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39:03 シンバル!!!!!これはハース版にはなかったとおもいますテンシュテットはブルックナーの交響曲第4番において第1楽章の低弦の追加をしつつも第4楽章のシンバルは無しでしたが1981年のベルリン・フィルとのセッション録音を機に追加していますしかし、彼は交響曲第7番については当初から第3楽章のシンバルを採用していたことが伺えるようにかんじますこれはノヴァーク版(シャルク版)からとおもいます
ありがとうございます!!これはICAからもDVDになりましたね!!なぜICAはテンシュテットのDVDリリースをやめてしまったのかなあ…インゲ夫人が亡くなられたのも大きいでしょうけどこれはテンシュテットらしい暖かくパワフルな演奏で神聖というより人間臭い演奏に感じますときに狂おしいほどの盛り上がりをみせますこの演奏はたしかSyuzoさんのホームページのテンちゃんBBSでも田豊さんが「テンシュテットのブルックナー交響曲第7番ではいちばん良いのでは?」と仰っておられたような…(うろ覚え)この年はほかにBSOとウェーベルンの「パッサカリア」シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」、そしてICAから同じくDVDになったモーツァルト「ハフナー」やマーラー交響曲第4番も演奏しています珍しいところではテンシュテットはこの年ダラス交響楽団にも客演してブラームスの交響曲第4番を演奏していますこれはクルト・マズアも関係しているとおもいますマズアはダラス交響楽団でポストを得ていたとおもいますのでまたテンシュテットはマズアと友人でGeorg Wübbolt氏の評伝によるとライプツィヒ音楽院に在籍していたときは意外なことに両者に接点はなかったようでハレ歌劇場ではじめてお互いを知ったようですしかし、Norman Lebrecht氏の記事だったとおもいますがテンシュテットとマズアは幼少期から接点があったように記憶しています幼いころテンシュテットは天真爛漫でマズアはとてもおとなしかったそうですそれで親から「クラウスはどうしてクルトのようにおとなしくできないの?」と叱られたというエピソードが語られていたとおもったのですが戦時中はマズアは徴兵されて空挺部隊に、テンシュテットはバロックオーケストラに逃れますが結局空軍に在籍したようですまた、評伝によるとドレスデン空襲の際の遺体収容がトラウマになったという話はテンシュテットのつくり話のようですねズレた話を戻してこの年はベルリン・フィル、ロンドンフィル、ニューヨーク・フィルハーモニック、フィラデルフィア管弦楽団にもはじめて客演していますベルリン・フィルとはブルックナー交響曲第2番でデビュー、フィラデルフィア管弦楽団では同第7番でデビューしていますニューヨーク・フィルハーモニックにはプロコフィエフ交響曲第5番でデビュー(もうひとつのプログラムはマーラーの交響曲第5番)これはレコード芸術1979年12月号の三浦淳史氏によるタイム誌の演奏評の引用が掲載されています「二週間前にシンシナティ響との叙事詩的なブルックナー《第七交響曲》をふり、NYPで、鋼鉄のようで、微光を発するばかりなプロコフィエフ《第五交響曲》をふったテンシュテットは、インテリジェンス(知性)とパッション(熱情)の稀にみる融合を示した。」(『レコード芸術』1979年12月号「クラウス・テンシュテット 独墺系の本流をゆく50歳の新人」p257)と称賛されましたこのタイム誌の記事はネットで読むことができます!!また、この年の年末にあたる12月と1月に同じくニューヨーク・フィルハーモニックを振ってブルックナー交響曲第8番を演奏し絶賛されます(これは海賊盤にもなっていてわたしも所有しています!)翌、1978年も再びマーラーの交響曲第5番で客演の予定でしたが流れてしまったようです次の客演は1980年でマーラーの交響曲第5番を演奏また同楽団と米国内をツアーしていますこのツアー前後に演奏されたものがニューヨーク・フィルハーモニックの自主制作マーラー全集に収録されています(ニューヨーク・フィルハーモニックの話になってしまった)上記のなかのいくつもの貴重な音源をKei Kuki様はアップロードしてくださっていますね!!ありがとうございます!!!!!
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39:03 シンバル!!!!!
