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日本ウェポンヒストリー
Japan
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プロフィール画像は疾風(ChatGPT画)です。
【ゆっくり戦闘機解説】アメリカから最も高く評価された”大東亜決戦機”、その真の実力は!?【疾風/四式戦闘機】
【画像出典】※最終閲覧2024/6/20
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www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln/FR047.html
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File:Nakajima Ki-84.svg - Wikimedia Commons
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commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Nakajima_Ki-84_Hayate_additional_prototype_of_the_Army_Air_Force.jpg
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File:Nakajima Sakae Ha-115 Model 21 engine 2010 The Sky and Space.jpg - Wikimedia Commons
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【ゆっくり戦闘機解説】零戦を超える!……はずだった、幻の後継機【烈風/十七試艦上戦闘機】
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【主要参考資料】 みつびし航空エンジン物語 ー 松岡久光 著 軍用機メカ・シリーズ4 雷電/烈風/一〇〇式司偵 ー 光人社刊 www.jiji.com/jc/v2?id=20110904japanese_naval_aircrafts_07 ja.wikipedia.org/wiki/烈風 ja.wikipedia.org/wiki/ハ43_(エンジン) ja.wikipedia.org/wiki/誉_(エンジン) trafficnews.jp/post/98356/2 gendai.media/articles/-/35974?page=4 【画像引用】※最終閲覧 2024/7/6 commons.wikimedia.org/wiki/File:Mitsubishi_A7M2_in_a_hangar_of_the_Yokosuka_Naval_Air_Technical_Arsen...
【ゆっくり戦闘機解説】取り扱い注意!?時代を先取りした異色の戦闘機【鍾馗/二式単座戦闘機】
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【画像引用元】 ※最終閲覧2024/8/17 upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cc/Nakajima_Ki-44-II_Otsu_at_Clark_1945.jpg upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/12/Hideki_Tojo_2.jpg/800px-Hideki_Tojo_2.jpg upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/Captured_Nakajima_Ki-44_in_flight.jpeg/1024px-Captured_Nakajima_Ki-44_in_flight.jpeg upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/KI-43.jpg upload.w...
5:17 翼面積17.4キロは入力ミスでしょうかね、大きな問題ではありませんが一応書かせていただきます 四式戦はスラッと少し長めの機体に翼で格好が良いですね。飛んでいる様は姿、音、共に美しいのだろうと想像します。実際に見てみたいものですが色々難しいと思うのでこればかりは仕方ないですね
ガラクタ、、、全てに凡庸な機体です。
若かりし頃、爺さんと話した時に聞いた話・・・、 隼は軽くてクルクル回るのには丁度良かった、鍾馗は離着陸が難しいけど高速域での運動性は比較的良い、けど連続した旋回戦は苦手だったから自分との相性は悪かった・・・。 疾風はブーストを上げるだけで手放しでもグングン上昇して行くから気持ち良かったけど舵が重くて曲がらなかった・・・。 疾風で危ないのは急降下する敵機を追いかけて行くと昇降舵が重くなって上昇できなくなり地面に突っ込んでしまいそうになるから敵機より速度計と高度計から目を離せなかった・・・。 五式は隼と疾風の良い所だけを組み合わせたような機体で、敵機が急降下で逃げ出しても隼のように浮き上がらず、敵機を見ながらとことん追いかけて行く事が出来た・・・。 五色が一番自分とは相性が良かった・・・。 疾風は今の評価の方が高くて不思議そうだった・・・。
中国戦線で疾風と戦ったムスタングはB型又はC型だったのでそれほど性能は良くありませんでしたよ。
疾風は戦後じゃなくて戦中の1944年に飛行可能なものがフィリピンで鹵獲され試験されているが、TAICマニュアルに書かれた日本側のスペックを大幅に上回る最大速度は出力定格を用いて算出した推定値であり、実際に飛行させて出した速度ではない
@@SSGB 未だに、TAICのデータを信じてる方々が多いですよね(プロでも)。
カタログスペックは良いんだけど、故障が多かったらしい。俺は確実に動く隼の方に乗りたい。
なお防弾性能…まあ言い出したらキリがないですね。欧米の技術協力が途絶えた状態で独力でこの機体を開発できたのは、素直に凄いと思います。この時期の飛行機の進化は凄すぎて1年2年の差が致命的なのは勿論ですが、陸軍の疾風の整備性も保守部品が優先的に届いた部隊ではそう悪い物じゃなかった話もあるし、まだシーレーンが絶望的ではない時期、生産性の悪いゼロ戦を早いうちに機種転換出来ていればなぁと思います。
