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懐かしい!父親が角4灯のクリーム色ディーゼルに乗っていました。私が免許を取って初めて公道デビューしたのもこの車。沢山の家族の思い出が詰まった車です。重厚ではなく「鈍重」と言うイメージがまさにピッタリの車でした。高速での安定性も良く、ディーゼルの経済性、広い室内空間、いい意味での内装のチャチっぽさも相まって、遠出の多いファミリーカーとして歴代車歴の中で特に印象に残っている車の一台です。マイナーな車なのに取り上げていただいて、ありがとうございます!!
90年代半ば以降と思いますが、コロナのタクシー専用車終わりかけのころ、札幌の地下鉄南北線の真駒内駅で一台、最終型の個人タクシーがいつも客待ちしていて、一回だけ乗ったことがあります。LPGかと思いきや、ガラガラいうデイゼルでびっくり。降りるとき、中型料金取られて二度びっくり。そらそうだ、6人乗りだもの…。
昔、いとこの家に角目4灯のバンがあったんだよな。低速トルクがあって、決して速くはなかったけど、意外と乗り心地は良かった。
故徳大寺有恒さんも「間違いだらけ」で売れる前に、半ば自虐的にフローリアンに乗っていたそうですね。ただ意外にも素直で真面な車だったと著作で読んだ記憶があります。
「間違いだらけ…」でも、車内が広く運転手付きで使われてるケースがある事を褒めてましたね。もしかしたら、大森の本社で役員向け社用車を見たのがネタなのかもしれませんが(笑)
フローリアンの歴史を紐解くと、いすゞが乗用車の開発販売で苦労してたのが伺い知れる
小さい頃住んでた家のお隣さんがフローリアンでした。渋くてカッコイイ車だと思って居ました。近所には、ギャランシグマとか、スカイラインジャパンとかに乗ってる人が居ましたね。フローリアンだった人が引っ越して、次にやってきた人が乗ってたのはラングレーでした。当時、私の父は免許を持っていなくて、車が有りませんでした。
タクシーの運ちゃんによると、フローリアンの耐久性は抜群だったらしい。 デザインも悪くないと思うが、丸目4灯の方がよかったと思うな。
トラック作っている会社だから、乗用車も頑丈だったんだろうな
4:15のイタリアンフェースのフローリアンは、シンプルで美しい、味わい深いデザインだと思う。
子供の頃、タクシー(京都にて)や知り合い所有の67年型に乗せて貰ったことが数回ありますが、小柄なわりには後席に余裕がありパッセンジャーにとっては快適な車でしたね。後年になって、フローリアンについての当時の開発担当者コメントにブレがあったのが気になりました。ある方は「大失敗に終わったベレルの後継となるコンパクトなハイオーナーカーを目指した」と言ったかと思えば、もう一方で「ベレットが後輪のクセが強いスウィングアクスルを採用したことによりタクシー業界での受けが芳しくなかったことから、コンベンショナルな足廻りにして6人乗車可能にしたコンパクトなタクシーやハイヤーに適したモノを目指した」という話も。この事から一本筋の通ったクルマではなかったことが判る。あと、国内のどのメーカーよりもディスクブレーキの採用に積極的と言えたいすゞの車の割にフローリアンに関しては消極的で、1973年の1800TS消滅後から76年のスーパーDX(マルーン仕様)登場までディスクブレーキ採用グレードが不在だったことがある。この事柄からも推測すれば、「ハイオーナーカーを目指した」は表向きで「セダンボデーを載せた商用車」が本来の姿だったとも考えられますね。
フローリアン懐かしい セドリックやクラウンより安くLPガス車があったので個人タクシーがよく購入していた。外見より広い車内で6人乗りベンチシートだったのでセドリックやクラウン同じ中型車で走っていたなぁ
嘗ての雑な解説ではフローリアンと117クーペはジウジアーロ(正しくはジュジャーロ)のデザインとされていたが、実際はカロッツェリア・ギアのデザインであることは共通しているものの、クーペはジウジアーロがベルトーネ時代から好んでいたデザインモチーフ(フィアット・ディーノクーペがベルトーネのデザインとして世に出た)を応用したもの。一方のフローリアンは別のギアのスタイリストであるフィリッポ・ザビーネのデザインである。
