般若心経の神髄 空 シリーズ巡礼

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  • Опубліковано 10 лют 2023
  • 善男善女の皆様、こんにちは。
     今回の庭月観音仏教講座では、「観音様に捧げるお経 ~般若心経の神髄 「空」とは何か~」を解説していきます。
     この動画で、お経について学び、巡礼のお勤めを、実りある楽しい物にして行きましょう。
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КОМЕНТАРІ • 39

  • @watarukamimura3536
    @watarukamimura3536 5 місяців тому +4

    ややもすると迷路に入ってしまいそうな空の思想をとても丁寧に分かり易く解説頂き有り難うございます。大切な事は頭で考える事でなく日々の生活のひとつひとつにどう落とし込めこの素晴らしい教えを実践していくかに尽きると思います。

  • @user-mr3rx5kz8t
    @user-mr3rx5kz8t 4 місяці тому +1

    有難うございます🙏

  • @user-df9rb7xk8o-hanasan
    @user-df9rb7xk8o-hanasan 4 місяці тому +1

    毎朝、在家勤行次第で般若心経も読経しています。空のお話は良かったです。

  • @lealeath2308
    @lealeath2308 5 місяців тому +1

    🙏🙏🙏瞬間・瞬間に我が身をおく。合掌

  • @user-le7gs3xs7o
    @user-le7gs3xs7o 5 місяців тому +1

    自然のながれの中で生かされることに気がついたら❗良いことですね

  • @user-tn6gc5uc7y
    @user-tn6gc5uc7y 8 місяців тому +1

    有難うございました.

  • @blackdavidoff2576
    @blackdavidoff2576 2 місяці тому +1

    この動画の語るゼロの概念がとても新鮮で納得できるものでした。
    唯識論、唯我論、唯物論、唯心論、ソクラテス、ベルクソン、フェッセンデン、フォログラフィック宇宙論、観測者効果、多元宇宙論、阿頼耶識、そして"是諸法空相"に辿り着いた。
    ・全ての人間は阿頼耶識という一つの根源から生み出されたものであり、それは空である。
    ・空は意識であり、意識と阿頼耶識は互いに依存し合い、影響を与え合いながら変化して行く。
    ・阿頼耶識は固定的な存在ではなく、常に変化し続けている。
    ・阿頼耶識は私たち自身の意識や行動によって影響を受け、私たちと阿頼耶識は互いに依存し合い、影響を与え合いながら、共に変化していく。
    ・私たちが認識する世界は阿頼耶識から生み出された幻影である。
    ・世界は実在しないが、空虚なわけではなく、縁起によって生み出された仮の存在である。
    これを現代的に言い直すと
    ・私達は仮想現実の世界で生活している。
    ・私達の意識や行動化仮想世界に影響を与え世界は変化していく。
    ・私たちが認識する世界は阿頼耶識から生み出された幻影である。
    この様に表現できるかもしれない。
    人それぞれ汎ゆる解釈があって良いと思うのですが、汎ゆる科学がこの世界が空であると結論づけている事は認めざるをえなく、般若心経がとっくの大昔にこれを説いていた事は衝撃的です。
    まだまだ本当に理解できているとはとても思えません。
    先ずは般若心経を暗唱する所から始めようと考えています。
    可怪しいなぁ、無宗教の私が仏教を学ぼうとしている。

  • @3360qc168
    @3360qc168 6 місяців тому +1

  • @hh-lc4sl
    @hh-lc4sl 8 місяців тому +4

    最後の
    脳が苦しみを創る
    という言葉、心にしみました。ありがとうございます🙏

  • @user-wq2mq3ot1l
    @user-wq2mq3ot1l Рік тому +4

    現代社会を生きる上で、苦しみの出来事があっても、諸行無常の時間が解決を生む事は多々在ると言う、故ひろさちや様と繋がるとても素晴らしい動画でした。合掌!