「雷電」で露呈したが、堀越は胴体設計に関してはまるでセンスが無かった。 というかもともと堀越は計算屋であって、実際に図面を書く作業を製図工にに丸投げしていたことが、詰めの甘さに繋がっていた。 これは当時の日本の工業界に蔓延っていた悪習と言っても良い。 とにかく色々デリケートな部分が多い航空機の場合、設計主務者がどこまで細部に拘るか、というのは重要なこと。特にこの時代は。 やはり欧米の著名な設計者は、自ら図面を書きまくる方が殆どだ。 そういう作業をする事で、本当に合理的な設計が出来るものらしい。 「烈婦」の図面を見ていて、何とも引き締まりの悪さを感じてしまうのは、海軍の過剰な要求のせいばかりではないと思う。
公試運転にも合格してないハ43を使わせろと要求する三菱の方が頭がおかしいだけ ハ45で紫電改や疾風は600キロを超える速度を出してるんだから堀越二郎と三菱技術陣の限界は零戦までだった
日本ってこういう武器に関してモノを要求するんだけど、その屋台骨の基礎のキを支える物にはお金をかけなかったのがこういう飛行機の性能を悪くした要因と思う。 ガソリンのオクタン価、整備に必要な油、エンジンオイル、通信機用の真空管、金属開発・・・そういう基礎技術開発を怠った気がする。 オクタン価や油はハ42~45の性能低下を招いたし真空管は量産性だけ追ったおかげで八木宇田アンテナ採用できなかったし、金属開発ではターボチャージャーが不安定だった。 (ハ42=飛竜のエンジンで火星の18気筒化エンジン、ハ43=金星の18気筒化エンジン、ハ44=ハ109の18気筒化エンジン、ハ45=誉、栄の18気筒化エンジン) もう一つ言えば、疾風は初めからハ45ありきで設計した機体、烈風はハ43で設計したのに、途中でハ45に変えた機体。性能が発揮できるはずはないと思う。 紫電がダメで紫電改が良かったのは改という割に全面的に機体設計をハ45ありきで変えたと思う。あれ、紫電21型なんだけど、エンジンは誉1xから誉2xに変えているw
あなたみたいな拾った情報でyoutubeする人をもっと応援したいです This looks like a fake.👎
米軍からの評価が高い疾風ですが、ビルマで戦った飛行第64戦隊の空中勤務者からは稼働率が低く機体の挙動が重いから対戦闘機戦では扱いづらいとされ、隼II型やIII型甲の方が航続距離が長く敵に襲撃されてもヒラヒラと躱せると評価されてもいます。結局は扱う人次第なんでしょうね。
もっと〇〇なら、は意味のない話。 与えられた条件下で最善の結果を出せるものこそ、軍用品としての実力。 そういう意味では、疾風は日本軍最良の戦闘機ではったことは事実。
じゃあなにが「日本軍最良の戦闘機」なんだよ
@@シュペールエタンダール 相応の性能でちゃんと動いて必要な時に必要な数が揃ったという意味では、個人的には一式か零式じゃないですかね。 どちらかと言われると、用途とかの細かい所で変わってくるので何とも言えない。 要は「Best」な物なんて世の中にほとんどないってことです。
操縦者からは疾風は昇降舵が重いと言われていますが、あれの重さと機体強度や軽量化は無関係では? 「戦闘機は射撃する為の道具である」が小山技師長の根本理念で方向安定を強くしたのは射撃の座りを良くする為に重くしたと言ってますし 現に主翼の強度試験では危険荷重10.8Gでも破壊されず12Gまでかけても破壊されなかったので、これ以上ではバラストが崩れる恐れが あったので強度試験を中止しています、計画上の最大荷重6Gの2倍かけても壊れない頑丈な主翼を与えられています
この件を知りたいと思ってました。 強度試験の経緯をちょっと存じ上げないのですが、御説の数字が本当ならやはり他の戦闘機一般よりも荷重設定そのものが低いと思います。 通常、戦闘機の荷重倍数は「7G」でこれに設計安全率「1.8」を乗じて主翼の強度は「12.6G」にしている筈でこれは零戦や隼のように強度不足が言われる機体であっても数字は同じ。ちなみに7Gは人間の失神限界値です。 疾風の場合はこの「7G」を「6G」で設定していた可能性はあり、米軍のマニュアルによると旋回の荷重制限は「5G」になっているらしい。またこれとは別に、当時中島でテスパイをされていた吉澤鶴寿氏の証言があり、機体の過度な強度追求を避けるためには操縦者の急な操作を制限する必要がある。その意味で、昇降舵を重くすることを提案し採用された、と言う話があり、これはwikiにも載ってます。 特に陸軍機においては「隼」では急旋回時の強度不足、からの空中分解が課題となり。「鍾馗」においては同じく高速時の急な操作で水平スピンに陥る不意自転が課題となっていた。そのため「7G」という急な操作を見直す動きはあったとしても然程不自然ではないと思われるのですが…これは単なる臆測です。疾風のマニュアルがあればハッキリするかも
ゼロ戦が部隊での試験飛行で10Gを記録してしまい、機体よりも操縦者が色々な検査を受ける羽目になった・・・。という手記を読んだ記憶が有る・・・。 よって機体強度の為に操縦性を悪化させていたとは思えないですね・・・。
私が小学生で戦闘機を知るのは本かプラモデルしか無かった時代はとても不人気な機体で、短い翼とエンジン回りの大きさや胴体途中から急に細くなる形がカッコ悪いと言われていました。 やはり人気は零戦や疾風でしたが、私は雷電や鍾馗が大好きだったので変わり者扱いされていましたね。 今となっては懐かしい思い出です。
某戦雷では非常にお世話になってる。 気持ちよーく無双させてくれる。
計画だけでなく試作機まで完成していたので、震電、橘花と同じく「惜しい戦闘機」「間に合っていれば」と思わせる機体。 仮に実戦化された場合の評価様々あるけど「仮想戦記」では大活躍。それはそれで幸福だったのかもね。
【凄い機体だったの?】 機体自体はエンジン径に合わせたスマートなものだが、極めてオーソドックスで奇を衒(てら)ったものではない非常に「普通」。それが王道であり正解だったと言える。 私個人的な見解だが...この機体で素直に評価したくない部分がある。それは機首武装(12.7㎜又は20㎜機銃)で、エンジン馬力を吸収するため四翅(し)プロペラを装着したので機首武装のプロペラ同調が厳しかったこと。四式戦闘機「疾風」に対抗する連合国(米国&英国)軍戦闘機は、武装は全て主翼に収められ、胴体前部は防漏・防弾式燃料タンクに充てられていた。ソレに比べると少々旧式な感じがしないでもない。(←こう言う意味では、ドイツとソ連も機首武装に拘り過ぎて、日本以上に無茶なことをしているが...)
