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斎藤さんと村上隆の対談求む。
対談するなら、現代美術の歴史、村上隆の作品をちゃんと理解してからじゃないと、わからないから否定するだけになりそう。
実現した!
@@furafuramimgoめちゃおもろかった👍
資本主義と芸術の話、めちゃくちゃ興味のあるテーマです!!
今回の動画を見ていて思ったのは、美術っていうのは基本的に野村先生が話していた物理の世界と同じで、世界の本質を見極めていく自然科学的な分野であるということ世界の要素を抜き出して抽象度を高めることで本質に迫ろうとする帰納的な発想は物理学そのものですよね例えば自然を模写するのもそうで、絵を描くときは自然をいくつかの要素に分解して理解することで初めて描くことができるんですよね(木は幹から枝に分かれていてその先に葉がついていて、ここの葉っぱの形はこうなっていて色はどうなっていて、光の当たり方によってここに明るい部分と影ができて~というように)。それはものが落ちるのを見た時に「何か力が働いているはずだ」と頭で理解することと等価ですよねどちらも「世界のルール」を見つけていく作業なんだと思います野村先生は「物理の世界ではなんでそうなっているのかを最後の最後まで考えてはいけない。それは果てがないから。世界はこうなっているからこうなんだ」という説明をしていましたが、「どこまで本質に迫ろうとも芸術には最後の最後に謎が残っている」と話した布施先生の話は同じだと思いましたこう考えてみると現代アートが意味わからないのは当然で、現代物理がわけわからない頭がおかしい感じに見えちゃうことと同じなんだなと二人の対談が見たいです
素敵なコメントですね。そう思います。人間は何処から来て何処へ行くのかみたいなところから発しているんじゃないかなと感じます。昔はアートも科学も同じような好奇心から出発していると感じます。どちらも世界を理解しようとする人間の営みなんだと思います。
@@haromuha ありがとうございます!自分が言いたいことを端的に言葉にして頂いててそれそれ!となりました。笑「人間は何処から来て何処へ行くのか」「世界を理解しようとする人間の営み」というのが的を射た表現でめちゃくちゃ刺さったのですが、どういうことを勉強されたり興味を持っていたらそういう言葉が出てくるんでしょうか?自分自身現在そういった問題に悩んでいることもあり、どういうことを勉強していけば理解が深まるのか知りたいです。
もともとは、描くほうで西洋絵画専攻でした。当時から物理、数論とか般若心経は興味あって読んでました。共通するのは、それぞれの方法で世界をモデル化してそれぞれの方法で記述しようとしてることかなと思います。むしろ学問全般そうかもしれないので何でもいいのかなともおもいます。私は20代半ばから後半の頃が一番知的欲求が強かった気がします。人によって遅い早いなど時期に違いありそうですがタイミング逃されないことを祈っております😊
@@haromuha もともと描くほうを勉強されてたんですね!自分と逆ですね。自分はもともと大学では応用物理をやっていて、当時は芸術を何かアバウトなものだと認識していたのですが、今はTVアニメのディレクターをやっていて昨年あたりから絵の勉強をしようと美術館に通い始めてみて、理系的な感性と通ずる所がある気がしていたんです。ピカソの絵や北野武監督の作品には理系的な美しさを感じます。実際北野監督は数学を学んでいますし、だとするなら自分が映像を作る仕事をするのも意味がありそうだなと思えます。絵についてもっと勉強していきたいと思いました。世界のモデル化と記述について、たしかに学問全般そうかもしれないのですが、数学や物理、芸術だったりというのは、社会学的な学問とかと比べてより本質的な気がするんですよね。人間がどう行動するかよりも、人間そのものの仕組みに興味があるというか。そこが多分好きなんだと思います。
世界の本質を見極める哲学的、自然科学的な面もありますがそれは美術の一つの分野に過ぎないでしょう。何でも作品として提示しさえすれば一応は成立するのが現代における美術です。
短く無いと再生数が稼げないので収益化が難しい中、編集しないで長尺で出してくれた事に感謝します日本人に足りていないアートのついての文脈を広げて頂ける事は大変有意義だと思います
芸術を求め、追求する中で生きている方と、資本主義のど真ん中で生きている方が交わる瞬間がいつ来るか?固唾を飲んで見守るような動画でした。布施先生の講義を聞ける貴重な機会をありがとうございます。
4歳の孫のほうが美術館で生き生きとして作品を見てる。そして屋外に展示されるた大きな作品でなんか楽しそうに遊んでる。帰宅して書いた絵が紙一杯のピンク色の迷路でその路はカクカクしているのではなく、曲線で、枝分かれしてその先が渦をまいているような迷路の絵だった。多分美術館の大きなピンク色の花をつけた「つつじ」に目がいっていたからそれからインスピレーションを受けたのかもしれない。彼が大きくなって、もしかして芸術の道に進んだ時、彼はどんな意味を作品につけていくのだろうか。
4歳児なんて皆そんなもんだから
@@梅くらげ-b6z そうなんですよね。子供はいいなと思う今日この頃です。😌
@user-kx3fu7px1i 身近なエピソードしか思いつかずコメントしてしまいました😅。こんなことでも喜んでいるババです~。ご返信ありがとうございます。🙏
素人で普通会えないのに、アートの先生から芸術を解釈する視点を享受させていただき有難いです❗️もっと聞きたいです
めちゃくちゃ面白いテーマありがとうございます!
24:17 この高橋さんの問に明確に応えて欲しかった。。生きていくのに必要=世界とのつながり、とも言えますが、世界・他者・人間・自分を理解し表現したいという欲求を本能的に持っている作家もいます。高橋さんもきっとそうです。鑑賞する側と同時に制作する側の視点にも焦点をあてるとより面白くなると思います。
私だったらこう答えます。①作者は作品の全容を理解し答えを持っているか。否。理由は芸術は長く人生は短し。②アートの目的は何か。答えはパトロンを喜ばすことと、美を追求することの2つ。前者を否定し後者だけを肯定するのは厳しい。
@@dustunion パトロンを喜ばすのは経済的にその必要があるというだけで目的とは言えない。美を追及するも別の何かを追及するも作家により異なる。
@@von_Aschenbach 私はあえて目的だと強調したいですね。
字幕の誤字が多いのがちょっと残念です。粘土(粘度)、抑える(押さえる)、生物画(静物画)、あるいわ(あるいは)など。日本語難しいですね。
ウザ。フリーコンテンツだよ。
@@Sigmapieceメディアとしやるならそこんとこ大事なんだよな〜。ゲスト読んでるんだしね
メディアとし(て)やるなら…貴方も間違ってますよ😊
内容がいいからこそ他のスタッフがチェックして誤字を無くすべき。流石に生物画は酷い。
誤字脱字ポリスは内容が頭に入ってない証拠!しょーもない事をいちいちコメントするあなたはコムツカシぃやつ
いつも配信ありがとうございます。
23:27評論家の話と一緒に実際に作品作っている作家の話も聞いてみたいものです。
テーマ「すべての絵を描く人をイラストレーターと呼んでもいいのでは?」葛飾北斎は版画を使い、大衆に広まる作品を大量に生産していました。現代で言うイラストレーターでしょうか。しかし、その北斎の作品が西洋に渡ると、芸術として評価されました。アンディ・ウォーホルも、商業と芸術の境界を曖昧にしながら、大量生産を行いましたが、彼は芸術家とされています。では、イラストレーターがクライアントの要請に応じて仕事をする職業だと言うなら、かつての中世の芸術家たちも貴族からの依頼で作品を描いていたはずです。両者の境界は一体どこにあるのでしょうか?もしイラストレーターが自分を芸術家と名乗れば、その作品は芸術として認められるのでしょうか?村上隆氏はこの境界をさらに曖昧にしています。結局、誰が何をもって芸術と認めるのでしょうか?芸術の権威者だけがその判断をする権利を持っているのでしょうか?芸術家とイラストレーターは兼業できるものでしょうか、それとも全く別の存在なのでしょうか?
