「鎌倉殿の13人」第3回解説 以仁王と源頼政の挙兵

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  • Опубліковано 21 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 36

  • @歴史さんぽ-y2w
    @歴史さんぽ-y2w 2 роки тому +11

    テンポよくてわかりやすい解説ありがとうございます。3人の楽しそうな空気感が伝わります。

  • @ボヤッキーのユースフ
    @ボヤッキーのユースフ 2 роки тому +20

    このチャンネルはコタツに入ってミカン🍊を食べながら楽しく歴史談議しているような雰囲気がとても良いですねぇ。笑い有り、ぶっちゃけトーク有りでほのぼのしますよ〜。

  • @もふもふ-x4p
    @もふもふ-x4p 2 роки тому +19

    世が世なら以仁王は天皇になってたよなぁ
    でも彼のお陰で源平合戦が始まって日本の歴史が動いたわけだから
    やっぱりこの時代のキーマンなのよね

  • @kouichif348
    @kouichif348 2 роки тому +11

    以仁王(木村昴さん)が優秀だったとは、初めて知りました!ありがとうございます。
    十郎叔父(杉本哲太さん)が疫病神とはなるほど。しかし、疫病神でもカミは神。
    物語をどう引っ掻き回してくれるか、今から楽しみです。

  • @nbuob19
    @nbuob19 2 роки тому +11

    大河ドラマ鎌倉殿の13人の以仁王役は、ジャイアンの声優さんだったんだ!気が付かなかったw
    この前まで少年だったのに、いつの間にあんなゴッツい、プロの格闘家みたいな容貌になったんだ。

  • @あいうえおう-s7k
    @あいうえおう-s7k 2 роки тому +27

    このチャンネル、解説が素晴らしいし、後ろのお二人との掛け合いも楽しいから、もっと再生回数増えて欲しいな…
    (戦国BANSHIチャンネルは数万とかなんですよね…)
    ハッシュタグに『鎌倉殿の13人』『以仁王』『木村昴』って入れてないからかな?💧

  • @joint1114
    @joint1114 2 роки тому +4

    源頼政は鬼退治で有名な源頼光の子孫で摂津源氏の出身 美濃源氏の土岐頼遠や明智光秀とも遠い親戚なんだよね。
    あと浅野内匠頭も源頼光の子孫…

  • @gm77285
    @gm77285 2 роки тому +4

    今日も面白かった。イイネ100個(^^♪

  • @ボンド-w3y
    @ボンド-w3y 6 місяців тому

    木村さん
    平家物語では平知盛やってましたね

  • @千両一滴
    @千両一滴 2 роки тому +4

    「人間の方の仲綱にしてみれば…」
    いやァ〜面白い🤣(仲綱(ヒト科の方)にしてみれば面白いわけないが…).

  • @秋山繁樹
    @秋山繁樹 2 роки тому +3

    お話は少し違いますが、小泉孝太郎演ずる平宗盛の動向が何か気になります。源義経は誰が演じるのか?今年の大河の脚本家の三谷孝喜は、「東鏡」だけでなく、あの「平家物語」をどう料理するのでしょうか?

  • @55tomokun66
    @55tomokun66 2 роки тому +9

    平家物語 読み直して見ようかな
    (=゚ω゚=) 反平家の闘い いよいよですね
    疫病神の叔父さんって(>.

  • @きのきのぴ-c8f
    @きのきのぴ-c8f 2 роки тому +9

    気のせいか高倉天皇の肖像画がアホ面に見えるのはワタシだけ?σ(´・д・`?)
    以仁王も薄幸だったんですね…
    第3話をしこたま解説してもらえて、復習もバッチリ!今夜の大河が楽しみ😊

  • @参河屋喜三郎
    @参河屋喜三郎 2 роки тому +2

    今の学説では頼政はけしかけていないことが定説になっている。以仁王をけしかけたのは八条院。第一、以仁王の討伐軍の大将は頼政だ。
    園城寺に立てこもった以仁王を討伐すれば、仏罰に当たり地獄に落ちてしまうことをはばかって、やむにやまれぬ事情で以仁王に従ったのが自然のなりゆき。実際、東大寺を焼討した平家は滅んだしね。当時は神仏に敵対することなど恐れおおくて出来なかったのだろうね。
    だから、頼政側が何の準備もしていないので、あっという間に以仁王の挙兵は失敗したんだろうね。

