Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
目次0:00 テーマ「大事な人とその死に向き合う」1:26 今でも後悔が残る私の話4:21 大事な人の死が近づいた時に1番すべきこと6:27 向き合うための具体的な方法11:05 あなたに伝えたいメッセージ【関連動画】ACP-アドバンスケア・プランニングの再生リストua-cam.com/play/PLvu73kfsVMDYhBntZ6cPBtljipBRtTJxh.html
一昨日、姉を看取りました。ドクタートッシュの話をたくさん聞いていたので、取り乱す事なく、今は安堵しています。今週末のお葬式で感謝の気持ちを伝えてしばしのお別れをして来ます。もう苦しみのない、暖かい素晴らしい世界に旅立て居ると確信しています。先生ありがとうございました。
母が終末期です。本人に告げるべきか、どう言えば良いかで眠れないほど苦しいです。先生の動画を色々と見せて頂きました。言いたくないという私の気持ちは私の問題であって、母の方を見ていない、向き合ってないのだと気付きました。月曜にACPをしたいと医師に伝えようと思います。母はショックかもしれませんが、私達が支えると覚悟をしました。ありがとうございます。
今父は入院中です 今日主治医からいつ急変するかわからないと言われました ただコロナで直接会うことができず無菌室にいるため電話もできません 主治医は今の状態は本人にはなしてませんとおっしゃってました。父の気持ちが聞けずモヤモヤしています家族の気持ちは主治医に話してきました 父の残された時間は父の大切な時間です 有意義な最後を過ごして欲しいと思ってます顔を見て話せないって辛いですね
コメントありがとうございます。そのモヤモヤする気持ちはよく分かります。最近はiPadなどを使って、患者さんとご家族がお話できるようにしている病院は増えてきています。これは私からの提案ですが、病院に、お父さんと何らかの手段で話ができるように交渉してみることはどうでしょうか。大変かもしれませんが、ご家族が動くことで変わることも多いです。お父さんのためにも頑張ってみて下さい。
もし、できるなら自宅で診てあげれたらいいと思います。父は末期癌で自宅で看取りしてましたが癌周辺で炎症をおこし回復の兆しがなく酸素と点滴治療しか出来なく、せん妄が進み、飲食も出来なくなっていたので面会も出来ないので自宅で看取りしました。入院前は、飲食も会話も出来てたのに入院中に別人のように悪化してました。水も飲む事が出来ないが少しでも飲食してほしくアイスや氷など少しだけですが食べれて一口、二口でも美味しいって顔で表現してくれました。調子がよければ少し会話出来たので自宅で最後まで看取れたからよかったです。訪問介護を利用してたので精神的に救われました。コロナで家族と会えないまま一人で過さすのは悲しすぎます。いろんな状況があるので無理のない程度で頑張ってください。父は、退院して一週間ももたなかった。まだまだ大丈夫だと思っていましたが
@@しろっぷしろっぷ-o3z さんコメントありがとうございます以前 元気な時は死ぬなら家でがいいなぁと言ってたんです(雑談で) どうも最近 帰ったらお母さんに迷惑がかかるのでこのまま病院にいたいと電話があったようなんですとても心が痛くなりました本心なのか 迷惑かけたくないからなのか言うてるだけなのか…きっと後者だと思うのですが あと一歩踏み込んだ意思確認をしなきゃなと思ってます母も救急搬送で行ったままの父が気がかりでせめて少しの間でも家に帰ってきて欲しいと思ってますもし、帰ってきて 命の期限が短くなったとしても 自宅で看取りたい気持ちは母も家族も同じです幸いわたしは介護士をしています他県にすんでますが職場の理解があるので母を手伝う事は充分可能ですしろっぷしろっぷさんの貴重な体験のお話 染みましたお辛かったでしょうでもご自宅で看取れてお父様も喜ばれたでしょうね後悔しない看取りができるよう家族で話し合いますありがとうございました
先週、母を亡くしました。肺癌オペ後、肋骨に転移し3年でした。告知はしていましたが、軽い認知が始まっていて、どこまでわかっていたのか不明です。最期数ヶ月は緩和ケア病棟を選択しました。抗がん剤をやめ、最期は点滴もやめ急変時の救命措置もやめ少しづつ呼吸が弱くなって父の所へ旅立ちました。本当に良かったのか、もっとしてあげれることがあったのではとまだ心穏やかではありませんが先生の動画をいくつか拝見しこれで良かったのかもしれないと少しづつ思えるようになっています。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。まだひと月ですので、まだまだおつらさが残るのは当然だと思います。お話を聞く限り、最期の時を過ごせていたので、あなたも十分なことをして差し上げられたのではないかと思いますよ。またおつらくなればいつでもコメントして下さいね。最後になりましたが、お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
勇気を持って夫の本当の気持ちに向き合えたか。否です。私は夫の残された時間を分かち合いたいと思い日々の家事の合間には夫とたくさんの話をしました。それは以前と変わらず、会話の多い夫婦でしたから。それでも、夫が後どのくらい生きられるかなぁなどとの話になると、私は微妙に避けたい気持ちなり曖昧にぼかして応えていました。とても悔やんでいます。
人は、いうか、生きとし行ける者は皆死ぬ。というのは自然の理ですが死というものは本人のみの問題では無いですね。毎回ここの動画を観る度涙が溢れて来ます。それは自分の父・母・おじいちゃん・おばぁちゃんの最期が思い出されるからです。いろんな後悔や思い出が有り人が1人死ぬという事は重大な事と思わされます。人が死と向き合うことは大切ですね。毎回貴重なお話しありがとうございます。
とても重い話ですが、先生の真理は私の心に届きました。貴重な体験談、いつも頭が下がりますもうあの時は帰って来ないけど、天国の母にも届く事でしょう。
このチャンネルをもっと早く知りたかったです。
いいお話をありがとうございます。気持ちを大切にしてくださる姿勢、言葉に安心感があり、ほっとします。自分の場合、ひとりで通院しており、今後のよくない話も自分から肉親に報告することになります。気づかいの必要ないひとり暮らしは気楽です。自分の本当の気持ちに向き合っていこうと思います。
今悩んでいます。繊細で、怖いこと、嫌なことには耳をふさぐ人(現実逃避癖があります)ガン発覚しても、職を失っても、なにも生き方を変えようとしない(すべて他人任せで、考えるのが苦手)抗がん剤の副作用のしびれだけで、日常生活に支障なしの日々治療が終了しても、大きく変化なし(ショック程度)その後に違う病気が発覚してから、一気に体の自由さえも消えどん底へ落ちました正直もうだめだと内心おもいましたが、復活してくれましたそこから意識が変わってきたようで、すごく前向きです(本心かはわかりません。必死に支えました)1週間前に息苦しさで緊急入院中(余命宣告をされました)看護師にはもうしぬのかなって思った。と聞きました(家族には心配かけたくないから我慢したとも聞きました)本人に真実を伝えることで、あれこれやりたい、あの人に会いたい。て本当の願いが出てくるのか?(以前は1人いたのですが、今は会いたくないに変わりました)自由に動けないから、悪い方に考えすぎて恐怖に飲み込まれないのか?(勝手に想像してしまい、今は秘密にしています)面会も家族以外は不要(弟でさえも気を使うからいや)本人を見ていると、薬のお陰もあって明るいやりたいことも家族とだけで十分らしい?仕事も守る人もなにもない状態(自分の後始末も家族任せ。しんだら知っちゃこっちゃねー。らしいです)以前に眠るようにしにたい。て言っていたので、それが答えなのかなってでも。最後くらいはしっかり向き合ってほしい気もします。答えが出ません。
私もパパにありがとうを普段から、言われた事ない。死ね、前の日に、普段言わない事を言いました。自分でも今まで言った事ない言葉が出てきました。あの日、もし雨降ってたら、突然死しなかったのかな。色々考える日々です。