髪型とかメガネとか藤田嗣治の影響があるのかな?
現代美術のわかりやすさを発信するなら岡田温司先生や西田兼先生にインタビューするべし。
18:18はマルクスの肖像ではなくて、レーニンの肖像ですね。マルクス・レーニン主義という意味で、大きな文脈では大丈夫ですが。
2回に分かれてるんだから、タイトルにちゃんとわかるようにしてくれるくらいの親切さ欲しい
9:28 ポロックの絵の面白いところはまさに描いてる姿というか、絵の具撒き散らしてる作者自身の身体性がカンバスに定着されてることだったりするのかなと思います。色んな見方ありますけど。
音楽も全く同じで、簡単そうに聞こえる名曲ほど、とてつもない理論の学び/練習量/過去の音楽を聴き込んできた量を感じる。斉藤さんの「私でも描けそう」って仰ってるけど、そう感じさせた時点で作家の思うツボで草
綺麗なものテクニックを評価する世界が飽和状態となった結果、新しい価値感が生まれたのが現代アートだと思う。革命とか言われてますがね。でも、評価する人間はごく一部のアート界の上層部にいる人間で。その人たちが評価した、すごい価値がついた、だから、すごいってその他大勢が集まるみたいな構図は変だとも思う。
曖昧になってるからこそ権威者の太鼓判に価値が出てるんだと思うそうなると権威者によって芸術の価値が決められてしまうからそれが本当の芸術なのかという疑問がわく権威者と資本主義が結びつくことによって芸術というより投資の対象となる仮想通貨と一緒だな
村上隆さんの方が、きちんと言語化していますね。京都の三回分の動画をみてから、これを見ています。
生物画→静物画では?
ちょくちょくテロップ誤字ありますよね
僕も誤字の多さ気になりました笑粘度→粘土とかも
不易の損失→不易の本質ですね
ぼくも誤字気になりました意味を考えてないんでしょうね
もしかしてコストカットでAIで字幕つけてるとかですかね
字幕、「静物画」ですね。「生物画」じゃなくて。🙏 5:44
旅行で金沢に行った時に雨で、天気が悪いから、とりあえず金沢21世紀美術館に行って、初めて現代アートを観た。全く意味がわからなくて、頭の中が???だったけど、帰りに同行者とあれこれ語り合いながら帰った。行ってみて良かったね!となった。やはり、実物を観るの大事ってわかります。動画の前編後編をとおして、とても面白かったです!ありがとうございました。
アートは描く方も観る方も自由や解放感を楽しんでいるのかな。良い作品は自然と一緒で、深淵でなかなか辿り着けないのでしょうか。資本主義の象徴、アンディ・ウォーホルの作品も然り。これからの時代の作品がとっても楽しみです!!
布施息子の動画みたい。まだ動画メディアにあんまり出てないけど話せる!
アート業界にいます。左お二人が全然納得されてないかんじがするしアートのあり方を伝えきれてない気がしました。
そもそも興味が無さそうに見えます
何でもかんでも定義づけしなくて良くない。結局、作者にしか分からない事
伝えきれるわけがないと思います。なぜなら本物を見るという単純明快な答えもまだ蓄積されてませんし。
なぜ他者が無関心なのか?貴方が死体/暴力/芸術に対して無関心であるからだ人生には遊びが必要である。さあ、遊ぼう♪(言語ゲーム)
「俺でもできる」、「絵の具散らしただけじゃないか」と言ってるけど、それは作品を見てから言ってるだけですよねそれを発明するとこが重要なんですよ布施さんも仰ってますが、ウォーホール、めちゃめちゃ絵は上手いです達筆だし、当然センスが良いでも上手いかどうかってのは、左のお二人は写実的であるかどうか、くらいの判断なんじゃないですか?全ての事をわかりたい、というのは不可能だと思います世の中分からない事だらけなのに、なぜアート作品だけ分かろうとするのかなんだか高慢に感じます
中途半端に勉強してきて、自分の事を賢いと思っている人間ほどそこにハマる。分かった気になってる人間を一番簡単に炙り出してくれるのが芸術
「村上隆の芸術実践論」の動画がニコニコにあるからそれがおススメかなw
いや〜、面白いわ〜。アート論の話なんて今までほとんど聞いたことなかったけど、やっぱり専門家の話を聞くと全然違いますね。非常に勉強になりました。もっと現代アートも見に行きたくなりました。
現代アートは文脈ありきだから"わからない人はわからない"から抜け出せず、"これがわかる俺すごい"に留まってると思う印象派が好きなのは文脈がわからなくても一目で感動や驚きが得られるところ作品がすばらしいからその作者や背景を知りたくなる
わかる、、現代アートって作品単体で成立してない物が多々あって、この教授先生みたいに回りくどくて高尚な解説があってアートとされているって感じ。そういう説明付きアートに人間の浅はかさとかを説かれても端的に言って面白くないし、別に感動もしないし好きでもない。見た目が良くない現代アートは嫌い笑
現代美術は意味のゲームみたいになっちゃっててそれを楽しみたいかどうかが好きかどうか、、、なのかな。
通しで見て、大学教授は研究者であって教育のプロではないということを久しぶりに感じました。布施の仰ってる内容は面白いけど、話はあっち行ったらこっち行ったりで非常に聞き辛い。村上さんのような聡明に話す方を観てから見返すと尚更。
14:54これ逆の解釈とかが主流というかよく聞くんだけどマリリンモンローとかの時代のアイコンを複製してキッチュなデザインにすることでアイコンとしての権威を失墜させるみたいなカウンターカルチャーじゃなかったの?一品物のモナリザや一神教のアイコンマリアの偶像化と全く逆の創作運動ではないのかな?その一般解釈を踏まえて説明してほしかったや大量生産、大量消費の社会でスープ缶のラベルのように生産される時代に、時代のアイコンとも呼べるマリリンやエルビスの肖像をラベルのように利用できることを目的としてデザインしたんじゃないの?プリントを想定したデザインで誰でも作れて、編集して大量複製し、Tシャツとかポスターとかに利用させ、大量に流通させ、肖像のユニークネスを無くす(陳腐化)を促進させ、権威を失墜させるみたいな気がするけどなぁ19:10 とかめっちゃいい例で、プリントデザインが肖像のもつ権威や、付帯する思想を無力化させた代表的な例だよね実は再現性ないって話あるけど、印刷を表現手法として選んでる段階で再現性ない、一品物ので価値あるみたいなことを否定してるよね…誰でもつくれそって一般人の感覚は全然間違ってないよねウォーホルの偉大さって、それまで権威主義的なアートと大衆のためのプロダクトデザインを近づけたことじゃね?コラボしてたバスキアもカウンターカルチャーだしなぁ、バスキアと仲良かったのも同じ創作思想だからじゃないの?なぜバスキアには触れないの?20世紀って車、コンピュータ、家具含めたプロダクトデザインが盛り上がってたころだしなぁミッドセンチュリー的なやつ車、コンピュータ、デザイン家具は高単価商材だけど、より大衆に近いデイリープロダクト(日用品)のトマト缶のパッケージデザインに落とし込んだんじゃないのか??※デイリープロダクトは乳製品って意味だけど、超昔のはデイリープロダクト=バター、チーズ、牛乳とかが日用的に買ってたもので20世紀のデイリープロダクトは工業化した缶製品(トマト缶など)って意味で上で使ってます。20世紀の資本主義万歳の時代に、20世紀以前の個人の表現や限られたグループ(宗教、権威化した個人の集団、パトロン)のためアートが、大衆のためのプロダクトデザイン(視覚設計)に寄ってきたって感じかな?
