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伊豆急へは試験走行ではなく、夏季の多客期輸送による車両不足を補う為、落成直後の車両を東急へ搬入する前に伊豆急へ貸し出されたものです。
後、秩父鉄道に行った7000系を置き換えた東急1000系(1010~1013F)のエピソードもなかなか迷な要素がいっぱいなんですよね。
確か目蒲線用で4両編成で落成してから直後に3両編成化したって感じですよね。今度動画にするかもしれません。
@@hankyu7015 さん4→3両化したグループは7200系の置き換えのイメージですね。秩父に行ったグループは日比谷線用直通車の予備も兼ねてました。(それで1010~1013Fは先頭車の顔が両方で違いました)
@はんきゅ〜7015チャンネル さん@繁神名 さん1000系(1010~1013F)に関しての説明が違います。1010~1013Fは東横線所属で、東横線-日比谷線直通車と目蒲線の共通予備編成として4+4両に組成されたもので(編成前後で貫通扉位置が違うのはこの為)、直接目蒲線には配属されておりません。また秩父鉄道へ譲渡された7000系は目蒲線用として一時的に配属されてた4両編成(日比谷線直通用との共通予備ではない)をほぼそのまま譲渡されたもので、それらは池上線用として落成されるも一時的に4両編成に組成され暫定配属された1014F以降の1000系によって置き換えらました。(それにより目蒲線は冷房化100%を達成。後に1000系は本来の目的通り池上線用の7200系と入れ替わって3両化のうえ全車雪が谷へ転属。)なお1012F+1013Fは日比谷線直通運用減便に伴い、2000年1月頃に目蒲線専用として分割(その際に先頭車両の組換えを実施)され、同年目蒲線の系統分離に伴い3両化され雪が谷へ転属し、1010F+1011Fはしばらく4+4両のまま日比谷線直通運用に就いてましたが、2003年頃に1010F+1011Fの中間に挟まれた先頭車両を1012F、1013Fから抜き取った中間車に差し替えて8両貫通編成に組成されました。(この時抜かれた先頭車両は6年以上休車になった後に伊賀鉄道へ譲渡。ちなみにこの時8両貫通編成となった1010F+1011Fは更なる直通運用減便に伴い2008年頃に運用離脱し、両先頭車は一足先に伊賀鉄道へ譲渡。)なので1010Fと1011Fは東横線所属のまま東急での生涯を終えてます。
伊豆急には試験ではなく新車を東急投入前に夏の多客期に100系と東急のボロでは足りないので営業運転で使いましたね
冷房化改造が出来なかったことにより廃車されたと聞いたことがあります。
秩父鉄道は3000系を調達する時に京阪旧3000系を買う予定で雑誌にも発表してたのに台車を見つけられないでいる内にほぼ富山地鉄に総取りされてJR165系を買う羽目になったのは有名だけど、東急旧7000系買う位なら、直通先の車両(営団3000系)に気づかないというミスしてるからなぁ…(ちなみに地鉄は最初営団3000系の初期型の台車を調達したけど、横揺れが酷くて車掌さんがリバースする代物。途中から営団3000系の後期型の台車→485系/419系の台車に変更する羽目に)
なるほど、そのようなエピソードあったが故なのですね。
結果 地鉄10030系は 形式番号とモーター出力が合わない車となりましたね。
@@hankyu7015 さんもっともその場合は20m車の中に19m車が入り込んでいた訳でそれはそれで使いづらいことになっていたかもです。
@@toriri-service さんダブルデッカーが来た時のトークショーで最初485系の台車(とモーター)を調達したのは増結用Tcを連結出来る用にする予定でしたが、お客さんが減って…とのことです。419系の台車は最初第1か第2編成に着けようか迷っていたが、より揺れる第2編成に着けたとのこと(でもあまりよくならなかったらしい…)なお、地鉄も気づくのが遅れて2本分しか出来なかったのは内緒です。(本当は4本分欲しかったとのこと)
4:20で映っている8090系も後に秩父鉄道へ譲渡されましたが…
かつて某中小私鉄に勤務してたことありますが、この秩父電車を導入するかを検討したことがあると話を聞きました。しかし冷房がないため、話は消えました。
