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以前から動画に字幕を付けようといろいろ試しており、今回実際につけてみました。いろいろご意見ください。(なくてもいい、見づらい、素晴らしい等)
素晴らしい (笑)ある方が分かりやすいですね!
スーツさんは滑舌もよく説明も上手なので字幕の入力が負担になるのであれば不要だと思います
イヤホンない時に助かります
雑音などで解説が聞きづらい時などもあるので、字幕はあればあったで助かります。
素晴らしい‼︎字幕があれば分かりやすいし、どういった漢字なのかもよく分かる‼︎
九州は本当に鉄道を大切にしているなって思いますね。
いまだに部品供給してくれるメーカーもすごいw
古い車両をとことん使いますからね。
「月が~出た出た~月が出た~」「炭坑節」は日本で最も有名な 盆踊りの音頭を歌いまくる スーツ君。
0:32 凄い画質が良くなったなぁ
丁寧に作られているいい動画ですね。JRの方、鉄道マニアの方、スーツさん、いろんな愛を感じました。
子供「かなり恐怖を感じた」国鉄ファン「いいぞ、もっとやれ」
やめろぉ(子供)ナイスゥ!(国鉄ファン)
子供「嫌ーーーッ!」国鉄ファン「イヤッホーーー!」
子供「嫌や~~~~~~!」国鉄~JR九州ファン「いけ~~~~!!」
@@kitamura5 子供「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」 鉄道ファン「お~!×2」 子供「耳がああああああああああああ」 鉄道ファン「いいもの見た」 子供「おいごら」 鉄道ファン「あれとこれととは意味が違うんだよ」 子供「」
子供(うるさ~い!)国鉄ファン(イヤッフー最高だぜ!☆)
31:15以降、「人間的な走りをする」という解説はキハの性格を伝えるにこれ以上ない的確な描写で、シビれる。
今回は筑豊を取り上げていただきありがとうございました。キハ66は昔地元の筑豊本線で何回も乗りました。懐かしく又このチャンネルで取り上げて戴いた事を心から感謝します。いつか是非筑豊の方に来られて下さい。
黒ダイヤ懐かしい~子供のころ列車が満員で、運転士さんが機関車に乗せてくれたのを今でも忘れません。
33:35以降、筑豊が国の近代化に果たした役割やその栄枯盛衰の経緯を、車内放送と同期しつつ解説しながら旅を締めくくる演出が実に良い。
車でも旧車で元気なのがおおいですけど、列車もこうして昭和時代の列車が元気よく走ってるのをみるとなんだか嬉しいですねぇ。
或る列車の運転手さん、敬礼してくれてる!優しい…僕も乗りたい…
採銅所駅舎は築104年です。小倉鉄道開業時からの貴重なものですね。キハ66は、重すぎることでも問題になりました。筑豊地区は、石炭輸送のために重い列車でも平気な造りをしていますし、鹿児島線や長崎線などの幹線なら問題はないのですが、他地域のローカル線へ入線するのは難しかったようで、広まらなかったのでしょうね。今回の区間では他に、石原町駅南方からの11:56で出てくるあたりまで、石灰石輸送のための専用線がありました。三菱と住友の工場へ向かって伸びていたようです。ここでは、現在も採掘をしています。また、呼野の南方にも、浅野(日本セメント)の専用線があり、石灰石輸送をしていたようです。添田線は、香春から出ていたんですが、場所としては香春駅からは離れており、今の一本松駅のあたりから分岐していたようです。夏吉への日本セメント専用線も同じくらいの位置でした。このあたりでは、開業経緯も複雑です。この動画で添田線と呼んでいるものが、元々の日田彦山線です。現在の伊田・後藤寺ルートは行橋からの田川線として開通したもので、後に田川線と日田彦山線の間に短絡線をつけて、伊田・後藤寺を田川線から日田彦山線に編入、後藤寺を経由しない元々の日田彦山線を添田線として分離しています。あら難しいこと。
ハイパワー蒸気機関車を作ったは良いけれど車両重量に線路が耐えられなかった、という動画を思い出しました。計算すべきは勾配やゲージ幅だけではないんですねえ。私のようなものは「ゲージさえ合えば何でも走らせられるだろう」或いは「ゲージさえ合えばどこでも走れるだろう」などと思ってしまいます
エンジン音がナレーションの声を飲み込まないぎりぎりのボリューム設定でしょうか。臨場感が出て良いです。九州の人の好さ温かさは都会では辛いことも多いだろうけれどいつまでも残って欲しい。
1980年代、日田彦山線を走っていた急行から格下げの愛称付き快速列車では車内販売もやっていて、キハ66・67の編成でお姉ちゃんやオバちゃんがワゴンを押して鮎寿司や飲み物とかを売っていたのを見た記憶があります。コンビニがまだほとんど普及していなかった時代ですね(笑)日田彦山線は開通の経緯が複雑な路線で、鉄道史的にはなかなか興味深いものがありますが、開通に最も困難を要した区間が2年前の水害で廃線同様になってしまったことには、大変に悲しいものを感じます。スーツさんもお気付きになられているようですが、筑豊は「もののあはれ」のこころと鉄道とが密接に結びついている地域でもあったりするので、旅情とはまた違った鉄道の詩情や情緒を語るには、なかなか良い場所だと思います。今回もよい仕事をしてくれて、ありがとうございます(^^)b
手を振ってくれる運転手さんの映像神
子供の頃、帰省の際に佐世保~博多の急行「弓張」に家族でよく乗ってました。当時はエアコンがついておらず扇風機が回っており、夏は暑くてみんな窓を開けてたので、車内に爆音が響き、家族で向かい合って大声で会話していたことを思い出します。
1980年前後なんで相当昔ですが、キハ66にて運用されていた快速はんだ号に良く乗ってました。筑豊本線の中間駅から小倉に行くのに利用していたのですが、よく効いてる冷房に回転クロスシートが他の車両と違っていて高級な印象を子供ながらに持ってました。あと、車内販売の女性も始発の直方から乗ってましたね。確かはんだ号は日田彦山線から久大本線へ入って由布1号に併結され、大分まで行ってましたね。
子供の頃、快速日田に乗って日田まで行ったのを思い出した!門司港や田川後藤寺、田川伊田は駅が変わってからまだいってないので見れてよかったです!
