DD54 メキドロ式への挑戦

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  • Опубліковано 8 вер 2024
  • DD91の運用結果が概ね良好であったため、これを量産化することとなり、DD54が誕生しました。
    海外メーカーによるサポート体制が殆どなかった当時、保守整備面で海外部品の採用は嫌われ、三菱がライセンス供与を受けて心臓部とも言えるエンジンと変速機を国産化したのです。
    ライセンス契約を結んだとは言っても、ドイツ側が虎の子の技術をすんなり教えてくれるはずがありません。
    1820馬力に落として使用したとはいえ、2000馬力のインタークーラーターボエンジン、しかも86リッターでこの出力は当時まさに未体験ゾーン。
    これに加え、高度な技術を要する機械式4速変速機まで国産化したのですから大変です。
    DD91と異なり、近代的なスタイルで誕生したDD54、凸型が主流となりつつあったディーゼル機関車の中で、ひときわ異色を放つ存在となったのでした。
    参考資料
    鉄道ファン1966年9月号 交友社
    1800馬力液圧式ディーゼル機関車 (JREA 5 Vol 2 1962) 日本鉄道技術協会
    MERKUR QUARTERLY JOURNAL OF THE GERMAN RAILWAY SOCIETY ISSUE 145 WINTER 2017
    クラシック名曲サウンドライブラリー classical-sound...
    CGはじめました turbotrain.net/...
    Daz Studio 4.20 supported volumetric rendering in nvidia Iray.
    But Daz Studio has not yet supported animated vdb sequence files.
    Therefore,the scene "the smoke is billowing out of the exhaust pipes" can not be expressed.
    To enable this, I deviced some code and added to my plugin that can assign animated sequential vdb files to the volume object in the scene for each frame.
    By switching vdb files for each frame, smoke animations can be rendered.

КОМЕНТАРІ • 60

  • @user-xi9lb3qq5o
    @user-xi9lb3qq5o 2 роки тому +17

    DD54の内容よりもCG映像のきれいさに驚き!

  • @user-qx3mk7cv1e
    @user-qx3mk7cv1e 2 роки тому +27

    メキドロ式変速機という単語は知っていても実際は何がどうだったのかさっぱりだったのが、CGで再現してあってとても分かりやすかったです。機械式4速変速機はたしかに複雑そう…

  • @user-jm4xn6iz7x
    @user-jm4xn6iz7x 2 роки тому +16

    出雲のヘッドマークを着けた姿がどこか神秘的で好きでした。

  • @hiroshiseaotter1675
    @hiroshiseaotter1675 2 роки тому +5

    これまでに見たUA-cam動画で、一番感動しました。
    CGの背景への溶け込み感が凄い!

  • @tanukidrunk2610
    @tanukidrunk2610 2 роки тому +15

    様々な意味で伝説の機関車DD54をCG世界で再び蘇らせていただき感謝です...(当方福知山線沿線住まいの為、とても感激しています)
    日本の原風景的な餘部鉄橋や山陰の山路を走る圧倒的にモダンなヨーロッパスタイルが堪らなく良いですね!
    メキドロ式変速機の概略もお見事です。ドイツらしい冶金工学と機械精度で何でもやってしまえ、
    という考えが如実に表れたマシンですね...現場の苦労が偲ばれます

  • @hideomitchigami7595
    @hideomitchigami7595 2 роки тому +5

    DD54取り上げていただき、ありがとうございます!トラブル続きで短命に終わった、かわいそうな機関車です。私の父は元国鉄マンで、DD54のことを赤鬼と呼んでました。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o 2 роки тому +1

      プロペラシャフト強化したらミッションだけでなく、エンジンまで壊れたのだからたまりません。

  • @umenyan0049
    @umenyan0049 2 роки тому +17

    余部鉄橋を走るDD54がリアル!
    好きな形のディーゼルだったけど棒高跳び事故やトラブル続きで短命だったなあ…

  • @kazoom3920
    @kazoom3920 Рік тому +1

    煙の消え方でかろうじて判るくらいに素晴らしい映像!DD54重連が眩しいです♪

  • @user-xv3xj4nn5v
    @user-xv3xj4nn5v 2 роки тому +6

    DD54の失敗の一因として、エンジンと変速機はドイツの技術を使用したのに対し、推進軸と車輪まわりは国産品だったんですよね。
    それらの組み合わせの相性の悪さで機械的に無理が生じたというわけです。試作形式ではすべてがドイツ技術を利用した部品を使っていましたから、良好な成績を発揮できたわけです。
    近年でも、気動車の推進軸が落下するという事故が発生しましたが、それだけデリケートな部位であったということですね。

