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個人的には日本機で疾風のスタイルが一番美しいと思うスラっと優雅に伸びた横からの眺めが最高
私は飛燕も好きでした、
ちょうど今プラモ作ってるからモチベ上がる
疾風は戦後じゃなくて戦中の1944年に飛行可能なものがフィリピンで鹵獲され試験されているが、TAICマニュアルに書かれた日本側のスペックを大幅に上回る最大速度は出力定格を用いて算出した推定値であり、実際に飛行させて出した速度ではない
カタログスペックは良いんだけど、故障が多かったらしい。俺は確実に動く隼の方に乗りたい。
米軍からの評価が高い疾風ですが、ビルマで戦った飛行第64戦隊の空中勤務者からは稼働率が低く機体の挙動が重いから対戦闘機戦では扱いづらいとされ、隼II型やIII型甲の方が航続距離が長く敵に襲撃されてもヒラヒラと躱せると評価されてもいます。結局は扱う人次第なんでしょうね。
俺の親父は終戦時18で軍事工場で誉を作っていて、工作精度の悪さに屁奇癖していた。絶対回らないエンジンを納めていた。
貴重な話しですね。 誉は、増産態勢になってから、シリンダー冷却フィンの簡略化や様々な仕様変更して、少しでも生産性を上げる努力をしました。 また、兵器の生産を管理する『軍需省』の生産ノルマは大変厳しく、生産現場は混乱。 また、多数の部品は下請け工場が生産してメーカーに納入していたが。 品質にバラツキが多く、更にメーカーの生産現場は混乱しており。 部品点数の多いエンジンは、生産に手間どっていたが。 不良部品の頻発で、更に量産現場は混乱。 飛燕どころか、日本の軍用航空機は首ナシ機が工場周辺に溢れていたのです。 また、誉エンジンは、当たり外れが激しい(粗製乱造で)ので。 ある戦隊の整備班では、パイロットが空輸してきた疾風を直ぐに、エンジンを下ろし、全部分解して不良個所を治した上で、再搭載する程でした。
操縦者からは疾風は昇降舵が重いと言われていますが、あれの重さと機体強度や軽量化は無関係では?「戦闘機は射撃する為の道具である」が小山技師長の根本理念で方向安定を強くしたのは射撃の座りを良くする為に重くしたと言ってますし現に主翼の強度試験では危険荷重10.8Gでも破壊されず12Gまでかけても破壊されなかったので、これ以上ではバラストが崩れる恐れがあったので強度試験を中止しています、計画上の最大荷重6Gの2倍かけても壊れない頑丈な主翼を与えられています
この件を知りたいと思ってました。強度試験の経緯をちょっと存じ上げないのですが、御説の数字が本当ならやはり他の戦闘機一般よりも荷重設定そのものが低いと思います。通常、戦闘機の荷重倍数は「7G」でこれに設計安全率「1.8」を乗じて主翼の強度は「12.6G」にしている筈でこれは零戦や隼のように強度不足が言われる機体であっても数字は同じ。ちなみに7Gは人間の失神限界値です。疾風の場合はこの「7G」を「6G」で設定していた可能性はあり、米軍のマニュアルによると旋回の荷重制限は「5G」になっているらしい。またこれとは別に、当時中島でテスパイをされていた吉澤鶴寿氏の証言があり、機体の過度な強度追求を避けるためには操縦者の急な操作を制限する必要がある。その意味で、昇降舵を重くすることを提案し採用された、と言う話があり、これはwikiにも載ってます。特に陸軍機においては「隼」では急旋回時の強度不足、からの空中分解が課題となり。「鍾馗」においては同じく高速時の急な操作で水平スピンに陥る不意自転が課題となっていた。そのため「7G」という急な操作を見直す動きはあったとしても然程不自然ではないと思われるのですが…これは単なる臆測です。疾風のマニュアルがあればハッキリするかも