これは神回ですね。
最高でした!
テレビ、UA-cam、映画、音楽、漫画、本の方が面白い絵の才能を腐らせないために絵は必要ウサインボルトの足の速さをありがたがるよりは趣味性が合う永遠に残る前提であるロマンはあります早稲田の作家さんですら缶詰展開図何か言いたい人は少ない印象歌い手が歌いたい内容は無いのに似てる歌が歌いたい、絵が描きたいそんな稚拙さもあると思います。
綺麗は他者の言葉美しいは貴方の言葉引用:岡本太郎
私にも書けそうなものを芸術にしたのが凄いって事ですよね。
斉藤さんが実は資本主義のど真ん中にいるという矛盾は現代社会の一つのテーマになりますね
【斎藤幸平vs斎藤幸平】?
タイトルが【斎藤幸平vs斎藤幸平】になってますね
布施先生はデュシャンも千年残ると仰るがコンセプチュアルアートでそのコンセプトが失われた時代でも美術作品として残るというのはおかしくないですか?既製品をモチーフにする意味は伝統的な美術の希少性や美それ自体の否定でもあり、その文脈で作られた作品について従来の絵画造形的な視点(構図が良いとかフォルムが美しいとか)で解釈することに意味があるのかしら。古代美術が千年たっても残っているのは意味を超えた普遍的な美があるからでしょう、もちろん歴史的文化財だからという面も大きいですが。
❝自由よりも道だ❞
布施先生は、もう少し語りが滑らかだと最高ですね。
確かにバンクシーもうまいしなあと色々納得しました。
25:30 の大富豪が最後には絵画を買うよねって言うのは、節税のための可能性が高いよなって思ってしまう。公益財団法人にすればかなり節税できるし
マルクスとレーニン間違えてるから、斎藤さん少し別の受け取り方してると思う。レーニンと毛沢東が組みの場合と、そこにマルクスが入ってるかどうかは意味合いがかなり変わって捉えられるんじゃないかな。
ウォーホルが書いているのは、マルクスではなく、レーニンじゃなかったでしたっけ?
ですね。ウォーホールの書いたマルクスは、コメディアン芸人ユニットのマルクスブラザーズですね。 芸術家ならマルクスとレーニンの区別がつかなくても問題ないのでしょう。 マルクスとレーニンの区別がつかない人に資本主義の権化と言われてましても。 アートを金銭的価値で測ろうとするからややこしくなるのでしょう。 アートを金銭価値に貶めるのは教会を破壊し宗教画を燃やすのと同じくらい愚かなのかと思います。それこし人類の共通財産コモンとなるのかなと。
芸術家の斎藤幸平がマルクス主義やってて村上隆みたいなのが芸術やってるのがもうカオスw
言語は現実を語れない
昔は、王様の墓に絵を描ける人が絵を描いた。中世では貴族のレベルの人に絵を描いた。(音楽も同じ)近代ではそれがより市民に近づいてウォーホルやポップミュージックになって行った。ただ絵のバリエーションとしてはネタ枯渇で、ナラティブで価値を付けるようになった。それが現代では、AIが個人のために絵を生成したり音楽を生成するようになったという流れかと思った
アートを投機の対象と見る事から既に、アートの本質•役割を理解してない事がわかった。結果的に、結論の出ない議論なんだろうな。アートをお金の尺度で計ろうとするからこうなる。
あ〜〜ぁこのシリーズは凄いわ現代アート、面白いわ。
“君たちはどう生きるか”
歌の歌詞と一緒で解釈はその人その数だけ存在していて、作り側も説明的ではなく余白を残し、これを正解としていない側面があると思う
タイトルまで、斎藤vs斉藤、になってるのはちょっとやばい
いまだに無修正で笑
神回
京都にいるからよくわかるけど、村上隆の作品はともかく、“村上家”は何だかなぁ…。あの息子さん、どうするんだろ?
美に対する追求ではなく意味を求めるようになったら美術は終わりだと思ってる。作者の美しいのと感じる物の構築じゃなく学者がやりそうな社会問題提起なら美術は終わり
実際、現代美術の世界は「ゾンビ」「美術の死」とも言われているので、感覚としては正解っちゃ正解なのかもしれませんが、芸術含め文化は常に変化するものなので、その変化を受け入れるのも鑑賞者としては必要ですね。ゾンビの中で新たに模索を続ける作家たちの力強さも魅力ですから。ちなみに、ウォーホルなどの作家は問題を「提示」してはいても、それを肯定も否定もしない、ある意味何かを語っていながら何も語っていないわけですから、学者がやる問題提起とは根底が違います。でも最近は、それこそ活動家みたいな、もろ「差別の歴史!」「移民問題!」みたいなものが多くなってきて、ちょっと息が詰まる感じにはなってきましたね...。
立場は色々ですが政治的プロパガンダに利用され矮小化されることに辟易している美術家もいるはずです。。がそういった作品はなかなか取り上げられないのかなと思い絶望します。数学とか宇宙論とかの方がアートしてるなと思います。
どれだけの言葉と時間をつくしても言語化できないものが美なのだから、美について語りたい人がいれば好きなだけ語らせれば良いのでは?美についていくら語ったところで美の価値が傷つくことはありません。誰だろうと美から受け取ったメッセージを考えたり議論するのは自由です。中には政治的メッセージを見出す人もでてくるでしょうがそれも自由です。アートに政治を持ち込むなという人はピカソのゲルニカを否定できるでしょうか。
芸術運動を否定するタイプなに目線のコメントなんだ?作家?研究者?美大生?コレクター?ただ見てるだけの人?
江戸時代日本に来た西洋人が青磁の便器/オマルを用途を知らずに素晴らしい芸術品だと感動して購入してたというエピを思い出した。 大変興味深い動画でした。概要欄を見て、いきなり高度な部類の寄生的プロラタリアアートな名前が並んでいて萎えましたが、トロツキー的に言えばそういった人達が自分達を正当化してくれる代弁者を求めている時代ということなのでしょう。
斎藤幸平さんはマルクス主義と言っていながら資本主義を体現していると、2度も発言された布施さん。それをカット編集しない高橋さん。それから「うんちを握れ」。 母親なら経験をしている日常を学者が言葉にする事でインパクトを与える等、色々面白かった。美術を見るというのは、宇宙を感じる1つの方法なのか?
字幕の誤植というか、字幕を作っている人の教養の無さ、チェックしている人がいるのかいないのか、みたいなのが目に付くプログラムでした 普通「生物画」→「静物画」じゃないでしょうか
斉藤さんが資本主義社会の中心にいることの矛盾について芯食ったやり取りをしないことが気になったなー
クリティカルな指摘でしたね。村上隆嫌いと言いながらあなたも同じ穴の狢なんじゃないの?っていう。
なるほど、斎藤氏のカルマ落としは、ここが契機なのね…だから、齊藤氏vs斎藤氏となっているのね😂高橋さんの実力を知った❤️単なる間違いかもしれんが…😂
作品は作者の魂の形だと思います。 魂の形に上手いも下手もありません。他者の魂に触れるというのは鑑賞者の感情に訴えかけときに感動を呼び、ときに嫌悪する。その作品が好きなら深く知っていくだろうし、嫌いなら遠ざける。ただそれだけの話しだと思います。深淵を覗く時は、深淵もまたこちらを覗いている。ただ、思うのは嫌いな作家の嫌いな作品ほど実は深淵の可能性が高かったというのが経験則です。
静物画な、初っぱな混乱した😊
んなこといったら。小説は大量印刷して複製したらチープになるんか?って
「斎藤幸平vs斎藤幸平」、そろそろ修正してくださいませ〜
「自分でも描ける」って気持ちは、大事にしよう。下手でもイイ。それが現代なのだから。デュシャンを見に、フィラデルフィアに行きましょう。飛行機で行ける。人・モノ・金・情報が足りないからと言って、行動しない人が、現代は多い。
「生物画」って…文字起こしにもこの機会に知識が深まるといいな。「静物画」です。
「アーティストの糞」はアレッサンドロ・マンゾーニではなくてピエロ・マンゾーニです。アレッサンドロさんは詩人、作家です。
現代アートは共産主義者によって既存の価値観の破壊のために利用されてきたという面があるのに、マルクス主義者が伝統的な美術を擁護し、現代アートに疑問を持つというのは面白い。
話は面白いが、字幕がチープ。なぜリハックのような動画が、素人のUA-cam動画のような、誤字の多い字幕になるのだろうか? チェックしていないのかな?