この映像ですが、東急電鉄の7000系が「秩父鉄道」で大外れだったのは、冷房改造が出来なかった事であり、それは薄々気付いていました。 過去に熊谷で40度に到達した日もありましたので、存在価値がなかったと改めて思います。
オチが完璧
秩鉄2000系は 回生ブレーキもそのまま使われて 導入時点で唯一の省エネ車でしたがその後の事情の変化に振り回されて廃車になったのが不運でしたね。当時設定されていた 準急 にも使われて大活躍したし御花畑駅や秩父駅で 発車時には低く唸り 停車寸前にはフッと切れるモーター音を響かせる姿はまるで目蒲線でした。尚 伊豆急で走ったのは 試験走行ではなく 夏期輸送の車両不足の応援に東急から駆り出されたもので トンネル走行時の風の吹き抜け対策には広幅貫通路に ベニヤ板で応急的に隔壁を造って(急あつらえの開き戸を付けた説もあり)対応したそうです。小田急初代4000形にパイオニア台車を履かせるにあたり 状態確認の為に東急7000系を借りて試験走行した風景の動画を挙げておられる方がいらっしゃいます。ua-cam.com/video/qldGwpZAsp4/v-deo.htmlしかし 4000形も吊り掛け式でパイオニア台車という面白い電車でしたね。
記憶が正しければ、拡幅通勤車への置き換えに伴って製造された新性能の2600系の大量増備が需要増大に間に合わないため、吊り掛け車の機器流用に2600系準拠車体を載せたとかだったと。(資金問題もあっただろうが)
@@shidaregashiwa5707 さん4000形は それよりも 既に機器の更新を済ませていたが 16m車体では急増した乗客輸送に対応出来なくなったHB車の まだ使える機器を有効利用する為に造られたようです。単なる車体更新車の1800形とは違い 制御装置や台車も新調して 新たな形式も起こしているところからそれが伺えます。私も吊り掛け式だった1978年に乗った事がありましたが 空気バネながら乗り心地は良くなかった印象でした。当時は 急行 にも使われていて かの 吉村光夫氏は「4000系(小田急は 当時は系だった)でも急行仕業に就けるほど急行の速度は落ちている」と述べていました。後に 2400形のモーターを活用して 高性能化されその際にパイオニア台車は廃棄されましたが 新しい台車もディスクブレーキが剥き出しだったのが4000形らしさでした。冷房化もされましたが 2600形のようにラインデリアは設けられず 扇風機のままでしたね。
@@toriri-service なるほど。所詮数冊雑誌を読んだだけなもので。(言いたかった事は概ね同じです) しかし大変な時期だったのですね。平成生まれ故、価値観もズレてるかもしれません。
@@shidaregashiwa5707 さんそりゃ仕方がないですよ。生まれてない時代の話なんですから。寧ろ若い方が昔の電車に興味を持ってくださる事の方が 昭和生まれとしては嬉しいですね。昭和の電車は面白いですよ。あだ名が付いちゃう位ですから。因みに動画の東急7000系は「弁当箱」と呼ばれていました。
@@toriri-service 自分的には昭和列車の方が好きですね。昭和ロマンって言いますか…。国鉄気動車や小田急旧5000形とか結構好きです。弁当箱なんて言われたんですね。103系が地下で火を吹いたらくらいしか… 昭和車の引退が進むのはちょっと悲しいですね。新型ウイルスがなければ今にでも飛び出して7000系を撮影しに行きたいですよw(迷惑鉄オタにはならんように気を付けます)
25年位前の夏、これに乗ったことあるけど、車内が暑くて暑くて…。1000系の中間車やパレオエクスプレスの旧型客車も非冷房だったから、このころの秩父鉄道は地獄だった。
秩鉄オリジナルの急行(2両+2両)にも乗ったことありますが、窓全開で爆走してました。冷房車って素晴らしい。
秩父鉄道は20メートル4扉3両で統一されているので18メートルでオールMで3扉4両固定の冷房が無かった秩父2000系は使い勝手が悪かったのでしょうね
はじめまして。こんばんは。秩父鉄道さんに行った車はほとんど無改造に近かったとの話を聞きました。だからこそ冷房改造が難しく残念な人生だったんですねぇ。また宜しくお願いいたします。
元都営三田線車の5000形もワンマン化した以外ほぼ無改造です。
本家三田線はもう孫世代ですから、秩鉄車もおそらく限界です。でも、新型は2両にされちゃうだろうなぁ。
でも日比谷線内だと東急車って一番技術が進んでたし車両火災や脱線事故にも唯一巻き込まれてないメーカーで凄いよね!
