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当時のF1予選日に鈴鹿サーキットに近付くと、30mくらい向こうで車が思い切りエンジン吹かしてるくらいの音量が遥か山向こうから響いて来てて「何じゃこりゃ!!?」て思った。S字抜けて逆バンク駆け上がって行く時の真後ろ側に位置する観戦エリアで、「音には圧力が有る」て事を実感した。音に身体押されたのは初めてだった。
アクティブサスペンションの説明が非常に興味深かったです最高速度に必要なのはエンジンだけではなく出力を路面に伝える高いシャシ性能があるのがよくわかりました
そのアクティブサスペンションの集大成がFW14B。マンセルはスッパリとアクティブサスに特化したドライビングスタイルに適応したのに対し、パトレーゼはなかなか慣れなくて苦労したそうです。さらに余談。元々、ホンダは86年限りでのウィリアムズへのエンジン供給を辞めるつもりでしたが、フランクの事故で延長した経緯があります。今は絶版ですが桜井氏の著書「覇者は何処へ」にウィリアムズとのエンジン供給終了の経緯が少し書かれています。
定期的に反面教師になってくれる99年のフライングメルセデスw
たちてちとてちちまつちちにたちたむつちたちてとてまfgwbegggeggeeegggggjzxggxgggつまつちちたちたとたちとちつむまてちてつちちてなた51なまにはなたなむfeggwgeeg455551595774575575775:みむなまなめなににffgeegggweegggeffff4455ぬみなreviewfggfwgb595511155ぬ
内心なあえたあはにぬにまぬなまffwgjxfxg
なたはむなまにまはぬあなになあらばにまてみなぉにあ
悲しいなー😂
面白かった!! 以前より説明がディープになった上に、マシン走行のCGがとても良く出来ていて、ターボF1時代の低くて図太いエンジン音もいい! 当時をイメージ出来る映像!
4:04 ヨーロッパ勢にとってHondaの活躍は良いものではないっていうのが真相ですよね。今でもF1は日本やアメリカであれだけ人気あっても「欧州人の貴族の余興」ですからね。
パワーウォーズの時代であってもトータルパッケージが優れている方がやっぱり速かったんだな。
個人的には歴代のF1マシンで最も美しく、筋肉質でパワフルだと思う。カラーリングを含めてこれを超えるマシンはない。ピケとマンセルはいい時代を生きたよなあ。
当時の主役はセナだけではなく彼ら2人もまた主役でしたね。
自分もFW-11と11Bが好きです。カラーリング、スタイリングに先進性が表れていると思います。
相変わらず痒いところにまで手が届く詳細なつくりの動画で大満足次回作も楽しみです まあホンダは車体云々言ったんだろうけどウィリアムズはディフューザー効果高めるためにすでに横置きギアボックスを開発中だったしFW09→FW10→FW10B→FW11→FW11Bとガラリとモノコック素材や作り方からサスペンション構成からウィング形状から変えて来てるんでそんなん言われんでも分かっとる!って感覚だったんだろうな
FW11Bのリアウイングのサイドにキャノン50周年のステッカーが付いてましたよね…
当時は、パワステがないから、腕の力がすごく必要
動画UPお疲れ様です。この頃のF-1マシンはやっぱりカッコいいですよね。FW11Bのアクティブサスペンションは、ピケのみが使用していて、マンセルはロータス時代のトラウマで、使用を拒否していましたね。この当時のF-1は非ヨーロッパ系には冷たい傾向で、ピケ、セナなどブラジル人とホンダ寄り添う事が多かったですね。
おおおおおおおおマクラーレンホンダよりウィリアムズホンダのほうが好きだw
鈴鹿で生音を聞いたけど、野太くてえげつなくてすごく良い音でした!