いつも拝見させていただいております。苦しい思いを抱える人たちのために、尽力してくださり、とても有り難く感じております。私は1年前に母を亡くしました。毎日、母の闘病の日々と、自宅で息を引き取るまで懸命に生き抜いた母の姿を思い出します。苦しい思いが込み上がりつつ、それでも大切な人の死について自分なりの答えを探すように、考え続けています。病気が分かってから、母の前で私は泣かないようにしてきました。タガが外れて泣き崩れて、母を困らせてしまったり心配させてしまうのが怖かったからです。辛いのは母なのに、自分が大泣きしてしまうと、母は安心して弱音を吐いたり出来なくなるんじゃないかと思いました。私が前向きな気持ちで接して、少しでも母の生命力が上向きになるようにと思ってきました。時には、心配なこととか不安に思うこととかなんでも話してね、と声をかけたりしましたが、直接的に死についての話をこちらから聞いたりすることは、怖くて出来ませんでした。母は、余命宣告されてから、観念したように、ただただ、じっと痛みに耐え、人生で持っていたものをすべて手放していき、言い残すことは何もない、という感じで、自分の気持ちを話してくれることはありませんでした。それが、時間が経った今も、母なりのこの世を去る作法だったのだ、と思う気持ちと、きっと病気と闘うことで余裕がなかったのだ、と思う気持ちと、私がもっと心を開いて接していれば、もっと母も気持ちが楽に、自分の気持ちを話せていたのではないか、もっとサポートしてあげられたのではないか、と思う気持ちがあり、最近とても苦しくなります。家族は母のそばにいたけれど、母はひとりで我慢するばかりではなかったのではないか、と思うのです。今となっては、母の気持ちを聞くことも出来ませんし、時間も戻せませんが、母が家族をとても愛してくれていたことはよく分かっているのです。誰でも大切な人を亡くした時、何かしら後悔する気持ちが出るものなのかもしれません。私もいつか、母のいる所に行くから、その時に謝らせてほしい、と思えると安心する気持ちになるのですが、もしかしたら、もう二度と会えないのではないかと思うと、とてもとても苦しいです。
コメントありがとうございます。いつも動画をご覧になってくださりありがとうございます。色々複雑な思いを抱えてしまいますよね。どんなに患者さんのためを思って看病してきた方でも、あなたのように後悔が残る方を私もたくさん見てきました。そんな方々にお伝えしていることは、「大切な方との良い思い出を少しづつ思いだして下さい」ということです。私は、あの世があると信じています。私が死んだら、私の大切な方達にまた会えると楽しみにしています。あなたもきっとお母様に会って、たくさん話ができると思いますよ。お母様もきっと、いつかまたあなたと会える日を楽しみにされているのではないでしょうか。
@@drtosh 先生、お忙しい中、返信をいただき、ありがとうございます。誰にも話せず苦しかった思いが、優しいお返事をいただき救われました。母は膵臓癌の宣告と余命宣告を同時に受け、宣告通りの7ヶ月後に、家族に見守られながら、ちょうど去年の7月に亡くなりました。70代でした。母が幸せな人生だったと思ってくれているかは分かりませんが、私はそれを望んでいます。でも、私はずっと自分の無力感を痛切に感じていました。私もあの世を信じています。今は母のことを思い出した時、母が一切の苦痛がなくなり、元気に笑っていますように。明るく暖かく幸せの中で、会いたかった人たちに会えていますように。と祈っています。先生が仰っていたように、母とまた会って話せる時が来ることを信じます。母もまた、私と会える日を楽しみにしてくれている、と言っていただけて、とても嬉しかったです。母のためにも自分のためにも、母との大切な良い思い出を思い出していこうと思います。本当にありがとうございました。
昨年11月に、闘病期間わずか4ヶ月で、夫を胃がんで亡くしました。最後の5日間の入院では死を覚悟していました。先生の動画に出会ったのは、死の2日前でした。夫の死と向き合おうと思い、緩和ケアの段階にあることを私の口から伝えました。(主治医は言ってくれなかった)そして、私は夫への感謝を伝え、夫も「自分の方こそ」と言ってくれました。その後、状態の良いときに息子たちとの面会もでき、笑って話すことができました。最後は呼吸困難でつらい数時間がありましたが、最後まで、好きだった歌を聞かせてあげたり、話しかけたり、二人っきりの濃密な時間を過ごすことが出来ました。先生の動画に出会えたおかげだと思っています。それでも数々の後悔はあります。でも、後悔しないと決めてくださいという、先生のお言葉を頂き、そう努力しています。まだまだ、毎日涙を流します。諦念、執着、そのへんのことをこれから考えていくつもりです。ありがとうございました。
夫が亡くなって、1か月も経ってからこのyoutubeを知りました。気持ちを整理するためにたくさん見ています。でも辛い。。
@@macaroon1000 さま辛いですね。私もまだまだ、自分の心をどう維持していけばよいのか、摸索しながら生きています。夫が亡くなる前にトッシュ先生の動画に出会えたのは奇跡だと思っています。
@@youkoumi3146 さま。夫は自分のの急な悪化に狼狽し、果たして三月末まで生きられるのだろうかと、私に問いかけました。大丈夫!と答えた私ですが、心の中はもうそれは無理だろうと思っていながら。先生の動画に気がついていれば、夫の精神的な苦痛にもっと真正面から応えてあげられたのにと、悔やまれます。夫にありがとうと言えたのに、もっと優しく彼の言葉を聞けたのに、いろいろあります。
@@macaroon1000 さま私も考え始めたら、後悔の種は尽きません。でも、トッシュ先生の言葉、してあげられたこともたくさんあるはずです、と。それを思い出してみたら、あぁ、結構色々してあげられたな、と思えて、少し心が軽くなりました。
@@youkoumi3146 さま。最後の夜にしてあげられたこと。いよいよ呼吸が荒くなった夫、緊急電話すると30分ほどで訪問看護師が来宅、見慣れているのか慌てる様子もなく、今夜は緊急に次の患者の訪問があるからずっといられない、2分間呼吸が止まったら臨終ですと言い残して帰る様子でした。気がつくと夫のパジャマのズボンが濡れて敷パッドも濡れていました。オムツをしている夫は、更に大量に失禁していたのです。急ぎ玄関から出て行きそうな看護師さんに聞くと、そのままで良いですと返事。もうすぐ時間の迫った亡くなる患者だから?濡れたお尻で良いのでしょうか。私は、意識ははっきりしている夫の紙オムツを脱がせて、新しいオムツをはかせ、パジャマのズボンも取り替えました。濡れた敷パッドも引きずり出して。70キロ超の男の体は重いです。プライベートゾーンだからね、病院の看護師さんはこうやるでしょと冗談ぽく言いながら。夫の腰に薄い大きなバスタオルを掛けて着替えをさせました。夫は私がオムツ替えしやすいように、頑張って腰を浮かそうとしていましたが、もう無理、体を横に向けるのに精一杯でした。乾いたパジャマのズボンになり、気持ち良い?と尋ねると満足そうな表情をしてくれました。暖かいタオルで体を拭いて完了でした。でもその後はいよいよの終末になってしまいましたが。。
余り関係ないことだけど、私は、先生にコメントしている間かなり大変な、日々で、沢山のぬいぐるみ、年と会わないものも購入したりしていました。もう要らないのか、昨日ゴミの日捨てました。日々あっているお医者さんのおかげが多いけど、この緩和の話しができる一人が少なく、いちばん会いたい徳永先生にも、今余り身体も心もいい状態ではなく、行けません。ただ、少し色々なことがまとまり、クスリも必要なものを使用して余り副作用に悩まされていません。また安心して寝れます。なかなか出来ないまた緩和の話しをしましょう。おつきあいありがとう❤️
とても勉強になりました。他の動画もです。
先生、みなさんこんばんは。私は抗がん剤すらやっていたことも知らされていませんでした。両親は私の性格を誰よりも知っているからこそだったからだと思います。でも、お母さんが私をおうちに連れて帰りたい。私が娘の面倒を診る。って言った時に、世界でいちばんのお母さんだって思いました。いろんな葛藤、想い、だって命のお話だもの。簡単に世間話のような訳にはいかない。私は辛い時には泣くし、両親を困らせることもあります。逆に両親が甘ったれんな!!って叱る時もあります。余命を宣告されたけど、何故か病人がいるような家庭になっていない感じで、今、とても幸せです。一体全体、なんのための人生だ!!強くもなり弱くもなり、強弱があって、なかなかの人生だと思ってます。ごはんを食べる意味や、うーん。今はサッカーやお相撲さんを観れることの楽しさ。大好きな人の声を聞けること。何を言ってるのか自分でもよくわからないのだけど。だって、死んだとするじゃない?そしたら大好きなじぃちゃんにも逢えるし。あや。
良く頑張られたと思います。いくつなのかわかりませんが、なかなか到達出来ない事と思います。私は、あなたが日々幸せである事を強く祈ります。
