Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
二人時代オフコースのファンです。ファンにとって、こちらの音源は歴史的貴重品ですね。別れの情景Ⅰ、Ⅱのつながりは素敵です。昔の小田さんの繊細な声と、康さんとのハーモニーの良さよく出て、歌詞と相まって「オフコースの世界」そのものです。感激です。
ほんとにそうですね。あの頃は、「売れない」「お通夜みたいなコンサート」みたいな酷評が多かったですが、今も二人とも(のちの3人も)現役でステージに立っているというのは奇跡のようなことだと思います。あの頃、二人があきらめなかったから今があるのだと思います。ずっと応援してきてよかったです。
小田さんと鈴木さんが大変な音楽の世界に進んでくれたからたくさんの素敵な曲に出会えて幸せだな❤
今以上に国公立大学の理系学生の進路はエリートコースだった時代に音楽という選択をしたのは希有なことだったといえるでしょうね。おっしゃる通り、大変な音楽の世界に進んでくれたから…という表現は的を射ていますよね
ライブが感動的な二人。当時はレコードより本物の声が良くてあまりにハーモニーが綺麗で最初から感動が最高潮!最後まで、どうか今この時のトキメキがが終わらないで欲しいと願って聴いていたはかなくも、コンサートが終了してもしばらく心はずっと満たされていた事、今もはっきり覚えてる。時間が経つほどにこの時のオフコースの価値は高くなる様な気がする。当時のNo.1の曲は別れの情景1かな?
「別れの情景1」は本当にレコードがすり切れるほど聞いていました。でも、このライブの歌声と演奏も良かったですよね。ギターとピアノだけの構成がより二人のハーモニーの美しさを際立たせていたようにも思います。バンドになってからはこういう美しさは感じられなくなりましたね。バンドにはバンドの良さがあったことはもちろんですが…。
いつ聞いても良いです。私はこの頃のオフコースが好きです。お子様でまだ出会えてませんでしたが。
50代後半になって、改めて、この歌を味わっています。「季節は巡り色あせた日々よ」というフレーズが、何とも言えません。鈴木さんと小田さんの透明感あふれる歌声が、この曲の悲しみを一層、深めていますね。「別れの情景」は1も2も素晴らしい作品です。若い感性が、あったからこそ、出来上がったのではないかと思います。
あの頃だからこそ書けた曲なんでしょうね。コンサートでは「別れる歌ばかり書いてしまう」と言っていましたが、男子校出身で恋愛経験が少ない彼らならではの心情が初々しくて共感できるといえるでしょう。その後はこういう曲は影を潜めていきます。
返信ありがとうございます。おっしゃる通りですね。恋愛感情に初々しい純粋さは、年齢とともになくなっていくのでしょうか。私は、還暦近くになってオフコースの初期の作品に新たに感動をしています。女性と男性の違いかもしれません。しかしながら若いが故か小田さんも鈴木さんも、本当にきれいな声ですね。
オフコースの初期の作品は難解な曲が多いもののダイヤの原石のように様々な可能性を持った楽曲が多いですよね。1枚目、2枚目のアルバムが好きな人は多いです。アルフィーの坂崎さんも1枚目、2枚目が好きだと言ってました。3枚目の「ワインの匂い」から転調を控えめにしたり、ハーモニーを少なくしたりして一般受けする路線にしていったので明らかに変化がみられます。これはプロデューサーの武藤さんの影響が大きいことと思います。そのため没になった鈴木さんの曲も多々ありました。元々は鈴木さん主体だったオフコースが小田さん主体へと変わっていくきっかけが3枚目あたりにあったと思います。もっとも、のちの時代ほど露骨ではありませんでしたが・・・。声のきれいさは、中音域はどちらが歌っているかわからなくなる、とご本人たちが言っていたほど似ています。キレのあるハーモニーはCMでも重宝されていましたね。古い楽曲で聞いてみたいものがあればリクエストしてくださいね。
ご丁寧に詳しく教えていただいて有難うございます。初期の頃。鈴木さんが主体だったとは、驚きでした。私個人の素人目での感想ですが、小田さんの曲はやはり昔から、光るものがあって、印象が強いと思います。鈴木さんも勿論、素晴らしいのですが。多数の大衆に受けるのは、小田さんの曲なのかもしれません。多くの懐かしい曲を紹介していただいていますが、「キリストは来ないだろう」という作品を聞いてみたいと思います。
「キリストは来ないだろう」はライブアルバムに入っていますが、その後も何度か歌っています。名曲ですよね。でも、「忘れ雪」とコンペで競い、結局お蔵入りしてしまいました。鈴木さんはその時、「白い帽子」という歌を出しています。これも「水いらずの午後」という曲に負けてしまい、オフコースは不本意ながらそのシングルを出すことになりました。だから、ライブでは「忘れ雪」「水いらずの午後」は一度も歌っていません。せめてもの抵抗だったのでしょうね。のちにアルフィーは「水いらずの午後」をカバーしてアルバムの中に入れています。決して悪い曲ではなかったのですが、気分が悪かったのでしょうね。「キリストは来ないだろう」はすでにUPしてあります。ua-cam.com/video/aVfueugokk4/v-deo.htmlでお聞きになれます。2曲目です。
こんな時代があったと思うだけで感慨深いものがあります。NHKBSで1982年6月30日オフコース武道館コンサートが放送されます。予約録画をして今からとても楽しみです。やっぱりオフコースの音楽は最高に素晴らしいですね。
また放送されるんですねオフコースの人気は根強いものがありますねNHKが持っている音源とかをFMとかで特集してくれたらすてきなんですけどね売れる前の頃のがあったらなおすてきです!
