【すぐにわかる】ブレードランナー 独自解説 Blade Runner Review
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- Опубліковано 17 жов 2017
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♪映画を暗記科目にしたくない!♪
守鍬刈雄が独自視点でひとつの映画を考察・レビューし、それを解説してたり、あらすじを紙芝居にしたりしてます。
#すぐにわかる #守鍬刈雄
1982:監督リドリー・スコット 脚本ハンプトン・フィンチャー デヴィッド・ピープルズ 主演ハリソン・フォード
ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)Amazonプライムビデオ(配信動画サービス) → amzn.to/2A7iNlw
ブレードランナー ファイナル・カット 4K ULTRA HD&ブルーレイセット(2枚組) → amzn.to/2A8DvBm
ストーリー
2019年、環境破壊により人類の大半は宇宙に移住し、地球に残った人々は人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ大都市での生活を強いられていた。宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発されたレプリカントと呼ばれる人造人間が、過酷な奴隷労働に従事していた。しかし、レプリカントには製造から数年経つと感情が芽生え、主人たる人間に反旗を翻すような事件が多発する。レプリカントを開発したタイレル社によって安全装置として4年の寿命が与えられたが、後を絶たず人間社会に紛れ込もうとするレプリカントを「解任」する任務を負うのが、専任捜査官ブレードランナーであった。
タイレル社が開発した最新レプリカント「ネクサス6型」の一団が人間を殺害し脱走、シャトルを奪い、密かに地球に帰還した。タイレル社に押し入って身分を書き換えブレードランナーを殺害して潜伏したレプリカント男女4名(バッティ、リオン、ゾーラ、プリス)を見つけ出すため、ブレードランナーを退職していたリック・デッカードが呼び戻される。デッカードは情報を得るためレプリカントの開発者であるタイレル博士と面会し、彼の秘書レイチェルもまたレプリカントであることを見抜く。人間としての自己認識が揺さぶられ、戸惑うレイチェルにデッカードは惹かれていく。
デッカードは脱走グループが残していった証拠物から足跡をたどり、歓楽街の踊り子に扮していたゾーラを発見し、追跡の末に射殺する。その直後リオンに襲われるが、駆けつけたレイチェルが射殺した事でデッカードは命拾いする。デッカードはレイチェルを自宅へ招き、未経験の感情に脅える彼女を熱く抱擁する。一方レプリカントグループのリーダーロイ・バッティは眼球技師を脅して掴んだ情報をもとに、プリスを通じてタイレル社の技師J・F・セバスチャンに近づき、さらに彼を仲介役にして、本社ビル最上階に住むタイレル博士と対面する。バッティは地球潜入の目的、彼らレプリカントの短い寿命を伸ばすよう依頼するが、博士は技術的に不可能であり、限られた命を全うしろと告げる。バッティは博士の眼を潰し、セバスチャンをも殺して姿を消す。
タイレル博士とセバスチャン殺害の報を聞いたデッカードはセバスチャンの高層アパートへ踏み込み、部屋に潜んでいたプリスを格闘の末に射殺。そこへ戻ってきたバッティと、最後の対決に臨む。優れた戦闘能力を持つバッティに追い立てられ、デッカードはアパートの屋上へ逃れ、隣のビルへ飛び移ろうとして転落寸前となる。しかし寿命の到来を悟ったバッティはデッカードを救い上げ、穏やかな笑みを浮かべながら命果てる。デッカードはレプリカントとして同じ運命が待つレイチェルを連れ、逃避行へと旅立つ。 - Фільми й анімація
・リクエストについて
解説リクエストがございましたら、僕のチャンネル→コミュニティタブ→リクエスト一覧 のコメント欄に書き込んでください。
また、紙芝居へのリクエストは出来かねますのでご了承ください。
動画内と言っていることが違ってしまっていますが、変更したことをご理解ください。
これからもよろしくお願いします。
守鍬 刈雄のお暇なら映画でも 寿命が4年なのはネクサス6型だけじゃなかったでしたっけ?