あやさん、お久しぶりです。お話を聞けてとても嬉しいです。自分の気持ちに正直に、そして感謝の気持ちを持っているあなたはとても素晴らしいと思います。また、本当に良いご家族ですね。サッカー日本代表の試合一緒に楽しみましょうね。
ありがとうございます。私は今、39歳になりました。主治医の先生には、今年の夏を乗り越えれたら、あやちゃん!!まだ平気だよ。みたいな事を言われたけど、嘘つき!!って先生までもを困らせてしまい、お父さんにいつも怒られます。
先生へ。いつもありがとうございます。いーま、あやんちで流行ってるのが遺影をどれだけ可愛いのにするか。って写メやらなんやらを家族で、あーでもない。こーでもないと。だってブッサイクな遺影だったらやだよねー。って。あまりにも若い時のでも不自然だし。因みに両親は、かなりポーズをキメて写メを撮りまくってます。サッカーのお話。ガンバACLめっちゃ応援してたのにー。パトリックなしてさげたの?とか思ってしまいましたー。ガンバはFWの補強してほしいです。いつも本当にありがとうございます。あや。
あやちゃん三十代なんだ、私もうおばさん、困らせるのは、病人の仕事だから余り気にしないでわがまま言って下さい。いれい
以前に話をさせていただきました。私の父親は5年前に亡くなりました。肺気腫から両肺癌に79歳での発症でした。左側の肺気腫治療で切った所が、肺癌と診断されて右側にも癌が発見された時点で転院を希望し重粒子線治療をすることにしました。転院先の病院で最初に先生から末期癌ステージVですと。Vって‼️重粒子線治療って素晴らしいです。治療後7年間子供の私より元気なくらい精力的に生きていました。最後は緩和ケア病棟に入れて頂いてゆっくり旅立ちました。毎日、生きている幸せを感じているようでした。私の県には沢山の緩和ケア病院、病棟があるわけではないので 本当に沢山の方が癒される場が増えると良いです。
毎日毎日苦しい思いで過ごしています。。でもどうしていいか分からず悩んでいます。どうして話を切り出せないのか、恐怖すら感じます。本人は治療で少しでも良くなりたいとがんばっています。その一言の勇気が私にはないんです
コメントありがとうございます。ご家族だけで抱えてしまうととても苦しいと思います。病状の説明などは、ご家族からではなく、主治医に説明してもらいましょう。それと同時に、あなたの苦しい気持ちをスタッフに相談してみて下さい。もし病院に緩和ケアチームがあれば、患者さんのご家族も緩和ケアの対象ですので、あなたのつらい気持ちを相談されるといいと思います。
余命宣告が週単位に変わり、今週末とか来週とか言われるし、先生は治療法や、それによって最悪どうなりますとか、血小板輸血をするとか、延命措置はどうしますか?とか言われて、血圧低下したら薬使いますかとか?聞かれて、ただ、分からずにハイとしか返事出来ず、本人は次のラウンド13を受けてあと一年くらいかなーなんて言ってるので、私には元気で食事も食べ過ぎるくらいなので本当に死が身近なものなのか分からず、先生によると黄疸出たら1週間と思って下さいと言われました。私の方がパニック状態で本当はどうなのか、先生とも本人にも会えない状態なので、毎日が苦しいです。最期は個室取りますねと言われました。すみません長々と、でも毎回の動画で少しは寝れるようになりました。ちなみに田舎なので緩和ケアは有りません。ありがとうございました。嬉しかったです。本当にありがとうございました。肺がんで脳、腎、肝臓、に転移して一年経ちます。
先生の優しい話し方、好きです。もし身内が余命宣告されたら、僕は言わない方がいいと思う、患者さんはすごくショックを受けると思うからです。
余命がわずかだったらあとどのくらいか知りたいと思います。
久しぶりにコメントします。いつも貴重なお話ありがとうございます。もっと早く先生のお話に出会えていたならと‥思います。
10年以上前に父を癌で亡くしました。余命3ヶ月と宣告され、私は正直に言いたかったのですが、母が絶対に知られたくないと反対し、父には伝えませんでした。その母が先月、癌で余命3ヶ月と宣告されました。家族は私のみ、まだ母には伝える事が出来ていません。母は在宅医療を希望しています。私は一人で看取る自信がなく、入院して欲しいと思っていました。でも先生の動画に辿り着き、考え方が変わり、母の希望を叶えたいと思うようになりました。緩和ケアや在宅医療について、とても勉強になります。ありがとうございます。まだ看取る覚悟は出来ていないのが正直な気持ちですが、先生の動画を見て、気持ちを整えて、母と一緒に過したいと思っています。先生の動画に出逢えて良かったです。
先生に御礼が言いたくて、こちらに再度コメントさせて頂きます。母の希望通りに自宅で看取る事が出来ました。一人での介護は挫けそうになる事もありましたが、先生の動画で緩和ケアや、救急車を呼ぶか呼ばないかなど、今まで知らなかった事を知り、事前に主治医の先生とも相談する事が出来ました。私は父も兄も亡くしているのですが、今までは後悔の気持ちばかりでした。兄とは突然の別れでした。後悔のない別れは絶対に出来ない事だと思っていました。でも母を看取った時は、こんなにも素晴らしい旅立ち方があったんだと、今までとは違う気持ちで見送る事が出来ました。先生の動画のお陰です。ありがとうございました。コメントを見ていると、みなさん、様々な思いがあり、悩みや辛い気持ちや後悔など、私だけではないんだと心の支えにもなりました。本当にありがとうございました。
コメントありがとうございました。あなたは本当にがんばられましたね。そして、良い看取りができたようで私も嬉しいです。もしお時間があれば、多くの方のために、あなたの体験や感じたことをシェアしていただければ私も嬉しいです。最後になりましたが、お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。
私はこの様な板挟みに遭遇したら余命の短い患者本人を優先すると思います。
南無妙法蓮華経💚💚💚💚💚💖💖
私は、基本的に患者さんは、分かっています。死について話せるように、する方が、いいと思います。楽になるからです。なかなか難しいかも知れないけど普通でいいし、一緒にないてもいいし、医師は、一緒に泣きません。正確に判断していく必要があるからです。なく、わめく抱き合う何でも出来ます。それを出来るのは家族のみです。また、その日々は、後々生命を考えるきっかけになると思います。頑張る必要性は、ありません大切な時間を過ごして上げて下さい
法子さんありがとうございます。遺影とか、亡くなったら自然に骨を返してほしいとか。家族3人で、まぁそれぞれ有り得ないようなお話してます。あやんちはちょっとおかしいと思ってます。それでもね、ひとりで泣いてしまう時もたくさんあります。それでもね、先生や法子さんに出逢えて、お話を出来ることに感謝です。あや。
私も感謝
同感です🌈
平野さんありがとうございます中々難しい問題ですが、そういう時代なのですね。
普通に生きていても、本音で話すのは難しい。一つ間違うと『離す』になってしまう。
故手塚治虫博士も胃がんでしたが、とうとう本人に知らされることなく人生を卒業されましたね。博士もご家族も辛かったろうと思います。私は死は人生の卒業式と捉えています。また、死は一時的な別れ。残された家族もいつか死にますから天国で再会できます、と断言します。余命の宣告ではなかったですが、私の乳癌の検査が陽性と出た時、ナースが電話して来て「陽性だったから外科医に予約を取って」ってこんな感じでした。私より家族や知り合いや同僚の方がショックが大きかったようです。癌は初期でしたから手術しましたが、それから私も死についていろいろ調べてみました。私自身への結論は、死は悪い物ではない、ということです。しかし、私以外の人々はそう思えませんから彼らの心を開くまではそっとしておきます。
僕は今親父が進展型小細胞肺癌で入院しています!脳にも転移してしまい、放射線治療もできず今はモルヒネ投与しています!もう父とは会話もできませ!もっと早く先生の動画に出会っていたならしっかり向き合いいろいろ話せたと思います!父がまだ話せた頃は電話などでもう苦しい助けて欲しい、家に帰りたいと毎日言われていました!なんとかしてあげたいと仕事を辞めて在宅介護も考えましたが、間に合いませんでした!本当に毎日後悔ばかりです!先生みたいな方にもっと早く出会いたかったです!一年半前に母が小脳出血で倒れて一週間で他界し、まだその時の後悔もあります!これからできるとしたら何かあるでしょうか?
