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伯父が零戦の搭乗員でした。最後は特攻機を護衛していたそうで、終戦まで撃墜されることなく生き残りました。戦闘機の搭乗員は致死率が高いため、いい食事が優先されて出ていたそうで、海苔巻きがよく出ていたそうです。
ワタシはトラック運転手をしているのですが、自分は運転しながら食事しています。とくに【一口あんぱん】や【スティック・パン】を重宝しています。食べやすいし下に散らばらないのが嬉しいです😊
学生の頃、婆ちゃんが作った弁当には必ず1口羊羮やバナナが弁当箱の上に付属してたのを思い出したな…
零戦じゃないですが紫電改に乗っていた方によるとやっぱり海苔巻とサイダーがお手頃お手軽だったそうです。片手で食べられる、サイダーの空き瓶に用を足して風防を開けて後ろへ捨てる。◯◯食とかいろいろあって御酒をゼリー状に固めて寒いときにちょっと食べるみたいな🥴
今は戦闘機や偵察機で食べる携行食は、全くないか、あっても宇宙食みたいなものなんですね なんか味気ないですね
サイダーの瓶になんて、難易度高すぎてこぼれてしまいそう🎉
@@みのみつさん実は表向きサイダーの機内持ち込みは紫電改就役時には禁止されていた。理由は坂井三郎がサイダーの中身を戦闘前に爆発させて風防ガラスが汚れて視界が悪化して戦闘機と急降下爆撃機を間違えると言う、ガーランド少将らドイツ軍のエースが「アホか」と一蹴しそうなミスを犯して撃破されたからです。ちなみに米英は当時バナナやパン、サンドイッチやキャンディー、飲み物にはハチミツ入り紅茶が定番(良くトライアスロン選手が途中食べる食事)だったそうで、特にハチミツ入り紅茶は脂肪から先に燃やす効果があるので即効性のあるバナナと共に空中食には最適だったそうです。
@@みのみつ 一物がデカいから?
現在でも駄菓子で売られている、ゴム風船に詰められた「ようかん玉」も航空携帯食が元になっているそうです。
昨年の陸上自衛隊の記念日行事で目撃しましたが、UH-60JAの乗員はコンビニにあるような普通の弁当が支給されていましたね。一般より御飯の量が多いようでした。
AWACSには21人が搭乗していますが、積み込む冷弁は基地の隊員食堂で作ったものと民間業者に外注したものを5:5の割合で積み込むそうです。これは、搭乗員全員が同じものを食べて、万が一、食中毒などが発生しても、搭乗員が全員行動不能になるという事態を避けるためだとか。ちなみに、民間の旅客機でも同じように機長と副操縦士は別々の機内食を食べるそうです。
失礼します。曽祖母が「航空糧食」と言って、食パンに梅びしおを塗ったものを巻き寿司状に丸めてアルミホイルで包んだ物を、高校時代のお弁当の追加に持たせてくれていました。
私の祖父(故人)の友人(故人)で海軍軍人だった方が「旧海軍では土曜日の昼食は必ずカレーと言うのは間違い。カレーは出ていたが、ほとんどの艦艇では献立は10日サイクルで献立を組んでいたので、土曜日に固定されていたわけではない。」と言っていました。
航空自衛隊が訓練でアラスカまで移動する際は、F15でもお弁当(オニギリやハンバーガー)を持ち込んで食事をするって、元アグレッサー部隊所属の方が動画にしていましたよ。
坂井三郎氏の「大空のサムライ」では海苔巻きを機上で食べる描写があります。たしかに一番食べやすいのは海苔巻きだったでしょうな。
B-17のクルーはサンドイッチとトマトスープを魔法瓶に入れてたのを映画で見ましたねあとコーヒーもかな?
ラボールはRabaulの英語読みの一つですね。海苔巻きではラボールと読んでいた訳ですね。藤岡弘さん主演の映画大空のサムライで、海苔巻きを食べている時に敵機を発見し、海苔巻きを放り投げる場面がありました。実際には貴重な食糧なので丁寧に(緊急事態なので丁寧かどうかは分かりませんが)しまったのではないかと思ったことがあります。ところで、ラボール巻はラバウル航空隊が発祥なのですか?話は変わり、当時、パイロットの朝食には玉子と牛乳がでた。今では当たり前すぎるメニューですが当時は体力を維持するための豪勢な朝食メニューでした。パイロットは死を賭した仕事なので、私はもっと沢山色々なご馳走を食べて欲しかったと思うのです。
他の方々と同じく出所が坂井三郎氏の大空のサムライになるのだけど機内空間が広く搭乗人数も多い一式陸攻(中攻機)だと水筒(魔法瓶?)に入ったみそ汁も供されたとか書いてた記憶が
持ち込んだサイダーが吹いてフロントガラスが曇って死にかけた話が好きですw
息子がAwacsの機上整備員なので数年前にアラスカやグァムに日米合同訓練に行った時は紹介のあった機上食を取ったんだと想像しながら視聴させて頂きました。
7:13 ラボールって開戦劈頭の頃のラバウルの事ですね。宇垣中将の陣中日記『戦藻録』の中に出てきます。ガ島に護衛で飛ぶ零戦は明け方出撃して昼過ぎにラバウル島に帰還したんですけど、ガ島上空での空戦時間は約15分ほど。深追いしたりすると途中でガス欠になり不時着水したりしたそうです。なのでよりガ島に近い応急基地 ニュージョージア島にムンダ飛行場を作りそれこそ死闘が繰り返えされたと聞きます。航空隊の機内での食事は中攻とかがが豪華でシャケ弁当とか魔法瓶で温かい紅茶まで出たりしてます。応急食はキャラメルとか色々あった。小型機はオニギリ・海苔巻き・おはぎ・いなり寿司とか色々で基地の主計員が献立考えて提供してました。1番が航空機搭乗員で次が潜水艦乗組員で最低は刑務所の囚人でした。
二式大艇は巡航速度と巡航高度で理論上24時間飛べるので、トイレはもちろん冷蔵庫まであったそうな
金曜カレーって海自になってからなんだ……。(3:02)
Beef or Chicken?懐かしいセリフ。70-80年代の、国際線での配食時の客室サービス員の常套句でした。今より、牛肉が高かった当時。機内食では、必ずBeefを選んでいました。
1:14 炊飯自動車とか凄すぎ😮👍
元アグレッサーのhachiさんはF-15の機内でおにぎりやハンバーガーとか食べてたみたいですよ
登山の時には、オニギリが主食でしたが、非常食として、チューブのコンデンスミルクを携帯していました。あと、コッヘルをつかって、煮込みうどんなんかも作ってました。
坂井三郎著の大空のサムライでサイダー爆発事件の話が恐ろしすぎた。でも、長時間フライトでどうしても考えてしまうのは、トイレどうしたんだろう。時と場所を選べないのがトイレですからね!??