  • @takarin473
    @takarin473 2 роки тому +17

    源頼政はこの時何と77歳(数え年)。当時の平均寿命から考えると、正にスーパーおじいちゃん武将です。

    • @kashimashi_rekishi_ch
      @kashimashi_rekishi_ch  2 роки тому +11

      人生最後に源氏として平家に盾突きたかったのかもしれませんね~。

    • @秋山繁樹
      @秋山繁樹 2 роки тому

      保元の乱は源氏と平家の内は争い。平治の乱は源平の戦いと、学校では習いましたが、後者は、源平の面子の頭数が偏っていて、基本的には源平の中の、内は争いと言われています。「武士の秀でし歌詠み」で、法王にも覚えめでたい頼政も。平家の横暴には老骨に鞭打って挙兵したのでしょうね。

  • @pontarou01
    @pontarou01 2 роки тому +1

    私の母方の祖先は以仁王の随臣でした。会津に逃げて定着

  • @RYUUOUJINTEI
    @RYUUOUJINTEI 2 роки тому +7

    源頼政て、鵺退治で、有名な方ですよね

    • @kashimashi_rekishi_ch
      @kashimashi_rekishi_ch  2 роки тому +6

      そうです。武人としてかなり信用されていた人です。

  • @Mひろ子
    @Mひろ子 2 роки тому +4

    とても声も良く解りやすいですね!
    少しだけビジュアル(メイク、髪型眼鏡、服装)に気を使われると凄く良いと思うのですが…

  • @kazuoyamashita1052
    @kazuoyamashita1052 2 роки тому +1

    信濃源氏はその清和源氏主要三系が分かれる前に分かれていると思いますので、河内源氏に含めるのは間違いではないでしょうか。戦国時代の北信の大名村上氏などがこの信濃源氏の系です。

    • @kazuoyamashita1052
      @kazuoyamashita1052 2 роки тому +2

      wiki などで見る限り記述が乱れているようですね。生物学的な分類であれば、種分化が起きた時点でその枝が「一族」になりまず。wiki でも記述間違いがありますね、信濃源氏主流派の祖は、清和源氏初代、源経基の五男の源満仲になります。経基の長男・満仲の息子の代で、長男(摂津源氏)、次男(大和源氏)、三男(河内源氏)の清和源氏主要三系統が生じますので、信濃源氏と河内源氏は、叔父と甥の関係になります。叔父が甥の子孫として生まれるのは無理です。
      なぜこのような誤解と誤法がまかり通っているかと言えば、信濃源氏と言う語と、例えば河内源氏と言う単語を同様同列に扱うことが間違っているからです。信濃源氏は単に「信濃に居住する、信濃に根拠地を持っている源氏」の意味でしかありません。対して河内源氏は血統のことであり、鎌倉で生活しようが木曽で生活しようが、河内源氏です。

    • @アサヤス-w8v
      @アサヤス-w8v 2 роки тому

      @@kazuoyamashita1052
      一か所、記載の間違えがある様に思います。
      信濃源氏主流の祖の説明で「源経基の五男の源満仲」と書かれていますが、経基の五男は「満快」ですよね、恐らく。
      その後の摂津・大和・河内源氏の説明では、「経基の長男・満仲」と書いておられますし。

  • @mikatuhiko
    @mikatuhiko 2 роки тому +1

    頭プリンやないかい^_^
    でも質問が良かったですね。

  • @ゲトリクスうぇるきん
    @ゲトリクスうぇるきん 2 роки тому +1

    北条家(政子)は鎌倉公儀の 源家の癌
    北条ヲ賛美は到底赦す事出来難い
    恐らく義経ヲ鎌倉に入れなかったのを
    頼朝に決めさせたのも北条の囁きダ