なるほど日本 第54話 出雲の伝承が示す天照大神の正体とは 後編:太陽の女神『天照大神』
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- Опубліковано 7 жов 2024
- 皆さんこんにちは。今回は大和に向けて進出した出雲族の足跡(そくせき)と伝承から、日本神話において最も重要と言われる神々、『三貴子(みはしらのうずのみこ)』の一柱である天照大神(あまてらすおおみかみ)について、考察していきたいと思います。
大和の地を目指して旅立った人々に浮かび上がったある存在と、『太陽』と『女神』の真相とは!
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『アマテラス』って言う響きが好き
神とされている天照大神は実在する人物であったというのには驚きました‼️次回も楽しみにしてます😊
冨家の伝承では東征したのは、神武天皇ではなく、垂仁天皇ですが、わかりやすくて素晴らしい。
凄い!3日前、三瓶山、日御碕へ行ったことろ、タイムリー。
日御碕神社に天照大神、素戔嗚尊、五十猛命、天村雲命が祀られており…血縁者? 佐太→蹉跎?
ハテナ?がいっぱいです。(?_?)
有難うございます。
次回が楽しみです✨
日御碕神社は天照大神が主祭神として有名な神社ですよね。
夕日の祭りなど太陽に深く関係する神社でありながら夜を守る社であるのも興味深いですね!
出雲に鎮座していると同時に天照大神を祀る点でもまだまだ謎がありますね!
境外摂社?末社?でしょうか、県道向こうに月読神社がありました。三貴子揃いますね…
動画中、十種の神宝や太極図のインサート。意味深です…😏
なるほど、幸姫が天照大御神、百襲姫がヒメミコの時、卑弥呼と大陸に漢字記載された。・・今1番しっくり来たな。・・・
神武東征からのお話しが楽しみです。
天照大御神の荒御魂は瀬織津姫とされ伊勢神宮に
お祀りされていますがこれはどなたなのか気になります。今後の考察を
楽しみにしています。
天照大神という視点から、
考察をするという試みが
とても素晴らしいです。
三輪山を観てみれば、
ヤマト政権の信仰が
はっきり浮き出て来ます。
これから続くお話で、
太陽の女神が
どのように伊勢に移られたかも、
分かっていきますね。
天照大神とは、
天孫族という
どこからやって来た人たちの
神さまではなく、
元々、日本列島にいた
縄文人の女神だったこと、
多くの人に理解していただきたいです。
出雲族だけでなく、
それ以前から列島にいた縄文人も、
サイノカミと同じ本質の
信仰を持っていたと思います。
陰陽石やストーンサークル、
磐座などをみますと、
その本質は同じであると
理解できます。
出雲族がやって来ても、
融合は難しくなかったと
思われます。
続きの動画も
楽しみにしております。
ありがとうございました。💟
なぜ日本人は天照大神を尊んでいるのかという点で捉えてみました。
外国人からよく『日本で最も位の高い神様は天照大神ですか?』とコメントが来ます。
キリストやシヴァなどのようなイメージでしょうか。
それに対して同じ外国人の方が『日本には八百万の神がいるから、唯一の神がいるわけでは無いのですよ』
と答えておられました。
日本には八百万の神々がいらっしゃることから全てに神様が宿ると考えられて来ていますが、これは縄文時代の自然崇拝という遥か古代の歴史を今に受け継いできているのではないかと感じています。
そして、自然の中でもやはり太陽という存在は生活の中心であり、生きていく上で最も重要な存在であったのではないかと考えます。
朝が来ることも、米が育つことも、祭祀・祭ごと=政(まつりごと)=政治によって国民が纏まることも全ての源流となった自然の要素という意味で太陽という存在が中心となったということなのではないかと感じています。
そう思います。縄文遺跡から考えるに、出雲族が来る以前に太陽信仰、蛇信仰、女神信仰、性器信仰はあったと考えれます。
@@スクナヒコ さま
ですよね。
物が沢山、残っていますね。❣️
出雲口伝もおもしろいね
姫巫女って、卑弥呼ではないか。個人を指すのではないのかもね。
瀬織津姫は男王天照大御神の皇后です。
天照大御神には忍穂耳命をはじめ多数の皇子、皇女があり、天孫降臨される邇邇芸命はお孫さんに当たります。
スサノオの子が、オオナムチ(大国主)ではないですか。
それはない。出雲弁と奈良弁ではあきらかに違う。
言葉はそう簡単にはかわらないものだよ。
出雲口伝は伝承をもとに何代にもわたって創作され続けたのだろうね。
三輪氏の伝承では阿波から来たことにになっている。
その為に事代主を祀る率川阿波神社の所有を巡って藤原氏と対立があったわけだ。
阿波から勧請したのは藤原氏だが三輪氏とっては祖神だからね。
阿波弁と奈良弁はよく似ている。
出雲の方言は東北弁によく似てます。
またDNA解析による縄文系と渡来系の分布を調査した結果は東北地方と島根県に縄文系が多いという結果でした。
そして近畿と四国が渡来系が多いそうです。
出雲王朝を形成していた人々は伝承の通りなら渡来人なのでしょうが、意外と少数派だったのかもしれません。
スサノオが徐福だったら、年代合わなくなりません?
結果、さらっと流しちゃって手たけど、モモソ姫が天照大神で良いのかな??
天皇の実際の寿命は短かった。徐福が出てくるのは前200年頃。しかし、徐福がスサノウであるのはむりだ。別人だろうね。しかし、出雲王朝は存在した、
徐福の名前を正史から隠す為に、記紀では徐福の悪行をスサノオの高天原の狼藉として神話を創造したものだと書かれています。このスサノオとは個人ではないようです。
賽の河原は、佐井の河原?
@@nihontaro9 もしかしたら…インドのような風習があったのかも知れない!?…以外と神仏習合の原点だったりして…
神も仏も、あったみたいですね。見えなかっただけで昔からずっと同じところに居たのかも。
@@nihontaro9 まぁ…昔の人は、見えとったらしいから…当然なことなのかな?
岡田様、
一つの可能性として賽の河原は多分狭井からきているとすれば、サイノカミ信仰の岐別れしている次元の境界という意味のように思うので、
佐井も狭井もクナト岐のサイノカミという同じ意味なのかもしれません。似た名前の佐太神社も狭井神社もありますから、祭られている神や役割の違いなどを調べてみると面白いと思います。🐘🦣
天照大御神が聖書で云う新約で
出雲が旧約ではないですかね
天照大神は女神ですか⁉️伊勢神宮の外宮には豊受大神と女神がいます、女と女では何か不自然に感じますが!
スサノオが徐福というのも、あまりにも飛躍しずぎていますし、天照大神は本当に女神でしょうか?記紀が全ての問題の根源ではないでしょう?。
富家の出雲口伝は、?になるところが多い。初代神武天皇(イワレヒコ)とモモソ姫は同時代ではない。モモソ姫は7代孝霊天皇の子供です。
ただし、徐福が3度渡来した、1度目と2度目の出来事を表しているのか。出雲族の半分が畿内にやってきた理由はわかった気がする。
出雲伝承的には徐福を派遣したのは始皇帝だから始皇帝がアマテラスという事になるんじゃないの?