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結局キハ40系列は、ほとんどがエンジンを換装されてしまい、原型エンジン搭載車がレアな存在になってしまいました。
キハ65,66で大馬力になったとはいえ、最後まで冷却力不足に悩ましかったか。40の馬力不足は登場時から言われてたが、ローカル運用のメンテ費を優先した感じ
子供の頃は逼迫した国鉄事情は当然知らず、余剰になった急行型がやって来ると喜んでいたという時代でした。
やはり気動車の大馬力化はJRになってからでしょうね!カミンズやコマツ・新潟鉄工所製の産業用高速エンジンは12~14ℓエンジンで350~450PSを余裕で出せるし、軽量コンパクトで当時の国鉄時代のDMF17や30とは雲泥の差!
JRになって、制式エンジンを設計開発するという手法を諦めたのは大きい。
昨日、今日と北陸の方の話題ばかりで疲れ気味だったので、とってもありがたいです!!
ある意味で失敗だったキハ40系でしたが、まさかこれ程長生きすることになるとは...
今回は国鉄型気動車いっぱいで満足😂
本気でキハ82を急行に下賜するつもりだったのですね。キハ40でDMF15の二機関車など作った場合暖房装置を温水暖房に退化させなければ乗せられそうにありません。
新技術導入や性能向上よりも、標準化が優先された気動車。新旧ごちゃまぜで運転できることが求められたので在来車と仕様を揃えることが肝心だった気動車。労働組合との兼合い確執も性能向上への足枷になってしまったのが国鉄世代の気動車。最盛期には全国5000両も在籍していたからおいそれと置き換えるのも難しかった気動車。JRになって以来そのしがらみから解放され百花繚乱になったのが本邦気動車。ぶっちゃけ日本仕様の気動車は日本でしか造れない。事実嘗てJR東日本が東北地区の支線区用に海外企業にも公開入札を行ったが、求めた仕様を諸外国の錚々たる老舗大企業がとてもじゃないけど作れないと軒並みギブアップしてしまい成立しなかったとか。
気動車の普通列車で、登り勾配走行中に曲線制限に当たるような性能を持つようになったのは、割と最近の事ですね。民営化直後に乗車した山陰の路線では、上下列車で所要時分が倍以上違うような区間すらありました。理由はもちろん勾配です。
九州の片田舎では旧客の設備なバス窓ブタ鼻ヘッドライトのキハ17がガラガラポンポン言わせながらキハユニくっつけて昭和50年代末まで活躍してた。
大糸北線に最後まで残ったキハ52はエンジンがオリジナルのままのDMH17Hだったけど、体感的な加速は結構速かった記憶が。
さすがに飯山線や小海線のJR東のキハ110と比べると分が悪いですが、轟音を立てながら走るのはなかなか迫力がありましたね あと、今走っているキハ120も車体が軽いからか加速は結構良いんですよね
私は烏山線で初めてキハ40系に乗りました。乗車当時、これまで慣れていた115系電車に比べると加速は鈍重でした。後の調べでわかったことですが、オリジナルの原型エンジンに燃料直噴改造を施して、240馬力を出せるように改良されていたとのことです。烏山線内では最高速度が65キロなので、変速段のみでの加速で、宇都宮線では最高で100キロも出すため、直結段での運転です。
25‰で30km/hしか出ないって今の関西本線、キハ120でも大体同じです
いくらなんでも国鉄のディーゼルエンジンはなんだかなあって感じが…
裏の事情では、そもそも国鉄の場合エンジンの交換に関して国会の審議を通して予算を工面しなくてはいけなかったそのため、交換時期が来るとオーバーホールを行って古いエンジンを使い続けなくてはいけなかった