村上氏出演の動画見た後だと非常に浅いレベルで好き勝手に評論してるなっていう印象しか沸かないね
うーん、前編はそこそこ良かったけど、こっちはなんか「現代アートに価値が無いと言いたいんだろ?」という怯えの中で解説しているように感じた。
現代アートは「既存の価値観ぶっ壊すのかっけー」と「数少ないから価値が上がる」「金待ちアピールのマウント欲」の3点により支えられてる。アートそのものに技術や価値を見出そうとするのは無理がある。
まさにこれだと思います。。そのうち尻の穴の形でも見せ合って、金稼げば良い。
芸術はわかるわからないを感性で語るのが誤解の原因だと思う価値がわかるかは感性ではなく知識ほとんどの分野がその背景や文脈を知ってるかで面白さが変わる様に芸術は知識の有無で価値が大きく変わるわからない原因が知識とわかってればアート業界に文句言う人減るんじゃない?感性だと言われるとわからないのはお前のせいだと言われた様で噛み付く人も出てくる
生殖は死を遠ざけてはくれないそれ以上の快楽が必要である
論理が破綻していて、困る。デュシャンの泉を、現代アートの最高峰とするなら、物理的な美術品は、複製品がそこにあるだけで、そこに視覚的な発見はない。布施さんが目で本物を見ないと分からないんだという謎主張をするが、説明、状況、観念、コンセプトを考えさせる事を美術にしたのが、画期的であったのだから、それを見る事に意味はないのでは?
ウォーホルも複製ですよね。少なくとも複製として見られることを狙っています。ウォーホルを美術館で鑑賞する価値を認めることができれば、泉の複製を美術館に展示する価値を認めることができるので、論理的に破綻はしていないと思います。個人的に興味深い点は、彼らの作品が複製は本物ではないというこれまでの通説を否定しようとしたことです。これは彼らのアートの重要なメッセージの一つだと思います。
静物画ですね😅
生物じゃないですね。静物。
まぁ意味がわかっちゃったら価値無くなるから、必死で価値あるように見せるのがアート。意味はないんだけどあるように見せる。意味があるようにみえているなら意味がある。そのけむにまく行為そのものがアートだから、それをあれこれ考えている時点で気を取られている証拠でしてやったりなのである。すでに
高橋が上手くやった斎藤はやっぱり苦しい
大昔、画家を志した事のある人間にとって、デュシャンとウォーホルの絵の上手さは別格。そしてAIアート時代こそ、より編集・選択するチカラが試される。。
斉藤さんという方は質問を煙にまいたり、知らないことに対して思い込みで語ったりする方だと思いました。本当に学者…?しかも哲学?哲学だけやっていればいい、ということでしょうか?教養のない人だな、と思いました。ショーペンハウアーを研究している方は美術にとても詳しかったのですが…マルクス研究では不要?村上さんとの対談も見ました。ご本人を前にすると人間、変わりますよね。
アメリカのアートってドラッグとセットですからね
貧乏しながら絵を描いてます。後世に残り続ける世界一の画家だと自覚してます。
「おさえるべきところをおさえる」というセンテンスを漢字にするなら、「抑える」ではなく、「押さえる」です。意味として「ポイントをチェックする」という事なので、抑圧の「抑」ではありません。
トップスター、ポップスター
静物画だと思います
この先生呼ぶよりも、山田五郎さんの方がアートの本質を理解してると思う。余計にわかりにくくなったやろうし、思考が整理されてない気がしました。
山田さんは台本ありきですがね。もちろん山田さんの解説は最高です。
ちょっと美術の知識が古く感じますね ウォーホルのシルクスクリーンは色彩の芸術ですしゴッホは始めるのが遅くて死ぬのが早すぎただけの超天才だから周囲にも認められていた
@@suna104 台本ありきなのは考慮に入れずコメントしちゃいました😓確かにそうですね!
@@akamr.9428 常に頭の中をアップデートする難しさを実感する動画ですね。自分が間違ってるって常に思わなきゃいけないだろうし。
コンセプチュアルアートにおいて技術論は全然関係ないと思いますけど。卓越した専門的技術もまた現代アートが壊そうとした美術的権威の一要素なのだから。
デュシャンは本物の作品が失われていることによって神格化されているというところが、王義之と同じなのかなあ。
「芸術は、爆破だ」の爆破はテロや破壊ではない。個人の創造力の爆破あり、あいみょんが岡本太郎の太陽の塔が好きなのはそこに通じる。
近代美術は数年前から身に行くようになりました。リヒター展や国内の近代美術館も行って実物を見て、すごいなとは思うんですが、どうも好きには至らないんですよね。ジョン・エヴァレット•ミレーのオフィーリアの方がレベチで好き。自分のことだけど自分でも紐解けないです😅
サグラダファミリアは改修作業も含んだ芸術作品であるもう無理だよ、諦めろよ・・・(完成)その道はもう見えてる
デュシャンとウォーホルは系統が同じとのことですが、布施先生の話を聞く限り、ハイデガーの存在論から見たら全く別物なんじゃないかと思いました。主体から対象に向かって矢印的に向かっていく近代西洋哲学的な認知の仕方で作品を捉え、分析しようとすると、どちらもその存在様態は隠蔽され、資本主義的なものという文脈しか残らないと思います。でも存在者としての作品に触れようとする、布施先生のおっしゃる所では実物を観ることで隠蔽性を取り除こうと試みた時、ウォーホルの絵は確実に存在者としてそこに存在し、ありありとした存在様態を示してくれると思うが、デュシャンの泉は写真が残っているだけで、存在しない。存在しないのだから、存在様態が写真なのか、話題にする人々なのか、美術館にある便器なのか、その辺のホームセンターに売ってる便器なのか、全く判然としないのも当たり前だと思う。これをありがたがるのは近代的認識論に完全に洗脳された人達だけで、そうでない人がこれを芸術と思わないのは当たり前だと思う。存在しないのだから。これが近代への挑戦ならばデュシャンはハイデガー並のすごい哲学者だと思うが、芸術家ではないと思う。
ぶっちゃけ幼児の落書きでも現代アートと呼んでダメではないんだよな上手くはないかもしれないけど、むしろ表情豊かな作品ができると思うそして幼児の絵にも「この程度なら俺だって描ける」と思うかもしれないけど、ある程度「絵の教育」というある種の洗脳をされてしまった我々に、幼児期の絵が描けるのだろうかという疑問があるそこに値段が付くかは別としてだけども子供が親の絵を描いてくれたらそれはその親にとって最強の価値を持つ現代アートと言えるかもしれんね
全く違う!
なんで斎藤幸平のミラー戦になってるんだ。
村上隆とウォーホールとは全く違う。キャンベルスープは別としてウォーホールの作品はデザイン的に優れたものが多い。実物は素材やミディアムなどの遊びもよくて、アートというよりデザイン。村上隆はあれはアートでもデザインでもない。
斎藤さんと村上隆の対談求む。
対談するなら、現代美術の歴史、村上隆の作品をちゃんと理解してからじゃないと、わからないから否定するだけになりそう。
実現した!
