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戦争が長引いて、五式戦車が実戦投入されていてもM26パーシングには歯が立たなかっただろうし、烈風が実戦投入されていてもベアキャットが相手では悲惨な目に…
五色戦車はデカすぎる割に砲が貧弱だからなあ・・・まあ人口も高等教育の程度も技術も工業力も劣ってるんだから負けるのは当然としか。
そもそも戦車を戦車で潰す発想が馬鹿げてるってドイツが示してるやんw快進撃してた時は砲兵や爆撃機の見事な連携があって配備された戦車は機銃しかなかった部隊も普通だったし敵より強い戦車を持った頃にはシュトルモビクとP-47に好き放題やられてもうドイツの戦車は脅威じゃないってM-45にJS-2など榴弾砲を優先されてた
なお防弾性能…まあ言い出したらキリがないですね。欧米の技術協力が途絶えた状態で独力でこの機体を開発できたのは、素直に凄いと思います。この時期の飛行機の進化は凄すぎて1年2年の差が致命的なのは勿論ですが、陸軍の疾風の整備性も保守部品が優先的に届いた部隊ではそう悪い物じゃなかった話もあるし、まだシーレーンが絶望的ではない時期、生産性の悪いゼロ戦を早いうちに機種転換出来ていればなぁと思います。
自分はガルパン初期放映当時にそれ繋がりでファインモールドの公式で初めて知ったので認知かなり遅いです。特徴的な主翼で外観カッコよくて一目惚れしました。試製と11型、72と48合わせてプラモ6個買って全部作りました。 めっちゃカッコいい!!
「烈風」という貝塚ひろし先生の作品で初めて知った機体ですが、漫画の連載開始も戦記漫画ブームの終わりの頃でしたね。
この機材めちゃくちゃでかいんだよね50年以上前に1/72スケールのプラモ作って零戦と並べてみたことがあるけど、絶対縮尺間違ってると思ったもん
肥満化した戦闘機なんですよね。「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトを打ち出した段階で肥満化は決定してましたね。
@@大東亜解放神-d8p空技廠の試算した、零戦サイズの16試艦戦ならば、予定性能は確実だったと思います。 中島飛行機が大嫌いな、堀越二郎が三菱エンジンハ-43 、2200馬力の搭載にこだわったから無駄にデカイ機体になっている。 太い機体で設計したから重量が増える、増えた重量を130㎏/㎡翼面荷重に抑える為に、30㎡のデカイ主翼になるから。 速度は出ない。 そこまでムダな努力をして、結局は翼面荷重は150㎏/㎡。 しかも、この翼面荷重、実戦装備の防弾鋼板、防弾タンク、武装ナシでの数値と言われているから。 全部実装したら、170㎏/㎡程度に増大。 627㎞/hの速度も610㎞/hに落ちた可能性もある。 もちろん、6000m迄の上昇時間も8分程度に落ちただろう😰。 黙って、紫電改を生産した方がましだし、何なら、疾風の量産に海軍が協力した方が良い。 烈風は、堀越二郎の自己満です。
模型で比べると改めて技術や設計思想の違いを感じれて面白いよね。
F6Fより全幅、全長共に1mもデカい。。。F8Fには手も足も出ないだろうな・・・
兵器は必要な時に必要な数がなければただのゴミ
まあ、肥満化した戦闘機でしたね。零戦に金星を積んだ方が現実的でしたね。「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトそのものが間違いでした。想定すべき敵機は米軍機であり、零戦ではなかったのです。零戦をライバル視した段階で既に終わってました。
海軍の「零戦22型に準じる格闘戦能力」っていう、頭が97式戦から進化してない要求が問題の根幹だからね。源田とその弟子たちに問題の9割がある。
強いかどうかは一旦置いておいて、機体が巨大化した件は後々の汎用性を考えれば、結果論として時代に則した形だったのではないかと思います。(すぐに終戦でその先を考える必要も無いとか技術的にどうだったかも一旦置いて)F8Fが高性能を誇りながら機体の小ささ・汎用性の低さで早晩戦力としては陳腐化し、逆に設計年数が古いにもかかわらず大型のF4Uがその汎用性の高さと大型な故に強力なエンジン載せ替えを許容できる寛容さがあって長年活躍したのを考えれば、別にそれを狙って設計したのでは無いと思いますが、後々レシプロ戦闘機が戦闘爆撃機化する時代の流れを考えて、汎用性・寛容性のある巨大な機体はあながち間違えでは無かった気がします。ま、本当に後々が無かったのでこういったお話も今では「無駄な議論」ではありますが。
昔、烈風をモデルにした漫画が有ったね!!