いすゞの兄弟車ですね。ちなみにいすゞ117の兄弟車でいすゞフローリアンですね。いすゞは一時期トヨタ日産についで自動車メーカー御三家ですね。15年間フルモデルチェンジなしで走るシーラカンスですね。私はいすゞフローリアンよく見かけましたね。私はいすゞフローリアンのデザインが大好きです。
現役当時に「老婆の厚化粧」と言われた最終型のフローリアンディーゼルが、令和の今になって、本屋さんのミニカーで買える日が来るなんて……アシェットさんありがとう!!😭😭😭
フローリアン好きだな~最後期型も子供の頃、地味にかっこいいと思っていましたw
フローリアンという言葉を聞いたのは何年ぶりでしょうか?いまから30年くらい前です。高校の同級生が大学生の免許取り立てのころ、後期型のディーゼルを乗ってました。その同級生の家は自動車修理工場をやっており、そこに入ってきた廃車寸前のフローリアンを親からあてがわれていたようです。何回か車に乗せてもらいました。ドライブをしてると、信号待ちで街中の視線を受けていました。かっこいいとかではなく、あの車はなんだ?という視線です。日本車ばなれしたデザインでしたね。たたずまいだけは古いヨーロッパ車といった感じです。同級生はその車は重ステで、しかも電装系が弱く、常にアクセルをあおらないとエンストしそうと不満をいっていました。
車のパッケージングは最高だったが、当時の日本人にはそんな事は理解できなかった。
いすゞフローリアンも個人的に好きな車です。タクシーでも走ってましたね。絵本だったと思うけどフローリアンのセダンがタクシー仕様で書いてありましたね。後はいすゞファスターのデザインが大好きです。フローリアンの解説ありがとうございます。
自分がまだ生まれる前に、親父がタクシー運転手でベレルに乗ってたそうな・・・。余りに客からも不人気で誰も乗りたがらず、会社が「ベレル手当て」とやらまで出して乗り手を募ったんだとか。
このフローリアンのディーゼルは後ろから来るとトラックかと思うような音。スローでも車体の振動が酷かった。でも私の美意識にはマッチして好きだった車。
後期型が出た時、本の記事で誰かが「老婆の厚化粧」と書いてたの憶えてます。うまいこと言うなぁと思ってました。確かにあの大仰なフロントグリルには驚かされました。あと、記憶に残ってる当時の批評では、330セドリックの事をハデハデカラーの「俗悪趣味なエセ高級車」とかマークⅡやクラウンのインテリアを「場末のキャバレーみたい」とか書かれてたの思い出しました。
近所の兄弟のおじさんが居ましたが弟さんがハコスカHT2000GT-X、お兄さんがフローリアンに乗ってましたが、当時トヨタデーラーに就職しクラウンの整備などをしていましたが、フローリアンを見た時になんて足元の広い車んだろうと、ビックリしましたねそして117クーペとフロアパンが同じと聞きまたビックリしました。逆スラントのフロントグリルはイスズの伝統だったんですね。
ウチの親父が免許を取った時の教習車はフローリアンだったと言ってた。いすゞのディーゼル車はトルクがあって乗り易かったらしい。
いすゞフローリアンには、サーブに通ずるなんともいえないデザインのクセがあって結構好きでしたね。マイナーチェンジするたびにそれが台無しになっていったのが不憫で仕方がありません。
高速有鉛デラックス最新号でフローリアン特集してましたね。
ご指摘のように、車名はオーストリア皇帝の愛馬からとった(小学館・交通の図鑑)と聞きました。記憶が定かではないのですが、このクルマが本命で117クーペはイメージリーダー役だったとか。ギア時代?のジウジアーロ・デザインと聞いたこともありますが、真贋論争レベルの外見だったかと思います(個人的には嫌いなデザインではなかったが)。
ピックアップトラックのファスターだけど、トヨタハイラックスや日産ダットサントラックよりも先に4WDを追加してる。
ファスターはGM向けにシボレーLUVの名で大量に供給し、いすゞの救世主となった車。後継車は今でもタイなどではベストセラー、4WDシャシーはビッグホーンのベースとなったわけで、こちらもぜひ取り上げてほしいものです。