官のメンツ意識ですよね。戦後急速に発展したバス用エンジンで復旧した機械式気動車も、現場では好評だったものを「オイルパンがビミョーに車両限界を突破している」とか難癖つけてムキになって制式エンジンに再換装してたみたいですし。JRになって漸く採用したカミンズのトラック用なども基礎設計はこの動画のテーマの時代まで遡るって聞きますし。
80系を格下げする構想は知りませんでした。どんな姿になったのやら。見てみたくもあり、一方で見るのが怖いという思いもあり…
キハ40系や50系客車の大量配備の中で、キハ66・67が更に量産されたり、キハ54のような車両が1970年代のうちに登場して各地に配置されていれば、ローカル線の輸送体質改善も実現できていたかも、、、と感じさせられます。
オレのキハ40の思い出は…・烏山線キハ40お別れ乗車の旅・雨晴駅初訪問観光・余部橋梁(元余部鉄橋)及び余部駅初訪問観光・北海道旅行・上越線縦断の旅で小出にてキハ40をじっくり見物以上、上記の通りです。最近になって、小湊鉄道で只見・男鹿線を初め、元東北地方のキハ40が譲渡され、烏山線以来のキハ40が復活しまして、今年こそポッポの丘の帰りのついでに、小湊鉄道のキハ40を撮影に行きたいです。
超赤字ローカル線じゃ明治の陸蒸気並の必殺徐行の令和の御代。
電車なのに必殺徐行を繰り出す加古川線()
北海道ではキハ40をH100に代えて時間短縮が実現しましたね。駅間距離が長いのにはっきり効果が現れたということは、いかに旧型の加速が鈍重だったかということです。JR化後の特急型気動車は大出力エンジン1台より中出力エンジン2台が主流ですね。液体変速機の容量やら振り子に対応する事情があるんでしょう。
戦後10年もたつと、徐々に日本の気動車保有台数は、ディーゼル化で近代化したイギリスを抜いて世界一の数となり、世界に冠たる気動車王国(5000両以上)を実現しました。しかし、連続的高負荷条件での使用ゆえ、回転数が自動車用の半分とはいえ、1機関150~180PSはさすがに酷かった。日本は、船舶や自動車の分野では、世界トップレベルの技術であったにもかかわらず、現在の気動車用エンジンが出てくるまでは、はっきり言って日本の気動車の技術は失敗の連続でした。12気筒500PSエンジンも、保守の問題等に悩まされ、これを半分にした6気筒220PSエンジンは、低出力で元の木阿弥でした。日本の技術者は、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスなどの技術を参考にしていたようですが、欧米には複数のエンジンメーカーや変速機メーカー等があり、それぞれ目を見張るようなエンジン等が、もうこの時期に造られていました。現在日本で使われているカミンズのエンジンも、その原型はこの当時造られたものです。日本は、このようにとても恵まれた条件にありながら、これらのメリットを生かすことができずに、電気車、特に新幹線は大成功だったものの、日本の国鉄の内燃動車等の技術がテイタラクだったので、日本の当時の国鉄の根本的な欠陥を露呈することになったのです。戦前の外務省の大陸、半島政策、戦時の日本国政府や日本軍部の政策、失われた30年の財務省の緊縮財政経済政策等に似ているような気がするのです。有効資源の厖大な無駄使いです。政治家や役人は、俺は分限外だから関係ねぇ~よ!ではなく、よくよく考えるべきだったのです。