戦争が長引いて、五式戦車が実戦投入されていてもM26パーシングには歯が立たなかっただろうし、 烈風が実戦投入されていてもベアキャットが相手では悲惨な目に…
疾風のハ45エンジンが安定運用出来て、1万機も製造していたら、1944年の戦局は多少変わっていたかも。 でもハ45、海軍名称誉が何とか安定運用できるようになったのは終戦の年1945年なので遅すぎたし、五式戦闘機の方が重宝されたらしいしから上手くいかなかったのだろうな。 当時の日本航空技術の限界は、工作機械や金属材料に制限されていたのかも知れない。 現在の半導体製造のようなものではないか。 製造装置と半導体素材がないと高性能半導体は製造できないでしょう。
疾風と言うと稼働率云々が言われるけど、当時は他の日本機でも似たり寄ったりだった。 2000馬力級戦闘機として連合軍戦闘機として対抗し得る機体だったと思う。実際フィリピン戦線でも米軍機と互角の戦いをした。 でもプラモ界では何故か人気薄なんだよね~。「疾風のエースパイロット」と言われてもすぐに思いつかないからかも。 また紫電改と比べて343空等の派手さが無かったのも理由だと思う。
エンジン積載量❓燃料積載量のコト❓
震電と一緒で実機の写真が有って机上空論でないのがロマンを掻き立てられるよ。 現実には制式採用されてものせる空母は作戦行動は既に出来ず、搭乗員の熟練度は下がり、工場は空襲の標的になりで厳しかったでしょうねぇ。 性能的にヘルキャット並で優位は微妙でしたでしょうが、改造零戦よりは現場ではマシだったのかな。 後継機種の開発が出来なかった、開発力が低かったのがアメリカと戦うには厳しかった。
俺の親父は終戦時18で軍事工場で誉を作っていて、工作精度の悪さに屁奇癖していた。 絶対回らないエンジンを納めていた。
貴重な話しですね。 誉は、増産態勢になってから、シリンダー冷却フィンの簡略化や様々な仕様変更して、少しでも生産性を上げる努力をしました。 また、兵器の生産を管理する『軍需省』の生産ノルマは大変厳しく、生産現場は混乱。 また、多数の部品は下請け工場が生産してメーカーに納入していたが。 品質にバラツキが多く、更にメーカーの生産現場は混乱しており。 部品点数の多いエンジンは、生産に手間どっていたが。 不良部品の頻発で、更に量産現場は混乱。 飛燕どころか、日本の軍用航空機は首ナシ機が工場周辺に溢れていたのです。 また、誉エンジンは、当たり外れが激しい(粗製乱造で)ので。 ある戦隊の整備班では、パイロットが空輸してきた疾風を直ぐに、エンジンを下ろし、全部分解して不良個所を治した上で、再搭載する程でした。
個人的には日本機で疾風のスタイルが一番美しいと思う スラっと優雅に伸びた横からの眺めが最高
私は飛燕も好きでした、
ちょうど今プラモ作ってるからモチベ上がる
自分はガルパン初期放映当時にそれ繋がりでファインモールドの公式で初めて知ったので認知かなり遅いです。特徴的な主翼で外観カッコよくて一目惚れしました。 試製と11型、72と48合わせてプラモ6個買って全部作りました。 めっちゃカッコいい!!
異論ナシ。 なんだかんだ言われても。 610~650㎞/hを出せて、運動性能がマァマァで、急降下性能も800㎞/h程度出せて。 高度5000m6~7分で上がれた。 ハ-45の不調に泣かされた戦闘機だけどね。 整備さえしっかり出来れば、最低限の性能は発揮してくれたのも最近の資料では判明してるからね。 もう少し見直されても良い戦闘機。
後知恵で言えば、雷電があれほど遅延せずに1942年ごろに投入できてればなあと思わずにはいられない
14試。 順調に行けば17~18年に雷電が陸上基地専用機として配備予定でしたからね。 零戦の金星換装計画が最終的に頓挫したのも、雷電に期待したからなんだけど、、😢
雷撃機に転用すれば?
