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当時は空席がないほどの混雑。今は想像もできないような光景・・・。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。自然災害の影響も勿論あるのでしょうが、今はやはり昔ほどの利用客がいないのですね・・・
昭和ではないんですが、90年から98年頃によく大井川に行っていました。SSEと6050・1906はもう千頭に留置で、その頃千頭駅が建替わりましたが、311Fも結構重連運転には使用されていました。94年頃から関西カルダン車が増え始め吊り掛け重連は激減でしたが、夏休みと紅葉時期はまだまだ重連でしたね。他の方も書かれていますが97年?だったかしらさぎと1000重連がトンネルで脱線、1000廃車は悲しかったです。98年夏、311Fさよなら運転に際し、車内に写真展示を飾らせていただきました。飾り付けに新金谷区に入り、運転台も見学できたのは良い思い出です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。311Fは増結無しの孤高?と考えたのは完全に私の早合点でした。南海や近鉄車などが入ってきているのに吊り掛け車が残っていた、という過渡期があったのですね。そしてその頃撮影された写真を311Fさよなら運転時に展示されたというのは貴重なご体験だと思います。
沿線に子供の頃から住んでます父が大鉄で運転士をしてました311編成はしらさぎや名鉄3800と組んで走っていた事がありました父から聞いたことがあるのですが基本的に増結に制限は無いそうですがしらさぎは他の車両より軽かったので増結時の制動には気を使っていたそうです実際しらさぎと元伊豆箱根1000系と組んだ時に脱線事故を起こしています
いつもご視聴、コメントありがとうございます。お父様が大鉄の運転士をされていたのですね! 311編成は、たまたま私が訪問した際に増結が無かったというだけで、孤高などと早とちりしました(汗)。しらさぎ号は、アルミ車体だけあって、やはり軽かったのですね。
この頃に比べると大井川鐡道は随分勢いが無くなってしまいましたね災害で区間運休になっているせいもありますが、普通列車が数えるほどまで減便されて、実質観光客しか「乗れない」鉄道になってしまいました今でも車両バラエティは豊富ですが、増結するほどの乗客もいなければそもそも列車も車両も無いので長編成を組む賑やかな光景は二度と見る事が出来なさそうです
いつもご視聴、コメントありがとうございます。大幅減便により地元の足としてはほとんど機能できていないこと、観光需要に対しても増結4両は二度と見られそうもないこと・・・いずれも本当に残念です。
こんにちは。元北陸鉄道のしらさぎ号の走行シーンをこれだけ長く見せてくれるのは他にはないのではないでしょうか。若い頃は中途半端に近代化された低性能な電車にしか見えなかったのですが、その少し不遇だった生い立ちと、釣り掛けモーターだからいつまでも生きながらえることが出来たことなどを知ると、とても魅力的です。子供の頃筑豊電鉄や西鉄北九州市内線には良く乗っていました。釣り掛けモーターのウォンウォン・・の音も聞き飽きていましたが、自分も貴重な体験をしていたんだと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。他の方のコメントへの返信に書きましたが「しらさぎ号」は当時考えられた「未来的」な車輛だったと思いますが、それは車体に留まっており、足回りは旧型車の流用だったんですよね。ただ仰るように、そこがまた魅力でもありますね。
元北陸鉄道車両カッコいいですね。金沢転勤時代に数回内灘まで往復乗車したことありますが、この車両だったか記憶が… 湘南顔もイイですが、なぜか子供の頃から貫通扉の顔が好きでした😃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。元北陸鉄道の「しらさぎ」号の車輛は、アルミという鈍い輝きの新素材を纏っていたというだけでなく、前頭部の造形、車体の配色、そして幌の色に至るまで、トータルで見て本当にセンスの良いデザインだったと思います。
しらさぎの運転手さん、ノリがいいですねwやっぱり名鉄上がりの古豪は違いますね~増結になるとツーマンになるんですね!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。「しらさぎ」のバック運転?にはちょっと吃驚しました。8月の行楽シーズンだったからだと思いますが2+2の4両編成が多くみられました。ただ「不揃い」ばかりで、揃った4両も可能だったと思われるのに何故かお目にかかれませんでした。
現在 西武351系電車は横瀬で先頭車 1両が保存されています
いつもご視聴、コメントありがとうございます。横瀬駅に行けば、会えるのですね!