十和田の様に7700系なら、生き残っていたかもしれませんね。十和田の場合は廃線にですが(ToT)弘南で元祖7000系に乗りましたがえらい揺れで脱線するのではと思ったくらいでした・・・
仮に7700系だったとしても18m車なので、秩父鉄道の標準が20m×3両に対して18m×3両では輸送力不足、18m×4両だと逆に輸送力過剰なので、どのみち早期に置換えられたであろうと思われます。
@@STREAM106 今だったら20M車2連があるけどね。
@@STREAM106 当時秩父鉄道は変電所容量が少なく架線電圧降下が酷くて西武701系冷房車や国鉄103系ダメだったのかな。同じ国鉄101系にもAU75冷房改造車の廃車が始まったばかりだけど。冷房101系もあったはず。軸重が丙線でAU75冷房改造車は軸重オーバーとか
なるほどね🐱埼玉県北の夏を考えたら冷房改造不可では廃車やむ無しですね👍️国鉄101系を使用してた時は2号車(真ん中)だけ非冷房でめっちゃ不評だった☀️この事からも窺えるな☺️
秩父鉄道は熊谷に秩父に…。夏無茶苦茶暑くなるところだしね😅
元101系の冷房化は埼玉県の税金で行いましたからね。先頭車だけでもありがたかったかと。
結局、秩父2000系が他の7000系に先んじて廃車されたのも、逆に他の地方私鉄に譲渡された7000系が未だに使われてるのも、事 業 者 側 に お 金 が な いという、ある意味共通の理由というね(秩鉄は改造費がなかった、他は新車導入費用が不足)
同時に3000系の改造があったので大改造は出来なかったのかもしれませんね。
7000系から7700系への改修、大規模すぎでしょ。東急の7000系への信頼(主に車体)は凄かったんやな。
アメリカ規格の頑丈な構造だから出来た荒業です。(日本の車体規格だと特に圧縮関係の規格がアメリカと比べて甘いらしい。)
@@繁神名 なるほど。言われてみると、車体が厚いように見えます。
@@shidaregashiwa5707 さんその辺りは材料の進化やコンピューターの構造計算が進んだとか色々あります。そして折角開発したのに205/211系の開発に際してノウハウを無償で公開させられた当時の東急の開発担当の嘆き節がRFに載ってました。
@@繁神名 は、はぁ… 国権には逆らえないねぇ
長野電鉄3000系とか養老鉄道に飛んだ7700系が心配です。いずれも秩父2000と同じように20mや21mの走る線区に飛んだ18m車なので。
03系はそこそこ新しいからまだしも、養老7700系に関しては車齢50年超えで正気の沙汰ではないですからね。
@@hankyu7015 さん7000系→7700系へ改造の際に、車体以外の車内設備と走行機器は当時の新型車両9000系並みに大幅リニューアル(新車作るのと変わらないぐらいのお金がかかってるらしい)されてるのと、7000系落成時のオールステンレス車両は現代の軽量ステンレス車両と比べ非常に頑丈に作られてるので、養老鉄道側はあと30年は耐用できるとの判断で購入に踏み切ったそうです。
養老鉄道はもう少し待ってればJR東海の211系を買えたんですけどねぇ
秩父鉄道は旧101系の1000形更新を、全て東急ステンレス車で行いましたから、2000形は秩父鉄道が東急ステンレス車を知るための教材として、とても役立ったのではないかと思います。今や7000形3両2本、7500形3両7本、7800形2両4本の陣容となっています。
福島交通は2001年の脱線事故で廃車が発生してます
すみません。2001年に廃車出てましたね。把握ミスです。
水間鉄道も東急から7000系を買いましたね。昔地元よく乗りましたが直線ではスピード出していたので横揺れがきつかったです。30年経った今でも非冷房の1編成除き更新され現役です。
1:02 東急車両製造は「TOKYU CAR CORPORATION」ですよ‼️
日比谷線内だけを考えても仲間のメトロ(営団地下鉄)3000系→03系→13000系と移っている。目蒲線転属に当たって冷房化(7700系)は有難かった。
1990年台の目蒲線は、冷房化と4両編成化で快適性が上がりましたね。(多摩川線は2000年の系統分離で再び3両編成になりましたが…)
小学校の遠足の時、乗っていた観光バスが導入前の試運転中の2000系とたまたま並走したことがあります。当時の秩鉄は黄色に黒帯の電車しかなく、見たこともない銀色の電車がバスと並んで走っていたので、クラスの友達も大騒ぎしていました。高校生になって通学で使うようになると、やはり非冷房なだけあってあまり印象は良くなかったですね。
利用者目線だと、『見た目こそ新しくなったが非冷房』で快適な車両とはいえなかったでしょうね…
自分も同じくらいの年代で秩鉄沿線住民です。導入当時、仲間内では秩鉄2000系を「銀電」って呼んでたのが懐かしいです。
@@hankyu7015 あと横浜市営地下鉄3000形の続きお願い致します!