    • @user-yk7pt7xx2h
      @user-yk7pt7xx2h Рік тому +2

      後は戦前戦中の技術が蓄積されてい無かったことも大きい。
      リスホルムスミス式はチハ改や軽装甲車などへの採用を視野に入れて鉄道省と陸軍が新潟トルクコンバータやジャトコと共同開発していた実績がありました。
      一方フォイト式は川崎重工業が主体になって開発したのですが
      これは戦時中三式戦闘機「飛燕」での
      現代なら「ぴえん🥺」と言われる酷い出来の戦闘機になるほどの苦労をした経験が生きた為に成功しました。
      しかしメキドロ式は全くゼロからの導入だったので
      今でさえ世界一の技術後進国日本では絶対無理な代物でした。

  • @TsucaPon40
    @TsucaPon40 Рік тому +3

    メキドロ式は、トルクコンバーターを介しながら、後ろにある4速の機械式変速機で動力伝達をするものです。
    構造的には、ホンダマチックに類似します。当時は今のような電子制御ではなかったこともあり、ギアの進段時の衝撃吸収が充分でないこともあって、
    変速機の故障が頻発しました。実際、変速機油の温度上昇によるオーバーヒートを起こしたり、推進軸が折れて線路の道床に突き刺さって脱線するなどの事故も発生しました。
    一方、DE10ディーゼル機関車の液体変速機はフォイト式であり、変速比の異なる3組のコンバーターを備え、高低2段の副変速機を搭載するものです。
    DE10の変速機は、運転時は使用するギア段のトルコンにオイルを充填して動力伝達し、使用しない方はオイルを抜いて空回りさせることから充排油方式とも呼ばれます。

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Рік тому

      メキドロ式変速機、イギリスや中国などでは好調だったそうですね。
      何故、日本だけが失敗したのか不思議です。

    • @user-bf8zf6qh6p
      @user-bf8zf6qh6p 4 місяці тому +1

      日本は台車が国産、制御も国産、レール幅の違いなどあるのかと。トルコンはほぼ変速ショックを吸収するためにつけたようです。クラッチが爪式というのが回転合わせでうまくあわないのだと思います。

  • @user-gx6xb1es1c
    @user-gx6xb1es1c 2 роки тому +9

    ついにCGで余部鉄橋!?こんな大きなトレッスル橋が出てきて驚きました。

  • @user-ov4in7sy1h
    @user-ov4in7sy1h 2 роки тому +3

    ほんの一時しか見ることはなかった機関車ですが撮り鉄になり始めて「何?あの機関車は?」と心弾ませ大阪駅10番線に走って行き写真を写したのがDD54なのでものすごく記憶に残っている機関車です。DD51やキハ、EFゴハチなんて「又~?」と飽きていた時期だったのでとても新鮮でしたが!時が流れるのは早いものですね。

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Рік тому +1

      私が幼少の頃、まだクルマが無かったので父親の田舎に帰省する時は汽車でした。
      なので、大阪駅でDD54を見たことが何度かあります。

  • @kiha81hatsukari80
    @kiha81hatsukari80 2 роки тому +4

    悲運のDD54も好きなDLです。
    凄い排煙がリアルで素晴らしい。
    個人的には電気式のDF50以上にDD50が好きです。

  • @keihanhiro1247
    @keihanhiro1247 2 роки тому +6

    1次型の顔が好きでしたね.
    非力なDF50との併用だった為にいつの間にか動いてるDFに対し、発進時のドンという衝撃は凄いものでした。
    発車毎に繰り返すあの衝撃、駆動系にはかなりの負担だったのでは。

    • @user-ym1pv1zy6i
      @user-ym1pv1zy6i Рік тому

      私はディーゼル機関車ではDF50が一番好きでした。
      世界一美しいディーゼル機関車かと。
      DD54といえば役立たずとか散々小馬鹿にしていたものです。
      自分で言うのもアレですが、子供って残酷ですね。
      皮肉にもNゲージのDD54は頗る快調でした。

