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【防人の歌】~防人の歴史的背景と家族愛~(『万葉集』)

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  • Опубліковано 4 січ 2022
  • 今回は、万葉集の中から「防人の歌」をご紹介します。
    防人は、飛鳥時代から平安時代にかけて、九州沿岸の防備にあたった兵士のことです。663年「白村江の戦い」での大敗の後、唐・新羅の侵略に備えました。
    「さきもり」という読み方は、古来、岬や島などを守備した「岬守」や「島守」に由来します。これに、唐の制度である「防人」の漢字をあてました。
    『万葉集』には「防人の歌」が84首あります。
    大伴家持を中心に収集され、故郷に残してきた家族のことを思い詠った歌がたくさんあります。
    動画では、次の歌をとりあげました。
    熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば
    潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな
    巻一(八)額田王
    今日よりは 顧(かえり)みなくて 大君(おおきみ)の 
    醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つ吾は
    4373 火長今奉部与曾布(かちょういままつりべのよそふ)
    我が妻も絵に描き取らむ暇(いつま)もが
    旅行く我(あ)れは見つつ偲はむ
    4327 物部古麻呂
    水鳥(みづとり)の 立ちの急ぎに 父母(ちちはは)に、
    物言(ものは)ず来(け)にて 今ぞ悔(くや)しき
    4337 上丁有度部牛麻呂
    ふたほがみ悪(あ)しけ人なりあたゆまひ
    我(わ)がする時に防人(さきもり)に差(さ)す
    4382
    防人に 行くは誰(た)が背(せ)と 問ふ人を
    見るが羨(とも)しさ 物思ひもせず
    巻二十 4425
    韓衣 裾に取りつき 泣く子らを 
    置きてそ来ぬや 母(おも)なしにして
    4401
    足柄(あしがら)の御坂(みさか)に立(た)して袖(そで)振(ふ)らば
    家(いは)なる妹(いも)は清(さや)に見(み)もかも
    巻20 4423 藤原部等母麻呂(ふじわらべのともまろ)
    色深く夫(せ)なが衣(ころも)は染めましを
    御坂(みさか)たばらばま清(さや)かに見む
    4424 物部刀自売
    国国の防人(さきもり)集(つど)ひ船(ふな)乗りて
    別るを見ればいともすべなし
    4381 河内郡上丁神麻續部嶋麻呂
    おしてるや難波(なにわ)の津(つ)ゆり船装(ふなよそ)ひ
    我(あれ)は漕(こ)ぎぬと妹(いも)に告(つ)ぎこそ
    4365 信太郡(しだのこおり)の物部道足(もののべのみちたり)。
    百隈(ももくま)の道は来(き)にしをまた更に
    八十島(やそしま)過ぎて別れか行(ゆ)かむ
    4349 助丁(じょちょう)刑部直三野(おさかべのあたいみつ)
    わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 
    影(かご)さへ見えて 世に忘られず
    4322 若倭部身麻呂
    父母が頭かきなで幸(さ)くあれて
    言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる
    4346 丈部稲麻呂(はせつかべのいなまろ)
    #防人の歌#万葉集#大伴家持

КОМЕНТАРІ • 17

  • @user-yl9fj9qj3m
    @user-yl9fj9qj3m Рік тому +4

    からころむ 裾にとりつき……
    小学校社会科の教科書に載っていたこの一首が私と短歌との出会いでした。
    表し方は時代とともに変わっても、根底に人のかなしみ、こころ切なさが迫って来る。
    短歌の力と不思議を感じます。
    今後も勉強のため楽しみに視聴したいと思っています。

    • @tankaichigoichie
      @tankaichigoichie  Рік тому

      コメントをありがとうございます。
      小学校の社会科の教科書に掲載されていた一首が、短歌との出会いだったんですね。
      和歌や短歌は時代が変わっても、そこに流れている人間の心に共感できる点が素晴らしいと思います。
      これからもいろんな動画をアップしますので、ご覧くださいね。

  • @yoiijima
    @yoiijima 2 роки тому +2

    ありがとうございます。大変勉強になりました。

    • @tankaichigoichie
      @tankaichigoichie  2 роки тому +1

      コメントありがとうございます。
      大変励みになります。
      少しでもご参考になれば幸いです。
      今後もいろいろと作っていきますので、よろしくお願いします。

  • @user-yq8ci1jf9x
    @user-yq8ci1jf9x Рік тому +2

    柿本人麻呂とか宮廷歌人の歌よりも、
    苦労や苦難、悲哀のにじむ山上憶良の歌風が好きです。

    • @tankaichigoichie
      @tankaichigoichie  Рік тому +1

      コメントをありがとうございます。
      山上憶良は唐への留学経験などから仏教思想へ傾倒していたといわれ、死・病・貧しさ・老いなどをクリーズアップした和歌が見られます。
      こうした山上憶良の歌風やテーマは、いまの時代でも胸をうつものがありますね。