ボンネットと運転席周りを流用したトラック、ファスターの初代も丸目4灯でフローリアンと変わらなかった。
1985頃の教習車がフローリアンの最終型だった。一方、初期型のダイヤペットのミニカーと丸4灯のモノグラムのCHEVY・LUVはカッコ良かった。
私はフローリアンのタクシーキャブ車に乗ってますね。コロナ、ブルバード、と小型タクシー車が盛りでしたね!余談になりますが、フローリアン SⅡディーゼルは同級生の親父が乗っていましたよ。あと、個人タクシーでも見かけましたよ!😂
大学生の頃にフローリアンバンに乗ってました。最後期型でしたが、グリルやバンパーをを中期型に変えて車高を落として全塗して、若気の至りでいろいろやってました。
個タクでよく見かけた。フロントフェイスとリアフェイスのアンバランスさが特徴で「上を向いて走る」印象
真黄色のバンに乗っていました!現役だけど既にレトロカーでしたねえ
まてまてまて、サラッと流すなww5ドアバンを詳しくww
普通のバンのリアシートをたたむとき、座面を直角に立ててから背もたれを前に倒す。フローリアンバンは座面が180度前に倒れる「反転デッキ」で、荷台が長く取れた。ただし荷物が前に突進するのを防ぐのは前席シートバックのみ。
発売時のキャッチコピーは「広い部屋には窓が多い」だったと思う
最終型のデザインはデボネアのお株奪って「走るシーラカンス」地元の自動車学校がナニを思ったのか教習車が全部コレでした。
タクシーで乗った事あるなー昔 田舎で
地元のタクシー屋でも使ってましたちなみにアスカもタクシーとして走ってました運送屋系の会社だったので、付き合いで入れたんでしょう
このクルマでベンチシート仕様が面白いフロントシートの背もたれがベッタリと倒れ、友人はネローリアンと呼んでいた
車中泊仕様
117セダンでしたね
昔、いすゞ・フローリアンはタクシーキャブももありましたよ。勿論LPG車ですよね。SⅡディーゼルは個人タクシーでありましたよねね😊
出たばかりの頃は『BMW』のような気品すら感じたのにマイチェンを繰り返す毎に不細工になるクルマのイメージがありました。このクルマ 5:40でわかるように助手席側ダッシュボードのメーターパネルと同じ形のキセの中に クーラーの吹出口が埋め込まれていて ビルトイン式以前の吊り下げ式クーラーが一般的だった頃は 見た目をスマートに そして助手席足元を広くする ひとつの工夫でした。ダッシュボード中央にチョコンとアナログ時計が鎮座していたのも懐かしい。あと 上級グレードは ボンネットに電動ロッドアンテナと ラジオも自動同調式の物が装備されていて ボタンを押すと『ウィ〜ン』とモーター音がして 選局の針が左右に動くギミックが面白く 後席にもそのラジオの自動同調スイッチとボリューム操作のダイヤル シガーライターに灰皿 パーソナルランプ(所謂 読書灯)が装備されていて ラジオのスピーカーも ダッシュボードとリアトレイに1つずつ装備。フィーダーコントロールで調整も可能と 中々の高級ぶりでした。全て昭和43年に 親戚の伯父さんが買ったクルマでの話です。
フローリアンもタクシーがあったね
117クーペとフローリアンの関係は、後にセリカとカリーナでも見られましたね。
当時の常識ではそういう認識をされただろうが、幾度も大きくテコ入れが図られてるから決して「放置」はされてない。今時の日本メーカーのロングセラー車は文字通り「放置」されてるがね・・・それにしても、マイナーチェンジを経ると大抵コッテリするが、このスッキリ→コッテリ具合はアプローズにも通ずるモノがありますな。
不評に終わったベレルの後継車種でマイナーチェンジや小変更繰り返して15年間に渡り製造生産されたが商業的には失敗作と言われた・・が・・強い印象を残した名車だと思います・・タクシーや自動車教習車といった業務用から私用に至る迄・・幅広く使われてました・・バンも有りましたが一度しか見掛けた事無いです。
教習所は、此のコラム・シフトで、免許を取った。TV番組のタイムショックの景品だった記憶も(笑)117クーペのみでは、採算が、合わないので、開発とベレルの後継の意味合いも。ベレットも含め、好きなメーカーだったな。