東急7000系は冷房工事の為に、改造しないとダメでしたからね。改造後だったら良かったのに。小田急は試運転したものの、ステンレス車は1987年の1000形迄デビュー間で待たないといけません。
養老鉄道(老体を養う鉄道会社)
なぜ日本1、2位を争うクソ暑い熊谷がある秩父鉄道が非冷房車を購入してしまったのだろうw
当時はそんなに暑くて有名な街じゃなかったから
秩父鉄道は2000形廃車にしないでどこかに譲渡すればよかったのに。
豊橋鉄道とか💡
さすがに21世紀を目の前にして非冷房車では買い手が見つからなかったんじゃないでしょうか。80年代に譲渡された同じ元東急の青ガエルが短命に終わったのも冷房化できなかったからのようですし。
1両も無駄にするな言う命令で無理矢理押し売りしたってホントなのかな…?
でも7000系が優秀すぎて置き換える為に導入された1000系が迷電車になってしまったのがなんともよね…
因みに2000系は、当時存在した種別「準急」にも充当されてました。
それ東急じゃなくて、東武での話でしょ
@@平形豊士-h6e? 秩父鉄道の話ですよ。
@@naokikizuna795 東武2000系と勘違いしてました…。失礼!💦😅
7000系は電気品に東洋と日立とでわかれていたと言うけど、秩父鉄道のがどっちのが回されたのだろうか。日立と東洋のごたまぜはなく、必ずどっちかの電気品の車が統一で行ったっていうが
今度は秩父鉄道3000系も紹介したいです。
押し売りステンレス電車の製造会社は、末期にはステンレス車体組み立てノウハウ(FEM)そのものを押し売りした結果、最大ユーザーに買収されJR東日本子会社になりました。東急車輌のステンレス車は半永久みたいな売り方は、(重要部分で鉄鋼材を使うのでそれもウソだけど)金属腐食しないけど金属疲労(特に接合部)についてちゃんと説明しているのかと疑問に思ってました。
オールステンレス車もシーリング材の劣化で雨漏りするんですよね。サスティナは連続溶接でそれも解決したことになっていますが30年後どうなっているか?
自社発注の秩父線なつかしい。子供の頃、熊谷駅のホームの立ち食い蕎麦か美味しかったです。10年後には絶対に定年退職してみせますから、ガキの頃のように思う存分、秩父まで乗りたいです。
バット社のステンレスディーゼルカーはゴツすぎてbut
そう言う意味なのですか(すっとぼけ)
なるほど、これが8637編成の青帯の元ネタですか…[違う]
秩父鉄道における元祖東急譲渡車ですね
東急5000系にもステンレス車両がありましたね。
寄居の荒川の崖に2000系の廃車体が置いてあったと昔聞いたけど、まだあるのかな?
次は1000系見てみたいです。
乗ったこと有ります。比較的モーターは静かでした。😃☀️
この前、養老鉄道の7700系に乗って来ましたが、なるほど頑丈な車体でかつ内装も綺麗でしたので、「今後30年間使用予定」って言うのはウソじゃないと思いますよ。元近鉄の路線でありながら完全に東急線みたいな状態でしたね。養老鉄道としては中々良い買い物をしたのではないでしょうか???
もったいないですね😢
東急に騙されて7000系を買って失敗したのに、8500系や8090系を爆買いしている不思議な会社。
7200は大好きだったけど7000は嫌いだったな。
7000系系列は化け物じみた名車なんだけどね。車両的なトラブル要因ではなく、運用に合わなかったのは不運。
前置き長っww
当時の技術では冷房改造が出来なかったのが致命傷だったらしいですね‼️
そうなんだ
車種間違えた感じするが。まだ西武701系とかJR103系とかの方が秩父鉄道に合いそうな感じするが20m車体だし
秩父鉄道は2000系の調達以降3000系の調達で富山地鉄に負ける(京阪旧3000系を買う予定だったのに台車が見つけられない内にほぼ総取りされる)、7000系の調達を失敗する(東急8500系の廃車がストップ)等結構苦戦してる印象。
JR東日本から103系など購入すればよかったかもですね。
@@hankyu7015 ちなみに103系は国鉄時代に秩父鉄道に入線した実績があります。
103系は頑丈で優秀なためにJR内で使い倒されて、私鉄譲渡する余剰が出なかったと。
無駄に長すぎる。初めの10分全く不要じゃないか。
やる内容(主題)に対して前置きが凄く長いように感じます。
東急5050系を小田急で走行させたら面白そう
