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私が保守している鉄道企業に、変電所にインバータを設置している所があります。回生電力が余ると、駅で用いる電力に流れます。板谷峠ではかなり昔から行われていたのですね。
難所だった板谷峠も今じゃ新幹線が頻繁に通過して、たまーに普通列車が来るご時世。
板谷峠そのものも峠の直下を貫く米沢トンネル建設計画が進行中。これが実現すれば二十数年後には完全に過去のものとなってしまいます。
EF71素敵。
いや... 「無敵」だと思う (^^;)
東北線、米沢以北の奥羽線の区間などと、「電化方式を共通化すること」が目的で、昭和43年9月に奥羽線板谷峠区間が交流電化に変更されました。特急「つばさ」(キハ80系(昭和36年から昭和45年)、キハ181系(昭和45年から昭和50年)各気動車列車)は、板谷峠越えのため補助機関車(初めはEF16、その後EF64、交流電化後はED78、EF71)を連結しました。昭和50年以降は485系化され、補機連結運用は解消しています。板谷峠では、貨物列車の運転本数も多く、牽引定数を可能な限り確保する必要性がありましたが、連結器強度や線路の曲線の状況、瞬間最大勾配38.0‰を擁する等の条件などから、列車編成重量を、最大650tとすることを考えていました。そこで、ED78同士だけの重連運転だと、連続回生ブレーキ時の熱容量の不足が生じることや、33‰区間での力行時に均衡電流が一時間定格で570Aを上回る危険性等があったことなどから、6軸機であるEF71の製造、投入の必要性が生じたのでした。奥羽線の標準軌改軌の足音も聞こえるようになった頃、ローカル運用に就いているEF71+旧客2両、又はEF71+50系客車2両に乗ったことがあります。EF65の定格出力を上回る2700kwの出力による加速力は凄まじかったのを覚えています。明らかに、このEF71牽引のローカル列車は、「国内最強の普通列車」でした。板谷峠通行の困難性が、終えんに向かいつつある時代の懐かしい思い出です。
補機が付いたのは 気動車特急だけで、ED78は補機運用はありません。ED78が本務機、EF71が補機と位置づけられてますが、EF71が本務機の運用が多数あり、仙山線と共通運用の78と比べて71はつばさの補機や臨時の14系つばさ等優等列車の先頭に立つ事が多く71の方が板谷峠の主役といった印象があります
@@おしげ-b6k さん仙山線は軸重でEF71は入れなかったんですかね?客車末期はEF71が牽くのが50系2両の普通列車...なんてのもありました
@@すももさん-x8g さんED78の中間台車には軸重可変装置が付いていて、仙山線では軸重を軽くして運用していたのでEF71では軸重オーバーになりますね。
既に直流で電化されていたにもかかわらず、交流で再度電化するというのは不思議に思いますし、交直流電車では交流区間で性能が低下すると教わっていた身分としては怪訝な所作に思えます。しかしながらサイリスタを用いた抵抗器を使わない進段方法はその力率を見る限り直流機よりも進んでいたのですね。
東北本線の電化を黒磯以北は交流電化で電化すると国鉄が決めた為、合わせる形で電化したんですよね。実際後年になって列車の高頻度化するにあたって交流電化だと電車を用意するにしてもお値段の高い交流・交直流電車を製造もしくは転属させなければいけなかった為、民営化後も客車列車が残るなんて事態になったそうですからね。もし直流電化であった場合は115系などの車両の導入も可能だった訳で、国鉄時代に客車列車の置き換えを完了できていたかもしれません。
一方、JR西日本は北陸線を直流化しました。
敦賀以北は交流のままですが、北陸新幹線開業により福井県内が第3セクター化されることになるので、事実上JR西日本の北陸本線から交流電化区間がなくなることになります
高電力対応の半導体サイリスタ素子の開発実用化で交流電化の経済性が出たのに、もっと半導体が発展して直流の交流化も経済的に出来るようになった。そして交流電化が廃れて行ったとはなんとも皮肉な結果ですね。(認識良いのかな?) 子供の頃は板谷峠福米間は先に直流電化されていて、EF64がこの区間用だったのも知りませんでした。
電圧の低い直流電化だと電圧降下が大きいので、路線距離の割に列車密度が低い線区では、今でも変電所の数が少なくて済む交流電化に分がありますね。
ごく稀に来るEF71重連は圧巻だった・・・