これ、陸軍の規定?の飛行場の長さでは無く爆撃機クラスの飛行場ならば問題なかったはず。
「烈風」という貝塚ひろし先生の作品で初めて知った機体ですが、漫画の連載開始も戦記漫画ブームの終わりの頃でしたね。
強いかどうかは一旦置いておいて、機体が巨大化した件は後々の汎用性を考えれば、結果論として時代に則した形だったのではないかと思います。 (すぐに終戦でその先を考える必要も無いとか技術的にどうだったかも一旦置いて) F8Fが高性能を誇りながら機体の小ささ・汎用性の低さで早晩戦力としては陳腐化し、逆に設計年数が古いにもかかわらず大型のF4Uがその汎用性の高さと大型な故に強力なエンジン載せ替えを許容できる寛容さがあって長年活躍したのを考えれば、別にそれを狙って設計したのでは無いと思いますが、後々レシプロ戦闘機が戦闘爆撃機化する時代の流れを考えて、汎用性・寛容性のある巨大な機体はあながち間違えでは無かった気がします。 ま、本当に後々が無かったのでこういったお話も今では「無駄な議論」ではありますが。
兵器は必要な時に必要な数がなければただのゴミ
まあ、肥満化した戦闘機でしたね。 零戦に金星を積んだ方が現実的でしたね。 「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトそのものが間違いでした。 想定すべき敵機は米軍機であり、零戦ではなかったのです。 零戦をライバル視した段階で既に終わってました。
終戦間際に実戦配備されても、F8Fには惨敗、F6Fにも苦戦しただろうね。
戦わないから、伝説でいられる。 ロマンだけの戦闘機😢。 戦後に、設計者の堀越二郎氏が『自画自賛』。 痛い戦闘機なんですよ。
この機材めちゃくちゃでかいんだよね 50年以上前に1/72スケールのプラモ作って零戦と並べてみたことがあるけど、絶対縮尺間違ってると思ったもん
肥満化した戦闘機なんですよね。 「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトを打ち出した段階で肥満化は決定してましたね。
@@大東亜解放神-d8p空技廠の試算した、零戦サイズの16試艦戦ならば、予定性能は確実だったと思います。 中島飛行機が大嫌いな、堀越二郎が三菱エンジンハ-43 、2200馬力の搭載にこだわったから無駄にデカイ機体になっている。 太い機体で設計したから重量が増える、増えた重量を130㎏/㎡翼面荷重に抑える為に、30㎡のデカイ主翼になるから。 速度は出ない。 そこまでムダな努力をして、結局は翼面荷重は150㎏/㎡。 しかも、この翼面荷重、実戦装備の防弾鋼板、防弾タンク、武装ナシでの数値と言われているから。 全部実装したら、170㎏/㎡程度に増大。 627㎞/hの速度も610㎞/hに落ちた可能性もある。 もちろん、6000m迄の上昇時間も8分程度に落ちただろう😰。 黙って、紫電改を生産した方がましだし、何なら、疾風の量産に海軍が協力した方が良い。 烈風は、堀越二郎の自己満です。
「日本万歳」 鍾馗は好きです。 迎撃戦闘機として運用は当然。 エンジン不調の多くは潤滑油や部品交換を短期間と規定すれば対応できた、気がする。 潤滑油は開戦前に密輸で貯めておくべき重要物資、たぶん。 航空用点火プラグは東京西部でも生産してたが工場で性能向上開発は皆無、の状況。 戦時中は分隊が警備し工場幹部と軍人が毎週宴会を開いてた、聞いた。 軍指定工場だから金も物資も潤沢で戦時中は良い暮らし「開発なんか知るかあーーー」 監視強化で品質向上。 通信機も戦前に密輸入するか電子材料を密輸入しておくべき事柄、と思う。 アメリカの不景気を考慮すれば通信機の密輸入が良い選択、たぶん。 燃料のオクタン価を言う人は多いけどガソリン改質はアメリカでも出来たばかり、 イギリスでさえアメリカに劣る燃料で戦争してた・・・らしい。 鍾馗整備の重要点は故障前の正直な整備と短期のエンジン完全分解整備、たぶん。 戦時中の整備は故障修理を優先され事前整備は後回しにされた、らしい。 つまり鍾馗の専門整備部隊が必要だった、と思う。 密輸通信機装備は重要。 速力増大、 排気タービン過給機は無理だろうから「排気ファン」を胴体両側面に採用する、 胴体より20センチ離してダクトを配置、中に排気管を入れファン回し、 ダクトの空気排出で推力増大を得る。当時の生産力で出来るのはこの程度・・・かも。 分解点検口以外の表面を漆塗装で滑らかにする、外板同士の隙間は植物樹脂で埋める。 空気抵抗減少で速度増大。 着陸速度の問題、 前翼の上部に排気吹き出し口を連ね高揚力を得て着陸速度を低くする。 離着陸時の視界狭さは水平着陸の習熟で対応する・・・かな? 武装、 12.7ミリ質量弾250発を4門・・・で良い、気がする。 胴体後部に使用済み潤滑油や高温重油の噴霧器を採用し爆撃機前方で噴霧、 視界不良やエンジン不調を強制する・・・と良いのでは? 煙幕と違い遠方から視認困難だから爆撃機は噴霧に侵入する、たぶん。 大馬力エンジンの不調発生、気がする・・・ 戦術として史実の大砲積むより良い考え、たぶん。 むろん編隊の一撃で逃げないと自分が墜落・・・ですね。