私はフランス人ですが、、気動車はあなたの説明と同様の技術 (機械式変速機を備えたエンジン、その後は油圧式) でした。「ターボトレイン」は航空学のタービンを使用して登場し、走行を可能にしました。 200km/hで走行しますが、オートマチックギアボックスを備えた油圧トランスミッションを維持します。従来の鉄道車両は 1990 年代まで油圧式自動変速機 (Voith) を使用していましたが、2002 年初めのボンバルディア シリーズではディーゼル・エレクトリック方式が標準となりました。このディーゼル・エレクトリック方式は、1960 年代からディーゼル機関車 (線路または入換) にすでに搭載されていました。
おいおい、DD54の悪夢を忘れるな。あれは三菱も悪かったが、当時の状況ではマイバッハとの連絡が難しかったんだよ、自衛隊もアドーアの悪夢があるし。コンピューターが普及してなくてネットが無い時代では、特に距離が遠くなればなるほど今と比べて海外メーカーとの報連相は相当に難しいんだよ。ジャンルは違うが、サッカーの奥寺が海外に行って日本代表に呼べなかったのはそういった事情もある。それと、当時は冷戦下でいつ東西衝突が起きるかわからないから、有事に海外からの調達は不安定になる可能性があったんで怖かったから国産で何とかしたかったというのもある、同じ島国のイギリス国鉄のHSTも自国製エンジンを使用していたのはそういう事情もあると思うし、あのポルシェも911ですら当時はレギュラー仕様だったのは有事に供給が不安定になるハイオクを使えないというのがあったろうな、まさに経営側としては「海外製なんかまっぴらごめん。」だったろうな。こんなことを書くと、大井川鉄道のカミンズの話を出してくる輩がいるが、あれは近くの漁船にカミンズエンジンが使用されていて、通信も多少はましになった'80年代の話だからな。
キハ52の手すりがとんでもない場所に^^;
✨🚃✨
結局「凸凹な時代」や「トルコンの威力」でも言ってた通り新系列のエンジンを開発、いざ試験運転をやって見ても諸々の問題が出てしまい断念、やむ無く従来のDMH17を基本とした気動車製作になってしまったと。勾配区間では鈍足のままだったが逆に低速域だと勾配を登り易い利点もあるから一概に否定も出来ないよな。
キハ53(改造車でない車両)は希少でしたね。乗った記憶があるのは木次線と肥薩線くらいかな。キハ40系列で2エンジン車は最初から生産する気がなかったんでしょうか。非力DCなのに皮肉なほど長生きで良かったですが。
「大馬力鈍行気動車」はキハ66/67で一応実現しましたが?ちなみにこの系列は急行用ではなく近郊型なので。
動画内で触れてますがな
結局キハ40系列は、ほとんどがエンジンを換装されてしまい、原型エンジン搭載車がレアな存在になってしまいました。
キハ65,66で大馬力になったとはいえ、最後まで冷却力不足に悩ましかったか。40の馬力不足は登場時から言われてたが、ローカル運用のメンテ費を優先した感じ
子供の頃は逼迫した国鉄事情は
当然知らず、余剰になった急行型が
やって来ると喜んでいたという
時代でした。
やはり気動車の大馬力化はJRになってからでしょうね!
カミンズやコマツ・新潟鉄工所製の産業用高速エンジンは12~14ℓエンジンで350~450PSを余裕で出せるし、軽量コンパクトで当時の国鉄時代のDMF17や30とは雲泥の差!
JRになって、制式エンジンを設計開発するという手法を諦めたのは大きい。
昨日、今日と北陸の方の話題ばかりで疲れ気味だったので、とってもありがたいです!!
ある意味で失敗だったキハ40系でしたが、まさかこれ程長生きすることになるとは...
