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懐かしいチューリップの名曲ですねいくつになっても、感動します🌹
アップして下さってありがとうございます。声が〜‼️若〜い💞あの頃の不安な不安な気持ちがビンビン伝わってきますね〜。コーラスもベースも流石…小学生だったあの頃にはわからない伝わってくるもの…今だから感じられる1曲でした。
昔、初めてこの曲を聴いた時も、久しぶりに聴いた今も、また泣きました。
昨日、NHKの番組で財津さんが10年前に癌の治療や更年期が重なり歌を創る意欲も失い、声も出ず引退も考えていたと語られていました。でも今はまた少しずつ気力を回復しつつあると。 その番組の中でこの曲も出て 「そうだ昔この曲、私も好きで歌ってた」と思い出しました。財津さん、無理せずゆっくり歌っていって下さいね。貴重な音源をありがとうございました。
同級生がチューリップ好きだったので、私も聴くようになりました。故郷を離れ社会人になりいつも良い時もそうじゃない時もチューリップがいました。同級生の彼は今も、きっとチューリップが好きだと思います。
未来のチューリップをどの位想像していたのか。希望と不安に溢れていた頃だったんでしょうね。大きく開花して良かったです🌷😂
福岡ライブ喫茶「照和」で武田鉄矢さん、甲斐バンド、長渕剛さん、チューリップがアマチュアで歌ってましたね!
20歳ちょこっとで作れる歌詞ではないですね。才能の塊です。
50年前に福岡RKBのスタジオでのシングルデビューライブに行ったのを今でも思い出しています。財津さんからレコードを買ってくれたら、スタジオの壁に展示されているビートルズのポスターをあげると言われこのレコードを買ったのを鮮烈に思い出しています。私にとっても大切なチューリップのデビュー曲です。
高校の頃に出会って、中野サンプラザのコンサートにいつも行ってました。今から20年位前に神奈川県民ホールのコンサートで久しぶりにメンバーと再会しましたが、今ではギター安部さんのチューリップを聴けた事が良い想い出です。これからも応援しています。
名曲!
探しました!やっと聞けました。ありがとうございます。思い出の曲です。同じバンドマンとして同じステージに立てた事は自慢です。
ボーカルは財津さんです。テープを早回ししているようなので声が高く聞こえているだけです。
涙が流れます
中学1年生の時に、『魔法の黄色い靴』でTulipを知ってから、生活の一部として ずっと支えて貰っていたように感じます。あっという間に40数年過ぎていました。 また、コンサートに行きたいと思っていた矢先に、財津さんの病気の発覚。縦断コンサートの事は忘れて、十分に療養されて下さい。そして再び元気な歌声が聴ける事を楽しみにしております。
チューリップ万歳
なつかしいです。歌詞がいいですね。
とても若い時に作ったとは思えない歌詞。50歳くらいになって実感するような内容だと思う。老成してたのだろうか。
お若い頃、老人に憧れている?早く歳を取りたいと仰ってみえました。懐かしい青春の頃。私には理解できなかったけど、老成されていたんでしょうか。今、そのようなお年頃になられてどのようにお考えなんでしょうね。。。
ラジオ日本タブレット純の番組のプレイリストにあったので聴いてみました!この曲は初聴きです
泣けて😂
西南学院大の誇りです
超レアな音源ですね。レーベルもエキスプレスではなくリバティレーベルだったんですね。
cp80m ユーミンのデビュー曲の返事はいらないもリバティだったみたいですね!
daidai19696 赤い鳥もリバティでした。ジ オフコースはエキスプレスでしたけど。
いい曲!ジャケ写は…浅間山荘にこもりそうでなんか怖い…。
いい曲だね。アレンジ的に同時期の吉田拓郎のどうしてこんなに悲しいんだろうに近いものがある。コケッカキも聴きたいな〜。
このデビューシングル?激レアですよね
私は、ただのデビュー時からの一ファンに過ぎませんけれど、吉田さんと財津さんとの、人間関係の問題は無いと認識しています。吉田さんの事に必要以上に触れられないのは、個人情報プライバシーの問題もありますから‥‥。私の好きな曲、「G ive me a chance」は吉田さんが脱退された頃の曲で、吉田さんへの思いを財津さんが曲に託されたものだと思います。私的にはですけど、そう思いながら、いつも聴いています。
コーラスが鳥肌もの
ユニバーサルミュージックジャパンのベストCDにないかな🎵
財津さんの人生が小さければ、私の人生は何なのだろう。なんて、拗ねていてはいけませんね。
今だからこそ、この曲です。財津さんの復活を祈ります
たまたまコレをアップした翌日があのニュースだったのがショックでした…とにかく回復を祈ります…
アップされていたのに削除され、悲しい思いをしましたが、また、聞くことができるようになって、嬉しいです!財津氏の復帰を待っています。オーチャードホール、約束だよ!
