで、文脈で把握できる。
「-었었-」は過去の「-었-」と完了の「-었-」が連なっている表現で「過去完了」を表す。
という風に勉強した記憶があります。
「-었-」は英語の"-ed"(過去形), "have + p.p.(現在完了)"と、「-었었-」は"had p.p.(過去完了)"に対応しているのだ、と学校で聞いた覚えがあるます。
まあ、これは現代韓国語の観点からだと、たぶん間違っているので今は違う方法で教えていると思います。
東北方言との比較で「-었었-」は過去を表して、「-었-」は完了か状態を表すと考えた方が個人的にはしっくり来ています。
韓国の国立国語院の説明をもう一度探してみたのですが、そこでは「-었-」は動作の完了を表していて、過去の出来事について話すときに用いられ、
「-었었-」は現在と断絶された過去のことを表すと説明しています。
難しいからか、アスペクトについてはあまり直接に言及したくはないようですね。
実際の(学者ではない)韓国人の感覚はどうなっているかというと、
「-었-」は(時制の意味で)過去形を作る語尾で、「-었었-」はそれの強化版で、「めっちゃ過去のことだよ」という認識で使っている人が多いと思います。
例えば、こういう間違った使い方があって、었をたくさん使って"했었었었었었었었었었었다"のように、「とんでもなく過ぎたこと」を表す言葉遊び(?)もあります。
었を使えば使うほど過去であるという認識ですかね。
実はジョジョの作者荒木飛呂彦先生は東北出身...
高田先生よりも前に東北方言から「た」の分類に気づいてジョジョという「た」の物語を描いた可能性が高い
昨年、東京から東北に移住した私ですが、
『うがい薬が入っていましたので。』と歯医者で言われ、「うがい薬はもう入ってないのかな」と思い覗いたらがっつり入っていた時は困惑しました。
今回、この謎が解明されたので非常に感動しました!!!
以下、1年間東北に住んでみて、この「た」の用法について感じたことです
①「た」で現在の用法を表す情景には、相手への敬意を示すために使われる側面もあるような気がします。例えば、配達の受け取り時に「受け取りの際には判子をもらってまし“た“」と言われるように、接客業の人がお客さんに使う場面が多いです。英語の”can”よりも”could”の方が、”will”よりも”would”の方が丁寧になるように、過去形が敬意を表現すると言うところにカタルシスを感じるようになりました。
②”た”を使えばほんの少し敬意を示せることが前提になりますが、実際使用してみるとめちゃめちゃ便利です。上手く丁寧語を言う自信がない時も、「〜となっていました」とりあえず「た」を使えば丁寧になるので心の拠り所として使っています。
もう手放せません。
「しばき倒す」の意味でよく使う「いてまうぞ!」の「いて」の意味がきちんと理解できてとてもすっきりしました。
今度からは丁寧に「立っていられない状態にして差し上げさせていただければ幸いです」と言うようにします。
いてまうぞ、のいて、は往ぬ(いってしまう、死ぬ)な気がします。
往ぬもゐるも語源は近そうですけどね。
土佐弁だと進行形と完了形があります。
標準語の『お客さんが来てる』は「来ようとしている」と「来て今いる」の意味がありますが、
「お客さんが来ゆう(こっちに来ている途中、現在進行形)」「お客さんが来よった(こっちに来ようとしていた、実際は来てない、過去完了形)」「お客さんが来ちゅう(来て今ここにいる、現在完了形)」「お客さんが来ちょった(来てて今はいない、過去完了形)」
九州方言だと、
来よる:今まさに来ている最中
来とる:既に到着してそこに居る
来よった:来ようとしていた、結局来ていない
来とった:来ていた、既にまた別のとこに居る
なのでかなり音的にも似てますね……
西日本全域に見られるものなんでしょうかね?
