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ここまで詳しく系統だってご説明できるのは、膨大な知識量とお見受けします。凄いです!!それを噛み砕いて、誰にでも分かるように、解説されているのが素晴らしいです。これからも、世間に知られていない歴史事象や常識の解説、楽しみにしています。
いやあ、とても面白くて為になります。ずっと聞いていたいです。編集お疲れさまです。
大変面白いです。たくさんお願いします。
とても面白いですね
ありがとうございます。
はじめまして。最近こちらを見るようになりました。聞きやすく、面白いです。大人になってから、子どもが読む歴史漫画にはまりました。呪詛や、清少納言の名前などについて、ご説明と同じように書かれてました。思い出せてよかったです。
先生のお話しは凄く聞きやすくスッと入ってきます。学生時代先生みたいな先生(笑)?だったら、成績がもっと上がって歴女になっていたのに!って思います。
ありがとうございます。今からでも遅くないので、ぜひ歴女に!(笑)
めっちゃ面白かったです。明日誰かに話すと思います。
どんどん話してください。でも、あんまりやると引かれますwww
解りやすい動画ありがとうございます政子、、、なんで「子」が付くのか不思議でした。本当は「おまさ」だったのかなーとか!納得しました。鎌倉時代、学校ではあっという間に終わったように思います。こんなに凄くて面白いなんて!!また解説楽しみにしていますね!
そういう点で考えたらドラマの中で上総介が最初ずっと「頼朝」と呼んでたのはヤバかったよな...
童名(わらわな)って言葉を初めて知りました、今回も貴重なお話しありがとうございます~先生のひもとく歴史の貴重なお話しが楽しみ!小栗旬さん大好きなので、大河ドラマが+αでより楽しめます。これからもお願いします。
脚本が三谷幸喜さんなので、ものすごく期待していますwww 小栗旬さんは「銀魂」でお笑いもできる人なので、どっちに転んでも楽しそうですね💖
言われてみれば、例えば清少納言だったら「少納言」は官職名っぽいので本名では無さそうですよね。戦国時代でも武将の下の名前(信長や秀吉)は諱(いみな)と言って呼んではいけない名前だったと聞いているので、「名前が知られると呪われる」というのは結構続いていたのでしょうね。勉強になりました。
清少納言って、あの人の父上が清原さんところの、少納言の役職のあの人!って意味だそうですよ。
なるほど、だから役職名で呼ぶのが多かったのか…乙姫がただの二番目なのは驚き…💧竜宮城の乙姫🐢❗️思った🤣
面白かったです(=゚ω゚=)当時と現代は 呼び名の概念が異なってたのですね
先生!いつも楽しく拝聴してます!名前のお話をお聞きして、思ったのですが、兄姫、兄媛(えひめ)弟姫、弟媛(おとひめ)の「おと」から乙姫になったということですか?甲も、「え」と読むとは思うのですが、甲姫のえひめの方は、呼び名として残らなかったんでしょうか?教えてくださいませ!
バックの中国茶器棚が(も)ステキですね😍
落語「青菜」のオチ.「鞍馬の山より牛若いでて、その名を九郎(その菜を食らう)」「それなら義経、義経(よし、よし)」童名と呼名を知らないとオチがわからないことに.
当時の人の「名前の呼ばれ方」事情がよくわかる、いい動画ですね😀最近盛り上がってる夫婦別姓の議論に例として北条政子を持ち出す人がいますが、便宜上そう呼んでるにすぎないのに別姓も同性もあったもんじゃありませんよね。
その通りですね。
私も 浦島太郎 乙姫 次女だな と 思いました。光源氏は 平氏源氏と 関係あるのかな と 疑問? 吉高由里子の 物語での 当時の 常識と 現代の 違い 楽しみに しています。今回の 題材に ついて 解説されている方 少ないでしょう。
とても為になる解説をありがとうございます。私は歴史を語るラジオ番組をやっていますので、番組中で知識を使わせていただきます。
エラい勉強になりますわ
男性の諱も、仕える主人や親ぐらいしか口に出来なかった様ですね。それと敵方!上杉謙信の寺への願文には、にっくき晴信、とか大悪人晴信とか晴信オンパレード🤣信玄を晴信呼びって、よっぽど憎いんだろうけど、なんか可愛かった💕
憎しみは愛情の裏返しwww親しみを込めたのかもwww
吾妻鏡には北条じゃなくて平政子ですよね
「北条政子」の名前について共通テストの日本史で出題されましたが、この問題とセンターの解答についてどうお考えですか?
