常識覆した設計採用 マクラーレンを初王座に導いた名車の驚愕エピソード【F1歴史解説】【マクラーレンM23】
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- Опубліковано 7 вер 2024
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今回は70年代のマクラーレンの名車M23について解説します。
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3:21 このヤードレーマクラーレンの白メインにオレンジの差し色がシンプルかつ綺麗でカッコいいんだよなー
初めて作ったF1マシンのプラモがタミヤの1/12のM23(マルボロカラー)。F1に本格的に興味を持つきっかけとなりました。
俺も。ストライプ幅残して赤で塗れって初心者には無理ゲーだったけど
同一マシンが4年~5年も通用した70年代古き良き時代、MP4/2とて3年使ったのは驚異的だったが、80年代以降テクノロジーの発展で通用しなくなったのは時代の流れか、それはDFVエンジンも同じだが。
マクラーレンはまたオリジナルのオレンジに戻ったけど、自分からするとやっぱこのマルボロカラーが一番だな。
マクラーレンといえばマールボロと、今でも口に出てきます。
デビューしたてのジル・ヴィルヌーヴも乗ったし、カスタマーシャーシとして他チームに渡りネルソン・ピケも搭乗…ラッキーストライク、チェスターフィールド…色々なカラーリングもあったM23は模型映えもしますね。
レーベンブロイのレアカラーもあり、レーベン好きとしてはたまらなかったです!
トップクラスに好きな名車です。
プラモデル持ってるけど、もったいなくて作れないまま30年以上経ってしまいました。
70年代の F1マシンって
どこのチームも オリジナリティー溢れていて カッコイイ‼️
紅白のマルボロカラーは好きだな。
今だとミニカーやプラモデルではマルボロのロゴが無く淋しい感じになってしまっている。
子どもの頃さんざんプラモにハマってましたが、大学生、社会人になるあたりは別のものに興味が行き離れる事に。
社会人になってしばらく経ち、ふと模型屋に行ってプラモ再開第一弾で買って作ったのがタミヤの1/20のマクラーレンM23でした。
初期のM23のマルボロレッドは赤でしたが、この後期M23のマルボロレッドは蛍光色だったのに驚きました。
1976年、1977年の富士スピードウエイで行われたF1日本グランプリにも行ってマクラーレンM23をはじめたくさんのF1の写真を撮りました。
基本設計が優秀かつ先進的だったために、キープコンセプトで数年間第一線で戦えたLotus72シリーズとMclarenM23シリーズは、F1史に残る名車ですね。
MP4/4〜MP4/6までのMclarenもキープコンセプトで成功しましたが、その優秀さゆえに後継マシンが失敗に終わるのは共通のお約束?
M23の成功の裏には、Nicholson-Mclarenチューンの(ノーマルより10数馬力upと言われた)DFVのパフォーマンスがあったこともポイントでした。
エマーソン・フィッティパルディと
ジェームス・ハントがチャンピオンに
導いてくれた名車
そのまんまマルボロの箱してるカクカクフォルムが凄くかっこいい。宣伝になりそう。
70年代のf1って運転席後ろのエンジンに空気取り込むやつが凄く大きいよな
ホイールベースが短く、車体が小さいから大きく見えるのかな?
このマシンってあれか?ライト付けて、ジャームス・ハントが「神様!!」とか言いながら、カーキャリアの荷台からダイブしてボンベイブラッドの輸血を運んだ時のヤツ!!
それ、実際に走らせたのはハントにM23を使わせてくれるように頼んだチームロータスのマリオ・アンドレッティだったはずだが?