東北出身です。
祖母からかかってくる電話「いだがい」に「いだよー」と今まで何も思わずに返していましたが、今回で存在の意味で使っていることを知り、感動しました。
そして「〇〇さんいましたか?」が通じない理由もわかりました。使わないように気をつけたいと思います。
「アルプスの少女ハイジ」の名シーン、「クララが立った」はずっと立てないでいてこれからも立つことはないであろうクララが今立ったことで認識が完了し、単に「クララが立っている」と言うよりも感動が強調されていたのですね。
脳内の助数詞ーズハイさんが「果てた」瞬間に「た」で思考が固まってキレてしまうのを想像した😂
「Mr.堀元」成分供給助かる
「よろしかったでしょうか」の「た」には違和感がありましたが、認識の完了と考えれば納得できる
たの用法とジョジョの主人公の対応関係がめちゃくちゃピッタリで最高でした。
要求とジョルノの、微妙に括りとはマッチしてないものの、深堀りするとやっぱり括りに内包されるなぁって感じもにやりとせざるを得ない。
神回でした。
た様の六柱に相応しい神回でした
これ東北出身の人、感動が数倍あるんじゃないか。羨ましい。
楽しみに待ってました
たのまち
①x軸を時間、y軸を動作性とする座標面
②過去座標と現在座標とを結ぶグラフを書く
③y軸に変化があればテンス・アスペクト(動作性)、なければモダリティ(状態性)
④現在点に着目するのが結果状態、線分に着目するのが完了、過去点にのみ着目するのが過去
⑤動作性完了のグラフを積分すると事態の獲得・見通しの獲得・決定、微分すると動作性の発見となる
⑥状態性完了のグラフを積分すると想起、微分すると状態性の発見となる
ざっくりこんな理解で良いのかな
水野さんの「た」シリーズは初視聴だけじゃよく分からなくて2周したけど結局まだぼんやりしてるっていう「もののけ姫」みたいな状態だったのですが、高田先生回は分かりやすくて面白く既に3周してる「千と千尋の神隠し」みたいな感じです
数ある方言の中で標準語と体系の異なる意味を指す言葉を見つけてその意味の変遷をたどり、回り回って標準語の理解に繋げるという作業、気が遠くなりますね。研究者ってすごい。
秋田県在住の日本語の文法を齧ってる者ですが、先生のお話にもあるように、「〜したった」は「〜してあった」の約で、私の認識では標準語の「〜して(い)た」と等価です。
秋田では、「たった」と「てあった」は、「てた」と「ていた」と同様、併用されています。
「たった」と「てた」は、動詞に「ある」を使うか「いる」を使うかの違いだけで、意味上の違いはありません。
「客が来たった」(客が来てた)と言えば、今客はいませんが、「わい、いっつに、来たったった?」(おや、もう、来てたのか?)と言えば、客はまだいます。標準語と同じです。
また「尖ったった鉛筆」という言い方は可能です。「尖ってた鉛筆」と全く同じ意味です。
東北方言の「いた」が標準語の「いる」の意も含んでいるというのはその通りですが、「たった」が専ら過去を表す必要から生まれたというのは、どうも違うように思います。「てた」と同じ必要から出た言い方です。
また「いる」の代わりに「ある」を用いる結果でもありましょうが、「いてた」という表現が標準語では出来ないのに対し、「いだった」(居であった)という言い方は可能です。
おかげでスッキリしました!
東北には馴染みのない関西弁話者です
関西でも「◯◯来たったで」◯◯来てたよ(今はもう帰った)
という言い方があり、
それと同じじゃないんかなぁ?と思っていました。
ただ、関西の「来たった」は、
「来てはった」の訛りかもしれない気もします。
関西の一部では、敬語である「〜しはる」を割と何にでも使うので、
敬いの有無を判別しづらく、
「来てはった」と「来てあった」がごっちゃになってる気がします
「尖ったった鉛筆」も同じように言えるなぁ…と思っていました。
同じく、「来たった」は「来てぁった・来てゃった」と併用される。
「来てあ・来てや・来てら」が現在形で東京の「来てる・来ている」とイコール。
うち辺りでは「来たぁー・来った」(来ているの意)とも使う。
「父さん居ダ?」の「居ダ」は現在形の「居であ・居でら」の短縮・合体で、過去形の「居た」が濁った「居だ」ではないね。
なので、東北の「タ・ダ」が現在寄りなのではなく現在形そのもの。
で共通語で過去形の「た・だ」も普通に存在していて同じ音・濁りの為に混同される。
つまり「居だ」と「居ダ」は違うという事。(どこがw)
ま高田先生もあながち間違いじゃないんじゃないかな。
ちな、「来たったっ たった?」は「来てたって言ってた?」「来てたっつってた?」の意。
わかります。
めっちゃ違和感あります。「課長の田中はいま、不在にしておりました。」
これを東北の人が言っててめっちゃ混乱しました。じゃあ今いるの?ってなる。
どうにか理解しようとして、自分に視点をおいている「私は課長が不在にしていることを確認しました」の”た”だと勝手に理解していたのですが、単純に現在の意味の”た”だったんですね。
岡山出身ですが「たった」の使い方が「とった」と似てる!誰々が来とったはそこにもうその人はいないか自分がいないときにしか使わないような気がします!