テストでは「歴史用語」を聞かれているわけだから問題なかろw後世に作られた歴史用語があかんとなったら、歴史の教科書は(日本史世界史をとわず)あかん言葉だらけになるぞw
昔の「風と雲と虹と」でも、ちゃんと諱は避けて「四郎殿」だったよなあ、まあ、これはスタッフというよりも海音寺潮五郎がそうした訳だが
女性に「名前を教えて」と言えば、プロポーズしていることになる時代でしたからね…。30年ぐらい前に松方弘樹氏扮する「遠山の金さん」で、金さんを母親が「金四郎」と呼びかけているシーンがありましたけど、あれが正しいわけですね。逆に87年の大河「独眼竜政宗」で母の義姫が主人公を大声で「政宗っ!」と呼んだり𠮟りつけたりするシーンがありましたが、あれも正しくは「藤次郎っ!」と言うべきだったのでしょうね(^^;
これを視て日本は昔から男尊女卑だったんだと騒ぐ人が減ると良いですね。
何のCMだか忘れましたが、清少納言のことを「なごんチャン」とか呼んでいました.まったくトホホですね.
やっぱそうだよね。でもこの辺をちゃんとやると今の視聴者にはチンプンカンプンなんだろうな。大河は平気で本名呼び合ってるがw
子供達と百人一首を覚えている時に、女性の名前について不思議に思っていました。父親の官職や息子の母としかかかれないことに、男性中心の世の中だったからかなと少し腹が立つ感じも覚えていました。でも本名を知ると呪詛できることなど、本名は男性であっても滅多なことがないかぎり知らせないし言わないことがわかり、官職で覚えさせられる意味がわかりました。女性も名前がなかったわけではなく、記録に残す必要がないので残っていないだけ。女房としてつとめていた場合には女房名がある。など、もやもやしていた部分がスッキリしました!ありがとうございます!
コメントありがとうございます。
名前で人が呪い殺せるなんてdeath noteですやん。😮
ほう😃尼将軍は政子さんとしては七年間だけなのですね勉強になります✨本題からは逸れるのですが北条政子(北条は生家)日野富子(日野は生家)ときたら細川ガラシャは なぜ細川なのでしょう🤔生家は 明智 もしくは惟任では?歴史用語の 一貫性のなさにモヤモヤします😅
えらい先生が言い出したら、そうなるのが歴史業界っぽいです(©本郷先生)ww
@@kashimashi_rekishi_ch 先生お返事 ありがとうございます🙏えらい先生次第 ですかww
これじゃなかったのですが、伊豆の目代を山本兼孝と言われていましたが、山木兼孝の間違いですよね。
ご指摘ありがとうございます。山木兼隆です。
「政子」が頼朝死後に対応に困って急遽つけた名前だったという衝撃の事実。😳
概念も使い方も違う昔の人の諱を現代人の本名と=(イコール)としてしまうと現代人には余計解り難くなってしまうと思います。例えば北条小四郎平義時なら北条は名字(苗字):財産や収入を一にする同族の名称、小四郎(任官後は相州・奥州)(通称):主に他人が呼ぶための名前、平(氏):血統を表す名称、義時(諱):主に本人が使う名称とでも説明した方が良い思います。どれが現代人の本名に当たるかと言えば全部でしょう。因みに、西郷隆盛は本当の諱は隆永ですが登録上は父親と同名です。これは維新の時に位階を授けられる際に西郷本人は不在で周囲の友人が普段呼ばない諱を誰も知らず誤って父・吉兵衛の諱で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためです。この様に本人以外は知らないものを現代人の本名と同等に扱うのは疑を感じます。
一郎ではなく太郎です。頼朝関連でいえば、彼の長兄が悪源太と呼ばれましたね。
そうでした。ご指摘ありがとうございます。
北条政子の妹で足利義兼の妻になった人物が「北条時子」と呼称されるのは何故ですか?