日本ってこういう武器に関してモノを要求するんだけど、その屋台骨の基礎のキを支える物にはお金をかけなかったのがこういう飛行機の性能を悪くした要因と思う。ガソリンのオクタン価、整備に必要な油、エンジンオイル、通信機用の真空管、金属開発・・・そういう基礎技術開発を怠った気がする。オクタン価や油はハ42~45の性能低下を招いたし真空管は量産性だけ追ったおかげで八木宇田アンテナ採用できなかったし、金属開発ではターボチャージャーが不安定だった。(ハ42=飛竜のエンジンで火星の18気筒化エンジン、ハ43=金星の18気筒化エンジン、ハ44=ハ109の18気筒化エンジン、ハ45=誉、栄の18気筒化エンジン)もう一つ言えば、疾風は初めからハ45ありきで設計した機体、烈風はハ43で設計したのに、途中でハ45に変えた機体。性能が発揮できるはずはないと思う。紫電がダメで紫電改が良かったのは改という割に全面的に機体設計をハ45ありきで変えたと思う。あれ、紫電21型なんだけど、エンジンは誉1xから誉2xに変えているw
「基礎技術開発を怠った」というより、そういう基礎技術が育っていないうちに戦争始めたということでしょう。
@ うん、未発育の技術もありますね。油系や金属系はその可能性が高い。
問題はパイロットの育成やけどな。
1種類の兵器が戦局に及ぼす影響なんて微々たるものでしょ?核兵器って反論があるでしょうが、それを大量に落とせる戦局の有利さそのものが核を使用する側にあるということ。艦上戦闘機レベルならなおのこと。
「戦争に負けているのは海軍が主役をしている海上戦に負けているからである。海上戦に負けるのは航空戦で圧倒されているからである。航空戦が有利に展開しない原因は、わが戦闘機が制空権を獲得出来ないからだ。つまり、戦闘機が負けるから戦争に負けるのだ。」という思考もあってね?上記の論を吐いたのは賛否両論ある源田実氏だけど、近代戦では海でも陸でも空を押さえられたら勝てないのは当たり前なので、高性能レーダーや対空誘導ミサイルなんてものもない時代なんだし、強い戦闘機を欲するのは必然なんですよ。
「雷電」で露呈したが、堀越は胴体設計に関してはまるでセンスが無かった。というかもともと堀越は計算屋であって、実際に図面を書く作業を製図工にに丸投げしていたことが、詰めの甘さに繋がっていた。これは当時の日本の工業界に蔓延っていた悪習と言っても良い。とにかく色々デリケートな部分が多い航空機の場合、設計主務者がどこまで細部に拘るか、というのは重要なこと。特にこの時代は。やはり欧米の著名な設計者は、自ら図面を書きまくる方が殆どだ。そういう作業をする事で、本当に合理的な設計が出来るものらしい。「烈婦」の図面を見ていて、何とも引き締まりの悪さを感じてしまうのは、海軍の過剰な要求のせいばかりではないと思う。
震電と一緒で実機の写真が有って机上空論でないのがロマンを掻き立てられるよ。現実には制式採用されてものせる空母は作戦行動は既に出来ず、搭乗員の熟練度は下がり、工場は空襲の標的になりで厳しかったでしょうねぇ。性能的にヘルキャット並で優位は微妙でしたでしょうが、改造零戦よりは現場ではマシだったのかな。後継機種の開発が出来なかった、開発力が低かったのがアメリカと戦うには厳しかった。
後知恵で言えば、雷電があれほど遅延せずに1942年ごろに投入できてればなあと思わずにはいられない
14試。 順調に行けば17~18年に雷電が陸上基地専用機として配備予定でしたからね。 零戦の金星換装計画が最終的に頓挫したのも、雷電に期待したからなんだけど、、😢
鍾馗使えで終了
終戦間際に実戦配備されても、F8Fには惨敗、F6Fにも苦戦しただろうね。
戦わないから、伝説でいられる。 ロマンだけの戦闘機😢。 戦後に、設計者の堀越二郎氏が『自画自賛』。 痛い戦闘機なんですよ。