伊豆急へは試験走行ではなく、夏季の多客期輸送による車両不足を補う為、落成直後の車両を東急へ搬入する前に伊豆急へ貸し出されたものです。
後、秩父鉄道に行った7000系を置き換えた東急1000系(1010~1013F)のエピソードもなかなか迷な要素がいっぱいなんですよね。
確か目蒲線用で4両編成で落成してから直後に3両編成化したって感じですよね。
今度動画にするかもしれません。
@@hankyu7015 さん
4→3両化したグループは7200系の置き換えのイメージですね。
秩父に行ったグループは日比谷線用直通車の予備も兼ねてました。
(それで1010~1013Fは先頭車の顔が両方で違いました)
@はんきゅ〜7015チャンネル さん
@繁神名 さん
1000系(1010~1013F)に関しての説明が違います。
1010~1013Fは東横線所属で、東横線-日比谷線直通車と目蒲線の共通予備編成として4+4両に組成されたもので(編成前後で貫通扉位置が違うのはこの為)、直接目蒲線には配属されておりません。
また秩父鉄道へ譲渡された7000系は目蒲線用として一時的に配属されてた4両編成(日比谷線直通用との共通予備ではない)をほぼそのまま譲渡されたもので、それらは池上線用として落成されるも一時的に4両編成に組成され暫定配属された1014F以降の1000系によって置き換えらました。
(それにより目蒲線は冷房化100%を達成。後に1000系は本来の目的通り池上線用の7200系と入れ替わって3両化のうえ全車雪が谷へ転属。)
なお1012F+1013Fは日比谷線直通運用減便に伴い、2000年1月頃に目蒲線専用として分割(その際に先頭車両の組換えを実施)され、同年目蒲線の系統分離に伴い3両化され雪が谷へ転属し、1010F+1011Fはしばらく4+4両のまま日比谷線直通運用に就いてましたが、2003年頃に1010F+1011Fの中間に挟まれた先頭車両を1012F、1013Fから抜き取った中間車に差し替えて8両貫通編成に組成されました。
(この時抜かれた先頭車両は6年以上休車になった後に伊賀鉄道へ譲渡。ちなみにこの時8両貫通編成となった1010F+1011Fは更なる直通運用減便に伴い2008年頃に運用離脱し、両先頭車は一足先に伊賀鉄道へ譲渡。)
なので1010Fと1011Fは東横線所属のまま東急での生涯を終えてます。
伊豆急には試験ではなく新車を東急投入前に夏の多客期に100系と東急のボロでは足りないので営業運転で使いましたね
冷房化改造が出来なかったことにより廃車されたと聞いたことがあります。
秩父鉄道は3000系を調達する時に京阪旧3000系を買う予定で雑誌にも発表してたのに台車を見つけられないでいる内にほぼ富山地鉄に総取りされてJR165系を買う羽目になったのは有名だけど、東急旧7000系買う位なら、直通先の車両(営団3000系)に気づかないというミスしてるからなぁ…
(ちなみに地鉄は最初営団3000系の初期型の台車を調達したけど、横揺れが酷くて車掌さんがリバースする代物。途中から営団3000系の後期型の台車→485系/419系の台車に変更する羽目に)
なるほど、そのようなエピソードあったが故なのですね。
結果 地鉄10030系は 形式番号とモーター出力が合わない車となりましたね。
@@hankyu7015 さん
もっともその場合は20m車の中に19m車が入り込んでいた訳でそれはそれで使いづらいことになっていたかもです。
@@toriri-service さん
ダブルデッカーが来た時のトークショーで
最初485系の台車(とモーター)を調達したのは増結用Tcを連結出来る用にする予定でしたが、お客さんが減って…とのことです。
419系の台車は最初第1か第2編成に着けようか迷っていたが、より揺れる第2編成に着けたとのこと
(でもあまりよくならなかったらしい…)
なお、地鉄も気づくのが遅れて2本分しか出来なかったのは内緒です。
(本当は4本分欲しかったとのこと)
4:20で映っている8090系も後に秩父鉄道へ譲渡されましたが…
かつて某中小私鉄に勤務してたことありますが、この秩父電車を導入するかを検討したことがあると話を聞きました。
しかし冷房がないため、話は消えました。
この映像ですが、東急電鉄の7000系が「秩父鉄道」で大外れだったのは、冷房改造が出来なかった事であり、それは薄々気付いていました。 過去に熊谷で40度に到達した日もありましたので、存在価値がなかったと改めて思います。