間違っていたらすいません
強 力 わ か も と
エイリアンの独自解説面白かったよー😭😭
最後のシーンの解釈はめちゃくちゃ好き
道徳と残忍をあの一枚で語るのはすごい
めちゃくちゃ分かりやすかったし面白かったです。原作も読んでみようと思いました。
それはよかったです!ぜひ原作も読んでみてくださいね
絶対に売れ続ける期限つきの商品を売ってるタイレル社。今のスマホ産業を想起させるなぁ。
宗教かと思った
映画も原作も見たのはずいぶん前だったので、色々思い出しながら楽しく拝見させていただきました。
個人的にはロイがデッカードを救ったのは、いよいよ人生の最後を悟ったロイがせめてデッカードに自分の死を看取って欲しかった、一人で死ぬのが怖かった故の行動だと思います
最後の一人ごちるようなセリフも、デッカードに「こんなレプリカントな俺だけど今まで自分が歩んできた軌跡が消えることが寂しいんだぜ」と遠回しに訴えてたんだと思います
で、デッカードもその心意気を酌んで、ある種の衝動的に(またはヤケクソ気味に)レプリカントを人間と認め、後のレエチェルとの逃避行に及んだと考えてます
デッカードはロイの真意がわからないとは言ってましたが、理解してなきゃ逃避行なんてしなかったでしょうからね。言葉ではなく心で理解できた!というやつですね。きっと
薬物と作品の話ですが、僕も全く同じ意見です。作者の性質がどうであれ、生み出された作品は純粋に作品のみの評価を与えるべきだと思います
見方を変えれば、我々が今有難がってる作品や無くてはならない製品、生活の根幹的なシステムなども麻薬による閃きで生まれたモノではないと言い切れませんしね
薬物が関わったかどうかが重要ならば、既存のあらゆるモノも遡って検証する必要があるわけで、でもそれはきっと非常に大変な作業になるわけで…
なんかレプリカントの境遇に通じるものがあるな~
日本語とかが出てくるのが高い城の男の影響とは目から鱗です。素晴らしい洞察ですね。
いろいろな解釈ができる作品ですが、よかったです。
ブレラン2049でまた新たにレイチェルのスペシャルな部分が示唆されましたね〜(あえて伏せますが…)
何百回も見てるのに、解説凄いっすね!
いやいや、何百回も見てるほうがすごいですよ!
ブレードランナーの世界観、映像美が大好きです。
2049でレイチェルとデッガードのその後がなんとなくわかりましたね!
ラストシーンが忘れられないです。
入院をおすすめします😮
sf映画のバイブル傑作と言われているのをこんなに平々凡々と語れるとは、でも参考にはなったよ
優れた作品には、観客が想像や思索を巡らしうる『余白』と、それらの思考に駆り立てる『エネルギー』があるのでしょうね。
「主人公は人間なのか?レプリカントか?」とアレコレ考えるのは楽しいです。
この作品を観ていた想像したのが「脳の障害により『心の理論』機能が働かないせいで、レプリカントと誤診されて"廃棄処分"になった人間はいなかったのか?」と。
街並みが大好物な造形!
「キスして」「抱いて」のとこ照れてません?w
解説、素晴らしかったです。ブレラン2049を観てからここに来ましたが、旧作が改めて良くわかりました。原作、私も30年前に読みましたが、原作の解説も最高でした。しかし、旧作、レイチェルは不幸な未来だろうなんて、当たりましたね。すごいです。また見に来ます。
長い動画になってしまって見て頂くみなさんにも申し訳なく思っちゃいます。
僕たち人間のプログラム=DNAと考えるととても興味深いですね
デジタルを究極化していくとアナログに行き着くようですしね。
人間もある種のロボットの発展型なのかも?
続編で、レイチェルと思われる遺体から赤子の遺体も発見されるってことになっているから、デッカード好みのダッチワイフ化が進む説に1票。
わかるおの地声や
さすがにこれだけ詳細に解説戴くと殆ど全て思い出しました。原作の解説も有難かったです。いずれにしろこの原作をもとにあれだけの重厚感ある映像作品に仕上げる感性はさすがだと思います。スコット自身が根底にあるSF的哲学的問題に踏み込んでるのか映像のみの題材にしてるのかは判らないですが。個人的にはマシンの感情というのは素材がタンパク質かシリコンかの違いでこれはあるとみるのが妥当ではないかと考えてます。そもそも「感情」とは何か最後まで解らない気がしますが。この映画トランブルの雰囲気も色濃く出てると思います。次回コメディ期待してます。
感情とは何なのか、というのは難しいですしわからないですよね。全く何の影響も受けずに、個人そのままの感情なんていうものはあり得ないわけで、どうやったって親や教育者の影響を受けるわけで。答えは出ない問題でしょうね。
そうそう。トランブルといえばホドロフスキーが「デューン砂の惑星」を企画したときスタッフにと打診したところ、あまりにも無礼な態度をとられたことに腹を立てて断った、というエピソードが「ホドロフスキーのDUNE」で語られていましたね。あの話も面白かったです
この動画を見て思った。自分を人間だと信じて疑わない者を打ち倒す者でありたいと思う。
肉体も心も完璧なのに、あっという間にこの世を去らなくてはいけない。なんて悲しいんだろ。なんて残酷なんだろ。
無責任に新しい命を作ることがどれほど残酷なことか。ってことを伝えたい映画なんじゃないの?