初期のフロントマスクをなぜ変えてしまったのか
いすゞ・フローリアン、知っています。 15年間モデルチェンジ無しのクルマで僕的にはこのクルマを、いすゞ版デボネアor湘南センチュリーor藤沢ロールスロイスと呼びたいです。
フローリアンディゼールは教習車両飛ぶして思い出す😃💡
老婆の厚化粧は知らなかったなぁ~!フローリアンのCMで全席の背もたれを倒してそこになぜかパジャマ姿の女性が寝ている・・・、この車なら泊まれるよと言う意味なのか、それともあれが・・・とうじ中学生の私にはよくわからなかった(笑)、今は分かるような気がする。
フローリアンで中期型だったらTSでエンジンをツインカムのG200に載せ替えてミッションも5速に換えて、ミラーをレーシングミラーに変えてボンネットは黒で色はクリーム色で後期型だったらエンジンはツインカムのG200に載せ替えてスポーティな高級サルーンにミッションはオートマで色は肌色で
中古乗ってたけど、後ろ姿のガッチリ感なら当時のクラウン、セドリックより格上。しかも品があった。前は本当に不細工だった。なぜわざわざ不細工にしたのか。オリジナルはクセのないデザインだった。トラックメーカーのセンスなのか。
初期型は大好きでした。自分んちで乗ってましたし。wあの左右対称でちょこんと真ん中に時計が乗っかったインパネが印象的です。(真偽は不明ですが、左右どちらにハンドルを付けても良いようにするためだとか?)個人的には初期の異型ランプと赤一色のテールランプが好きです。よく知りませんが後席の乗り降りがしやすい?そうで、結婚式のハイヤーでよく目にしました。
角目四灯のフローリアンが家に有ったが、リアドアが小さくて、なんだこれ❔❔乗りにくいなぁ・・・と思ったね‼️
無理矢理クオーターウインドウを付けたのでリヤドアの前後長が取れなかった模様
この車のタクシーはフロントベンチシートの6人乗りで、クラウンやセドリックと同じ中型料金だったような。コロナやブルーバードは小型料金で、フローリアンはちょっと損した気分だったかと。でも、今はクラウンコンフォートとカローラアクシオが同じ料金ってどういうこと?
「♪フローリアンでドライブ」このCMソング(デビュー当初)のメロディが浮かぶ人はかなりのオッサン(笑)
“ディーゼルのいすゞ“を象徴した後期型”白馬”
老婆の厚化粧なんて誰が言ったのだろう?三本さん?上手い表現で笑ってしまう。
フローリアンフレッシュフローリアンのイタリアン調のCMだったね。運送屋の社長さんが乗っていたわトラックのついでに買ったんかな。べレルはタクシーで見たことがある程度。歳がバレる。
老婆の厚化粧、ってよう言うた実は、教習車だったんだよな
角目で免許取りましたが、当時古臭い車と思ってました。まだ新しかったとは……ン十年振りのビックリです。
子どもの頃、タクシーでよく見掛けましたが、FRセダンのリヤシートは大嫌いでした。巨大なフロアトンネルは邪魔だし、座面は全席より低くて眺めが悪いし、後頭部に直射日光は当たるし😢私と同じ考えの人が多かったので、セダンはほぼ絶滅への道を辿ったのでしょうね。ちなみに、フローリアンディーゼルは、自動車学校の教習車でした。アイドリングでクラッチミートしてもエンストしない、教習生にも扱いやすい車でした。
うろ覚えなのですが、ベレットと一緒のCM?がありませんでした?「昼のベレット 夜のフローリアン」みたいな文句の奴だったような?なにかの記憶と、ごちゃ混ぜになってるのかもですが、何か見たような?テレビのCMというか、1973年頃モータースポース誌の「auto sport」を兄が購読していて、そこで見たような?
羊 派のフローリアン狼 派のベレットですね。1969年頃のキャンペーン。
おそらくは出た当時もデザインはイマイチだったと思うけど、後期はもう年増の厚化粧でイマイチを通り越して醜いレベルだった地方では小型タクシーとしてよく走っていた
ファスターには派生モデルとして4WDのファスターロデオが登場し、後にロデオビッグホーンが誕生する。
117セダン。やんかフローリアンジウジアーロであろう
今は日本だとE(lfe) F(orwar) G(iga)だからなぁ。ABCDは消えてしまった。
懐かしい!