@@mymykabukabu さん。早速のお返事ありがとうございます。FMといえば「心さみしい人よ」と「哀しき街」が印象に残っています。当時、早朝6時頃に流れていたように思います。私はオフコース、正確に言えば小田さんの作品ばかりなのですが、どれも歌えるほど覚えてしまっています。他のアーティストの人たちの作品は3つ4つぐらいしか心に残らないのですがオフコースは私にとって本当に特別な存在であり続けているのだと思います。
高校生時代においてよく聴いた曲。貴重なUPありがとうございました😭
高校時代…ということは、同世代ですね? もう60代後半?? お互い歳を重ねましたね。幸せな人生でしたか?
別れの情景Ⅰ~別れの情景Ⅱ~もう歌はつくれない〜の流れと音源は貴重で、この場で聴けることに感謝!!致しますo(^o^)oオフコースの2人の頃から、ずっと良い曲があるのに、小田さんのライブで歌ってくれないことが、とても残念に思いますね(ToT)歌わないの勿体ない、気持ちでいっぱいです。
こちらの歌を初めて聴いたのは、今から42年前の高校2年生の頃。そこから遡ること6年前に、「別れの情景」はリリースされました。当時の私は思春期で、様々な感情が入り混じり、優越感とか劣等感、将来に対する希望や不安、そして理想と現実の狭間で思い悩んだり考えたりしていました。勉強の合間に聴くオフコースの歌、特に小田さんに癒されました。会った事もない小田さんに、恋焦がれて憧れていました。笑「別れの情景」は、大好きな歌でした。私もこんな大人の恋愛そして別れをしてみたいと憧れました。今でも、この歌を聴くと、あの頃の甘く切ない思いが甦ります。少し風邪気味らしい若き小田さんの歌声に、今でも変わらずときめく私です。笑💕貴重な音源をありがとうございました❣️
そのころの初々しい気持ちを上手に表現してくださって、ありがとうございます。こちらも胸が熱くなりました。そうですよね、恋とか愛とかよくわからないのに、この歌やオフコースの詞からいろいろなことを考えたり妄想したりしていたように思います。大学時代からピアノを始めたという小田さんはこの頃はまだよくミスタッチがありましたが、今ではとんでもない奏者になりましたよね。これも努力は成果を裏切らない、という主義によるものなのでしょうね。ヤスさんもすごく勉強熱心でふたりの音楽に対する情熱がいつも伝わってくるように思っていました。あの頃がなつかしいですね。
やはり、オフコースはこの二人のハーモニーですよね初期のこの二曲、秀逸すぎます。最高です。
メロディーもアレンジもハーモニーも秀逸ですね。何度でも聞きたくなる名曲だと思います。
小田和正さんは今でもライブに足を運んでます。ヤスさんとのユニゾンが絶品だったこの頃のオフコース。当時異色だった転調の多い洗礼された曲。オフコースの真骨頂です。懐かしい。大好き。
転調の多さが魅力でしたよね。3枚目のアルバムあたりから転調はわかりにくいと影を潜めていきましたが、時代が全然彼らに追いついていなかったのでしょうね。今ならその魅力がわかると思うのですが…。
まだ2人だった頃のオフコースの貴重なLiveを聴けるのはとてもありがたいです。透き通るような小田さんと繊細な鈴木さんのハーモニーが素晴らしいですね。
今思えばたしかに逸材の二人でしたね。でも、二人だけでは真のオフコースにはなりえなかったのではないかと思います。バンドサウンドへと変貌した結果、歴史に名を残すことができたのでしょうね。
一年前のコメントに失礼します。バンドサウンドでないとオフコースは、名を残せなかったのですね。悲しいですけど事実なのでしょう。唯、昔のアコースティックな作品を聞いていると、これらでも十分に世の中に訴えることができると感じてしまいます。私が、甘いのかもしれません。
いや、あの当時全く彼らに追い付いてなかった?のではないでしょうか。
小学校の頃は和むな〜って思ってました。さよならが毎朝ヘビロテで、かかって、この小田さんと分かるまで時間かかりました。五人も四人も好きやけど、この頃が一番、好きかも。。。切なかったです。周りはジャニーズて言ってて1人、小田さんの写真を下敷きに入れアコギ弾く小学校生でした。
小学生の頃にオフコースが好きになったなんてすごい感性ですね。しかもアコギも弾けたなんて!私は中2からギターを弾きはじめ、ラジオからオフコースの洋楽を幾度となく聞き、中3ではじめてステージを見ました。二人だけのステージは、本当に誰のためでもなく、自分たちのために歌っているだけ…という印象でした。他のミュージシャンもたくさん出ていたコンサートだったので、オフコースの演奏時間はトイレ休憩っぽくて席を立って歩いている人がやたらと多かったのを覚えています。「さよなら」以降は、チケットを取ることすら大変な時代になりましたが、「売れたい!」という目標があるときのほうが二人、そして五人の結束は強かったのでしょうね。
@@mymykabukabu 叔母からテープを貰ってa面チューリップ、B面にオフコースで小田さんの繊細なコーラスが衝撃でした。最初は鈴木さんのコーラス耳コピして歌ってました。クラッシックギターを買って貰ったので難しかったです。祖母が大正琴や舞踊等してたらしく楽器やレコードは沢山あって母が深夜ラジオ聴いてて洋楽も沢山、聴いたのでビートルズが大好きで。オフコースは五人になってコンサートに行ったので朝からチケット売り場に並びました。歌詞が得に好きです。周りがオフコースやjazzバンドを再開してるので今は民族音楽しつつ、たまあにシンセで歌ったりです。ギターはcodeを殆ど忘れてしまいました。リビングに色々な楽器が溢れて娘がベースしてるので凄い事になってます。オフコースは毎日、聴いてます。落ち着くので。
