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これらの音と湘南の海がこれでもか?って位マッチするんだよね〜、やはり聞いていて最高だなぁって思うよ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。305号はカルダン化されて久しいですが、1000形の一部では今でも吊り掛け音が聴けますね。
生き延びて欲しいよね〜
江ノ電500形と聞いて飛んできました最高すぎる!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。500形の登場時は画期的なスタイルでかなり浮いていたと想像されますが、その後時が経ってすっかり江ノ電に馴染んでいましたね。
昔、柳小路駅近くに住んでおりました。500形は車内に一部クロスシートがあり、幼いながら高級な電車と思った記憶があります。当時の事で覚えているのは、2両編成の後に続行運転で単コロがついてきたこと覚えてます。あとは藤沢駅の改札口の近くに噴水型のオレンジジュースの自動販売機があった事強烈に覚えてます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。500形のクロスシートやタンコロの続行運転を実際に見られたというのは貴重なご経験であり、羨ましい限りです。藤澤駅の多角形の建物は私も子供の頃の記憶があり、薄暗い駅構内や国鉄との連絡改札や跨線橋の存在が印象的でした。噴水型のジュース自販機!があったという記憶は残念ながら私には無いのですが、昔は商店街などでよく見かけましたね。
懐かしい映像ありがとうございます。外観の違いに加えて音も違っていましたね。501は高音、502は低音でした。17:45あたりの場面がよく分かると思います。私は502推しでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。台車や電動機が異なっていましたので、やはり吊り掛け音の違いにも表れますよね。
江ノ電、鉄道法なんですね。路面を走ることがあっても高床式電車が普通に走る、その違和感が面白いです。釣り掛け電車の連接構造、難しいでしょうね。ブリル台車とボールドウィン台車の違い、良く解りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。路面から高床式電車を見上げると、小さな車体が巨大に見えるところが面白かったです。吊り掛け旧型車の中で、301編成に限っては連接台車に電動機が搭載されていましたね。
路線全部鉄道模型のジオラマみたいで非常に好ましいです
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰る通りで、特に俯瞰するとジオラマそのものでした。ua-cam.com/video/vu7VPmJKw1w/v-deo.html
初代 500系は屋根まで緑塗装されてますが、2代目は昭和初期の砂を吹き付けた屋根のような黒灰色なんですね。先日、人生2度目の乗車では海側の車窓ばかり眺めていたので、極楽寺検車区に気づきませんでした。次回乗車時は山側にも注意を払いたいと思います。映像に出てくる江ノ電と沿線の残雪… 今年は寒さが厳しい予想で、この目で直に見れるかもしれませんね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。江ノ電の車窓風景は、海側・山側でかなり表情が異なりますね。神奈川県は小さな県ですが、内陸部がかなりの雪でも沿岸部は雨ということが良くあります。江ノ電沿線で積雪があれば絶好の撮影機会なのですが、まあ5年に一度くらいしか無い気がします。今季見られると良いですね。
とてもいい動画です!❤私は中国に住んでいます。江の電気はここでもかなり有名です。最初は前世紀にアニメ「スラムダンク」でよく知られていました。特に鎌倉高矯前駅の近くの踏切です。最近、中国ではこの電車といえば江の電気です。いくつかのゲーム作品にも江の電気が出ています。美しい景色と電車は確かに似合いますwww
感謝您的觀看和評論本頻道的江ノ電影片是我在1980年代後半葉拍攝的如果可以的話,可以將以下歌單傳播給江ノ電粉絲ua-cam.com/play/PLl38nS2dTXOnb1Ks7qAqHLO9IjlOXF87z.html
@昭和電車チャンネル 共有してくれてありがとう!中国でもあなたの動画を転載している人を見ましたwww
@昭和電車チャンネル できれば見てから中国の江ノ電ファンの方にこの路線を紹介します
300型よりもなぜか500のほうが江ノ電の印象が強いワタクシ。当城当初は4トラだったか8トラだったか、テープ式の観光案内と自動放送が備わっていましたね。他の方も言っておられますが、国鉄設計末期くらいまでの時代の車はワイパーが圧縮空気式が多く、スローで動かそうとするとピストンかリンクが折り返す真ん中あたりで「よっころらしょ」という動きが面白かった覚えがあります
