【龍雲寺ダンマトーク:般若心経に学ぶ生き方】臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老大師猊下

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  • Опубліковано 16 вер 2023
  • 鎌倉の円覚寺管長・横田南嶺老大師をお招きしての野沢龍雲寺ダンマトーク(法話会)が開催されました。
    「般若心経に学ぶ行き方」と題して、お話いただきました。
    思いこみはどのようにして作られたか?
    本質は何か?
    そして、本質を知ることによって苦しみから解放される
    「思いこみ」とは?「本質」とは?そして「本質を知ること」とは?
    日本で最も親しまれていると言っても過言ではない「般若心経」を、横田南嶺老大師が、わかりやすく、深くお話くださいました。
     
     
    ■配布資料
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    般若心経に学ぶ生き方 / 臨済宗円覚寺派管長・花園大学総長 横田南嶺
    思いこみの自分
    思いこみはどのようにして作られたか
    本質は何か?
    本質を知ることによって苦しみから解放される
    岩波文庫『般若心経 金剛般若経』
    全知者である覚った人に礼したてまつる。
    求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。 しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。
    シャーリプトラよ、この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
    実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
    (このようにして、) およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。
    シャーリプトラよ。
    この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
    生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。
    それゆえに、シャーリプトラよ、
    実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。
    (さとりもなければ、) 迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、) 迷いがなくなることもない。こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。
    苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それ故に、得るということがないから、諸の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。
    心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。
    過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめを覚り得られた。それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
    ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
    (往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、
    幸あれ。)ここに、智慧の完成の心が終った。
    禅文化研究所『般若心経』山田無文老師
    「人間の本性というものは本来、鏡のように清浄なものじゃ。 鏡の中には何もない。物が前に来れば映るし、物が去れば消えるだけだ。しかも後には何も残りはせん。物が映ったからといって、鏡の中に生じたものは何もないし、去ったからといって、鏡の中に滅したものは何もない。これを、『生ぜず滅せず』と言う。 きたない犬の糞を映したからといって、鏡の中は汚れはせん。きれいな花を映したからといって、鏡の中はきれいにはならん。これを、『垢れず浄からず』と言う。 鏡の中に物が映ったからといって、鏡の目方は増えやせん。物が去ったからといって、鏡の目方は減りはせん。これを、『増さず減らさず』と言う。般若心経に不生不滅、不垢不浄 不増不減とあるのは、まったくこの鏡のように清浄無垢な人間の本性をうたわれたものじゃ」
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    ■公式ホームページ
    ryuun-ji.or.jp/
    ■書籍のご紹介
    細川晋輔 / 禅の言葉とジブリ
    amzn.to/3wA4kdL
    細川晋輔 / 迷いが消える 禅のひとこと
    amzn.to/39S7dNf
    細川晋輔 / 人生に信念はいらない
    amzn.to/2OB1pk4
     
    ■facebook
    / nozawa.ryuunji
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    #般若心経, #横田南嶺老大師, #ダンマトーク, #世田谷, #龍雲寺
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КОМЕНТАРІ • 28

  • @srimati88
    @srimati88 День тому

    チッソのお話に心を打たれました。
    猊下がご覧になると、そこに般若心経が見えるのですね。素晴らしいです。

  • @user-fz4xp6ep5f
    @user-fz4xp6ep5f 9 місяців тому +26

    会場に行けなくても拝聴できる事に、感謝します。🙏

  • @salinala9977
    @salinala9977 8 місяців тому +7

    南嶺さま❤
    ますますキレッキレ!慈悲の気迫!素晴らしいご法話をありございます🙏🙏🙏何度も聞きます🙏🙏🙏

  • @Si_237
    @Si_237 7 місяців тому +7

    最近般若心経の写経を始めたものの、意味が分からないまま書いており、良くないなと思い般若心経の解説動画を探していた所、この動画に出会いました。最近は花園大学での講義の動画と併せて聞いています。ありがたいお話をこうして家で聞けることに感謝です。