仮称、みたいな感じですね。実名は不明です。
本姓は父方を名乗るのが律令の規定で、苗字もそれに倣ったからなのでは?
○○子って名前は高貴な名前だったんですね!!名前といえば、藤原道長とか源頼朝とか苗字と名前の間に「の」が付きますが、室町時代あたりから消えますよね?なんでですか?征夷大将軍とかの身分じゃないんですかね?それとも公家特有な感じなんですかね?いつも、楽しく拝見しております。大河、まだ見れてないですが、楽しみです!
一応「平 源 藤原 橘」などの「氏」の場合、「の」がつく感じですが、今回の大河では「北条 伊東 三浦」なんかにも「の」をつけてますね~。
鎌倉時代あたりまでの歴史上の人物は氏+姓(かばね)を名乗っている人がまだいたので、頼朝であれば「源朝臣(みなもとのあそん)三郎頼朝」がフルネームですが、このころは八色の姓の制度が形骸化し姓が朝臣ばかりだったことから表記も読み方も朝臣を省くようになっており、読み方だけ”の”が残った状態です。(平氏、藤原氏なども同様)ただ、氏の名前が源平藤橘ばかりで同じ氏の人があふれかえってくるようになると、混乱を避けるため住んでいる地名や官職名などから取って苗字を名乗るようになり、氏を省略するようになります。例えば織田信長であれば「平朝臣織田三郎信長」がフルネームですが、平朝臣は公文書くらいにしか出てきません。なお、氏姓は天皇から下賜される名前で勝手には名乗ったり変えたり出来ませんが、苗字は自由に名乗れる名前です。そのため分家が別の苗字を名乗るといったことも普通にありました。
@@kashimashi_rekishi_ch さんNHKの「日本人のお名前」によると、苗字にも本姓と同じにように、「の」を使用する習慣がそのまま使われているらしいです。でも、絶対ではないので、正確には使ったり使わなかったりしました。
氏姓と諱の間に「の」を入れるのは明治維新直前まで続きます。「の」が省かれるのは苗字です。足利尊氏や徳川家康が征夷大将軍に任じられた書面を見ると、源姓が使われています。余談ですが、朝廷の公式文書だけでなく、足利幕府や徳川幕府の外交文書でも本(源)姓が使われています。
当時は、夫婦別姓だったのでしょうか?源頼朝の妻ですが、「源政子」とは呼ばないですよね。
相続も別ですし、夫の姓は名乗らないですね。
詠み人知らず~小倉山荘より(笑)
小倉山荘旧址厭離庵の障子紙にすべきだったかな?(笑)
将来の日本人はまた名前を名乗らない時代が来たりして…未来の歴史家『個人情報の保護の為に令和時代の日本は本名を名乗らなかったんです』
コレ、後世の歴史家にしたら、「銀河の歴史がまた1ページ…」って銀河英雄伝説のナレーション入りそうですね😅
@virgo shaka 良いですね🙂きりゅうさん銀河の歴史も解説してくれないかしら(笑)
@@kein4804 まぁ、観ておられればハマってくれそうですが😅ヤン・ウェンリーと歴史談議されるかもしれませんね😅
政子の妹、ドラマでは実衣さんは阿波局と呼ばれていたから、政子は○○局と呼ばれていたのかな?でも平清盛の妻は時子だし。政子という名前は源氏名?
面白い!でも小野妹子は男性だが?
妹子は中国式ですね。中国では「子」は男性につけましたwww
孔丘→孔子孟軻→孟子韓非→韓非子の、様なもの?