敵地攻撃作戦時、ラバウルから発進した零戦隊はその日、生きて帰れるか解らない為、持参した航空食は会敵前に早めに食べてしまったらしい。
坂井三郎さんの大空のサムライでは、切ってないのり巻きが搭乗時の弁当と記述されてました。おにぎりやいなり寿司では、転がってしまうので不適当だったと。
他の動画でB-29の乗組員が長距離フライトで食べる機内食はヒーターで保温して居て、単座の戦闘機パイロットの飛行食はサンドイッチ等を食べて居た。
母方の叔父、兄弟で一番下が巡洋艦筑摩乗り組みで、最後の出撃前に栄養失調で入院して陸に上がっていたということで戦後長く人生を全うしました。一般兵は海軍の艦隊勤務でも栄養不足することがあったようですね。。
>旧軍の電気炊飯車。この動画で、初めて知りました。思ったより進んでいた、旧日本軍の炊事設備。>旧海軍の象徴的な料理が、カレーと肉じゃが。調味料を代えれば、同一材料でどちらも作れる。それが、背景だそうです。荒巻義雄氏の『紺碧の艦隊』。その中に時々、旧軍の料理や調理法の記述がありました。航行中の軍艦では、アルミ弁当箱に水と生米を入れてエンジン余熱で炊飯するなど。
梅紫蘇巻き、沢庵巻き、干瓢巻きの三点セットを食べていると、本当に昔の航空弁当の気分になる。
戦闘機乗りの煙草事情も知りたいな
航空機と航続距離、入れ方出し方いろんなコメントを交えての愉快な話、ありがとうございます!
まだ電熱器あったんだなあ写真を見て懐かしく思ったわ使うのは弁当でなく鍋だったけど
零戦のパイロットでも特に数は基地航空隊には海苔巻(細巻きね)が支給されてた。といっても具は乾物を戻した物、酢を効かせて痛みにくいようにした。後はサイダーも支給ね。甘みは疲れに良いし。だいたい数千メートル上空を敵地まで飛んでると冷えて飲み頃になったとか
零戦の機内トイレについて言うと専用の袋があったはず。この袋の中に液体をためて口を縛った後、風防を開けて外へ捨てる訳だが風防を開けた瞬間に、風圧で口が開いてしまい、液体をモロにかぶる。といった内容が大空のサムライで述べられてましたね。米国のP40なんかだと操縦席に漏斗があり、その中で用を足すと機体の下から機外へ放出される仕組みと聞きました。零戦のような航続力のある機体にこそこのような装備は必要だったが…堀越氏が許さなかったのかも。
【排泄】 食べると当然に排泄しなければならないが、トイレに行けないからオムツですね。 排泄物で汚れたオムツをしながら食事しないとならないのか。
ラボール(ラバウル)巻きについては、実際に零戦に搭乗していた方からお話を伺ったことがあります。動画で紹介されていたもののほかは、いなりずしが良く出されたそうです。その他に水分補給もしくは唾液の分泌用としてとしてラムネ、焼き梅干し、キャラメルなどが提供されることもあったそうで。あとは往路では食べると眠くなるからという理由で、交戦を終えて復路で食事を摂るのが一般的だったようです。その他としては、出撃前の食事では肉をあまり摂取しないようにしていたそうです。おならが出やすくなるから、だったかな。1942年当時の戦術機は千メートル程度の高度で巡航してまして、しかも当時の航空機には与圧キャビンなんてものがありませんから、腸内にガスが貯まるとお腹が張ってとんでもないことになるのだとか。
海自も元々は、土曜日がカレーでしたよ。平成に入り週休2日制が導入されて金曜日になっただけです。
零戦エースパイロットの坂井三郎は新人パイロットが長距離飛行の出撃で飛行中に不安を和らげる為にバナナやサイダーを飲み食いして余裕有る事を見せて不安を和らげて居た。
自分は2~3mくらいの大きさのヨットに乗っているけど、たまに海の上でお昼ごはん食べたりするときあって、そん時にはチョコバーとかそれこそ巻き寿司持って行きますね。
ゼロ戦乗りの機内御不浄物語も気になる。
8時間も飛べる零戦のパイロットのパラシュートはおしっこで黄色くなっていたそうだ。
このチャンネルのガイドラインめっちゃちゃんとしててちゅきちゅき
零戦の標準的な巡航高度が何メートルだったのかは詳しく知らないけど、当時の与圧のない飛行機で何時間も空に上がってたら、機内の乾燥もあいまって海苔巻きのごはんも冷えてベータ化してカッチカチだったんじゃないのかって思うね。
手記とかによると疲れた時には甘いもの。的な感じで朝鮮飴も好んで持ち込んだそうですね。自分、朝鮮飴の存在自体知らなかったので、それで興味が出て通販購入した事有りますw