  • @niwatuki
    @niwatuki  Рік тому +2

    これまでで、一番長くて難しい動画になりました('◇')ゞ空って本当に難しい~~~( ;∀;)

  • @user-lq3gc6dr4b
    @user-lq3gc6dr4b 22 дні тому +1

    「只管打坐」という言葉は、曹洞宗の特徴を誠に見事に一言で表しています。
    坐禅という仏行に己の全てをゆだねる時、その「坐」に仏の御命が現れ、坐している者も仏そのものとなる。――これが「只管打坐」の心。道元禅師『正法眼蔵』生死の巻の中に、以下の有名な言葉があります。
    「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて (註 : これが色即是空であり、往相、現世である此岸から仏の世界である彼岸へと登っていく姿) 仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。」(これが空即是色であり、彼岸である仏の世界から此岸である現世に降りてくる還相の姿)
    実は、この境地こそが色即是空、空即是色の境地なのです。

  • @user-lq3gc6dr4b
    @user-lq3gc6dr4b 22 дні тому +1

    般若心経の解釈はなかなか正しい解釈をできる人が少ない。それは何故か。このお経は短いにも関わらず、本当の解釈は空になったことがない人には難しい。頭で考えただけでは真の解釈はできない。このお経の核心部分は「色即是空」と「空即是空」にある。この二つの言葉は単にひっくり返して述べているわけではない。色即是空と空即是色の「空」は別ものである。詳しくは下記の宗教家の解説を参照されたし。
    五井昌久氏解説
    ≪ 般若心経というのは、簡単に言いますと、ある日、観世音菩薩が深般若波羅蜜多、つまり、お釈迦さまが深い統一に入りました時の悟った言葉が般若波羅蜜の経文になっているのです。深い最高の統一に入って、神、仏と一つの大智慧を獲得し、その境地に入ると、五感に見え、六感に感ずるすべてのものは、皆空であることが分かって、一切の苦しみを解脱したというのです。空というのは分かりやすくいうと、自分の想いが全くなくなってしまうこと、自我、自我欲望、個人という自分がなくなって、大我、大生命、いわゆる大神さまの中に溶け込んでしまった人を空の人というのです。全ての現れに絶対に捉われない境地になることを言うのです。ですから般若心経は、正覚し解脱した時の宇宙観、人間観を説いているのです。
    この経文の中で一番大事な箇所は、やはり一般的に知られている、色不異空(色は空に異ならず)、空不異色(空は色に異ならず)、色即是空(色は即ち空にして)、空即是色(空は即ち是れ色となる)という言葉です。ところが、この言葉の解釈が非常に誤りがちになっていて、いわゆる単純な空観に脱する人が多くなっているのです。色即是空と空即是色を、只単に同じことをひっくり返しに言っているのだと思い込んで、色、即ちものは全て空なのだ、この世に現れている全てのものは空なのだ、無いのだ、という否定の面だけに捉われてしまって、この人間の肉体をはじめ、眼に見、手に触れる全てのものは、自己の肉体消滅と共に、やがて無くなってしまうもの、仮の姿、実在でないもの、というように解釈しているのです。
    しかし、これでは虚無主義とあまり変わりないし、人間の進歩とか前進とかには、まるで役立たぬ思想になってくるのです。どうせ死ねば空に溶け込んでしまうもの、そのまま無になってしまうもの、個性も何も無くなってしまうもの、というのでは人生を暗く淋しいものにしてしまいます。現在、五官で見、聞き、触れながら、これはすべて空なのだ、直覚的に思える人は、この世にそう滅多にはいません。一般はどうしても諸行無常的式に、今は有るのだけれども、やがて無くなるのだから、空だといい、無だと言うのだろう、ぐらいの思い方より出来ないと思います。しかし、そんな思い方を一般の人達にさせるようでは、釈尊の高い悟りとはまるで違ったものになってしまいます。色即是空、空即是色と二つ重ねたところに深い意味があるのです。
    現象界に現れているものは色といいます。現象界、肉体界(五官)、幽界(六感)の全てのものをいうのです。そして色は、ものと解釈するわけです。そこで色即是空というのは、現れている五官で見えているものは一遍空にしないと、空と断じ切らないと、本当のものが現れてこない。だから、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻にかぐもの、全てこの世に現れているものは空なんだ。そして、空だと断じ切った時、はじめて本当の光輝くものが現れる。五官に感じられ、六感に感じられるものは全て空なんだ、それに捉われてはいけない。あるものではなく、あるように見えていて、空なんだ、と空と断ち切って、それに捉われなくなると、空の奥に神仏の実体があるので、空から本当のものが現れてくる。