@@miki.azuki35 チューリップも当時、大人気でしたね。メンバーが変わっても継続していて、最近もコンサートをやったりしていてすごいことだと思います。叔母さんからの贈りもの・・・人生に大きな影響を与えてくれたんですね。音楽や楽器に囲まれての生活ってすてきです。今は民族音楽ですかwそれもまたすごいです。細野晴臣さんや坂本龍一さんが一時期けっこうはまっていましたが、そういう世界も心ひかれますね。今もオフコースをお聴きになっておられるということで、それもまた良い時間をお過ごしですね。うちも今、ギターが4台あって、置き場に困っています。4日前に引っ越しをしたばかりで、荷物の中にいます。広い家ならいいのですが、ギターやピアノなどはそれなりに場所を取るので困ります。あ、違う話になってごめんなさいw
@@mymykabukabu 小3年だったかな人気とか分からず常に周りとズレてました。高校生の頃の友人はメタルのドラム演っててパンクやメタルもlive行ってます。パンクバンドがジャマイカに移行して縁があり今はジャンベ二台とディジュリドゥ2本で、まだ増えそうですw 先生はケニア人で自由で面白いです。息子の婚約者がオーストラリアに居て先住民が好きで買って来てくれました。息子はDJのターンテーブル押入れに直してます。アチコチに何かしら置いてます。楽器は処分できないですね思い出ありすぎて。
@@miki.azuki35 音楽は国境を越えて人と人とを結びつけてくれますよね。その種を蒔いたのはきっと小学校の頃。いろんな音楽に影響された今に至っているんですね。私もこうしてオフコースの昔の曲をUPしていますが、今はGroovyGrooveやKingnue、ずとまよなど、今の流行りの曲が好きです。「あの頃」に固執する必要はないなと思っています。 00000 oさんは息子さんが世界を広げてくれていて幸せですね。こうして音楽もリレーされていくのでしょうね。一年前にコメントをいただいていたのに返事が遅くてごめんなさい。
今の小田さんがあるのはまさしくこの頃があるからオフコース万歳ホントに今に届けたい
2024年5月7日に視聴しました。画像には1974年5月7日の文字が…。ちょうど50年前。色褪せない美しいハーモニーに聴き入りました。ありがとうございました。
たしかにたしかに、記念すべき日に視聴していただいたんですね。あれからもう50年! 彼らも自分も年を取ってしまったなぁと思わずにはいられません。返信するためのパスワードを忘れてしまっていて、今日たまたま入力したパスワードが大当たりだったので、半年以上たってのお返事となりました。失礼しました。m(_ _)m
素敵な楽曲とハーモニーと これがオフコースなんだと思います。一度だけでいいので、小田さんとヤスさんと 歌ってほしいと思います。僕らファンのためでなく 彼ら自身のために
コメントしたのですが、もう一度。心身共に疲れた時に、この歌を聞くと心が、落ち着きます。「安らぎが欲しい」「少し離れた方がいいみたい。こんなに疲れるなんて」、「ほんの小さな思いやりも忘れてしまった」還暦近くなって、この詩の意味と、美しいハーモニーが、心に深く、沁みます。様々な場面で、この言葉のような思いをしていますね。小田さんと鈴木さんは、素晴らしい音楽を、後世に残して下さいました。
いつも感想ありがとうございます。そうですね。旋律も歌詞も秀逸だと思います。もうこの歌をステージで歌われることもなくなってしまいましたが(ましてや二人で歌うことも・・・)、あの頃の音源は、タイムスリップさせてくれるかのようですよね。名曲なので、カバーしてくれる人たちが出てきてもよさそうなんですけどね。かつての二人のようなデュオが登場してオフコースコピーをしてくれたらすてきですよね。聴いてみたいです。
こちらこそ、ご丁寧に、お返事を下さり、恐縮しています。若い頃、オフコースの初期の作品を、あまり熱心に聞けず、ついメジャーな歌ばかり聞いていた頃が嘘みたいです。今は「別れの情景1」ばかり聞いています。そして、鈴木さんの「通りすぎた夜」や「青春」などに新たな感動をしています。かつてヒットした作品よりも、隠れた名作のような作品に魅かれる今の感覚は、一体、なぜなのかと思います。
ヒット曲にはヒット曲の法則みたいなものがあって、印章に残るサビや曲の構成、耳障りの良さ、感情移入できる歌詞などが求められます。オフコースも売れ線を狙った頃からそういう傾向が出てきました。「愛を止めないで」あたりからでしょうか。もちろん、好きな音楽を伸び伸びやるためには「売れる」ということが欠かせない要素だったわけですが、小田さんも不本意ながら書いた曲がいくつもあったと述べています。「さよなら」などもそういう曲のひとつだったようです。鈴木さんの曲はヒット曲の要素は少なかったけれど、「好きな音楽」を貫いたところに良さがあり、小田・鈴木の二人で構成するアルバムは絶妙のバランスを保っていたように思います(あくまでも個人的感想ですが…)。若い頃は、小田さんのヒット性のあるメロディーと歌詞に引き付けられがちですが、年を経た今聞くと、鈴木さんの楽曲もとても優れていて、聞きごたえのある作品だということに気づきますよね。杉本さんのご意見に賛同できることばかりです。
ご丁寧に詳しくお返事を下さり、申し訳ありません。なるほど、そうなのですね。「さよなら」までも不本意に作られた作品だったとは。そう言われてみると、思い当たるような気もします。どんな世界でも「裏側」が、あるのだと改めて感じました。私は「セレクション1973-1978」のアルバムを今、気に入っています。鈴木さんも小田さんも、多くの年月を経て、「売れなかった」時代の作品を改めて見直され、優れた文化は不滅だということを立証されたようで、良かったと思います。
「セレクション1973-1978」は、「ヒット曲もないのにベストアルバムを出すことになった」と当時、小田さんが自虐的にステージで語っていましたが、今でも色あせないいいアルバムですよね。ビートルズが今でも聞かれているように、オフコースもずっと愛されていくといいですね。
Mymykabukabu sanオフコースの古い曲のアップ本当にありがとうございます!約40年前からオフコースファンです。私がファンになる前のこうした曲を聴けるのは望外の悦びです!
