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0:00 ハイライト0:56 前回のラスト1:47 アムロ、演出とニュータイプフラッシュ2:48 ビグザムに斬りかかるガンダム 4:20 ドズル、やられはせん6:48 ドズルの名言。アムロとララァ8:31 ドズルとアムロと悪魔10:42 悪魔の正体12:48 ガンダムはSFじゃない論争14:18 ドズルの悪魔性。スタッフと富野由悠季の対立15:15 ビグザム17:08 岡田斗司夫の病18:03 ドズルとスレッガー。ifの世界
全ての人間は欲の塊という悪魔なんだよ天使に見えるのは3歳まで
ニーチェが出てくるとは。富野さんってやっぱりインテリなんですね。今回も聞き応えのある、骨太考察だと思いました。
ドズルを好人物として描いていたのに突然悪魔が出てくるのはずっと不思議だったんですが、なるほどと思いました。人間らしさを否定するのがニュータイプであると。そりゃフラウも離れるわな―
そういうことかー腑に落ちたわ
あのオーラ、ドズルの執念とドズルが背負っているもの(家族・ザビ家・ジオン公国)が具現化したものだと思ってる。アムロに自分が何と戦っているのかを感じさせる為かと。
人の持つ欲とか執念とか業とか…ともすれば人間臭いものであるが、権力を持って意識が肥大化すれば大犯罪人ともなる。それを表現したのが悪魔だったとずっと思ってる。
70年代に肯定的に描かれてきた根性論とか男の意地みたいな価値観を否定してるんだからそりゃガンダム以前のアニメは前時代的なものとして扱われるよなあと思う80年代はさらに進んでラブコメとかジャンプの時代になるもんなあ
ドズルの悪魔オーラについて一番しっくりくる解釈でした
自分は誰にでもわかるもっとシンプルに考えました。それは「ザビ家の象徴、ザビ家に巣食う悪魔」まさに形があのサイド3の建物そのものですよね。その根拠はアムロが語っていて「シャアだってわかっているはずだ。本当の倒すべき相手がザビ家だということを。」という例のアレです。これまでアムロは直接ザビ家と接したことも縁も無いのに、終盤に来て急に強く「ザビ家」を意識しています。これはひとつはこのドズルの影、そしてもうひとつは憎しみの光のせいだと思います。
正義の怒りをぶつけろガンダム、というのは何を表しているのかという哲学的問いですよね
深いですね~こんなに練られてるとは、当時全然考えずに観てた・・・
旧人類の業とでも言うのでしょうか。凝縮された怨念とも取れますよね。ニュータイプはそれすら理解して超えることができると言うことなのかな。
本放送当時、高校生だった私が思った事は、そもそも、ニュータイプ自体が、放送短縮になったガンダムのドラマをどうにか体裁つけて終わらせるための苦肉の策だろ、というもので、やっぱり唐突感が拭えないものだった‥‥。映画では「Ⅱ」から出て来る言葉だけど。ただ、この、ソロモン攻略戦の前後回は、本当に色々、アニメとしてドラマとしての演出要素詰め込みで、ドズルの最期の黒い影だって、色々な解釈が、それこそいくらでも出来るもので、嫌いでもないし、唐突でも、物語を破綻させているものでもないと思ってた。汚くしてしまったのは、むしろ、富野監督の小説版だと、当時、思った。それはそれとして、西崎義展プロデューサーの下の名、私も「よし "のり"」だと思ってました。せんぱーい❤ww
ジオン兵はみんなガンダムの後ろに見えていた
これだ……!
連邦の白い悪魔!
@@jtpgmwdgptdtj おもんないて
@@司馬興 あくまでこの動画で解説されている岡田斗司夫の唱える説の話だけどドズルの悪魔は人間が当たり前に持つ感情、アムロは超人(NT)だからそれが醜く見えた というのがこの動画で言ってる話連邦の白い悪魔は別にジオン兵にアムロの感情が見えてるわけじゃなく、単に強すぎる敵への畏怖だから全くの別物
ありがとうございます。解説いただき理解できました。もしかしたらネタでしょうか?