いつもご視聴、コメントありがとうございます。旧型唯一の生き残り305が江ノ電の顔になっていますが、カラーリングが変わっても一目で江ノ電と判る500形の方が、たしかに「江ノ電らしい」電車だったと云えますね。
旧500型についでは他の動画にいろいろ書かせていただきましてので、重複しない様に注意して、いくつか。まず、501編成と502編成では。製造会社が違うんですよね。501編成は東洋電機製造、502編成は東急車両です。だから外回りだけでなく、運転台もコントローラの所の切り欠き等も微妙に違いました。(どっちがどうだったかは正確な記憶ではありませんが、初代コントローラはどちらも東洋電機製造だったと思います。)ここからは個人的な推測ですが、東急の玉電デハ200型と年代も設計思想も相通じるところがあるので、東急車両が設計して江ノ電に提案した可能性があります。台車の小型化・客室の豪華さ・両開きドア等昭和30年代の中小私鉄では殆ど事例のない装備でした。それが直接の原因かどうかはわかりませんが、冷房化を検討する際に台車が小さく重量を支えきれないと判断され、冷房化されずに廃車になった。とどこかに書いてありました。余談①江ノ電の線路がくねくねしているのは、用地確保の際にいろんな地権者が「おらの土地を提供するべ(と発音したかどうかは知りませんが)」的な感じでそれをつなぎ合わせたらその結果だそうです。余談②当時のワイパーは圧縮率空気で稼働しており、バルブで空気の流量を調節して速度を変えていたため、電動ワイパーからは考えられない動きをする場合があります。運転席でワイパーの空気弁の独特な響きが聞こえた物です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。貴殿の推測は大変興味深いですね。玉電デハ200のデビューは昭和30年、ほぼ同時期に江ノ電500形の設計も東急車両が手掛けていたが、製造は東洋電機に任せて501Fが昭和31年にデビュー、製造現場が空いたので502Fは東急車両で製造、ということだったのかもしれませんね。地主からの用地買収の関係で線形が「くねくね」になったという話は私も聞いたことがありますが、腰越~小動間だけの話しかと勝手に思い込んでおりました。ワイパーは電動駆動では無かったのですね。圧縮空気が駆動源であれば、ちょっと不思議な動きだったのも理解できます。
80年代半ば頃に全面の窓を更新したが、それでも優美さは最後まで失ってなかったですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。改造の際に変に平面カットなどせずに、前頭部の丸味を生かして5枚窓化してくれたので、優美さが保たれたのだと思います。江ノ電関係者の、この電車に対する愛情が感じられますね。動画内でも触れましたが、機能に関係のない側面窓の隅Rにこだわるなども、愛情の現われだと思います。
沿線近くに住んでます江ノ電の車輌も周辺を走ってる車も風景も懐かしいですねいけない事ですが小学生の頃、鵠沼駅の江ノ島側にある橋をよく歩いて渡りました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。子供の頃、鵠沼駅近くの知人宅に行った際に、実は私も境川鉄橋をこわごわ渡ったりしておりました。下り鎌倉行きが通過した直後であれば、しばらく電車は来ないので「安心」ですが、上りが通過したあとだと直ぐに鵠沼駅から電車が来てしまいます。当時子供の頃は、そういう理屈を承知していなかったので、今考えるとホント冷や汗モノですw
やっぱり江ノ電は500系、何でも変えればいいもんではないよ、
いつもご視聴、コメントありがとうございます。画期的な新造車体でしたし、500形はやはり江ノ電の顔でしたね。
今の新500系は、大っ嫌いです。旧500形のデザインをほうふつしている…とありますが、全然似ても似つかないですね😢。江ノ電は、ここまで落ちぶれたのか?と思います。やっぱり旧500形の方が大好きでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。私も旧500形愛が激しいのでお気持ち良く解ります。新500形は他の車輛に比べれば明らかに旧型を意識したデザインを採用しているという意味で、イメージを踏襲と書きました。あくまでイメージですw
コストも含めていろいろ制約がある中で、どうにか500型の面影を盛り込もうとした結果のデザインではないかと思います。正直なところ私もあまり好きではありません。「半端なことしなくていいのに」と思ってしまいます。