コメントありがとうございます。お父様の状況にもよりますが、あなたが今できることについて考えてみました。まずは、可能な限り面会をして、そばにいてあげることです。これは病院の方針にもよりますが、終末期なら制限があっても会えるかもしれません。例えしゃべれないとしても、耳は聞こえています。ですから、いっぱいあなたのお気持ちを喋ってあげてください。その時にはしっかり手を握るなど、タッチングを行うこともいいことです。あなたができるだけ後悔しない選択ができることを祈っています。またいつでもコメントしてください。
お忙しい中返信ありがとうございます!先生に言われるように後悔しないように最大限できる事をしてみます!手を握り話しかけてみたいと思います!残りの限られた時間を少しでも一緒に過ごせるように努力してみます!本当にありがとうございます!
@@drtosh 先日はコメントありがとうございました!父は八月十七日天国に旅立ちました!先生にアドバイスいただいて病院と話していましたがなかなか面会は出来ず最後も看取る事もできず後悔しています!でも最後はしっかりと送る事ができてよかったです!先生のお話に本当に助けられました!ありがとうございました!
主人が終末期で自宅で最後を迎えたいの思いをと、在宅医療の体制を 必死の思い出整え 退院をし 暫くは家に帰ってこれた喜びで穏やかな時間を過ごせていましたが、次は できないことへの苛立ちが全てぶつけてくるようになり、私も自病もあり身体も限界が来てしまってきた中でも主人からすれば自分の命も限られてる中 倒れるても 俺の事を診れないのか!と怒りがおさまらない中関係性が、悪化してきてしまいました 私 目眩や吐き気に襲われながらもなんとか踏ん張ってきたのですが体調が戻らず主人の怒りもおさまらない状況が続いております。どうしていけば良いのでしょうか?代わりに診てもらえる親族もなく倒れる寸前です。訪問看護さんさえ主人は拒んでいます。急ぎ助言を頂きたくコメントさせて頂きました。
伝えた方が良いのはわかります!けど受け入れられるのか?心配で話をできません。
コメントありがとうございます。確かに、最初は受け入れられる人は少ないかも知れません。しかし、そのことを知らないと、後になって自分の身体が弱ってきた時、多くの患者さんは自分の状態を察します。その時に患者さんは、誰にもそのつらさを言えず、さらにつらい状態になってしまいます。ご家族としてはつらいかもしれませんが、患者さん本人のことですので、お伝えするべきなのではないかと私は思っています。つらい時に一緒に泣く相手がいることは、患者さんにとって大きなものだと思いますよ。
私は、宣告された本人であり、また、主人も、癌の告知をされました。私は、腹水が溜まり、余命1年。このことは、絶対家族には言わないで欲しいと頼みました。また、主人は、ステージ4で、肺がんと言われましたが、今は医学が発達してるので、薬で何とか、長生きできると。しかし、治らないと。私は、がんができてなくても、腹水が溜まってるから、それで、長くないだろうと。私は、C型肝炎になり、それから、数年前に、急変して肝硬変に。その後、腹水が溜まりだし、今は、月1回水を抜きながら、何とかやってます。主人も、抗がん剤が身体にあってるのか、いい方向に。しかし、肺に水が溜まってるため、無理はできません。子供が、2人いますが、上の子が一緒に暮らしてますが、全て知ってますし、普段と変わらなく暮らしてます。いつ、どうなるかわかりません。病院がびっくりしてるのは、私が腹水が溜まり、宣告受けた時は、アルブミンの数値が2・5以下で、これだけは、どんな薬を飲んでもよくならないと。しかし、今3・5まで、上がってきてる。今までにない症例だと。しかし、水はたまり、無理しすぎて、腹水がへそから出て、また、今年の夏、多量の約1リットルの出血があり、それから、体調がおかしくなってました。吐き気、目眩、また、じっとしてられない、肩こり、首こり、また、首が絞めつけられるような症状が。腹水も溜まってました。病院では、異常なしと。その時、腹水が溜まってても、肝機能などは、安定。肩こりが酷いから、接骨院に。また、呼吸ができなくなったりしてきて、もう、終わりかなと。そしたら、自律神経が乱れてると。治療に週2回通い、何とか、今は落ち着いてます。主人も、抗がん剤治療だけで、別になにかするわけでもない。病気のことばかり考えては生きてられない。とにかく、後悔はしたくない。やりたいことやれること、行きたいところなど毎日、一日一日を大事に。主人は仕事にも行ってます。それが、本人のやりたいこと。クヨクヨ考えてても、何もならない。いつまで生きれるかわかりません。私たちは、告知されて良かったと思ってます。体はきつく、苦しいです。でも、幸せです。生きててよかった、生まれてきて良かったと、最後はその言葉を言って、また、全てに感謝して、逝去したいと思ってます。
母が病院で余命宣告された期限が来ました。今の所だんだん弱って来てはいるけど、今すぐどうこうと言う感じではないです、ただ訪問看護師からは急変があったらすぐ連絡するようには言われてます。自宅に帰ってきてからずっとベッドの上にいて、やりたい事も出来なかったと思います。入れ歯が合わなくなって話も良くわからないし、24時間点滴してるのでどこにも行けませんでした。せめて歯と足が動かなかったからリハビリしてれば良かったのか。あと3ヶ月と思っていたから迷ってるうちに時間が過ぎてしまいました。母は自宅にもどれて楽しかったのか。まだ介護はもう少し続くでしょうけど、今からすでに後悔しています。腎瘻をつけたのも良かったのか。温泉に行くのが唯一の楽しみだった母の楽しみを奪ってしまったのかもと思うと、どうしたら良いかわからなくなります。
いつも参考にさせていただいております。患者本人です。D r.T osh先生の動画が自分がためになっている。担当医も信頼している。と、家族に話すと、担当医には、そういった動画を参考にしてるとは、言わない方が良いのでは?と言われました。担当医が不快に感じる場合もあるのでは?と、。先生は、担当医で、私のような患者で、動画で癌の勉強をしている、と、いう場合、お医者様は不快に感じる事ですか?