この回の解説3年前からずっと楽しみにしてた
スレッガーは最期の出撃の前、ミライに母の形見を手渡すのですが、心配性な彼女に母親の面影を重ねていたのでしょうか。ドズルの生に対する執念を示す演出は、実はスレッガーとの比較から生まれたのではないでしょうか。ドズルには妻と子がいましたので、戦況がどれだけ劣勢になろうとも最期までしぶとく抵抗を続けました。ミライを恋愛対象として見做せなかったスレッガーは、ドズルのように非情に徹する事が出来ないのです。逃げる丸腰のジオン兵を見逃すシーンも、その一例と見なせます。 などと勝手な解釈をしてみました(笑)
百人が見たら、百人分の感想文があるもんやど~♪o(*≧∀≦)ノしかも、何回か見たら・・・何回か分の感想文ができるし~♪ヽ( ̄▽ ̄)ノきっと、解釈や感想には、正解も間違いもないもんやど~♪・・・(((*≧艸≦)ププッ
スレッガーが生還したらハサウェイは
ドズルは最後にニュータイプの発現があったんです
子どもの頃、ガンダムが途中でオカルトっぽくなって萎えたのを覚えてる。ゼータ以降、ニュータイプがそのものが話の主軸になり、ある程度辻褄が合い見れるようになった。
実は「たかが石ころひとつ〜」につながっている説。
ドズルは、シャアがアムロに感じたプレッシャーの影を武人の勘で察知したのかも知れない。一方、アムロの会敵即撃は二度と黒い悪魔を見たく無かったのかも知れない。
ここで下がれなかったのがカミーユ?
精神が引っ張ったのは、シロッコが言ってた。
誤が→を
@@my5180 そこで下がらなかったらアムロも持ってかれてたのかなぁって妄想
@@のむのむ日和 下がらなかったら、アムロも、爆発の巻き添え。ドズルを最後に殺したのは、実は、ビグザムの爆発なんですよね。ここでもアムロは「傍観者」。だから、あの悪鬼は、必ずしも「ドズル個人の属性」ではない、という解釈もできるのでないかと考えてた。ビグザムに具現化された「戦場の意志」みたいなもの、という見方も(作り手の意図とは違っても)できると思った。ドズルは、若干、ビグザムの万能感に酔っていた感じもあったし。とにかく、アムロが飛び下がったのは、危機回避の本能だと思った。銃を撃つドズルに呑まれていたのが、はっと我に返ったというか。
いやいや、Zの話になると富野さんも何年か経っていてイデオンとダンバインで富野教を醸成させてるのでまた展開が違うかと思ってます。カミーユはこのドズル的人間臭さを引っ張ったままNT能力を発揮、しかも私怨と憎悪でリミッター解除したのでトッドやジェリルのように自滅したのかと。イデやシーラのいう良き力でなければならず、ドズルのような人間臭さ、自我はしょせんエゴに違いなく、良き力ではない、カミーユは富野はあえて最初からそういう役割に描かれた、だからNTにはZはまだまだ試練時代だと。富野教はZ当時ではこんな感じだったのでは無いでしょうか?