特に、ピケのヘアピン立ち上がりは回転リミッターをバンバン利かせて4台の中で一番迫力有りましたただ、音質下品で煩いだけならDFZの方が上でしたが87年のターボエンジン勢ではホンダはタービン音など全く聞こえない程野太くパワフルなサウンドでした
@Accelerating change当時、生で本気走りを見られた方が羨ましいです。自分は数年前のF1で、決勝前のデモ走行でしたので。
@@結石結石 さん87年にギリギリ中学生に成っていたと言う生まれたタイミングと三重県の隣県に住んで居た事がラッキーでした
極東の一自動車メーカーが意地を見せつけた瞬間でしたねどんなに不利になろうと技術力とプライドで勝ち続ける。それがこの後のマクラーレン・ホンダ最強列伝に繋がっていくんだと考えるとすごい時代だったと思います。どのモータースポーツにおいても日本勢が活躍していると弱体化&レギュレーション変更。面白くないって気持ちも分からなくはないですが、露骨な日本省きはいい加減にしてくれと思います
別にF1のターボ規制はホンダ潰しじゃないですよ。ル・マンのロータリー廃止もそうですが日本勢が活躍していると弱体化&レギュレーション変更ていうのは都市伝説みたいなもんで根拠がないです。そういう風の物語であった方が面白いのは分かりますが。
@@ええああ-t2u 自動車レースはそうかも知れんがスキージャンプや柔道、他のスポーツでは結構ありますけどね。米国よりいつもヨーロッパなんだよ難癖つけて来るのはな、いつまでも18世紀19世紀とでも思っているんだろうか(笑)。
@@tommylee2064 スキージャンプは高身長が有利になるから日本潰しと言われましたがその後も低身長の選手も普通に優勝しています。柔道はむしろタックル柔道で一時期日本が勝てなくなりむしろ日本側から1本重視にするよう要求したと記憶してますが。他のスポーツが具体的に何を指すのかは知りませんが、有名な水泳のバサロに関しても別に日本潰しではありませんよ。
@@ええああ-t2u 確かにWRCでの死亡事故やF1でもテスト走行時の死亡事故がありそれがきっかけでしたよね。仮にそれが(大義名分)であったとしても、当時はそれが求められていた時代でした。
私が高校一年生だった1986年、若い頃の木村太郎さんがNHKのニュースでトップニュースとして扱った、ウィリアムズホンダのコンストラクターチャンピオン。たまたま視ていたが、スポーツニュースとして扱うようなネタをトップニュースとして扱う様子は、木村太郎さんも最初に、まず最初のニュースはクルマの話です云々という一言でこれはかなりすごい話なんだなと思ったな。なお、次にF1がNHKのトップニュースになったのはセナのイモラの事故だった。以前、総監督の桜井さんが、2000馬力も夢ではない云々と言っていたような?1991年秋、熊本のホンダのイベントでNAのマクラーレン、ロータス100Tとこのマシンの走りを見たけど、ターボの空振がかっこよくて、NAとは違った迫力を味わった。この頃はバブル崩壊の兆しを感じつつもF1ブーム。桜井さんがコースをデザインしたオートポリスがオープンしたり佐賀のバルーンフェスタで中嶋さんが河川敷でF1を走らせた。中谷さんはロータスで走ったけど、会場アナウンスではナカタニさんと間違って紹介されていたな。ちなみに佐賀のバルーンフェスタでは2019年佐藤琢磨選手もGTで走った。毎年歌いにくる葛城ユキとたまにF1が走る佐賀のバルーンフェスタ。協賛企業にホンダがいるから、いずれF1がまた走ると期待している。先日亡くなった葛城ユキさんの冥福を祈りたい。なお、葛城ユキさんは1983年にボヘミアンを大ヒットさせたが、その頃ケケが荒馬のウィリアムズホンダと格闘していたんだな。私は中学高校時代、無線やパソコンにはまっていたけど、その頃のパソコン技術だとフルアクティブは無理だろう。雑誌ラジオライフで鈴鹿のセナ2位の無線傍受に成功したな。ちなみに飛んでいる電波を聴くのは盗聴ではなく傍受という。盗聴とは自分から送信機を仕掛けに行って電波を受信する行為をさします。
確かNピケ仕様のFW11Bはマンセルよりも少しでも優位に立つためにギリギリまで高さを低くしたロールバーの仕様もあったなこの当時のマンセルはアクティブサスに懐疑的だったからリアクティブ仕様のマシンは選ばなかったんだよね
マンセルはロータス時代にアクティブ・サスペンションのテストドライバーやってたので、色々とポンコツ具合を身に沁みて知っていたそうだからね。と、パトリック小父さんが何かのインタビューで話していたよ。一方でアクティブ・サスペンションの挙動の癖も思い知っていたので、一旦実戦投入出来ると確信したら直ぐに乗りこなせるようになったとも。
1987年といえばフジテレビの「F1グランプリ」が放送開始された年でしたね。あとは鈴鹿サーキットで10年ぶりの日本グランプリが開催された年でもあります。初開催の鈴鹿でマンセルが予選中にクラッシュして病院に搬送され結果、ピケがワールドチャンピオンになるました。それとウィリアムズはチャンピオンドライバーになったら解雇するチームとして有名です。
シルバーストーンでのマンセル対ピケのバトルマジで好き
