実は謎が多い!?「東洲斎写楽」その正体は武士だった?

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  • Опубліковано 3 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 15

  • @rekisino-makafusigi
    @rekisino-makafusigi 5 років тому +8

    写楽の人間像が見えてくるようで、とても興味深い内容でした!

  • @taronanami9849
    @taronanami9849 3 роки тому +3

    おもしろかった。

  • @通りすがりの赤い人
    @通りすがりの赤い人 3 роки тому

    東洲斎の読みは「とうじゅうさい」で版元の蔦屋重三郎の通称「蔦重(つたじゅう)」とも掛けています。東洲斎を東周斎と記す資料があることから今日では「とうしゅうさい」とされるのが専らですが、古文献上の読みには東洲斎と記すときに洲を「しゅう」と読む例は存在していません(斎号としては「じう」の読みしか実例がない)

  • @大名古屋金鯱軍-r1x
    @大名古屋金鯱軍-r1x 5 років тому +1

    なんかの番組で写楽は複数の絵師による共演で潰れかけた版元のキャンペーンだったとしていた。

  • @ハセパパ
    @ハセパパ 5 років тому

    写楽は舞台の上にいる 音関係 歌関係 の人だと思います またバックが黒や塗り潰しと言う事でも、舞台の上の人だと考えられます 能楽の面の裏には『写』の字が書かれているところから 写楽 のペンネームだったのかもしれませんね

  • @umesourncp51v68
    @umesourncp51v68 Рік тому

    大谷鬼次の奴江戸兵衛は歌舞伎演目の中では悪役だったのを最近知りました。一番有名な作品なのに脇枠で悪役。

  • @momomomo6798
    @momomomo6798 5 років тому

    洒落臭い...武士が絵師を気取って洒落臭いみたいな意味合いも有るのかな💦

  • @susumuhayasi847
    @susumuhayasi847 4 роки тому

    お能=お面=顔だけ??????????
    推理小説のネタにも成り得た写楽、面白かったです ^_^

  • @AizawaMami
    @AizawaMami 5 років тому +2

    東北大学名誉教授田中英道先生の著書【葛飾北斎 本当は何がすごいのか】から写楽=北斎が最有力です。
    写楽の10カ月は北斎の空白の10カ月とピタリと一致するんですよ。
    著書の第2章で(なぜ写楽は10カ月で姿を消したのか?)、、是非、読んでみてはいかがでしょうか?

    • @國立益美
      @國立益美 3 роки тому +7

      そもそも「別人説」(北斎説もそのひとつ)というのは、写楽=斎藤十郎兵衛という「浮世絵類考」の記述に具体的証拠が見つからなかった、から出てきたものです。しかし、写楽=斎藤十郎兵衛という「浮世絵類考」の記述の具体的証拠が出てきました。内田千鶴子や明石散人らによって、写楽=斎藤十郎兵衛が本当だと実証された以上、写楽=北斎説など成り立つわけがありませんよ

  • @edajimahe8204
    @edajimahe8204 2 роки тому

    ×奴江戸兵衛
    ○江戸兵衛

  • @breathless9954
    @breathless9954 3 роки тому

    4:12の『 当初 』を『 とうじ』って読んでいるの間違えでは無いですか。

  • @coara53
    @coara53 5 років тому

    武士と仮定すれば。。絵師は内職って事かな・❓❓ 米100俵位の下級武士は色々な内職してたらしいから。。。

  • @ナカケー
    @ナカケー 3 роки тому

    武士と士分を混同している。能楽師は動物の皮革と関係していたことからもわかるが。また同心は武士といえるのかという議論もある。

  • @昭和万歳-v6z
    @昭和万歳-v6z 3 роки тому +2

    そもそも写楽は絵が下手です。全身像を描く力が全くなく、蔦屋の要望で首絵でデビューしたのは当然で後期の絵は買う気にもなれない凡作ばかり。しかし下手だが熱心に描けばセザンヌのように力作となり初期の絵は摺り師たちのおかげもあり調定に仕上がり、下手さが生命力あふれる表現ととられ西洋から評価され正統派しか認めなかった日本は遅れて認める失態露見。もし外国で評価されなかったら今でも力量なしの三流絵師だ(笑)葛飾の画力は写楽よりはるかに上で彼ではない。絵心のある歌舞伎通の一般人、ととりたいが堂々と地図に名をはせてるし、やはり、、、謎。下手なくせに贅沢な黒雲母を使い、役者を見下し美化せず、デビューに恵まれたし、ちょっと絵心のあった金持ちの生意気なボンボンともとれます(笑)なぜ対象を華やかな歌舞伎から衣の無いお相撲さんに風景を変えたのか?推理する楽しみ多き絵師。いろんな推理知りたい。