割と単純な内容の映画だと思うけど。
デッカードがレプリカントってのは完全に監督の後付けでしょ。デッカードがレプリカントだと、ロイが自分の悲しみをデッカードに告げて亡くなるシーンの意味が失せる。少なくともロイはデッカードを人間だと勘違いして追い回してたことになるんだから、、まぁ要するに台本としてあり得ない。
デッカードは人間であるほうが良いと僕も思います
オレは間違えてても構わないと思う、人間というものに対する思いが表現されるのは同じ
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、なんと発売当初の文庫版が実家に!父親の文庫コレクションの一部でした。
ありがたきことですね~読んでみます
それはラッキーでしたね。読んだ後は売ったりせずに、またいつか読み返したりしてくださいねw
デトロイトの人間版みたいですね
「守鍬刈雄はyutuberの夢を見るか?」
マトリックスの解説ってあるのかな?
サイコパスで出てたやつやん。嬉しい
KITT「おはよう、マイケル」
2017年製のレプリカントはそろそろ寿命来ますね。
2つで充分ですよ
最後の「音楽や小説の価値は作った人の人格とは無関係」というご意見、大いに賛成します!
自分も槇原敬之とか昔から大好きですし(笑)(。-∀-)
一般人ならばまだしも、まれに同じ芸能界にいる人ですら「作品を抹消せよ」的なことをいう人がいることに僕は強い憤りを感じます。例えば槇原敬之の楽曲は彼以外の誰にも作ることはできないわけで。
俺は逆だな
麻薬の力で得たインスピレーションで創りだした芸術は、
スポーツ選手がドーピングでだした記録に近いものと思う
まあ抹消せよとまでは思わんけどね
60年代の原作本はホント名作だったなぁ。まだ押入れにあると思うけど(・_・;
リドリー・スコットの82年の劇場版ブレードランナーも何十回観たことか!
映画版のソフトversion5個くらいあって、2049版も合わせて ホントに終わりがない作品w
レオンをレイチェルが撃ち殺した後の部屋のシーンで、デッカードの顔がピンボケになったところで、これ見よがしにデッカードの瞳が光ります。完全に意図的で、デッカードをレプリカントとしています。演技が下手なのと元の英語セリフと翻訳字幕の齟齬の為、ハッキリしませんが、おそらくレイチェルはデッカードを同じレプリカントなのでは?と疑っています。
デッカードが、自覚意識のない記憶を持ったレプリカントだ。
という考えは全然あると思います。
ネクサス6型レプリカントを消去するためのレプリカント。
として彼が作られたのであれば、自分がレプリカントであり、寿命が4年しかない。
自分は同類のネクサス6型を殺すために作られた。
こーゆー情報は彼にとってはきっとノイズになるはずです。
なので、レイチェル同様、特別仕様でないといけなかった。
この説はありだと思うんですよね〜
オランダ妻は…いやなんでもない
ワイは小説派やったなー。
撮影時代を考えると、すごい美術だったなー。
歳をとらない女性型ロボットを愛した男の悲劇。
デッカードはレプリカントです。
ユニコーンが出てくるバージョンは
その解釈です。
映画のラスト、デッカードの同僚が、ユニコーンの折り紙を
おいていきますが、あれは、自分がここにきたけど、レイチェルを
あえて見逃したんだよ、という意味と、デッカードのピアノでうたた寝の
シーンでユニコーンのイメージが浮かんだところをみると、やはり、
同僚はデッカード、おまえにすり込まれている記憶を俺は知ってるぞ、という
意味になり、偶然作った折り紙がユニコーンだった、なんていう解釈を
させるのは、作者の意図を明確にしなければいけない映画では、やっては
いけないことです。
・・・ですが・・・私はこの、デッカードがレプリカントという設定は大嫌いです。
最後のロイにデッカードが助けられるシーンが、まるで、同じレプリカントだから助けた
ようなニュアンスが混じってしまうからです。
ロイには、限られた命、危うい存在ということでは、人間も自分たちも同じだという
共感によって、デッカードを助けたという話のほうがすっきりします。
手に釘は、キリスト教的な考え方じゃないですか?違うかな?