初めて乗った鉄道車両がこれです。 「あの電車に乗りたい!」って言って、母に「あれは汽車や!」って言って話をそらされた(バスのほうが安かったから)のは今となってはいい思い出
自分が訪れる場所への念入りな事前調査と滑らかな語り。本当にすごいなと思います。まるで、自分がその場所を訪れているような感覚に陥ります。楽しい時間をありがとうございました。
キハ67系は昭和53年、寝台特急「安芸」に乗って下関についた後、小倉から583系有明に乗り継ぐ為に乗った普通列車が初めてでした、当時国鉄には転換クロスが無くて、「まるで阪急の特急や」と思って感動しましたが、今となってみればデッキが無いというのはやはり物足りないですね。
気動車としては少数に終わったものの、電車にステージを移して大きく花開いたと言ってもいいですね。この設計が117系、115系3000番台へと引き継がれ、それが3扉になって311系や221系や811系に引き継がれ、後継形式へと大きく展開しています。そして、キハ75やキハ200と、気動車にも帰ってきました。この両形式、キハ200は筑豊で活躍したり、キハ75は地域は違っても、一時は急行でも活躍したり、現在でも快速列車で大活躍したりとかつてのキハ66からの系譜を感じさせてくれます。
採銅所は、本当に鉱山の名前。同鉱山の銅は東大寺大仏の建立や宇佐八幡宮の神鏡にも用いられたそうです。あと、香春町の大きな看板に出ていた「青春の門」を知らないのは、仕方ないかなぁ(笑)我々の世代では、五木寛之を知らない人はいないからねぇ(笑)あの「吉永小百合」さんも出た映画にもなってるんですが・・・
スーツさんの語りは愛情を感じています。
僕も以前国鉄色のキ八66に乗りに行きました。エンジン音は前ほどではありませんが、シー卜の座り心地が非常に良く、一度は乗っておくべき車両だと思います。
upotsu キハ40よりも古い気動車が原型を保ちながら走り続けているとは、そしてゆふいんの森用のキハ70の種車はキハ66よりも古いという、JR九州も結構古い車両を末長く大切に使う会社なのだなと驚いた
このカラーリングが良いんですよね!!
石炭・炭鉱・鉱山がお好きですね。私も同類です。シリーズ化をお願いいたします。
アンチも黙るマシンガントークスーツ
動画再生してからトイレにすら行く隙を与えないマシンガントークスーツ(^^;
遠野も黙る(睡眠薬による睡眠)野獣先輩
だからスマホが必要なんです。トイレが長くなるけど。
懐かしい列車ですね。昭和55年春と59年春に、「日田号」と「はんだ号」に乗りに行った記憶を添えさせて下さい。まず、乗り心地が良いと言うか、良すぎてビヨンビヨン跳ねる感じがしました。それと、変速段から直結段への切換ショックはキハ65系と同様に激しく、『ドシャーン、ガシャーン』という衝撃音が伴います。それから、確か添田→彦山間は25‰の登り勾配ですが、ハイパワーのこの車両でも変速段で時速45キロくらいで登っていました。逆に、この坂を下る際は機関ブレーキ(排気ブレーキ付きか?)を使用しました。使用の際は、一度空吹かしをし、直結段でクラッチをつなぎます。作動中は昔のふそうの大型車のような、『シュダダダダ〜』という音でした。なお、徐々に速度が上がってしまうので、時速85キロくらいになるとエアーブレーキで減速していました。機関ブレーキ解除時は、エアーの『プシューッ』という音と共に『グボッ』という開放音がしました。
鉄道には詳しくありませんが、この動画は旅行チャンネルの雰囲気もずっとあって、見やすく楽しめました♪門司港駅や、走っていた金色、ワイン色の列車など、レトロでノスタルジックな姿のものが大好きなので、また見に行きたいリストに書き加えました✨字幕については、私は、スーツさんのナレーションに耳を傾けていると、目が慣れるまで少し大変かなと感じました。たまにあるナレーションがない時の字幕は好きです✨
一足先を歩んでいたことをばらしてしまった神
この音ですよ!これこそいわゆる国鉄の音ですよ👍
田川伊田駅が、あんなに立派になっているとは😵しかも、泊まれるのですね😲四半世紀ぶりに、行きたくなりました😄
学生の時、博多から新飯塚まで通学してました。40系は騒音はそうでもありませんでしたが66、67系は爆音でしたね。ズドドド・・・と響いてました。
お、元近大生かな?それとも九工大?私が下宿してた頃は、急行色のキハ28/58と九州色のキハ66/67でしたね。原田行くやつがDD51+50系客車。
25:00頃の2階にある扉は建物内の機器更新などの際の搬出入口です。おそらく変電施設ではないかと思われます。クレーンで出し入れしたり、建物によっては内部にホイストクレーンが装備されています。現在、新築の建物でもよく見られるものです。
地元ですがスーツさんの解説がとても楽しかったです。ありがとうございます。
麻生セメントと紹介されている工場ですが、あれは太平洋セメントの工場ですよ。元麻生セメント従業員よりw
旧・浅野セメントでしたかね?確か。30年前でも「浅野」の名前を聞くほうが多かった気がする
@@myarmyar4252 その通りですね。スーツさん、ちょっと調査が甘いですね。
このユニット窓で昔は開けて風を感じるのが好きでした。キハ66懐かしい!
懐かしい。やっぱり旧国鉄急行色は最高です。確かにエンジン音はうるさかったですが、当時の既存気動車に比べて圧倒的に加速がよくてびっくりした記憶があります。また、ブレーキをかけたときの「シーーーーー」というエアー音が印象に残っています。香春岳は猿山でもありましたが、今はどうなんでしょうかね?