オチが完璧
秩鉄2000系は 回生ブレーキもそのまま使われて
導入時点で唯一の省エネ車でしたが
その後の事情の変化に振り回されて廃車になったのが不運でしたね。
当時設定されていた 準急 にも使われて大活躍したし
御花畑駅や秩父駅で 発車時には低く唸り
停車寸前にはフッと切れるモーター音を響かせる姿はまるで目蒲線でした。
尚 伊豆急で走ったのは 試験走行ではなく 夏期輸送の車両不足の応援に東急から駆り出されたもので トンネル走行時の風の吹き抜け対策には広幅貫通路に ベニヤ板で応急的に隔壁を造って(急あつらえの開き戸を付けた説もあり)対応したそうです。
小田急初代4000形にパイオニア台車を履かせるにあたり 状態確認の為に東急7000系を借りて試験走行した風景の動画を挙げておられる方がいらっしゃいます。
ua-cam.com/video/qldGwpZAsp4/v-deo.html
しかし 4000形も吊り掛け式でパイオニア台車という面白い電車でしたね。
記憶が正しければ、拡幅通勤車への置き換えに伴って製造された新性能の2600系の大量増備が需要増大に間に合わないため、吊り掛け車の機器流用に2600系準拠車体を載せたとかだったと。(資金問題もあっただろうが)
@@shidaregashiwa5707 さん
4000形は それよりも
既に機器の更新を済ませていたが 16m車体では急増した乗客輸送に対応出来なくなったHB車の まだ使える機器を有効利用する為に造られたようです。
単なる車体更新車の1800形とは違い 制御装置や台車も新調して 新たな形式も起こしているところからそれが伺えます。
私も吊り掛け式だった1978年に乗った事がありましたが 空気バネながら乗り心地は良くなかった印象でした。
当時は 急行 にも使われていて かの 吉村光夫氏は「4000系(小田急は 当時は系だった)でも急行仕業に就けるほど急行の速度は落ちている」と述べていました。
後に 2400形のモーターを活用して 高性能化され
その際にパイオニア台車は廃棄されましたが 新しい台車もディスクブレーキが剥き出しだったのが4000形らしさでした。
冷房化もされましたが 2600形のようにラインデリアは設けられず 扇風機のままでしたね。
@@toriri-service
なるほど。所詮数冊雑誌を読んだだけなもので。(言いたかった事は概ね同じです)
しかし大変な時期だったのですね。平成生まれ故、価値観もズレてるかもしれません。
@@shidaregashiwa5707 さん
そりゃ仕方がないですよ。
生まれてない時代の話なんですから。
寧ろ若い方が昔の電車に興味を持ってくださる事の方が 昭和生まれとしては嬉しいですね。
昭和の電車は面白いですよ。
あだ名が付いちゃう位ですから。
因みに動画の東急7000系は「弁当箱」と呼ばれていました。
@@toriri-service
自分的には昭和列車の方が好きですね。昭和ロマンって言いますか…。
国鉄気動車や小田急旧5000形とか結構好きです。
弁当箱なんて言われたんですね。103系が地下で火を吹いたらくらいしか…
昭和車の引退が進むのはちょっと悲しいですね。新型ウイルスがなければ今にでも飛び出して7000系を撮影しに行きたいですよw(迷惑鉄オタにはならんように気を付けます)
25年位前の夏、これに乗ったことあるけど、車内が暑くて暑くて…。1000系の中間車やパレオエクスプレスの旧型客車も非冷房だったから、このころの秩父鉄道は地獄だった。
秩鉄オリジナルの急行(2両+2両)にも乗ったことありますが、窓全開で爆走してました。冷房車って素晴らしい。
秩父鉄道は20メートル4扉3両で統一されているので18メートルでオールMで3扉4両固定の冷房が無かった秩父2000系は使い勝手が悪かったのでしょうね
はじめまして。こんばんは。秩父鉄道さんに行った車はほとんど無改造に近かったとの話を聞きました。だからこそ冷房改造が難しく残念な人生だったんですねぇ。また宜しくお願いいたします。
元都営三田線車の5000形もワンマン化した以外ほぼ無改造です。
本家三田線はもう孫世代ですから、秩鉄車もおそらく限界です。でも、新型は2両にされちゃうだろうなぁ。
でも日比谷線内だと東急車って一番技術が進んでたし車両火災や脱線事故にも唯一巻き込まれてないメーカーで凄いよね!