EF16時点ではなぜ回転変流機にしなかったのか確かに水銀整流器より古い機械で1基800Vが上限だが、直列で1500V電化は出来てたし、何より完全自動で力行も回生も出来て変電所に常時人が張り付いている必要はない
交流電化は地上設備が安価だが機関車が高価→地方幹線向き ただ別の面としてP(出力)=V(電圧)×A(電流)だから、大出力用途でも架線電流を減らせる(新幹線とか)北陸、信越とかのDC電化が周辺の大多数の地域だと悩ましい問題ですが東北だったからね
ただ国鉄が地方向けに進めていた都市型ダイヤをやる為に大きな足枷となったので後年デメリットが大きく露出する形となった。
この頃の国鉄って電機を何種類も作り分けてたけど。ED78やEF71は必然としても、ED77(磐越西線向け)って必要だったんでしょうか?後に軌道強化してED75入れるようにしたんだし…
必要でした。このED77(試作形式ED93)は、それまで磁気増幅器から半導体の一種であるサイリスタへと制御装置が変更されたからです。その前にED75 501がサイリスタの試作機として登場しましたが、これは北海道向けだったので、改めて作る必要が生じたためです。
@@hiro901x74 様ありがとうございます…制御装置の件は理解してますが、敢えてB-2-Bで新機種設定するよりも、ED75の番台区分にしとけば…と思います。
@@oleo_p8018 既にED75自体、0、300、500、700、1000と番台が多かったからこれ以上の番台区分ができなかったのでしょうね。ED75はどちらかといえば本線筋の機関車で、支線区には使えなかったのも理由の1つとしてありそうです。
うp主さんが何を語っているのか判る貴方は「鉄分過多症」です (^^;)
別に奥羽本線が改軌されてもED78は仙山線メインの運用になって、蔵王貨物と落ち葉掃き運用で生き永らえたからそこはひとまとめにすべきでは無かった
実際、485系もトラブルでユニットカットが起きた際にEF71との協調運転があったそうです。
質問です仕様ソフトは何ですか?
私が保守している鉄道企業に、変電所にインバータを設置している所があります。回生電力が余ると、駅で用いる電力に流れます。板谷峠ではかなり昔から行われていたのですね。
難所だった板谷峠も今じゃ新幹線が頻繁に通過して、たまーに普通列車が来るご時世。
板谷峠そのものも峠の直下を貫く米沢トンネル建設計画が進行中。これが実現すれば二十数年後には完全に過去のものとなってしまいます。
EF71素敵。
いや... 「無敵」だと思う (^^;)
東北線、米沢以北の奥羽線の区間などと、「電化方式を共通化すること」が目的で、昭和43年9月に奥羽線板谷峠区間が交流電化に変更されました。
特急「つばさ」(キハ80系(昭和36年から昭和45年)、キハ181系(昭和45年から昭和50年)各気動車列車)は、板谷峠越えのため補助機関車(初めはEF16、その後EF64、交流電化後はED78、EF71)を連結しました。昭和50年以降は485系化され、補機連結運用は解消しています。
板谷峠では、貨物列車の運転本数も多く、牽引定数を可能な限り確保する必要性がありましたが、連結器強度や線路の曲線の状況、瞬間最大勾配38.0‰を擁する等の条件などから、列車編成重量を、最大650tとすることを考えていました。
そこで、ED78同士だけの重連運転だと、連続回生ブレーキ時の熱容量の不足が生じることや、33‰区間での力行時に均衡電流が一時間定格で570Aを上回る危険性等があったことなどから、6軸機であるEF71の製造、投入の必要性が生じたのでした。
奥羽線の標準軌改軌の足音も聞こえるようになった頃、ローカル運用に就いているEF71+旧客2両、又はEF71+50系客車2両に乗ったことがあります。
EF65の定格出力を上回る2700kwの出力による加速力は凄まじかったのを覚えています。明らかに、このEF71牽引のローカル列車は、「国内最強の普通列車」でした。
板谷峠通行の困難性が、終えんに向かいつつある時代の懐かしい思い出です。
補機が付いたのは 気動車特急だけで、ED78は補機運用はありません。ED78が本務機、EF71が補機と位置づけられてますが、EF71が本務機の運用が多数あり、仙山線と共通運用の78と比べて71はつばさの補機や臨時の14系つばさ等優等列車の先頭に立つ事が多く71の方が板谷峠の主役といった印象があります
@@おしげ-b6k さん
仙山線は軸重でEF71は入れなかったんですかね?