仮想戦記レベル。 妄想なら楽しい話し。 鍾馗の速度向上だけなら、排気ガスを利用した、推力式排気管で充分です。 漆塗り?。 飛行機1機に使うだけの漆は採取不能でしょう。 パテで隙間を埋めて、塗装をする手法は当時もしていました(全面ではないけど)。 実戦で、負荷を掛ければ、機体は軋みますからね。 パテと塗装の磨きの効果が期待できるのは最初だけです。 ガソリン、オイルの密輸?。 戦争開始直前まで、日本はアメリカから大量に、オイルやガソリン、消耗部品、機能部品。 様々な機器を普通に輸入してます。 ガソリンやオイル等は、一部では終戦まで在庫が残っていたほどです。 南方の油田地帯を掌握してからは、日本で消費しても余る程の原油を入手していましたから。 密輸の必要性は無いかな?。 問題は、輸送ロジスティックスの不足とシーレーン防衛力の欠如です。 日本海軍は、戦闘優先で、輸送船の護衛に実質的に無関心でした。 戦域を無駄に拡大したので、護衛に回せる艦艇すら最前線で使ってましたからね。 ニューギニアやソロモン諸島に手を出さず。 海上輸送の護衛に注力していれば、燃料で苦労しなくてすんだのです。 結論、最大の貿易国と戦争を決断した時点で日本の負けは確定なんですよ。 当時の知識人(政治家、大企業のトップ、軍人、技術者)アメリカの技術力と工業生産力を眼にした経験者は、アメリカとの戦争が開始された時『敗戦』を覚悟していたのです。 中島飛行機のオーナーである『中島知久平』は、開戦直後に、社員の前で訓示したと言われています。 『アメリカと戦争となった。この戦争は負ける‼️だが、戦争を決定した以上、我々は勝つ努力をしなくてはならない‼️』と、社員に公然と日本の敗戦を告げていました。 もちろん、軍用航空機の設計技術者は、アメリカの国力を熟知した知識人ですからね。 『勝てない戦争』と、認識してましたけどね。
@@三浦英則 「日本万歳」 もちろん空想や夢想です・・・楽しい。 平時から密輸して無いと戦時に困難・・ 重要資材は石油以前から数量制限らしい。 鍾馗の稼働率が高い戦闘機部隊がいた、 整備体制が優れてたから、と噂の記憶が。 日本は海から容易に攻撃可能・・・ だから最重要は本土防空戦力、たぶん。 防空戦闘機、つまり鍾馗と思う、です。 3000機生産し操縦員を訓練してから 開戦が空想戦記として納得する、です。 大量生産し整備で品質や稼働率は上がる。 南方油田は開戦1~2年大きく生産低下らしい・・・その間は備蓄で戦争、らしい。 勝敗は難しいです・・・ 真珠湾以後に海軍の90%戦力を インド洋制圧に投入したらどうなるか? イギリスは中東維持不能となる、かも? 日本はエンジン生産を拡大する・・・ インドの工業力で鍾馗の機体を生産。 4年間で鍾馗30000機生産し防空配備、 日本、フィリピン、台湾、東南アジア、 インド、アフリカ東岸・・・等で防空。 ゼロ戦とハヤブサを16000作る必要無い。 まあ全て空想・・・です。
烈風の外翼側は6.9度の上反角がつけられているけど内翼側は水平だから、内翼に下反角が付く逆ガル翼じゃないぞ
米軍仕様のエンジンオイルや燃料、電気系統部品に交換するだけで性能が大きく上がった日本機は多いと聞くなぁ。
有名な『疾風687㎞/h』『雷電670㎞/h』。 残念ながら、TAICの推定値です😅。 どちらも、エンジン不調で全開運転できませんでした。 また、よく『100オクタン価で飛行したら高い性能だった』と言われて来ましたが。 あるUA-camrの方が、鹵獲した疾風の胴体に記入されたアメリカ陸軍が記入した注意書きを解析して『92オクタン価ガソリンを容れること‼️』と記入されていて。 日本陸、海軍が誉エンジンに供給していた91オクタン価相当のガソリンでテストしていたのが判明してます。 アメリカ軍の諜報能力は極めて高く、日本軍の軍用航空機の詳細を、かなり詳しく把握していて。 疾風や雷電の速度は諜報活動で入手した『開発仕様書』を参考にした可能性があります。 疾風は、仕様書を作成する段階で680㎞/hとしていました。 また、雷電は11型で600㎞/h以上を計画しており。 アメリカ陸軍がフィリピンで鹵獲した機体は火星23型1870馬力になった雷電21型でしたから。 馬力増大から算出したものと思われます。 同じく、フィリピンで鹵獲した紫電11型も飛行すら実施してませんが。 最大速度は650㎞h以上とレポートに記載していますが。 この速度、川西が海軍にプレゼンした時の予定速度です😱。 情報ダダ漏れ😂
コンセプトなしに重戦闘機作っただけだから活躍できるはずがない。 高高度性能、品質のいい無線機、集団戦闘の訓練 これがないと重戦闘機は役に立たない。
「日本万歳」 それ陸海軍の首脳の方針「万能戦闘機を作れーーー」という大場課の脳細胞。