西日本で広く「とった」は「ていた」の訛った形で使われていると思います。
「お客さんが来ていた」といえば標準語でも今はもういない意味が読み取れますし。
燕の巣があっとったみたいにモダリティも表せるとしたら
「たった」とかなり近い語なのだと思います。
韓国人なんですけど、すごく興味深い着眼点でした。良い動画ありがとうございます。
ジョジョの話も野球の話もしつつわかりやすい言語学の説明もできる高田先生すごいな
昨日、友人たちとバドミントンで遊んでいました。
その最中、相方の方に飛んできたシャトルを見て私は「任せた!」と言い、相方は「OK!」と返しました。
その瞬間、「任せた」の「た」は何なのか、それをわからず使ったにもかかわらず伝わったのは何故か、とメタモンが発動し、気づくと、相手に点取られてました。
ジョジョの奇妙な冒険は「た」の意味を世に知らしめるための物語だったのか
前回も含めて、「た」と「ジョジョの奇妙な冒険」の対応関係の説明が美しすぎて感動しました!
静岡県東部民ですが、過去の表現で「〜(し)たっけ」というものがあります(例:「昨日〜へ行ったっけ」「先週〜に会ったっけ」)。勿論共通語と同じく「昔はここでよく遊んだっけなぁ」のような想起にも使えるのですが、確かに発見や要求は表せないのでうちの方言でも仮説に合致する上に、これで「~(し)た」と「~(し)たっけ」の明確な違いを人にも説明できるのでいたく感動しました。
方言と見比べる事で研究が進む話、違う所に住んでいる近似種を調べて仮説を補強する生物学に似ていて感動した。
体毛が体温調節のためか衝撃から身を守るためかって議論に「寒い所に住んでる奴らは毛が長いぞ」って言った人は偉い。って事ですよね
居るの対義語が元々は“立つ”(スタンド)であったのもジョジョみがある
播州弁(兵庫県南部)では、「たった」に尊敬の意味が加わります。
(過去の尊敬表現です)
○昨日、先生が家庭訪問に来(き)たった。
×昨日(後輩の)田中が、家に来たった。(後輩に敬意はないので、このような言い方はしません)
京都北部では「来ちゃった」と言い、
隣町の兵庫北部では「来たった」と言います。
播州弁と同じく尊敬の意味を含みます。
ただ、過去だけではなく完了でも使います。
「来て、今まさに到着した」時にも使えます。
それから敬意がない後輩には使えないという例文を示されていますが、こちらの地方の(私の)認識では、かなりオールマイティに使えます。敬意の幅というのでしょうか?