  • @matue1kaga2
    @matue1kaga2 9 місяців тому +9

    有難うございます。何回も何回も拝聴させて頂きます。だんだん、

  • @KOMOROsumire
    @KOMOROsumire 8 місяців тому +7

    貴重なお話を居ながらにしてしかも無料で伺えることの有難さに感謝申し上げます。
    ずっと難しいと思っていた般若心経が老師さまのお話で少し身体に入ってきたように思います。繰り返しお聞きしたいです。
    ありがとうございます。

  • @mahounokidoran
    @mahounokidoran 8 місяців тому +7

    偶然に横田老師様の講座を見つけて、拝聴いたしました。般若心経をこれほど、わかりやすくご講話くださいましたことに深く感謝いたします。ありがとうございます。

  • @user-vv8dc4ub8v
    @user-vv8dc4ub8v Місяць тому +1

    ✨キラキラの御衣装✨
    綺麗です

  • @arigato3587
    @arigato3587 4 місяці тому +2

    ありがとうございます🙏🍀
    円覚寺横田猊下様の「はじめの方へわかりやすい般若心経」をアマゾン通販にて購入 
    この動画と合わせて読むとより般若心経がなるほどと
    勉強になります、
    また
    野沢龍雲寺の御住職
    細川晋輔様と神戸須磨寺の小池陽人寺務長様との
    般若心経解説動画配信もわかりやすいく大変ありがとうございます🙏🍀
    また
    自分もアニメ好きゆえ
    細川晋輔様ご著書
    「禅の言葉とジブリ」はジブリアニメから禅の言葉、禅の御僧侶様はアニメをそのように観て感じ思っているのかと勉強になって
    私の大好きな本です、
    今年の1月17日初めて野沢龍雲寺様に御参り出来ました😊ありがとうございます🙏🍀

  • @user-fn1wm4yj4l
    @user-fn1wm4yj4l 9 місяців тому +4

    今…少し前、とても苦しんでいた事から、少し…考えが進んで…、こちらの動画にたどり着きました。学ばせていただきました。ありがとうございます。

  • @user-vv8dc4ub8v
    @user-vv8dc4ub8v 3 місяці тому +1

    横田南嶺猊下老大師さま
    笑顔😃いつも有難う御座います。
    何度も繰り返し見させて頂きます。須磨寺副住職小池陽人さまとのご縁を御結び頂きまして誠に有難う御座います。和歌山県ご出身の猊下様と須磨寺の陽人様は御二方とも般若心経を詳しく御説明いただき素晴らしい御縁💖感謝で御座います。
    天地一杯の命 初めて知りました。
    嫌な人は居ない! 嫌だと思っている自分が居る。凄いです。真理ですね。

    • @user-vv8dc4ub8v
      @user-vv8dc4ub8v 2 місяці тому

      二度目拝聴させて頂きました。
      鏡に犬の糞を写しても、鏡は汚れない。無 凄過ぎます。

  • @user-xk2gj4if9e
    @user-xk2gj4if9e Місяць тому

    おはようございます毎日感謝合掌🍵お言葉配信感謝合掌🍵申し上げます合掌🍵

  • @user-er5ds3ev2t
    @user-er5ds3ev2t 9 місяців тому +4

    細川住職様、横田南嶺管長のご縁に感謝します。般若心経の心をあじあわせて頂きました🙇思い込みはどのように作られたか⁉️思い込みの本質は空と知れば自由に生きられるということでしょうか⁉️
    仏教初心者🔰です。失礼な言いかたがあるかもしれません。
    空は難しいです。
    今回も学ばせて頂きました、ありがとうございました🙏

  • @user-ud7zk9hi7g
    @user-ud7zk9hi7g 8 місяців тому +2

    般若心経、横田官庁に有り難う御座います。JUN m

  • @kumikoborman4154
    @kumikoborman4154 4 місяці тому +1

    ありがとうございます。今度お寺にお邪魔してみたいです。

  • @user-lj2ui2sm4o
    @user-lj2ui2sm4o 3 місяці тому

    内容も声質が格調に得る感応に空間領域が在る。此処に霊の救済活動が騒々しく働く。凡人には及び就かない空の時は経つと哀れなり。名僧に感謝。

  • @user-mm7wz5pr7z
    @user-mm7wz5pr7z 3 місяці тому +1

    とても分かりやすく、腑に落ちるお話でした✨
    仏教系の大学で心理学を学んでいる身ですが、まだまだ仏教の教えをしっかりと理解できていないので、こちらのチャンネルで理解できて有難いです。
    難しい内容のお話を、これほどまでに分かりやすくお話をしていただける事に感謝申し上げます😊✨