ありがとうございます。オフコースのファンだというだけでその当時から「みんな友達」だと思っていました。時を隔てた今もずっとそんな気持ちです。コメントありがとうございました。
別れの情景はいつまでもオフコース原点の情景です。聴くものに一瞬にして詩が産むドラマ、心に映る映像にいつの間にかに引き込まれてしまう、、転調と詩情景の妙、、才能溢れる小田氏の楽曲センスは時代が追いついていなかったのに苛ついてた、。多感だったあの頃この曲を初めて聴いた時言葉が見つからないくらいの衝撃だった、。
たしかにこんな転調をする曲が書ける人って、当時はほとんどいませんでしたよね。ご指摘の通り、時代が追いついていなかったのだと思います。最近の若い人たちの曲は当たり前のように転調を取り入れたり変拍子を入れたりしていますが、オフコースはそういう音楽の先駆者だったといえるのではないでしょうか?また、セカンドアルバムの冒頭のアカペラとボイスパーカッションの曲(プロローグ)もすごいですよね。ヤスさんが作ったんだと思いますが、日本のアルバムの中で最初にボイスパーカッションを取り入れたのはあのアルバムだったのではないかと思っているのですが、どうでしょう?小田さん、鈴木さん、二人ともすごい感性と才能で繊細な音楽世界を構築していたことに改めて気づかされます。コメントありがとうございました。
やはり彼らの音楽的背景に洋楽、カーペンターズ、S・G 等々が基盤にあってこそだったと思います。転調の話ですが鈴木氏の楽曲は確固としたオリジナリティがあり、自分も洋楽を嗜んでた者としてあの頃 潮の香り が好きで弾いてみたいとスコアを観た時のそのテンションコードに敷き詰められた転回の衝撃は今も忘れられません。この方只者ではない、と。当時いわゆる持て囃されてたフォーク歌手、バンドとは別格だと思いました。あの楽曲は氏の名作だと今も思ってます。唯一無二の独自のメロディライン、詩は聴くほどくせになる、、🤔 小田氏とはまた違う目線(だから良かった)を持った🤔素晴らしい本物のアーティストだと思っています。別れの〜 では自分の中ではこの続きが 秋の気配 で前期オフコースラブソング終焉だと勝手ながらも思ってます🙇🏻♂️
@@iyorit1089 さんオフコースの出発点は洋楽コピーでした。PPMをはじめとするアメリカの楽曲をいかに上手くコピーして聞かせるか、が重要な時代からスタートし、コンサートでも洋楽を中心に唄っていましたが、やがてオリジナル曲の時代となり、彼らもその流れの中で自分の曲を作らなくては、ということで書きためていったのが、1枚目、2枚目のアルバムに結実していったんですよね。ヤスさんのセンスも洋楽からのものでした。ua-cam.com/video/faaxsHyyIzY/v-deo.htmlこの曲などは、ヤスさんの曲に強い影響を与えていると思われます。「潮の香り」も名曲だと思います。この曲はダークダックスの曲の影響を受けているように思いますがいかがでしょう?ua-cam.com/video/FhrBDfDSm28/v-deo.htmlもっともこれらの曲を参考にしながら自分の世界を構築していったのはさすがとしかいいようがありません。こういう話を昔の音源を聞きながら直にすることができたらすてきでしょうね。
また厚かましくコメントさせて頂きます。小田さんのコンサートツアーが来年行われるようですが、小田さんのエネルギーに驚きと尊敬の気持ちを抱いています。私個人的にはオフコース時代の作品が好きであの当時の演奏を美化しています。さまざまな方のお気持ちがあると思いますが私はオフコースとして歌っておられたあの頃の小田さんが忘れられません。
杉本さん、お久しぶりです。PCを変えたら、自分のyoutubeのパスワードを忘れてしまい、長く入ることができませんでした(笑)今日、おそるおそる記憶をたどりながらパスワードを入力してみたら、数年ぶりに自分のyoutubeに入ることができて、やっと皆さんにお返事を書いているという次第です。そうですね。なつかしいですよね。自分たちにとって、その時の音楽が、自分の音楽であり、オフコースや小田さんもその時のまま記憶の中に残っているので、年を経るごとに美化されていきますよね。クリ約を終え、ツアーを終え、ファーイーストカフェの活動を終え、今年は小田さんにとって終活の一年になりそうですよね。最後まで見守りたいと思います。(オフコースファミリーの時からなんと50年以上にわたって会員でありつづけてきましたがとうとう終了の時が近づきました)
@mymykabukabu さん。お返事ありがとうございます。「オフコースファミリー」といえばファンクラブのことでしょうか?私も一時期入会していた頃があります。いつ頃退会したのか覚えていないのですが。小田さんも随分老けられたなあと感じるのですが、このまま鈴木さんとはずっと関わることはないのでしょうか?去年の年末の紅白歌合戦でイルカや南こうせつ、アルフィーなどが歌ってくれて、とても良かったですしテレビで懐かしいアーティストたちが見れるのもありがたかったです。「NHK紅白」とまでは望みませんが、なんとか小田さんと鈴木さんがお二人でご一緒してくださったらと願ってしまいます。
@@杉本恵子-k9k もしかしたらそんな日が思いもかけない形で訪れるかもしれませんよね。人生、何が起こるかわかりませんから…。そうなることを願いたいですね。
もう40年以上オフコースを慕っています。私の青春時代が甦ってきました。アップありがとうございます♪
ほんとにこの頃の歌声を聴くと、青春時代がよみがえりますね。当時、オフコースのコピーをしていました。まだオフコースを知る人も少なかったので、コピーデュオ同士知り合いになり、世界が広がったのを覚えています。あの頃知り合った人たち、今、どうしていることでしょう。コピーバンドは数多く存在しますが、コピーデュオで今も活動している人は少ないように思います。この曲をコピーしていた人たち、少なくなかったと思います。会いたいなー。