先生、近所のおっちゃん、見知らぬ人、年下の子供、同い年の友達、家族、「来ちゃったでぇ」って使えますねえ。
お互い関係の緊密さはあるかもしれません。
「(後輩の〇〇くん(敬称付き)が)来ちゃった」は言えますが、
「(後輩の〇〇(呼び捨て)が)来ちゃった」は違和感があるかもしれません。でも言える気もします。
(弟子が来たことに対して)師匠が言うのは違和感ありますね。でも師匠の奥様なら違和感ありません。
(生徒が来たことに対して)先生が言うのは違和感ありません。小学校の先生なら全く違和感ないけど、高校の先生なら微妙かもしれません。でも全く許容できないことはないです。
@@nishinonaka8231
兵庫県北部にあたる丹波市では、「来ちゃった」も「来たった」も両方言います。感覚では「来ちゃった」の方が多いと思います。
完了で言う場合は「もう来ちゃった」という形で「もう」をつけることが多い気がします。
また、「来ちゃった」よりまだ余裕がある場合「来てや」という言い方もあります。
「もう先生来てやで」と言うと「もうすぐ先生が来るよ(まだ気配は感じていないが、そろそろ来る時間だからと言った場合)」になり、「先生来ちゃったで」だと足音が聞こえたり、遠目に姿が見えてるぐらいの近い未来、または完了の場合に言うように思います。
@@nishinonaka8231 広島市出身の友人も尊敬の「~(し)ちゃった」を使うと言っていました。
広島でも過去だけでなく完了で使えるそうで、「(今/もう)先生来ちゃったよ」等と言えるそうです。
シーンとしては、話し手(自分)と仲の親しい聞き手との会話の中で、そこには居ない尊敬すべき第三者の動作を指して使うそうです。そのため尊敬の対象に面と向かってこの表現は使わないとのこと。聞き手の行為に尊敬を込める場合は共通語の尊敬表現と変わらないそうです。
因みに広島方言には「~(し)んさった」という表現もありますが、「~(し)ちゃった」との違いは①尊敬の度合いが上、②尊敬の対象に面と向かって使用できる、③用法が狭い(友人曰く、「しんさった」と「来んさった」くらいしか使わないとのこと)という点があるらしいです。その一方で「~(し)ちゃった」は「この前うちのお爺さんが死んじゃった」のような使い方もできるそうです。
尚、「~(し)てしまった」という意味の「~(し)ちゃった」とはアクセントが違うので混同はしないみたいです(尊敬の場合は(L)HLLで平板ではない)。
化学系研究者の端くれなのですが、堀元さんと同じく分類・データが裏付けられている、体系的に示せてそれが簡素化されていく、というところはとても興奮しました。
まとめの「科学的プロセス」に深く頷いています。
楽しみにしてあったっす
大変楽しく拝聴させていただきました。
2歳2ヶ月になる息子が「行きたい」「食べたい」と発言した後に「行きたかった」「食べたかった」と発言するのですが(だいたい自分の願いが叶わなかったときに言う)、なぜ過去の「た」を使うのだろうと疑問に感じておりました。
しかしこの「た」は「要求」の用法に近いことに気付き、同時に息子はジョルノジョバーナだということがわかりました。
これからは黄金の精神を持つように育てていきたいと思います。ありがとうございました。
途中で急ハンドル切りましたね
楽しみに待ってましたった
楽しみに待ってまし た
めちゃくちゃ面白かったー
すごく納得できました!
一見、ジョジョの例え、回りくどいように見えたのですが、視聴したあとからふと振り返ると記憶の定着に役立ってて、感動しました
ジョジョの理解が深まりました!
消滅しつつある方言などに対してノスタルジー以外の明確な存在意義が与えられるのって素敵
要求は完了の話がジョルノの文脈で出てきたのにプロシュート兄貴について触れないなんて、、、
「どいて」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
「た」シリーズで2人が気にしていた、テンス・アスペクトとモダリティでレイヤー違う問題も解決できましたね!
めちゃくちゃ面白かった
いやあさすがです先生。まさかそうつながるとは。感服です。やっぱり荒木先生はすごいですね!