父親が角4灯のクリーム色ディーゼルに乗っていました。
私が免許を取って初めて公道デビューしたのもこの車。
沢山の家族の思い出が詰まった車です。
重厚ではなく「鈍重」と言うイメージがまさにピッタリの車でした。
高速での安定性も良く、ディーゼルの経済性、広い室内空間、いい意味での内装のチャチっぽさも相まって、遠出の多いファミリーカーとして歴代車歴の中で特に印象に残っている車の一台です。
マイナーな車なのに取り上げていただいて、ありがとうございます!!
90年代半ば以降と思いますが、コロナのタクシー専用車終わりかけのころ、札幌の地下鉄南北線の真駒内駅で一台、最終型の個人タクシーがいつも客待ちしていて、一回だけ乗ったことがあります。
LPGかと思いきや、ガラガラいうデイゼルでびっくり。降りるとき、中型料金取られて二度びっくり。そらそうだ、6人乗りだもの…。
昔、いとこの家に角目4灯のバンがあったんだよな。
低速トルクがあって、決して速くはなかったけど、意外と乗り心地は良かった。
故徳大寺有恒さんも「間違いだらけ」で売れる前に、半ば自虐的にフローリアンに乗っていたそうですね。
ただ意外にも素直で真面な車だったと著作で読んだ記憶があります。
「間違いだらけ…」でも、車内が広く運転手付きで使われてるケースがある事を褒めてましたね。
もしかしたら、大森の本社で役員向け社用車を見たのがネタなのかもしれませんが(笑)
フローリアンの歴史を紐解くと、いすゞが乗用車の開発販売で苦労してたのが伺い知れる
小さい頃住んでた家のお隣さんがフローリアンでした。
渋くてカッコイイ車だと思って居ました。
近所には、ギャランシグマとか、スカイラインジャパンとかに乗ってる人が居ましたね。
フローリアンだった人が引っ越して、次にやってきた人が乗ってたのはラングレーでした。
当時、私の父は免許を持っていなくて、車が有りませんでした。
タクシーの運ちゃんによると、フローリアンの耐久性は抜群だったらしい。 デザインも悪くないと思うが、丸目4灯の方がよかったと思うな。
トラック作っている会社だから、乗用車も頑丈だったんだろうな
4:15のイタリアンフェースのフローリアンは、シンプルで美しい、味わい深いデザインだと思う。
子供の頃、タクシー(京都にて)や知り合い所有の67年型に乗せて貰ったことが数回ありますが、小柄なわりには後席に余裕がありパッセンジャーにとっては快適な車でしたね。
後年になって、フローリアンについての当時の開発担当者コメントにブレがあったのが気になりました。ある方は「大失敗に終わったベレルの後継となるコンパクトなハイオーナーカーを目指した」と言ったかと思えば、もう一方で「ベレットが後輪のクセが強いスウィングアクスルを採用したことによりタクシー業界での受けが芳しくなかったことから、コンベンショナルな足廻りにして6人乗車可能にしたコンパクトなタクシーやハイヤーに適したモノを目指した」という話も。この事から一本筋の通ったクルマではなかったことが判る。あと、国内のどのメーカーよりもディスクブレーキの採用に積極的と言えたいすゞの車の割にフローリアンに関しては消極的で、1973年の1800TS消滅後から76年のスーパーDX(マルーン仕様)登場までディスクブレーキ採用グレードが不在だったことがある。この事柄からも推測すれば、「ハイオーナーカーを目指した」は表向きで「セダンボデーを載せた商用車」が本来の姿だったとも考えられますね。
フローリアン懐かしい セドリックやクラウンより安くLPガス車があったので個人タクシーがよく購入していた。外見より広い車内で6人乗りベンチシートだったのでセドリックやクラウン同じ中型車で走っていたなぁ
嘗ての雑な解説ではフローリアンと117クーペはジウジアーロ(正しくはジュジャーロ)のデザインとされていたが、実際はカロッツェリア・ギアのデザインであることは共通しているものの、クーペはジウジアーロがベルトーネ時代から好んでいたデザインモチーフ(フィアット・ディーノクーペがベルトーネのデザインとして世に出た)を応用したもの。一方のフローリアンは別のギアのスタイリストであるフィリッポ・ザビーネのデザインである。