コメントありがとうございます。確かにネットの情報は玉石混交なので、医療者としては警戒する部分もあるかも知れません。ただ、実際に観てもらうと分かっていただけるのではないかと思いますし、私もそう信じています。
@@drtosh そうですね。連動した内容の投稿がたくさん出てくるのも事実です。ネットに疎い親の世代は、礼儀としてのアドバイスだと思っていますので、自身で先生の動画から学んだ事を、緊急時のノートに、希望事項として記し始めています。救急車を呼ぶか呼ばないかのタグも大変ためになってます。家族も宣告を受け、緊張状態でいると思うので、的確に伝える事も患者のマナーだと思ってます。ありがとうございます。
目次
0:00 テーマ「大事な人とその死に向き合う」
1:26 今でも後悔が残る私の話
4:21 大事な人の死が近づいた時に1番すべきこと
6:27 向き合うための具体的な方法
11:05 あなたに伝えたいメッセージ
【関連動画】
ACP-アドバンスケア・プランニングの再生リスト
ua-cam.com/play/PLvu73kfsVMDYhBntZ6cPBtljipBRtTJxh.html
一昨日、姉を看取りました。ドクタートッシュの話をたくさん聞いていたので、取り乱す事なく、今は安堵しています。今週末のお葬式で感謝の気持ちを伝えてしばしのお別れをして来ます。もう苦しみのない、暖かい素晴らしい世界に旅立て居ると確信しています。
先生ありがとうございました。
母が終末期です。本人に告げるべきか、どう言えば良いかで眠れないほど苦しいです。先生の動画を色々と見せて頂きました。
言いたくないという私の気持ちは私の問題であって、母の方を見ていない、向き合ってないのだと気付きました。
月曜にACPをしたいと医師に伝えようと思います。母はショックかもしれませんが、私達が支えると覚悟をしました。
ありがとうございます。
今父は入院中です 今日主治医からいつ急変するかわからないと言われました ただコロナで直接会うことができず無菌室にいるため電話もできません 主治医は今の状態は本人にはなしてませんとおっしゃってました。
父の気持ちが聞けずモヤモヤしています
家族の気持ちは主治医に話してきました 父の残された時間は父の大切な時間です 有意義な最後を過ごして欲しいと思ってます
顔を見て話せないって辛いですね
コメントありがとうございます。
そのモヤモヤする気持ちはよく分かります。
最近はiPadなどを使って、患者さんとご家族がお話できるようにしている病院は増えてきています。
これは私からの提案ですが、病院に、お父さんと何らかの手段で話ができるように交渉してみることはどうでしょうか。
大変かもしれませんが、ご家族が動くことで変わることも多いです。
お父さんのためにも頑張ってみて下さい。
もし、できるなら自宅で診てあげれたらいいと思います。
父は末期癌で自宅で看取りしてましたが癌周辺で炎症をおこし回復の兆しがなく酸素と点滴治療しか出来なく、せん妄が進み、飲食も出来なくなっていたので面会も出来ないので
自宅で看取りしました。
入院前は、飲食も会話も出来てたのに入院中に別人のように悪化してました。
水も飲む事が出来ないが少しでも飲食してほしくアイスや氷など少しだけですが食べれて一口、二口でも美味しいって
顔で表現してくれました。
調子がよければ少し会話出来たので自宅で最後まで看取れたからよかったです。
訪問介護を利用してたので精神的に救われました。
コロナで家族と会えないまま一人で過さすのは悲しすぎます。
いろんな状況があるので無理のない程度で頑張ってください。
父は、退院して一週間ももたなかった。
まだまだ大丈夫だと思っていましたが
@@しろっぷしろっぷ-o3z さん
コメントありがとうございます
以前 元気な時は死ぬなら家でがいいなぁと言ってたんです(雑談で) どうも最近 帰ったらお母さんに迷惑がかかるのでこのまま病院にいたいと電話があったようなんです
とても心が痛くなりました
本心なのか 迷惑かけたくないからなのか言うてるだけなのか…きっと後者だと思うのですが あと一歩踏み込んだ意思確認をしなきゃなと思ってます
母も救急搬送で行ったままの父が気がかりでせめて少しの間でも家に帰ってきて欲しいと思ってます
もし、帰ってきて 命の期限が短くなったとしても 自宅で看取りたい気持ちは母も家族も同じです
幸いわたしは介護士をしています
他県にすんでますが職場の理解があるので母を手伝う事は充分可能です
しろっぷしろっぷさんの貴重な体験のお話 染みました
お辛かったでしょう
でもご自宅で看取れてお父様も喜ばれたでしょうね
後悔しない看取りができるよう家族で話し合います
ありがとうございました
先週、母を亡くしました。
肺癌オペ後、肋骨に転移し3年でした。
告知はしていましたが、軽い認知が
始まっていて、どこまでわかっていたのか不明です。
最期数ヶ月は緩和ケア病棟を選択しました。
抗がん剤をやめ、最期は点滴もやめ
急変時の救命措置もやめ
少しづつ呼吸が弱くなって父の所へ旅立ちました。
本当に良かったのか、もっとしてあげれることがあったのではと
まだ心穏やかではありませんが
先生の動画をいくつか拝見し
これで良かったのかもしれないと
少しづつ思えるようになっています。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
まだひと月ですので、まだまだおつらさが残るのは当然だと思います。
お話を聞く限り、最期の時を過ごせていたので、あなたも十分なことをして差し上げられたのではないかと思いますよ。
またおつらくなればいつでもコメントして下さいね。
最後になりましたが、お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
勇気を持って夫の本当の気持ちに向き合えたか。否です。私は夫の残された時間を分かち合いたいと思い日々の家事の合間には夫とたくさんの話をしました。それは以前と変わらず、会話の多い夫婦でしたから。それでも、夫が後どのくらい生きられるかなぁなどとの話になると、私は微妙に避けたい気持ちなり曖昧にぼかして応えていました。とても悔やんでいます。
人は、いうか、生きとし行ける者は皆死ぬ。というのは自然の理ですが死というものは本人のみの問題では無いですね。
毎回ここの動画を観る度涙が溢れて来ます。それは自分の父・母・おじいちゃん・おばぁちゃんの最期が思い出されるからです。いろんな後悔や思い出が有り
人が1人死ぬという事は重大な事と思わされます。
人が死と向き合うことは大切ですね。
毎回貴重なお話しありがとうございます。
とても重い話ですが、先生の真理は私の心に届きました。
貴重な体験談、いつも頭が下がります
もうあの時は帰って来ないけど、天国の母にも届く事でしょう。
このチャンネルを
もっと早く知りたかったです。
いいお話をありがとうございます。
気持ちを大切にしてくださる姿勢、言葉に安心感があり、ほっとします。
自分の場合、ひとりで通院しており、今後のよくない話も自分から肉親に報告することになります。
気づかいの必要ないひとり暮らしは気楽です。自分の本当の気持ちに向き合っていこうと思います。
今悩んでいます。
繊細で、怖いこと、嫌なことには耳をふさぐ人
(現実逃避癖があります)
ガン発覚しても、職を失っても、なにも生き方を変えようとしない
(すべて他人任せで、考えるのが苦手)
抗がん剤の副作用のしびれだけで、日常生活に支障なしの日々
治療が終了しても、大きく変化なし(ショック程度)
その後に違う病気が発覚してから、一気に体の自由さえも消えどん底へ落ちました
正直もうだめだと内心おもいましたが、復活してくれました
そこから意識が変わってきたようで、すごく前向きです
(本心かはわかりません。必死に支えました)
1週間前に息苦しさで緊急入院中(余命宣告をされました)
看護師にはもうしぬのかなって思った。と聞きました
(家族には心配かけたくないから我慢したとも聞きました)
本人に真実を伝えることで、あれこれやりたい、あの人に会いたい。て
本当の願いが出てくるのか?(以前は1人いたのですが、今は会いたくないに変わりました)
自由に動けないから、悪い方に考えすぎて恐怖に飲み込まれないのか?
(勝手に想像してしまい、今は秘密にしています)
面会も家族以外は不要(弟でさえも気を使うからいや)
本人を見ていると、薬のお陰もあって明るい
やりたいことも家族とだけで十分らしい?