アクティブサスが本当にカッコよかった
中島選手がロータスで頑張っていたころ、日本では星野選手がホンダF1エンジン開発していました・・・
鈴木利男とジェフ・リースも…
この車が学校に来た時は、びっくりしました。トレーラーから降ろされてエンジンかけた時は、隣の病院からクレームが来ました。窓ガラスが震えて地震かと思ったそうです。他のエンジンよりも10%位燃費が良かったみたいですね。その為他のエンジンが使えない回転数回せた?そうです。
過給圧規制がある状況では、高回転化が有効だったらしいですね。
ポップオフバルブを加給圧が一番低く検出される位置に取り付けていたなんて話しもありましたね。
それを発展させたのがCART時代のエンジンです。
FW-11とFW-11Bの見分け方:スポンサーのICI(イギリスの化学会社)のロゴマークが変わった。ICIのマークは海から昇る太陽を表してるそうで、会社の業績上がって企業規模大きくなったので、波を表す波線がちょっと下に移動した…。なんて話を当時グループ企業の人から聞かされた。………冗談半分だったかも。
87年鈴鹿の予選で無理したマンセルが派手に事故って車椅子乗って日本を去る事になり、ピケのチャンピオンが確定したんだっけ。優勝はフェラーリのベルガーだったかな?
FW11やFW11Bが、もし本当に1,500馬力だったら、どのような結果になるのか気になりますね。CVTを搭載したFW15Cのテスト車なんかも取り上げてもらえたら嬉しいです。
設計の河本さん(1992年のPLかな?)は1500馬力出ていたと仲間内の会話では主張していたけど実際は無理あるかな?
もしピークパワーだけを追求していたら、大型タービンをつけてピーキーになり過ぎる特性で勝てなかったでしょうね…当時のレシプロ系もギリギリの耐久性でしたしそこがネックになり破損しまくったでしょう。(あくまでも推測ですが。)
エンジンパワー(トルク)に対してタイヤが持たないな。86~87年シーズンにおいてウィリアムズチームがグッドイヤーに対してもっと固いタイヤを作ってくれと要求し続けていたが固め仕様のBコンパウンドをもってしても満足のいくスペックが得られなかった。仮にタイヤが持ったとしてもドライブシャフトが折れまくりだったであろう。
パーツサプライヤーを蔑ろにする傾向がその後も続いて、結局2006年以降の低迷へと続くんだよな。
それだけでなくワールドチャンピオンまで蔑ろにしたツケだよ。
エンジンサプライヤーをパーツサプライヤーとは…🤣
@@fw11bred5 その程度の突っ込みしかできないなんて芸がないなw勉強しろよクソガキw
ドライバー、エンジン、シャーシも素晴らしいですが路面にパワーを伝えるタイヤの解説もお願いします。
この当時、セミアクティブサスペンションとか言われてたような気がする。
伝説を語ったということは次はMP4/4来るのかな?
櫻井総監督が迫力ありましたよね。
TVではいつもどこか強面なイメージでしたよね。ところがこの頃、しげの秀一の「バリバリ伝説」の世界GP編で、二輪のホンダチームの総監督で「梅井松夫」という桜井監督にソックリのキャラが出て来て吹き出しました。坊っちゃん刈りの髪型がリアルで、一目見て誰がモデルか一目瞭然でした。
若いのに和光研究所のECAになっていて会社の金を遣いまくってたやつだけどね🤣🤣🤣
この調子でフェラーリの苦悩の時代(=1991~93シーズン)の展望映像を見せて欲しい。
霊夢の 10:52 「えっ!」がイイ
FW14Bのアクティブサスは超有名でしたけど、FW11Bのときから使われていたのか。
リクエストです 来年2023年はルマン100週年の節目ということでトヨタgr010やポルシェ963といった現代のwecプロトタイプカーの解説をお願いします
やっぱり 不運の男ナイジェル マンセルこのマシーンに乗りながら 事故により ピケに タイトルを持って行かれた
カラーリングがバッチグー😆⤴️💓
バブルマネーがジャブジャブ
@@井実芳仁 1986年はプラザ合意の前なのでバブル前です。
fn2型のシビック…。嬉しい。
あん時のホンダターボエンジンは、正しく史上最強だったよ。ただ、ヨーロッパ勢は強いモンを叩くだけの無能
メルセデスだけでなくポルシェも飛んでいる
足回りの進化すると車体暴れないからねー安定して踏めるんだって😗
何事もはかないのがF1なのかも
鈴鹿で見ました。ヘアピンコーナーに陣取って。
当時ホンダのスタッフだった小倉さんが言うには87年のウィリアムズのピット作業はピケのほうが必ず遅かったそうで…
アイツは本社の所詮、広報だったから、言うことはアテにならないよ。個人的な思い込みが酷いし。
当時の資料1986年でも約1200馬力という記述しかありません。実際和光研究所のベンチには1000馬力ダイナモしかありませんでした。1987年の性能測定も過給圧はある一定数値に決めてテストしていました。なので1500馬力はありませんね。因みに1987と1988のPOVは開弁機構が異なっており、閉弁挙動が異なりました。
約1200馬力というのは1160馬力という記述だったかな。
いやぁー懐かしいなぁ
次はMP4/4かな?