@@furafuramimgoめちゃおもろかった👍
資本主義と芸術の話、
めちゃくちゃ興味のあるテーマです!!
今回の動画を見ていて思ったのは、美術っていうのは基本的に野村先生が話していた物理の世界と同じで、世界の本質を見極めていく自然科学的な分野であるということ
世界の要素を抜き出して抽象度を高めることで本質に迫ろうとする帰納的な発想は物理学そのものですよね
例えば自然を模写するのもそうで、絵を描くときは自然をいくつかの要素に分解して理解することで初めて描くことができるんですよね(木は幹から枝に分かれていてその先に葉がついていて、ここの葉っぱの形はこうなっていて色はどうなっていて、光の当たり方によってここに明るい部分と影ができて~というように)。それはものが落ちるのを見た時に「何か力が働いているはずだ」と頭で理解することと等価ですよね
どちらも「世界のルール」を見つけていく作業なんだと思います
野村先生は「物理の世界ではなんでそうなっているのかを最後の最後まで考えてはいけない。それは果てがないから。世界はこうなっているからこうなんだ」という説明をしていましたが、「どこまで本質に迫ろうとも芸術には最後の最後に謎が残っている」と話した布施先生の話は同じだと思いました
こう考えてみると現代アートが意味わからないのは当然で、現代物理がわけわからない頭がおかしい感じに見えちゃうことと同じなんだなと
二人の対談が見たいです
素敵なコメントですね。そう思います。人間は何処から来て何処へ行くのかみたいなところから発しているんじゃないかなと感じます。昔はアートも科学も同じような好奇心から出発していると感じます。どちらも世界を理解しようとする人間の営みなんだと思います。
@@haromuha ありがとうございます!自分が言いたいことを端的に言葉にして頂いててそれそれ!となりました。笑
「人間は何処から来て何処へ行くのか」「世界を理解しようとする人間の営み」というのが的を射た表現でめちゃくちゃ刺さったのですが、どういうことを勉強されたり興味を持っていたらそういう言葉が出てくるんでしょうか?
自分自身現在そういった問題に悩んでいることもあり、どういうことを勉強していけば理解が深まるのか知りたいです。
もともとは、描くほうで西洋絵画専攻でした。当時から物理、数論とか般若心経は興味あって読んでました。共通するのは、それぞれの方法で世界をモデル化してそれぞれの方法で記述しようとしてることかなと思います。むしろ学問全般そうかもしれないので何でもいいのかなともおもいます。私は20代半ばから後半の頃が一番知的欲求が強かった気がします。人によって遅い早いなど時期に違いありそうですがタイミング逃されないことを祈っております😊
@@haromuha もともと描くほうを勉強されてたんですね!自分と逆ですね。自分はもともと大学では応用物理をやっていて、当時は芸術を何かアバウトなものだと認識していたのですが、今はTVアニメのディレクターをやっていて昨年あたりから絵の勉強をしようと美術館に通い始めてみて、理系的な感性と通ずる所がある気がしていたんです。
ピカソの絵や北野武監督の作品には理系的な美しさを感じます。実際北野監督は数学を学んでいますし、だとするなら自分が映像を作る仕事をするのも意味がありそうだなと思えます。絵についてもっと勉強していきたいと思いました。
世界のモデル化と記述について、たしかに学問全般そうかもしれないのですが、数学や物理、芸術だったりというのは、社会学的な学問とかと比べてより本質的な気がするんですよね。人間がどう行動するかよりも、人間そのものの仕組みに興味があるというか。そこが多分好きなんだと思います。
世界の本質を見極める哲学的、自然科学的な面もありますがそれは美術の一つの分野に過ぎないでしょう。何でも作品として提示しさえすれば一応は成立するのが現代における美術です。
短く無いと再生数が稼げないので収益化が難しい中、編集しないで長尺で出してくれた事に感謝します
日本人に足りていないアートのついての文脈を広げて頂ける事は大変有意義だと思います
芸術を求め、追求する中で生きている方と、資本主義のど真ん中で生きている方が交わる瞬間がいつ来るか?固唾を飲んで見守るような動画でした。
布施先生の講義を聞ける貴重な機会をありがとうございます。
4歳の孫のほうが美術館で生き生きとして作品を見てる。そして屋外に展示されるた大きな作品でなんか楽しそうに遊んでる。帰宅して書いた絵が紙一杯のピンク色の迷路でその路はカクカクしているのではなく、曲線で、枝分かれしてその先が渦をまいているような迷路の絵だった。多分美術館の大きなピンク色の花をつけた「つつじ」に目がいっていたからそれからインスピレーションを受けたのかもしれない。彼が大きくなって、もしかして芸術の道に進んだ時、彼はどんな意味を作品につけていくのだろうか。
4歳児なんて皆そんなもんだから
@@梅くらげ-b6z そうなんですよね。子供はいいなと思う今日この頃です。😌
@user-kx3fu7px1i 身近なエピソードしか思いつかずコメントしてしまいました😅。こんなことでも喜んでいるババです~。ご返信ありがとうございます。🙏
素人で普通会えないのに、アートの先生から芸術を解釈する視点を享受させていただき有難いです❗️
もっと聞きたいです
めちゃくちゃ面白いテーマありがとうございます!
24:17 この高橋さんの問に明確に応えて欲しかった。。生きていくのに必要=世界とのつながり、とも言えますが、世界・他者・人間・自分を理解し表現したいという欲求を本能的に持っている作家もいます。高橋さんもきっとそうです。鑑賞する側と同時に制作する側の視点にも焦点をあてるとより面白くなると思います。
私だったらこう答えます。
①作者は作品の全容を理解し答えを持っているか。否。理由は芸術は長く人生は短し。
②アートの目的は何か。答えはパトロンを喜ばすことと、美を追求することの2つ。前者を否定し後者だけを肯定するのは厳しい。
@@dustunion パトロンを喜ばすのは経済的にその必要があるというだけで目的とは言えない。美を追及するも別の何かを追及するも作家により異なる。
@@von_Aschenbach 私はあえて目的だと強調したいですね。
字幕の誤字が多いのがちょっと残念です。粘土(粘度)、抑える(押さえる)、生物画(静物画)、あるいわ(あるいは)など。日本語難しいですね。
ウザ。フリーコンテンツだよ。
@@Sigmapieceメディアとしやるならそこんとこ大事なんだよな〜。ゲスト読んでるんだしね
メディアとし(て)やるなら…
貴方も間違ってますよ😊
内容がいいからこそ他のスタッフがチェックして誤字を無くすべき。
流石に生物画は酷い。
誤字脱字ポリスは内容が頭に入ってない証拠!
しょーもない事をいちいちコメントするあなたはコムツカシぃやつ
いつも配信ありがとうございます。
23:27評論家の話と一緒に実際に作品作っている作家の話も聞いてみたいものです。
テーマ「すべての絵を描く人をイラストレーターと呼んでもいいのでは?」
葛飾北斎は版画を使い、大衆に広まる作品を大量に生産していました。現代で言うイラストレーターでしょうか。しかし、その北斎の作品が西洋に渡ると、芸術として評価されました。アンディ・ウォーホルも、商業と芸術の境界を曖昧にしながら、大量生産を行いましたが、彼は芸術家とされています。
では、イラストレーターがクライアントの要請に応じて仕事をする職業だと言うなら、かつての中世の芸術家たちも貴族からの依頼で作品を描いていたはずです。両者の境界は一体どこにあるのでしょうか?もしイラストレーターが自分を芸術家と名乗れば、その作品は芸術として認められるのでしょうか?
村上隆氏はこの境界をさらに曖昧にしています。結局、誰が何をもって芸術と認めるのでしょうか?芸術の権威者だけがその判断をする権利を持っているのでしょうか?芸術家とイラストレーターは兼業できるものでしょうか、それとも全く別の存在なのでしょうか?