仕事も守る人もなにもない状態
(自分の後始末も家族任せ。しんだら知っちゃこっちゃねー。らしいです)
以前に眠るようにしにたい。て言っていたので、それが答えなのかなって
でも。最後くらいはしっかり向き合ってほしい気もします。
答えが出ません。
私もパパにありがとうを普段から、言われた事ない。死ね、前の日に、普段言わない事を言いました。自分でも今まで言った事ない言葉が出てきました。あの日、もし雨降ってたら、突然死しなかったのかな。色々考える日々です。
いつも拝見させていただいております。
苦しい思いを抱える人たちのために、尽力してくださり、とても有り難く感じております。
私は1年前に母を亡くしました。毎日、母の闘病の日々と、自宅で息を引き取るまで懸命に生き抜いた母の姿を思い出します。苦しい思いが込み上がりつつ、それでも大切な人の死について自分なりの答えを探すように、考え続けています。病気が分かってから、母の前で私は泣かないようにしてきました。タガが外れて泣き崩れて、母を困らせてしまったり心配させてしまうのが怖かったからです。辛いのは母なのに、自分が大泣きしてしまうと、母は安心して弱音を吐いたり出来なくなるんじゃないかと思いました。私が前向きな気持ちで接して、少しでも母の生命力が上向きになるようにと思ってきました。時には、心配なこととか不安に思うこととかなんでも話してね、と声をかけたりしましたが、直接的に死についての話をこちらから聞いたりすることは、怖くて出来ませんでした。
母は、余命宣告されてから、観念したように、ただただ、じっと痛みに耐え、人生で持っていたものをすべて手放していき、言い残すことは何もない、という感じで、自分の気持ちを話してくれることはありませんでした。
それが、時間が経った今も、母なりのこの世を去る作法だったのだ、と思う気持ちと、きっと病気と闘うことで余裕がなかったのだ、と思う気持ちと、私がもっと心を開いて接していれば、もっと母も気持ちが楽に、自分の気持ちを話せていたのではないか、もっとサポートしてあげられたのではないか、と思う気持ちがあり、最近とても苦しくなります。家族は母のそばにいたけれど、母はひとりで我慢するばかりではなかったのではないか、と思うのです。
今となっては、母の気持ちを聞くことも出来ませんし、時間も戻せませんが、母が家族をとても愛してくれていたことはよく分かっているのです。誰でも大切な人を亡くした時、何かしら後悔する気持ちが出るものなのかもしれません。私もいつか、母のいる所に行くから、その時に謝らせてほしい、と思えると安心する気持ちになるのですが、もしかしたら、もう二度と会えないのではないかと思うと、とてもとても苦しいです。
コメントありがとうございます。
いつも動画をご覧になってくださりありがとうございます。色々複雑な思いを抱えてしまいますよね。
どんなに患者さんのためを思って看病してきた方でも、あなたのように後悔が残る方を私もたくさん見てきました。そんな方々にお伝えしていることは、「大切な方との良い思い出を少しづつ思いだして下さい」ということです。
私は、あの世があると信じています。私が死んだら、私の大切な方達にまた会えると楽しみにしています。あなたもきっとお母様に会って、たくさん話ができると思いますよ。お母様もきっと、いつかまたあなたと会える日を楽しみにされているのではないでしょうか。
@@drtosh
先生、お忙しい中、返信をいただき、ありがとうございます。誰にも話せず苦しかった思いが、優しいお返事をいただき救われました。
母は膵臓癌の宣告と余命宣告を同時に受け、宣告通りの7ヶ月後に、家族に見守られながら、ちょうど去年の7月に亡くなりました。70代でした。母が幸せな人生だったと思ってくれているかは分かりませんが、私はそれを望んでいます。でも、私はずっと自分の無力感を痛切に感じていました。
私もあの世を信じています。今は母のことを思い出した時、母が一切の苦痛がなくなり、元気に笑っていますように。明るく暖かく幸せの中で、会いたかった人たちに会えていますように。と祈っています。先生が仰っていたように、母とまた会って話せる時が来ることを信じます。母もまた、私と会える日を楽しみにしてくれている、と言っていただけて、とても嬉しかったです。母のためにも自分のためにも、母との大切な良い思い出を思い出していこうと思います。
本当にありがとうございました。
昨年11月に、闘病期間わずか4ヶ月で、夫を胃がんで亡くしました。
最後の5日間の入院では死を覚悟していました。先生の動画に出会ったのは、死の2日前でした。
夫の死と向き合おうと思い、緩和ケアの段階にあることを私の口から伝えました。(主治医は言ってくれなかった)
そして、私は夫への感謝を伝え、夫も「自分の方こそ」と言ってくれました。その後、状態の良いときに息子たちとの面会もでき、笑って話すことができました。
最後は呼吸困難でつらい数時間がありましたが、最後まで、好きだった歌を聞かせてあげたり、話しかけたり、二人っきりの濃密な時間を過ごすことが出来ました。
先生の動画に出会えたおかげだと思っています。
それでも数々の後悔はあります。でも、後悔しないと決めてくださいという、先生のお言葉を頂き、そう努力しています。
まだまだ、毎日涙を流します。
諦念、執着、そのへんのことをこれから考えていくつもりです。
ありがとうございました。
夫が亡くなって、1か月も経ってからこのyoutubeを知りました。気持ちを整理するためにたくさん見ています。でも辛い。。
@@macaroon1000 さま
辛いですね。
私もまだまだ、自分の心をどう維持していけばよいのか、摸索しながら生きています。
夫が亡くなる前にトッシュ先生の動画に出会えたのは奇跡だと思っています。
@@youkoumi3146 さま。夫は自分のの急な悪化に狼狽し、果たして三月末まで生きられるのだろうかと、私に問いかけました。
大丈夫!と答えた私ですが、心の中はもうそれは無理だろうと思っていながら。
先生の動画に気がついていれば、夫の精神的な苦痛にもっと真正面から応えてあげられたのにと、悔やまれます。夫にありがとうと言えたのに、もっと優しく彼の言葉を聞けたのに、いろいろあります。
@@macaroon1000 さま
私も考え始めたら、後悔の種は尽きません。
でも、トッシュ先生の言葉、
してあげられたこともたくさんあるはずです、と。
それを思い出してみたら、
あぁ、結構色々してあげられたな、と思えて、少し心が軽くなりました。
@@youkoumi3146 さま。最後の夜にしてあげられたこと。いよいよ呼吸が荒くなった夫、緊急電話すると30分ほどで訪問看護師が来宅、見慣れているのか慌てる様子もなく、今夜は緊急に次の患者の訪問があるからずっといられない、2分間呼吸が止まったら臨終ですと言い残して帰る様子でした。
気がつくと夫のパジャマのズボンが濡れて敷パッドも濡れていました。オムツをしている夫は、更に大量に失禁していたのです。急ぎ玄関から出て行きそうな看護師さんに聞くと、そのままで良いですと返事。もうすぐ時間の迫った亡くなる患者だから?濡れたお尻で良いのでしょうか。
私は、意識ははっきりしている夫の紙オムツを脱がせて、新しいオムツをはかせ、パジャマのズボンも取り替えました。濡れた敷パッドも引きずり出して。70キロ超の男の体は重いです。プライベートゾーンだからね、病院の看護師さんはこうやるでしょと冗談ぽく言いながら。夫の腰に薄い大きなバスタオルを掛けて着替えをさせました。
夫は私がオムツ替えしやすいように、頑張って腰を浮かそうとしていましたが、もう無理、体を横に向けるのに精一杯でした。乾いたパジャマのズボンになり、気持ち良い?と尋ねると満足そうな表情をしてくれました。
暖かいタオルで体を拭いて完了でした。でもその後はいよいよの終末になってしまいましたが。。
余り関係ないことだけど、私は、先生にコメントしている間かなり大変な、日々で、沢山のぬいぐるみ、年と会わないものも購入したりしていました。もう要らないのか、昨日ゴミの日捨てました。日々あっているお医者さんのおかげが多いけど、この緩和の話しができる一人が少なく、いちばん会いたい徳永先生にも、今余り身体も心もいい状態ではなく、行けません。ただ、少し色々なことがまとまり、クスリも必要なものを使用して余り副作用に悩まされていません。また安心して寝れます。なかなか出来ないまた緩和の話しをしましょう。おつきあいありがとう❤️
とても勉強になりました。他の動画もです。
先生、みなさんこんばんは。
私は抗がん剤すらやっていたことも知らされていませんでした。両親は私の性格を誰よりも知っているからこそだったからだと思います。でも、お母さんが私をおうちに連れて帰りたい。私が娘の面倒を診る。って言った時に、世界でいちばんのお母さんだって思いました。いろんな葛藤、想い、
だって命のお話だもの。簡単に世間話のような訳にはいかない。
私は辛い時には泣くし、両親を困らせることもあります。逆に両親が甘ったれんな!!って叱る時もあります。余命を宣告されたけど、何故か病人がいるような家庭になっていない感じで、今、とても幸せです。
一体全体、なんのための人生だ!!