いすゞの兄弟車ですね。ちなみにいすゞ117の兄弟車でいすゞフローリアンですね。いすゞは一時期トヨタ日産についで自動車メーカー御三家ですね。15年間フルモデルチェンジなしで走るシーラカンスですね。私はいすゞフローリアンよく見かけましたね。私はいすゞフローリアンのデザインが大好きです。
現役当時に「老婆の厚化粧」と言われた最終型のフローリアンディーゼルが、令和の今になって、本屋さんのミニカーで買える日が来るなんて……アシェットさんありがとう!!😭😭😭
フローリアン好きだな~
最後期型も子供の頃、地味にかっこいいと思っていましたw
フローリアンという言葉を聞いたのは何年ぶりでしょうか?いまから30年くらい前です。高校の同級生が大学生の免許取り立てのころ、後期型のディーゼルを乗ってました。
その同級生の家は自動車修理工場をやっており、そこに入ってきた廃車寸前のフローリアンを親からあてがわれていたようです。何回か車に乗せてもらいました。ドライブをしてると、信号待ちで街中の視線を受けていました。かっこいいとかではなく、あの車はなんだ?という視線です。日本車ばなれしたデザインでしたね。たたずまいだけは古いヨーロッパ車といった感じです。同級生はその車は重ステで、しかも電装系が弱く、常にアクセルをあおらないとエンストしそうと不満をいっていました。
車のパッケージングは最高だったが、当時の日本人にはそんな事は理解できなかった。
いすゞフローリアンも個人的に好きな車です。タクシーでも走ってましたね。絵本だったと思うけどフローリアンのセダンがタクシー仕様で書いてありましたね。後はいすゞファスターのデザインが大好きです。フローリアンの解説ありがとうございます。
自分がまだ生まれる前に、親父がタクシー運転手でベレルに乗ってたそうな・・・。
余りに客からも不人気で誰も乗りたがらず、会社が「ベレル手当て」とやらまで出して乗り手を募ったんだとか。
このフローリアンのディーゼルは後ろから来るとトラックかと思うような音。
スローでも車体の振動が酷かった。でも私の美意識にはマッチして好きだった車。
後期型が出た時、本の記事で誰かが「老婆の厚化粧」と書いてたの憶えてます。
うまいこと言うなぁと思ってました。
確かにあの大仰なフロントグリルには驚かされました。
あと、記憶に残ってる当時の批評では、330セドリックの事をハデハデカラーの「俗悪趣味なエセ高級車」とかマークⅡやクラウンのインテリアを「場末のキャバレーみたい」とか書かれてたの思い出しました。
近所の兄弟のおじさんが居ましたが弟さんがハコスカHT2000GT-X、お兄さんがフローリアンに乗ってましたが、当時トヨタデーラーに就職しクラウンの整備などをしていましたが、フローリアンを見た時になんて足元の広い車んだろうと、ビックリしましたねそして117クーペとフロアパンが同じと聞きまたビックリしました。逆スラントのフロントグリルはイスズの伝統だったんですね。
ウチの親父が免許を取った時の教習車はフローリアンだったと言ってた。いすゞのディーゼル車はトルクがあって乗り易かったらしい。
いすゞフローリアンには、サーブに通ずるなんともいえないデザインのクセがあって結構好きでしたね。
マイナーチェンジするたびにそれが台無しになっていったのが不憫で仕方がありません。
高速有鉛デラックス最新号でフローリアン特集してましたね。
ご指摘のように、車名はオーストリア皇帝の愛馬からとった(小学館・交通の図鑑)と聞きました。記憶が定かではないのですが、このクルマが本命で117クーペはイメージリーダー役だったとか。
ギア時代?のジウジアーロ・デザインと聞いたこともありますが、真贋論争レベルの外見だったかと思います(個人的には嫌いなデザインではなかったが)。
ピックアップトラックのファスターだけど、トヨタハイラックスや日産ダットサントラックよりも先に4WDを追加してる。
ファスターはGM向けにシボレーLUVの名で大量に供給し、いすゞの救世主となった車。
後継車は今でもタイなどではベストセラー、4WDシャシーはビッグホーンのベースとなったわけで、こちらもぜひ取り上げてほしいものです。
ボンネットと運転席周りを流用したトラック、ファスターの初代も丸目4灯でフローリアンと変わらなかった。
1985頃の教習車がフローリアンの最終型だった。一方、初期型のダイヤペットのミニカーと丸4灯のモノグラムのCHEVY・LUVはカッコ良かった。