石炭シリーズ期待しています。筑豊本線の終点=石炭搬出港であった若松駅も是非取り上げてください。
@@yurecks この前の日本一周で訪れていましたよ。
スーツさんの動画…やはり博識ありのコメント…とてもわかりやすい……こちらも刺激を受けて…足を運ぶ機会をもらって、とてもありがたい😊
新カメラ導入で画質もアップしたし、爆音の集音もバッチリ!往年の各列車の画像も盛り沢山で本当に贅沢な動画ですね。せっかくの爆音体感するのために、ヘッドホン・イヤホンで聴きました。門司港駅とレトロな急行型車両、アルプスの牧場BGMスタートも良くお似合い。
初めて乗った気動車がこの形式車両でした。今は長崎地区で走り続けてますが、たまにでいいから筑豊に里帰りしてほしい限りです。
彦山線には幼少のこら昭和40年代に沢山のりました。当時はまだ蒸気機関車も客車を引っ張ていました。鈍行が汽車で急行がディーゼルカーだった記憶があります。呼野のスイッチバックは子供心に不思議でして。両親に「どうしてバックするのか?」を聞いた記憶があります。知っている駅名がたくさん出てきてホント懐かしい。当時のボタ山は草木は生えてなくて石の山でした。
初コメントです。いつも楽しみに見させて頂いています。田川伊田駅の近くに住んでいます。こんな所まで来られるなんて❗しかもこんなイベント列車があったのですね。私はサンライズで旅行するのが夢なんです。色々勉強させて頂いてます。
私は 筑豊の生まれです出身は 山田市 育ちは嘉穂郡稲築町 家の横を線路が通ってました 山田線の鴨生駅のすぐ近くでした 因みに 枝坂の5組です 夜になると貨車の入れ替え作業の音が良く聞こえ 貨車が 順番にごとごとと響く音はとても好きです❗鴨生駅には 石炭の積み込みホッパーが、あったり子供のころ良く眺めていました ぼた山もすぐ近くでした 懐かしいです50年ほど前の話しです 母は戦時中は門鉄で働いてました 門司の鉄道博物館の名簿に名前があるようです 炭住の長屋生活は 一番端だったので本当にごめんそばでした とても語り尽くせませんが 本当に懐かしいです❗
25:00の所の二階部分にあった扉は搬入扉だと思いますよ!クレーンやフォークリフトで荷物を搬入する時に使います!
おそらくその通りだと思いますね。鉄道の変電設備だと思われますので、変成器(電力トランス)や絶縁碍子等設備の更新の際に搬出・搬入に使っていたものでしょう。
夜逃げに便利だと思いました。
あの扉は機器搬入用のものです
25:13これは山本作兵衛という人の絵です。数年前にユネスコの世界記憶遺産にも指定され、再度脚光を浴びました。明治~昭和初期の炭坑の様子を独学の絵と、文章で伝えています。大したカメラのない時代、炭坑の様子を視覚的に示してくれるものは少ないものです。
6:57田川後藤寺発宇部新川行きって相当な謎運用ですね...ひょっとしたら、宇部興産が関係してたりして...
こんにちは、宇部住みで父も爺さんも宇部興産務めで特に爺さんは宇部興産創立時に今で言う取締役に近い責任者だったとのことです。貴方のおっしゃっておられることが正解です。実は新山口(現在の小郡)から下関まで電化される際に宇部興産も出資するが、出資の条件として1日に最低1本、九州からの直通列車を走らせるという条件があり、そのために僕が幼稚園から小学校のの頃(現在60歳)415系ですか?変わり種が走っていて雑餉隈行きとなっていました。その列車が凄く豪華な列車に見えて雑餉隈がどんなところか行ってみたくて仕方がありませんでした。
長崎人としては日常だから感謝して乗ろ
交通チャンネル初めて最後まで見ました!字幕あったので見やすかったからかなぁ??鉄道の旅いいですね〜
小学生の頃乗っていました。電化に至るまでのディーゼルカーはキハ31系や47系/147系、愛称「赤い快速」キハ200系と男の子を楽しませてくれるラインナップでした。その中でもまごう事なきハイパフォーマンスエンジンを持つキハ66系、ある日たまたま博多駅から乗ったJR九州色の車両、駅員さんが構内放送で「この列車は快速列車ですが『白い快速』として運転を行います」と、キハ200系の代走運転を行う旨を説明していたことが今も思い出されます。ユーモアのある放送であったのと同時に、キハ200系に準ずるエンジンパワーに対する信頼を感じ取れるエピソードです。
あと筑豊には50系客車が最後まで走っていましたね!懐かしいなぁ
117系や115系3000番台電車のベースでもあるキハ66系は本当に貴重
キハ181ィ…
昭和40年代ですが、肥薩線の急行(やたけ)で乗車していたころを思い出しました。大出力エンジンで、急坂もぐいぐい登って行きます。特に、キハ65系だけは空気バネで、乗り心地が大変良く、大好きな車両でした。
スーツくん、今年はたくさん地元北九州に来てくれて見るのが更に楽しみになりました頻繁に北九州来てね(笑)自宅が北九州の端なので香春岳や田川伊田駅は直方パイパスで一時間弱で行けるので鉄道使わないからなかなか門司港からのやつは経験しないので見れて良かったですわ
キハ66系がまだ新しかったころ発車した時の加速が当時の他の気動車とは全く異なる速さなので驚いた。しかし座席の幅やピッチが狭くてしんどかった。ロングシートのほうが楽だと思った。動画中に字幕を付けるのは時間がかかるし疲れるけれど聴覚に障害があったり今後聴覚が衰えるかもしれない健常者にも動画の内容がより分かり易くなると思います。
解説がとても良い、動画と一体感有り
武豊線沿線住民としては・・・昔走ってた「キハ65系」を思い出しますね。以前は、タブレットキャッチャーと、タブレットの打撃防止用の格子が窓についていましたよね。 乙川→亀崎の登りで吹かすエンジン音が好きでした。 今は電化してしまいましたが、やっぱり気動車の音が今でも好きです… 後は、窓側にあった「小さなテーブル」と「テーブル下の栓抜き」が懐かしく思います。
ディーゼルカーはいいですね。旅情を感じる。国鉄型車両は特にいいですが。どんどんなくなっていくのは寂しい。
旧日田彦山線は東小倉から城野へは行かずに石田へ行ってました。
田川に来てたんですね!この日僕の誕生日で田川は地元なのでうれしいです!これからも頑張ってください!!
0:07 今日は2019年12月....間違えた11月02日です
最近よく福岡方面に来てくれて嬉しいです。スーツさん、歌もお上手!
スーツさんがピースして下さってめちゃくちゃ嬉しいでーす!