なお、どっかのチート爆撃機は高度12000mにいながら電子レンジ的な物で加熱してホカホカの飯が暖房の効いたキャビンで食えたらしい※これはww2の飛行機です。
P-3にトイレはあるが、使う乗組員はいない。しかもトイレにある手洗い用の水(ポリタンクに入っている)は緊急時の飲み水になる。
現在でも早期警戒機等の大型機では、長時間任務に1~2食分の航空弁当を積み込むようですね。あと航空兵では無いですが、カロリーメイト的なモノに軍ろう精という熱量食があり(陸軍)、ブドウ糖と脱脂粉乳ベースの携帯口糧(キャラメルみたいなモノか?)が支給されていたようです。海軍航空の定番は金平糖ですけどね。
あの零戦搭乗員の坂井三郎さんは長距離飛行するときに海苔巻きとサイダー持って搭乗されましたが地上でサイダーの蓋を緩めないで上空に上がりサイダーの蓋緩めるとそこら中にサイダーがついてしまいマフラーで掃除するのに苦労したと言われましたよ。
ロール巻にしたサンドイッチも考案されたものの、中の具はハムやチーズよりもかんびょうやごぼう等巻き寿司の具を入れたヤツの方が好評だったそうでw 後はポケットサイズのミニボトルに詰めた栄養剤入り葡萄酒も有名ですね。今のユンケルみたいな扱い?
坂井三郎氏の「大空のサムライ」には「航空弁当」と呼ばれる海苔巻きが登場します。
藤岡弘さんが 盛大に 炭酸飲料 噴射してましたね🎉
味の濃い航空弁当を食べると、喉が渇きます。そうなると飲み物が必要になって、飲めば出るものも出ます。「しょんべん袋」があってそこに出すと、プロペラの回転の都合上機体を左スライドさせてその袋を投棄するのですが、上手くいかないと機内にバラ撒く事になったそうです。
コクピットで食事するロボットアニメあったなぁ、、、串カツソースつけようとして盛大にキャベツとかぶち撒けてて笑ったけど、零戦パイロットってそういう時どうしてたのかな?食べた後のバナナの皮とか気になる。フットペダルの間に落ちちゃった日にゃどうなるか、、、
昔海軍戦闘機登場員の本を読んだがいなり寿司が一番好まれたようです。いなり寿司に卵焼き、コロッケなどの揚げ物も多かったようですよ。
お弁当箱はアルマイトの容器だったそうです。😊
そうだったんだね?😂でも戦前まではチョコやキャンディーも市販されていたんだよね?欲しがりません勝つまでは、はドイツらしいですが日本でも流行っていたらしいですね?
電子レンジではなく電熱器なのはマイクロ波が機内機器に悪影響があったり敵機の探知対象になったりするのでしょうか?
電子機器に悪影響がありますね、特に無線関係がやられます。レンジの近くでスマホを使うと電波状況が悪くなるのと同じですね。
昔の新聞で哨戒機で使う電熱機か電子レンジの価格が高過ぎるて叩かれてましたね。
昔真珠湾での瑞鶴搭乗員の弁当が再現されていたな
ラボール巻きの語源を調べたら一部でラバウルの事をラボールと発音していたようです。ラバウルの炊事班長が手袋したまま食べられる航空食を考案し、一口海苔巻数本組合せたようです。ラボール巻きにサイダーが好まれたようです。
>3本食べたら、腹いっぱいになる海苔巻き。昔読んだ、坂井三郎氏の戦争経験記『ゼロ戦の勇者』(大空のサムライの、児童向け書下ろし)。「空戦前には、半分だけ食べる。満腹による反射神経鈍化を防ぐ為。帰途の楽しみに、半分残すという意味もあった」。その本に、そのような記述がありました。
元空自でF15戦闘機乗ってた方が長時間飛行では食事を持ち込んで食べてたって言ってたぞ。まあハンバーガーやオニギリって言ってたけどね。アラスカまで飛んだ時は8時間位操縦しっぱなしって言ってた。それだけ乗って入れると出す必要も出てくる。そこは携帯トイレだそうだ
日本の食文化って、製造産業と同じくらいの奥深い歴史があると思います。しかも御当地飯も含めると、かなり凄いかもしれない。
自動操縦装置が無い時代に操縦桿持ったままご飯食うのは大変だな😂
現代の戦闘機は巡航速度が速いから航続距離が同じでも飛行時間は短くなっている。何時間もの飛行を想定している機体は少ない。
食事があるなら出す方もある出す方も長い航続距離のせいで、その場で出してたと聞いた😅
主食のコメが腹持ちが良くて容積が少ないぶん、パンが主食の欧米より少なくともここだけは有利そう。連合軍は航続距離より空母運用を重視してたから機上食を重視してたかどうかは置いといて…
まあ、入れるより出る方が大変案ですけどね。宇宙に行ける技術があっても解決できない
零戦の欠点は、飛行中にうんこができないことだ。機上で、そのまませざるを得なかった人もいたに違いない。
水分と出す方が重要ですね。大っきい方はどうなるんでしょうか