  • @dai2asakaze
    @dai2asakaze 2 роки тому +2

    ガキの頃、京都駅の近くに住んでて
    このカマの容姿っちゅうか表情に
    強烈な印象があって
    DF50が全然思い出せないんやな、、、
    もうすでに出雲の仕業はDD51になってたし、休車も大量に発生してた時期やから
    稼働機が少なかったハズやのに
    ちなみに宮原で現存してる
    DD51の最終増備機は
    山陰線地区DL安定化っちゅうのが名目で
    無煙化ではなくて
    完全にDF50とDD54の置換え目的やわな
    おそらく唯一のケースやと思う

  • @HarukaEuroYamauchi
    @HarukaEuroYamauchi 2 роки тому +5

    機関車ごとドイツ純正品を導入して、製造メーカーのメンテナンス契約込みでにしてれば最高の機関車になってたと思います。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o 2 роки тому +4

      本国でもトラブルは尽きなかったようですよ。

  • @user-rc9vk2hu5v
    @user-rc9vk2hu5v 2 роки тому +2

    子供の所、父の知り合いが和田山駅の横に住んでいて、その家の窓から、DD54を見ていました。
    まさかその時は、故障ばかりの失敗作で、国会にも取り上げられるとは思っていませんでした。
    弁天町の交通科学博物館に展示していた頃が懐かしいです。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o 2 роки тому +1

      最終便が和田山駅終点だったようです。お別れ運転の様相もなく、客車定期便だったようです。駅にも数名がカメラ向けるだけ。その後にどこかの機関区に保管。廃車解体予定が国鉄上層部関係者からの声で逃れて、大阪へ。33号機です。今は化粧直しされて客車と連結、新しくできた京都梅小路の博物館に屋根したホームにたたずんでいます。下廻りは見れませんが、小さな脚立さえあるか、身長175㎝以上の方なら窓からエンジンが見れます。とても欠陥車には思えません。

  • @rch5055
    @rch5055 2 роки тому +6

    煙を出しながら余部鉄橋を渡る映像かっこいい、ご苦労さまでした
    銀河鉄道999の如くそのまま空を飛ばしてくれないかな、と思ったりして🙂

  • @msn-04ii84
    @msn-04ii84 2 роки тому +10

    もしDD54のエンジンがドイツのマイバッハ製ではなく、カミンズの直噴式エンジンをコマツがライセンス生産していた物だったら、DD54は超化けしてたかもしれない(コマツとカミンズはDD54が誕生する5年前の昭和36年(1961年)に技術提携が始まっている)。

    • @mad1186
      @mad1186 Рік тому +1

      小松カミンズ販売でしたね。

  • @user-kn2qd5gr4u
    @user-kn2qd5gr4u 2 роки тому +3

    変速機における入力側出力側の回転数同調は20年くらい前にやっと完成した感があります。なのに機関車は電気式に移行してしまったのは少し残念です。

  • @tosi6942
    @tosi6942 2 роки тому +2

    謎の製造メーカー三菱のみの機関車(同じライセンス生産のDF50でも6社以上)
    本編でも言ってますが変速時の衝撃は凄かったようで西独では2機関機の変速は2機同時にするなと指示があります。重連の時はどうしてたのでしょう。キハ42500感覚で前後の機関士が「セイの!」で進段してたらヤバい。
    「変速時静かになった」とは気になる、ギアを外す時スロットルを戻すのは分かるがアイドリングまで落としたら次の段の回転数と合わない。まあバスやトラックはダブルクラッチなんてしてた頃だから理論と工作がずれてたんだろうな。

  • @user-ei4yz6kh3o
    @user-ei4yz6kh3o Рік тому +1

    現在は京都鉄道博物館で見られる。

  • @mamelin450
    @mamelin450 5 місяців тому

    まだ乗用車にATが普及していない時代だし、減速機の国内での整備は限界に近かったかも知れない。しかし整備性の悪さだけでなく、DD51に余剰が出たのとオイルショックが代替をさらに加速させた気もする…。

  • @user-ms5hf3iu4y
    @user-ms5hf3iu4y 2 роки тому +2

    dd54は、ヘッドライトが下部にある、デザインの中期型、後期型の方が好きですね。
    上手く行けば、四国にも登場してそうでしたね。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o 2 роки тому +1