コンセプトはありましたよ。 欧州のBf109を凌駕する600㎞/h以上の戦闘機。 コンセプトだけは、明確です。 運用環境が駄目でしたけどね。 陸軍は海軍よりは海外を見てはいます。 海軍が古い3機編隊を基本としていたけど。 陸軍は、一応ドイツ式のロッテ編隊を採用(無線機がイマイチだから、日本陸軍流にアレンジしたけどね)。 高高度性能も、計画立案時点では普通ですよ。 アメリカ陸軍のB-17、24、29。 P-38、47が世界的に見てイレギュラーな存在なんですよ。 そもそも、陸軍の仮想敵はソ連だったんですから。 ご指摘どうり、確かに滅茶苦茶ですよ。 陸軍はソ連を意識して軍備。 海軍はアメリカを意識して軍備ですからね。 同じ国の軍隊が、別々の国と戦う研究をしてるんですから😩
この子を海軍が採用すればら雷電なんていらなかったんや。雷電の開発に堀越氏を取られないからゼロの後継も間に合ったかもしれない。でも史実通りに烈風が出てきてもF8Fには敵わなかっただろう。
さん。 よく言われるネタですが。 残念ながら、可能性はかなり絶望的なんですよ。 陸海軍の新型戦闘機の模擬空戦試験の際に。 隼、鍾馗、零戦11型が空戦したのですが。 零戦が圧勝したので。 隼も鍾馗も『零戦に及ばない』と判定されてしまってるので。 採用は絶望的なんですよ。 また、海軍は、戦闘機には20ミリ機銃の装備がデフォルトですから。 20ミリが装備できない鍾馗を、もしも採用するとしたらば。 主翼を再設計しなくてはなりません🤔。 鍾馗の主翼、薄いんですよ。 ホ-103(12,7ミリ)のサイズしか入らないのです。 40ミリも搭載しましたが。 あれは、機関砲と言うよりロケット弾に近いモノで、機関砲本体がコンパクトに設計出来たから搭載できてるだけなんです。 しかも、雷電の着陸速度150㎞/hでも『殺人機‼️』と騒いだ海軍パイロットが、実際の着陸速度が約200㎞/hと言われた鍾馗を操縦したら絶対に『こんな飛行機に乗れるか‼️』と大クレーム必至です😤。 逆に、陸軍は雷電に興味津々で欲しがってました。 陸軍のテストパイロットの評価も高かったのもあり、雷電21型が計画通りに630㎞/hの性能を出せて実用化できていればキ-65として採用するつもりでしたが、、、 テストが不調の連続だったことから。 自然消滅してます。 マァ、疾風の目処もたってましたからね。
@@三浦英則さん 陸軍が雷電を欲しがっていたということはないと思いますね。陸軍航空審査部きっての名パイロット荒蒔義嗣少佐は、海軍機も全部試乗した経験がある方ですが「二単とよく似た雷電なんてのは大した代物ではなかった気がする。」と戦後の回想記に記しておられますな。
@離人彷辺 記録に残っております。 キー65の番号も振ってます。 そちらの読んだ文献は何か知りませんが。 私の持つ雷電関連書籍では、陸軍航空審査部のパイロットが試乗して『鍾馗より操縦特性が良い、着陸も鍾馗より楽』と証言されています。 証言されたパイロットは、そちらがコメに書いた『荒巻少佐』本人です。
@@離人彷辺さん。 参考まで。昭和17年10月。陸海軍試作機互乗研究会を実施。 J2M1(火星13型、1450馬力)を海軍は出品。 陸軍は、鍾馗1型、飛燕、屠龍を出品。 雷電を試乗したのは、荒巻義次少佐。 『視界はよくないが、ずんぐりとした機体のわりに舵の釣り合いがとれていて、乗りにくい飛行機ではなく、全体として悪くない』と評価。 また『速度と旋回はJ2(雷電)がまさり、上昇力は二単1型が上』と判定。 着陸についても『二単より楽だった』と語った。 と、されています。 執筆者は、太平洋戦争の日本陸、海軍の軍用航空機の戦史を『当事者』から直接取材して執筆する事で有名な、渡辺洋二氏です。朝日ソノラマ文庫『雷電』、72ページの抜粋(一部、型式や呼び方を解りやすく改編しました😌) 余談、別な飛燕関連書籍では、この時の互乗会では、氏名不詳の海軍パイロットが、飛燕を高く評価していますね。 『三舵の釣り合いが良い、こんなに良くできた舵の戦闘機に初めて乗った』として、舵の効きに関して質問が上がり。 川崎の土井武夫技師が『胴体形状が影響しているかも知れない?』と、説明に苦労した話しがありますね。
最近帝国陸軍の戦闘機が評価されてきて嬉しい。子供の頃1/72スケールの各国の戦闘機のプラモをよく作ったが、鍾馗とメッサーシュミットMe109の主翼の小ささはとても印象に残った。
マ弾の炸薬量は僅かなもので、ラングーン空襲に来たB-24の機長の頭に炸裂したのに即死させられなかった程度の威力 空気信管だから貫通前に炸裂するし、敵機の燃料タンクから漏れたガソリンに引火させるのに有効なもの
無撃信管(空気信管)。 機械的信頼性が必要な機械式信管の不発に悩んだ技術者が。 信管が作動しないのに、炸裂した弾丸が一定数あった原因を調べたら、弾頭内部の僅かな空間にある空気の断熱圧縮で炸裂したことを発見。 実験を繰り返し、実用化させた。 当時は、不発が無い弾丸と称賛され、しかもコストが低いので生産現場からも称賛されたのだが。 ご指摘の様に、入射角度が浅いと。 機体表面で盛大に炸裂するだけで、アメリカ軍パイロットを『ビックリ😱』させるだけの弾丸でした。 盛大に炸裂するので『20ミリで撃たれた‼️』と度々、報告されていました。 20ミリで撃たれたと勘違いしたパイロットは全力で煙りを吹いて離脱しますから。 日本陸軍パイロットは『撃墜、撃破』と誤認していた可能性があります。 ホ-5にも採用されてますね。 この無撃信管。 イギリス空軍も独自に開発して採用したことがありましたが。 機体表面で炸裂して期待した威力が無いことから、通常の機械式信管に戻したと言われています。