スーツ交通さん国鉄の車両いまだに使っているとはすごいですねJRメンテナンスいきとどいていますね
田舎なので、学生時代キハ40系で通学してたのを思い出すな。
スーツ君の声もなかなかいい声ですね。
懐かしの採銅所、田川伊田。そして国鉄カラーの列車。いやー、楽しかった。いい動画をありがとう。
キハ66は大村線や佐世保線で走っているシーサイドライナーのディーゼルカーですかね(字幕を見て気づきました)。大村線はよく旅行しますが爆音が凄くて驚きました。大村線は手を振ってくれる人が結構います。
このタイプの車両、博多〜諫早、急行【出島】に乗ったことがあります。37年前に。
37年前‼凄いッ‼
は? 長く生きてるだけ。
「夜行鈍行ながさき」に乗った世代の一級建築士です。いつも楽しく、時は懐かしく拝見しています。すでに500のコメントがあるのでダブったらごめんなさい。25分11秒頃、建物の2階に観音開きのドアが映り、なんだろうとの発言。一例ですが受変電設備など重量物の電気・機械設備を更新する際にクレーンに吊って出し入れするためにあります。
やっぱりこのカラーリングだよね 子供の頃これが当たり前だっからなんとも思わなかったけど、独特の匂いと音は今の列車には無い思い出です。 境線
DMLって付いてだけで心躍りますね。北海道のキハ183系にはまだ12気筒エンジンは残ってますかね?半年前に乗った大雪はそれだった気がします。キハ183系ともども、国鉄キハはエンジン換装と一緒に変速機もオートマ化されて延命されてますが、やっぱ変速段で引っ張って直結にガツン!と入る古来の液体式じゃないとテンション上がりません。五能線のキハ40も引退まであとわずか…寂しいものです。
DML30-HSHのエンジン音、ありがとうございます‼︎力強くて、そしてどこか懐かしい…。強い力をもらえました‼︎ (^^)v以前キハ47に乗った時、そのエンジン音に、なぜか目頭が熱くなりました。それよりも2倍のパワーがあるんですね。盆踊りでおなじみの『炭坑節』の歌と説明をありがとうございます ♫ 発祥地が田川ということは、全く知らなかった…これは知っとくべきことでしょう!その歴史ある煙突も見れて良かったです。香春岳は、船尾駅の紹介の時に見たよりも、迫力がありました。九州では鉄道会社総出で、列車を守っていくこと、地域や観光事業を大切にしていることが、伝わりました。
石炭シリーズ🤗いいですね😄
いつも通り、いい声ですね。
子供の頃に急行はんだ、に乗り久大本線の豊後森に里帰りしてました。懐かしい!
地元に来ていたんですね。昭和50年代 よく急行日田 ・ひこさん・はんだ等 乗ってました。このキハ66ホントうるさくて会話が出来なかったのをよく覚えてます。 車両故障で、小倉で運転打ち切りなんて事も経験ありました。
スーツ君、いつも良いこと言うよな〜✨素敵☘
爆音のエンジン音!懐かしい〜転換クロスシートに冷房が付いた最新車両ということで差し引いて喜んで乗っていました。この爆音は確かに今考えるととんでもない音ですね。
21:10 石炭シリーズ賛成🙋♂️!
元々新幹線小倉から飯塚間の乗り継ぎリレーの役割を担う快速列車でした。停車駅も少なくて速度も速く冷房も凄く効いて快適でした!
旧国鉄添田線は香春駅から分岐して現在の平成ちくほう鉄道の上伊田駅先で田川線をオーバクロスしていました。
学生時代、よく利用した車両です。エンジン音で社内の会話が成り立たなかったのは有名な話ですが、全くその通りで、更には車掌のアナウンスも全く聞こえなかったのも良き思い出(^_^)
何度か見える415系1500番台!!常磐線で何度もお世話になってた懐かしい、、
筑豊田川を紹介してくれてありがとうあと 🎶伊田の立坑に月が出た〜🎶です
冷房もガンガン効いて夏は快適だったな
九州など地方をいろ廻るのなら「周遊券」がお得ですよん。11:52この山は平尾台。カルスト地形で鍾乳洞もある13:20採銅所小倉南区と田川市の境界我が国初の貨幣和同開珎(わどうかいちん)はここの銅で造られました。八世紀頃にひらかれたところです。21:35記憶が確かなら高さ45m 使われた耐火レンガは21万3千枚www.sankei.com/region/news/150714/rgn1507140022-n1.html
昔、田沢湖線でも、秋田新幹線が開業する前は、頻繁に走ってました。懐かしいなぁ😭
いつも楽しみに拝見しております。ありがとうございます。25:10ごろの2階にあります謎の扉ですが…何かの電気機器(通信設備や運行管理機器)などの設備を古くなれば交換するための扉ではないでしょうか?窓から入れ替えできない場合に備えてのものだと思います。間違えていましたら申し訳ないです。石炭シリーズ、是非ともお願いします。
学生時代、キハ66にたびたび乗車しましたが「大爆音」を覚えてます。
昭和50年頃急行あがの(仙台~新潟)を親に内緒でグリーン車に乗った事を思い出します。当事、8月の暑いなかグリーン車だけは冷房車だったため快適な旅を楽しみました。この車両を見ると、ザ国鉄ですね。 鉄ちゃんOBより。
字幕説明、いいですね。聞き漏らした情報が表示されるから。しかしながら文字サイズを少し小さくするとか映像の上部が空(そら)の部分が空いていればその部分に表示するとか背景によって表示位置を変えるのもいいかもしれません。下側だとポップアップ広告と重なる場合がある。昔、関門トンネル区間は気動車で運転していたのを思い出した。無煙化(SLに対し)で導入された気動車だが、最後の回送でしっかり排煙出してたね。でもそれが気動車らしくていい。最近の気動車は本当に排煙が全くない(見えない)くらいになり映像的に少し寂しいですね。環境にはいいのですが。
昔子供の頃、バブル時代のゴールデンウィークに高山本線の特急「ひだ」が走る区間で下呂からこの手の急行臨時列車に乗ったのを覚えてるわ確か「のりくら号」っていったかな?駅に人が溢れかえってたのに臨時急行列車とも知らずに数人しか乗らないで発車したような記憶。親父の判断は正しかった
昔のディーゼル音と連結のガチャガチャ音を思い出しました。懐かしいです。ありがとうございます。
初!18回で見れたァ!いつもいつも楽しみに見てます!
すごくいい旅をなさる!昔の日本のエネルギーを支えた筑豊、僕が子供の頃にはすでに石炭は石油に取って代わっていたから、筑豊地方はなんとなく寂れて行っている感じでした。僕が生まれ育った福岡はどんどん発展していき、筑豊はその反対を進んでいましたもん。でも、あれから数十年が経ち、田川の街がこんな風に変わっていたなんて。今度、数十年ぶりに行ってみようと思いました。小倉駅新幹線改札内の弁当屋で東筑軒の大名御膳を購入されてみて下さい。東筑軒のかしわ飯は本当に旨いですよ。そうそう、字幕。いいと思います。字幕の表示時間も問題ありません。表示時間が短いと読み切れないし、絶妙な時間です。文字の大きさも問題ないし。
以前から動画に字幕を付けようといろいろ試しており、今回実際につけてみました。いろいろご意見ください。(なくてもいい、見づらい、素晴らしい等)
素晴らしい (笑)
ある方が分かりやすいですね!