これらの音と湘南の海がこれでもか?って位マッチするんだよね〜、やはり聞いていて最高だなぁって思うよ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
305号はカルダン化されて久しいですが、1000形の一部では今でも吊り掛け音が聴けますね。
生き延びて欲しいよね〜
江ノ電500形と聞いて飛んできました
最高すぎる!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
500形の登場時は画期的なスタイルでかなり浮いていたと想像されますが、その後時が経ってすっかり江ノ電に馴染んでいましたね。
昔、柳小路駅近くに住んでおりました。500形は車内に一部クロスシートがあり、幼いながら高級な電車と思った記憶があります。当時の事で覚えているのは、2両編成の後に続行運転で単コロがついてきたこと覚えてます。あとは藤沢駅の改札口の近くに噴水型のオレンジジュースの自動販売機があった事強烈に覚えてます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
500形のクロスシートやタンコロの続行運転を実際に見られたというのは貴重なご経験であり、羨ましい限りです。藤澤駅の多角形の建物は私も子供の頃の記憶があり、薄暗い駅構内や国鉄との連絡改札や跨線橋の存在が印象的でした。噴水型のジュース自販機!があったという記憶は残念ながら私には無いのですが、昔は商店街などでよく見かけましたね。
懐かしい映像ありがとうございます。外観の違いに加えて音も違っていましたね。
501は高音、502は低音でした。17:45あたりの場面がよく分かると思います。
私は502推しでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
台車や電動機が異なっていましたので、やはり吊り掛け音の違いにも表れますよね。
江ノ電、鉄道法なんですね。路面を走ることがあっても高床式電車が普通に走る、その違和感が面白いです。
釣り掛け電車の連接構造、難しいでしょうね。
ブリル台車とボールドウィン台車の違い、良く解りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
路面から高床式電車を見上げると、小さな車体が巨大に見えるところが面白かったです。吊り掛け旧型車の中で、301編成に限っては連接台車に電動機が搭載されていましたね。
路線全部鉄道模型のジオラマみたいで
非常に好ましいです
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰る通りで、特に俯瞰するとジオラマそのものでした。
ua-cam.com/video/vu7VPmJKw1w/v-deo.html
初代 500系は屋根まで緑塗装されてますが、2代目は昭和初期の砂を吹き付けた屋根のような黒灰色なんですね。
先日、人生2度目の乗車では海側の車窓ばかり眺めていたので、極楽寺検車区に気づきませんでした。次回乗車時は山側にも注意を払いたいと思います。
映像に出てくる江ノ電と沿線の残雪… 今年は寒さが厳しい予想で、この目で直に見れるかもしれませんね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
江ノ電の車窓風景は、海側・山側でかなり表情が異なりますね。神奈川県は小さな県ですが、内陸部がかなりの雪でも沿岸部は雨ということが良くあります。江ノ電沿線で積雪があれば絶好の撮影機会なのですが、まあ5年に一度くらいしか無い気がします。今季見られると良いですね。
とてもいい動画です!❤
私は中国に住んでいます。江の電気はここでもかなり有名です。最初は前世紀にアニメ「スラムダンク」でよく知られていました。特に鎌倉高矯前駅の近くの踏切です。最近、中国ではこの電車といえば江の電気です。いくつかのゲーム作品にも江の電気が出ています。美しい景色と電車は確かに似合いますwww
感謝您的觀看和評論
本頻道的江ノ電影片是我在1980年代後半葉拍攝的
如果可以的話,可以將以下歌單傳播給江ノ電粉絲
ua-cam.com/play/PLl38nS2dTXOnb1Ks7qAqHLO9IjlOXF87z.html
@昭和電車チャンネル 共有してくれてありがとう!中国でもあなたの動画を転載している人を見ましたwww
@昭和電車チャンネル できれば見てから中国の江ノ電ファンの方にこの路線を紹介します
300型よりもなぜか500のほうが江ノ電の印象が強いワタクシ。
当城当初は4トラだったか8トラだったか、テープ式の観光案内と自動放送が備わっていましたね。
他の方も言っておられますが、国鉄設計末期くらいまでの時代の車はワイパーが圧縮空気式が多く、スローで動かそうとするとピストンかリンクが折り返す真ん中あたりで「よっころらしょ」という動きが面白かった覚えがあります