く
大和和紀(笑)
ここまで詳しく系統だってご説明できるのは、膨大な知識量とお見受けします。凄いです!!それを噛み砕いて、誰にでも分かるように、解説されているのが素晴らしいです。これからも、世間に知られていない歴史事象や常識の解説、楽しみにしています。
いやあ、とても面白くて為になります。ずっと聞いていたいです。編集お疲れさまです。
大変面白いです。たくさんお願いします。
とても面白いですね
ありがとうございます。
はじめまして。最近こちらを見るようになりました。聞きやすく、面白いです。
大人になってから、子どもが読む歴史漫画にはまりました。呪詛や、清少納言の名前などについて、ご説明と同じように書かれてました。思い出せてよかったです。
先生のお話しは凄く聞きやすくスッと入ってきます。
学生時代先生みたいな先生(笑)?だったら、成績がもっと上がって歴女になっていたのに!って思います。
ありがとうございます。今からでも遅くないので、ぜひ歴女に!(笑)
めっちゃ面白かったです。
明日誰かに話すと思います。
どんどん話してください。でも、あんまりやると引かれますwww
解りやすい動画ありがとうございます
政子、、、なんで「子」が付くのか不思議でした。本当は「おまさ」だったのかなーとか!
納得しました。
鎌倉時代、学校ではあっという間に終わったように思います。
こんなに凄くて面白いなんて!!
また解説楽しみにしていますね!
そういう点で考えたらドラマの中で上総介が最初ずっと「頼朝」と呼んでたのはヤバかったよな...
童名(わらわな)って言葉を初めて知りました、今回も貴重なお話しありがとうございます~
先生のひもとく歴史の貴重なお話しが楽しみ!
小栗旬さん大好きなので、大河ドラマが+αでより楽しめます。
これからもお願いします。
脚本が三谷幸喜さんなので、ものすごく期待していますwww 小栗旬さんは「銀魂」でお笑いもできる人なので、どっちに転んでも楽しそうですね💖
言われてみれば、例えば清少納言だったら「少納言」は官職名っぽいので本名では無さそうですよね。戦国時代でも武将の下の名前(信長や秀吉)は諱(いみな)と言って呼んではいけない名前だったと聞いているので、「名前が知られると呪われる」というのは結構続いていたのでしょうね。勉強になりました。
清少納言って、
あの人の父上が清原さんところの、
少納言の役職のあの人!
って意味だそうですよ。
なるほど、だから役職名で呼ぶのが多かったのか…
乙姫がただの二番目なのは驚き…💧
竜宮城の乙姫🐢❗️思った🤣
面白かったです(=゚ω゚=)
当時と現代は 呼び名の概念が異なってたのですね
先生!いつも楽しく拝聴してます!名前のお話をお聞きして、思ったのですが、兄姫、兄媛(えひめ)弟姫、弟媛(おとひめ)の「おと」から乙姫になったということですか?
甲も、「え」と読むとは思うのですが、甲姫のえひめの方は、呼び名として残らなかったんでしょうか?教えてくださいませ!
バックの中国茶器棚が(も)ステキですね😍
落語「青菜」のオチ.
「鞍馬の山より牛若いでて、その名を九郎(その菜を食らう)」
「それなら義経、義経(よし、よし)」
童名と呼名を知らないとオチがわからないことに.
当時の人の「名前の呼ばれ方」事情がよくわかる、いい動画ですね😀
最近盛り上がってる夫婦別姓の議論に例として北条政子を持ち出す人がいますが、便宜上そう呼んでるにすぎないのに別姓も同性もあったもんじゃありませんよね。
その通りですね。
私も 浦島太郎 乙姫 次女だな と 思いました。
光源氏は 平氏源氏と 関係あるのかな と 疑問? 吉高由里子の 物語での 当時の 常識と 現代の 違い 楽しみに しています。
今回の 題材
に ついて 解説されている方 少ないでしょう。
とても為になる解説をありがとうございます。
私は歴史を語るラジオ番組をやっていますので、番組中で知識を使わせていただきます。
エラい勉強になりますわ
男性の諱も、仕える主人や親ぐらいしか口に出来なかった様ですね。それと敵方!