しらさぎ号は本で見て以来一度本物を見てみたい…でも叶わないんだよな…と思っていた車両だったので、北陸に里帰りして保存されてるのを知ってとても嬉しかったです、実物は今の鉄道には無いタイプの格好良さがありました!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。「今の鉄道には無いタイプの恰好良さ」というのは全く同感です。素材選びにしても、細部の造形にしても、そこに感じられるのは「未来に大きな希望が抱けた昭和時代」に想像・創造された「未来感」だと思います。
この北陸鉄道車両は1両は千頭駅で倉庫代わりに一時期使ってましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。倉庫として活用されていたことがあったとは知りませんでした。
この当時、良く大井川鉄道に乗りに行ったのを覚えています。しらさぎ・あかいしの旧北陸鉄道組や最大3本有った元名鉄3800が当たる場合が多く、逆に元西武の371や351には乗れずじまいでした。こちらの動画を見るにつけ、当時の大鉄の車両は綺麗に整備されていたのを、今更ながら痛感します。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。本当に古豪車輛も含めて奇麗に整備されていましたよね。私が訪問時は、「あかいし」+元小田急1900形は稼働しておらず、新金谷駅に留置されているのを遠くから見ただけに終わりました。せめて近付いて車体をじっくり眺めればよかったと後悔しております。
@@昭和電車チャンネル 様私の場合、不思議と現役時代のあかいしに良く当たりました。GW等の急行運用時には6000だけで捌き切れず、普段牽引車扱いの1906まで解放し立ち席で一杯になった事も。有料急行(と言っても確か当時100円…)なのに、小田急時代そのままの1906と観光用の6000との落差の激しさが際立つ結果に。連結されていたあかいしの展望席にて、友人と共に痛感した覚えが今も残ります。
新金谷に留置中の小田急1900形も当時はいましたが、最後まで6050形と3両で運転されてました。SE車も連接構造が禍して大井川鉄道の線区に似合わなかったのか早めに休車になったのが残念です。この時点で錆が結構出てていつ解体されてもおかしくなかった状態です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。「あかいし」号の元北鉄の車輛は、昇圧されなかったため自走できず、元小田急1900形から離れられなかったと思います。SSE車は5両では輸送力過多なので3両化しようとしたものの、上手くいかなかったようです。
編成組めない車両、難しいですね。西武系車両、まるで多摩湖線みたいです。岳南の日本車両標準形、これも懐かしいです。このあと、近鉄の6421系、16000系が入線しました。大鉄の顧問白井さんはパノラマカーの開発車ですが、近鉄電車を評価していて、近鉄電車入線になったと思います。大井川鉄道もずいぶん変わってしまいました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。連結機構や制御上など技術的な理由で編成が組めなかったのか、或いは単に私が訪問時に2両のみの運用だったのか、残念ながら判っておりません。西武多摩湖電というと、書籍等で見た牧歌的な昭和30年頃の萩山駅の写真を思い出します。私は残念ながら雑多な車輛が居た頃の岳南は訪問しておりません。
古豪車両に混ざる西武351が、まるで新型の様に錯覚します。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。たしかに! 大井川鉄道では、古豪も含めて車輛がどれも奇麗に整備されていましたね。
この頃の大井川鐵道って、SLだけでなく、電車も魅力満載だった。とにかく雑多だった。都会では懐かしくなった電車などのオンパレードだった。80年代中頃、保育社から私鉄の車両シリーズという一冊千円の本(当時としては高価だったような)のが刊行されていたが、大手私鉄だけでなく、富山地鉄や関東鉄道、広電など、車両の種類が豊富な地方の会社もラインナップされていた。その中に大井川鐵道も含まれていた。かなり個性的でバラエティに富んだ車両が揃っていたかが分かる。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私は蒸気機関車に親しんだ世代ではないのでSL列車にはあまり懐かしさは覚えず、もっぱらバラエティに富んだ電車が目当てで訪問しました。当時買った保育社のシリーズ(といって大井川鉄道, 広電, 西鉄など一部ですが)は、今でも車輛情報の参考文献として重宝しています。
しかも 元西武山口線で活躍したおとぎ列車があるじゃないですかの機関車があるじゃないですか
はい、本動画にちらっと写っています。このナロー車輛の映像はもう少しありまして、別の機会に紹介する予定です。
これだけ寄せ集めて来れば、不揃いと言うよりそこにあるだけで貴重ですよね。でもちゃんと揃ってるようにも見えるのは気のせいでしょうか😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。元西武の「湘南顔」と、元名鉄の車輛は、それぞれ2両編成が2本づつ居たのですが、私が訪問した際には、何故か同形式同士の4両編成が組まれていませんでした。
どれもカッコイイ車両が増結されて不揃いがプラスされててたまらんよ、芸術だね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。不揃いの美学は、ここでも花開いておりました。
画一されて無い美しさここに極まれりって感じだね
訂正、武骨でエアコンも無い昭和の電車はよかですね🎉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。リベットが目立つ外観、ニスの匂いに包まれた木の床、窓全開で受ける風、昭和の電車は最高でした!