ポップオフバルブは、結局ホンダが製造して全チームに供給したのでは無かったのかな。しかし両雄並び立たずですね。それぐらいの気持ちを持ってないと、F1でトップは張れないんでしょうけどね。日本人にはメンタル的に、厳しいことでしょうね。
ポップオフバルブを自分で作るあたりは昔のF1だね。今じゃ絶対「これ以外は使うな」って制限をかけられると思う。というか、バレストルさんは何か言わなかったのかな?
バレストルは破竹の勢いのホンダに眉唾だったのでhondaには勝たせたくなかったから、この頃はhonda vs バレストルといった構図があったと思う。
90年代初頭は更にあからさまになったように感じたな。
バレストルはルノーがF1から一時撤退する際「F1にイエローはいらない」と今だったら大問題になるような発言をしてる。それに対し桜井氏は「ルノーの功績は認めるが、彼らはレースに負けただけ」と反論してる。
FW11Bにもアクティブサスが採用されていたんですね。
マンセルの体感的な話はある意味重要なんだよ。
FW11が1500PSになった感じのトラクションが感じられたのでしょう。
次は最強のMP4/4かな?MP4/5Bも作って欲しい~
マンセル派だったのに、92年にウィリアムズは何であんな仕打ちしたんだろう…。
セナLOVE。確かに当時最速ドライバーでしたから。
日本でフルのF1中継が始まったのが1987年。FW11Bは16戦9勝と速かった。マンセルが圧倒的に速くてNO.1ドライバーのピケがいつもマンセルに負けて2位になってたのが印象に残っている。でもピケは2位にたくさん入ってポイントを稼いでワールドチャンピオンになった。翌年のマクラーレンMP4でセナとプロストが16戦15勝したが、87年のFW11Bもセナ・プロが乗っていたら近いものだったのではなかろうか。
中廊下
正直おれもそう思う。セナやプロストのような神がかった早さは感じない。ピケの凄さはベルがーやマンセルのようにセナやプロストを凌ぐ一発の早さはあった訳でもないが、何時も上位にいる安定感だと思う。
@@modelinglinkcraft9925 何言ってるのか全然分からないです。私は「悪辣なウイリアムを違約金を払い契約一年を残してマクラーレン へホンダがスイッチした経緯を隠蔽する」とか「マンセル本人とパトリックらのチームのインキは隠す」とかしていません。ですから「何故隠蔽するの?」とか「そろそろ辞めたら?」とか言われても。
ポップオフバルブはかなりひどい代物で一度開くと加給圧2barくらいまでは閉じなかったとか。そんなんだからホンダは加給圧コントロールしてギリギリ開かない加給圧をキープしていたと。
ベルヌーイの法則を利用する為吸気コレクタータンクの最も吸気流速が速くなる場所にポップオフバルブを設置し、取り付け角度も様々に試していたそうです。
ウイリアムズF11Bだったんだ!
ピケのヘルメットがおかしくないですか?
レース用エンジン発送テストでは700馬力台しか出ない条件で試験してたんだけどな。
馬力だけでモノをいうのはおかしくて、回転数とトルクを考慮しないとBMWとの比較にはならんぞ。
回転数とトルクの積が馬力なので、馬力で比較すれば良いのです。
リアウィングエンドプレートのキャノン50周年マークと段差がねーぞ!
1987はCDI採用な点も見落とすなよ!