私はフローリアンのタクシーキャブ車に乗ってますね。コロナ、ブルバード、と小型タクシー車が盛りでしたね!余談になりますが、フローリアン SⅡディーゼルは同級生の親父が乗っていましたよ。あと、個人タクシーでも見かけましたよ!😂
大学生の頃にフローリアンバンに乗ってました。最後期型でしたが、グリルやバンパーをを中期型に変えて車高を落として全塗して、若気の至りでいろいろやってました。
個タクでよく見かけた。フロントフェイスとリアフェイスのアンバランスさが特徴で「上を向いて走る」印象
真黄色のバンに乗っていました!現役だけど既にレトロカーでしたねえ
まてまてまて、サラッと流すなww
5ドアバンを詳しくww
普通のバンのリアシートをたたむとき、座面を直角に立ててから背もたれを前に倒す。フローリアンバンは座面が180度前に倒れる「反転デッキ」で、荷台が長く取れた。ただし荷物が前に突進するのを防ぐのは前席シートバックのみ。
発売時のキャッチコピーは「広い部屋には窓が多い」だったと思う
最終型のデザインはデボネアのお株奪って「走るシーラカンス」地元の自動車学校がナニを思ったのか教習車が全部コレでした。
タクシーで乗った事あるなー昔 田舎で
地元のタクシー屋でも使ってました
ちなみにアスカもタクシーとして走ってました
運送屋系の会社だったので、付き合いで入れたんでしょう
このクルマでベンチシート仕様が面白いフロントシートの背もたれがベッタリと倒れ、友人はネローリアンと呼んでいた
車中泊仕様
117セダンでしたね
昔、いすゞ・フローリアンはタクシーキャブももありましたよ。勿論LPG車ですよね。SⅡディーゼルは個人タクシーでありましたよねね😊
出たばかりの頃は『BMW』のような気品すら感じたのに
マイチェンを繰り返す毎に不細工になるクルマのイメージがありました。
このクルマ 5:40でわかるように助手席側ダッシュボードのメーターパネルと同じ形のキセの中に クーラーの吹出口が埋め込まれていて ビルトイン式以前の吊り下げ式クーラーが一般的だった頃は 見た目をスマートに そして助手席足元を広くする ひとつの工夫でした。
ダッシュボード中央にチョコンとアナログ時計が鎮座していたのも懐かしい。
あと 上級グレードは ボンネットに電動ロッドアンテナと ラジオも自動同調式の物が装備されていて ボタンを押すと『ウィ〜ン』とモーター音がして 選局の針が左右に動くギミックが面白く 後席にもそのラジオの自動同調スイッチとボリューム操作のダイヤル シガーライターに灰皿 パーソナルランプ(所謂 読書灯)が装備されていて ラジオのスピーカーも ダッシュボードとリアトレイに1つずつ装備。フィーダーコントロールで調整も可能と 中々の高級ぶりでした。
全て昭和43年に 親戚の伯父さんが買ったクルマでの話です。
フローリアンもタクシーがあったね
117クーペとフローリアンの関係は、後にセリカとカリーナでも見られましたね。
当時の常識ではそういう認識をされただろうが、幾度も大きくテコ入れが図られてるから決して「放置」はされてない。今時の日本メーカーのロングセラー車は文字通り「放置」されてるがね・・・
それにしても、マイナーチェンジを経ると大抵コッテリするが、このスッキリ→コッテリ具合はアプローズにも通ずるモノがありますな。
不評に終わったベレルの後継車種でマイナーチェンジや小変更繰り返して15年間に渡り製造生産されたが商業的には失敗作と言われた・・が・・強い印象を残した名車だと思います・・タクシーや自動車教習車といった業務用から私用に至る迄・・幅広く使われてました・・バンも有りましたが一度しか見掛けた事無いです。
教習所は、此のコラム・シフトで、免許を取った。
TV番組のタイムショックの景品だった記憶も(笑)
117クーペのみでは、採算が、合わないので、開発とベレルの後継の意味合いも。ベレットも含め、好きなメーカーだったな。
初期のフロントマスクをなぜ変えてしまったのか
いすゞ・フローリアン、知っています。 15年間モデルチェンジ無しのクルマで僕的にはこのクルマを、いすゞ版デボネアor湘南センチュリーor藤沢ロールスロイスと呼びたいです。
フローリアンディゼールは教習車両飛ぶして思い出す😃💡
老婆の厚化粧は知らなかったなぁ~!