ラボール=ラボウル=ラバウル=栄光のラバウル航空隊
会計課?の人間がパイロット候補生に「おまえたちは良いもん食いすぎてる!」って増加食もらうためのハンコ押さなかったから教官やってた坂井三郎が練習機のテスト飛行に誘っておもくっそアクロバット飛行やってダウンさせて「パイロットって大変なんだぞ!」って叩き込んだ的なエピソードもあったな
海上自衛隊の対潜哨戒機の搭乗員には弁当が支給されてて冷凍弁当(電子レンジ)で解凍されました
ラボールってラバウルの事ですかね…
単座戦闘機のうんことしっこはどうしてたんですかね
wikiの「海軍カレー」見ました 金曜カレーって別に旧日本海軍の伝統でもなんでもなかったんですってね
どんな状況下でも必須なのは飲食と排泄と睡眠。なのに映画なんかはこれらを無視して大活躍するんだよね。食料も持たずに旅を続け、ガンガン戦うとかね。
203空のP--3Cナンバー33号機は数年前用廃になりましたがここで在りし日の姿が見れてよかったです😊
トイレの方が気になる。大は済ませて乗るとしても、小は我慢出来ない筈😢
かんぴょう巻きとサイダー!零戦のパイロットの朝はかんぴょうを煮る所から始まったらしい。
仕事は遣る気と集中力と忍耐力ですね! 体力差もありますが最後までやり続けた方が最後に生き残れる方です。 職業に貴賎を持たれる方は生き残れません。
戦時中の日本兵が書いた本を読みましたけど、敵機が飛び交うさなかに炊事するから煙が良い標的になったそうです。必死に仰いで煙をかき消そうとしたり涙ぐましい努力をしたそうですが意味が無かったそうで。江戸時代と何ら変わらない軍隊でこんなんじゃ勝てる訳ないと確信したそうですね。
零戦の滞空時間は型式に依るけど最長機種だと12時間を超える。そして戦闘機乗りの携帯食は海苔巻きか五目稲荷寿しで各自バナナやサイダー、羊羹なんかを持ち込むらしい。因みに赤飯おにぎりとかも出た事あったらしいけど冷えると硬くなり過ぎてバチクソに不評だったとか…逆に電熱器とかも装備してる二式大艇なんかは酢飯の酢がキツ過ぎて寿司類は不評、赤飯は腹持ち◎で好評だったらしい。
だからフィリピンが攻撃されたときに敵軍は「絶対どこかに空母がいる」と言って血眼になって捜したけど見つからず。それもそのはずで襲撃した日本海軍の零戦は台湾から飛来していたという話があったな。
8時間も機内でいたらトイレはどうしたのか教えてもらえませんか
坂井三郎さんは、航空弁当とかバナナを持っていた、なんて書いて居られた様です。ラバウルに新任の主計官が来た時に、飛行機乗りだけに特別とは許せん!と、切ってしまったとか(笑)
昔、子供向けの「太平洋戦記」に、真珠湾だったかレイテ沖だったかに向うゼロ戦の機内弁当として「卵焼きに昆布巻、熱い薩摩汁」とあった。門出の初出撃なら、赤飯だったかも知れない。
空自時代、F-86、F-104、F-4に搭乗しましたが、コクピットなんて、凄く狭いですよ。
トイレ事情も気になる
戦争漫画で海苔巻きは具材関係なく戦場という鉄火場で食べるから鉄火巻きとパイロット達から呼ばれていたと書かれていた。
サイダーを支給される事もあったそうです。
坂井三郎氏の著書にありましたね。飛行中うっかり栓を開けてしまいサイダーが噴き出てキャノピーの内側が砂糖でベタベタになってしまったとか。
稲荷寿司とサイダー2本が標準的でした。飲み終わった瓶は・・・小便入れて外に捨てたそうです
@@isaushi7558 瓶だと機体後部破損の可能性がある為ゴム製小便袋で捨てたそうです尚、攻撃機複座で後席上官だった時、上手く外に捨てられず上官の顔を直撃して作戦終了後大変だったそうです、わざとしたのかも? !(^^)!
てっきりヒロポンでブーストして飲まず食わずで戦ってたのかと思ってた
トイレはどうしてたんですか?
ワイは熱いうどんを食べたいンゴ…
食べたら出るモノもあると思うんだけど、零戦で8時間飛んでる間に便意をもよおしたらどうしてたんだろう???
錨のマークがついた弁当なんて見たことねぇw
坂井三郎氏の著書だとサイダーも支給されていたみたいですね。高カロリーの液体ですので機上食としては最適。ちなみに氏は地上で一度開栓するのを忘れ高高度で開栓…。キャノピーにサイダーをぶちまける事に。高高度で空気が乾燥しているのであっという間にサイダーは乾燥、砂糖等がガラスにへばりつき見通しが最悪の中会敵。氏の初負傷はうっかりミスから と言うエピソードが載って居ましたね
ヒロポンは思いだせたけどドイツの覚醒剤入りのキャンディーは何て言ってたかな?