元中の人のワイが来たよー。
当時のF1予選日に鈴鹿サーキットに近付くと、30mくらい向こうで車が思い切りエンジン吹かしてるくらいの音量が遥か山向こうから響いて来てて「何じゃこりゃ!!?」て思った。
S字抜けて逆バンク駆け上がって行く時の真後ろ側に位置する観戦エリアで、「音には圧力が有る」て事を実感した。音に身体押されたのは初めてだった。
アクティブサスペンションの説明が非常に興味深かったです最高速度に必要なのはエンジンだけではなく出力を路面に伝える高いシャシ性能があるのがよくわかりました
そのアクティブサスペンションの集大成がFW14B。マンセルはスッパリとアクティブサスに特化したドライビングスタイルに適応したのに対し、パトレーゼはなかなか慣れなくて苦労したそうです。さらに余談。元々、ホンダは86年限りでのウィリアムズへのエンジン供給を辞めるつもりでしたが、フランクの事故で延長した経緯があります。今は絶版ですが桜井氏の著書「覇者は何処へ」にウィリアムズとのエンジン供給終了の経緯が少し書かれています。
定期的に反面教師になってくれる99年のフライングメルセデスw
たちてちとてちちまつちちにたちたむつちたちてとてまfgwbegggeggeeegggggjzxggxgggつまつちちたちたとたちとちつむまてちてつちちてなた51なまにはなたなむfeggwgeeg455551595774575575775:みむなまなめなににffgeegggweegggeffff4455ぬみなreviewfggfwgb595511155ぬ
内心なあえたあはにぬにまぬなまffwgjxfxg
なたはむなまにまはぬあなになあらばにまてみなぉにあ
悲しいなー😂
面白かった!! 以前より説明がディープになった上に、マシン走行のCGがとても良く出来ていて、ターボF1時代の低くて図太いエンジン音もいい! 当時をイメージ出来る映像!
4:04 ヨーロッパ勢にとってHondaの活躍は良いものではないっていうのが真相ですよね。今でもF1は日本やアメリカであれだけ人気あっても「欧州人の貴族の余興」ですからね。
パワーウォーズの時代であってもトータルパッケージが優れている方がやっぱり速かったんだな。
個人的には歴代のF1マシンで最も美しく、筋肉質でパワフルだと思う。カラーリングを含めてこれを超えるマシンはない。ピケとマンセルはいい時代を生きたよなあ。
当時の主役はセナだけではなく彼ら2人もまた主役でしたね。
自分もFW-11と11Bが好きです。カラーリング、スタイリングに先進性が表れていると思います。
相変わらず痒いところにまで手が届く詳細なつくりの動画で大満足
次回作も楽しみです
まあホンダは車体云々言ったんだろうけどウィリアムズはディフューザー効果高めるためにすでに横置きギアボックスを開発中だったし
FW09→FW10→FW10B→FW11→FW11Bとガラリとモノコック素材や作り方からサスペンション構成からウィング形状から変えて来てるんで
そんなん言われんでも分かっとる!って感覚だったんだろうな
FW11Bのリアウイングのサイドにキャノン50周年のステッカーが付いてましたよね…
当時は、パワステがないから、腕の力がすごく必要
動画UPお疲れ様です。
この頃のF-1マシンはやっぱりカッコいいですよね。
FW11Bのアクティブサスペンションは、ピケのみが使用していて、マンセルはロータス時代のトラウマで、使用を拒否していましたね。
この当時のF-1は非ヨーロッパ系には冷たい傾向で、ピケ、セナなどブラジル人とホンダ寄り添う事が多かったですね。
おおおおおおおお
マクラーレンホンダよりウィリアムズホンダのほうが好きだw
鈴鹿で生音を聞いたけど、野太くてえげつなくてすごく良い音でした!