強くもなり弱くもなり、強弱があって、なかなかの人生だと思ってます。
ごはんを食べる意味や、うーん。今はサッカーやお相撲さんを観れることの楽しさ。
大好きな人の声を聞けること。
何を言ってるのか自分でもよくわからないのだけど。
だって、死んだとするじゃない?そしたら大好きなじぃちゃんにも逢えるし。
あや。
良く頑張られたと思います。いくつなのかわかりませんが、なかなか到達出来ない事と思います。私は、あなたが日々幸せである事を強く祈ります。
あやさん、お久しぶりです。
お話を聞けてとても嬉しいです。
自分の気持ちに正直に、そして感謝の気持ちを持っているあなたはとても素晴らしいと思います。また、本当に良いご家族ですね。
サッカー日本代表の試合一緒に楽しみましょうね。
ありがとうございます。私は今、39歳になりました。
主治医の先生には、今年の夏を乗り越えれたら、あやちゃん!!まだ平気だよ。みたいな事を言われたけど、嘘つき!!って先生までもを困らせてしまい、お父さんにいつも怒られます。
先生へ。いつもありがとうございます。
いーま、あやんちで流行ってるのが遺影を
どれだけ可愛いのにするか。って写メやらなんやらを家族で、あーでもない。こーでもないと。
だってブッサイクな遺影だったらやだよねー。って。あまりにも若い時のでも不自然だし。因みに両親は、かなりポーズをキメて写メを撮りまくってます。
サッカーのお話。
ガンバACLめっちゃ応援してたのにー。
パトリックなしてさげたの?とか思ってしまいましたー。
ガンバはFWの補強してほしいです。
いつも本当にありがとうございます。
あや。
あやちゃん三十代なんだ、私もうおばさん、困らせるのは、病人の仕事だから余り気にしないでわがまま言って下さい。いれい
以前に話をさせていただきました。
私の父親は5年前に亡くなりました。
肺気腫から両肺癌に79歳での発症でした。左側の肺気腫治療で切った所が、肺癌と診断されて右側にも癌が発見された時点で転院を希望し重粒子線治療をすることにしました。転院先の病院で最初に先生から末期癌ステージVですと。Vって‼️重粒子線治療って素晴らしいです。治療後7年間子供の私より元気なくらい精力的に生きていました。
最後は緩和ケア病棟に入れて頂いてゆっくり旅立ちました。
毎日、生きている幸せを感じているようでした。私の県には沢山の緩和ケア病院、病棟があるわけではないので 本当に沢山の方が癒される場が増えると良いです。
毎日毎日苦しい思いで過ごしています。。でもどうしていいか分からず悩んでいます。どうして話を切り出せないのか、恐怖すら感じます。本人は治療で少しでも良くなりたいとがんばっています。その一言の勇気が私にはないんです
コメントありがとうございます。
ご家族だけで抱えてしまうととても苦しいと思います。病状の説明などは、ご家族からではなく、主治医に説明してもらいましょう。
それと同時に、あなたの苦しい気持ちをスタッフに相談してみて下さい。
もし病院に緩和ケアチームがあれば、患者さんのご家族も緩和ケアの対象ですので、あなたのつらい気持ちを相談されるといいと思います。
余命宣告が週単位に変わり、今週末とか来週とか言われるし、先生は治療法や、それによって最悪どうなりますとか、血小板輸血をするとか、延命措置はどうしますか?とか言われて、血圧低下したら薬使いますかとか?聞かれて、ただ、分からずにハイとしか返事出来ず、本人は次のラウンド13を受けてあと一年くらいかなーなんて言ってるので、私には元気で食事も食べ過ぎるくらいなので本当に死が身近なものなのか分からず、先生によると黄疸出たら1週間と思って下さいと言われました。私の方がパニック状態で本当はどうなのか、先生とも本人にも会えない状態なので、毎日が苦しいです。最期は個室取りますねと言われました。すみません長々と、でも毎回の動画で少しは寝れるようになりました。ちなみに田舎なので緩和ケアは有りません。ありがとうございました。嬉しかったです。本当にありがとうございました。肺がんで脳、腎、肝臓、に転移して一年経ちます。
先生の優しい話し方、好きです。もし身内が余命宣告されたら、僕は言わない方がいいと思う、患者さんはすごくショックを受けると思うからです。
余命がわずかだったらあとどのくらいか知りたいと思います。
久しぶりにコメントします。
いつも貴重なお話ありがとうございます。
もっと早く先生のお話に出会えていたならと‥思います。
10年以上前に父を癌で亡くしました。余命3ヶ月と宣告され、私は正直に言いたかったのですが、母が絶対に知られたくないと反対し、父には伝えませんでした。
その母が先月、癌で余命3ヶ月と宣告されました。家族は私のみ、まだ母には伝える事が出来ていません。
母は在宅医療を希望しています。私は一人で看取る自信がなく、入院して欲しいと思っていました。
でも先生の動画に辿り着き、考え方が変わり、母の希望を叶えたいと思うようになりました。
緩和ケアや在宅医療について、とても勉強になります。ありがとうございます。
まだ看取る覚悟は出来ていないのが正直な気持ちですが、先生の動画を見て、気持ちを整えて、母と一緒に過したいと思っています。
先生の動画に出逢えて良かったです。
先生に御礼が言いたくて、こちらに再度コメントさせて頂きます。
母の希望通りに自宅で看取る事が出来ました。
一人での介護は挫けそうになる事もありましたが、先生の動画で緩和ケアや、救急車を呼ぶか呼ばないかなど、今まで知らなかった事を知り、事前に主治医の先生とも相談する事が出来ました。
私は父も兄も亡くしているのですが、今までは後悔の気持ちばかりでした。
兄とは突然の別れでした。後悔のない別れは絶対に出来ない事だと思っていました。
でも母を看取った時は、こんなにも素晴らしい旅立ち方があったんだと、今までとは違う気持ちで見送る事が出来ました。
先生の動画のお陰です。
ありがとうございました。
コメントを見ていると、みなさん、様々な思いがあり、悩みや辛い気持ちや後悔など、私だけではないんだと心の支えにもなりました。
本当にありがとうございました。
コメントありがとうございました。
あなたは本当にがんばられましたね。そして、良い看取りができたようで私も嬉しいです。
もしお時間があれば、多くの方のために、あなたの体験や感じたことをシェアしていただければ私も嬉しいです。
最後になりましたが、お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。
私はこの様な板挟みに遭遇したら余命の短い患者本人を優先すると思います。
南無妙法蓮華経
💚💚💚💚💚💖💖
私は、基本的に患者さんは、分かっています。死について話せるように、する方が、いいと思います。楽になるからです。なかなか難しいかも知れないけど普通でいいし、一緒にないてもいいし、医師は、一緒に泣きません。正確に判断していく必要があるからです。なく、わめく抱き合う何でも出来ます。それを出来るのは家族のみです。また、その日々は、後々生命を考えるきっかけになると思います。頑張る必要性は、ありません大切な時間を過ごして上げて下さい
法子さんありがとうございます。
遺影とか、亡くなったら自然に骨を返してほしいとか。家族3人で、まぁそれぞれ有り得ないようなお話してます。あやんちはちょっとおかしいと思ってます。それでもね、ひとりで泣いてしまう時もたくさんあります。
それでもね、先生や法子さんに出逢えて、お話を出来ることに感謝です。
あや。
私も感謝
同感です🌈
平野さんありがとうございます中々難しい問題ですが、そういう時代なのですね。
普通に生きていても、本音で話すのは難しい。一つ間違うと『離す』になってしまう。
故手塚治虫博士も胃がんでしたが、とうとう本人に知らされることなく人生を卒業されましたね。博士もご家族も辛かったろうと思います。私は死は人生の卒業式と捉えています。また、死は一時的な別れ。残された家族もいつか死にますから天国で再会できます、と断言します。余命の宣告ではなかったですが、私の乳癌の検査が陽性と出た時、ナースが電話して来て「陽性だったから外科医に予約を取って」ってこんな感じでした。私より家族や知り合いや同僚の方がショックが大きかったようです。癌は初期でしたから手術しましたが、それから私も死についていろいろ調べてみました。私自身への結論は、死は悪い物ではない、ということです。しかし、私以外の人々はそう思えませんから彼らの心を開くまではそっとしておきます。
僕は今親父が進展型小細胞肺癌で入院しています!
