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変わらないようでいて、大きく変わってしまいましたね!国道を出発した直後の橋梁、いつの間にか、めがね橋が架け替えられてしまった。浅野駅、芝浦支線にのしかかる、無骨な鉄骨のクレーン、懐かしいです。もう一題、浅野駅を発車直後、右手に見える円形の檻のように見える浮揚式ガスタンク。これもう無くなってしまいました。街の風景もどんどん変化。大変貴重な映像をありがとうございました。
ご覧いただきありがとうございます。街の景色はいつの間にか変わってしまっていて驚くことがありますね。日々の記録の大切さを身に染みて感じます。
89年の8月に大川支線で乗れたのは良い思い出あの頃は101系も現役で低屋根のモハ100-800番台も居ました
ご覧いただきありがとうございます。撮影した頃は103系がメインでしたので、101系の時代をご存じなのは羨ましいです。
@@CHAMIOKA 懐かしい映像ありがとうございました私が訪れた当時は103系が入る前年でした101系も大半が非冷房車で編成中間に入るモハ100の一部に中央線高尾以西に乗り入れ可能だった低屋根車の800番台が居ました低屋根部の天井には扇風機の代わりにファンデリアが装備されていて外観・内装どちらも異彩を放っていたのが今でも印象に残っています
平成六年当時の鶴見線今と懐かしいカナリアイエローの鶴見線チョコレート色からカナリアイエローに変わった直後の鶴見線カナリアイエローに変わった直後の時に鶴見線と南武支線写真の撮影しに行った事がある。今こうして見ると懐かしい思います。
ご覧いただきありがとうございます。少し前の画像なので粗い面はありますが、雰囲気が少しでも伝われば、と思います。
冒頭で流れる当時の発車メロディ「清流」に感動
この圧倒的な遅さだけど、70ほどの間、よく頑張ってくれたと思います。
安善駅で米タンが見える〈前世代の黒、タキ3000?35000?)のがまた懐かしく素晴らしいです。
貴重な映像です!!
ATS-PじゃなくまだATS-SN型だった頃か
なお3番線の名残は武蔵白石駅の2番線の手すりにある銀色プレートの1つに残っています(少なくとも回答の1ヶ月前はあった)
いいね!やはり鉄道の映像に邪魔なBGMは必要ない!ましてや吊り掛けの音自体が音楽だ!
今に比べ、結構遅いんですね。あー、鶴工生がいる。
鶴見線からクモハ12がたがラストランだった1,996年3月13日 東京では165系急行東海のラストランでした
1:21旧本山駅ホーム
扇橋駅正面で食事をした事が有ります(高校時代)!鶴見線でモハ72950(103系擬き)塗色はブドウ色でした。東神奈川車庫には度々行きました。常磐線は旧国、その後クモハ73901、902が松戸に転属して来ました!9連の頃(6+3)、あの頃は京浜東北線とは兄弟の様な常磐線でしたね!全金編成が常磐線に転属されるかと期待していました。販売されている画像ですね!貨物優先の路線なのが驚きでした。この線路は自動改札で鶴見駅にしかないのです!
宇佐美光男 その72系ってモハ72970ではないのですか?
@@tetsudohaya6149 モハ72-970は試作車両で、仙石線や川越線で量産車両が造られたり、近郊型タイプも魔改造車として誕生しましたが、車歴はかなりです!東神奈川電車区在って、鶴見線、横浜線で活躍しました。外観が103系でした!
宇佐美光男 そうなんですね!ありがとうございます!
武蔵白石では2回ドア扱い(客扱い)するということでしょうか?あと意外だったのですが、大川支線ホームは3番線が行き止まりの構造だったのですね。
当時の記録を調べると鋼製電車は機器や台車が国産化し始めた時代なんですね。海外製品のライセンス生産品もあれば、それらを国産化したモノもある。80系のように長距離輸送はまだ無理だけど比較的中距離輸送や勾配区間での熱的余裕を持たせた設計がされている。だからこそ戦後も長く生き残ってローカル線で運用できたわけです。私は身延線沿線住まいですので42系は大好きでしたし、首都圏では想定外の1000分の25勾配も苦もなく登る旧型国電を不思議に感じていた。165系などの新性能電車が空転し、時にはモートル焼損となるのになんで旧型はそうならないのか長年の疑問でした。12系などのベース設計が良かったからに他ありません。
なぜ武蔵白石は本線下りから大川支線ホームに直接入線出来ない配線だったんでしょうか?