エルドン・タイレルは父なる神で、
ロイは子なるイエスというメタファーですかね・・|ω・`)
まぁ手に釘を打ちつけたのは
東洋の鍼治療でしょうかね?・・
レイチェルが魅力的過ぎて・・・
あと、原作の解説になってないわw
人間はアルゴリズムに使われている
アルゴリズムは再帰的(recursive)だから無意味だ
原作は映画が話題になって見直された感がありますね。映画も当初はそんなに凄いとの評価はなかったのでは? ターミネーターも然り。ま、その後にどんどん評価が高まり……。その結果が重要(何が言いたい?)。小説と映画はまったく別物。根幹は、今風に言えばAIは感情を持つか、という問いかけですね。言い換えれば、人間の「人たらしめる心(感情)」とは何なのか? との問いかけかと。ま、映画は圧倒的な映像美、演出を楽しみたいですね。関係ないけど、ケータイのコマーシャル「ハリソン君」を思い出した。
感情とは何なのか、というのはとても難しい質問ですよね。一寸の虫にも五分の魂とはよく言ったものです
デッカードがレプリカントだと仮定した場合の矛盾の説明がいまいち納得が。。
例えばデッカードが4年以上生きているかどうかって、映画の内容だけでは断定できないのでは?
言われてみれば確かにそうですね。
引退したかつての凄腕ブレードランナーという肩書と会話の流れや雰囲気から僕が勝手に、デッカードは長年ブレードランナーとして活躍してきたが数年前に引退した男だ、と思い込んでしまったのかもしれません。
もしかしたらデッカードが警察に就職したのは三年前とかで、長年の経験によって同僚の信頼を得たとかではなく、天才的な腕によってわずか二週間でみんなから一目置かれるブレードランナーになり、惜しまれつつ引退したのは一か月前なのかもしれません。僕の早とちりだったかも知れません。
さらに想像の話ですが、デッカードの記憶もインプラントなのかなとデッカードのレプリカント説を聞いたとき僕は思いました。
僕もそれは思いました。でも、だとするとタイレル社長のデッカードに対する態度が解せないな・・・。といった印象があります。レプリカントが来た、という態度ではなかったように思います。ロイが来たときはそれなりに反応していたので、そのあたりがむーんって感じだと僕は考えました。
あー、なるほど。確かに解説でもそうおっしゃってましたね。言われてみれば変ですね。
でもデッカードはおそらく正式に許可をもらって会いに行っているのに対し、ロイは呼ばれざるものが来た、という大きな違いはあるのかなと思いました。
監督自身もデッカードはレプリカントと宣言しているようですが、ブレードランナーのバージョンによってはその解釈は難しいと解説しているサイトもありますし、解説でおっしゃっているように細かい部分考えだすと延々と矛盾がでてきそうですね(笑)
しかし、解説とてもおもしろかったです。どうもありがとうございました。
いえ、こちらこそありがとうございます!
久し振りに見てみたけどルトガーハウアーとハリソンフォードの演技、脚本、映像、最高でした。皆さんデッカードが人間かレプリカントか予想してますけど、酒飲むシーンでデッカードの目が光ってますよね。ただの偶然ならそれまでですが、監督はリドリースコット。そんなはずはありません。映像しか考えてない監督ですから。デッカードがレプリカントと裏付けるシーンでタイレル社長の梟の目が光るシーンがありますが、これはググれば出てると思います。デッカードはレプリカントで間違いないかと。
岡田斗司夫よりましだけどあんまりわかってませんよね。レイチェルが自分をレプリだと疑問を持ってるのは明らか。
レプリカントってスマホなんじゃね?
アンドロイドだし、実際劇中にスマホ出てこないし。
我思うってデカルトの決定的な誤訳でしょ
考える、思考するという意味のはず
思うという日本語訳で、説明して
何も思わないのはスゴイ
詳しく教えて頂いてもよろしいですか?
思うと訳しても考える、思考すると訳しても大きな違いはない
わわ
だって、フランス語だと思考するってなってる
おもうだと、気分とか感情が主体になる
哲学者の言葉をぞんざいに扱うべきでない
どう見ても、漠然と何かを思うなんて意味は含んでいない
「思いまーす」の連発はウザイと思いまーす