    • @user-zr4vz8ol2i
      @user-zr4vz8ol2i 3 місяці тому

      有難うございます。拝聴してます。

  • @user-bv7pl4bg2l
    @user-bv7pl4bg2l 3 місяці тому +1

    横田南嶺猊下。半年程前の動画ですが、目に止まりましたので拝聴させて頂いております。
    まず、般若心経の芯の部分をお教え下さりありがとうございます。
    また、大乗仏教をお語りになる折り、どの宗派が優れている、そちらは劣っているなどの視点を一切離れて公平公正に語られていますこと。
    わたくしの実家の宗派。上記の競う傾向の強いところ、同派の僧侶様方に聴いて頂きたいと感じた次第です。そして、今は般若心経は、何故お釈迦様が説かずに、観自在菩薩が説くかたちをとったのだろうかと疑問が生じています。
    もし、このコメントが猊下のお目に止まりましたら、お教え願えれば幸いです。
    この視聴をさせて頂いて居る令和6年3月現在、気温の上下が激しいです。どうぞご自愛なされまして、今後ともお教え賜わりますよう、切に祈念申し上げます。
    横田南嶺猊下
       北畑宏道 弊拝

  • @user-vv8dc4ub8v
    @user-vv8dc4ub8v Місяць тому +1

    5月13日の糞掃衣ラジオ視聴致しました。木の繊維で作ったと云う事ですが、重たいのでしょうか?

  • @user-lq3gc6dr4b
    @user-lq3gc6dr4b 7 місяців тому +2

    ある宗教家の解説。
    般若心経というのは、簡単に言いますと、ある日、観世音菩薩が深般若波羅蜜多、つまり、お釈迦さまが深い統一に入りました時の悟った言葉が般若波羅蜜の経文になっているのです。深い最高の統一に入って、神と一つの大智慧を獲得し、その境地に入ると、五感に見え、六感に感ずるすべてのものは、皆空であることが分かって、一切の苦しみを解脱したというのです。空というのは分かりやすくいうと、自分の想いが全くなくなってしまうこと、自我、自我欲望、個人という自分がなくなって、大我、大生命、いわゆる大神さまの中に溶け込んでしまった人を空の人というのです。全ての現れに絶対に捉われない境地になることを言うのです。ですから般若心経は、正覚し解脱した時の宇宙観、人間観を説いているのです。
    この経文の中で一番大事な箇所は、やはり一般的に知られている、色不異空(色は空に異ならず)、空不異色(空は色に異ならず)、色即是空(色は即ち空にして)、空即是色(空は即ち是れ色となる)という言葉です。ところが、この言葉の解釈が非常に誤りがちになっていて、いわゆる単純な空観に脱する人が多くなっているのです。色即是空と空即是色を、只単に同じことをひっくり返しに言っているのだと思い込んで、色、即ちものは全て空なのだ、この世に現れている全てのものは空なのだ、無いのだ、という否定の面だけに捉われてしまって、この人間の肉体をはじめ、眼に見、手に触れる全てのものは、自己の肉体消滅と共に、やがて無くなってしまうもの、仮の姿、実在でないもの、というように解釈しているのです。
    しかし、これでは虚無主義とあまり変わりないし、人間の進歩とか前進とかには、まるで役立たぬ思想になってくるのです。どうせ死ねば空に溶け込んでしまうもの、そのまま無になってしまうもの、個性も何も無くなってしまうもの、というのでは人生を暗く淋しいものにしてしまいます。現在、五官で見、聞き、触れながら、これはすべて空なのだ、直覚的に思える人は、この世にそう滅多にはいません。一般はどうしても諸行無常的式に、今は有るのだけれども、やがて無くなるのだから、空だといい、無だと言うのだろう、ぐらいの思い方より出来ないと思います。しかし、そんな思い方を一般の人達にさせるようでは、釈尊の高い悟りとはまるで違ったものになってしまいます。色即是空、空即是色と二つ重ねたところに深い意味があるのです。
    現象界に現れているものは色といいます。現象界、肉体界(五官)、幽界(六感)の全てのものをいうのです。そして色は、ものと解釈するわけです。そこで色即是空というのは、現れている五官で見えているものは一遍空にしないと、空と断じ切らないと、本当のものが現れてこない。だから、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻にかぐもの、全てこの世に現れているものは空なんだ。そして、空だと断じ切った時、はじめて本当の光輝くものが現れる。五官に感じられ、六感に感じられるものは全て空なんだ、それに捉われてはいけない。あるものではなく、あるように見えていて、空なんだ、と空と断ち切って、それに捉われなくなると、空の奥に神仏の実体があるので、空から本当のものが現れてくる。
    空から現れてくるものが本当の光であり実体なのだ、そこで、色即是空、空即是色と並べてあるわけです。五官六感に現れている色(ものごと)を空と断ち切って、空になったところから、今度は実体の光即ち色が現れてくる。こういうことで、同じことなら何も二つ並べることはないのです。人間の想いから捉われを離すために説いているわけです。色即是空、空即是色も形に現れていることだけを説くから、結局虚無になって、この世は何も無い、肉体もなければ何も無いとなるのです。本当の教えというのは、ないないづくしではなくて、神さまは光輝く大光明であって、大光明波動の分生命が人間であるというのです。しかし、肉体の人間というのは、神の分生命であることを忘れてしまって、幽体(光明と暗黒波動が混合している所)あるいは肉体で作った想いの中で生きているのです。
    その想いというものは無いのです。無いと言っても想いは現れている。だから無いのではなくて、現れているのであって、実体ではないのです。現れているものは、現れて消えてゆく姿なのです。そこで、現れている肉体の方に、あるいは肉体から発生した出来事に捉われないで、捉われたら捉われたでいいから、消えてゆく姿にして祈り心の中に入れてしまいなさい、と説いているのです。そうすると、入れ変わって実体だけは残ってくる。生命の実体だけがそこに残って、いわゆる空即是色になるわけです。