脳にも転移してしまい、放射線治療もできず今はモルヒネ投与しています!
もう父とは会話もできませ!
もっと早く先生の動画に出会っていたならしっかり向き合いいろいろ話せたと思います!
父がまだ話せた頃は電話などでもう苦しい助けて欲しい、家に帰りたいと毎日言われていました!
なんとかしてあげたいと仕事を辞めて在宅介護も考えましたが、間に合いませんでした!
本当に毎日後悔ばかりです!
先生みたいな方にもっと早く出会いたかったです!
一年半前に母が小脳出血で倒れて一週間で他界し、まだその時の後悔もあります!
これからできるとしたら何かあるでしょうか?
コメントありがとうございます。
お父様の状況にもよりますが、あなたが今できることについて考えてみました。
まずは、可能な限り面会をして、そばにいてあげることです。これは病院の方針にもよりますが、終末期なら制限があっても会えるかもしれません。
例えしゃべれないとしても、耳は聞こえています。ですから、いっぱいあなたのお気持ちを喋ってあげてください。
その時にはしっかり手を握るなど、タッチングを行うこともいいことです。
あなたができるだけ後悔しない選択ができることを祈っています。
またいつでもコメントしてください。
お忙しい中返信ありがとうございます!
先生に言われるように後悔しないように最大限できる事をしてみます!
手を握り話しかけてみたいと思います!
残りの限られた時間を少しでも一緒に過ごせるように努力してみます!
本当にありがとうございます!
@@drtosh
先日はコメントありがとうございました!
父は八月十七日天国に旅立ちました!
先生にアドバイスいただいて病院と話していましたがなかなか面会は出来ず最後も看取る事もできず後悔しています!
でも最後はしっかりと送る事ができてよかったです!
先生のお話に本当に助けられました!
ありがとうございました!
主人が終末期で自宅で最後を迎えたいの思いをと、在宅医療の体制を 必死の思い出整え 退院をし 暫くは家に帰ってこれた喜びで穏やかな時間を過ごせていましたが、次は できないことへの苛立ちが全てぶつけてくるようになり、私も自病もあり身体も限界が来てしまってきた中でも主人からすれば自分の命も限られてる中 倒れるても 俺の事を診れないのか!と怒りがおさまらない中関係性が、悪化してきてしまいました 私 目眩や吐き気に襲われながらもなんとか踏ん張ってきたのですが体調が戻らず主人の怒りもおさまらない状況が続いております。どうしていけば良いのでしょうか?代わりに診てもらえる親族もなく倒れる寸前です。訪問看護さんさえ主人は拒んでいます。急ぎ助言を頂きたくコメントさせて頂きました。
伝えた方が良いのはわかります!けど受け入れられるのか?心配で話をできません。
コメントありがとうございます。
確かに、最初は受け入れられる人は少ないかも知れません。
しかし、そのことを知らないと、後になって自分の身体が弱ってきた時、多くの患者さんは自分の状態を察します。
その時に患者さんは、誰にもそのつらさを言えず、さらにつらい状態になってしまいます。
ご家族としてはつらいかもしれませんが、患者さん本人のことですので、お伝えするべきなのではないかと私は思っています。
つらい時に一緒に泣く相手がいることは、患者さんにとって大きなものだと思いますよ。
私は、宣告された本人であり、また、主人も、癌の告知をされました。私は、腹水が溜まり、余命1年。このことは、絶対家族には言わないで欲しいと頼みました。また、主人は、ステージ4で、肺がんと言われましたが、今は医学が発達してるので、薬で何とか、長生きできると。しかし、治らないと。私は、がんができてなくても、腹水が溜まってるから、それで、長くないだろうと。私は、C型肝炎になり、それから、数年前に、急変して肝硬変に。その後、腹水が溜まりだし、今は、月1回水を抜きながら、何とかやってます。主人も、抗がん剤が身体にあってるのか、いい方向に。しかし、肺に水が溜まってるため、無理はできません。子供が、2人いますが、上の子が一緒に暮らしてますが、全て知ってますし、普段と変わらなく暮らしてます。いつ、どうなるかわかりません。病院がびっくりしてるのは、私が腹水が溜まり、宣告受けた時は、アルブミンの数値が2・5以下で、これだけは、どんな薬を飲んでもよくならないと。しかし、今3・5まで、上がってきてる。今までにない症例だと。しかし、水はたまり、無理しすぎて、腹水がへそから出て、また、今年の夏、多量の約1リットルの出血があり、それから、体調がおかしくなってました。吐き気、目眩、また、じっとしてられない、肩こり、首こり、また、首が絞めつけられるような症状が。腹水も溜まってました。病院では、異常なしと。その時、腹水が溜まってても、肝機能などは、安定。肩こりが酷いから、接骨院に。また、呼吸ができなくなったりしてきて、もう、終わりかなと。そしたら、自律神経が乱れてると。治療に週2回通い、何とか、今は落ち着いてます。主人も、抗がん剤治療だけで、別になにかするわけでもない。病気のことばかり考えては生きてられない。とにかく、後悔はしたくない。やりたいことやれること、行きたいところなど毎日、一日一日を大事に。主人は仕事にも行ってます。それが、本人のやりたいこと。クヨクヨ考えてても、何もならない。いつまで生きれるかわかりません。私たちは、告知されて良かったと思ってます。体はきつく、苦しいです。でも、幸せです。生きててよかった、生まれてきて良かったと、最後はその言葉を言って、また、全てに感謝して、逝去したいと思ってます。
母が病院で余命宣告された期限が来ました。今の所だんだん弱って来てはいるけど、今すぐどうこうと言う感じではないです、ただ訪問看護師からは急変があったらすぐ連絡するようには言われてます。
自宅に帰ってきてからずっとベッドの上にいて、やりたい事も出来なかったと思います。入れ歯が合わなくなって話も良くわからないし、24時間点滴してるのでどこにも行けませんでした。せめて歯と足が動かなかったからリハビリしてれば良かったのか。あと3ヶ月と思っていたから迷ってるうちに時間が過ぎてしまいました。母は自宅にもどれて楽しかったのか。まだ介護はもう少し続くでしょうけど、今からすでに後悔しています。腎瘻をつけたのも良かったのか。温泉に行くのが唯一の楽しみだった母の楽しみを奪ってしまったのかもと思うと、どうしたら良いかわからなくなります。
いつも参考にさせていただいております。患者本人です。D r.T osh先生の動画が自分がためになっている。担当医も信頼している。と、家族に話すと、担当医には、そういった動画を参考にしてるとは、言わない方が良いのでは?と言われました。担当医が不快に感じる場合もあるのでは?と、。先生は、担当医で、私のような患者で、動画で癌の勉強をしている、と、いう場合、お医者様は不快に感じる事ですか?
コメントありがとうございます。
確かにネットの情報は玉石混交なので、医療者としては警戒する部分もあるかも知れません。
ただ、実際に観てもらうと分かっていただけるのではないかと思いますし、私もそう信じています。
@@drtosh そうですね。連動した内容の投稿がたくさん出てくるのも事実です。ネットに疎い親の世代は、礼儀としてのアドバイスだと思っていますので、自身で先生の動画から学んだ事を、緊急時のノートに、希望事項として記し始めています。
救急車を呼ぶか呼ばないかのタグも大変ためになってます。家族も宣告を受け、緊張状態でいると思うので、的確に伝える事も患者のマナーだと思ってます。ありがとうございます。