たえちゃんの間奏、柱時計、置いてきた、そして、NO1は私の小さな人生。
苦楽を共にした財津さんと吉田さん。和解出来たら嬉しい。
吉田さんは財津さんと決別したわけでなく、実家の吉田屋コーヒー店を継ぐかどうか、迷った結果です。ですから8周年という半端な年にハワイのヒルトンホテルビレッジドームでコンサートしたのもライブでなくオリジナル曲で初めて2枚組のアルバムを出したのも、確執が原因ではないんですよ。もしそうならそんな企画はしないでしょう。
この曲は本当に誤解が多い。いまだに音楽関連書ではチューリップのデビュー曲は「魔法の黄色い靴」だと書かれるが、違うから。この曲がデビュー曲だから。それからこの曲がインディー盤との誤解。ジャケットの右下を見てほしい。「リバティー」のロゴが見える。かつての東芝の名門レーベルである。れっきとしたメジャー盤なのだ。つまり、「魔法の黄色い靴」は再デビュー盤もしくはセカンドシングルということになる。
あれ?姫野さんが?知らない曲だ...ありがとう!"魔法の黄色い靴"は知っとるけどな~~
このバージョンはテープの回転数を上げているので財津さんの声が甲高くなってしまっています。音声を抽出して、音声ソフトで一全音下げると財津さんらしい声に戻ります。
博多のビートルズ
私が今日まで 生きてきて 何がこの手に残ったろう生まれて死ぬまで 私は何をする お金をもらって何に使おう歩いても歩いても いつも一人だった 人はおかしな男と言うけれど 私の小さな人生は これからどんなに変るのか花の開く音も 人の歌う声も 私には淋しく聞こえてくるできることなら 死んで行くその日まで 歌を 歌って 生きて行きたい歌を 歌って 生きて 生きて 生きてゆきたい
nhk見ました。ライブアクト2しか知らずシングルverは初めて聞きました。とてもいい曲ですね。①写真の四人 吉田さん(手前)、財津さん(右)は分かるのですが、左・後ろの方はどなた? ②メインボーカルは誰?
声が違う気がする。財津さんではなく姫野さんがヴォーカルとってるのかな
またはなかんざしさんが噓のコメントをしてますね。吉田さんのご両親は教員で珈琲店の経営者ではありませんよ。
え?このレコードをあなたつまりアップ主さんが持ってることが大変なことですよ。このまえに、柱時計が十時半、ええとこの子のバラード、鼻毛の歌、ママがパパを愛したように、の、4曲シングルが実質的なTULIPのデビューで、福岡限定の今でいうインディーズですが、2千枚出したうち千枚が売れました。一都市で千枚というのは驚異的な数字です。その後この曲がリリースされますが、将来音楽でという不安を感じた二人がレコーディング翌日に辞め、発売当初に、海援隊から上田氏、ハーズメンというバンドから安倍氏、ライラックというバンドから姫野氏を呼んで今のTULIPになり、レコード店のキャンペーンでは、辞めた二人の顔にサインしたといういきさつです。その後、この時にディレクターをした東芝EMIの新田和長氏を頼りに、魔法の黄色い靴のデモテープをもって財津氏が単身で上京したことでメジャーデビューになります。
私もこの4曲が入ったレコードを中村学園大学?の近くのレコード屋で買いましたよ!20歳位でした!昔のレコードとか何処にいってしまったのかな?懐かしいです!もう50何も前の話です😂
やはり財津和夫ボーカルの方が好きです。
アマチュアのイメージ
財津さん、吉田さん、あと二人誰ですか?