九州宮崎で、夜になると東京のラジオが聞こえてきて、「ヤングタウン東京」が好きになり、準司会の杉田二郎が登場する前、前座としてオフコースが出てきて、この歌よくうたってました。懐かしいですよね。。。一慶さんや三枝さんから暗いとか言われてたような。。。w
私は愛知県だったので電波の入りの悪い「ヤングタウン東京」を必死になって聞いていました。桂三枝もノリノリの時代でしたね。みんな若くて それでいて何か燃えるような想いを感じさせてくれるような時代でしたね。オフコースのコーナーは洋楽のコピーが中心でしたがすっごく感動して聞いていました。今でもその時のことは鮮明に覚えているから不思議なものですね。
コメントをしたのですがもう一度。私は、30数年前、小田さんに、ほのかな恋心を持っていたのかもしれません。20代前半から後半にかけて、小田さんの作品に感動しては、色々な想いが、駆け巡っていたように思います。今、50代後半の年齢でもその作品に関しての感動は同じで、その曲を聴いているときは、20代の独身だった頃の若い「私」なのです。
そういう感覚ってありますよね。今は写真やVideoがすっかり普及して、ちょっとしたことでも記録に残せますが、写真も映像もない時代だったあの頃のこと、ほんとに不思議なぐらい覚えていたりしますよね。あの頃の自分に戻れる時間が持てるっていうのは杉本さんの感性が今も豊かだからだと思います。リクエストがあればまたお願いします。(…と、1年前のコメントへの返信でしたw)
懐かしいです。お久しぶりです。そしてお返事ありがとうございます。恥ずかしいのですが小田さんに対する想いは変わらず、今は「Yes-No」を聞いてしみじみしています。誰もが知るオフコースの名曲ですが聞けば聞くほど奥の深い詩だなと感じています。「うまく言えないけれど君のことばかり気になる」というフレーズなど心に沁みて20代の頃を思い起こしています。心の中だけ若くなっているような感じです。
@@NAOKO-i4r さん「Yes-No」は今も小田さんがコンサートで歌っていますよね。それだけ愛着が深い作品なんだと思います。フリューゲルホーンのゆるやかなイントロからリズミカルな展開へと進んでいくところもすてきでしたね。アルバムでは前奏はカットされていましたが、それも他の曲とのつながりを考えるといい感じでした。心は年をとらないですよね。あの頃のまま、という人はきっと他にもおられることと思いますよ。
早速のお返事ありがとうございます。mymykabukabuさんのような感性をお持ちの方がオフコースをお好きで本当に嬉しいです。
いまだに失恋を引きずりながらオフコースしてます。ここまでアホは、いないと思います。しかし、君住む街を聴いていたときに、戻ってきてくれた思い出が強すぎて、また、戻ってくると信じ続けています。笑って下さい。失恋のす々めを、聴いたほうかいいかも。
風邪でも引いていたのか小田氏の声が絶不調ですね。Ⅰではサビが出なくて鈴木氏の下でハモってる。別の意味でも超貴重な音源ありがとうございます。
当時、小田さんは、年中風邪を引きやすくて、声の調子がいい時のほうが少ないとMCで語っていました。今はだいたい安定した声が出せていますから(ちょっときつい時もありますが…)、かなり鍛えたということでしょうね。
この頃私は、中学生でしたその頃から、オフコースが大好きです小田さん大好きです、ずーっと歌に励まされ癒やされ、涙して支えになり寄り添ってもらい生きて来ました、とてもありがとうございます、これからも寄り添って行きます、よろしくお願いします大好き小田さん
コメントありがとうございます。「歌に励まされ癒やされ 涙して支えになり寄り添ってもらい」っていう想いはたしかにありますよね。小田さんの「出会いも別れも知らぬままに 流れるうたをきいていた なぐさめられてはげまされて そして夢をみた」という歌詞と共通するような想いですよね。小田さん自身もそんなふうにいろんなうたから多くのことを受け取り、私たちにバトンタッチしてくれているんだな、とこの歌(風うた)を聴くと胸が熱くなります。初期の歌に心ひかれるのは、売れるとか売れないとか、そういうことを抜きにして、当時の小田さんや鈴木さんの感情がそこに込められているからだと思います。売れ線ねらいの曲とちょっと違うのは、そういうところにあるんじゃないかと思ったりしています。(違うかもしれませんが…w)
このつながりは、すごい 別れの情景Ⅰ もう歌は作れない秋ゆく街で ではカットされたけどここで聞けて嬉しいです
名前がkeikosugimotoになってしまった杉本奈緒子です。たくさんコメントを書かせて頂きましたがmymykabukabuさんはお変わりなくお元気にお過ごしでしょうか。今回は、最近オフコースが新たに再び注目されているようで嬉しくなって書き込みをしています。先日2月11日土曜日午後8時からBSフジで「輝き続けるオフコース」と言う番組が放送されました。初期の頃からの作品の紹介から始まり出演者の座談会のような形で、曲が流れるたびに当時の映像が流れ、懐かしさと切なさで胸がいっぱいになりました。各界の著名人が集まって、オフコースを愛好している方は本当に多いのですね。やっぱり「オフコースは不滅」だなあとしみじみ感じました。久しぶりに「別れの情景1」が聞きたくなってコメントさせて頂きました。長い文章で失礼しました。
オフコースは50年位は聞いています。ファーストアルバム(勿論レコードですが)の僕の贈りものや地球は狭くなりました、でももう花はいらない、さわやかな朝をむかえるために、等をコピーしていました。その中に「貼り忘れた写真」と言う曲があります。別れの情景に繋がるのでは、と思っています。「めぐり巡る春の日は、思い出のなか」と。ただ、写真に写るのは、あいつと出てくるので、??ですが。このアルバムには、アリスの矢沢透(きんちゃん)がドラムで参加しています✌️。その通り、確か鈴木康博さんの2つ下?かな。二人のオフコースが大好きでした。勿論今も二人の大ファンです🙆。