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
旧型唯一の生き残り305が江ノ電の顔になっていますが、カラーリングが変わっても一目で江ノ電と判る500形の方が、たしかに「江ノ電らしい」電車だったと云えますね。
旧500型についでは他の動画にいろいろ書かせていただきましてので、重複しない様に注意して、いくつか。
まず、501編成と502編成では。製造会社が違うんですよね。
501編成は東洋電機製造、502編成は東急車両です。
だから外回りだけでなく、運転台もコントローラの所の切り欠き等も微妙に違いました。(どっちがどうだったかは正確な記憶ではありませんが、初代コントローラはどちらも東洋電機製造だったと思います。)
ここからは個人的な推測ですが、東急の玉電デハ200型と年代も設計思想も相通じるところがあるので、東急車両が設計して江ノ電に提案した可能性があります。
台車の小型化・客室の豪華さ・両開きドア等昭和30年代の中小私鉄では殆ど事例のない装備でした。
それが直接の原因かどうかはわかりませんが、冷房化を検討する際に台車が小さく重量を支えきれないと判断され、冷房化されずに廃車になった。とどこかに書いてありました。
余談①江ノ電の線路がくねくねしているのは、用地確保の際にいろんな地権者が「おらの土地を提供するべ(と発音したかどうかは知りませんが)」的な感じでそれをつなぎ合わせたらその結果だそうです。
余談②当時のワイパーは圧縮率空気で稼働しており、バルブで空気の流量を調節して速度を変えていたため、電動ワイパーからは考えられない動きをする場合があります。
運転席でワイパーの空気弁の独特な響きが聞こえた物です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
貴殿の推測は大変興味深いですね。玉電デハ200のデビューは昭和30年、ほぼ同時期に江ノ電500形の設計も東急車両が手掛けていたが、製造は東洋電機に任せて501Fが昭和31年にデビュー、製造現場が空いたので502Fは東急車両で製造、ということだったのかもしれませんね。地主からの用地買収の関係で線形が「くねくね」になったという話は私も聞いたことがありますが、腰越~小動間だけの話しかと勝手に思い込んでおりました。ワイパーは電動駆動では無かったのですね。圧縮空気が駆動源であれば、ちょっと不思議な動きだったのも理解できます。
80年代半ば頃に全面の窓を更新したが、それでも優美さは最後まで失ってなかったですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
改造の際に変に平面カットなどせずに、前頭部の丸味を生かして5枚窓化してくれたので、優美さが保たれたのだと思います。江ノ電関係者の、この電車に対する愛情が感じられますね。動画内でも触れましたが、機能に関係のない側面窓の隅Rにこだわるなども、愛情の現われだと思います。
沿線近くに住んでます
江ノ電の車輌も周辺を走ってる車も風景も懐かしいですね
いけない事ですが小学生の頃、鵠沼駅の江ノ島側にある橋をよく歩いて渡りました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
子供の頃、鵠沼駅近くの知人宅に行った際に、実は私も境川鉄橋をこわごわ渡ったりしておりました。下り鎌倉行きが通過した直後であれば、しばらく電車は来ないので「安心」ですが、上りが通過したあとだと直ぐに鵠沼駅から電車が来てしまいます。当時子供の頃は、そういう理屈を承知していなかったので、今考えるとホント冷や汗モノですw
やっぱり江ノ電は500系、何でも変えればいいもんではないよ、
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
画期的な新造車体でしたし、500形はやはり江ノ電の顔でしたね。
今の新500系は、大っ嫌いです。旧500形のデザインをほうふつしている…とありますが、全然似ても似つかないですね😢。江ノ電は、ここまで落ちぶれたのか?と思います。やっぱり旧500形の方が大好きでした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
私も旧500形愛が激しいのでお気持ち良く解ります。新500形は他の車輛に比べれば明らかに旧型を意識したデザインを採用しているという意味で、イメージを踏襲と書きました。あくまでイメージですw
コストも含めていろいろ制約がある中で、どうにか500型の面影を盛り込もうとした結果のデザインではないかと思います。
正直なところ私もあまり好きではありません。「半端なことしなくていいのに」と思ってしまいます。