この言葉しか出てこない、「最高に面白い!」
集中して聞けば聞くほど
コネドみの強い最高の回だった🔥
今回は隠れ神回だった。
要求の「た」については、「私の頭の中ではあなたは既にこの状態になってるんですよ」って意味で『認識の状態』みたいにまとめて、
ジョナサン(状態)ージョルノ(要求)で親子に出来そうな気もしました
たった先生、わかりやすいかった。(認識の完了)
これはすごいな…「た」編の解決編じゃないか。あるいは劇場版かもしれない。
「た」シリーズは知識欲と思考欲が刺激されてお気に入りの動画だったけどどうしても一部モヤモヤが残った。
そのそのモヤモヤが時を経て続編で見事にぶっ飛ばされた
土佐弁にも同じ表現ありますね、ついでに過去進行を現在で使うと生じるタイムカプセル的な表現も
来ちょった→過去に来ていてもう居ない
来よった→過去連絡があった時点では「こちらに向かっている」と言っていた
兵庫県の中部のN市では「お客さん来たった。」というのはお客さんがいらっしゃった。」という敬語です。車で10分ほど北上するとお隣の町に着き、同じ意味の敬語は「お客さんが来ちゃった。」に変わってしまうのが子供の頃から不思議でした。が既に還暦を過ぎてしまいました。
前から気になってたのですが、ゲストさんが中央にいると話している時に左右にきょろきょろしてしまうので
ゲストさんは右側に居てもらって、左右で対談形式の方がよさそうな気がします
ジョルノジャヴァーナは
夢がある、スタンド能力的にも
未来を見るニュアンスがある
要求の意味も
頭の中で完了させてる
=未来を見てる
ってところでつながっているのだと
考えられて勝手にスッキリした
「過去」が時を止めるとか
「完了」の「隠し子」が「発見」とか
物語的に一つの最終章の主人公が「過去」の子どもの「想起」だとか
(妄想が)捗る
東北方言では「た」は現在も表すっていうの、全くピンと来なかったけど
「今?出かけてた」は普通に使ってた
やっぱ例文の力って強いなぁ
というか、これって方言なの?
普通は使わないんだ
荒木先生が東北人だからこそジョジョが生み出されたというわけですね
面白かった
こんな凡庸な「た」しか出せなかった
我われはこの助動詞を知っている!
いつも方言の話となると語彙にばかり注目が行くので、今回は特に楽しみにしていました。
ということで今回も、「ハッピーうれピーよろピくねー」
「〜たった」は関西方言に見られる「〜とった」と同じ働きがありそうだなぁと。
「た」が連続しているため特徴的で独特なようにも見えますが似たような方言は音を変えて存在していそうですね
「出掛けてました」が方言だったことに驚いている東北の民です…😂
面白かっ「た」ッ!ただ堀元さんがずっと「ジョゼフ」つってたのがスゲェ歯痒かっ「た」!
認識の完了と過去という考え方が出来ると言われた瞬間にまさか4〜6部と対応させる気か!?と気付いて鳥肌立ちました!
凄すぎる…
なんか間接的にジョジョのこともっと好きになってしまった
すげ~~~~…ジョジョって「た」だったんだ……
このシリーズなんかすごい!意外!それはコネドみッ!!
「た」回からずっと正しいと思っていた分類がやっと言語化されました。
東北出身ですが、来たったは「来てあった」と言う人もおり、「来ていた」なんだろうな〜と。
>「来てあった」と言う人もおり
ども、秋田県北部在住ですが、まさしく「あった」で表現してます。
「たった」は少なくとも近隣では使わない言い方ですね。
@@user-tb6zy7jk2y あー、地元そのへんで一緒だからN=1なのかもしれない…
高田先生は「自分の中で完了したことを会話の聞き手に刷り込むこと→要求」とおっしゃっていましたけど、「自分の中ではそうなっている、そうなる予定であるという結果を会話の聞き手に刷り込むこと→要求」と考えられるんじゃないかと思ったし、そうするとジョナサン(結果状態)の肉体から生まれたジョルノ(要求)という設定ともかみ合うなと思いましたね
50:58 今回のまとめ家系図助かる
12:29 "居酒屋"って、"立ち飲み屋"の対義語(?)だったんですね。座る形式なのか、立食形式なのかの違い。
金た郎飴の発売はいつになりますか?