調理自動車はあるには、あったが数が少な過ぎほぼほぼ知る人はなかった
ドイツの戦闘機もイギリスのスピットファイアもそもそも航続距離短いから機上食要らない。
伯父が零戦の搭乗員でした。
最後は特攻機を護衛していたそうで、終戦まで撃墜されることなく生き残りました。
戦闘機の搭乗員は致死率が高いため、いい食事が優先されて出ていたそうで、海苔巻きがよく出ていたそうです。
ワタシはトラック運転手をしているのですが、自分は運転しながら食事しています。とくに【一口あんぱん】や【スティック・パン】を重宝しています。食べやすいし下に散らばらないのが嬉しいです😊
学生の頃、婆ちゃんが作った弁当には必ず1口羊羮やバナナが弁当箱の上に付属してたのを思い出したな…
零戦じゃないですが紫電改に乗っていた方によるとやっぱり海苔巻とサイダーがお手頃お手軽だったそうです。片手で食べられる、サイダーの空き瓶に用を足して風防を開けて後ろへ捨てる。◯◯食とかいろいろあって御酒をゼリー状に固めて寒いときにちょっと食べるみたいな🥴
今は戦闘機や偵察機で食べる携行食は、全くないか、あっても宇宙食みたいなものなんですね なんか味気ないですね
サイダーの瓶になんて、難易度高すぎてこぼれてしまいそう🎉
@@みのみつさん
実は表向きサイダーの機内持ち込みは紫電改就役時には禁止されていた。
理由は坂井三郎がサイダーの中身を戦闘前に爆発させて風防ガラスが汚れて視界が悪化して戦闘機と急降下爆撃機を間違えると言う、ガーランド少将らドイツ軍のエースが「アホか」と一蹴しそうなミスを犯して撃破されたからです。
ちなみに米英は当時バナナやパン、サンドイッチやキャンディー、飲み物にはハチミツ入り紅茶が定番(良くトライアスロン選手が途中食べる食事)だったそうで、特にハチミツ入り紅茶は脂肪から先に燃やす効果があるので即効性のあるバナナと共に空中食には最適だったそうです。
@@みのみつ 一物がデカいから?
現在でも駄菓子で売られている、ゴム風船に詰められた「ようかん玉」も航空携帯食が元になっているそうです。
昨年の陸上自衛隊の記念日行事で目撃しましたが、UH-60JAの乗員はコンビニにあるような普通の弁当が支給されていましたね。一般より御飯の量が多いようでした。
AWACSには21人が搭乗していますが、積み込む冷弁は基地の隊員食堂で作ったものと民間業者に外注したものを5:5の割合で積み込むそうです。
これは、搭乗員全員が同じものを食べて、万が一、食中毒などが発生しても、搭乗員が全員行動
不能になるという事態を避けるためだとか。
ちなみに、民間の旅客機でも同じように機長と副操縦士は別々の機内食を食べるそうです。
失礼します。曽祖母が「航空糧食」と言って、食パンに梅びしおを塗ったものを巻き寿司状に丸めてアルミホイルで包んだ物を、高校時代のお弁当の追加に持たせてくれていました。
私の祖父(故人)の友人(故人)で海軍軍人だった方が「旧海軍では土曜日の昼食は必ずカレーと言うのは間違い。カレーは出ていたが、ほとんどの艦艇では献立は10日サイクルで献立を組んでいたので、土曜日に固定されていたわけではない。」と言っていました。
航空自衛隊が訓練でアラスカまで移動する際は、F15でもお弁当(オニギリやハンバーガー)を持ち込んで食事をするって、元アグレッサー部隊所属の方が動画にしていましたよ。
坂井三郎氏の「大空のサムライ」では海苔巻きを機上で食べる描写があります。たしかに一番食べやすいのは海苔巻きだったでしょうな。
B-17のクルーはサンドイッチとトマトスープを魔法瓶に入れてたのを映画で見ましたねあとコーヒーもかな?
ラボールはRabaulの英語読みの一つですね。海苔巻きではラボールと読んでいた訳ですね。藤岡弘さん主演の映画大空のサムライで、海苔巻きを食べている時に敵機を発見し、海苔巻きを放り投げる場面がありました。実際には貴重な食糧なので丁寧に(緊急事態なので丁寧かどうかは分かりませんが)しまったのではないかと思ったことがあります。ところで、ラボール巻はラバウル航空隊が発祥なのですか?
話は変わり、当時、パイロットの朝食には玉子と牛乳がでた。今では当たり前すぎるメニューですが当時は体力を維持するための豪勢な朝食メニューでした。パイロットは死を賭した仕事なので、私はもっと沢山色々なご馳走を食べて欲しかったと思うのです。
他の方々と同じく出所が坂井三郎氏の大空のサムライになるのだけど
機内空間が広く搭乗人数も多い一式陸攻(中攻機)だと水筒(魔法瓶?)に入ったみそ汁も供されたとか書いてた記憶が
持ち込んだサイダーが吹いてフロントガラスが曇って死にかけた話が好きですw
息子がAwacsの機上整備員なので数年前にアラスカやグァムに日米合同訓練に行った時は紹介のあった機上食を取ったんだと想像しながら視聴させて頂きました。
7:13 ラボールって開戦劈頭の頃のラバウルの事ですね。宇垣中将の陣中日記『戦藻録』の中に出てきます。ガ島に護衛で飛ぶ零戦は明け方出撃して昼過ぎにラバウル島に帰還したんですけど、ガ島上空での空戦時間は約15分ほど。深追いしたりすると途中でガス欠になり不時着水したりしたそうです。
なのでよりガ島に近い応急基地 ニュージョージア島にムンダ飛行場を作りそれこそ死闘が繰り返えされたと聞きます。
航空隊の機内での食事は中攻とかがが豪華でシャケ弁当とか魔法瓶で温かい紅茶まで出たりしてます。
応急食はキャラメルとか色々あった。
小型機はオニギリ・海苔巻き・おはぎ・いなり寿司とか色々で基地の主計員が献立考えて提供してました。
1番が航空機搭乗員で次が潜水艦乗組員で最低は刑務所の囚人でした。
二式大艇は巡航速度と巡航高度で理論上24時間飛べるので、トイレはもちろん冷蔵庫まであったそうな
金曜カレーって海自になってからなんだ……。(3:02)
Beef or Chicken?