隼より使えない機体を末期も末期に運用しようって方が無茶よw運動性能に加速力も52丙<F6F<隼3型になっちゃったしな三菱は1970年代には三菱F-1戦闘機が飛んでたくらいアメリカから警戒されてなかったけれど中島はスバルとなってから今なお監視対象
零戦の後継機と言うまぼろしを追ってしまった海軍の愚行
烈風の外翼側は6.9度の上反角がつけられているけど内翼側は水平だから、内翼に下反角が付く逆ガル翼じゃないぞ
生産性考えていない翼型だな
新造せず零戦を拡大改良しハ43を積めば生産ラインも大変更せずに済み実用化は少しは早くなっただろうに。ME109などは初期と後期では馬力倍増してたもんな。
そもそもの試案(空技廠)の機体サイズは、零戦22型に近いサイズ。 重量も3100㎏。 この重量で約23㎡の主翼にて『翼面荷重130㎏/㎡』なんですよ。 エンジンは勿論、誉。 堀越二郎がハ-43に固執しなければ。 普通に、疾風か紫電改程度の戦闘機が出来たのです。
「烈風」と言い「震電」と言い、もし実戦に参戦していたらどんな戦果をあげたろうか。
烈風。 P-51H、P-47H、そしてF8Fに叩き落とされる 震電。 冷却不足で実用不可能(数回の飛行テストで、速度290㎞/h程度でオーバーヒートしてますからね、全開運転したら、、、😑) キビシイけど、コレが現実。 疾風と紫電改の方がマシ。 誉も23型で馬力が2000馬力以上が目前だったからね(誉21型は実質的に1800馬力だったからね) そうなると、馬力アップした疾風と紫電改の速度は20㎞/hは底上げされる。 疾風だと660~680㎞/hは期待できるし、紫電改でも630~650㎞/hは期待できるからね。 烈風より遥かにマトモです。
雷撃機に転用すれば?
載せる空母が既になかったんじゃ?
@@jx6004 雲竜級をはじめ空母はあるよ搭乗員も余計な重油もないからクソの役にも立たなかったけれど
欧米の総合力に敵わなかったと云う事。
計画だけでなく試作機まで完成していたので、震電、橘花と同じく「惜しい戦闘機」「間に合っていれば」と思わせる機体。仮に実戦化された場合の評価様々あるけど「仮想戦記」では大活躍。それはそれで幸福だったのかもね。
エンジンが完成してればね。肝心の三菱エンジンがこの段階でもまだ試作段階。どんなに頑張っても年内に試作を終えれたか微妙だった。誉ですらトラブル続きだったのに、試作エンジンでは尚更ね
こんなのに資金と資材回すなら疾風3型に回すほうがずっと良い空母はあっても重油も搭乗員もないんだから
戦争が長引いて、五式戦車が実戦投入されていてもM26パーシングには歯が立たなかっただろうし、
烈風が実戦投入されていてもベアキャットが相手では悲惨な目に…
五色戦車はデカすぎる割に砲が貧弱だからなあ・・・
まあ人口も高等教育の程度も技術も工業力も劣ってるんだから負けるのは当然としか。
そもそも戦車を戦車で潰す発想が馬鹿げてるってドイツが示してるやんw
快進撃してた時は砲兵や爆撃機の見事な連携があって配備された戦車は機銃しかなかった部隊も普通だったし
敵より強い戦車を持った頃にはシュトルモビクとP-47に好き放題やられて
もうドイツの戦車は脅威じゃないってM-45にJS-2など榴弾砲を優先されてた
なお防弾性能…まあ言い出したらキリがないですね。欧米の技術協力が途絶えた状態で独力でこの機体を開発できたのは、素直に凄いと思います。この時期の飛行機の進化は凄すぎて1年2年の差が致命的なのは勿論ですが、陸軍の疾風の整備性も保守部品が優先的に届いた部隊ではそう悪い物じゃなかった話もあるし、まだシーレーンが絶望的ではない時期、生産性の悪いゼロ戦を早いうちに機種転換出来ていればなぁと思います。
自分はガルパン初期放映当時にそれ繋がりでファインモールドの公式で初めて知ったので認知かなり遅いです。特徴的な主翼で外観カッコよくて一目惚れしました。
試製と11型、72と48合わせてプラモ6個買って全部作りました。 めっちゃカッコいい!!