上杉謙信の寺への願文には、にっくき晴信、とか大悪人晴信とか晴信オンパレード🤣信玄を晴信呼びって、よっぽど憎いんだろうけど、なんか可愛かった💕
憎しみは愛情の裏返しwww親しみを込めたのかもwww
吾妻鏡には北条じゃなくて平政子ですよね
「北条政子」の名前について共通テストの日本史で出題されましたが、この問題とセンターの解答についてどうお考えですか?
テストでは「歴史用語」を聞かれているわけだから問題なかろw
後世に作られた歴史用語があかんとなったら、歴史の教科書は(日本史世界史をとわず)あかん言葉だらけになるぞw
昔の「風と雲と虹と」でも、ちゃんと諱は避けて「四郎殿」だったよなあ、
まあ、これはスタッフというよりも海音寺潮五郎がそうした訳だが
女性に「名前を教えて」と言えば、プロポーズしていることになる時代でしたからね…。
30年ぐらい前に松方弘樹氏扮する「遠山の金さん」で、金さんを母親が「金四郎」と呼びかけているシーンがありましたけど、あれが正しいわけですね。
逆に87年の大河「独眼竜政宗」で母の義姫が主人公を大声で「政宗っ!」と呼んだり𠮟りつけたりするシーンがありましたが、あれも正しくは「藤次郎っ!」と言うべきだったのでしょうね(^^;
これを視て日本は昔から男尊女卑だったんだと騒ぐ人が減ると良いですね。
何のCMだか忘れましたが、清少納言のことを「なごんチャン」とか呼んでいました.まったくトホホですね.
やっぱそうだよね。でもこの辺をちゃんとやると今の視聴者にはチンプンカンプンなんだろうな。大河は平気で本名呼び合ってるがw
子供達と百人一首を覚えている時に、女性の名前について不思議に思っていました。父親の官職や息子の母としかかかれないことに、男性中心の世の中だったからかなと少し腹が立つ感じも覚えていました。
でも本名を知ると呪詛できることなど、本名は男性であっても滅多なことがないかぎり知らせないし言わないことがわかり、官職で覚えさせられる意味がわかりました。
女性も名前がなかったわけではなく、記録に残す必要がないので残っていないだけ。女房としてつとめていた場合には女房名がある。など、もやもやしていた部分がスッキリしました!ありがとうございます!
コメントありがとうございます。
名前で人が呪い殺せるなんてdeath noteですやん。😮
ほう😃
尼将軍は
政子さんとしては七年間だけ
なのですね
勉強になります✨
本題からは逸れるのですが
北条政子(北条は生家)
日野富子(日野は生家)
ときたら
細川ガラシャ
は なぜ細川なのでしょう🤔
生家は 明智 もしくは惟任では?
歴史用語の 一貫性のなさに
モヤモヤします😅
えらい先生が言い出したら、そうなるのが歴史業界っぽいです(©本郷先生)ww
@@kashimashi_rekishi_ch 先生
お返事 ありがとうございます🙏
えらい先生次第 ですかww
これじゃなかったのですが、伊豆の目代を山本兼孝と言われていましたが、山木兼孝の間違いですよね。
ご指摘ありがとうございます。山木兼隆です。
「政子」が頼朝死後に対応に困って急遽つけた名前だったという衝撃の事実。😳
概念も使い方も違う昔の人の諱を現代人の本名と=(イコール)としてしまうと現代人には余計解り難くなってしまうと思います。例えば北条小四郎平義時なら北条は名字(苗字):財産や収入を一にする同族の名称、小四郎(任官後は相州・奥州)(通称):主に他人が呼ぶための名前、平(氏):血統を表す名称、義時(諱):主に本人が使う名称とでも説明した方が良い思います。どれが現代人の本名に当たるかと言えば全部でしょう。
因みに、西郷隆盛は本当の諱は隆永ですが登録上は父親と同名です。これは維新の時に位階を授けられる際に西郷本人は不在で周囲の友人が普段呼ばない諱を誰も知らず誤って父・吉兵衛の諱で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためです。この様に本人以外は知らないものを現代人の本名と同等に扱うのは疑を感じます。
一郎ではなく太郎です。頼朝関連でいえば、彼の長兄が悪源太と呼ばれましたね。
そうでした。ご指摘ありがとうございます。
北条政子の妹で足利義兼の妻になった人物が「北条時子」と呼称されるのは何故ですか?