自分も、ガンダムに当時どハマりしたクチなんだけど ニュータイプの概念が出てきたときにズッコケたものです。
グワジンのモデルが西崎氏ですね。
1970年代の後半って??ガンダムは1979から1980に放映されているし違うよね1980年以降だと思うし、いつ頃だったのだろう。
ハンターハンターでネテロが見せた【人間の底すら無い悪意を・・・!!】にも類似性が感じられる
アムロの強さに根拠を示すためにNTは納得してたけど、逆シャアやカミーユの人の意思とかは何か違う気がしてた。制作陣でもNTの導入是非で意見が分かれた事あったんだな。
なぁに物語の本質を的確に見抜けてる訳ですから名称の正確さは二の次です、主張が伝われば良いのです今回も目から鱗のお話ありがとうございました
トミカの巨大なグレートタンクローリー
戦争末期あるあるだろう。たった一人の玉砕兵士に悪鬼を見た!とか
ベリリュー島で敢闘した船坂軍曹という男は銃弾20か所受けても死なず、重体捕虜になってもさらに向かってきて米兵震え上がらせたとか
ビグザムのHGUCずっとまってるんやがああああ
トミカの巨大グレートタンクローリー
小説版のドズルにも同じオーラ?が出てたような気が。単にそれを使っただけだと思ってた
〈すごいプレッシャー〉の漫画的表現ってだけで、作家性やら時代背景をメタ考察して演出の無自覚な部分に証拠付けしてる感
何でポットを回収するだけなのに、艦隊ごと動かしたんだろう適当なちっちゃいやつ一隻でも回収位できるだろうにとここまで見てみても分からなかった
人間の魔性でしょう
仏教で言いゆう天魔(第6天の魔王)でしょう
悪意ではなく、執念だと思ってます。
もうヤマトに圧勝してるよね😊
古代進「…我々は愛し合うべきだった!」
デビルマンのデーモン族 魔王ゼノンでしょ
アムロにはメカに乗ってない人間を56せない弱点があるのではないか?それで『こいつは人間じゃない。悪魔だ』と自分に言い聞かせようとしたのだろう
無重力な空間で、ドズルは踏み留まりながら、ライフルを連射するなんて!もしかしたら、違うタイプのニュータイプかも。
無重力では、素人考えだと物を物理的に放出すると反対方向への推進力出てしまいますよね。
確か、足の裏に磁石のようなものがあって、無重力の艦内でも歩ける仕様になってたからおそらく…。
ビグザムはジオン軍が開発した巨大モビルアーマー。
やられはせん!けつの穴はやられはせん!byアナル・レイ◯
確かにSFとか戦記物として見ると、ニュータイプが邪魔に感じてしまう。これって宗教だから異質に感じたのですね。
ふぁんろーど誌上で、みんだなお氏が、続編続編で陳腐化していくガンダムを揶揄して、シャアの後から「ヤマトに成っちゃうぞぉ~」と囁いて、其れに怒ったシャアと追いかけっこを始めるという4コマを描いたが、何か其れを思い出す。正直、スタッフの意見には肯くしか無い。最初にガンダムを見たとき、ニュータイプという物が降って湧いて???と成ったのを覚えている。結局、ニュータイプはエスパーじゃ無いと富野氏は当時雑誌には散々言ってたみたいだが、ニュータイプの見てくれはどう考えてもエスパー以外の何物でも無い。SF的にはね。……で結局ユニコンガンダムで、宇宙世紀ガンダムシリーズは、2001夜物語+地球へに成っちゃった。その原点を作り、ガイア・ギアなんかで何時まで経ってもシャアから卒業できないガンダムは、袋小路に填まったと言えると思う。さて、ドズルを通して視聴者を叱責するのは結構だが、ガンダムが此処まで続いている理由の一つは、間違いなくアニメ本編の所為では無く、スーパーロボット大戦に代表されるGAMEの存在があったことは否定しようが無い。いわば、富野氏が叱責した様な人々の心をそう言うメディアが掴んだからこそスポンサーが未だにつき、手を変え品を変え未だに”ガンダム”というブランドが幅を利かせているのは、皮肉と云うべきだろうか。
トミカ巨大グレートタンクローリー
なぜ私が宇宙戦艦ヤマトが嫌いなのか、やっと分かりました。
デカいハイパーグランナー(この巨大移動基地)とトミカ空港化学消防車。
デカいハイパーグランナー(巨大移動基地)とサラ・ザビアロフ。
ハイパーグランナーのコックピット(操縦席)。
このハイパーグランナー(巨大ビークル)とトミカ日野はしご付き消防車。
あの悪魔は ドズルの情念かつ執念でありドズルの魂そのもの。 アムロは 戦士としての本能で危機を察知したから倒せたし逃げることができた。 さて、今度は富野という悪魔を倒す 新しい革新の魂は顕れるのか? ガンダムの世界観は余りにも巨大に成りすぎた。
トミカのデカいハイパーグランナー(巨大ビークル)とモリタ空港化学消防車。
ハイパーグランナーデカい!