    空から現れてくるものが本当の光であり実体なのだ、そこで、色即是空、空即是色と並べてあるわけです。五官六感に現れている色(ものごと)を空と断ち切って、空になったところから、今度は実体の光即ち色が現れてくる。こういうことで、同じことなら何も二つ並べることはないのです。人間の想いから捉われを離すために説いているわけです。色即是空、空即是色も形に現れていることだけを説くから、結局虚無になって、この世は何も無い、肉体もなければ何も無いとなるのです。本当の教えというのは、ないないづくしではなくて、神さまは光輝く大光明であって、大光明波動の分生命が人間であるというのです。しかし、肉体の人間というのは、神の分生命であることを忘れてしまって、幽体(光明と暗黒波動が混合している所)あるいは肉体で作った想いの中で生きているのです。
    その想いというものは無いのです。無いと言っても想いは現れている。だから無いのではなくて、現れているのであって、実体ではないのです。現れているものは、現れて消えてゆく姿なのです。そこで、現れている肉体の方に、あるいは肉体から発生した出来事に捉われないで、捉われたら捉われたでいいから、消えてゆく姿にして祈り心の中に入れてしまいなさい、と説いているのです。そうすると、入れ変わって実体だけは残ってくる。生命の実体だけがそこに残って、いわゆる空即是色になるわけです。色即是空の色は虚無である。形のある現れているものはみんな虚無である。だからそれに捉われてはいけない。虚無と思ったら、そこにまた捉われるわけですよ。でも捉われたら捉われたでいい、消えてゆく姿として平和の祈りの実体の中に入れます。
    すると、実体の方は神さまそのものだから、入れてしまえば虚無を取っちゃうんだから、空即是色になる。空の中から現れてくるものが本当の人間であり、本当の光である。実体が現れてくるんだと、お釈迦さまは説いているわけです。この世の罪や悪や間違った想念所業は、神さまから現れて来ているものではなくて、肉体人間が勝手に作ったものなんです。だからそれは実体の中にない。しかし、無いといっても分からないから、一度現れの世界に座を下して、一応そういうものを認めると同時に、過去世の因縁の消えてゆく姿として、神さまの中に入れてしまいなさい、とすすめているわけです。そして、祈りの中から、神さまと直通して神さまの光だけを間断なくつぎ込んでおくと、間違った肉体人間の想いの方はどんどん消えてしまう。それが本当の色即是空、空即是色なんです。
    般若心経の真理は、色即是空、空即是色を明らかに説きあかすことにあるのです。本当の般若心経を分かるためにどうしたらいいのか、というと守護霊、守護神の力を借りて、大般若の智慧、神界の智慧の中に入らないうちは、この中は神の世界だということが分からないのです。そこで祈りが必要になってくるのです。その祈りというものを、お坊さん方は、お願いだと思っている。お祈りというと、家内安全、商売繁盛、どうかご利益がありますように、というのが祈りだと思っている。それはお願い事なのです。本当の祈りというのは、いのちを宣言する、命を宣(の)りだす、いのちをそのままに現すということです。守護霊、守護神に感謝する祈りと、世界人類が平和でありますようにという神さまの大愛、慈悲の想いにまで拡げた祈りが必要になってくるのです。
    守護霊、守護神さんの力を借りて空になると、本心の中から出てくる能力がフルに溢れてくるのです。自分が思いもしないのに、自然に物事が出来てくる。自分が考えもしないのにパッといい智恵が出てくる。自分が書こうと思わないのにスッといいものが書ける。言おうと思わないのに、いい言葉が出てくる。というふうに自然法爾(じねんほうに)にひとりでに、神さまの智恵、自分の本心の能力が出て、色んなことが出来る。それが空即是色なんです。神さまのみ心に入ってますと、今日はあそこに行こうかなと何気なく行くと、必要な人と会ったり、効果があったりと、自然に守護霊、、守護神さんが使って下さって、本心の力をそこに現してくる。それが空の状態と同じになりまして、空即是色の空から生まれてくる、光輝く生き方、自分のためにもなり、相手のためにもなるような生活が自在に、そこから現れてくるのです。それが空即是色で、般若心経の極意なのです。≫