ウィキペディアによると、「大川支線は、かつて武蔵白石駅 - 大川駅間の区間運転であった」とありますから、そのあたりが理由ではないでしょうか。武蔵白石駅の支線ホームは、急カーブに沿って設置されていたため、建築限界の影響で17m級の旧型国電しか運用できなかったそうです。そのため、本線での101系投入後もクモハ12形が運用されつづけ、老朽化にによる車両更新時に、支線ホームを撤去、武蔵白石駅は「通過」扱いとする事で、103系が投入されました。その際に下り本線から大川支線への直通ルートが設定されたものと思われます。ちなみに、現在も大川支線の起点は武蔵白石駅で、運賃計算や鶴見方面ー大川間の定期券での入出場では、武蔵白石から大川へ接続として取り扱われているそうです。
あの支線ホームは相当狭くて危険ですね。撤去は仕方ないかと。
当時は、安善~武蔵白石に、上り線に転線する[渡り線]が設置されていませんでした。よって、武蔵白石駅から、スイッチバックして、大川支線に転線しておりました。
鉄道UA-camはレベルが高いです。鶴見線は日本の産業の基軸です。
これ、カメラどこについているの?
助手席(助士席)窓の直後です。旧型国電には運転席側の一画が囲われていて助手席側は前面窓まで寄れるようになっているものがありました。片隅運転台、半室運転台などで検索してみると分かりますよ🙂
@@CHAMIOKA さん回答いただきありがとうございます。以前、鶴見に住んでいました。鶴見小野が最寄りでした。なつかし映像でした。ありがとうございます。
コメント、失礼致します。大変、素晴らしいクモハ12の前面展望映像でした。子供の頃に乗った記憶が蘇ってきました。一つ、リクエストなのですが、92年度版とこの94年度版で武蔵白石での入れ替えがノーカットの物をアップしていただけないでしょうか?お手数をお掛け致しますが、宜しくお願い致します。
申し訳ございませんが、当該映像が無くご希望に添えません。武蔵白石駅では運転士が移動する関係から一旦撮影を止めておりました。悪しからずご了承ください。
線路に草がないし、自分の家も無い
これ俺がまだ若い頃の映像だ。
変わらないようでいて、大きく変わってしまいましたね!
国道を出発した直後の橋梁、いつの間にか、めがね橋が架け替えられてしまった。
浅野駅、芝浦支線にのしかかる、無骨な鉄骨のクレーン、懐かしいです。
もう一題、浅野駅を発車直後、右手に見える円形の檻のように見える浮揚式ガスタンク。これもう無くなってしまいました。街の風景もどんどん変化。
大変貴重な映像をありがとうございました。
ご覧いただきありがとうございます。
街の景色はいつの間にか変わってしまっていて驚くことがありますね。日々の記録の大切さを身に染みて感じます。
89年の8月に大川支線で乗れたのは良い思い出
あの頃は101系も現役で低屋根のモハ100-800番台も居ました
ご覧いただきありがとうございます。撮影した頃は103系がメインでしたので、101系の時代をご存じなのは羨ましいです。
@@CHAMIOKA
懐かしい映像ありがとうございました
私が訪れた当時は103系が入る前年でした
101系も大半が非冷房車で編成中間に入るモハ100の一部に中央線高尾以西に乗り入れ可能だった低屋根車の800番台が居ました
低屋根部の天井には扇風機の代わりにファンデリアが装備されていて外観・内装どちらも異彩を放っていたのが今でも印象に残っています
平成六年当時の鶴見線今と懐かしいカナリアイエローの鶴見線チョコレート色からカナリアイエローに変わった直後の鶴見線カナリアイエローに変わった直後の時に鶴見線と南武支線写真の撮影しに行った事がある。今こうして見ると懐かしい思います。
ご覧いただきありがとうございます。少し前の画像なので粗い面はありますが、雰囲気が少しでも伝われば、と思います。
冒頭で流れる当時の発車メロディ「清流」に感動
この圧倒的な遅さだけど、70ほどの間、よく頑張ってくれたと思います。
安善駅で米タンが見える〈前世代の黒、タキ3000?35000?)のがまた懐かしく素晴らしいです。
貴重な映像です!!
ATS-PじゃなくまだATS-SN型だった頃か
なお3番線の名残は武蔵白石駅の2番線の手すりにある銀色プレートの1つに残っています
(少なくとも回答の1ヶ月前はあった)
いいね!やはり鉄道の映像に邪魔なBGMは必要ない!ましてや吊り掛けの音自体が音楽だ!