正面サボの文字が消えかかっていても平然と使っているのは大したものです(笑)でももしかしたら画像が粗くてよく読めないだけなのかも。孤高の2両編成は、構造上他編成と組めないのかしら?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。あの多角性の色褪せた青いサボが、なんとも言えない昭和時代の地方私鉄の味を出していると感じます。孤高の2両が、連結機構や制御上の制約から他と編成を組めないのか、それとも単に私が訪問時に2両のみの運用だったのか、私にはわかりませんでした。
片開き 3ドア なのに真ん中にもう一つ ドアがないもしかして 改造された?
はい。311+511は3ドアで入線した後に改造されました。312+512と313+513は西武所沢工場で改造後に入線しました。よく見ると窓が1ヶ所狭いです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。解説いただき恐縮です。
車両をもう少し大切に扱ってほしいよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。大井川鉄道では稼働車輛は大変奇麗に整備されていましたので、「大切に」というのは、末永く走らせて欲しい、という意味と理解しました。
無骨
元西武351系は、クモハ17mでサハは20mで、かなりチグハグ編成でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そうなのですね。私の地元の小田急では、2400形がやはり先頭車と中間車とで車輛長が異なりました。
当時は空席がないほどの混雑。今は想像もできないような光景・・・。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
自然災害の影響も勿論あるのでしょうが、今はやはり昔ほどの利用客がいないのですね・・・
昭和ではないんですが、90年から98年頃によく大井川に行っていました。SSEと6050・1906はもう千頭に留置で、その頃千頭駅が建替わりましたが、311Fも結構重連運転には使用されていました。94年頃から関西カルダン車が増え始め吊り掛け重連は激減でしたが、夏休みと紅葉時期はまだまだ重連でしたね。他の方も書かれていますが97年?だったかしらさぎと1000重連がトンネルで脱線、1000廃車は悲しかったです。98年夏、311Fさよなら運転に際し、車内に写真展示を飾らせていただきました。飾り付けに新金谷区に入り、運転台も見学できたのは良い思い出です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
311Fは増結無しの孤高?と考えたのは完全に私の早合点でした。南海や近鉄車などが入ってきているのに吊り掛け車が残っていた、という過渡期があったのですね。そしてその頃撮影された写真を311Fさよなら運転時に展示されたというのは貴重なご体験だと思います。
沿線に子供の頃から住んでます
父が大鉄で運転士をしてました
311編成はしらさぎや名鉄3800と組んで走っていた事がありました
父から聞いたことがあるのですが基本的に増結に制限は無いそうですが
しらさぎは他の車両より軽かったので増結時の制動には気を使っていたそうです
実際しらさぎと元伊豆箱根1000系と組んだ時に脱線事故を起こしています
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
お父様が大鉄の運転士をされていたのですね! 311編成は、たまたま私が訪問した際に増結が無かったというだけで、孤高などと早とちりしました(汗)。しらさぎ号は、アルミ車体だけあって、やはり軽かったのですね。
この頃に比べると大井川鐡道は随分勢いが無くなってしまいましたね
災害で区間運休になっているせいもありますが、普通列車が数えるほどまで減便されて、実質観光客しか「乗れない」鉄道になってしまいました
今でも車両バラエティは豊富ですが、増結するほどの乗客もいなければそもそも列車も車両も無いので長編成を組む賑やかな光景は二度と見る事が出来なさそうです
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
大幅減便により地元の足としてはほとんど機能できていないこと、観光需要に対しても増結4両は二度と見られそうもないこと・・・いずれも本当に残念です。
こんにちは。元北陸鉄道のしらさぎ号の走行シーンをこれだけ長く見せてくれるのは他にはないのではないでしょうか。
若い頃は中途半端に近代化された低性能な電車にしか見えなかったのですが、その少し不遇だった生い立ちと、釣り掛けモーターだからいつまでも生きながらえることが出来たことなどを知ると、とても魅力的です。