オフコースは不滅は録画しました。二人ではないので、未だ観ていませんが…。
杉本さん いつまでもOFF CORSEファンで続けてください。コメントを読ませていただきました。グッと来ました。
@@わんわん-x9yさん。杉本奈緒子と同一人物の杉本恵子です。嬉しいコメントをありがとうございます。今、63歳になりましたがオフコースばかり聞いています。
私の今のお気に入りは鈴木さんの「愛の終わる時」です。お返事が遅くなって申し訳ありません。
貴重な音源のアップに感謝します。今後、年月が経つにつれこういった過去の音源は価値を見出されることなく、埋もれて行ってしまうと思うので、若輩の私にとって大変貴重な音源として聞いています。
きっと当時の音源をカセットテープの形で持っている人はたくさんおられると思うのですが、世に出ることなく消えていってしまうのでしょうね。とても惜しい気がします。特に売れる前のオフコースの音源、なんとか集められないもでしょうかねぇ。
名曲だぁやっぱり
めくるめく転調やばいですよね。小田さんの鋭い言葉をメイジャーセブンにかぶせてくるテクニック。そして鈴木さんの柔らかくセクシーなコーラス。レコード盤では「ひとりにしてひとりに…」でフェードアウトしますよね。たまらんですヽ(`Д´)ノ
「別れの情景Ⅰ」は、最初はギターでも弾きやすいのに転調からは伴奏が追いついていかなくなってお手上げでした(笑)。ヤスさんのギターは本当に上手かったです。また、ギターとエレピだけで充分表現できているのが素敵でしたね。また、ⅠからⅡへとつながっていくところもいいですよね。ライブアルバムでもこの2曲をセットで収録してほしかったと思います。(実際、「秋ゆく町で」では2曲連続で歌ったんですよね)
当時レコード盤で聞くと小田さん鼻声で風邪ひいたのかな?と姉としゃべっていました。とても懐かしいですね🎵
この数年後にはバンド編成となってしまう彼ら。デュオ編成のほうが(売れないが)曲としては完成度が高かった。
このあたりは好みなのでしょうね。古くからのファンは二人のオフコースが好きですし、バンド時代からのファンは古い時代のオフコースをあまり評価していません。また、成功したのはバンドになってからなので、おそらくバンド時代のオフコースのファンの方が総体としては多いのではないかと思われます。しかし、こうしてわざわざUPしたのは、二人の頃のオフコースを私はこよなく愛しているからです。だから想いは同じです!
バンドになってからの方が、確かに音楽は聴きやすいと思います。しかし古い時代のオフコースを評価しない事とは、違うような気がします。若い時のコツコツ積み上げた努力があったからこそ、年月がかかっても大きく成功したのではないでしょうか。全て、つながっていると思います。
多分、売れなかった時代でもプロの音楽関係者からは絶大な評価を受けていて、いつかは一般ユーザーに認められると確信していたのではないでしょうか? そんな時代に下積みの長かった他のアーティストも、未だに一線で活躍していますよね
当時のオフコースの音楽のレベルは群をぬいていたが、彼らの実力に時代が追いつけなかった。
何度もコメントしてすみません。今、鈴木さんのソロになられてからのアルバム「Acoustic」を気に入って聞いています。世の中がコロナウイルスで不安定なためか静かな音楽が心を落ち着かせてくれるようです。しかしながらこのアルバムは何度も繰り返し聞けば聞くほど、良さが増してきます。改めて鈴木さんの魅力なのだなと感じています。思いつきでコメントして恐縮なのですがmymykabukabuさんはお変わりなくお元気でしょうか。
大好きな歌。悲しすぎる
同感です。
貴重な音をありがとうごさいます。Iで小田さんは鈴木さんの下を歌っていたのですね。小田さんが喉を痛めたとか、熱が出たとかいう記事を読むと、切なくて涙が出ていたおぼこい昔を懐かしく思い出します。オフコースのLIVE アルバムを隣の6歳上のお姉さんから借りて、小6の私はすっかり小田さんのファンに。小田さん自筆の文字がカッコよくて何度も何度も読みました。中学で仲間を見つけましたが彼女は新しいレコードばかり買うので、私は遡って古いアルバムをお小遣いを貯めて集めました。洋楽や当時流行ったフォークなどカバーがオシャレで子どもながら痺れました。今でも古いアルバムの歌は歌詞を忘れません(w瀬戸内の田舎にいたのでコンサートなんて夢の夢。82年の武道館はフィルムコンサートで田舎の公民館のパイプ椅子で観ました。今考えてもあんな田舎でよく上映したなと!!何ヶ所で上映したのかしら?!東京に来れば小田さんに会えると思っていたあの頃。上京して35年になろうとしていますがコンサート以外で小田さんに逢えたことはありません😆夫は北山修さんのファンで、小田さんがゲストで「花のように」を歌ったライブのレコードを持っていて、私はその一曲をエアチェックで聴いたことがあり、それが縁で仲良くなりました。
貴重な思い出を書き綴ってくださりありがとうございました。こちらもその頃の画像がイメージされて頭に浮かんできました。武道館のフィルムコンサートは、240箇所で393回上映されたそうです。すごいですよね。もちろん私も見に行きました。武道館コンサートは6月24日に見に行きました。名古屋から新幹線だったので、アンコールの「時に愛は」のイントロを聞きながら武道館を後にしたのを今でもはっきりと覚えています。私の音楽の入口はフォークルで、北山修さんが大好きでした。中学生の頃は、北山さんの著書や詩集に傾倒し、自分でも曲を作るようになっていきました。そして中3の頃にオフコースに出会ったのです。「花のように」のアルバムももちろん持っています。そういうことが縁で結ばれることもあるんですね。すてきです。フォークルも今は北山さんだけになってしまいましたが、今も応援しつづけています。夫さんによろしくお伝えください。w