スーツさんは滑舌もよく説明も上手なので字幕の入力が負担になるのであれば不要だと思います
イヤホンない時に助かります
雑音などで解説が聞きづらい時などもあるので、字幕はあればあったで助かります。
素晴らしい‼︎字幕があれば分かりやすいし、どういった漢字なのかもよく分かる‼︎
九州は本当に鉄道を大切にしているなって思いますね。
いまだに部品供給してくれるメーカーもすごいw
古い車両をとことん使いますからね。
「月が~出た出た~月が出た~」「炭坑節」は日本で最も有名な
盆踊りの音頭を歌いまくる
スーツ君。
0:32 凄い画質が良くなったなぁ
丁寧に作られているいい動画ですね。
JRの方、鉄道マニアの方、スーツさん、いろんな愛を感じました。
子供「かなり恐怖を感じた」
国鉄ファン「いいぞ、もっとやれ」
やめろぉ(子供)ナイスゥ!(国鉄ファン)
子供「嫌ーーーッ!」
国鉄ファン「イヤッホーーー!」
子供「嫌や~~~~~~!」
国鉄~JR九州ファン「いけ~~~~!!」
@@kitamura5 子供「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
鉄道ファン「お~!×2」
子供「耳がああああああああああああ」
鉄道ファン「いいもの見た」
子供「おいごら」
鉄道ファン「あれとこれととは意味が違うんだよ」
子供「」
子供(うるさ~い!)
国鉄ファン(イヤッフー最高だぜ!☆)
31:15以降、「人間的な走りをする」という解説はキハの性格を伝えるにこれ以上ない的確な描写で、シビれる。
今回は筑豊を取り上げていただきありがとうございました。キハ66は昔地元の筑豊本線で何回も乗りました。懐かしく又このチャンネルで取り上げて戴いた事を心から感謝します。いつか是非筑豊の方に来られて下さい。
黒ダイヤ懐かしい~
子供のころ列車が満員で、運転士さんが機関車に乗せてくれたのを今でも忘れません。
33:35以降、筑豊が国の近代化に果たした役割やその栄枯盛衰の経緯を、車内放送と同期しつつ解説しながら旅を締めくくる演出が実に良い。
車でも旧車で元気なのがおおいですけど、列車もこうして昭和時代の列車が元気よく走ってるのをみるとなんだか嬉しいですねぇ。
或る列車の運転手さん、敬礼してくれてる!優しい…
僕も乗りたい…
採銅所駅舎は築104年です。小倉鉄道開業時からの貴重なものですね。
キハ66は、重すぎることでも問題になりました。筑豊地区は、石炭輸送のために重い列車でも平気な造りをしていますし、鹿児島線や長崎線などの幹線なら問題はないのですが、他地域のローカル線へ入線するのは難しかったようで、広まらなかったのでしょうね。
今回の区間では他に、石原町駅南方からの11:56で出てくるあたりまで、石灰石輸送のための専用線がありました。三菱と住友の工場へ向かって伸びていたようです。ここでは、現在も採掘をしています。また、呼野の南方にも、浅野(日本セメント)の専用線があり、石灰石輸送をしていたようです。
添田線は、香春から出ていたんですが、場所としては香春駅からは離れており、今の一本松駅のあたりから分岐していたようです。夏吉への日本セメント専用線も同じくらいの位置でした。
このあたりでは、開業経緯も複雑です。この動画で添田線と呼んでいるものが、元々の日田彦山線です。現在の伊田・後藤寺ルートは行橋からの田川線として開通したもので、後に田川線と日田彦山線の間に短絡線をつけて、伊田・後藤寺を田川線から日田彦山線に編入、後藤寺を経由しない元々の日田彦山線を添田線として分離しています。
あら難しいこと。
ハイパワー蒸気機関車を作ったは良いけれど車両重量に線路が耐えられなかった、という動画を思い出しました。計算すべきは勾配やゲージ幅だけではないんですねえ。私のようなものは「ゲージさえ合えば何でも走らせられるだろう」或いは「ゲージさえ合えばどこでも走れるだろう」などと思ってしまいます
エンジン音がナレーションの声を飲み込まないぎりぎりのボリューム設定でしょうか。臨場感が出て良いです。九州の人の好さ温かさは都会では辛いことも多いだろうけれどいつまでも残って欲しい。
1980年代、日田彦山線を走っていた急行から格下げの愛称付き快速列車では車内販売もやっていて、キハ66・67の編成でお姉ちゃんやオバちゃんがワゴンを押して鮎寿司や飲み物とかを売っていたのを見た記憶があります。コンビニがまだほとんど普及していなかった時代ですね(笑)
日田彦山線は開通の経緯が複雑な路線で、鉄道史的にはなかなか興味深いものがありますが、開通に最も困難を要した区間が2年前の水害で廃線同様になってしまったことには、大変に悲しいものを感じます。
スーツさんもお気付きになられているようですが、筑豊は「もののあはれ」のこころと鉄道とが密接に結びついている地域でもあったりするので、旅情とはまた違った鉄道の詩情や情緒を語るには、なかなか良い場所だと思います。今回もよい仕事をしてくれて、ありがとうございます(^^)b
手を振ってくれる運転手さんの映像神
子供の頃、帰省の際に佐世保~博多の急行「弓張」に家族でよく乗ってました。
当時はエアコンがついておらず扇風機が回っており、夏は暑くてみんな窓を開けてたので、車内に爆音が響き、家族で向かい合って大声で会話していたことを思い出します。
1980年前後なんで相当昔ですが、
キハ66にて運用されていた快速はんだ号に良く乗ってました。
筑豊本線の中間駅から小倉に行くのに利用していたのですが、
よく効いてる冷房に回転クロスシートが他の車両と違っていて高級な印象を子供ながらに持ってました。
あと、車内販売の女性も始発の直方から乗ってましたね。
確かはんだ号は日田彦山線から久大本線へ入って由布1号に併結され、大分まで行ってましたね。
子供の頃、快速日田に乗って日田まで行ったのを思い出した!
門司港や田川後藤寺、田川伊田は駅が変わってからまだいってないので見れてよかったです!