髪型とかメガネとか藤田嗣治の影響があるのかな?
現代美術のわかりやすさを発信するなら岡田温司先生や西田兼先生にインタビューするべし。
18:18はマルクスの肖像ではなくて、レーニンの肖像ですね。
マルクス・レーニン主義という意味で、大きな文脈では大丈夫ですが。
2回に分かれてるんだから、タイトルにちゃんとわかるようにしてくれるくらいの親切さ欲しい
9:28 ポロックの絵の面白いところはまさに描いてる姿というか、絵の具撒き散らしてる作者自身の身体性がカンバスに定着されてることだったりするのかなと思います。色んな見方ありますけど。
音楽も全く同じで、簡単そうに聞こえる名曲ほど、とてつもない理論の学び/練習量/過去の音楽を聴き込んできた量を感じる。
斉藤さんの「私でも描けそう」って仰ってるけど、そう感じさせた時点で作家の思うツボで草
綺麗なものテクニックを評価する世界が飽和状態となった結果、新しい価値感が生まれたのが現代アートだと思う。革命とか言われてますがね。
でも、評価する人間はごく一部のアート界の上層部にいる人間で。
その人たちが評価した、すごい価値がついた、だから、すごいってその他大勢が集まるみたいな構図は変だとも思う。
曖昧になってるからこそ権威者の太鼓判に価値が出てるんだと思う
そうなると権威者によって芸術の価値が決められてしまうからそれが本当の芸術なのかという疑問がわく
権威者と資本主義が結びつくことによって芸術というより投資の対象となる
仮想通貨と一緒だな
村上隆さんの方が、きちんと言語化していますね。
京都の三回分の動画をみてから、これを見ています。
生物画→静物画では?
ちょくちょくテロップ誤字ありますよね
僕も誤字の多さ気になりました笑
粘度→粘土とかも
不易の損失→不易の本質
ですね
ぼくも誤字気になりました
意味を考えてないんでしょうね
もしかしてコストカットでAIで字幕つけてるとかですかね
字幕、「静物画」ですね。「生物画」じゃなくて。🙏 5:44
旅行で金沢に行った時に雨で、天気が悪いから、とりあえず金沢21世紀美術館に行って、初めて現代アートを観た。
全く意味がわからなくて、頭の中が???だったけど、帰りに同行者とあれこれ語り合いながら帰った。
行ってみて良かったね!となった。
やはり、実物を観るの大事ってわかります。
動画の前編後編をとおして、とても面白かったです!
ありがとうございました。
アートは描く方も観る方も自由や解放感を楽しんでいるのかな。
良い作品は自然と一緒で、深淵でなかなか辿り着けないのでしょうか。資本主義の象徴、アンディ・ウォーホルの作品も然り。
これからの時代の作品がとっても楽しみです!!
布施息子の動画みたい。まだ動画メディアにあんまり出てないけど話せる!
アート業界にいます。左お二人が全然納得されてないかんじがするしアートのあり方を伝えきれてない気がしました。
そもそも興味が無さそうに見えます
何でもかんでも定義づけしなくて良くない。
結局、作者にしか分からない事
伝えきれるわけがないと思います。なぜなら本物を見るという単純明快な答えもまだ蓄積されてませんし。
なぜ他者が無関心なのか?
貴方が死体/暴力/芸術に対して無関心であるからだ
人生には遊びが必要である。さあ、遊ぼう♪(言語ゲーム)
「俺でもできる」、「絵の具散らしただけじゃないか」と言ってるけど、それは作品を見てから言ってるだけですよね
それを発明するとこが重要なんですよ
布施さんも仰ってますが、ウォーホール、めちゃめちゃ絵は上手いです
達筆だし、当然センスが良い
でも上手いかどうかってのは、左のお二人は写実的であるかどうか、くらいの判断なんじゃないですか?
全ての事をわかりたい、というのは不可能だと思います
世の中分からない事だらけなのに、なぜアート作品だけ分かろうとするのか
なんだか高慢に感じます
中途半端に勉強してきて、自分の事を賢いと思っている人間ほどそこにハマる。
分かった気になってる人間を一番簡単に炙り出してくれるのが芸術
「村上隆の芸術実践論」の動画がニコニコにあるからそれがおススメかなw
いや〜、面白いわ〜。アート論の話なんて今までほとんど聞いたことなかったけど、やっぱり専門家の話を聞くと全然違いますね。非常に勉強になりました。もっと現代アートも見に行きたくなりました。
現代アートは文脈ありきだから"わからない人はわからない"から抜け出せず、"これがわかる俺すごい"に留まってると思う
印象派が好きなのは文脈がわからなくても一目で感動や驚きが得られるところ
作品がすばらしいからその作者や背景を知りたくなる
わかる、、現代アートって作品単体で成立してない物が多々あって、この教授先生みたいに回りくどくて高尚な解説があってアートとされているって感じ。そういう説明付きアートに人間の浅はかさとかを説かれても端的に言って面白くないし、別に感動もしないし好きでもない。見た目が良くない現代アートは嫌い笑
現代美術は意味のゲームみたいになっちゃっててそれを楽しみたいかどうかが好きかどうか、、、なのかな。
通しで見て、大学教授は研究者であって教育のプロではないということを久しぶりに感じました。
布施の仰ってる内容は面白いけど、話はあっち行ったらこっち行ったりで非常に聞き辛い。村上さんのような聡明に話す方を観てから見返すと尚更。
14:54
これ逆の解釈とかが主流というかよく聞くんだけど
マリリンモンローとかの時代のアイコンを複製してキッチュなデザインにすることでアイコンとしての権威を失墜させるみたいなカウンターカルチャーじゃなかったの?
一品物のモナリザや一神教のアイコンマリアの偶像化と全く逆の創作運動ではないのかな?その一般解釈を踏まえて説明してほしかったや
大量生産、大量消費の社会でスープ缶のラベルのように生産される時代に、時代のアイコンとも呼べるマリリンやエルビスの肖像をラベルのように利用できることを目的としてデザインしたんじゃないの?
プリントを想定したデザインで誰でも作れて、編集して大量複製し、Tシャツとかポスターとかに利用させ、大量に流通させ、肖像のユニークネスを無くす(陳腐化)を促進させ、権威を失墜させるみたいな気がするけどなぁ
19:10 とかめっちゃいい例で、プリントデザインが肖像のもつ権威や、付帯する思想を無力化させた代表的な例だよね
実は再現性ないって話あるけど、印刷を表現手法として選んでる段階で再現性ない、一品物ので価値あるみたいなことを否定してるよね…
誰でもつくれそって一般人の感覚は全然間違ってないよね
ウォーホルの偉大さって、それまで権威主義的なアートと大衆のためのプロダクトデザインを近づけたことじゃね?コラボしてたバスキアもカウンターカルチャーだしなぁ、バスキアと仲良かったのも同じ創作思想だからじゃないの?なぜバスキアには触れないの?
20世紀って車、コンピュータ、家具含めたプロダクトデザインが盛り上がってたころだしなぁ
ミッドセンチュリー的なやつ
車、コンピュータ、デザイン家具は高単価商材だけど、より大衆に近い
デイリープロダクト(日用品)のトマト缶のパッケージデザインに落とし込んだんじゃないのか??
※デイリープロダクトは乳製品って意味だけど、超昔のはデイリープロダクト=バター、チーズ、牛乳とかが日用的に買ってたもので
20世紀のデイリープロダクトは工業化した缶製品(トマト缶など)って意味で上で使ってます。
20世紀の資本主義万歳の時代に、20世紀以前の個人の表現や限られたグループ(宗教、権威化した個人の集団、パトロン)のためアートが、大衆のためのプロダクトデザイン(視覚設計)に寄ってきたって感じかな?