  • @takachantakataka5945
    @takachantakataka5945 9 місяців тому +2

    一宗の管長にでもなると人から尊敬され自分は徳のある者と錯覚し世間もその様に思い込むものである。下らぬ説法を平気でするようになる。自分では天下の大説法と錯覚しているのであろうが聞くものから見ると坊主のたわごとにしか見えぬ。それを得意になって説法する僧が今も昔も多いものである。   と 【道元師】 は言っている。

  • @user-lq3gc6dr4b
    @user-lq3gc6dr4b 7 місяців тому +1

    空とは食うですね。いや、これは冗談です。😅 「空」と「無」とは違います。「空」とは、自分という名の自我がなくなって仏の意識と一つになった状態のことを言うのです。仏の意識とは仏教でいう大我です。霊的にいうと宇宙意識と同じです。つまり、創造主と同じ意識です。「空」とは人間が煩悩を解脱した涅槃の状態ということです。人間が自我意識を解脱すると神仏と同じ意識状態になって、自己の中に全てがあり、全ての中に自己があるという意識状態になります。
    これを宇宙意識とか普遍意識とか言います。般若心経典の中に「無」という言葉がたくさん出てきますが、それは現象世界を否定するために使用された言葉です。現象世界とは、この肉体世界だけでなく、幽界や霊界の一部も含みます。仏の世界は実在の世界であり、現象世界ではありません。ヨガではこの現象世界のことをマーヤと言い、夢、幻の世界であると言います。仏教的にいうと虚仮不実の世界と言います。空というとなにか虚無的な感じになってしまって暗い感じの人生観になりがちなのですがそれは間違いです。
    空の奥に人間の真実の姿があり、それは永遠なる霊的な生命があるのです。それが般若心経典に書かれている不生不滅、不垢不浄、不増不減の身です。生きることなく、滅することなく、汚れることなく、増えることなく、減ることのない清浄なる霊としての人間の本体です。これを如来身と言います。人間のボディは肉体以外に、幽体、霊体、本体と四つのボディが重なり合ってできています。肉体が上着のような者で、死ぬとこの肉体という上着を脱いで幽体、霊体として霊的に世界に移行します。そして、霊界で魂の修行を続けます。もちろん、煩悩というかカルマを解脱して空になるための修行です。