mymykabukabu フィルムコンサートに行った人の延べ人数は大変な数ですね。音楽には音だけでなく、その時のその人の思い出や気持ち、その場面の風景まで一緒に記憶されているのが素敵です。私は音楽を創ることはできませんが楽しめて幸せです。貴重な音源上げて下さり改めてありがとうございます😊我家には、北山修さん/自切俳人のレコードもあります!椛の湖ピクニックに行くために中学生だった夫はヒッチハイクで会場まで行ってテント泊で参加したそうです。宵々山コンサートも好き、関西フォーク系好きだった彼はオフコースのさよならがヒットした頃は女々しい歌詞だと思っていたとか(w 思い出話、長々と失礼しました😆
@@mozytj7989さんご主人とはかなり趣味が合いそうです(笑)私も北山さんのアルバムは全部持っていました。(フォークル時代からソロまで)でもヒッチハイクで会場まで行く、というような根性はありませんでしたw小田さんは杉田ジローさんや北山修さんらとも交友があり、最近ではくるりともジョイントしていました。くるりが関西フォーク系だとか言うと叱られそうですが、当時は味のあるミュージシャンがたくさんいました。一昨年ぐらいに、きたやまおさむ著の『コブのない駱駝』(岩波書店)という本を読みましたが、北山さんがたどってきた人生を自伝風にまとめてある面白い内容でした。ご主人はご存知でしょうか? amazonで購入できますよ。
感謝します。この流れでのそれもLIVEの音源で聞けるとは・・もう二度と無理だと思うのでが・・もう一度二人の歌が聞きたい
この頃の二人は、「売れないミュージシャン(←ミュージシャンという言葉すらあまり使われていない時代でしたね)」でした。liveも「お通夜みたいな」と形容されたほど静かで淡々と進行していました。でも、無理に?話していたMCも当時のファンは応援しながら聞いていたものでした。ファンはあのころに戻って二人で歌ってほしいと願いますが、二人にとっては実は黒歴史なのかもしれません。当事者にしかわからないこともあるでしょうね、きっと。何はともあれ売れてよかったです。
厚かましくコメントを致します。今のだれもが知る小田さん、鈴木さんだからこそ、あの頃が良かったなどと私達は言うのかもしれません。「売れない」時代は私もまだ10代の前半だったと思うので詳しいことは知らないです。でも、そういうコツコツと積み上げてきた努力が、こんなに大きく実って、良かったですね。
この頃の二人はいつも「売れたい」ともらしていました。実際、同時期に活動していたバンドやデュオで消えていった人たちは数知れません。「あかてん」や「じゅうじろ」などもきれいな歌を歌っていましたが、今は知る人もほとんどいないでしょう。オフコースは5人とも今も現役というのがすごいです。そして、それぞれ味のある活動をしています。小田さんのようにツアーで40万人も動員できる人はアーティスト全体でも稀な存在ですが、他のメンバーもちゃんと活動できていてすごいです。
@@mymykabukabu あかてん=がむがむでしたっけ?
この間小田さんのコンサート行ってきました。もちろん最高でした。でも、小田さんと鈴木さんの声が合わさった歌を生で本当に聞いてみたかった。タイムマシンがあればな………なんだか切なくなっちゃいますね(;-;)
私も来週、小田さんのコンサートに行く予定です。本編の千秋楽なので(中止になった大阪公演が1月にありますが…)、サプライズがあったらな・・・と期待していたりします。地元横浜での最終日。なつかしい人がゲストで来て、同じステージに立ってくれたら一生の思い出になると思うのですが・・・。そんな夢みたいなことは起こらないでしょうかねぇ。
凄く感動です🙋 UPして下さって感謝致します💖 なんて懐かしいSound🎵 このころこそ原点ですね😊音楽家として貫こうと決意して、不安な中を、頑張っているステージ🌈
ほんとに原点ですよね。ファンもあまり多くなくて、ステージも緊張、それを見守る会場も緊張・・・というピアノの発表会みたいなコンサート(リサイタル)でしたねw 初々しいけれどしっかりとした音楽性を貫こうとしている姿勢がすてきでしたよね。
この日本青年館のコンサートには行ったな。大学の友達の一人がオフコースの大ファンで、このコンサートにもカセットを持ち込み、部屋に戻って.曲をコピーしまくってた。彼らは、新宿ルイードにもよく出演していて、雑談で小田さんが、小学生の時初めて鈴木さん会った頃の話とか、大学受験で千葉大の医学部を受けようと思っていたが、大学訪問をしたら、病院のカーテンがすごく汚くて、それに失望して東北大に変えたみたいなこと言ってた。ルイードでは、当時無名だった荒井由実と共演したことがあって、荒井由実がオフコースの後なのでちょっとビビッてますなんて言ってた。
貴重な体験談、ありがとうございました。なつかしい時代ですね。新宿ルイードのコンサートは語りも多くて、出来の良し悪しに関わらず力を抜いて演奏されていたように思います。ユーミンとの共演の話は知りませんでした。どんな曲を一緒にやったのでしょう? あるいは別々にやったということかもしれませんね。いずれにしてもそんな貴重な体験をされたことがうらやましいです。ユーミンもオフコースの二人も現役で活躍していてすごいですよね。その頃まいていた種が今では大木になった感じです。
すごく遠くの事でしたが、あっという間に時は経ちますね。透明感のある哀愁は今もとても胸が締め付けられます。ありがとうございます。
本当に「透明感」という形容がぴったりな当時の二人の歌声でしたね。なつかしいです
この時代私は、中学生でした、懐かしいです、小田さんに憧れていたと思います
オフコースのコーラスは最高🎵✨✨✨
ほんとに中音域から高音域が溶けあっていてとてもきれいなコーラスになっていますよね。最高だと思います。
感動しました♪素晴らしい貴重な音源をありがとうございます♪
超貴重な音源のUP、ありがとうございます!!