特に、ピケのヘアピン立ち上がりは
回転リミッターをバンバン利かせて4台の中で一番迫力有りました
ただ、音質下品で煩いだけならDFZの方が上でしたが
87年のターボエンジン勢ではホンダはタービン音など全く聞こえない程
野太くパワフルなサウンドでした
@Accelerating change
当時、生で本気走りを見られた方が羨ましいです。
自分は数年前のF1で、決勝前のデモ走行でしたので。
@@結石結石 さん
87年にギリギリ中学生に成っていたと言う生まれたタイミングと三重県の隣県に住んで居た事が
ラッキーでした
極東の一自動車メーカーが意地を見せつけた瞬間でしたね
どんなに不利になろうと技術力とプライドで勝ち続ける。それがこの後のマクラーレン・ホンダ最強列伝に繋がっていくんだと考えるとすごい時代だったと思います。
どのモータースポーツにおいても日本勢が活躍していると弱体化&レギュレーション変更。面白くないって気持ちも分からなくはないですが、露骨な日本省きはいい加減にしてくれと思います
別にF1のターボ規制はホンダ潰しじゃないですよ。
ル・マンのロータリー廃止もそうですが日本勢が活躍していると弱体化&レギュレーション変更ていうのは都市伝説みたいなもんで根拠がないです。
そういう風の物語であった方が面白いのは分かりますが。
@@ええああ-t2u 自動車レースはそうかも知れんがスキージャンプや柔道、他のスポーツでは結構ありますけどね。
米国よりいつもヨーロッパなんだよ難癖つけて来るのはな、いつまでも18世紀19世紀とでも思っているんだろうか(笑)。
@@tommylee2064 スキージャンプは高身長が有利になるから日本潰しと言われましたがその後も低身長の選手も普通に優勝しています。
柔道はむしろタックル柔道で一時期日本が勝てなくなりむしろ日本側から1本重視にするよう要求したと記憶してますが。
他のスポーツが具体的に何を指すのかは知りませんが、有名な水泳のバサロに関しても別に日本潰しではありませんよ。
@@ええああ-t2u 確かにWRCでの死亡事故やF1でもテスト走行時の死亡事故がありそれがきっかけでしたよね。仮にそれが(大義名分)であったとしても、当時はそれが求められていた時代でした。
私が高校一年生だった1986年、若い頃の木村太郎さんがNHKのニュースでトップニュースとして扱った、ウィリアムズホンダのコンストラクターチャンピオン。たまたま視ていたが、スポーツニュースとして扱うようなネタをトップニュースとして扱う様子は、木村太郎さんも最初に、まず最初のニュースはクルマの話です云々という一言でこれはかなりすごい話なんだなと思ったな。
なお、次にF1がNHKのトップニュースになったのはセナのイモラの事故だった。
以前、総監督の桜井さんが、2000馬力も夢ではない云々と言っていたような?
1991年秋、熊本のホンダのイベントでNAのマクラーレン、ロータス100Tとこのマシンの走りを見たけど、ターボの空振がかっこよくて、NAとは違った迫力を味わった。
この頃はバブル崩壊の兆しを感じつつもF1ブーム。桜井さんがコースをデザインしたオートポリスがオープンしたり佐賀のバルーンフェスタで中嶋さんが河川敷でF1を走らせた。中谷さんはロータスで走ったけど、会場アナウンスではナカタニさんと間違って紹介されていたな。
ちなみに佐賀のバルーンフェスタでは2019年佐藤琢磨選手もGTで走った。毎年歌いにくる葛城ユキとたまにF1が走る佐賀のバルーンフェスタ。協賛企業にホンダがいるから、いずれF1がまた走ると期待している。
先日亡くなった葛城ユキさんの冥福を祈りたい。
なお、葛城ユキさんは1983年に
ボヘミアンを大ヒットさせたが、その頃ケケが荒馬のウィリアムズホンダと格闘していたんだな。
私は中学高校時代、無線やパソコンにはまっていたけど、その頃のパソコン技術だとフルアクティブは無理だろう。
雑誌ラジオライフで鈴鹿のセナ2位の無線傍受に成功したな。ちなみに飛んでいる電波を聴くのは盗聴ではなく傍受という。
盗聴とは自分から送信機を仕掛けに行って電波を受信する行為をさします。
確かNピケ仕様のFW11Bはマンセルよりも少しでも優位に立つためにギリギリまで高さを低くしたロールバーの仕様もあったな
この当時のマンセルはアクティブサスに懐疑的だったからリアクティブ仕様のマシンは選ばなかったんだよね
マンセルはロータス時代にアクティブ・サスペンションのテストドライバーやってたので、色々とポンコツ具合を身に沁みて知っていたそうだからね。と、パトリック小父さんが何かのインタビューで話していたよ。一方でアクティブ・サスペンションの挙動の癖も思い知っていたので、一旦実戦投入出来ると確信したら直ぐに乗りこなせるようになったとも。
1987年といえばフジテレビの「F1グランプリ」が放送開始された年でしたね。
あとは鈴鹿サーキットで10年ぶりの日本グランプリが開催された年でもあります。
初開催の鈴鹿でマンセルが予選中にクラッシュして病院に搬送され結果、ピケがワールドチャンピオンになるました。
それとウィリアムズはチャンピオンドライバーになったら解雇するチームとして有名です。
シルバーストーンでのマンセル対ピケのバトルマジで好き
