【仙台藩】仙台真田氏について [真田喜平太]

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  • Опубліковано 4 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 7

  • @michinokubito
    @michinokubito 8 місяців тому +1

    コメントの採用していただき、ありがとうございます‼️

  • @donkotv.8198
    @donkotv.8198 8 місяців тому +1

    最終的に真田家が石巻に移住していたとは知りませんでした!
    今回もとても勉強になる動画ありがとうございます✨

  • @takanorimiyokawa3921
    @takanorimiyokawa3921 8 місяців тому +2

    津軽杉山氏みたく、西軍・豊臣方諸将の血筋が東北で続くケースはそれなりにあるんですかね

    • @DateAdorer
      @DateAdorer  8 місяців тому +1

      あまり把握はしておりませんが、あるでしょうね…!
      仙台藩にも来ていると思います。
      家格はそんなに高くないと思われますが…。

    • @伊庭半太
      @伊庭半太 8 місяців тому +1

      明石全登の子も一時仙台藩に身を寄せていたという話もありますし、長宗我部盛親の妹阿古姫の息子二人も大坂の陣後に仙台藩に召し抱えられます。で、この二人のうち、兄の五十嵐元成の娘は片倉守信に嫁ぎ、弟は柴田朝意として仙台藩の奉行(家老)に就任し、伊達騒動の主要人物の一人となります。

    • @伊庭半太
      @伊庭半太 8 місяців тому +1

      あと、真田信繁と側室隆清院との娘(なほ、顕性院)は羽後亀田藩主となる岩城宣隆に嫁いでいて、その縁で同母弟の三好幸信が羽後亀田藩士になっています。

  • @伊庭半太
    @伊庭半太 8 місяців тому +1

    三代信成は伊達吉村夫人の冬姫付き奥老として、御曹司宗村が初入国する時にはその随行を命じられたりしていますね。また四代信経は公儀使(江戸留守居役)として武鑑に名前が見えます。