このハイパーグランナーは3つのフォームに変形する。
このハイパーグランナー(巨大移動基地)と女の子のサラ・ザビアロフ。
0:00 ハイライト
0:56 前回のラスト
1:47 アムロ、演出とニュータイプフラッシュ
2:48 ビグザムに斬りかかるガンダム
4:20 ドズル、やられはせん
6:48 ドズルの名言。アムロとララァ
8:31 ドズルとアムロと悪魔
10:42 悪魔の正体
12:48 ガンダムはSFじゃない論争
14:18 ドズルの悪魔性。スタッフと富野由悠季の対立
15:15 ビグザム
17:08 岡田斗司夫の病
18:03 ドズルとスレッガー。ifの世界
全ての人間は欲の塊という悪魔なんだよ
天使に見えるのは3歳まで
ニーチェが出てくるとは。富野さんってやっぱりインテリなんですね。今回も聞き応えのある、骨太考察だと思いました。
ドズルを好人物として描いていたのに突然悪魔が出てくるのはずっと不思議だったんですが、なるほどと思いました。
人間らしさを否定するのがニュータイプであると。そりゃフラウも離れるわな―
そういうことかー腑に落ちたわ
あのオーラ、ドズルの執念とドズルが背負っているもの(家族・ザビ家・ジオン公国)が具現化したものだと思ってる。アムロに自分が何と戦っているのかを感じさせる為かと。
人の持つ欲とか執念とか業とか…ともすれば人間臭いものであるが、権力を持って意識が肥大化すれば大犯罪人ともなる。
それを表現したのが悪魔だったとずっと思ってる。
70年代に肯定的に描かれてきた根性論とか男の意地みたいな価値観を否定してるんだからそりゃガンダム以前のアニメは前時代的なものとして扱われるよなあと思う
80年代はさらに進んでラブコメとかジャンプの時代になるもんなあ
ドズルの悪魔オーラについて一番しっくりくる解釈でした
自分は誰にでもわかるもっとシンプルに考えました。
それは「ザビ家の象徴、ザビ家に巣食う悪魔」
まさに形があのサイド3の建物そのものですよね。
その根拠はアムロが語っていて「シャアだってわかっているはずだ。本当の倒すべき相手がザビ家だということを。」という例のアレです。
これまでアムロは直接ザビ家と接したことも縁も無いのに、終盤に来て急に強く「ザビ家」を意識しています。
これはひとつはこのドズルの影、そしてもうひとつは憎しみの光のせいだと思います。
正義の怒りをぶつけろガンダム、というのは何を表しているのかという哲学的問いですよね
深いですね~
こんなに練られてるとは、当時全然考えずに観てた・・・
旧人類の業とでも言うのでしょうか。凝縮された怨念とも取れますよね。ニュータイプはそれすら理解して超えることができると言うことなのかな。
本放送当時、高校生だった私が思った事は、
そもそも、ニュータイプ自体が、放送短縮になったガンダムのドラマをどうにか体裁つけて終わらせるための苦肉の策だろ、というもので、やっぱり唐突感が拭えないものだった‥‥。映画では「Ⅱ」から出て来る言葉だけど。
ただ、この、ソロモン攻略戦の前後回は、本当に色々、アニメとしてドラマとしての演出要素詰め込みで、ドズルの最期の黒い影だって、色々な解釈が、それこそいくらでも出来るもので、嫌いでもないし、唐突でも、物語を破綻させているものでもないと思ってた。
汚くしてしまったのは、むしろ、富野監督の小説版だと、当時、思った。
それはそれとして、西崎義展プロデューサーの下の名、私も「よし "のり"」だと思ってました。せんぱーい❤ww
ジオン兵はみんなガンダムの後ろに見えていた
これだ……!
連邦の白い悪魔!
@@jtpgmwdgptdtj
おもんないて
@@司馬興 あくまでこの動画で解説されている岡田斗司夫の唱える説の話だけど
ドズルの悪魔は人間が当たり前に持つ感情、アムロは超人(NT)だからそれが醜く見えた というのがこの動画で言ってる話
連邦の白い悪魔は別にジオン兵にアムロの感情が見えてるわけじゃなく、単に強すぎる敵への畏怖だから全くの別物
ありがとうございます。解説いただき理解できました。もしかしたらネタでしょうか?