フローリアンのCMで全席の背もたれを倒してそこになぜかパジャマ姿の
女性が寝ている・・・、この車なら泊まれるよと言う意味なのか、それともあれが・・・
とうじ中学生の私にはよくわからなかった(笑)、今は分かるような気がする。
フローリアンで中期型だったらTSでエンジンをツインカムのG200に載せ替えてミッションも5速に換えて、ミラーをレーシングミラーに変えてボンネットは黒で色はクリーム色で
後期型だったらエンジンはツインカムのG200に載せ替えてスポーティな高級サルーンにミッションはオートマで色は肌色で
中古乗ってたけど、後ろ姿のガッチリ感なら当時のクラウン、セドリックより格上。しかも品があった。前は本当に不細工だった。なぜわざわざ不細工にしたのか。オリジナルはクセのないデザインだった。トラックメーカーのセンスなのか。
初期型は大好きでした。自分んちで乗ってましたし。w
あの左右対称でちょこんと真ん中に時計が乗っかったインパネが印象的です。
(真偽は不明ですが、左右どちらにハンドルを付けても良いようにするためだとか?)
個人的には初期の異型ランプと赤一色のテールランプが好きです。
よく知りませんが後席の乗り降りがしやすい?そうで、結婚式のハイヤーでよく目にしました。
角目四灯のフローリアンが家に有ったが、リアドアが小さくて、なんだこれ❔❔乗りにくいなぁ・・・と思ったね‼️
無理矢理クオーターウインドウを付けたのでリヤドアの前後長が取れなかった模様
この車のタクシーはフロントベンチシートの6人乗りで、クラウンやセドリックと同じ中型料金だったような。コロナやブルーバードは小型料金で、フローリアンはちょっと損した気分だったかと。でも、今はクラウンコンフォートとカローラアクシオが同じ料金ってどういうこと?
「♪フローリアンでドライブ」このCMソング(デビュー当初)のメロディが浮かぶ人はかなりのオッサン(笑)
“ディーゼルのいすゞ“を象徴した後期型”白馬”
老婆の厚化粧なんて誰が言ったのだろう?三本さん?上手い表現で笑ってしまう。
フローリアンフレッシュフローリアンのイタリアン調のCMだったね。運送屋の社長さんが乗っていたわトラックのついでに買ったんかな。べレルはタクシーで見たことがある程度。歳がバレる。
老婆の厚化粧、って
よう言うた
実は、教習車だったんだよな
角目で免許取りましたが、当時古臭い車と思ってました。まだ新しかったとは……ン十年振りのビックリです。
子どもの頃、タクシーでよく見掛けましたが、FRセダンのリヤシートは大嫌いでした。
巨大なフロアトンネルは邪魔だし、座面は全席より低くて眺めが悪いし、後頭部に直射日光は当たるし😢
私と同じ考えの人が多かったので、セダンはほぼ絶滅への道を辿ったのでしょうね。
ちなみに、フローリアンディーゼルは、自動車学校の教習車でした。
アイドリングでクラッチミートしてもエンストしない、教習生にも扱いやすい車でした。
うろ覚えなのですが、ベレットと一緒のCM?がありませんでした?「昼のベレット 夜のフローリアン」みたいな文句の奴だったような?なにかの記憶と、ごちゃ混ぜになってるのかもですが、何か見たような?
テレビのCMというか、1973年頃モータースポース誌の「auto sport」を兄が購読していて、そこで見たような?
羊 派のフローリアン
狼 派のベレット
ですね。1969年頃のキャンペーン。
おそらくは出た当時もデザインはイマイチだったと思うけど、後期はもう年増の厚化粧でイマイチを通り越して醜いレベルだった
地方では小型タクシーとしてよく走っていた
ファスターには派生モデルとして4WDのファスターロデオが登場し、後にロデオビッグホーンが誕生する。
117セダン。やんかフローリアン
ジウジアーロであろう
今は日本だとE(lfe) F(orwar) G(iga)だからなぁ。
ABCDは消えてしまった。
近所の兄弟のおじさんが居ましたが弟さんがハコスカHT2000GT-X、お兄さんがフローリアンに乗ってましたが、当時トヨタデーラーに就職しクラウンの整備などをしていましたが、フローリアンを見た時になんて足元の広い車んだろうと、ビックリしましたねそして117クーペとフロアパンが同じと聞きまたビックリしました。逆スラントのフロントグリルはイスズの伝統だったんですね。