  • @user-qe5ph4wt7j
    @user-qe5ph4wt7j Рік тому +3

    とても良い企画だと、思います。私も短歌をしていますから、ぜひ、令和においても、庶民の歌とその時代背景とを、万葉集として編纂されますように、期待しています。

    • @tankaichigoichie
      @tankaichigoichie  Рік тому

      コメントありがとうございます。
      令和の『万葉集』ですね。一大プロジェクトとして歌壇が動くと面白いと思います。
      撰者の責任が重そうですが。現代の『万葉集』はどこまで本家に迫れるか、楽しそうです。
      家族愛や庶民の思いは昔も今も変わらぬもの。普遍のものであるから今でも感動するのでしょうね。

    • @user-dr3ud6er2j
      @user-dr3ud6er2j Рік тому

      素晴らしい動画! ありがとうございます🙇 飛鳥奈良朝の庶民の防人の和歌ですね。 万葉仮名の時代に、文字言葉でなく話し言葉の時代に高度な和歌を創作する文化が存在していたことに感動を覚えます🥰

  • @user-dr3ud6er2j
    @user-dr3ud6er2j 7 місяців тому +1

    東国の庶民は民度が高いですね✌️ 平仮名は発明されておりませんから、漢字の訓読み音読みで和歌を創作しておりますね🥰

  • @shoichikobayashi1349
    @shoichikobayashi1349 18 днів тому

    防人は自分の歌をどのように保存していたのでしょうか。

    • @tankaichigoichie
      @tankaichigoichie  17 днів тому

      「防人の歌」も一字一音の万葉仮名で書かれています。
      農民たちの中には教養が高く、地方貴族のような人たちも混じっていたのではないかと考えられています。
      「防人の歌」は、大伴家持が防人を筑紫に送り出すため難波津に滞在した一ヶ月ほどの間に、防人から提出された歌を編集し書きとどめたと言われています。家持に進上されるまでの段階で、官人たちの手が加わり、さらに家持の取捨により、洗練された歌ばかりが掲載されているとも考えられますが、現代の私たちが思っている以上に教養があり、文字を書ける人もいたのではないでしょうか。素朴な歌が多いのですが、これだけの歌を作っていることに驚かされます。

  • @beancurdog_2
    @beancurdog_2 4 місяці тому +1

    専門のチャンネルでも、二句切れの歌も三句切れ調に朗読するのですね。それが正しいのですか?

    • @tankaichigoichie
      @tankaichigoichie  4 місяці тому +1

      コメントをありがとうございます。
      朗読はゆっくり読むことを心がけていたので、区切れは気にせずに読んでいました(・・;)
      今後の参考にさせていただきますね。
      まだまだ勉強中なので、これからも和歌や短歌を頑張って学んでいきます。
      よければまたぜひご覧ください。

    • @beancurdog_2
      @beancurdog_2 4 місяці тому

      @@tankaichigoichie ご返信頂きまことにありがとうございます。私は必ずしも日本文化のファンではなく、むしろピンと来ない事の方が多く、しかも理系(笑)ですので、基本的な知識も無いのですが、これまでの人生で感動した和歌は2つしかありません。しかしそれらは、遠い昔の人のものとも思えず、現代に共に生きる者のように、魂の繋がった思いが致しました。そしてその何れもが二句切れなのです。大むかし学校で、五七の単位を好きなだけ繰り返して最後に七を付けるのが長歌で、そこから短歌が派生したのが和歌であると教わりました。三句切れは後世に発生して優勢になったのだと。しかしみんな読み方は、短歌といえばお決まりの、三句切れ用のフシを付けた読み方をするので、オカシイではないかと密かに思っておりました。教師も全く教えてくれませんでしたが、全く自分流の考えで、(…ということは、
      タタタタター タタタタタタタ
      タタタタター タタタタタタタ

      タタタタター タタタタタタタ
      タタタタタタタタ、
      と本来は、昔は、読んだのではないか、そう読むとよく読める、そう読んだ筈だ、そう読むべきだ)
      と勝手に思うようになり、上述の2つの歌も、自分の中では必ずそのような自分流のリズムで読むようにいつしかなっていたのです。
      あの正月のカルタ取りの読み方が本来の普遍的な正しい読み方だとはどうしても思えない。皇室の歌会始めの動画なども拝見しましたが、あれはまた独特の読み方をしていましたが、あれはあれで、心で味わうには必ずしも適した読み方とは思えないのです。でもあれが最も正統な和歌の朗読の仕方なのでしょうか?