この回の解説3年前からずっと楽しみにしてた
スレッガーは最期の出撃の前、ミライに母の形見を手渡すのですが、心配性な彼女に母親の面影を重ねていたのでしょうか。
ドズルの生に対する執念を示す演出は、実はスレッガーとの比較から生まれたのではないでしょうか。
ドズルには妻と子がいましたので、戦況がどれだけ劣勢になろうとも最期までしぶとく抵抗を続けました。
ミライを恋愛対象として見做せなかったスレッガーは、ドズルのように非情に徹する事が出来ないのです。逃げる丸腰のジオン兵を見逃すシーンも、その一例と見なせます。
などと勝手な解釈をしてみました(笑)
百人が見たら、
百人分の感想文があるもんやど~♪
o(*≧∀≦)ノ
しかも、
何回か見たら・・・何回か分の感想文ができるし~♪
ヽ( ̄▽ ̄)ノ
きっと、
解釈や感想には、正解も間違いもないもんやど~♪・・・
(((*≧艸≦)ププッ
スレッガーが生還したらハサウェイは
ドズルは最後にニュータイプの発現があったんです
子どもの頃、ガンダムが途中でオカルトっぽくなって萎えたのを覚えてる。
ゼータ以降、ニュータイプがそのものが話の主軸になり、ある程度辻褄が合い見れるようになった。
実は「たかが石ころひとつ〜」につながっている説。
ドズルは、シャアがアムロに感じたプレッシャーの影を武人の勘で察知したのかも知れない。一方、アムロの会敵即撃は二度と黒い悪魔を見たく無かったのかも知れない。
ここで下がれなかったのがカミーユ?
精神が引っ張ったのは、シロッコが言ってた。
誤が→を
@@my5180 そこで下がらなかったらアムロも持ってかれてたのかなぁって妄想
@@のむのむ日和
下がらなかったら、アムロも、爆発の巻き添え。
ドズルを最後に殺したのは、実は、ビグザムの爆発なんですよね。ここでもアムロは「傍観者」。
だから、あの悪鬼は、必ずしも「ドズル個人の属性」ではない、という解釈もできるのでないかと考えてた。ビグザムに具現化された「戦場の意志」みたいなもの、という見方も(作り手の意図とは違っても)できると思った。ドズルは、若干、ビグザムの万能感に酔っていた感じもあったし。
とにかく、アムロが飛び下がったのは、危機回避の本能だと思った。銃を撃つドズルに呑まれていたのが、はっと我に返ったというか。
いやいや、Zの話になると富野さんも何年か経っていてイデオンとダンバインで富野教を醸成させてるのでまた展開が違うかと思ってます。
カミーユはこのドズル的人間臭さを引っ張ったままNT能力を発揮、しかも私怨と憎悪でリミッター解除したのでトッドやジェリルのように自滅したのかと。
イデやシーラのいう良き力でなければならず、ドズルのような人間臭さ、自我はしょせんエゴに違いなく、良き力ではない、カミーユは富野はあえて最初からそういう役割に描かれた、だからNTにはZはまだまだ試練時代だと。
富野教はZ当時ではこんな感じだったのでは無いでしょうか?
自分も、ガンダムに当時どハマりしたクチなんだけど ニュータイプの概念が出てきたときにズッコケたものです。
グワジンのモデルが西崎氏ですね。
1970年代の後半って??