      紀勢本線に入線していないから走っているのは見たことないです。こちらは山岳地帯も多く、いきなり山陰本線とかメインにするのもどうかと思いました。山陰本線がどのような地形かはわからないのですが。棒高跳びしたのは小山駅通過のために減速した時に発生したらしいですね。

  • @user-gi3cw2iy5f
    @user-gi3cw2iy5f 2 роки тому +2

    餘部鉄橋にDD54 動いているのを見たのは1回だけなのでありがとうございます

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o 2 роки тому +3

      あの上でプロペラシャフト折れたらヤバイですね。実はお召し列車の担当もしているんです。

    • @user-gi3cw2iy5f
      @user-gi3cw2iy5f 2 роки тому +2

      @@user-sj5fi4jz6oお召の担当はかなり前から整備する お召機は沢山ある担当機候補から選ばれます 事故歴や運転のし易さなどから選びますからね

    • @tydeentetuota5514
      @tydeentetuota5514 Рік тому

      1968年10月6日に1号機と3号機が重連で原因。
      2号機は6月にトラブルを起こしている。
      1号から3号機は実質試作機である。
      1968年はやっと量産機が増備され始めたのである。
      御召し機候補が沢山あった訳ではない。

  • @user-pleo
    @user-pleo Рік тому

    たった10年で引退した名車

  • @user-zn8bl9de1f
    @user-zn8bl9de1f 11 місяців тому

    マイバッハの技術で作られたエンジンもこれまた五月蝿い悲運の名機DD54。これが原因となり後にDD51に置き換えられたとか。

  • @maruyasu1
    @maruyasu1 2 роки тому +1

    turbinePowered07様いつも動画アップ楽しみにしております。
    ぜひDD50型ディーゼルのつるぎ仕様の動画アップ
    よろしくお願いします!
    他にも
    営団地下鉄もよろしくお願いいたします!

    • @TurbinePowered07
      @TurbinePowered07  2 роки тому +1

      DD50は有力候補です。時間がないので実現はいつになるかはわかりませんがお待ち下さい。

  • @subetemohounokatadoridesu
    @subetemohounokatadoridesu Рік тому +1

    どんどんcgの質が上がっていく....

  • @user-ws7en7bd5q
    @user-ws7en7bd5q Рік тому +2

    当時の国鉄技術陣がヨーロッパの技術に偏重しアメリカに目を向けなかったことが大きいと思います。他の方のレスの通り米国GEなどの米国メーカーに目を向けたなら違った結果となっていたでしょう。但しDF50のような電気式とはなっていたと思われます。穿った見方をすると菱重と菱電が不仲な事やGEと関係の深い東芝がエンジンを製造していない事が一因だったからなんでしょうか?

  • @user-th5ez3ti7r
    @user-th5ez3ti7r 2 роки тому +1

    DD54のエンジンは元々、ドイツのマイバッハ(現メルセデス・ベンツの子会社で、ベンツの最上高級車を作っている会社)のエンジンをたしか、三菱重工のライセンス生産で造っていたんでしたっけ?

  • @piyopiyo705
    @piyopiyo705 2 роки тому +2

    この一次形がかっこいいんですよ〜😊

  • @user-ym1pv1zy6i
    @user-ym1pv1zy6i Рік тому +2

    メキドロ式変速機はイギリスや中国などでは快調だったそうですけど、日本だけが失敗したのは何故でしょうね。

  • @user-mp6zk4fb8h
    @user-mp6zk4fb8h 2 роки тому +2

    やっぱり1次車がいいなあ…上手くいかず残念でした

  • @TomegorouMatsumoto
    @TomegorouMatsumoto 2 роки тому +1

    👍

  • @user-mh4qy4uq9l
    @user-mh4qy4uq9l 11 місяців тому

    鉄道を趣味の方向け車両は、機関車型牽引客車をを?四十万人よりファン想像?に黒字列車開発は車両を?初期に機関車を初期に?十両?、客車を?八編成以上予定です。

  • @mie_toritetsu
    @mie_toritetsu 2 роки тому +2

    このCGどうやって作んの?

  • @yellow-motorman6213
    @yellow-motorman6213 Рік тому

    背景の写真、一部津山線(;・∀・)