今に比べ、結構遅いんですね。
あー、鶴工生がいる。
鶴見線からクモハ12がたがラストランだった1,996年3月13日 東京では165系急行東海のラストランでした
1:21
旧本山駅ホーム
扇橋駅正面で食事をした事が有ります(高校時代)!鶴見線でモハ72950(103系擬き)塗色はブドウ色でした。東神奈川車庫には度々行きました。常磐線は旧国、その後クモハ73901、902が松戸に転属して来ました!9連の頃(6+3)、あの頃は京浜東北線とは兄弟の様な常磐線でしたね!全金編成が常磐線に転属されるかと期待していました。販売されている画像ですね!貨物優先の路線なのが驚きでした。この線路は自動改札で鶴見駅にしかないのです!
宇佐美光男 その72系ってモハ72970ではないのですか?
@@tetsudohaya6149 モハ72-970は試作車両で、仙石線や川越線で量産車両が造られたり、近郊型タイプも魔改造車として誕生しましたが、車歴はかなりです!東神奈川電車区在って、鶴見線、横浜線で活躍しました。外観が103系でした!
宇佐美光男 そうなんですね!
ありがとうございます!
武蔵白石では2回ドア扱い(客扱い)するということでしょうか?
あと意外だったのですが、大川支線ホームは3番線が行き止まりの構造だったのですね。
当時の記録を調べると鋼製電車は機器や台車が国産化し始めた時代なんですね。海外製品のライセンス生産品もあれば、それらを国産化したモノもある。80系のように長距離輸送はまだ無理だけど比較的中距離輸送や勾配区間での熱的余裕を持たせた設計がされている。だからこそ戦後も長く生き残ってローカル線で運用できたわけです。私は身延線沿線住まいですので42系は大好きでしたし、首都圏では想定外の1000分の25勾配も苦もなく登る旧型国電を不思議に感じていた。165系などの新性能電車が空転し、時にはモートル焼損となるのになんで旧型はそうならないのか長年の疑問でした。12系などのベース設計が良かったからに他ありません。
なぜ武蔵白石は本線下りから大川支線ホームに直接入線出来ない配線だったんでしょうか?
ウィキペディアによると、「大川支線は、かつて武蔵白石駅 - 大川駅間の区間運転であった」とありますから、そのあたりが理由ではないでしょうか。
武蔵白石駅の支線ホームは、急カーブに沿って設置されていたため、建築限界の影響で17m級の旧型国電しか運用できなかったそうです。そのため、本線での101系投入後もクモハ12形が運用されつづけ、老朽化にによる車両更新時に、支線ホームを撤去、武蔵白石駅は「通過」扱いとする事で、103系が投入されました。その際に下り本線から大川支線への直通ルートが設定されたものと思われます。
ちなみに、現在も大川支線の起点は武蔵白石駅で、運賃計算や鶴見方面ー大川間の定期券での入出場では、武蔵白石から大川へ接続として取り扱われているそうです。
あの支線ホームは相当狭くて危険ですね。撤去は仕方ないかと。
当時は、安善~武蔵白石に、上り線に転線する[渡り線]が設置されていませんでした。よって、武蔵白石駅から、スイッチバックして、大川支線に転線しておりました。
鉄道UA-camはレベルが高いです。鶴見線は日本の産業の基軸です。
これ、カメラどこについているの?
助手席(助士席)窓の直後です。旧型国電には運転席側の一画が囲われていて助手席側は前面窓まで寄れるようになっているものがありました。
片隅運転台、半室運転台などで検索してみると分かりますよ🙂
@@CHAMIOKA さん
回答いただきありがとうございます。
以前、鶴見に住んでいました。
鶴見小野が最寄りでした。なつかし映像でした。ありがとうございます。
コメント、失礼致します。
大変、素晴らしいクモハ12の前面展望映像でした。
子供の頃に乗った記憶が蘇ってきました。
一つ、リクエストなのですが、92年度版とこの94年度版で武蔵白石での入れ替えがノーカットの物をアップしていただけないでしょうか?
お手数をお掛け致しますが、宜しくお願い致します。
申し訳ございませんが、当該映像が無くご希望に添えません。
武蔵白石駅では運転士が移動する関係から一旦撮影を止めておりました。
悪しからずご了承ください。
線路に草がないし、自分の家も無い
これ俺がまだ若い頃の映像だ。