中華史上最高の詩人「杜甫」が生み出した!あの松尾芭蕉も引用した伝説の漢詩「春望」

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  • Опубліковано 20 жов 2024
  • ヒーローが語る英雄伝説シリーズ、今回は初めて「唐」の時代の人物である伝説の詩人「杜甫」をご紹介。李白と並び「詩聖」と称された彼の、悲しみの果てに生み出した歴史的名作が今ここによみがえる!#春望 #漢詩 #李白

КОМЕНТАРІ • 7

  • @otanoshimi4
    @otanoshimi4 6 місяців тому +5

    遣唐使があった時代にこんな事があったのですね。広いスケールで見た場合、現代とさほど変わりない悩みが当時の人にもあったことがうかがえます。

    • @ryuichikokubo8888
      @ryuichikokubo8888 5 місяців тому

      でも家無くなっても勉強してるしその傍ら副業してるから

  • @yugureyamanaka2730
    @yugureyamanaka2730 Рік тому +8

    洛陽の都を歩くだけで女性達に取り囲まれた人物に、●潘岳(はん がく、247年 - 300年)がいますね。日本で有名な言葉である「後塵を拝す」の故事を生んだ人物になっていることを、多くの日本人知りません。潘岳が弾き弓を持って洛陽の道を歩くと、彼に出会った女性はみな手を取り合って彼を取り囲み、彼が車に乗って出かけると、女性達が果物を投げ入れ、帰る頃には車いっぱいになっていたという。潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいもので、特に死を悼む哀傷の詩文を得意とした。愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩は以降の詩人に大きな影響を与えた。「後塵を拝す」の故事の [由来] 「晋書―石崇伝、潘岳伝」に載っている話から。●三世紀の終わり、西晋王朝で、皇后の甥の賈謐が皇后の権威を笠に着て、権力を握っていたときのこと。大金持ちの石崇と、名文家として知られた潘岳の二人は、賈謐にこびへつらい、彼が外出するたびに、「塵を望みて拝し(その馬車が立てる土ぼこりに向かって、おじぎをし)」ていました。土ぼこりにまでおじぎをしたことから、権力のある人に追従(ついしょう)する。人にこびへつらう人に使われる言葉になったようです。他人に先んじられる。人の下風に立つという意味もあります。

  • @yugureyamanaka2730
    @yugureyamanaka2730 Рік тому +6

    ●作者様、こんにちは、杜甫はいろんな人の評価がありますね。かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の屋敷にした人物として『韋 荘(い そう)』がいます。韋荘(い そう、836年 - 910年)は、中国・唐の詩人です。韋荘は、何度も科挙に落第した末に、59歳でようやく進士に及第、校書郎となった。その当時、不良で独立心の強い「王建」が叛乱を起こしたので、唐の朝廷では「李詢」を正使、「韋荘」を補佐役として反乱を平定するために赴かせたが、「韋荘」はそのまま王建に仕え、「王建」が独立国家の前蜀を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。「前蜀」の都は「成都」にあり、「韋荘」はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の屋敷にしました。●王建(おう けん)は、前蜀の初代皇帝です。若い頃は屠殺や塩の密売に関わる無頼の徒であり、「賊王八」と称されていた。唐の衰退した時期に「黄巣の乱」が発生すると官軍に参加してその鎮圧に軍功を上げた。その後、朝廷の実力派の宦官である田令孜の仮子(養子)となり、皇帝の僖宗が蜀に脱出する際の功績により神策軍使、西川節度使、壁州刺史などを歴任した。しかし、「王建」は、それには満足出来ずに、西暦(891年)には仮の父(養父)を殺害して成都を制圧した。更には、「四川省」の全域をほぼ掌握した。天復元年(901年)に、蜀に隣接する「漢中」を奪った。西暦(903年)には蜀王になりました。西暦(907年)に唐が後梁に滅ぼされると、皇帝を称して元号を「天復」と改め、国号を大蜀と定めました。後世の史家は前蜀と呼びならわしている。天然の要害である地理条件と、塩や鉄といった重要資源を豊富に産出する経済条件を利用し、在位期間中は国内の安定に力を注いだ。農業振興と水利事業を推し進め、「与民休息」の政策を実現した。また、多くの文人が平和を求めて前蜀に移動し、彼らを保護する文化振興政策も実行している。しかしその反面、国内への監視に注意を払い、「尋事団」と呼ばれる秘密警察を作り、不満分子を圧殺しました。

    • @thehero3594
      @thehero3594  Рік тому +2

      yugrueさん、コメントありがとうございます。私は唐の時代はあまり詳しくなくて、なんとか杜甫が「国破れて山河在り」の人だなーくらいの認識しかなかったのですが、他にも悲しい詩を得意とした「潘岳」なる人物がいたこと、それも三国時代にいたことは初めて知りました!「後塵を拝す」は私もよく使う言葉なので、まさかその由来が三国時代にあろうとは思いもよりませんでしたよ^^;他にも杜甫の家を修復して住んでいた詩人がいるとか、唐王朝の末期に蜀で自立した王様がいたとか、yugureさんは中国史に関してオールラウンドですね。私は三国時代以外のテーマはなんとなくサラーっとしか調べていないのでこれかも補足的なコメントよろしくお願いいたします。では、次回もまたyugureさんのコメントの中から着想を得たもの動画にする予定ですので楽しみにしていてください。ではザ・ヒーローでした。

  • @KozoY-h3d
    @KozoY-h3d 5 місяців тому +3

    自分の原稿用紙を持って人類史上最も悲惨な時代を生き抜いた杜甫。大酒飲みだったとさ。

  • @ちいといつ
    @ちいといつ 6 днів тому +1

    国破れてサンガリヤ、みんな一緒に飲んだりや