「烈風」という貝塚ひろし先生の作品で初めて知った機体ですが、漫画の連載開始も戦記漫画ブームの終わりの頃でしたね。
この機材めちゃくちゃでかいんだよね
50年以上前に1/72スケールのプラモ作って零戦と並べてみたことがあるけど、絶対縮尺間違ってると思ったもん
肥満化した戦闘機なんですよね。
「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトを打ち出した段階で肥満化は決定してましたね。
@@大東亜解放神-d8p空技廠の試算した、零戦サイズの16試艦戦ならば、予定性能は確実だったと思います。 中島飛行機が大嫌いな、堀越二郎が三菱エンジンハ-43 、2200馬力の搭載にこだわったから無駄にデカイ機体になっている。 太い機体で設計したから重量が増える、増えた重量を130㎏/㎡翼面荷重に抑える為に、30㎡のデカイ主翼になるから。 速度は出ない。 そこまでムダな努力をして、結局は翼面荷重は150㎏/㎡。 しかも、この翼面荷重、実戦装備の防弾鋼板、防弾タンク、武装ナシでの数値と言われているから。 全部実装したら、170㎏/㎡程度に増大。 627㎞/hの速度も610㎞/hに落ちた可能性もある。 もちろん、6000m迄の上昇時間も8分程度に落ちただろう😰。 黙って、紫電改を生産した方がましだし、何なら、疾風の量産に海軍が協力した方が良い。 烈風は、堀越二郎の自己満です。
模型で比べると改めて技術や設計思想の違いを感じれて面白いよね。
F6Fより全幅、全長共に1mもデカい。。。
F8Fには手も足も出ないだろうな・・・
兵器は必要な時に必要な数がなければただのゴミ
まあ、肥満化した戦闘機でしたね。
零戦に金星を積んだ方が現実的でしたね。
「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトそのものが間違いでした。
想定すべき敵機は米軍機であり、零戦ではなかったのです。
零戦をライバル視した段階で既に終わってました。
海軍の「零戦22型に準じる格闘戦能力」っていう、頭が97式戦から進化してない要求が問題の根幹だからね。
源田とその弟子たちに問題の9割がある。
強いかどうかは一旦置いておいて、機体が巨大化した件は後々の汎用性を考えれば、結果論として時代に則した形だったのではないかと思います。
(すぐに終戦でその先を考える必要も無いとか技術的にどうだったかも一旦置いて)
F8Fが高性能を誇りながら機体の小ささ・汎用性の低さで早晩戦力としては陳腐化し、逆に設計年数が古いにもかかわらず大型のF4Uがその汎用性の高さと大型な故に強力なエンジン載せ替えを許容できる寛容さがあって長年活躍したのを考えれば、別にそれを狙って設計したのでは無いと思いますが、後々レシプロ戦闘機が戦闘爆撃機化する時代の流れを考えて、汎用性・寛容性のある巨大な機体はあながち間違えでは無かった気がします。
ま、本当に後々が無かったのでこういったお話も今では「無駄な議論」ではありますが。
昔、烈風をモデルにした漫画が有ったね!!
日本ってこういう武器に関してモノを要求するんだけど、その屋台骨の基礎のキを支える物にはお金をかけなかったのがこういう飛行機の性能を悪くした要因と思う。
ガソリンのオクタン価、整備に必要な油、エンジンオイル、通信機用の真空管、金属開発・・・そういう基礎技術開発を怠った気がする。
オクタン価や油はハ42~45の性能低下を招いたし真空管は量産性だけ追ったおかげで八木宇田アンテナ採用できなかったし、金属開発ではターボチャージャーが不安定だった。
(ハ42=飛竜のエンジンで火星の18気筒化エンジン、ハ43=金星の18気筒化エンジン、ハ44=ハ109の18気筒化エンジン、ハ45=誉、栄の18気筒化エンジン)
もう一つ言えば、疾風は初めからハ45ありきで設計した機体、烈風はハ43で設計したのに、途中でハ45に変えた機体。性能が発揮できるはずはないと思う。
紫電がダメで紫電改が良かったのは改という割に全面的に機体設計をハ45ありきで変えたと思う。あれ、紫電21型なんだけど、エンジンは誉1xから誉2xに変えているw
「基礎技術開発を怠った」というより、そういう基礎技術が育っていないうちに戦争始めたということでしょう。
@
うん、未発育の技術もありますね。油系や金属系はその可能性が高い。
問題はパイロットの育成やけどな。
1種類の兵器が戦局に及ぼす影響なんて微々たるものでしょ?