疾風と言うと稼働率云々が言われるけど、当時は他の日本機でも似たり寄ったりだった。2000馬力級戦闘機として連合軍戦闘機として対抗し得る機体だったと思う。実際フィリピン戦線でも米軍機と互角の戦いをした。でもプラモ界では何故か人気薄なんだよね~。「疾風のエースパイロット」と言われてもすぐに思いつかないからかも。また紫電改と比べて343空等の派手さが無かったのも理由だと思う。
もっと〇〇なら、は意味のない話。与えられた条件下で最善の結果を出せるものこそ、軍用品としての実力。そういう意味では、疾風は日本軍最良の戦闘機ではったことは事実。
じゃあなにが「日本軍最良の戦闘機」なんだよ
エンジン積載量❓燃料積載量のコト❓
【凄い機体だったの?】機体自体はエンジン径に合わせたスマートなものだが、極めてオーソドックスで奇を衒(てら)ったものではない非常に「普通」。それが王道であり正解だったと言える。私個人的な見解だが...この機体で素直に評価したくない部分がある。それは機首武装(12.7㎜又は20㎜機銃)で、エンジン馬力を吸収するため四翅(し)プロペラを装着したので機首武装のプロペラ同調が厳しかったこと。四式戦闘機「疾風」に対抗する連合国(米国&英国)軍戦闘機は、武装は全て主翼に収められ、胴体前部は防漏・防弾式燃料タンクに充てられていた。ソレに比べると少々旧式な感じがしないでもない。(←こう言う意味では、ドイツとソ連も機首武装に拘り過ぎて、日本以上に無茶なことをしているが...)
異論ナシ。
あなたみたいな拾った情報でyoutubeする人をもっと応援したいですThis looks like a fake.👎
疾風のハ45エンジンが安定運用出来て、1万機も製造していたら、1944年の戦局は多少変わっていたかも。でもハ45、海軍名称誉が何とか安定運用できるようになったのは終戦の年1945年なので遅すぎたし、五式戦闘機の方が重宝されたらしいしから上手くいかなかったのだろうな。当時の日本航空技術の限界は、工作機械や金属材料に制限されていたのかも知れない。現在の半導体製造のようなものではないか。製造装置と半導体素材がないと高性能半導体は製造できないでしょう。
個人的には日本機で疾風のスタイルが一番美しいと思う
スラっと優雅に伸びた横からの眺めが最高
私は飛燕も好きでした、
ちょうど今プラモ作ってるからモチベ上がる
疾風は戦後じゃなくて戦中の1944年に飛行可能なものがフィリピンで鹵獲され試験されているが、TAICマニュアルに書かれた日本側のスペックを大幅に上回る最大速度は出力定格を用いて算出した推定値であり、実際に飛行させて出した速度ではない
カタログスペックは良いんだけど、故障が多かったらしい。俺は確実に動く隼の方に乗りたい。
米軍からの評価が高い疾風ですが、ビルマで戦った飛行第64戦隊の空中勤務者からは稼働率が低く機体の挙動が重いから対戦闘機戦では扱いづらいとされ、隼II型やIII型甲の方が航続距離が長く敵に襲撃されてもヒラヒラと躱せると評価されてもいます。結局は扱う人次第なんでしょうね。
俺の親父は終戦時18で軍事工場で誉を作っていて、工作精度の悪さに屁奇癖していた。
絶対回らないエンジンを納めていた。
貴重な話しですね。 誉は、増産態勢になってから、シリンダー冷却フィンの簡略化や様々な仕様変更して、少しでも生産性を上げる努力をしました。 また、兵器の生産を管理する『軍需省』の生産ノルマは大変厳しく、生産現場は混乱。 また、多数の部品は下請け工場が生産してメーカーに納入していたが。 品質にバラツキが多く、更にメーカーの生産現場は混乱しており。 部品点数の多いエンジンは、生産に手間どっていたが。 不良部品の頻発で、更に量産現場は混乱。 飛燕どころか、日本の軍用航空機は首ナシ機が工場周辺に溢れていたのです。 また、誉エンジンは、当たり外れが激しい(粗製乱造で)ので。 ある戦隊の整備班では、パイロットが空輸してきた疾風を直ぐに、エンジンを下ろし、全部分解して不良個所を治した上で、再搭載する程でした。
操縦者からは疾風は昇降舵が重いと言われていますが、あれの重さと機体強度や軽量化は無関係では?