アクティブサスが本当にカッコよかった
中島選手がロータスで頑張っていたころ、日本では星野選手がホンダF1エンジン開発していました・・・
鈴木利男とジェフ・リースも…
この車が学校に来た時は、びっくりしました。トレーラーから降ろされてエンジンかけた時は、隣の病院からクレームが来ました。窓ガラスが震えて地震かと思ったそうです。他のエンジンよりも10%位燃費が良かったみたいですね。その為他のエンジンが使えない回転数回せた?そうです。
過給圧規制がある状況では、高回転化が有効だったらしいですね。
ポップオフバルブを加給圧が一番低く検出される位置に取り付けていたなんて話しもありましたね。
それを発展させたのがCART時代のエンジンです。
FW-11とFW-11Bの見分け方:
スポンサーのICI(イギリスの化学会社)のロゴマークが変わった。
ICIのマークは海から昇る太陽を表してるそうで、会社の業績上がって企業規模大きくなったので、波を表す波線がちょっと下に移動した…。
なんて話を当時グループ企業の人から聞かされた。
………冗談半分だったかも。
87年鈴鹿の予選で無理したマンセルが派手に事故って車椅子乗って日本を去る事になり、ピケのチャンピオンが確定したんだっけ。優勝はフェラーリのベルガーだったかな?
FW11やFW11Bが、もし本当に1,500馬力だったら、どのような結果になるのか気になりますね。
CVTを搭載したFW15Cのテスト車なんかも取り上げてもらえたら嬉しいです。
設計の河本さん(1992年のPLかな?)は1500馬力出ていたと仲間内の会話では主張していたけど実際は無理あるかな?
もしピークパワーだけを追求していたら、大型タービンをつけてピーキーになり過ぎる特性で勝てなかったでしょうね…当時のレシプロ系もギリギリの耐久性でしたしそこがネックになり破損しまくったでしょう。
(あくまでも推測ですが。)
エンジンパワー(トルク)に対してタイヤが持たないな。
86~87年シーズンにおいてウィリアムズチームがグッドイヤーに対して
もっと固いタイヤを作ってくれと要求し続けていたが
固め仕様のBコンパウンドをもってしても満足のいくスペックが得られなかった。
仮にタイヤが持ったとしてもドライブシャフトが折れまくりだったであろう。
パーツサプライヤーを蔑ろにする傾向がその後も続いて、結局2006年以降の低迷へと続くんだよな。
それだけでなくワールドチャンピオンまで蔑ろにしたツケだよ。
エンジンサプライヤーをパーツサプライヤーとは…🤣
@@fw11bred5 その程度の突っ込みしかできないなんて芸がないなw勉強しろよクソガキw
ドライバー、エンジン、シャーシも素晴らしいですが路面にパワーを伝えるタイヤの解説もお願いします。
この当時、セミアクティブサスペンションとか言われてたような気がする。
伝説を語ったということは次はMP4/4来るのかな?
櫻井総監督が迫力ありましたよね。
TVではいつもどこか強面なイメージでしたよね。
ところがこの頃、しげの秀一の「バリバリ伝説」の世界GP編で、二輪のホンダチームの総監督で「梅井松夫」という桜井監督にソックリのキャラが出て来て吹き出しました。
坊っちゃん刈りの髪型がリアルで、一目見て誰がモデルか一目瞭然でした。
若いのに和光研究所のECAになっていて会社の金を遣いまくってたやつだけどね🤣🤣🤣
この調子でフェラーリの苦悩の時代(=1991~93シーズン)の展望映像を見せて欲しい。
霊夢の 10:52 「えっ!」がイイ
FW14Bのアクティブサスは超有名でしたけど、FW11Bのときから使われていたのか。
リクエストです 来年2023年はルマン100週年の節目ということでトヨタgr010やポルシェ963といった現代のwecプロトタイプカーの解説をお願いします
やっぱり 不運の男
ナイジェル マンセル
このマシーンに乗りながら
事故により ピケに タイトルを
持って行かれた
カラーリングがバッチグー😆⤴️💓
バブルマネーがジャブジャブ
@@井実芳仁 1986年はプラザ合意の前なのでバブル前です。
fn2型のシビック…。嬉しい。
あん時のホンダターボエンジンは、正しく史上最強だったよ。
ただ、ヨーロッパ勢は強いモンを叩くだけの無能
メルセデスだけでなくポルシェも飛んでいる
足回りの進化すると
車体暴れないからねー
安定して踏めるんだって😗
何事もはかないのがF1なのかも
鈴鹿で見ました。
ヘアピンコーナーに陣取って。
当時ホンダのスタッフだった小倉さんが言うには87年のウィリアムズのピット作業はピケのほうが必ず遅かったそうで…
アイツは本社の所詮、広報だったから、言うことはアテにならないよ。個人的な思い込みが酷いし。
当時の資料1986年でも約1200馬力という記述しかありません。
実際和光研究所のベンチには1000馬力ダイナモしかありませんでした。1987年の性能測定も過給圧はある一定数値に決めてテストしていました。なので1500馬力はありませんね。因みに1987と1988のPOVは開弁機構が異なっており、閉弁挙動が異なりました。
約1200馬力というのは1160馬力という記述だったかな。
いやぁー懐かしいなぁ
次はMP4/4かな?