ガンダムは1979から1980に放映されているし違うよね
1980年以降だと思うし、いつ頃だったのだろう。
ハンターハンターでネテロが見せた【人間の底すら無い悪意を・・・!!】にも類似性が感じられる
アムロの強さに根拠を示すためにNTは納得してたけど、逆シャアやカミーユの人の意思とかは何か違う気がしてた。制作陣でもNTの導入是非で意見が分かれた事あったんだな。
なぁに物語の本質を的確に見抜けてる訳ですから名称の正確さは二の次です、主張が伝われば良いのです
今回も目から鱗のお話ありがとうございました
トミカの巨大なグレートタンクローリー
戦争末期あるあるだろう。たった一人の玉砕兵士に悪鬼を見た!とか
ベリリュー島で敢闘した船坂軍曹という男は銃弾20か所受けても死なず、重体捕虜になってもさらに向かってきて米兵震え上がらせたとか
ビグザムのHGUCずっとまってるんやがああああ
トミカの巨大グレートタンクローリー
小説版のドズルにも同じオーラ?が出てたような気が。単にそれを使っただけだと思ってた
〈すごいプレッシャー〉の漫画的表現ってだけで、作家性やら時代背景をメタ考察して演出の無自覚な部分に証拠付けしてる感
何でポットを回収するだけなのに、艦隊ごと動かしたんだろう
適当なちっちゃいやつ一隻でも回収位できるだろうにと
ここまで見てみても分からなかった
人間の魔性でしょう
仏教で言いゆう天魔(第6天の魔王)でしょう
悪意ではなく、執念だと思ってます。
もうヤマトに圧勝してるよね😊
古代進「…我々は愛し合うべきだった!」
デビルマンのデーモン族 魔王ゼノンでしょ
アムロにはメカに乗ってない人間を56せない弱点があるのではないか?それで『こいつは人間じゃない。悪魔だ』と自分に言い聞かせようとしたのだろう
無重力な空間で、ドズルは踏み留まりながら、ライフルを連射するなんて!
もしかしたら、違うタイプのニュータイプかも。
無重力では、素人考えだと物を物理的に放出すると反対方向への推進力出てしまいますよね。
確か、足の裏に磁石のようなものがあって、無重力の艦内でも歩ける仕様になってたからおそらく…。
ビグザムはジオン軍が開発した巨大モビルアーマー。
やられはせん!けつの穴はやられはせん!
byアナル・レイ◯
確かにSFとか戦記物として見ると、ニュータイプが邪魔に感じてしまう。これって宗教だから異質に感じたのですね。
ふぁんろーど誌上で、みんだなお氏が、続編続編で陳腐化していくガンダムを揶揄して、シャアの後から「ヤマトに成っちゃうぞぉ~」と囁いて、其れに怒ったシャアと追いかけっこを始めるという4コマを描いたが、何か其れを思い出す。
正直、スタッフの意見には肯くしか無い。最初にガンダムを見たとき、ニュータイプという物が降って湧いて???と成ったのを覚えている。結局、ニュータイプはエスパーじゃ無いと富野氏は当時雑誌には散々言ってたみたいだが、ニュータイプの見てくれはどう考えてもエスパー以外の何物でも無い。SF的にはね。……で結局ユニコンガンダムで、宇宙世紀ガンダムシリーズは、2001夜物語+地球へに成っちゃった。その原点を作り、ガイア・ギアなんかで何時まで経ってもシャアから卒業できないガンダムは、袋小路に填まったと言えると思う。
さて、ドズルを通して視聴者を叱責するのは結構だが、ガンダムが此処まで続いている理由の一つは、間違いなくアニメ本編の所為では無く、スーパーロボット大戦に代表されるGAMEの存在があったことは否定しようが無い。いわば、富野氏が叱責した様な人々の心をそう言うメディアが掴んだからこそスポンサーが未だにつき、手を変え品を変え未だに”ガンダム”というブランドが幅を利かせているのは、皮肉と云うべきだろうか。
トミカ巨大グレートタンクローリー
なぜ私が宇宙戦艦ヤマトが嫌いなのか、やっと分かりました。
デカいハイパーグランナー(この巨大移動基地)と
トミカ空港化学消防車。
デカいハイパーグランナー(巨大移動基地)と
サラ・ザビアロフ。
ハイパーグランナーのコックピット(操縦席)。
このハイパーグランナー(巨大ビークル)と
トミカ日野はしご付き消防車。
あの悪魔は ドズルの情念かつ執念でありドズルの魂そのもの。 アムロは 戦士としての本能で危機を察知したから倒せたし逃げることができた。
さて、今度は富野という悪魔を倒す 新しい革新の魂は顕れるのか? ガンダムの世界観は余りにも巨大に成りすぎた。
トミカのデカいハイパーグランナー(巨大ビークル)と
モリタ空港化学消防車。
ハイパーグランナーデカい!
このハイパーグランナーは3つの
フォームに変形する。
このハイパーグランナー(巨大移動基地)と
女の子のサラ・ザビアロフ。