懐かしいセリフ。70-80年代の、国際線での配食時の客室サービス員の常套句でした。今より、牛肉が高かった当時。機内食では、必ずBeefを選んでいました。
1:14 炊飯自動車とか凄すぎ😮👍
元アグレッサーのhachiさんはF-15の機内でおにぎりやハンバーガーとか食べてたみたいですよ
登山の時には、オニギリが主食でしたが、非常食として、チューブのコンデンスミルクを携帯していました。
あと、コッヘルをつかって、煮込みうどんなんかも作ってました。
坂井三郎著の大空のサムライでサイダー爆発事件の話が恐ろしすぎた。
でも、長時間フライトでどうしても考えてしまうのは、トイレどうしたんだろう。
時と場所を選べないのがトイレですからね!??
敵地攻撃作戦時、ラバウルから発進した零戦隊はその日、生きて帰れるか解らない為、持参した航空食は会敵前に早めに食べてしまったらしい。
坂井三郎さんの大空のサムライでは、切ってないのり巻きが搭乗時の弁当と記述されてました。
おにぎりやいなり寿司では、転がってしまうので不適当だったと。
他の動画でB-29の乗組員が長距離フライトで食べる機内食はヒーターで保温して居て、単座の戦闘機パイロットの飛行食はサンドイッチ等を食べて居た。
母方の叔父、兄弟で一番下が巡洋艦筑摩乗り組みで、最後の出撃前に栄養失調で入院して陸に上がっていたということで戦後長く人生を全うしました。
一般兵は海軍の艦隊勤務でも栄養不足することがあったようですね。。
>旧軍の電気炊飯車。
この動画で、初めて知りました。思ったより進んでいた、旧日本軍の炊事設備。
>旧海軍の象徴的な料理が、カレーと肉じゃが。
調味料を代えれば、同一材料でどちらも作れる。それが、背景だそうです。荒巻義雄氏の『紺碧の艦隊』。その中に時々、旧軍の料理や調理法の記述がありました。航行中の軍艦では、アルミ弁当箱に水と生米を入れてエンジン余熱で炊飯するなど。
梅紫蘇巻き、沢庵巻き、干瓢巻きの三点セットを食べていると、本当に昔の航空弁当の気分になる。
戦闘機乗りの煙草事情も知りたいな
航空機と航続距離、入れ方出し方いろんなコメントを交えての
愉快な話、ありがとうございます!
まだ電熱器あったんだなあ
写真を見て懐かしく思ったわ
使うのは弁当でなく鍋だったけど
零戦のパイロットでも特に数は基地航空隊には海苔巻(細巻きね)が支給されてた。といっても具は乾物を戻した物、酢を効かせて痛みにくいようにした。後はサイダーも支給ね。甘みは疲れに良いし。だいたい数千メートル上空を敵地まで飛んでると冷えて飲み頃になったとか
零戦の機内トイレについて言うと専用の袋があったはず。
この袋の中に液体をためて口を縛った後、風防を開けて外へ捨てる訳だが風防を開けた瞬間に、風圧で口が開いてしまい、液体をモロにかぶる。といった内容が大空のサムライで述べられてましたね。
米国のP40なんかだと操縦席に漏斗があり、その中で用を足すと機体の下から機外へ放出される仕組みと聞きました。
零戦のような航続力のある機体にこそこのような装備は必要だったが…堀越氏が許さなかったのかも。
【排泄】
食べると当然に排泄しなければならないが、トイレに行けないからオムツですね。
排泄物で汚れたオムツをしながら食事しないとならないのか。
ラボール(ラバウル)巻きについては、実際に零戦に搭乗していた方からお話を伺ったことがあります。動画で紹介されていたもののほかは、いなりずしが良く出されたそうです。その他に水分補給もしくは唾液の分泌用としてとしてラムネ、焼き梅干し、キャラメルなどが提供されることもあったそうで。
あとは往路では食べると眠くなるからという理由で、交戦を終えて復路で食事を摂るのが一般的だったようです。
その他としては、出撃前の食事では肉をあまり摂取しないようにしていたそうです。おならが出やすくなるから、だったかな。1942年当時の戦術機は千メートル程度の高度で巡航してまして、しかも当時の航空機には与圧キャビンなんてものがありませんから、腸内にガスが貯まるとお腹が張ってとんでもないことになるのだとか。
海自も元々は、土曜日がカレーでしたよ。平成に入り週休2日制が導入されて金曜日になっただけです。
零戦エースパイロットの坂井三郎は新人パイロットが長距離飛行の出撃で飛行中に不安を和らげる為にバナナやサイダーを飲み食いして余裕有る事を見せて不安を和らげて居た。
自分は2~3mくらいの大きさのヨットに乗っているけど、たまに海の上でお昼ごはん食べたりするときあって、そん時にはチョコバーとかそれこそ巻き寿司持って行きますね。
ゼロ戦乗りの機内御不浄物語も気になる。
8時間も飛べる零戦のパイロットのパラシュートはおしっこで黄色くなっていたそうだ。
このチャンネルのガイドラインめっちゃちゃんとしててちゅきちゅき
零戦の標準的な巡航高度が何メートルだったのかは詳しく知らないけど、当時の与圧のない飛行機で何時間も空に上がってたら、機内の乾燥もあいまって海苔巻きのごはんも冷えてベータ化してカッチカチだったんじゃないのかって思うね。
手記とかによると疲れた時には甘いもの。的な感じで朝鮮飴も好んで持ち込んだそうですね。
自分、朝鮮飴の存在自体知らなかったので、それで興味が出て通販購入した事有りますw
なお、どっかのチート爆撃機は高度12000mにいながら電子レンジ的な物で加熱してホカホカの飯が暖房の効いたキャビンで食えたらしい
※これはww2の飛行機です。
P-3にトイレはあるが、使う乗組員はいない。