@@三浦英則 英国は通常の機械式信管に戻したと言われています。と云うより、機械式を必死になって開発した・・・。と云う方が正確かも・・・
松本零士のマンガで40ミリ砲が出ていて、当時高校生のオイラは興奮した。
太平洋戦争初期の段階で600km出せ、射撃の座りも良い機体なのだから、もっと評価されて良いと思うんだけどな 陸軍のパイロットの軽戦重視思想、大口径機関砲の開発遅れ、等で評価が低いのが悔やまれる。 20mm以上の機関砲と一撃離脱戦法をマスターすればF6Fヘルキャットにも対抗できたのじゃないかと妄想しちゃいます
日本人より対戦したアメリカ軍の評価が高い戦闘機。 来日したドイツ空軍パイロットも試乗して絶賛しています。 飛行性能は日本陸軍の一部のパイロットから高く評価されているのですが(黒江少佐とか)。 不調の多いエンジン、旋回性能の悪さ、低速での飛行特性の悪さ、着陸速度の速さ(カタログでは150㎞/hだが、200㎞/h近い速度でアプローチしないと失速する危険性があった😰) 以上の理由で『殺人機』と嫌われました。 着陸速度が大きいのでニューギニアの急造飛行場での運用が厳しいとして、上の判断でニューギニアには配備されませんでした。 ニューギニア戦線では、何度も『キ-44を送れ‼️』と上申してるんですが。 代わりに補充されるのは隼2型で、落胆してます😑。 あと、発展性の無さですね。 極限まで絞った胴体と、極限まで薄くした主翼は武装強化が厳しく。 20ミリ機銃が装備出来ませんでした。
鍾馗と隼は、ほぼ同時期の開発スタート。 隼は、97戦の後継機として。 鍾馗は、欧州の戦闘機の性能を凌駕する高速戦闘機として。 ベンチマークは、Bf109E。 この性能を凌駕して600㎞/hを目指したのが鍾馗。 糸川技師の独自設計思想である、空冷エンジン接続部分から急激に絞り込む胴体設計と、水平尾翼を垂直尾翼より前方に出し、直線飛行の安定性とエレベーターの効きが全速度領域で良好になる独自レイアウトを採用している。 残念ながら、三舵の効きは良好だったが、直進安定性は不評であった。 15m/㎡の小さな主翼の採用で、旋回性能は日本戦闘機の中では劣悪ではあったが。 ロール性能は極めて高く、鹵獲した米軍の評価も高い。 また、14Gを超えても折れない主翼のお陰で急降下最大速度は疾風を凌駕する850㎞/hであり、日本戦闘機では飛燕の900㎞/hに次いで高い急降下性能を誇る。 また、小型の機体に1500馬力のエンジンを搭載したので5000mまで4分30秒と極めて上昇性能も良い。 最大速度も確実に600㎞/hを超えており、対戦したアメリカ陸軍戦闘機パイロットからの評価は極めて高い。 動画でホ-103を称賛しているが、対戦闘機はともかく、対爆撃機では『マ弾』を持ってしても不足であり。 乙型で40ミリ砲を搭載するが初速が低く、装弾数が実質6発しかなく高高度性能不足もあって一撃が限界であり、しかも超至近距離で射撃しなければ命中も困難であり。 使いこなせたパイロットは少ない。 20ミリホ-5の搭載も検討はされたようだが、高速を追及した薄い主翼にはホ-5は収まらず断念されている。 機首に装備できそうに見えるのだが、絞りが強く狭いので無理だったのかもしれない。 尚、マ弾は確かに炸裂弾なので威力は向上したが。 無撃信管(空気信管)は構造上、空気圧縮で起爆する信管なので。 機体表面で炸裂する事が多く、盛大に炸裂する割には威力が低い弾丸でした。 衝撃だけは凄まじいもので。 撃たれた米軍パイロットは『20ミリに撃たれた‼️😱』と恐怖を感じるほどでした。 こんな報告が多数あると言う事実から、マ弾は『びっくり弾』であり、貫徹威力が低い弾丸だったのです。
烈風は残念だが『駄作』だ。 自社製エンジンハ-43の搭載を前提とした大型の機体は、誉の馬力不足以前に、誉に対して重すぎるのです。 動画で指摘していないが、A7M1に搭載された誉は、強制冷却ファンが装備された『誉22型』であり、明確な資料がないが、冷却ファンの駆動の為にエンジン出力を喰われていたのは間違いない。 そもそも、誉を搭載した『疾風、紫電改』と比較した場合、疾風より700㎏重く、紫電改より400㎏重い。 その上で、冷却ファンに出力を喰われてるのだから。 570㎞/hしか出ないのは必然だ。 要するに、堀越二郎氏は、最初から『誉では絶対性能不足になる戦闘機』を設計したことになる。 堀越二郎氏は、戦後の書籍で『中島飛行機のエンジンに対する忌避』が大変強く、96艦戦での中島製の寿エンジンの不具合に振り回された経験と対応の悪さ。 そして、零戦の開発と改良中の中島の対応の悪さを嫌っており。 戦後に『零戦は金星にするべきだった』と公言して公然と中島批判をするほどに中島製エンジンを嫌っていた。 烈風が『誉』に不釣り合いに巨体になったのは翼面荷重指定以前に、堀越二郎氏がハ-43の搭載を前提とした機体を設計したからと断言しても良い。 