核兵器って反論があるでしょうが、それを大量に落とせる戦局の有利さそのものが核を使用する側にあるということ。
艦上戦闘機レベルならなおのこと。
「戦争に負けているのは海軍が主役をしている海上戦に負けているからである。海上戦に負けるのは航空戦で圧倒されているからである。航空戦が有利に展開しない原因は、わが戦闘機が制空権を獲得出来ないからだ。つまり、戦闘機が負けるから戦争に負けるのだ。」という思考もあってね?上記の論を吐いたのは賛否両論ある源田実氏だけど、近代戦では海でも陸でも空を押さえられたら勝てないのは当たり前なので、高性能レーダーや対空誘導ミサイルなんてものもない時代なんだし、強い戦闘機を欲するのは必然なんですよ。
「雷電」で露呈したが、堀越は胴体設計に関してはまるでセンスが無かった。
というかもともと堀越は計算屋であって、実際に図面を書く作業を製図工にに丸投げしていたことが、詰めの甘さに繋がっていた。
これは当時の日本の工業界に蔓延っていた悪習と言っても良い。
とにかく色々デリケートな部分が多い航空機の場合、設計主務者がどこまで細部に拘るか、というのは重要なこと。特にこの時代は。
やはり欧米の著名な設計者は、自ら図面を書きまくる方が殆どだ。
そういう作業をする事で、本当に合理的な設計が出来るものらしい。
「烈婦」の図面を見ていて、何とも引き締まりの悪さを感じてしまうのは、海軍の過剰な要求のせいばかりではないと思う。
震電と一緒で実機の写真が有って机上空論でないのがロマンを掻き立てられるよ。
現実には制式採用されてものせる空母は作戦行動は既に出来ず、搭乗員の熟練度は下がり、工場は空襲の標的になりで厳しかったでしょうねぇ。
性能的にヘルキャット並で優位は微妙でしたでしょうが、改造零戦よりは現場ではマシだったのかな。
後継機種の開発が出来なかった、開発力が低かったのがアメリカと戦うには厳しかった。
後知恵で言えば、雷電があれほど遅延せずに1942年ごろに投入できてればなあと思わずにはいられない
14試。 順調に行けば17~18年に雷電が陸上基地専用機として配備予定でしたからね。 零戦の金星換装計画が最終的に頓挫したのも、雷電に期待したからなんだけど、、😢
鍾馗使えで終了
終戦間際に実戦配備されても、F8Fには惨敗、F6Fにも苦戦しただろうね。
戦わないから、伝説でいられる。 ロマンだけの戦闘機😢。 戦後に、設計者の堀越二郎氏が『自画自賛』。 痛い戦闘機なんですよ。
隼より使えない機体を末期も末期に運用しようって方が無茶よw
運動性能に加速力も52丙<F6F<隼3型になっちゃったしな
三菱は1970年代には三菱F-1戦闘機が飛んでたくらいアメリカから警戒されてなかったけれど
中島はスバルとなってから今なお監視対象
零戦の後継機と言うまぼろしを追ってしまった海軍の愚行
烈風の外翼側は6.9度の上反角がつけられているけど内翼側は水平だから、内翼に下反角が付く逆ガル翼じゃないぞ
生産性考えていない翼型だな
新造せず零戦を拡大改良しハ43を積めば生産ラインも大変更せずに済み実用化は少しは早くなっただろうに。ME109などは初期と後期では馬力倍増してたもんな。
そもそもの試案(空技廠)の機体サイズは、零戦22型に近いサイズ。 重量も3100㎏。 この重量で約23㎡の主翼にて『翼面荷重130㎏/㎡』なんですよ。 エンジンは勿論、誉。 堀越二郎がハ-43に固執しなければ。 普通に、疾風か紫電改程度の戦闘機が出来たのです。
「烈風」と言い「震電」と言い、もし実戦に参戦していたらどんな戦果をあげたろうか。
烈風。 P-51H、P-47H、そしてF8Fに叩き落とされる 震電。 冷却不足で実用不可能(数回の飛行テストで、速度290㎞/h程度でオーバーヒートしてますからね、全開運転したら、、、😑) キビシイけど、コレが現実。 疾風と紫電改の方がマシ。 誉も23型で馬力が2000馬力以上が目前だったからね(誉21型は実質的に1800馬力だったからね) そうなると、馬力アップした疾風と紫電改の速度は20㎞/hは底上げされる。 疾風だと660~680㎞/hは期待できるし、紫電改でも630~650㎞/hは期待できるからね。 烈風より遥かにマトモです。
雷撃機に転用すれば?
載せる空母が既になかったんじゃ?
@@jx6004
雲竜級をはじめ空母はあるよ
搭乗員も余計な重油もないからクソの役にも立たなかったけれど
欧米の総合力に敵わなかったと云う事。
計画だけでなく試作機まで完成していたので、震電、橘花と同じく「惜しい戦闘機」「間に合っていれば」と思わせる機体。
仮に実戦化された場合の評価様々あるけど「仮想戦記」では大活躍。それはそれで幸福だったのかもね。
エンジンが完成してればね。肝心の三菱エンジンがこの段階でもまだ試作段階。どんなに頑張っても年内に試作を終えれたか微妙だった。誉ですらトラブル続きだったのに、試作エンジンでは尚更ね
こんなのに資金と資材回すなら疾風3型に回すほうがずっと良い
空母はあっても重油も搭乗員もないんだから