客車末期はEF71が牽くのが50系2両の普通列車...なんてのもありました
@@すももさん-x8g さん
ED78の中間台車には軸重可変装置が付いていて、仙山線では軸重を軽くして運用していたのでEF71では軸重オーバーになりますね。
既に直流で電化されていたにもかかわらず、交流で再度電化するというのは不思議に思いますし、交直流電車では交流区間で性能が低下すると教わっていた身分としては怪訝な所作に思えます。しかしながらサイリスタを用いた抵抗器を使わない進段方法はその力率を見る限り直流機よりも進んでいたのですね。
東北本線の電化を黒磯以北は交流電化で電化すると国鉄が決めた為、合わせる形で電化したんですよね。実際後年になって列車の高頻度化するにあたって交流電化だと電車を用意するにしてもお値段の高い交流・交直流電車を製造もしくは転属させなければいけなかった為、民営化後も客車列車が残るなんて事態になったそうですからね。もし直流電化であった場合は115系などの車両の導入も可能だった訳で、国鉄時代に客車列車の置き換えを完了できていたかもしれません。
一方、JR西日本は北陸線を直流化しました。
敦賀以北は交流のままですが、北陸新幹線開業により福井県内が第3セクター化されることになるので、事実上JR西日本の北陸本線から交流電化区間がなくなることになります
高電力対応の半導体サイリスタ素子の開発実用化で交流電化の経済性が出たのに、もっと半導体が発展して直流の交流化も経済的に出来るようになった。そして交流電化が廃れて行ったとはなんとも皮肉な結果ですね。(認識良いのかな?) 子供の頃は板谷峠福米間は先に直流電化されていて、EF64がこの区間用だったのも知りませんでした。
電圧の低い直流電化だと電圧降下が大きいので、路線距離の割に列車密度が低い線区では、今でも変電所の数が少なくて済む交流電化に分がありますね。
ごく稀に来るEF71重連は圧巻だった・・・
EF16時点ではなぜ回転変流機にしなかったのか
確かに水銀整流器より古い機械で1基800Vが上限だが、直列で1500V電化は出来てたし、何より完全自動で力行も回生も出来て変電所に常時人が張り付いている必要はない
交流電化は地上設備が安価だが機関車が高価→地方幹線向き ただ別の面として
P(出力)=V(電圧)×A(電流)だから、大出力用途でも架線電流を減らせる(新幹線とか)
北陸、信越とかのDC電化が周辺の大多数の地域だと悩ましい問題ですが東北だったからね
ただ国鉄が地方向けに進めていた都市型ダイヤをやる為に大きな足枷となったので後年デメリットが大きく露出する形となった。
この頃の国鉄って電機を何種類も作り分けてたけど。ED78やEF71は必然としても、ED77(磐越西線向け)って必要だったんでしょうか?後に軌道強化してED75入れるようにしたんだし…
必要でした。このED77(試作形式ED93)は、それまで磁気増幅器から半導体の一種であるサイリスタへと制御装置が変更されたからです。その前にED75 501がサイリスタの試作機として登場しましたが、これは北海道向けだったので、改めて作る必要が生じたためです。
@@hiro901x74 様
ありがとうございます…制御装置の件は理解してますが、敢えてB-2-Bで新機種設定するよりも、ED75の番台区分にしとけば…と思います。
@@oleo_p8018 既にED75自体、0、300、500、700、1000と番台が多かったからこれ以上の番台区分ができなかったのでしょうね。ED75はどちらかといえば本線筋の機関車で、支線区には使えなかったのも理由の1つとしてありそうです。
うp主さんが何を語っているのか判る貴方は「鉄分過多症」です (^^;)
別に奥羽本線が改軌されてもED78は仙山線メインの運用になって、蔵王貨物と落ち葉掃き運用で生き永らえたからそこはひとまとめにすべきでは無かった
実際、485系もトラブルでユニットカットが起きた際にEF71との協調運転があったそうです。
質問です
仕様ソフトは何ですか?