要求は認識の完了って話
英語のShut up alreadyみたいな表現とも繋がりそう
両親の実家の山形では、「たった」を「たっけ」と使ってました
きたっけ:来ていたけどもう帰った
いねっけ:行ってきたけど居なかった
用法も同じく過去にのみで用いられていると思います
また、現在を表すのに、「てっけ」と使われたりします
友達がきてっけよ
みたいな
方言の変化でも表記揺れがあるんですかね?
言語学の勉強は全くしてませんが、より過去や現在を強く印象付ける表現になっていると個人的に感じました
あとどうでもいいですが、山形に住んでいる父の兄の奥さんは韓国人です
モーニング娘のザ・ピースに出てくる「好きな人が優しかった」を聞いて失恋ソングと思った友達に、その「た」は過去でもないし失恋ソングでもないと伝えられる
考えてみれば「た」だらけの歌詞ですね
やっぱりこういう難しめの話を、このチャンネルで取り上げてくれると、面白いです。
難しいものを学ぶとき、なかなか友人知人と共有するのが難しいのですが、堀元水野両名が、私達の仮想友人ポジションで一緒に学んでくれているのが、すごく楽しく感じます。
無料で聴いていい話じゃないだろこれ
和歌山、紀南地方出身ですが、地元では東北方言と同じ用法で「たった(た、あった)」を使用します。「昨日お客さん来たぁったよ」等
韓国語つながりでいうと、日本語の「寝る」は「眠りにつくor横になって布団をかぶる動作・行為」を意味する動作動詞、韓国語の「寝る:자다」は、「眠っている状態」を意味する状態動詞ですね。「似る」「結婚する」なども同様に、動作に注目した動詞なのか状態に注目した動詞なのかによって、過去形、現在形、進行形を使うシチュエーションが微妙に異なる単語がけっこうあります。(完了形や想起、回想に関しては両方とも時制にほとんど差がでないので、なかなか面倒です)
ガガーリンの原文→Небо очень и очень темное, а Земля голубоватая は「空はとてもとても暗く、地球は青っぽい(青みががっている)」ですね。これはロシア人が聞いてもロマンのかけらもないですw。韓国語学習では日本語の運用と微妙に違うひっかかりが面白いと思ってますが、「던や있었었요」に理解が深まり嬉しかったです。
方言、教授の異動がなければ卒論にしてただろうことを思いながら面白く見ました!悔しい!
相撲「のこったのこった」も要求でしょうか。ちなみに水野さん影響で刃牙沼にはまって、バキ道で相撲にはまった人です。
「た」の回、復習感想
高田先生の解説ありがたかった!
ジョジョ説、最高すぎた!!見終わったあと、渾身の「楽しかった!!」が出て自分でもワロタ。そして「た」タオルは買えんかったー😢
自ら東北人としてはよく分かりました.ほかの地域の方も理解できたのか気になります.
北海道出身ですが出かけていましたの「た」は、丁寧語的な印象を受けます。
56:37 高田先生の「ありあり(目の前にあるかのように)とアリアリ(5部のキャラクター:ブチャラティのラッシュ)が干渉してるなあ」の表情
尖ったった鉛筆。可能ですが、秋田あたりの口語では「た」を体言で承ける構文は頻出しません。
ありそうな例文を敢えて挙げるとすれば、例えば畑に以前は大根を、今は葱を作付けしてる人の発話として
「むがし、デゴどご付けだ(であ=てあ)ったずぎだば」(昔、大根を付けてた[作付けしてた]ときならば)
というのは十分実例がありそうです。「たった」と「てた」は、やはり等価ではないでしょうか?