今回は国鉄型気動車いっぱいで満足😂
本気でキハ82を急行に下賜するつもりだったのですね。キハ40でDMF15の二機関車など作った場合暖房装置を温水暖房に退化させなければ乗せられそうにありません。
新技術導入や性能向上よりも、標準化が優先された気動車。新旧ごちゃまぜで運転できることが求められたので在来車と仕様を揃えることが肝心だった気動車。労働組合との兼合い確執も性能向上への足枷になってしまったのが国鉄世代の気動車。最盛期には全国5000両も在籍していたからおいそれと置き換えるのも難しかった気動車。JRになって以来そのしがらみから解放され百花繚乱になったのが本邦気動車。ぶっちゃけ日本仕様の気動車は日本でしか造れない。
事実嘗てJR東日本が東北地区の支線区用に海外企業にも公開入札を行ったが、求めた仕様を諸外国の錚々たる老舗大企業がとてもじゃないけど作れないと軒並みギブアップしてしまい成立しなかったとか。
気動車の普通列車で、登り勾配走行中に曲線制限に当たるような性能を持つようになったのは、割と最近の事ですね。
民営化直後に乗車した山陰の路線では、上下列車で所要時分が倍以上違うような区間すらありました。理由はもちろん勾配です。
九州の片田舎では旧客の設備なバス窓ブタ鼻ヘッドライトのキハ17がガラガラポンポン言わせながらキハユニくっつけて昭和50年代末まで活躍してた。
大糸北線に最後まで残ったキハ52はエンジンがオリジナルのままのDMH17Hだったけど、体感的な加速は結構速かった記憶が。
さすがに飯山線や小海線のJR東のキハ110と比べると分が悪いですが、轟音を立てながら走るのはなかなか迫力がありましたね
あと、今走っているキハ120も車体が軽いからか加速は結構良いんですよね
私は烏山線で初めてキハ40系に乗りました。乗車当時、これまで慣れていた115系電車に比べると加速は鈍重でした。
後の調べでわかったことですが、オリジナルの原型エンジンに燃料直噴改造を施して、240馬力を出せるように改良されていたとのことです。
烏山線内では最高速度が65キロなので、変速段のみでの加速で、宇都宮線では最高で100キロも出すため、直結段での運転です。
25‰で30km/hしか出ないって今の関西本線、キハ120でも大体同じです
いくらなんでも国鉄のディーゼルエンジンはなんだかなあって感じが…
裏の事情では、そもそも国鉄の場合エンジンの交換に関して国会の審議を通して予算を工面しなくてはいけなかった
そのため、交換時期が来るとオーバーホールを行って古いエンジンを使い続けなくてはいけなかった
官のメンツ意識ですよね。戦後急速に発展したバス用エンジンで復旧した機械式気動車も、現場では好評だったものを「オイルパンがビミョーに車両限界を突破している」とか難癖つけてムキになって制式エンジンに再換装してたみたいですし。
JRになって漸く採用したカミンズのトラック用なども基礎設計はこの動画のテーマの時代まで遡るって聞きますし。
80系を格下げする構想は知りませんでした。どんな姿になったのやら。見てみたくもあり、一方で見るのが怖いという思いもあり…
キハ40系や50系客車の大量配備の中で、キハ66・67が更に量産されたり、キハ54のような車両が1970年代のうちに登場して各地に配置されていれば、ローカル線の輸送体質改善も実現できていたかも、、、と感じさせられます。
オレのキハ40の思い出は…
・烏山線キハ40お別れ乗車の旅
・雨晴駅初訪問観光
・余部橋梁(元余部鉄橋)及び余部駅初訪問観光
・北海道旅行
・上越線縦断の旅で小出にてキハ40をじっくり見物
以上、上記の通りです。
最近になって、小湊鉄道で只見・男鹿線を初め、元東北地方のキハ40が譲渡され、烏山線以来のキハ40が復活しまして、今年こそポッポの丘の帰りのついでに、小湊鉄道のキハ40を撮影に行きたいです。
超赤字ローカル線じゃ明治の陸蒸気並の必殺徐行の令和の御代。
電車なのに必殺徐行を繰り出す加古川線()
北海道ではキハ40をH100に代えて時間短縮が実現しましたね。駅間距離が長いのにはっきり効果が現れたということは、いかに旧型の加速が鈍重だったかということです。
JR化後の特急型気動車は大出力エンジン1台より中出力エンジン2台が主流ですね。液体変速機の容量やら振り子に対応する事情があるんでしょう。