弟むっくんのことを歌った曲。
視しように教え❗️(>_
懐かしいチューリップの名曲ですね
いくつになっても、
感動します🌹
アップして下さってありがとうございます。声が〜‼️若〜い💞
あの頃の不安な不安な気持ちがビンビン伝わってきますね〜。
コーラスもベースも流石…
小学生だったあの頃にはわからない伝わってくるもの…
今だから感じられる1曲でした。
昔、初めてこの曲を聴いた時も、久しぶりに聴いた今も、また泣きました。
昨日、NHKの番組で財津さんが10年前に癌の治療や更年期が重なり歌を創る意欲も失い、声も出ず引退も考えていたと語られていました。でも今はまた少しずつ気力を回復しつつあると。
その番組の中でこの曲も出て 「そうだ昔この曲、私も好きで歌ってた」と思い出しました。
財津さん、無理せずゆっくり歌っていって下さいね。
貴重な音源をありがとうございました。
同級生がチューリップ好きだったので、私も聴くようになりました。故郷を離れ社会人になりいつも良い時もそうじゃない時もチューリップがいました。
同級生の
彼は今も、きっとチューリップが好きだと思います。
未来のチューリップをどの位想像していたのか。希望と不安に溢れていた頃だったんでしょうね。
大きく開花して良かったです🌷😂
福岡ライブ喫茶「照和」で
武田鉄矢さん、甲斐バンド、
長渕剛さん、チューリップが
アマチュアで歌ってましたね!
20歳ちょこっとで作れる歌詞ではないですね。才能の塊です。
50年前に福岡RKBのスタジオでのシングルデビューライブに行ったのを今でも思い出しています。財津さんからレコードを買ってくれたら、スタジオの壁に展示されているビートルズのポスターをあげると言われこのレコードを買ったのを鮮烈に思い出しています。私にとっても大切なチューリップのデビュー曲です。
高校の頃に出会って、中野サンプラザのコンサートにいつも行ってました。今から20年位前に神奈川県民ホールのコンサートで久しぶりにメンバーと再会しましたが、今ではギター安部さんのチューリップを聴けた事が良い想い出です。これからも応援しています。
名曲!
探しました!
やっと聞けました。
ありがとうございます。
思い出の曲です。
同じバンドマンとして同じステージに立てた事は自慢です。
ボーカルは財津さんです。テープを早回ししているようなので声が高く聞こえているだけです。
涙が流れます
中学1年生の時に、『魔法の黄色い靴』でTulipを知ってから、生活の一部として ずっと支えて貰っていたように感じます。
あっという間に40数年過ぎていました。 また、コンサートに行きたいと思っていた矢先に、財津さんの病気の発覚。縦断コンサートの事は忘れて、十分に療養されて下さい。そして再び元気な歌声が聴ける事を楽しみにしております。
チューリップ万歳
なつかしいです。歌詞がいいですね。
とても若い時に作ったとは思えない歌詞。
50歳くらいになって実感するような内容だと思う。老成してたのだろうか。
お若い頃、老人に憧れている?早く歳を取りたいと仰ってみえました。懐かしい青春の頃。
私には理解できなかったけど、老成されていたんでしょうか。
今、そのようなお年頃になられてどのようにお考えなんでしょうね。。。
ラジオ日本タブレット純の番組のプレイリストにあったので聴いてみました!この曲は初聴きです
泣けて😂
西南学院大の誇りです
超レアな音源ですね。レーベルもエキスプレスではなくリバティレーベルだったんですね。
cp80m ユーミンのデビュー曲の返事はいらないもリバティだったみたいですね!
daidai19696 赤い鳥もリバティでした。ジ オフコースはエキスプレスでしたけど。
いい曲!ジャケ写は…浅間山荘にこもりそうでなんか怖い…。
いい曲だね。アレンジ的に同時期の吉田拓郎のどうしてこんなに悲しいんだろうに近いものがある。コケッカキも聴きたいな〜。
このデビューシングル?
