'80年代鉄道撮影記 末期飯田線旧国を整理分類

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  • Опубліковано 27 сер 2024
  • 末期の飯田線戦前型旧形国電を系統立って解説してみました。
    動画中言及している範囲は、原則1983年まで残った伊那松島機関区の営業用旧形国電を対象としています。
    感想をコメント欄にいただけると励みになります。また、認識間違いのご指摘などもありましたら、是非お願いいたします。
    #旧形国電 #飯田線旧形国電 #飯田線旧国 #飯田線

КОМЕНТАРІ • 16

  • @tetsu0804
    @tetsu0804 Рік тому +2

    ニス塗りの座席。木製の床。布で仕切って、荷物車にする。
    80系に乗った時は、大都会の電車に乗ったような気がした。
    名鉄のパノラマカーが通った後を、旧国電の車両が走ると凄くかっこ悪く感じた。
    119系が来て、エアコン付きの車両に乘った時は感動した。
    飯田線沿線で育った感想です。
    313系はスーパーカーみたいです。

    • @ggvk3156
      @ggvk3156  Рік тому +2

      普段の利用者の方からするとただの古い電車だったのでしょうね😅
      119系は登場時、新型なのに非冷房?165系間合いの普通の方が良い!と、なったとか伺いました。
      119系が無くなるときに、また乗りたいとは思いませんでしかたが、213系で旧国以来の乗り通しをしたい気はします。

  • @user-ts3iz8nf2w
    @user-ts3iz8nf2w Місяць тому +1

    私、恐らく同じ世代です。すべて知っていますが、説明は、、、難しいですね。

    • @ggvk3156
      @ggvk3156  Місяць тому

      コメントありがとうございます!
      細かく見ると全く「同じ」という車輌は無い中、どこまでを同型車とするか……線引が難しいですが、見た目、だいたい同じに見える結果になったものをざっくり同型車としてみました。53007と53008など明らかに違うものは迷いましたが。

  • @user-yn2sf6gi6y
    @user-yn2sf6gi6y Рік тому +1

    荷電のあとこちらも拝見しました。当時は車両の区別がよくわからずとにかく張り上げ屋根の53007狙いで、次に好きだったのが43015とかの平妻狭窓2扉車、クモハユニ64000が来たらラッキー!くらいでした。半流クハ68のオリジナルとそれ以外の違いがドア間窓の数というのも最近知ったくらいで、詳しく解説されていて参考になりました。

    • @ggvk3156
      @ggvk3156  Рік тому

      コメントありがとうございます!
      あの頃のスターは、53007、53008、43015、53000、53001でしたね。この動画のなかの伊那松島の姿を撮ったときにやっと53007の顔が撮れました。既に6月に入っていてぎりぎりでした。他にも魅力的な車輌がいくらでもあり、54100番台が、ありきたりの車輌に見えるという贅沢な時代でしたね。
      登場当時の形式に関係なく、ドアの数と、ロングシート、クロスシートでほぼ形式が決まってしまうという難解な世界でしたが、最後の飯田線に限ってみれば、全貌を掴むことも旧国入門レベルの自分でもなんとかなりました(^^)

  • @user-jz8lp4kc9r
    @user-jz8lp4kc9r Рік тому +1

    PS11パンタ搭載のクモハ42・43はシビれる程にカッコ良かった。幌を装着してパンタを天高く上げて、この姿・面構えは、流電&合の子よりも興奮しました。
    そうそう、中部天竜支区には木造救援車が居ましたね。

    • @ggvk3156
      @ggvk3156  Рік тому

      コメントありがとうございます!
      静トヨの戦前型に間に合わなかったので、幌付き42系の実車体験がありません。写真を見るとかっこいいですよね。幌の有無に拘っていた理由がよくわかります。
      同様に、静チウ名物だといわれた、社型の生き残り木造救援車も見たことないのです。もう数年早く生まれていれば……。

    • @user-jz8lp4kc9r
      @user-jz8lp4kc9r Рік тому +1

      @@ggvk3156
      とは言うものの………
      後ろパンタのクモハ43もカッコ良いですよ!
      それは、身延線に転じて低屋根改造された車。
      武骨なクモハ43にあって、後天的改造とは言え、後ろパンタは都会的で洗練された印象(クモハ100に通ずる)
      最晩年は大糸線に転じて青色22号一色に。スカイブルーのクモハ43もなかなかでしたよ!

  • @user-ye7sd9pd6n
    @user-ye7sd9pd6n Рік тому +1

    高校時代、バイトで買った一眼レフ携えて、長野行き431レ?夜行で辰野へ。飯田線詣の始まりでした。

    • @ggvk3156
      @ggvk3156  Рік тому

      コメントありがとうございます!
      私は旧国末期、数ヶ月にしか間に合わなかったので、もっと早くから行けていたらと思います☺

  • @bakayarou4545
    @bakayarou4545 Рік тому +3

    カッコイイ〜・・・

    • @ggvk3156
      @ggvk3156  Рік тому

      コメントありがとうございます!飯田線の旧形国電は、どの車輌も個性的で魅力がありましたね。

  • @dai2asakaze
    @dai2asakaze Рік тому +1

    今やったら笑い話やけど
    あの頃はクモハ43810とクモハ53007/008が
    生き別れの兄弟っちゅうのも知らんかったし
    クモハ53とクモハ43の違いがわからず
    半流がクモハ53って思い込んでたな
    クハ47がなんであんなに形が違うのがぎょうさんおんのか
    ずっと不思議やったしw
    クモハユニ64がなんか好きやったけど
    クハユニがぎょうさんいたのにわざわざ転属させたのも
    長年の謎です

    • @ggvk3156
      @ggvk3156  Рік тому +1

      コメントありがとうございます!
      53007/008の四兄弟の一人は、戦災で亡くなってしまった……という悲しい歴史の生き証人でもありましたね。
      流電に間に合わなかった世代なので、静トヨ車がいたころはもっと凄かったのだろうと想像します。
      クモハユニは楽しい車輌でしたが、クハニ67900を取っておけばよかっただけというよな気もしますね。

    • @asokai2346
      @asokai2346 7 місяців тому +1

      その生き別れの兄弟の息の根を止めた119系のあの面が当初は嫌いでした。201系もそうですが、あのブラックフェイスで調子に乗ってるスタイルが、やはり好かんという人は多いと思います。なんせ、101系の方がまだスタイル的にはまともでしたしね。あと、チョッパの音が耳障りだったり。119系は、その101系の足回りを流用して作られた電車ですけど、大糸線や身延線にはちゃんと115系を新しく作って入れたのに、機器流用した古い電車を新車と偽って119系なんて名前で出した国鉄は、飯田線沿線民の侮辱です。