これはハース版にはなかったとおもいます
テンシュテットはブルックナーの交響曲第4番において第1楽章の低弦の追加をしつつも第4楽章のシンバルは無しでしたが1981年のベルリン・フィルとのセッション録音を機に追加しています
しかし、彼は交響曲第7番については当初から第3楽章のシンバルを採用していたことが伺えるようにかんじます
これはノヴァーク版(シャルク版)からとおもいます
ありがとうございます!!
これはICAからもDVDになりましたね!!
なぜICAはテンシュテットのDVDリリースをやめてしまったのかなあ…
インゲ夫人が亡くなられたのも大きいでしょうけど
これはテンシュテットらしい暖かくパワフルな演奏で神聖というより人間臭い演奏に感じます
ときに狂おしいほどの盛り上がりをみせます
この演奏はたしかSyuzoさんのホームページのテンちゃんBBSでも田豊さんが「テンシュテットのブルックナー交響曲第7番ではいちばん良いのでは?」と仰っておられたような…(うろ覚え)
この年はほかにBSOとウェーベルンの「パッサカリア」シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」、
そしてICAから同じくDVDになったモーツァルト「ハフナー」やマーラー交響曲第4番も演奏しています
珍しいところではテンシュテットはこの年ダラス交響楽団にも客演してブラームスの交響曲第4番を演奏しています
これはクルト・マズアも関係しているとおもいます
マズアはダラス交響楽団でポストを得ていたとおもいますので
またテンシュテットはマズアと友人でGeorg Wübbolt氏の評伝によるとライプツィヒ音楽院に在籍していたときは意外なことに両者に接点はなかったようでハレ歌劇場ではじめてお互いを知ったようです
しかし、Norman Lebrecht氏の記事だったとおもいますがテンシュテットとマズアは幼少期から接点があったように記憶しています
幼いころテンシュテットは天真爛漫でマズアはとてもおとなしかったそうです
それで親から
「クラウスはどうしてクルトのようにおとなしくできないの?」と叱られたというエピソードが語られていたとおもったのですが
戦時中はマズアは徴兵されて空挺部隊に、テンシュテットはバロックオーケストラに逃れますが結局空軍に在籍したようです
また、評伝によるとドレスデン空襲の際の遺体収容がトラウマになったという話はテンシュテットのつくり話のようですね
ズレた話を戻して
この年はベルリン・フィル、ロンドンフィル、ニューヨーク・フィルハーモニック、フィラデルフィア管弦楽団にもはじめて客演しています
ベルリン・フィルとはブルックナー交響曲第2番でデビュー、フィラデルフィア管弦楽団では同第7番でデビューしています
ニューヨーク・フィルハーモニックにはプロコフィエフ交響曲第5番でデビュー(もうひとつのプログラムはマーラーの交響曲第5番)
これはレコード芸術1979年12月号の三浦淳史氏によるタイム誌の演奏評の引用が掲載されています
「二週間前にシンシナティ響との叙事詩的なブルックナー《第七交響曲》をふり、NYPで、鋼鉄のようで、微光を発するばかりなプロコフィエフ《第五交響曲》をふったテンシュテットは、インテリジェンス(知性)とパッション(熱情)の稀にみる融合を示した。」
(『レコード芸術』1979年12月号「クラウス・テンシュテット 独墺系の本流をゆく50歳の新人」p257)
と称賛されました
このタイム誌の記事はネットで読むことができます!!
また、この年の年末にあたる12月と1月に同じくニューヨーク・フィルハーモニックを振ってブルックナー交響曲第8番を演奏し絶賛されます
(これは海賊盤にもなっていてわたしも所有しています!)
翌、1978年も再びマーラーの交響曲第5番で客演の予定でしたが流れてしまったようです
次の客演は1980年でマーラーの交響曲第5番を演奏
また同楽団と米国内をツアーしています
このツアー前後に演奏されたものがニューヨーク・フィルハーモニックの自主制作マーラー全集に収録されています
(ニューヨーク・フィルハーモニックの話になってしまった)
上記のなかのいくつもの貴重な音源をKei Kuki様はアップロードしてくださっていますね!!
ありがとうございます!!!!!