十和田の様に7700系なら、生き残っていたかもしれませんね。十和田の場合は廃線にですが(ToT)
弘南で元祖7000系に乗りましたがえらい揺れで脱線するのではと思ったくらいでした・・・
仮に7700系だったとしても18m車なので、秩父鉄道の標準が20m×3両に対して18m×3両では輸送力不足、18m×4両だと逆に輸送力過剰なので、どのみち早期に置換えられたであろうと思われます。
@@STREAM106 今だったら20M車2連があるけどね。
@@STREAM106
当時秩父鉄道は変電所容量が少なく架線電圧降下が酷くて
西武701系冷房車や国鉄103系ダメだったのかな。
同じ国鉄101系にもAU75冷房改造車の廃車が始まったばかりだけど。
冷房101系もあったはず。
軸重が丙線でAU75冷房改造車は軸重オーバーとか
なるほどね🐱埼玉県北の夏を考えたら冷房改造不可では廃車やむ無しですね👍️
国鉄101系を使用してた時は2号車(真ん中)だけ非冷房でめっちゃ不評だった☀️
この事からも窺えるな☺️
秩父鉄道は熊谷に秩父に…。夏無茶苦茶暑くなるところだしね😅
元101系の冷房化は埼玉県の税金で行いましたからね。先頭車だけでもありがたかったかと。
結局、秩父2000系が他の7000系に先んじて廃車されたのも、
逆に他の地方私鉄に譲渡された7000系が未だに使われてるのも、
事 業 者 側 に
お 金 が な い
という、ある意味共通の理由というね
(秩鉄は改造費がなかった、
他は新車導入費用が不足)
同時に3000系の改造があったので大改造は出来なかったのかもしれませんね。
7000系から7700系への改修、大規模すぎでしょ。
東急の7000系への信頼(主に車体)は凄かったんやな。
アメリカ規格の頑丈な構造だから出来た荒業です。
(日本の車体規格だと特に圧縮関係の規格がアメリカと比べて甘いらしい。)
@@繁神名 なるほど。言われてみると、車体が厚いように見えます。
@@shidaregashiwa5707 さん
その辺りは材料の進化やコンピューターの構造計算が進んだとか色々あります。
そして折角開発したのに205/211系の開発に際してノウハウを無償で公開させられた当時の東急の開発担当の嘆き節がRFに載ってました。
@@繁神名 は、はぁ… 国権には逆らえないねぇ
長野電鉄3000系とか養老鉄道に飛んだ7700系が心配です。いずれも秩父2000と同じように20mや21mの走る線区に飛んだ18m車なので。
03系はそこそこ新しいからまだしも、養老7700系に関しては車齢50年超えで正気の沙汰ではないですからね。
@@hankyu7015 さん
7000系→7700系へ改造の際に、車体以外の車内設備と走行機器は当時の新型車両9000系並みに大幅リニューアル(新車作るのと変わらないぐらいのお金がかかってるらしい)されてるのと、7000系落成時のオールステンレス車両は現代の軽量ステンレス車両と比べ非常に頑丈に作られてるので、養老鉄道側はあと30年は耐用できるとの判断で購入に踏み切ったそうです。
養老鉄道はもう少し待ってればJR東海の211系を買えたんですけどねぇ
秩父鉄道は旧101系の1000形更新を、全て東急ステンレス車で行いましたから、2000形は秩父鉄道が東急ステンレス車を知るための教材として、とても役立ったのではないかと思います。
今や7000形3両2本、7500形3両7本、7800形2両4本の陣容となっています。
福島交通は2001年の脱線事故で廃車が発生してます
すみません。2001年に廃車出てましたね。把握ミスです。
水間鉄道も東急から7000系を買いましたね。昔地元よく乗りましたが直線ではスピード出していたので横揺れがきつかったです。30年経った今でも非冷房の1編成除き更新され現役です。
1:02 東急車両製造は「TOKYU CAR CORPORATION」ですよ‼️
日比谷線内だけを考えても仲間のメトロ(営団地下鉄)3000系→03系→13000系と移っている。目蒲線転属に当たって冷房化(7700系)は有難かった。
1990年台の目蒲線は、冷房化と4両編成化で快適性が上がりましたね。(多摩川線は2000年の系統分離で再び3両編成になりましたが…)
小学校の遠足の時、乗っていた観光バスが導入前の試運転中の2000系とたまたま並走したことがあります。
当時の秩鉄は黄色に黒帯の電車しかなく、見たこともない銀色の電車がバスと並んで走っていたので、クラスの友達も大騒ぎしていました。
高校生になって通学で使うようになると、やはり非冷房なだけあってあまり印象は良くなかったですね。
利用者目線だと、『見た目こそ新しくなったが非冷房』で快適な車両とはいえなかったでしょうね…
自分も同じくらいの年代で秩鉄沿線住民です。
導入当時、仲間内では秩鉄2000系を「銀電」って呼んでたのが懐かしいです。
@@hankyu7015 あと横浜市営地下鉄3000形の続きお願い致します!