ジェームス・ハントでは無く、マリオ・アンドレッティです。
@@konakohala8257 ありがとうございます。アンドレッティでしたっけ?途中でロニー・ピーターソンも出てきたのは覚えてるんですが。けど、ネタが通じた嬉しさ
ボンベイブラッド輸送は続編の赤いペガサスⅡ翔でもあるけどさすがにF1マシンじゃなかったね、ちなみに主人公ショウのチームメイトのロス⋅ジョルジュがドライバーで車はロスの愛車のBMW750iだったね。
人命が懸かっていたとしても、警察に一報入れておいたにしても、一般公道でF1を走らせるなんて今の時代じゃまず出来ない行為ですね。(当時としてもぶっ飛んだ発想ですが)
よくよく考えたら、輸血用血液入りのケースってマシンのどこに収納してたのだろう?コクピット内じゃ狭すぎて運転に支障が出るだろうし……。
マクラーレンM23は5年間も使用していたとは。
コスワースDFVにヒューランドFG400ギアボックスにグッドイヤータイヤにデザインと良いドライバーが有れば良かった時代です。
あとはTAMIYAのプラモデルかなぁ(笑)
1/12と1/20有りましたね。
小学生の頃は1/20でマルボロとヤードレーは有りましたよ。
今度は1/12でも作りたいです。
当時のオートスポーツで読んだんだけど、マクラーレンM23には「 コーンブルックのコンコルド 」というカッコいいニックネームがあったそうだ。 コーンブルック(コルンブルックとも)はロンドンの西にあり、そのころのマクラーレンチームの本拠地だったらしい。
生まれて初めて見たF1マシンがマクラーレンM23、ちょうどスーパーカーブームの頃で日本初のF1グランプリでチャンピオンを決めたマシンという事で日本全国で展示されたんだろうね、札幌の丸井今井百貨店の一階に展示されていたけど優勝したロータス77じゃなくてマクラーレンM23だったのが不思議だったね、この年はティレルP34も話題だったからなんでマクラーレン?って思いはよけいに感じたね。
今のF1マシンよりこっちの方がカッコよ
11:33 ロータス78等をはじめとするグラウンドエフェクトカーの台頭ですね。
次はヤードレーとマルボロをマクラーレンに2度も奪われた末に消滅したBRMの歴史をお願い致します🙇。
小学生の時に、富士でリアルタイムで見たよ、
本命は、たいれるの6輪を見たくて、富士まで行ったんだけどな、 笑
今のF-1を、生で見ても、ワクワクしないんだよな。
レブソンも存命だったらもっと語られたはずのドライバー。
BRMはヤードレイとマールボロ、メインスポンサーを2度もマクラーレンに奪われその後消滅した。
その後の、コークボトルラインのジョン・バーナード…ゴードン・マレー…名将ロン・デニス…ホンダ、セナ・プロ対決やっぱりマクラーレンは日本人の中でF1の代名詞だなぁ。
ロータス72も実はwingカーの78になる迄全く変更する必要が無かったとCチャップマンは生前にコメントしている🤠🇺🇸
5年も使い続けるって今では考えられないですね。
使い続けるって言えば、89年のMP4/5→90年のMP4/5Bくらいでしょうか。
86年 FW11
87年 FW11B
88年 FW12
89年 FW12C 第12戦まで
89年 FW13 第13戦から
90年 FW13B
91年 FW14
92年 FW14B
93年 FW15C
94年の序盤戦はFW15Dで行って欲しかった。
M23ね 王者ロータスに挑み勝ったから記憶に残るマシンね が特に記憶に残るは
やはりあの超のつくワイドトレッドだろうね 初めて見た時の・・・ね で蘇り
見たのがレイトンマーチ881?だったね 写真ではわからないニューウエイ設計のマシン881
M23を久々に思い出しましたですわ 76年に富士で観て以来だったからね がマクラーレンは
ヤードレイM23とマールボロM26が強く記憶に残る スカーフなびかせ富士を走るJハント
目の前で見ていたよ 俺も若かった77年でしたね
おじいちゃんボケ入っている?それとも知ったかしちゃった?
当時は同じ型式複数年使うのは常識だったと思いますけど(笑)。
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