初めて乗った鉄道車両がこれです。 「あの電車に乗りたい!」って言って、母に「あれは汽車や!」って言って話をそらされた(バスのほうが安かったから)のは今となってはいい思い出
自分が訪れる場所への念入りな事前調査と滑らかな語り。
本当にすごいなと思います。
まるで、自分がその場所を訪れているような感覚に陥ります。
楽しい時間をありがとうございました。
キハ67系は昭和53年、寝台特急「安芸」に乗って下関についた後、小倉から583系有明に乗り継ぐ為に乗った普通列車が初めてでした、
当時国鉄には転換クロスが無くて、「まるで阪急の特急や」と思って感動しましたが、今となってみればデッキが無いというのはやはり物足りないですね。
気動車としては少数に終わったものの、電車にステージを移して大きく花開いたと言ってもいいですね。
この設計が117系、115系3000番台へと引き継がれ、それが3扉になって311系や221系や811系に引き継がれ、後継形式へと大きく展開しています。
そして、キハ75やキハ200と、気動車にも帰ってきました。この両形式、キハ200は筑豊で活躍したり、キハ75は地域は違っても、一時は急行でも活躍したり、現在でも快速列車で大活躍したりとかつてのキハ66からの系譜を感じさせてくれます。
採銅所は、本当に鉱山の名前。同鉱山の銅は東大寺大仏の建立や宇佐八幡宮の神鏡にも用いられたそうです。
あと、香春町の大きな看板に出ていた「青春の門」を知らないのは、仕方ないかなぁ(笑)我々の世代では、五木寛之を知らない人はいないからねぇ(笑)あの「吉永小百合」さんも出た映画にもなってるんですが・・・
スーツさんの語りは愛情を感じています。
僕も以前国鉄色のキ八66に乗りに行きました。エンジン音は前ほどではありませんが、シー卜の座り心地が非常に良く、一度は乗っておくべき車両だと思います。
upotsu キハ40よりも古い気動車が原型を保ちながら走り続けているとは、そしてゆふいんの森用のキハ70の種車はキハ66よりも古いという、JR九州も結構古い車両を末長く大切に使う会社なのだなと驚いた
このカラーリングが良いんですよね!!
石炭・炭鉱・鉱山がお好きですね。私も同類です。シリーズ化をお願いいたします。
アンチも黙る
マシンガントークスーツ
動画再生してからトイレにすら行く隙を与えないマシンガントークスーツ(^^;
遠野も黙る(睡眠薬による睡眠)
野獣先輩
だからスマホが必要なんです。
トイレが長くなるけど。
懐かしい列車ですね。昭和55年春と59年春に、「日田号」と「はんだ号」に乗りに行った記憶を添えさせて下さい。まず、乗り心地が良いと言うか、良すぎてビヨンビヨン跳ねる感じがしました。それと、変速段から直結段への切換ショックはキハ65系と同様に激しく、『ドシャーン、ガシャーン』という衝撃音が伴います。
それから、確か添田→彦山間は25‰の登り勾配ですが、ハイパワーのこの車両でも変速段で時速45キロくらいで登っていました。逆に、この坂を下る際は機関ブレーキ(排気ブレーキ付きか?)を使用しました。使用の際は、一度空吹かしをし、直結段でクラッチをつなぎます。作動中は昔のふそうの大型車のような、『シュダダダダ〜』という音でした。なお、徐々に速度が上がってしまうので、時速85キロくらいになるとエアーブレーキで減速していました。機関ブレーキ解除時は、エアーの『プシューッ』という音と共に
『グボッ』という開放音がしました。
鉄道には詳しくありませんが、この動画は旅行チャンネルの雰囲気もずっとあって、見やすく楽しめました♪門司港駅や、走っていた金色、ワイン色の列車など、レトロでノスタルジックな姿のものが大好きなので、また見に行きたいリストに書き加えました✨
字幕については、私は、スーツさんのナレーションに耳を傾けていると、目が慣れるまで少し大変かなと感じました。たまにあるナレーションがない時の字幕は好きです✨
一足先を歩んでいたことをばらしてしまった神
この音ですよ!これこそいわゆる国鉄の音ですよ👍
田川伊田駅が、
あんなに立派になっているとは😵
しかも、泊まれるのですね😲
四半世紀ぶりに、行きたくなりました😄
学生の時、博多から新飯塚まで通学してました。
40系は騒音はそうでもありませんでしたが
66、67系は爆音でしたね。ズドドド・・・と響いてました。
お、元近大生かな?それとも九工大?
私が下宿してた頃は、急行色のキハ28/58と九州色のキハ66/67でしたね。原田行くやつがDD51+50系客車。
25:00頃の2階にある扉は建物内の機器更新などの際の搬出入口です。
おそらく変電施設ではないかと思われます。
クレーンで出し入れしたり、建物によっては内部にホイストクレーンが装備されています。
現在、新築の建物でもよく見られるものです。
地元ですがスーツさんの解説がとても楽しかったです。ありがとうございます。
麻生セメントと紹介されている工場ですが、あれは太平洋セメントの工場ですよ。
元麻生セメント従業員よりw
旧・浅野セメントでしたかね?確か。
30年前でも「浅野」の名前を聞くほうが多かった気がする
@@myarmyar4252 その通りですね。スーツさん、ちょっと調査が甘いですね。
このユニット窓で昔は開けて風を感じるのが好きでした。キハ66懐かしい!
懐かしい。やっぱり旧国鉄急行色は最高です。
確かにエンジン音はうるさかったですが、当時の既存気動車に比べて圧倒的に加速がよくてびっくりした記憶があります。
また、ブレーキをかけたときの「シーーーーー」というエアー音が印象に残っています。
香春岳は猿山でもありましたが、今はどうなんでしょうかね?