これは神回ですね。
最高でした!
テレビ、UA-cam、映画、音楽、漫画、本の方が面白い
絵の才能を腐らせないために絵は必要
ウサインボルトの足の速さをありがたがる
よりは趣味性が合う
永遠に残る前提であるロマンはあります
早稲田の作家さんですら缶詰展開図
何か言いたい人は少ない印象
歌い手が歌いたい内容は無いのに似てる
歌が歌いたい、絵が描きたい
そんな稚拙さもあると思います。
綺麗は他者の言葉
美しいは貴方の言葉
引用:岡本太郎
私にも書けそうなものを芸術にしたのが凄いって事ですよね。
斉藤さんが実は資本主義のど真ん中にいるという矛盾は現代社会の一つのテーマになりますね
【斎藤幸平vs斎藤幸平】?
タイトルが【斎藤幸平vs斎藤幸平】になってますね
布施先生はデュシャンも千年残ると仰るがコンセプチュアルアートでそのコンセプトが失われた時代でも美術作品として残るというのはおかしくないですか?
既製品をモチーフにする意味は伝統的な美術の希少性や美それ自体の否定でもあり、その文脈で作られた作品について従来の絵画造形的な視点(構図が良いとかフォルムが美しいとか)で解釈することに意味があるのかしら。
古代美術が千年たっても残っているのは意味を超えた普遍的な美があるからでしょう、もちろん歴史的文化財だからという面も大きいですが。
❝自由よりも道だ❞
布施先生は、もう少し語りが滑らかだと最高ですね。
確かにバンクシーもうまいしなあと
色々納得しました。
25:30 の大富豪が最後には絵画を買うよねって言うのは、節税のための可能性が高いよなって思ってしまう。公益財団法人にすればかなり節税できるし
マルクスとレーニン間違えてるから、斎藤さん少し別の受け取り方してると思う。
レーニンと毛沢東が組みの場合と、そこにマルクスが入ってるかどうかは意味合いがかなり変わって捉えられるんじゃないかな。
ウォーホルが書いているのは、マルクスではなく、レーニンじゃなかったでしたっけ?
ですね。ウォーホールの書いたマルクスは、コメディアン芸人ユニットのマルクスブラザーズですね。 芸術家ならマルクスとレーニンの区別がつかなくても問題ないのでしょう。 マルクスとレーニンの区別がつかない人に資本主義の権化と言われてましても。 アートを金銭的価値で測ろうとするからややこしくなるのでしょう。 アートを金銭価値に貶めるのは教会を破壊し宗教画を燃やすのと同じくらい愚かなのかと思います。それこし人類の共通財産コモンとなるのかなと。
芸術家の斎藤幸平がマルクス主義やってて
村上隆みたいなのが芸術やってるのがもうカオスw
言語は現実を語れない
昔は、王様の墓に絵を描ける人が絵を描いた。
中世では貴族のレベルの人に絵を描いた。(音楽も同じ)
近代ではそれがより市民に近づいてウォーホルやポップミュージックになって行った。ただ絵のバリエーションとしてはネタ枯渇で、ナラティブで価値を付けるようになった。
それが現代では、AIが個人のために絵を生成したり音楽を生成するようになったという流れかと思った
アートを投機の対象と見る事から既に、アートの本質•役割を理解してない事がわかった。結果的に、結論の出ない議論なんだろうな。アートをお金の尺度で計ろうとするからこうなる。
あ〜〜ぁ
このシリーズは凄いわ
現代アート、面白いわ。
“君たちはどう生きるか”
歌の歌詞と一緒で解釈はその人その数だけ存在していて、作り側も説明的ではなく余白を残し、これを正解としていない側面があると思う
タイトルまで、斎藤vs斉藤、になってるのはちょっとやばい
いまだに無修正で笑
神回
京都にいるからよくわかるけど、村上隆の作品はともかく、“村上家”は何だかなぁ…。あの息子さん、どうするんだろ?
美に対する追求ではなく意味を求めるようになったら美術は終わりだと思ってる。
作者の美しいのと感じる物の構築じゃなく学者がやりそうな社会問題提起なら美術は終わり
実際、現代美術の世界は「ゾンビ」「美術の死」とも言われているので、感覚としては正解っちゃ正解なのかもしれませんが、芸術含め文化は常に変化するものなので、その変化を受け入れるのも鑑賞者としては必要ですね。ゾンビの中で新たに模索を続ける作家たちの力強さも魅力ですから。
ちなみに、ウォーホルなどの作家は問題を「提示」してはいても、それを肯定も否定もしない、ある意味何かを語っていながら何も語っていないわけですから、学者がやる問題提起とは根底が違います。でも最近は、それこそ活動家みたいな、もろ「差別の歴史!」「移民問題!」みたいなものが多くなってきて、ちょっと息が詰まる感じにはなってきましたね...。
立場は色々ですが政治的プロパガンダに利用され矮小化されることに辟易している美術家もいるはずです。。がそういった作品はなかなか取り上げられないのかなと思い絶望します。数学とか宇宙論とかの方がアートしてるなと思います。
どれだけの言葉と時間をつくしても言語化できないものが美なのだから、美について語りたい人がいれば好きなだけ語らせれば良いのでは?
美についていくら語ったところで美の価値が傷つくことはありません。誰だろうと美から受け取ったメッセージを考えたり議論するのは自由です。中には政治的メッセージを見出す人もでてくるでしょうがそれも自由です。アートに政治を持ち込むなという人はピカソのゲルニカを否定できるでしょうか。
芸術運動を否定するタイプ
なに目線のコメントなんだ?
作家?研究者?美大生?コレクター?ただ見てるだけの人?
江戸時代日本に来た西洋人が青磁の便器/オマルを用途を知らずに素晴らしい芸術品だと感動して購入してたというエピを思い出した。 大変興味深い動画でした。概要欄を見て、いきなり高度な部類の寄生的プロラタリアアートな名前が並んでいて萎えましたが、トロツキー的に言えばそういった人達が自分達を正当化してくれる代弁者を求めている時代ということなのでしょう。
斎藤幸平さんはマルクス主義と言っていながら資本主義を体現していると、2度も発言された布施さん。それをカット編集しない高橋さん。それから「うんちを握れ」。 母親なら経験をしている日常を学者が言葉にする事でインパクトを与える等、色々面白かった。
美術を見るというのは、宇宙を感じる1つの方法なのか?
字幕の誤植というか、字幕を作っている人の教養の無さ、チェックしている人がいるのかいないのか、みたいなのが目に付くプログラムでした 普通「生物画」→「静物画」じゃないでしょうか
斉藤さんが資本主義社会の中心にいることの矛盾について芯食ったやり取りをしないことが気になったなー
クリティカルな指摘でしたね。村上隆嫌いと言いながらあなたも同じ穴の狢なんじゃないの?っていう。
なるほど、斎藤氏のカルマ落としは、ここが契機なのね…だから、齊藤氏vs斎藤氏となっているのね😂
高橋さんの実力を知った❤️
単なる間違いかもしれんが…😂
作品は作者の魂の形だと思います。
魂の形に上手いも下手もありません。
他者の魂に触れるというのは鑑賞者の感情に訴えかけときに感動を呼び、ときに嫌悪する。
その作品が好きなら深く知っていくだろうし、嫌いなら遠ざける。ただそれだけの話しだと思います。
深淵を覗く時は、深淵もまたこちらを覗いている。
ただ、思うのは嫌いな作家の嫌いな作品ほど実は深淵の可能性が高かったというのが経験則です。
静物画な、初っぱな混乱した😊
んなこといったら。小説は大量印刷して複製したらチープになるんか?って
「斎藤幸平vs斎藤幸平」、そろそろ修正してくださいませ〜
「自分でも描ける」って気持ちは、大事にしよう。下手でもイイ。
それが現代なのだから。
デュシャンを見に、フィラデルフィアに行きましょう。飛行機で行ける。
人・モノ・金・情報が足りないからと言って、行動しない人が、現代は多い。
「生物画」って…文字起こしにもこの機会に知識が深まるといいな。「静物画」です。
「アーティストの糞」はアレッサンドロ・マンゾーニではなくてピエロ・マンゾーニです。アレッサンドロさんは詩人、作家です。
現代アートは共産主義者によって既存の価値観の破壊のために利用されてきたという面があるのに、マルクス主義者が伝統的な美術を擁護し、現代アートに疑問を持つというのは面白い。
話は面白いが、字幕がチープ。なぜリハックのような動画が、素人のUA-cam動画のような、誤字の多い字幕になるのだろうか? チェックしていないのかな?