さらに言えば、16試艦戦には、空技廠の『試案』が存在する。 翼面荷重は烈風と同様130㎏/㎡としているが。 サイズが小型なのです。 試案の16試は、機体サイズが零戦22型に近似しており、主翼面積は紫電改に近いものであり。 重量は3100㎏を想定していた。 勿論、搭載エンジンは試作中の誉での試案となる。 そして、求めている性能は17試烈風と同等である。 お気づきになるだろうか?。 この機体サイズと主翼面積は、疾風と紫電改に近似しているのです。 空技廠は、誉の馬力で達成可能な性能を計算した結果が、疾風と紫電改のサイズになる。 そう判断していたのがわかるだろう。 17試烈風も、空技廠の『試案』のサイズで設計していれば。 タイミング的には、紫電や紫電改の登場した時期に量産化に移せた可能性が非常に高いし、非力な『栄』で530~560㎞/hの速度性能を発揮した零戦を設計した堀越二郎氏の設計手腕を持ってすれば、馬力不足の誉であっても630~650㎞/hの『誉エンジン搭載の烈風』が誕生していただろう。 史実の17試烈風は、堀越二郎の『中島嫌い』と、長年の彼の望みである『三菱エンジン、三菱機体』によるオール三菱製戦闘機の実現の為だけに、誉に不釣り合いな巨大な機体として誕生したのが真実。 海軍との打ち合わせで『ハ-43』を最初から持ち出したのは『誉なんかでは絶対性能が出ない機体を設計してやる‼️』と言う、堀越二郎氏の伏線と捉えるべきだろう。 そして、三菱の自腹でハ-43に換装して一応は、予定性能をクリアして。 堀越二郎氏は歓喜したのたが、、、。 得られた性能は、誉21型が完調の紫電改の性能より少し良い程度。 さらに言えば、A7M2には、実戦装備が未装備であったとも言われており。 防弾装備や機銃を搭載した場合は610㎞/h程度に下がるとも伝わる。 そう、ハ-43を搭載しても烈風は、紫電改より低性能であり、量産化する価値はなかったのです。 誉21型は、終戦直前まで、性能改善努力が続いており。 1945年に入ってから、稼働率、馬力共々、改善傾向になっており。 皮肉な事に、A7M1がテスト飛行をした時期よりも、誉の馬力不足は改善しており。 A7M1に搭載された誉22型が実質的に1300馬力以下と堀越二郎氏がクレームを入れ中島飛行機の中川良一技師を糞味噌に叩いていたが。 その後に、中川氏の努力もあり。 実質的な馬力は1500~1600馬力(これでも2速予定出力の1700馬力には足りていないが😅)となっており。 この時期の紫電11型ですら、580㎞/hの速度が600㎞/hに改善。 紫電改も590㎞/hの速度が横空の実測値で610~620㎞/hを発揮。 疾風も、乙型の試作機で高度6000mで660㎞/hを出しており。 烈風の性能は、これら誉搭載の戦闘機と比較した場合。 2200馬力(2速1900馬力)のハ-43を搭載した割には低性能としか言えない。 とりあえず、予定性能をクリアしたので海軍も正式に採用はするのだが。 大量生産は紫電改と決定しており。 烈風の性能を改善したハ-43エンジンは、皮肉にも紫電改のエンジンに採用する計画となっており。 既に紫電改5型として試作機が完成。 試験飛行を待つだけになっていた。 紫電改5型の予定性能は、最大速度660㎞/h以上。 6000m迄5~6分以内。 海軍は、この性能が達成可能と見積もっており。 烈風には全く期待をしていない。 残念ながら、紫電改5型は試験飛行直前で空襲で焼失😢。 性能は未確認だが。 烈風の性能向上数値から予測すれば、最大速度は660㎞/h以上は確実だろうし、6000m迄の上昇性能も5分台を発揮しただろう。 堀越二郎氏は、最初から、空技廠の試案の仕様で設計するべきだったのです。
こんなくだらん動画見て日本の戦闘機がが素晴らしいかったと思う奴はあほでしかないんごねえ…… そんなあほばかりしかいなかったから勝てない戦争はじめてボロボロに負けたンゴ…
否定だけでなく、冷静に中立的に検証する必要はある。 真実を知らずに『称賛』するのは愚の骨頂ですね。 でも、戦争世代が鬼籍に入ってしまった現代において。 この手の動画から、かつての戦争時代に興味を持ち。 勉強する切っ掛けにはなるのではないかな?。 学校では基本的に戦争当時の教育は不完全だし、近代史より原始時代と戦国時代しか教えないからね。 この手の動画は必要ではあるよ、勉強の意味でね。
推力式単排気管にすれば30キロは速くなった。 無理して四式戦を開発する必要はなかったんだよ。
最初はキ-44三型として計画。 その最中、小型で1800馬力のハ-45(誉)が完成間近となり。 キ-44三型の計画を改訂して、キ-84として新規設計が開始される。 戦訓を採り入れ、隼に匹敵する航続性能と隼に近い運動性能。 それと鍾馗を凌駕する680㎞/hを実現するにはキ-44三型では不適切とされた訳です。 その後、陸軍の要求を採り入れた結果、最大速度660㎞/hと20ミリ機銃の装備した戦闘機として開発が進行した訳です。 ご指摘のように、鍾馗にはまだ少し性能向上の余地はありました。 単排気管の採用だけで最大速度は確実に15~20㎞/hは向上可能でしたからね。 残念です。