  • @user-gb6st5wj4l
    @user-gb6st5wj4l 3 місяці тому +1

    どうも善男子です。<私の翻訳>は 
    観ている、自分の(心の作用の)在るを、菩薩(成道前の仏)が、深い入定時に、照見した。五蘊(世の構成要素)が皆空であると。そして度った一切の苦厄の河を。舎利子(サーリプッタ)よ色は空に異ならず。空は色に異ならない。色即ち是空であり空は即ち是色である。受想行識(心の作用/縁起)も又、如是の如し。舎利子よ、是の諸法は空相...という風に訳してます。ただしこの経を1憶回唱えようと、あるいは訳した経文を理解しながら読もうと、「絶対に」解脱はできません。なぜならこの経文には具体的な行法の記述が全く無いからです。長部経典と南伝大蔵経をおすすめします。
    般若心経はほぼ阿含経典などの縁起諸説の要約で、....無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識界....とあえて「無」をつけてるのは、この経の元本の大般若経典の記述方式に従っています。この経の「マントラ(呪)」は「ガテーガテーパラガテーパラスンガテーボディースヴァーハ(掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提娑婆訶)」のみであり、ご利益を求めず意味も分からずこの経を唱える人はこれだけを唱えるだけでいいでしょう。ただしブッダはマントラの効用を阿含経典「西方の人」の項で「無意味」と説いていますので、ただ読経は無意味と断言できます。

  • @user-ik2mn9vm6y
    @user-ik2mn9vm6y Місяць тому +2

    いろいろ意見でてますが、私は、色即是空空即是色の意味は、自分の身体に例えると、やがて死に分解されて、空となり、輪廻し、またいつの日か、この世に舞い戻り肉体にやどるととらえています。即ち、命は、三世に続くと言う事です。

  • @user-lj2ui2sm4o
    @user-lj2ui2sm4o 8 місяців тому +3

    此の侭では肉体帯で地獄絵の世界が在る。見極める世界考え方が在る。自身の観察が神の発信に在る。精神世界に観察が無い状態は意識が意識して意識する候。

  • @KI-zg6uu
    @KI-zg6uu 5 місяців тому +1

    罪と穢れを汚れとイメージしていたとしたらそれも空の概念から外れていますね。

  • @user-qy5ep8ly1d
    @user-qy5ep8ly1d 8 місяців тому +3

    般若心経は無から産まれたし(ゝω・)✋仏法は皆言うよ(´V`)♪空あるならイスラム教と口シアの指導に持ってて教育してってくれい (。・ω・。)💡

  • @user-re6je4dl8l
    @user-re6je4dl8l Рік тому +2

    哲学の応えにも、にて~?

  • @user-wm8ee9ub2d
    @user-wm8ee9ub2d 5 місяців тому +1

    仏の教えも不変ではなく無常でしょうか?

