九州の鉄道 伊田線・田川線 (現 平成筑豊鉄道) 1989年

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  • Опубліковано 29 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 11

  • @島本文雄
    @島本文雄 Рік тому +2

    青春の門の風景が目に浮かぶ

  • @門ハイ
    @門ハイ Рік тому +1

    先日、「へいちく」に乗りに行きました。貴重な映像ありがとうございます。旅の楽しみが増えました。

  • @gat1221
    @gat1221 2 роки тому +10

    貴重な映像ありがとうございます!
    願わくばこの時代に今のカメラを持って行きたい!

  • @中山雄次-g6o
    @中山雄次-g6o 3 місяці тому

    '80~'85年に掛けて九州工場立ち上げの際に、神奈川県から転勤し飯塚市/忠隈の工業団地で勤務しておりました。
    ディーゼル機関車が物珍しくてよく撮影をしていました。飯塚駅傍の踏切からボタ山を背景に、新飯塚駅脇の陸橋から操車場の様子をがお気に入りの撮影ポイントでした。
    飯塚~田川はよく利用したので、懐かしく拝見しました。
    経営の苦しい中、組合員の廃線反対集会には皆さんクルマで会場へ駆け付ける有様で、神奈川へ戻ってから各線が次々と廃線となるのを聞いて、宜なるかな寂しく思っていました。

  • @ゆのくにゆのか
    @ゆのくにゆのか 2 роки тому +9

    はじめまして。この頃DEはSLを廃止に追いやった憎き敵として見向きもしませんでした。特に日本セメントの専用線、路線自体が無くなってしまった今では記録しておけばよかったと後悔するところです。SL廃止後に忽然と現れたこの路線てっきり新線だと思いましたが、よくよく調べていると休止となっていた夏吉支線を復活させたものだったようです。スイッチバックと油須原まで補機を必要とすることから専用線内もPPでの運転だと思っていたのですが、単機だったのですね。貴重な映像ありがとうございます。

  • @tom65192002
    @tom65192002 Рік тому +1

    木綿のハンカチーフの風景が目に浮かぶ

  • @ねこあつめ-h2q
    @ねこあつめ-h2q 6 місяців тому +2

    いま言うと信じられないかもしれないが、相当数のマニアはDE10とオハ50なんて当時は見向きもしなかったな。

  • @green_line
    @green_line 9 місяців тому

    昔の伊田線と糸田線は直方駅から伊田駅または後藤寺駅までC11型機関車が客車を引いてました。貨物は9600型機関車です。写真探せば持ってるかと思います・・

  • @あかつきあかつき-z1l
    @あかつきあかつき-z1l 2 роки тому +3

    当時のタブレット閉塞は、貴重でした。
    それ故に九州のDLは全機タブレットキャッチャーを装備してました。
    田川線の内田信号所(現内田駅)では全列車がタブレットを交換し、出発してました。
    JRになり機関車が全て当時門司所属だったので、乗務員はJR貨物の方でした。
    1984年ダイヤ改正で九州ないのブルトレにヘッドマークが復活し、DD51全機にヘッドマークステイが装備されました。
    新大阪と佐世保を結ぶ「あかつき」にDD51が充てられました。
    JR貨物になっても最後までヘッドマークステイとタブレットキャッチャーを装備したまま最後を迎えました。
    ナンバーも白地抜きにしたのも、九州の特徴でしたが晩年は他区からの転属でそれもなくなり、JR九州所属のみとなりました。
    現在はDE10のみとなり黒く塗装を変更しタブレットキャッチャーも外されてしまいました。

    • @タケ-r7s
      @タケ-r7s 23 дні тому

      内田信号場と現在の内田駅は同じ場所では無いですよ

  • @akatsuki_no5
    @akatsuki_no5 2 роки тому +3

    @ から映っている駅長って貨物会社の社員じゃないでしょうか?初代一般服の駅長帽久々に見ました。よく見たら運転士も貨物会社ですね。これは凄い映像です!