東急7000系は冷房工事の為に、改造しないとダメでしたからね。改造後だったら良かったのに。小田急は試運転したものの、ステンレス車は1987年の1000形迄デビュー間で待たないといけません。
養老鉄道(老体を養う鉄道会社)
なぜ日本1、2位を争うクソ暑い熊谷がある秩父鉄道が非冷房車を購入してしまったのだろうw
当時はそんなに暑くて有名な街じゃなかったから
秩父鉄道は2000形廃車にしないでどこかに譲渡すればよかったのに。
豊橋鉄道とか💡
さすがに21世紀を目の前にして非冷房車では買い手が見つからなかったんじゃないでしょうか。
80年代に譲渡された同じ元東急の青ガエルが短命に終わったのも冷房化できなかったからのようですし。
1両も無駄にするな言う命令で無理矢理押し売りしたってホントなのかな…?
でも7000系が優秀すぎて置き換える為に導入された1000系が迷電車になってしまったのがなんともよね…
因みに2000系は、当時存在した種別「準急」にも充当されてました。
それ東急じゃなくて、東武での話でしょ
@@平形豊士-h6e? 秩父鉄道の話ですよ。
@@naokikizuna795
東武2000系と勘違いしてました…。失礼!💦😅
7000系は電気品に東洋と日立とでわかれていたと言うけど、
秩父鉄道のがどっちのが回されたのだろうか。
日立と東洋のごたまぜはなく、必ずどっちかの電気品の車が統一で行ったっていうが
今度は秩父鉄道3000系も紹介したいです。
押し売りステンレス電車の製造会社は、末期にはステンレス車体組み立てノウハウ(FEM)そのものを押し売りした結果、最大ユーザーに買収されJR東日本子会社になりました。東急車輌のステンレス車は半永久みたいな売り方は、(重要部分で鉄鋼材を使うのでそれもウソだけど)金属腐食しないけど金属疲労(特に接合部)についてちゃんと説明しているのかと疑問に思ってました。
オールステンレス車もシーリング材の劣化で雨漏りするんですよね。サスティナは連続溶接でそれも解決したことになっていますが30年後どうなっているか?
自社発注の秩父線なつかしい。子供の頃、熊谷駅のホームの立ち食い蕎麦か美味しかったです。10年後には絶対に定年退職してみせますから、ガキの頃のように思う存分、秩父まで乗りたいです。
バット社のステンレスディーゼルカーはゴツすぎてbut
そう言う意味なのですか(すっとぼけ)
なるほど、これが8637編成の青帯の元ネタですか…[違う]
秩父鉄道における元祖東急譲渡車ですね
東急5000系にもステンレス車両がありましたね。
寄居の荒川の崖に2000系の廃車体が置いてあったと昔聞いたけど、まだあるのかな?
次は1000系見てみたいです。
乗ったこと有ります。比較的モーターは静かでした。😃☀️
この前、養老鉄道の7700系に乗って来ましたが、なるほど頑丈な車体でかつ内装も綺麗でしたので、「今後30年間使用予定」って言うのはウソじゃないと思いますよ。
元近鉄の路線でありながら完全に東急線みたいな状態でしたね。
養老鉄道としては中々良い買い物をしたのではないでしょうか???
もったいないですね😢
東急に騙されて7000系を買って失敗したのに、8500系や8090系を爆買いしている不思議な会社。
7200は大好きだったけど7000は嫌いだったな。
7000系系列は化け物じみた名車なんだけどね。車両的なトラブル要因ではなく、運用に合わなかったのは不運。
前置き長っww
当時の技術では冷房改造が出来なかったのが
致命傷だったらしいですね‼️
そうなんだ
車種間違えた感じするが。
まだ西武701系とかJR103系とかの方が秩父鉄道に合いそうな感じするが20m車体だし
秩父鉄道は2000系の調達以降
3000系の調達で富山地鉄に負ける(京阪旧3000系を買う予定だったのに台車が見つけられない内にほぼ総取りされる)、
7000系の調達を失敗する(東急8500系の廃車がストップ)
等結構苦戦してる印象。
JR東日本から103系など購入すればよかったかもですね。
@@hankyu7015 ちなみに103系は国鉄時代に秩父鉄道に入線した実績があります。
103系は頑丈で優秀なためにJR内で使い倒されて、私鉄譲渡する余剰が出なかったと。
無駄に長すぎる。初めの10分全く不要じゃないか。
やる内容(主題)に対して前置きが凄く長いように感じます。
東急5050系を小田急で走行させたら面白そう