  • @user-xi3tt6hf6x
    @user-xi3tt6hf6x Місяць тому +1

    般若心経でおかしいのは観音菩薩が舎利弗と言う仏に講釈を垂れるという点、菩薩はまだ
    佛に成れていない修行中の者を指すので菩薩が仏に云々と言うのは倒錯してる。
    空は特に難しくないでしょ、縁起の言い換えが空。種だけでは植物は出来ない、種を因とすれば
    縁は空気と水とその他の物質の合成が植物。固定して恒常的なモノは無いというだけの事で特に
    難しい話ではない。

  • @user-uh4qy8oy1n
    @user-uh4qy8oy1n 5 місяців тому +1

    実たいは無いという事。

  • @chip855
    @chip855 8 місяців тому +3

    ウ ハ エ   これぞ空である。

    • @niwatuki
      @niwatuki  8 місяців тому +1

      なるほど✨‼️

    • @user-em1qw2ro4n
      @user-em1qw2ro4n 5 місяців тому +1

      他のスレにこんなものすごく解りやすい、説明がありました
      >色即是空 つまり、生き物は即、腹が減り 空腹になる 
      ということです。空即是食
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      食即是空(食ってもすぐ腹が減る)ので・空即是食(腹が減ったらすぐ食え)
      だからギャーテーギャーテーハーラーギャーテー・・は
      >赤ちゃんなどは腹が減ると、おぎゃてーおぎゃてー腹ぎゃてー と泣いて知らせるのです。
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      人とは自分ではなく自然に導かれているのです、そういうものだ
      と言っています、
      悩んでもしょうがないんです
      ・・・これはなるほどです

    • @chip855
      @chip855 5 місяців тому +1

      @@user-em1qw2ro4n
      なるほど。 というか、それは私のスレでした。

  • @una8111
    @una8111 8 місяців тому +3

    ん〜違います。そういうことではありません。

  • @user-lq3gc6dr4b
    @user-lq3gc6dr4b 8 місяців тому +6

    「空」と「無」とは違います。「空」とは、自分という名の自我がなくなって仏の意識と一つになった状態のことを言うのです。仏の意識とは仏教でいう大我です。霊的にいうと宇宙意識と同じです。つまり、創造主と同じ意識です。「空」とは人間が煩悩を解脱した涅槃の状態ということです。人間が自我意識を解脱すると神仏と同じ意識状態になって、自己の中に全てがあり、全ての中に自己があるという意識状態になります。これを宇宙意識とか普遍意識とか言います。般若心経典の中に「無」という言葉がたくさん出てきますが、それは現象世界を否定するために使用された言葉です。
    現象世界とは、この肉体世界だけでなく、幽界や霊界の一部も含みます。仏の世界は実在の世界であり、現象世界ではありません。ヨガではこの現象世界のことをマーヤと言い、夢、幻の世界であると言います。仏教的にいうと虚仮不実の世界と言います。空というとなにか虚無的な感じになってしまって暗い感じの人生観になりがちなのですがそれは間違いです。空の奥に人間の真実の姿があり、それは永遠なる霊的な生命があるのです。
    それが般若心経典に書かれている不生不滅、不垢不浄、不増不減の身です。生きることなく、滅することなく、汚れることなく、増えることなく、減ることのない清浄なる霊としての人間の本体です。これを如来身と言います。人間のボディは肉体以外に、幽体、霊体、本体と四つのボディが重なり合ってできています。肉体が上着のようなもので、死ぬとこの肉体という上着を脱いで幽体、霊体として霊的な世界に移行します。そして、霊界で魂の修行を続けます。もちろん、煩悩というかカルマを解脱して空になるための修行です。空即実相の世界 = 仏の世界。

    • @kta7843
      @kta7843 7 місяців тому +2

      空とはそこに無い、と言う意味。
      ただ、それだけ😊。

    • @user-lq3gc6dr4b
      @user-lq3gc6dr4b 7 місяців тому +4

      @@kta7843 違います。

    • @user-yo5ju4pd3l
      @user-yo5ju4pd3l 5 місяців тому +1

      あなたの思考の根本は、ヒンドゥー教です。仏法ではありません。

  • @kukai-bv5zx
    @kukai-bv5zx 7 місяців тому +1

    なぜギャーテイギャーテイハラソウギャーテイボウジーソワカを唱えるのでしょうか。真言は佛で有り永遠です。実体があり固定したものであると思います。