仮称、みたいな感じですね。実名は不明です。
本姓は父方を名乗るのが律令の規定で、苗字もそれに倣ったからなのでは?
○○子って名前は高貴な名前だったんですね!!
名前といえば、藤原道長とか源頼朝とか苗字と名前の間に「の」が付きますが、室町時代あたりから消えますよね?なんでですか?征夷大将軍とかの身分じゃないんですかね?それとも公家特有な感じなんですかね?
いつも、楽しく拝見しております。大河、まだ見れてないですが、楽しみです!
一応「平 源 藤原 橘」などの「氏」の場合、「の」がつく感じですが、今回の大河では「北条 伊東 三浦」なんかにも「の」をつけてますね~。
鎌倉時代あたりまでの歴史上の人物は氏+姓(かばね)を名乗っている人がまだいたので、頼朝であれば「源朝臣(みなもとのあそん)三郎頼朝」がフルネームですが、このころは八色の姓の制度が形骸化し姓が朝臣ばかりだったことから表記も読み方も朝臣を省くようになっており、読み方だけ”の”が残った状態です。(平氏、藤原氏なども同様)
ただ、氏の名前が源平藤橘ばかりで同じ氏の人があふれかえってくるようになると、混乱を避けるため住んでいる地名や官職名などから取って苗字を名乗るようになり、氏を省略するようになります。
例えば織田信長であれば「平朝臣織田三郎信長」がフルネームですが、平朝臣は公文書くらいにしか出てきません。
なお、氏姓は天皇から下賜される名前で勝手には名乗ったり変えたり出来ませんが、苗字は自由に名乗れる名前です。そのため分家が別の苗字を名乗るといったことも普通にありました。
@@kashimashi_rekishi_ch さん
NHKの「日本人のお名前」によると、苗字にも本姓と同じにように、「の」を使用する習慣がそのまま使われているらしいです。でも、絶対ではないので、正確には使ったり使わなかったりしました。
氏姓と諱の間に「の」を入れるのは明治維新直前まで続きます。「の」が省かれるのは苗字です。足利尊氏や徳川家康が征夷大将軍に任じられた書面を見ると、源姓が使われています。余談ですが、朝廷の公式文書だけでなく、足利幕府や徳川幕府の外交文書でも本(源)姓が使われています。
当時は、夫婦別姓だったのでしょうか?
源頼朝の妻ですが、「源政子」とは呼ばないですよね。
相続も別ですし、夫の姓は名乗らないですね。
詠み人知らず~小倉山荘より(笑)
小倉山荘旧址厭離庵の障子紙にすべきだったかな?(笑)
将来の日本人はまた名前を名乗らない時代が来たりして…
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コレ、後世の歴史家にしたら、「銀河の歴史がまた1ページ…」って銀河英雄伝説のナレーション入りそうですね😅
@virgo shaka
良いですね🙂
きりゅうさん銀河の歴史も解説してくれないかしら(笑)
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政子の妹、ドラマでは実衣さんは阿波局と呼ばれていたから、政子は○○局と呼ばれていたのかな?
でも平清盛の妻は時子だし。
政子という名前は源氏名?
面白い!でも小野妹子は男性だが?
妹子は中国式ですね。中国では「子」は男性につけましたwww
孔丘→孔子
孟軻→孟子
韓非→韓非子
の、様なもの?
く
大和和紀(笑)