村上氏出演の動画見た後だと非常に浅いレベルで好き勝手に評論してるなっていう印象しか沸かないね
うーん、前編はそこそこ良かったけど、こっちはなんか「現代アートに価値が無いと言いたいんだろ?」という怯えの中で解説しているように感じた。
現代アートは「既存の価値観ぶっ壊すのかっけー」と「数少ないから価値が上がる」「金待ちアピールのマウント欲」の3点により支えられてる。
アートそのものに技術や価値を見出そうとするのは無理がある。
まさにこれだと思います。。
そのうち尻の穴の形でも見せ合って、金稼げば良い。
芸術はわかるわからないを感性で語るのが誤解の原因だと思う
価値がわかるかは感性ではなく知識
ほとんどの分野がその背景や文脈を知ってるかで面白さが変わる様に芸術は知識の有無で価値が大きく変わる
わからない原因が知識とわかってればアート業界に文句言う人減るんじゃない?
感性だと言われるとわからないのはお前のせいだと言われた様で噛み付く人も出てくる
生殖は死を遠ざけてはくれない
それ以上の快楽が必要である
論理が破綻していて、困る。
デュシャンの泉を、現代アートの最高峰とするなら、物理的な美術品は、複製品がそこにあるだけで、そこに視覚的な発見はない。布施さんが目で本物を見ないと分からないんだという謎主張をするが、説明、状況、観念、コンセプトを考えさせる事を美術にしたのが、画期的であったのだから、それを見る事に意味はないのでは?
ウォーホルも複製ですよね。少なくとも複製として見られることを狙っています。ウォーホルを美術館で鑑賞する価値を認めることができれば、泉の複製を美術館に展示する価値を認めることができるので、論理的に破綻はしていないと思います。
個人的に興味深い点は、彼らの作品が複製は本物ではないというこれまでの通説を否定しようとしたことです。これは彼らのアートの重要なメッセージの一つだと思います。
静物画ですね😅
生物じゃないですね。静物。
まぁ意味がわかっちゃったら価値無くなるから、必死で価値あるように見せるのがアート。意味はないんだけどあるように見せる。意味があるようにみえているなら意味がある。そのけむにまく行為そのものがアートだから、それをあれこれ考えている時点で気を取られている証拠でしてやったりなのである。すでに
高橋が上手くやった
斎藤はやっぱり苦しい
大昔、画家を志した事のある人間にとって、デュシャンとウォーホルの絵の上手さは別格。
そしてAIアート時代こそ、より編集・選択するチカラが試される。。
斉藤さんという方は質問を煙にまいたり、知らないことに対して思い込みで語ったりする方だと思いました。
本当に学者…?しかも哲学?哲学だけやっていればいい、ということでしょうか?
教養のない人だな、と思いました。
ショーペンハウアーを研究している方は美術にとても詳しかったのですが…マルクス研究では不要?
村上さんとの対談も見ました。ご本人を前にすると人間、変わりますよね。
アメリカのアートってドラッグとセットですからね
貧乏しながら絵を描いてます。
後世に残り続ける世界一の画家だと自覚してます。
「おさえるべきところをおさえる」というセンテンスを漢字にするなら、
「抑える」ではなく、
「押さえる」です。
意味として「ポイントをチェックする」という事なので、抑圧の「抑」ではありません。
トップスター、ポップスター
静物画だと思います
この先生呼ぶよりも、山田五郎さんの方がアートの本質を理解してると思う。余計にわかりにくくなったやろうし、思考が整理されてない気がしました。
山田さんは台本ありきですがね。もちろん山田さんの解説は最高です。
ちょっと美術の知識が古く感じますね ウォーホルのシルクスクリーンは色彩の芸術ですしゴッホは始めるのが遅くて死ぬのが早すぎただけの超天才だから周囲にも認められていた
@@suna104 台本ありきなのは考慮に入れずコメントしちゃいました😓確かにそうですね!
@@akamr.9428 常に頭の中をアップデートする難しさを実感する動画ですね。
自分が間違ってるって常に思わなきゃいけないだろうし。
コンセプチュアルアートにおいて技術論は全然関係ないと思いますけど。卓越した専門的技術もまた現代アートが壊そうとした美術的権威の一要素なのだから。
デュシャンは本物の作品が失われていることによって神格化されているというところが、王義之と同じなのかなあ。
「芸術は、爆破だ」の爆破はテロや破壊ではない。個人の創造力の爆破あり、あいみょんが岡本太郎の太陽の塔が好きなのはそこに通じる。
近代美術は数年前から身に行くようになりました。
リヒター展や国内の近代美術館も行って実物を見て、すごいなとは思うんですが、どうも好きには至らないんですよね。
ジョン・エヴァレット•ミレーのオフィーリアの方がレベチで好き。
自分のことだけど自分でも紐解けないです😅
サグラダファミリアは改修作業も含んだ芸術作品である
もう無理だよ、諦めろよ・・・(完成)
その道はもう見えてる
デュシャンとウォーホルは系統が同じとのことですが、布施先生の話を聞く限り、ハイデガーの存在論から見たら全く別物なんじゃないかと思いました。主体から対象に向かって矢印的に向かっていく近代西洋哲学的な認知の仕方で作品を捉え、分析しようとすると、どちらもその存在様態は隠蔽され、資本主義的なものという文脈しか残らないと思います。でも存在者としての作品に触れようとする、布施先生のおっしゃる所では実物を観ることで隠蔽性を取り除こうと試みた時、ウォーホルの絵は確実に存在者としてそこに存在し、ありありとした存在様態を示してくれると思うが、デュシャンの泉は写真が残っているだけで、存在しない。存在しないのだから、存在様態が写真なのか、話題にする人々なのか、美術館にある便器なのか、その辺のホームセンターに売ってる便器なのか、全く判然としないのも当たり前だと思う。これをありがたがるのは近代的認識論に完全に洗脳された人達だけで、そうでない人がこれを芸術と思わないのは当たり前だと思う。存在しないのだから。
これが近代への挑戦ならばデュシャンはハイデガー並のすごい哲学者だと思うが、芸術家ではないと思う。
ぶっちゃけ幼児の落書きでも現代アートと呼んでダメではないんだよな
上手くはないかもしれないけど、むしろ表情豊かな作品ができると思う
そして幼児の絵にも「この程度なら俺だって描ける」と思うかもしれないけど、ある程度「絵の教育」というある種の洗脳をされてしまった我々に、幼児期の絵が描けるのだろうかという疑問がある
そこに値段が付くかは別としてだけども
子供が親の絵を描いてくれたらそれはその親にとって最強の価値を持つ現代アートと言えるかもしれんね
全く違う!
なんで斎藤幸平のミラー戦になってるんだ。
村上隆とウォーホールとは全く違う。キャンベルスープは別としてウォーホールの作品はデザイン的に優れたものが多い。実物は素材やミディアムなどの遊びもよくて、アートというよりデザイン。村上隆はあれはアートでもデザインでもない。