【追記】秋田や津軽の方言は(他の東北方言についてはわかりませんが)、「て(い)た」という表現を欠いており、それと全く同一のテンスを表すのに「たった(てあった)」が使われています。一方、「て(い)る」は標準語と同じく「で(い)る」もしくは音韻の変化で「でら」(津軽では音韻が変化して、多くは「じゃ」に変化。例:生ぎでら→生ぎじゃ)で表現しています。
以上、東北方言の母語話者としての実感からのみ申し上げました。失礼致しました。
堀元さんの二股ニョキニョキTシャツが字幕に干渉するぅ
まさかゆる言語学ラジオの下の帯ででジョースター家の家系図が出てくる日が来るとは。
このテーマは言語学だけに留めず、哲学や心理学、脳神経科学と合同で進めていくべき人類の根源的問題だと実感しました
「たった」って水野さんが言っているのを何回か聞いた記憶があるんですが、
ぐぐったら愛知県の使用例もあるみたい。
ただ、例文が短すぎて「てあった」の縮約か「てやった」の縮約かわからないな・・
昔達谷の悪路王、という賢治の詩の一節を思い出しました。
金沢弁
知らんだ→知らなかった→今知った→完了
〜してみた?→〜したらどうですか?→要求
発見の「た」は古語における助動詞「けり」の〈気づき〉の意味を継承している、ということはないのかな?と思いました。「けり」が過去のテンスと気づきのモダリティを持っているというのも、「た」と共通しているかなと。
「出かけてました」を今現在の意味で使うのは、方言だけじゃなくて標準語圏でも普通に使ってると思いますけどね。「いるかいないか確認してみたけど、出かけてました」ってことですよね
道産子中年男の感覚としては、「📞あー、ばあちゃんは出かけてましたー」というときの意味は、相手の立場に立った発見のように思います。クイズで「残念、正解はAでした」みたいなものかと。
勝っ「た」ッ!第3部完!
2190年には遊星爆弾来てなかったから、2199年の沖田艦長なら「青かったった」になるのか。
あの粘り強さと沈着冷静は東北出身って感じはすると思って調べたら福島出身だった。
おかげさまで年賀状書きがはかどってます!
「来たらいいのに」「いなくたってかまわない」「行ったり来たりするなよ」の「〜たら」「〜たって」「〜たり」もモダリティの「た」由来ですよね。
卒論の調査で、明治後期生まれの福島市方言話者が「昔はこの辺もこうもりがいーいーしたった」(昔はこの辺もこうもりがよく居たものだ)と言ってました。私も福島市生まれ育ちですが、初めて聞いた「いーいー」と「たった」に、世代でここまで文法が違うのかと驚いた覚えがあります(40年前です(^_^;)
楽しみに待ってたべ
電話出でだら「あぁ、"今"出でだがら出らいねぁ?」って言うべがな
ガガーリンが「地球は青がっだなぁ。んだが神はいねがった」って言ったなは
宇宙さ行ったった後なんだべな
冒頭、ただのジョジョ好きじゃーんって思ってました…
京都北部では「おばあちゃんが来ちゃった」というような言い方をします。
来られたと来た、尊敬語と通常の間のような感覚で使います。過去と完了を表します。意味は普通の「た」と同じですね。
ただ、「ちゃった」はモダリティでは使えません。
考えてみると自分以外の人が何か動作をした時に使うってことがわかって、長年使ってきた方言が整理されて楽しかったです。
標準語の「来てしまった」の意味ではなく、
尊敬語を含んだ「来られた」の意味で「来ちゃった」と言いますね。
尊敬語と通常の間のような感覚分かります。
「お越しになった」というより「来た」を丁寧にした感じですよね。
ちなみに、ちゃった弁という呼ばれ方もしています。
(同時にうんこ弁とも呼ばれています…ちゃったとは全く関係ないところで)
京都北部の隣町の兵庫北部では「来たった」と言います。
京都南部、近畿中部(南部も?)の「来はった」と対応していると思っています。
でも「明日来はるよ」は言えるけど「来ちゃる」は言いません。
この動画の他の方のコメントで、
兵庫南部(播州弁)でも「来たった」と言うみたいですね。
京都府北部出身です。
「来ちゃった」(今来られた。)、「来とっちゃった」(少し前に来られてて、今はもう居ない)、「来てや」(これから来られる)、「来よっちゃった」(こちらに来ようとされていた)((よく)来られていた)などを使ってました。
今は奈良の大阪寄りに住んでいます。だいたい「来はった」「来てはった」で置き換えられますが、「来よっちゃった」の意味は奈良では通じないみたいです。
私の連れ合いは広島県福山市出身ですが、来られた(尊敬)の意味で、来ちゃったといいますよ。😊