戦後10年もたつと、徐々に日本の気動車保有台数は、ディーゼル化で近代化したイギリスを抜いて世界一の数となり、世界に冠たる気動車王国(5000両以上)を実現しました。
しかし、連続的高負荷条件での使用ゆえ、回転数が自動車用の半分とはいえ、1機関150~180PSはさすがに酷かった。
日本は、船舶や自動車の分野では、世界トップレベルの技術であったにもかかわらず、現在の気動車用エンジンが出てくるまでは、はっきり言って日本の気動車の技術は失敗の連続でした。
12気筒500PSエンジンも、保守の問題等に悩まされ、これを半分にした6気筒220PSエンジンは、低出力で元の木阿弥でした。
日本の技術者は、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスなどの技術を参考にしていたようですが、欧米には複数のエンジンメーカーや変速機メーカー等があり、それぞれ目を見張るようなエンジン等が、もうこの時期に造られていました。
現在日本で使われているカミンズのエンジンも、その原型はこの当時造られたものです。
日本は、このようにとても恵まれた条件にありながら、これらのメリットを生かすことができずに、電気車、特に新幹線は大成功だったものの、日本の国鉄の内燃動車等の技術がテイタラクだったので、日本の当時の国鉄の根本的な欠陥を露呈することになったのです。
戦前の外務省の大陸、半島政策、戦時の日本国政府や日本軍部の政策、失われた30年の財務省の緊縮財政経済政策等に似ているような気がするのです。有効資源の厖大な無駄使いです。
政治家や役人は、俺は分限外だから関係ねぇ~よ!ではなく、よくよく考えるべきだったのです。
私はフランス人ですが、、気動車はあなたの説明と同様の技術 (機械式変速機を備えたエンジン、その後は油圧式) でした。「ターボトレイン」は航空学のタービンを使用して登場し、走行を可能にしました。 200km/hで走行しますが、オートマチックギアボックスを備えた油圧トランスミッションを維持します。
従来の鉄道車両は 1990 年代まで油圧式自動変速機 (Voith) を使用していましたが、2002 年初めのボンバルディア シリーズではディーゼル・エレクトリック方式が標準となりました。
このディーゼル・エレクトリック方式は、1960 年代からディーゼル機関車 (線路または入換) にすでに搭載されていました。
おいおい、DD54の悪夢を忘れるな。
あれは三菱も悪かったが、当時の状況ではマイバッハとの連絡が難しかったんだよ、自衛隊もアドーアの悪夢があるし。
コンピューターが普及してなくてネットが無い時代では、特に距離が遠くなればなるほど今と比べて海外メーカーとの報連相は相当に難しいんだよ。
ジャンルは違うが、サッカーの奥寺が海外に行って日本代表に呼べなかったのはそういった事情もある。
それと、当時は冷戦下でいつ東西衝突が起きるかわからないから、有事に海外からの調達は不安定になる可能性があったんで怖かったから国産で何とかしたかったというのもある、同じ島国のイギリス国鉄のHSTも自国製エンジンを使用していたのはそういう事情もあると思うし、あのポルシェも911ですら当時はレギュラー仕様だったのは有事に供給が不安定になるハイオクを使えないというのがあったろうな、まさに経営側としては「海外製なんかまっぴらごめん。」だったろうな。
こんなことを書くと、大井川鉄道のカミンズの話を出してくる輩がいるが、あれは近くの漁船にカミンズエンジンが使用されていて、通信も多少はましになった'80年代の話だからな。
キハ52の手すりがとんでもない場所に^^;
✨🚃✨
結局「凸凹な時代」や「トルコンの威力」でも言ってた通り新系列のエンジンを開発、いざ試験運転をやって見ても諸々の問題が出てしまい断念、やむ無く従来のDMH17を基本とした気動車製作になってしまったと。勾配区間では鈍足のままだったが逆に低速域だと勾配を登り易い利点もあるから一概に否定も出来ないよな。
キハ53(改造車でない車両)は希少でしたね。乗った記憶があるのは木次線と肥薩線くらいかな。キハ40系列で2エンジン車は最初から生産する気がなかったんでしょうか。非力DCなのに皮肉なほど長生きで良かったですが。
「大馬力鈍行気動車」はキハ66/67で一応実現しましたが?ちなみにこの系列は急行用ではなく近郊型なので。
動画内で触れてますがな