ポップオフバルブは、結局ホンダが製造して全チームに供給したのでは無かったのかな。
しかし両雄並び立たずですね。
それぐらいの気持ちを持ってないと、F1でトップは張れないんでしょうけどね。
日本人にはメンタル的に、厳しいことでしょうね。
ポップオフバルブを自分で作るあたりは昔のF1だね。今じゃ絶対「これ以外は使うな」って制限をかけられると思う。というか、バレストルさんは何か言わなかったのかな?
バレストルは破竹の勢いのホンダに眉唾だったのでhondaには勝たせたくなかったから、この頃はhonda vs バレストルといった構図があったと思う。
90年代初頭は更にあからさまになったように感じたな。
バレストルはルノーがF1から一時撤退する際「F1にイエローはいらない」と今だったら大問題になるような発言をしてる。それに対し桜井氏は「ルノーの功績は認めるが、彼らはレースに負けただけ」と反論してる。
FW11Bにもアクティブサスが採用されていたんですね。
マンセルの体感的な話はある意味重要なんだよ。
FW11が1500PSになった感じのトラクションが感じられたのでしょう。
次は最強のMP4/4かな?
MP4/5Bも作って欲しい~
マンセル派だったのに、92年にウィリアムズは何であんな仕打ちしたんだろう…。
セナLOVE。
確かに当時最速ドライバーでしたから。
日本でフルのF1中継が始まったのが1987年。
FW11Bは16戦9勝と速かった。
マンセルが圧倒的に速くてNO.1ドライバーのピケがいつもマンセルに負けて2位になってたのが印象に残っている。
でもピケは2位にたくさん入ってポイントを稼いでワールドチャンピオンになった。
翌年のマクラーレンMP4でセナとプロストが16戦15勝したが、
87年のFW11Bもセナ・プロが乗っていたら近いものだったのではなかろうか。
中廊下
正直おれもそう思う。セナやプロストのような神がかった早さは感じない。ピケの凄さはベルがーやマンセルのようにセナやプロストを凌ぐ一発の早さはあった訳でもないが、何時も上位にいる安定感だと思う。
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何言ってるのか全然分からないです。
私は「悪辣なウイリアムを違約金を払い契約一年を残してマクラーレン へホンダがスイッチした経緯を隠蔽する」とか「マンセル本人とパトリックらのチームのインキは隠す」とかしていません。
ですから「何故隠蔽するの?」とか「そろそろ辞めたら?」とか言われても。
ポップオフバルブはかなりひどい代物で一度開くと加給圧2barくらいまでは閉じなかったとか。そんなんだからホンダは加給圧コントロールしてギリギリ開かない加給圧をキープしていたと。
ベルヌーイの法則を利用する為吸気コレクタータンクの最も吸気流速が速くなる場所にポップオフバルブを設置し、取り付け角度も様々に試していたそうです。
ウイリアムズF11Bだったんだ!
ピケのヘルメットがおかしくないですか?
レース用エンジン発送テストでは700馬力台しか出ない条件で試験してたんだけどな。
馬力だけでモノをいうのはおかしくて、回転数とトルクを考慮しないとBMWとの比較にはならんぞ。
回転数とトルクの積が馬力なので、馬力で比較すれば良いのです。
リアウィングエンドプレートのキャノン50周年マークと段差がねーぞ!
1987はCDI採用な点も見落とすなよ!
元中の人のワイが来たよー。