「戦闘機は射撃する為の道具である」が小山技師長の根本理念で方向安定を強くしたのは射撃の座りを良くする為に重くしたと言ってますし
現に主翼の強度試験では危険荷重10.8Gでも破壊されず12Gまでかけても破壊されなかったので、これ以上ではバラストが崩れる恐れが
あったので強度試験を中止しています、計画上の最大荷重6Gの2倍かけても壊れない頑丈な主翼を与えられています
この件を知りたいと思ってました。
強度試験の経緯をちょっと存じ上げないのですが、御説の数字が本当ならやはり他の戦闘機一般よりも荷重設定そのものが低いと思います。
通常、戦闘機の荷重倍数は「7G」でこれに設計安全率「1.8」を乗じて主翼の強度は「12.6G」にしている筈でこれは零戦や隼のように強度不足が言われる機体であっても数字は同じ。ちなみに7Gは人間の失神限界値です。
疾風の場合はこの「7G」を「6G」で設定していた可能性はあり、米軍のマニュアルによると旋回の荷重制限は「5G」になっているらしい。またこれとは別に、当時中島でテスパイをされていた吉澤鶴寿氏の証言があり、機体の過度な強度追求を避けるためには操縦者の急な操作を制限する必要がある。その意味で、昇降舵を重くすることを提案し採用された、と言う話があり、これはwikiにも載ってます。
特に陸軍機においては「隼」では急旋回時の強度不足、からの空中分解が課題となり。「鍾馗」においては同じく高速時の急な操作で水平スピンに陥る不意自転が課題となっていた。そのため「7G」という急な操作を見直す動きはあったとしても然程不自然ではないと思われるのですが…これは単なる臆測です。疾風のマニュアルがあればハッキリするかも
疾風と言うと稼働率云々が言われるけど、当時は他の日本機でも似たり寄ったりだった。
2000馬力級戦闘機として連合軍戦闘機として対抗し得る機体だったと思う。実際フィリピン戦線でも米軍機と互角の戦いをした。
でもプラモ界では何故か人気薄なんだよね~。「疾風のエースパイロット」と言われてもすぐに思いつかないからかも。
また紫電改と比べて343空等の派手さが無かったのも理由だと思う。
もっと〇〇なら、は意味のない話。
与えられた条件下で最善の結果を出せるものこそ、軍用品としての実力。
そういう意味では、疾風は日本軍最良の戦闘機ではったことは事実。
じゃあなにが「日本軍最良の戦闘機」なんだよ
エンジン積載量❓燃料積載量のコト❓
【凄い機体だったの?】
機体自体はエンジン径に合わせたスマートなものだが、極めてオーソドックスで奇を衒(てら)ったものではない非常に「普通」。それが王道であり正解だったと言える。
私個人的な見解だが...この機体で素直に評価したくない部分がある。それは機首武装(12.7㎜又は20㎜機銃)で、エンジン馬力を吸収するため四翅(し)プロペラを装着したので機首武装のプロペラ同調が厳しかったこと。四式戦闘機「疾風」に対抗する連合国(米国&英国)軍戦闘機は、武装は全て主翼に収められ、胴体前部は防漏・防弾式燃料タンクに充てられていた。ソレに比べると少々旧式な感じがしないでもない。(←こう言う意味では、ドイツとソ連も機首武装に拘り過ぎて、日本以上に無茶なことをしているが...)
異論ナシ。
あなたみたいな拾った情報でyoutubeする人をもっと応援したいです
This looks like a fake.👎
疾風のハ45エンジンが安定運用出来て、1万機も製造していたら、1944年の戦局は多少変わっていたかも。
でもハ45、海軍名称誉が何とか安定運用できるようになったのは終戦の年1945年なので遅すぎたし、五式戦闘機の方が重宝されたらしいしから上手くいかなかったのだろうな。
当時の日本航空技術の限界は、工作機械や金属材料に制限されていたのかも知れない。
現在の半導体製造のようなものではないか。
製造装置と半導体素材がないと高性能半導体は製造できないでしょう。