石炭シリーズ期待しています。
筑豊本線の終点=石炭搬出港であった若松駅も是非取り上げてください。
@@yurecks この前の日本一周で訪れていましたよ。
スーツさんの動画…やはり博識ありのコメント…とてもわかりやすい……こちらも刺激を受けて…足を運ぶ機会をもらって、とてもありがたい😊
新カメラ導入で画質もアップしたし、爆音の集音もバッチリ!往年の各列車の画像も盛り沢山で本当に贅沢な動画ですね。せっかくの爆音体感するのために、ヘッドホン・イヤホンで聴きました。
門司港駅とレトロな急行型車両、アルプスの牧場BGMスタートも良くお似合い。
初めて乗った気動車がこの形式車両でした。
今は長崎地区で走り続けてますが、たまにでいいから
筑豊に里帰りしてほしい限りです。
彦山線には幼少のこら昭和40年代に沢山のりました。当時はまだ蒸気機関車も客車を引っ張ていました。鈍行が汽車で急行がディーゼルカーだった記憶があります。呼野のスイッチバックは子供心に不思議でして。両親に「どうしてバックするのか?」を聞いた記憶があります。知っている駅名がたくさん出てきてホント懐かしい。当時のボタ山は草木は生えてなくて石の山でした。
初コメントです。
いつも楽しみに見させて頂いています。
田川伊田駅の近くに住んでいます。こんな所まで来られるなんて❗
しかもこんなイベント列車があったのですね。
私はサンライズで旅行するのが夢なんです。色々勉強させて頂いてます。
私は 筑豊の生まれです
出身は 山田市 育ちは嘉穂郡稲築町 家の横を線路が通ってました 山田線の鴨生駅のすぐ近くでした 因みに 枝坂の5組です 夜になると貨車の入れ替え作業の音が良く聞こえ 貨車が 順番にごとごとと響く音はとても好きです❗鴨生駅には 石炭の積み込みホッパーが、あったり子供のころ良く眺めていました ぼた山もすぐ近くでした 懐かしいです50年ほど前の話しです 母は戦時中は門鉄で働いてました 門司の鉄道博物館の名簿に名前があるようです 炭住の長屋生活は 一番端だったので本当にごめんそばでした とても語り尽くせませんが 本当に懐かしいです❗
25:00の所の二階部分にあった扉は搬入扉だと思いますよ!
クレーンやフォークリフトで荷物を搬入する時に使います!
おそらくその通りだと思いますね。
鉄道の変電設備だと思われますので、変成器(電力トランス)や絶縁碍子等設備の更新の際に搬出・搬入に使っていたものでしょう。
夜逃げに便利だと思いました。
あの扉は機器搬入用のものです
25:13
これは山本作兵衛という人の絵です。数年前にユネスコの世界記憶遺産にも指定され、再度脚光を浴びました。
明治~昭和初期の炭坑の様子を独学の絵と、文章で伝えています。
大したカメラのない時代、炭坑の様子を視覚的に示してくれるものは少ないものです。
6:57
田川後藤寺発宇部新川行きって相当な謎運用ですね...
ひょっとしたら、宇部興産が関係してたりして...
こんにちは、宇部住みで父も爺さんも宇部興産務めで特に爺さんは宇部興産創立時に今で言う取締役に近い責任者だったとのことです。貴方のおっしゃっておられることが正解です。実は新山口(現在の小郡)から下関まで電化される際に宇部興産も出資するが、出資の条件として1日に最低1本、九州からの直通列車を走らせるという条件があり、そのために僕が幼稚園から小学校のの頃(現在60歳)415系ですか?変わり種が走っていて雑餉隈行きとなっていました。その列車が凄く豪華な列車に見えて雑餉隈がどんなところか行ってみたくて仕方がありませんでした。
長崎人としては日常だから感謝して乗ろ
交通チャンネル初めて最後まで見ました!字幕あったので見やすかったからかなぁ??
鉄道の旅いいですね〜
小学生の頃乗っていました。電化に至るまでのディーゼルカーはキハ31系や47系/147系、愛称「赤い快速」キハ200系と男の子を楽しませてくれるラインナップでした。
その中でもまごう事なきハイパフォーマンスエンジンを持つキハ66系、ある日たまたま博多駅から乗ったJR九州色の車両、駅員さんが構内放送で「この列車は快速列車ですが『白い快速』として運転を行います」と、キハ200系の代走運転を行う旨を説明していたことが今も思い出されます。ユーモアのある放送であったのと同時に、キハ200系に準ずるエンジンパワーに対する信頼を感じ取れるエピソードです。
あと筑豊には50系客車が最後まで走っていましたね!懐かしいなぁ
117系や115系3000番台電車のベースでもあるキハ66系は本当に貴重
キハ181ィ…
昭和40年代ですが、肥薩線の急行(やたけ)で乗車していたころを思い出しました。大出力エンジンで、急坂もぐいぐい登って行きます。特に、キハ65系だけは空気バネで、乗り心地が大変良く、大好きな車両でした。
スーツくん、今年はたくさん地元北九州に来てくれて見るのが更に楽しみになりました
頻繁に北九州来てね(笑)
自宅が北九州の端なので香春岳や田川伊田駅は直方パイパスで一時間弱で行けるので鉄道使わないからなかなか門司港からのやつは経験しないので見れて良かったですわ
キハ66系がまだ新しかったころ発車した時の加速が当時の他の気動車とは全く異なる速さなので驚いた。しかし座席の幅やピッチが狭くてしんどかった。ロングシートのほうが楽だと思った。動画中に字幕を付けるのは時間がかかるし疲れるけれど聴覚に障害があったり今後聴覚が衰えるかもしれない健常者にも動画の内容がより分かり易くなると思います。
解説がとても良い、動画と一体感有り
武豊線沿線住民としては・・・昔走ってた「キハ65系」を思い出しますね。以前は、タブレットキャッチャーと、タブレットの打撃防止用の格子が窓についていましたよね。 乙川→亀崎の登りで吹かすエンジン音が好きでした。 今は電化してしまいましたが、やっぱり気動車の音が今でも好きです… 後は、窓側にあった「小さなテーブル」と「テーブル下の栓抜き」が懐かしく思います。
ディーゼルカーはいいですね。旅情を感じる。国鉄型車両は特にいいですが。どんどんなくなっていくのは寂しい。
旧日田彦山線は東小倉から城野へは行かずに石田へ行ってました。
田川に来てたんですね!
この日僕の誕生日で田川は地元なのでうれしいです!これからも頑張ってください!!
0:07 今日は2019年12月....間違えた11月02日です
最近よく福岡方面に来てくれて嬉しいです。スーツさん、歌もお上手!
スーツさんがピースして下さってめちゃくちゃ嬉しいでーす!