激レアですよね
私は、ただのデビュー時からの一ファンに過ぎませんけれど、
吉田さんと財津さんとの、
人間関係の問題は無いと認識しています。吉田さんの事に必要以上に触れられないのは、個人情報プライバシーの問題もありますから‥‥。
私の好きな曲、
「G ive me a chance」は
吉田さんが脱退された頃の曲で、吉田さんへの思いを財津さんが曲に託されたものだと思います。
私的にはですけど、そう思いながら、いつも聴いています。
コーラスが鳥肌もの
ユニバーサルミュージックジャパンのベストCDにないかな🎵
財津さんの人生が小さければ、私の人生は何なのだろう。
なんて、拗ねていてはいけませんね。
今だからこそ、この曲です。
財津さんの復活を祈ります
たまたまコレをアップした翌日が
あのニュースだったのがショック
でした…とにかく回復を祈ります…
アップされていたのに削除され、悲しい思いをしましたが、また、聞くことができるようになって、嬉しいです!財津氏の復帰を待っています。オーチャードホール、約束だよ!
たえちゃんの間奏、柱時計、置いてきた、そして、NO1は私の小さな人生。
苦楽を共にした財津さんと吉田さん。
和解出来たら嬉しい。
吉田さんは財津さんと決別したわけでなく、実家の吉田屋コーヒー店を継ぐかどうか、迷った結果です。
ですから8周年という半端な年にハワイのヒルトンホテルビレッジドームでコンサートしたのも
ライブでなくオリジナル曲で初めて2枚組のアルバムを出したのも、確執が原因ではないんですよ。
もしそうならそんな企画はしないでしょう。
この曲は本当に誤解が多い。
いまだに音楽関連書ではチューリップのデビュー曲は「魔法の黄色い靴」だと書かれるが、違うから。この曲がデビュー曲だから。それからこの曲がインディー盤との誤解。ジャケットの右下を見てほしい。「リバティー」のロゴが見える。かつての東芝の名門レーベルである。れっきとしたメジャー盤なのだ。つまり、「魔法の黄色い靴」は再デビュー盤もしくはセカンドシングルということになる。
あれ?姫野さんが?知らない曲だ...ありがとう!"魔法の黄色い靴"は知っとるけどな~~
このバージョンはテープの回転数を上げているので財津さんの声が甲高くなってしまっています。音声を抽出して、音声ソフトで一全音下げると財津さんらしい声に戻ります。
博多のビートルズ
私が今日まで 生きてきて
何がこの手に残ったろう
生まれて死ぬまで 私は何をする
お金をもらって何に使おう
歩いても歩いても いつも一人だった
人はおかしな男と言うけれど
私の小さな人生は
これからどんなに変るのか
花の開く音も 人の歌う声も
私には淋しく聞こえてくる
できることなら 死んで行くその日まで
歌を 歌って 生きて行きたい
歌を 歌って
生きて 生きて
生きてゆきたい
nhk見ました。ライブアクト2しか知らずシングルverは初めて聞きました。とてもいい曲ですね。①写真の四人 吉田さん(手前)、財津さん(右)は分かるのですが、左・後ろの方はどなた? ②メインボーカルは誰?
声が違う気がする。財津さんではなく姫野さんがヴォーカルとってるのかな
またはなかんざしさんが噓のコメントをしてますね。吉田さんのご両親は教員で珈琲店の経営者ではありませんよ。
え?このレコードをあなたつまりアップ主さんが持ってることが大変なことですよ。
このまえに、柱時計が十時半、ええとこの子のバラード、鼻毛の歌、ママがパパを愛したように、の、4曲シングルが
実質的なTULIPのデビューで、福岡限定の今でいうインディーズですが、2千枚出したうち千枚が売れました。
一都市で千枚というのは驚異的な数字です。その後この曲がリリースされますが、将来音楽でという不安を感じた
二人がレコーディング翌日に辞め、発売当初に、海援隊から上田氏、ハーズメンというバンドから安倍氏、
ライラックというバンドから姫野氏を呼んで今のTULIPになり、レコード店のキャンペーンでは、辞めた二人の顔に
サインしたといういきさつです。
その後、この時にディレクターをした東芝EMIの新田和長氏を頼りに、魔法の黄色い靴のデモテープをもって財津氏が
単身で上京したことでメジャーデビューになります。
私もこの4曲が入ったレコードを中村学園大学?の近くのレコード屋で買いましたよ!20歳位でした!昔のレコードとか何処にいってしまったのかな?懐かしいです!もう50何も前の話です😂
やはり財津和夫ボーカルの方が好きです。
アマチュアのイメージ
財津さん、吉田さん、あと二人誰ですか?
弟むっくんのことを歌った曲。
視しように教え❗️(>_
博多のビートルズ