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👏👏👏👏👏素晴らすぃ〜〜
ありがとうございます😊
繁本先生の動画で、いつも勉強させて頂いております。私は、芸術美学、批評も専門的に学んでいるものですが、書道史についても関心を持ち、学んでおります。ところで、繁本先生が、時たまお使いになる言葉で、日本書道/中国書道の二項対立で論じられる部分については、首肯出来ません。そもそも、書道には、中国書道なる概念は、無い、と考えます。ただ、王羲之の技法、虞世南の技法、あるいは北魏碑の技法など、それぞれの書家、あるいは作品において固有性、特徴があり、一括りに「中国書道」という言辞は、むしろ書道史、書道の本質を見誤る根本原因にもなってしまうと思います。日本の三筆も然り、世界書道史の中の影響関係で、それぞれ様式を持っているものであり、決して、日本書道/中国書道の単純な区分け、二項対立では、無い、と思います。今一度、こちらの論点での先生のご見解を待つところです。よろしくお願いします。
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繁本先生の動画で、いつも勉強させて頂いております。私は、芸術美学、批評も専門的に学んでいるものですが、書道史についても関心を持ち、学んでおります。ところで、繁本先生が、時たまお使いになる言葉で、日本書道/中国書道の二項対立で論じられる部分については、首肯出来ません。そもそも、書道には、中国書道なる概念は、無い、と考えます。ただ、王羲之の技法、虞世南の技法、あるいは北魏碑の技法など、それぞれの書家、あるいは作品において固有性、特徴があり、一括りに「中国書道」という言辞は、むしろ書道史、書道の本質を見誤る根本原因にもなってしまうと思います。日本の三筆も然り、世界書道史の中の影響関係で、それぞれ様式を持っているものであり、決して、日本書道/中国書道の単純な区分け、二項対立では、無い、と思います。今一度、こちらの論点での先生のご見解を待つところです。よろしくお願いします。