子供の頃筑豊電鉄や西鉄北九州市内線には良く乗っていました。釣り掛けモーターのウォンウォン・・の音も聞き飽きていましたが、自分も貴重な体験をしていたんだと思います。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
他の方のコメントへの返信に書きましたが「しらさぎ号」は当時考えられた「未来的」な車輛だったと思いますが、それは車体に留まっており、足回りは旧型車の流用だったんですよね。ただ仰るように、そこがまた魅力でもありますね。
元北陸鉄道車両カッコいいですね。金沢転勤時代に数回内灘まで往復乗車したことありますが、この車両だったか記憶が… 湘南顔もイイですが、なぜか子供の頃から貫通扉の顔が好きでした😃
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
元北陸鉄道の「しらさぎ」号の車輛は、アルミという鈍い輝きの新素材を纏っていたというだけでなく、前頭部の造形、車体の配色、そして幌の色に至るまで、トータルで見て本当にセンスの良いデザインだったと思います。
しらさぎの運転手さん、ノリがいいですねw
やっぱり名鉄上がりの古豪は違いますね~
増結になるとツーマンになるんですね!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
「しらさぎ」のバック運転?にはちょっと吃驚しました。8月の行楽シーズンだったからだと思いますが2+2の4両編成が多くみられました。ただ「不揃い」ばかりで、揃った4両も可能だったと思われるのに何故かお目にかかれませんでした。
現在 西武351系電車は横瀬で先頭車 1両が保存されています
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
横瀬駅に行けば、会えるのですね!
しらさぎ号は本で見て以来一度本物を見てみたい…でも叶わないんだよな…と思っていた車両だったので、北陸に里帰りして保存されてるのを知ってとても嬉しかったです、実物は今の鉄道には無いタイプの格好良さがありました!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
「今の鉄道には無いタイプの恰好良さ」というのは全く同感です。素材選びにしても、細部の造形にしても、そこに感じられるのは「未来に大きな希望が抱けた昭和時代」に想像・創造された「未来感」だと思います。
この北陸鉄道車両は1両は千頭駅で倉庫代わりに一時期使ってましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
倉庫として活用されていたことがあったとは知りませんでした。
この当時、良く大井川鉄道に乗りに行ったのを覚えています。
しらさぎ・あかいしの旧北陸鉄道組や最大3本有った元名鉄3800が当たる場合が多く、逆に元西武の371や351には乗れずじまいでした。
こちらの動画を見るにつけ、当時の大鉄の車両は綺麗に整備されていたのを、今更ながら痛感します。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
本当に古豪車輛も含めて奇麗に整備されていましたよね。私が訪問時は、「あかいし」+元小田急1900形は稼働しておらず、新金谷駅に留置されているのを遠くから見ただけに終わりました。せめて近付いて車体をじっくり眺めればよかったと後悔しております。
@@昭和電車チャンネル 様
私の場合、不思議と現役時代のあかいしに良く当たりました。
GW等の急行運用時には6000だけで捌き切れず、普段牽引車扱いの1906まで解放し立ち席で一杯になった事も。
有料急行(と言っても確か当時100円…)なのに、小田急時代そのままの1906と観光用の6000との落差の激しさが際立つ結果に。
連結されていたあかいしの展望席にて、
友人と共に痛感した覚えが今も残ります。
新金谷に留置中の小田急1900形も当時はいましたが、最後まで6050形と3両で運転されてました。SE車も連接構造が禍して大井川鉄道の線区に似合わなかったのか早めに休車になったのが残念です。この時点で錆が結構出てていつ解体されてもおかしくなかった状態です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
「あかいし」号の元北鉄の車輛は、昇圧されなかったため自走できず、元小田急1900形から離れられなかったと思います。SSE車は5両では輸送力過多なので3両化しようとしたものの、上手くいかなかったようです。
編成組めない車両、難しいですね。
西武系車両、まるで多摩湖線みたいです。
岳南の日本車両標準形、これも懐かしいです。
