家康は秀康のことをどう思っていたのか
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- Опубліковано 1 сер 2024
- 今回の歴史の細道は、
『家康は秀康のことをどう思っていたのか』について紹介していこうと思います。
~目次~
0:00 オープニング
1:48 そもそもなぜ不仲説があるのか
3:02 分かってきたことも多い
5:31 秀吉への養子
6:09 上杉への後詰
7:12 ではなぜ家康と秀康の不仲説があったのか
9:55 むしろ立場を弁えて良好な関係だったとの声もある
10:32 まとめ
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ナレーション:真加藤沙織
脚本・監修:歴史の細道
#上杉謙信 #歴史解説 #結城秀康 - Розваги
秀康の母はかなり正室築山殿にいびられていたと聞きます…。秀康を嫌っていたと言うより家康は築山殿に遠慮し目通りもかなわず…。弟秀忠は正室お江の方に遠慮し幸松の目通りがかなわず…親子は似ますね…。
秀康のエピソード読むと武将としては素質ありましたから、関ヶ原の直後に豊臣家と戦争するなら秀康が後継者の方が良いから本多正信は秀康を後継にすべきだと主張したのかも知れませんね。
実際の秀康は特段父と険悪だったという資料はないですし、なんなら猛将というイメージも秀康自身は将として戦った経験は一度も無いんですよね
「時代と権力者に翻弄されて将軍になれなかった悲運の猛将」と脚色した方が面白いので仕方ないというか
漫画『花の慶次』では「いくさ人(武人)としての資質を持ちながら、一度も戦場で戦えなかった悲運の男」として描かれていましたね。
福井藩は 江戸時代は「将軍の兄の家」と尊重されている以上、
家康と秀康不仲説は、嘘っぽいな😅
秀吉は本当は官兵衛をどう思っていたのか
動画リクエストお願いします🙇
予想は付きますが😆
細道様 じっくり様のさらなる発展をこれからも応援しております
byファントム
母親の身分の低さで嫡男になれない例は多い。織田信広しかり、伊達秀宗しかり
秀康のお母さんは身分が低かったから。
👏👏👏👏👏👏👏👏良い発言 ありがとう
羽柴家に人質には異父弟が挙げられるましたが、母於大の説得にて秀康卿になったと我が家には、伝わっています。越前家全体の石高を考えると尾張家より多いです。御三家の支藩は、高松藩を除けば秀康卿一門の優遇が。参河守家子孫より。
んー息子の中でも秀康は扱いにくいからなぁでも客観的に見れば
秀康がもし将軍になっていたら
関ヶ原は遅刻せず済んだかもしれませんね
忠吉の方が本来素質ありそう
秀忠は政治家としては優秀だけど
戦術家としては戦がとてつもなく下手
昌幸の罠にまんまとハマり攻めかかり大敗結果本戦の関ヶ原の大遅刻
大坂の陣では大軍を動かしすぎて兵が疲弊
おギイ様は、豊臣派になったので、…