しかもトイレにある手洗い用の水(ポリタンクに入っている)は緊急時の飲み水になる。
現在でも早期警戒機等の大型機では、長時間任務に1~2食分の航空弁当を積み込むようですね。あと航空兵では無いですが、カロリーメイト的なモノに軍ろう精という熱量食があり(陸軍)、ブドウ糖と脱脂粉乳ベースの携帯口糧(キャラメルみたいなモノか?)が支給されていたようです。海軍航空の定番は金平糖ですけどね。
あの零戦搭乗員の坂井三郎さんは長距離飛行するときに海苔巻きとサイダー持って搭乗されましたが地上でサイダーの蓋を緩めないで上空に上がりサイダーの蓋緩めるとそこら中にサイダーがついてしまいマフラーで掃除するのに苦労したと言われましたよ。
ロール巻にしたサンドイッチも考案されたものの、中の具はハムやチーズよりもかんびょうやごぼう等巻き寿司の具を入れたヤツの方が好評だったそうでw 後はポケットサイズのミニボトルに詰めた栄養剤入り葡萄酒も有名ですね。今のユンケルみたいな扱い?
坂井三郎氏の「大空のサムライ」には「航空弁当」と呼ばれる海苔巻きが登場します。
藤岡弘さんが 盛大に 炭酸飲料 噴射してましたね🎉
味の濃い航空弁当を食べると、喉が渇きます。
そうなると飲み物が必要になって、飲めば出るものも出ます。
「しょんべん袋」があってそこに出すと、プロペラの回転の都合上機体を左スライドさせてその袋を投棄するのですが、上手くいかないと機内にバラ撒く事になったそうです。
コクピットで食事するロボットアニメあったなぁ、、、串カツソースつけようとして盛大にキャベツとかぶち撒けてて笑ったけど、零戦パイロットってそういう時どうしてたのかな?食べた後のバナナの皮とか気になる。フットペダルの間に落ちちゃった日にゃどうなるか、、、
昔海軍戦闘機登場員の本を読んだがいなり寿司が一番好まれたようです。いなり寿司に卵焼き、コロッケなどの揚げ物も多かったようですよ。
お弁当箱はアルマイトの容器だったそうです。😊
そうだったんだね?😂でも戦前まではチョコやキャンディーも市販されていたんだよね?欲しがりません勝つまでは、はドイツらしいですが日本でも流行っていたらしいですね?
電子レンジではなく電熱器なのはマイクロ波が機内機器に悪影響があったり敵機の探知対象になったりするのでしょうか?
電子機器に悪影響がありますね、特に無線関係がやられます。レンジの近くでスマホを使うと電波状況が悪くなるのと同じですね。
昔の新聞で哨戒機で使う電熱機か電子レンジの価格が高過ぎるて叩かれてましたね。
昔真珠湾での瑞鶴搭乗員の弁当が再現されていたな
ラボール巻きの語源を調べたら一部でラバウルの事をラボールと発音していたようです。
ラバウルの炊事班長が手袋したまま食べられる航空食を考案し、一口海苔巻数本組合せたようです。
ラボール巻きにサイダーが好まれたようです。
>3本食べたら、腹いっぱいになる海苔巻き。
昔読んだ、坂井三郎氏の戦争経験記『ゼロ戦の勇者』(大空のサムライの、児童向け書下ろし)。「空戦前には、半分だけ食べる。満腹による反射神経鈍化を防ぐ為。帰途の楽しみに、半分残すという意味もあった」。その本に、そのような記述がありました。
元空自でF15戦闘機乗ってた方が長時間飛行では食事を持ち込んで食べてたって言ってたぞ。
まあハンバーガーやオニギリって言ってたけどね。
アラスカまで飛んだ時は8時間位操縦しっぱなしって言ってた。
それだけ乗って入れると出す必要も出てくる。
そこは携帯トイレだそうだ
日本の食文化って、製造産業と同じくらいの奥深い歴史があると思います。
しかも御当地飯も含めると、かなり凄いかもしれない。
自動操縦装置が無い時代に
操縦桿持ったままご飯食うのは
大変だな😂
現代の戦闘機は巡航速度が速いから航続距離が同じでも飛行時間は短くなっている。何時間もの飛行を想定している機体は少ない。
食事があるなら出す方もある
出す方も長い航続距離のせいで、その場で出してたと聞いた😅
主食のコメが腹持ちが良くて容積が少ないぶん、パンが主食の欧米より少なくともここだけは有利そう。連合軍は航続距離より空母運用を重視してたから機上食を重視してたかどうかは置いといて…
まあ、入れるより出る方が大変案ですけどね。宇宙に行ける技術があっても解決できない
零戦の欠点は、飛行中にうんこができないことだ。機上で、そのまませざるを得なかった人もいたに違いない。
水分と出す方が重要ですね。大っきい方はどうなるんでしょうか
ラボール=ラボウル=ラバウル=栄光のラバウル航空隊
会計課?の人間がパイロット候補生に「おまえたちは良いもん食いすぎてる!」って増加食もらうためのハンコ押さなかったから教官やってた坂井三郎が練習機のテスト飛行に誘っておもくっそアクロバット飛行やってダウンさせて「パイロットって大変なんだぞ!」って叩き込んだ的なエピソードもあったな
海上自衛隊の対潜哨戒機の搭乗員には弁当が支給されてて冷凍弁当(電子レンジ)で解凍されました
ラボールってラバウルの事ですかね…
単座戦闘機のうんことしっこはどうしてたんですかね
wikiの「海軍カレー」見ました 金曜カレーって別に旧日本海軍の伝統でもなんでもなかったんですってね
どんな状況下でも必須なのは飲食と排泄と睡眠。なのに映画なんかはこれらを無視して大活躍するんだよね。食料も持たずに旅を続け、ガンガン戦うとかね。
203空のP--3Cナンバー33号機は数年前用廃になりましたがここで在りし日の姿が見れてよかったです😊
トイレの方が気になる。大は済ませて乗るとしても、小は我慢出来ない筈😢
かんぴょう巻きとサイダー!