このあと、近鉄の6421系、16000系が入線しました。大鉄の顧問白井さんはパノラマカーの開発車ですが、近鉄電車を評価していて、近鉄電車入線になったと思います。
大井川鉄道もずいぶん変わってしまいました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
連結機構や制御上など技術的な理由で編成が組めなかったのか、或いは単に私が訪問時に2両のみの運用だったのか、残念ながら判っておりません。西武多摩湖電というと、書籍等で見た牧歌的な昭和30年頃の萩山駅の写真を思い出します。私は残念ながら雑多な車輛が居た頃の岳南は訪問しておりません。
古豪車両に混ざる西武351が、まるで新型の様に錯覚します。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
たしかに! 大井川鉄道では、古豪も含めて車輛がどれも奇麗に整備されていましたね。
この頃の大井川鐵道って、SLだけでなく、電車も魅力満載だった。とにかく雑多だった。都会では懐かしくなった電車などのオンパレードだった。80年代中頃、保育社から私鉄の車両シリーズという一冊千円の本(当時としては高価だったような)のが刊行されていたが、大手私鉄だけでなく、富山地鉄や関東鉄道、広電など、車両の種類が豊富な地方の会社もラインナップされていた。その中に大井川鐵道も含まれていた。かなり個性的でバラエティに富んだ車両が揃っていたかが分かる。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私は蒸気機関車に親しんだ世代ではないのでSL列車にはあまり懐かしさは覚えず、もっぱらバラエティに富んだ電車が目当てで訪問しました。当時買った保育社のシリーズ(といって大井川鉄道, 広電, 西鉄など一部ですが)は、今でも車輛情報の参考文献として重宝しています。
しかも 元西武山口線で活躍したおとぎ列車があるじゃないですかの機関車があるじゃないですか
はい、本動画にちらっと写っています。
このナロー車輛の映像はもう少しありまして、別の機会に紹介する予定です。
これだけ寄せ集めて来れば、不揃いと言うよりそこにあるだけで貴重ですよね。でもちゃんと揃ってるようにも見えるのは気のせいでしょうか😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
元西武の「湘南顔」と、元名鉄の車輛は、それぞれ2両編成が2本づつ居たのですが、私が訪問した際には、何故か同形式同士の4両編成が組まれていませんでした。
どれもカッコイイ車両が増結されて不揃いがプラスされててたまらんよ、芸術だね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
不揃いの美学は、ここでも花開いておりました。
画一されて無い美しさここに極まれりって感じだね
訂正、武骨でエアコンも無い昭和の電車はよかですね🎉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
リベットが目立つ外観、ニスの匂いに包まれた木の床、窓全開で受ける風、昭和の電車は最高でした!
正面サボの文字が消えかかっていても平然と使っているのは大したものです(笑)でももしかしたら画像が粗くてよく読めないだけなのかも。
孤高の2両編成は、構造上他編成と組めないのかしら?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
あの多角性の色褪せた青いサボが、なんとも言えない昭和時代の地方私鉄の味を出していると感じます。孤高の2両が、連結機構や制御上の制約から他と編成を組めないのか、それとも単に私が訪問時に2両のみの運用だったのか、私にはわかりませんでした。
片開き 3ドア なのに真ん中にもう一つ ドアがないもしかして 改造された?
はい。311+511は3ドアで入線した後に改造されました。312+512と313+513は西武所沢工場で改造後に入線しました。よく見ると窓が1ヶ所狭いです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
解説いただき恐縮です。
車両をもう少し大切に扱ってほしいよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
大井川鉄道では稼働車輛は大変奇麗に整備されていましたので、「大切に」というのは、末永く走らせて欲しい、という意味と理解しました。
無骨
元西武351系は、クモハ17mでサハは20mで、かなりチグハグ編成でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そうなのですね。私の地元の小田急では、2400形がやはり先頭車と中間車とで車輛長が異なりました。