小野澤秀典さん『あなたのヨット人生、聴かせてください』

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  • Опубліковано 6 вер 2024
  • 小野澤秀典(おのざわ・ひでみち)さん略歴
     ➡ 1949年7月14日、群馬県富岡市生まれ。香川県高松市在住。
    【大学でヨットと出合い、ヤマハ発動機に就職】
     横浜市立大学在学中はヨット部で活動し、卒業後の1972年にヤマハ発動機に入社。四国支店を皮切りに九州支店、本社ほかでヨットの普及、販売活動に注力した。
     その後、ヤマハジュニアヨットスクールを立ち上げ、ヤマハヨット教室を100カ所で開設・運営し、メルボルン~大阪ダブルハンドレース、オークランド~福岡レース、ミキモトジャパンカップ、丸井・オニールワールドボードセーリング大会、下田国際カジキ釣り大会など数々のビッグイベントを担当、いずれも成功に導く。
    【海洋普及室から、アメリカズカップへ】
     1988年にはヤマハ発動機から出向してニッポンチャレンジアメリカ杯1992に参加。ジェネラルマネジャーとしてキャンペーンを支えた。初挑戦ながら、チームは挑戦者シリーズ セミファイナルまで戦った。
    【ウィットブレッド世界一周レース〈YAMAHA〉の国内宣伝】
     1992年5月にヤマハ発動機に復職。国内プロモーションを担当したW60クラス〈YAMAHA〉は、ウィットブレッド世界一周レースでクラス優勝した。
    【日本楽器➡ハーバーマスター➡ヨット部門責任者➡YBM支配人へ】
     1993年からヤマハ(株)(旧・日本楽器)に出向、1995年からマリーナ河芸に出向、1997年にヤマハ発動機 海洋普及課長兼ヨット課長に就任。ヤマハレンタルボートクラブ開設、ヤマハヨットの製造・販売管理、ジャノー(フランス)の輸入などを担当した。
     1999年、(株)横浜ベイサイドマリーナに支配人として出向。
    【新しいボートショーを企画】
     2005年、(社)日本舟艇工業会に出向し、幕張、横浜、西宮で開催されたボートショーを4年間仕切った。
    【瀬戸内海でBAN、海の駅をコーディネート】
     2009年、ヤマハ発動機を定年退職。日本舟艇工業会の嘱託社員としてコンサルタント業務に従事する一方で、NPO海の駅ネットワークの四国地区エリアコーディネーターとなる。
     2014年から日本海洋レジャー安全・振興協会 救助事業部BAN業務に従事し、現在に至る。
    【第2のふるさと高松へ】
     高松に移住後、ふたたび香川県ヨット連盟理事に就任。2010年、ジュニアヨットクラブ「B&G高松海洋クラブ」を立ち上げ、初代代表となる。2024年現在、現役で指導を続けながら、ハンザ級による障がい者セーリングにも注力している。
    ■ヨット関連の主な役職:香川県ヨット連盟理事(退任後、再就任)、福岡県ヨット協会常任理事(退任)、日本少年ヨット連盟理事、日本ジュニアヨットクラブ連盟常務理事、神奈川県セーリング連盟副理事(退任)、日本セーリング連盟評議員(退任)、日本セーリング連盟障がい者セーリング委員会委員。
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    撮影データ
    日時:2023.12.29
    場所:マリンウェアショップ FEET WET
    聞き手/編集:森下嘉樹(B&G高松海洋クラブ) 
    ©2024 B&G TAKAMATSU sailing club

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