零戦のパイロットの朝はかんぴょうを煮る所から始まったらしい。
仕事は遣る気と集中力と忍耐力ですね! 体力差もありますが最後までやり続けた方が最後に生き残れる方です。
職業に貴賎を持たれる方は生き残れません。
戦時中の日本兵が書いた本を読みましたけど、敵機が飛び交うさなかに炊事するから煙が良い標的になったそうです。
必死に仰いで煙をかき消そうとしたり涙ぐましい努力をしたそうですが意味が無かったそうで。江戸時代と何ら変わらない軍隊でこんなんじゃ勝てる訳ないと確信したそうですね。
零戦の滞空時間は型式に依るけど最長機種だと12時間を超える。
そして戦闘機乗りの携帯食は海苔巻きか五目稲荷寿しで各自バナナやサイダー、羊羹なんかを持ち込むらしい。
因みに赤飯おにぎりとかも出た事あったらしいけど冷えると硬くなり過ぎてバチクソに不評だったとか…
逆に電熱器とかも装備してる二式大艇なんかは酢飯の酢がキツ過ぎて寿司類は不評、赤飯は腹持ち◎で好評だったらしい。
だからフィリピンが攻撃されたときに敵軍は「絶対どこかに空母がいる」と言って血眼になって捜したけど見つからず。
それもそのはずで襲撃した日本海軍の零戦は台湾から飛来していたという話があったな。
8時間も機内でいたらトイレはどうしたのか教えてもらえませんか
坂井三郎さんは、航空弁当とかバナナを持っていた、なんて書いて居られた様です。ラバウルに新任の主計官が来た時に、飛行機乗りだけに特別とは許せん!と、切ってしまったとか(笑)
昔、子供向けの「太平洋戦記」に、真珠湾だったかレイテ沖だったかに向うゼロ戦の機内弁当として「卵焼きに昆布巻、熱い薩摩汁」とあった。門出の初出撃なら、赤飯だったかも知れない。
空自時代、F-86、F-104、F-4に搭乗しましたが、コクピットなんて、凄く狭いですよ。
トイレ事情も気になる
戦争漫画で海苔巻きは具材関係なく戦場という鉄火場で食べるから鉄火巻きとパイロット達から呼ばれていたと書かれていた。
サイダーを支給される事もあったそうです。
坂井三郎氏の著書にありましたね。飛行中うっかり栓を開けてしまいサイダーが噴き出てキャノピーの内側が砂糖でベタベタになってしまったとか。
稲荷寿司とサイダー2本が標準的でした。
飲み終わった瓶は・・・小便入れて外に捨てたそうです
@@isaushi7558 瓶だと機体後部破損の可能性がある為ゴム製小便袋で捨てたそうです尚、攻撃機複座で後席上官だった時、上手く外に捨てられず上官の顔を直撃して作戦終了後大変だったそうです、わざとしたのかも?
!(^^)!
てっきりヒロポンでブーストして飲まず食わずで戦ってたのかと思ってた
トイレはどうしてたんですか?
ワイは熱いうどんを食べたいンゴ…
食べたら出るモノもあると思うんだけど、零戦で8時間飛んでる間に便意をもよおしたらどうしてたんだろう???
錨のマークがついた弁当なんて見たことねぇw
坂井三郎氏の著書だとサイダーも支給されていたみたいですね。高カロリーの液体ですので機上食としては最適。ちなみに氏は地上で一度開栓するのを忘れ高高度で開栓…。キャノピーにサイダーをぶちまける事に。高高度で空気が乾燥しているのであっという間にサイダーは乾燥、砂糖等がガラスにへばりつき見通しが最悪の中会敵。氏の初負傷はうっかりミスから と言うエピソードが載って居ましたね
ヒロポンは思いだせたけどドイツの覚醒剤入りのキャンディーは何て言ってたかな?
調理自動車はあるには、あったが数が少な過ぎほぼほぼ知る人はなかった
ドイツの戦闘機もイギリスのスピットファイアもそもそも航続距離短いから機上食要らない。