スーツ交通さん国鉄の車両いまだに使っているとはすごいですねJRメンテナンスいきとどいていますね
田舎なので、学生時代キハ40系で通学してたのを思い出すな。
スーツ君の声もなかなかいい声ですね。
懐かしの採銅所、田川伊田。そして国鉄カラーの列車。いやー、楽しかった。いい動画をありがとう。
キハ66は大村線や佐世保線で走っているシーサイドライナーのディーゼルカーですかね(字幕を見て気づきました)。大村線はよく旅行しますが爆音が凄くて驚きました。大村線は手を振ってくれる人が結構います。
このタイプの車両、博多〜諫早、急行【出島】に乗ったことがあります。37年前に。
37年前‼凄いッ‼
は? 長く生きてるだけ。
「夜行鈍行ながさき」に乗った世代の一級建築士です。いつも楽しく、時は懐かしく拝見しています。
すでに500のコメントがあるのでダブったらごめんなさい。25分11秒頃、建物の2階に観音開きのドアが映り、なんだろうとの発言。一例ですが受変電設備など重量物の電気・機械設備を更新する際にクレーンに吊って出し入れするためにあります。
やっぱりこのカラーリングだよね 子供の頃これが当たり前だっからなんとも思わなかったけど、独特の匂いと音は今の列車には無い思い出です。 境線
DMLって付いてだけで心躍りますね。北海道のキハ183系にはまだ12気筒エンジンは残ってますかね?半年前に乗った大雪はそれだった気がします。
キハ183系ともども、国鉄キハはエンジン換装と一緒に変速機もオートマ化されて延命されてますが、
やっぱ変速段で引っ張って直結にガツン!と入る古来の液体式じゃないとテンション上がりません。
五能線のキハ40も引退まであとわずか…寂しいものです。
DML30-HSHのエンジン音、ありがとうございます‼︎力強くて、そしてどこか懐かしい…。
強い力をもらえました‼︎ (^^)v
以前キハ47に乗った時、そのエンジン音に、なぜか目頭が熱くなりました。それよりも2倍のパワーがあるんですね。
盆踊りでおなじみの『炭坑節』の歌と説明をありがとうございます ♫ 発祥地が田川ということは、全く知らなかった…これは知っとくべきことでしょう!その歴史ある煙突も見れて良かったです。
香春岳は、船尾駅の紹介の時に見たよりも、迫力がありました。
九州では鉄道会社総出で、列車を守っていくこと、地域や観光事業を大切にしていることが、伝わりました。
石炭シリーズ🤗いいですね😄
いつも通り、いい声ですね。
子供の頃に急行はんだ、に乗り久大本線の
豊後森に里帰りしてました。懐かしい!
地元に来ていたんですね。
昭和50年代 よく急行日田 ・ひこさん・はんだ等 乗ってました。このキハ66ホントうるさくて会話が出来なかったのをよく覚えてます。 車両故障で、小倉で運転打ち切りなんて事も経験ありました。
スーツ君、いつも良いこと言うよな〜✨素敵☘
爆音のエンジン音!懐かしい〜
転換クロスシートに冷房が付いた最新車両ということで差し引いて喜んで乗っていました。この爆音は確かに今考えるととんでもない音ですね。
21:10 石炭シリーズ賛成🙋♂️!
元々新幹線小倉から飯塚間の乗り継ぎリレーの役割を担う快速列車でした。
停車駅も少なくて速度も速く冷房も凄く効いて快適でした!
旧国鉄添田線は香春駅から分岐して現在の平成ちくほう鉄道の上伊田駅先で田川線をオーバクロスしていました。
学生時代、よく利用した車両です。
エンジン音で社内の会話が成り立たなかったのは有名な話ですが、
全くその通りで、更には車掌のアナウンスも全く聞こえなかったのも
良き思い出(^_^)
何度か見える415系1500番台!!
常磐線で何度もお世話になってた
懐かしい、、
筑豊田川を紹介してくれてありがとう
あと 🎶伊田の立坑に月が出た〜🎶です
冷房もガンガン効いて夏は快適だったな
九州など地方をいろ廻るのなら「周遊券」がお得ですよん。
11:52
この山は平尾台。
カルスト地形で鍾乳洞もある
13:20
採銅所
小倉南区と田川市の境界
我が国初の貨幣和同開珎(わどうかいちん)はここの銅で造られました。
八世紀頃にひらかれたところです。
21:35
記憶が確かなら高さ45m 使われた耐火レンガは21万3千枚
www.sankei.com/region/news/150714/rgn1507140022-n1.html
昔、田沢湖線でも、秋田新幹線が開業する前は、頻繁に走ってました。懐かしいなぁ😭
いつも楽しみに拝見しております。ありがとうございます。25:10ごろの2階にあります謎の扉ですが…何かの電気機器(通信設備や運行管理機器)などの設備を古くなれば交換するための扉ではないでしょうか?窓から入れ替えできない場合に備えてのものだと思います。間違えていましたら申し訳ないです。石炭シリーズ、是非ともお願いします。
学生時代、キハ66
にたびたび乗車しましたが「大爆音」を覚えてます。
昭和50年頃急行あがの(仙台~新潟)を親に内緒でグリーン車に乗った事を思い出します。
当事、8月の暑いなかグリーン車だけは冷房車だったため快適な旅を楽しみました。
この車両を見ると、ザ国鉄ですね。 鉄ちゃんOBより。
字幕説明、いいですね。聞き漏らした情報が表示されるから。しかしながら文字サイズを少し小さくするとか映像の上部が空(そら)の部分が空いていればその部分に表示するとか背景によって表示位置を変えるのもいいかもしれません。下側だとポップアップ広告と重なる場合がある。
昔、関門トンネル区間は気動車で運転していたのを思い出した。無煙化(SLに対し)で導入された気動車だが、最後の回送でしっかり排煙出してたね。でもそれが気動車らしくていい。最近の気動車は本当に排煙が全くない(見えない)くらいになり映像的に少し寂しいですね。環境にはいいのですが。
昔子供の頃、バブル時代のゴールデンウィークに高山本線の特急「ひだ」が走る区間で下呂からこの手の急行臨時列車に乗ったのを覚えてるわ
確か「のりくら号」っていったかな?
駅に人が溢れかえってたのに臨時急行列車とも知らずに数人しか乗らないで発車したような記憶。親父の判断は正しかった
昔のディーゼル音と連結のガチャガチャ音を思い出しました。懐かしいです。ありがとうございます。
初!18回で見れたァ!いつもいつも楽しみに見てます!
すごくいい旅をなさる!
昔の日本のエネルギーを支えた筑豊、僕が子供の頃にはすでに石炭は石油に取って代わっていたから、筑豊地方はなんとなく寂れて行っている感じでした。
僕が生まれ育った福岡はどんどん発展していき、筑豊はその反対を進んでいましたもん。
でも、あれから数十年が経ち、田川の街がこんな風に変わっていたなんて。
今度、数十年ぶりに行ってみようと思いました。
小倉駅新幹線改札内の弁当屋で東筑軒の大名御膳を購入されてみて下さい。東筑軒のかしわ飯は本当に旨いですよ。
そうそう、字幕。いいと思います。字幕の表示時間も問題ありません。表示時間が短いと読み切れないし、絶妙な時間です。文字の大きさも問題ないし。