懐かしく聞いております。もう40年経つのですね。
本当に40年!あっという間のような気もします。あの頃のオフコースの二人は売れてなかったけど自分の生き方を貫こうとしていてとても気高くステキに見えました。そして今も第一線で活躍している小田さん。あの頃は40年後の今を到底想像することはできませんでした。
コメントされてる方々のように私もこの頃は小田さんに恋心を抱いておりました。大好きでした。今でも好きですが。私の青春です。今でもあの頃の小田さんの写真を見るとキュンと来てしまうのは私だけでしょうか。別れの情景。どちらも神曲です。
本当に名曲ですよね。あの頃のあの雰囲気だからこそ胸にしみるのかもしれません。初期のオフコースには、小田さん・鈴木さんの区別なく少しでも多くの人に彼らの存在をわかってほしい、と思うファンが多かったと思います。二人だけのステージを見守るファンの人たちは、家族がピアノの発表会に出る、みたいな気持ちで「どうか失敗しませんように」なんて祈るような感じで応援していたように思いますwその後、すっかり有名になって、コンサートのチケットも何度電話してもつながらなくなったあたりで、離れていったファンの人たちも多かったように思います。私は1973年から今に至るまでオフコースと小田さんのコンサートに足を運び続けていますが、初期の二人がひたすら取り組んでいた洋楽コピーは和田唱さんと小田さんのコラボで再生し、ハーモニーへのこだわりは委員会バンドが踏襲しているように思います。小田さん・鈴木さんの二人の良さはあの頃にそっとしまっておいて、今は今の小田さん・鈴木さんの「あり方」を支持してあげたりです。小田さんに恋心を抱いていたファンの方もきっと少なくなかったことでしょう。青春ですね。きらめてましたね。なつかしい歌声から当時をふり返ってもらえてよかったです。コメントありがとうございました。
ああ、涙が止まらない。僕もオッサンになってしまいました。
わかります。みんなジジババになりましたwでも、心はあの頃のまま…の部分もありますよね。
@@takeshiarisawa2420 身も心もすっかり汚れてしまいました。
私が小学5年生の頃にこんな活動をされてたなんて....この画像も音源も初めて聴きました。感動しました。ありがとうございます。
喜んでもらえてよかったです。今でも小田さん、鈴木さんは現役でがんばっているからすごいですよね。我々もがんばらなくては!
Ⅰ とⅡの繋ぎ!感激です!
こういうシンプルな構成で2曲がつながっているととっても味わいがありますよね。2曲とも名曲ですねー。やっぱりこの頃の完成度をリメイクが超えることはないと思います。この音、この声、この二人だからこそ醸し出せた世界だと思ってます。
UPありがとうございます!
Their voices made great harmony. and the song reminds me of my young days. Thanks for sharing.
貴重な音源ありがとうございますm(_ _)mはじめて聞きました。ほのぼのしたオフコースの素敵な音楽。
アマチュアの雰囲気を引きずっていたころのオフコース。たしかに「ほのぼのとした」という表現がしっくりきますよね。小田さんのミスタッチもけっこうあり、なかなか二人でミスせずに最後まで行き着くことがなかった時代でしたが、そんなオフコースがとっても身近に感じられていた幸せな時代でした。
初々しく、みずみずしく感じるのは自分だけか🙆♂️素晴らしいコード展開と繊細なアレンジ、コーラスには小田氏の才能、センスがちりばめられている。鈴木氏の的確で力強いギターと小田氏の声に見事に絡む歌声は運命的なものさえ感じます。あの時代にはまだ求めていなかったグループだったということだったのか、、いや早過ぎたと言うべきか、、もう一度だけでいいから2人の原点とも言うべきこの純なアコースティックコンサートをある意味もう肩の力は抜いてやっていい時は来ていると思う🤦♂️真に 今だから〜 でしょう。
お気持ちは、よくわかるのですが、このコンサートの再来のようなことは、現在は無理なのではと思います。過去は、どんなことでも戻ってくれないので。本当に美しい声で、素晴らしい音楽だと思います。小田さんと鈴木さんだけでなく全ての人が、「昔」には、あらゆる意味で戻れないのです。やりきれないぐらい残念ですが。
みなさん、同じように感じておられると思いますよ。ピアノとギターだけでこれだけの演奏を聴かせるのは、二人の美しい歌声があるからですね。たぶん、あの頃の二人は何度も音楽を続けるべきかやめるべきかと悩みながらステージに立っていたことと思います。それでも続けて今に至っているからこそ、この音源も意味あるものになっているのだと思います。二人とも音楽については初志貫徹できてよかったですね。そんな二人の生き方を見習いたいと私も今日まで生きてきました。1年前のコメントでしたが、お返事していなかったので書かせてもらいました。ありがとうございました。
ご丁寧にありがとうございます。今、得体の知れない「病原菌」のために暗くなりがちな毎日の中で、このような美しい音楽が聞けて幸せだと思います。「命あっての物種」とはよく言ったもので「平凡な日常」がとても有難く感じますね。
もともと悲しい歌なのにギターとピアノだけでやったら余計悲しくなってしまう笑
これは・・・シビれた!
Ⅱも聞けるとは うれしい
原石の時代。
たくさんコメントを書かせて頂いた杉本奈緒子です。コロナで翻弄される今日この頃、別れの情景1と2は心を落ち着かせてくれますね。小田さんと鈴木さんの歌声が癒しのように感じます。1日も早くコロナが終息してコンサートなどが自由に出かけれるようになりたいですね。
先日、小田さんは横浜でのステージに立ったようです。だんだんとコンサートも制限つきながら開催できるようになってきていますね。鈴木さんもコンサートをやったりライブ配信をしておられます。二人とも活躍中でうれしいですね。
@@mymykabukabu さん。お返事ありがとうございます。小田さんも鈴木さんも活動をされているのですね。お二人ともお元気なようで。色々なことが少しずつ日常に戻っていっています。小田さんは少し前NHKのみんなの歌で歌声が流れていましたね。さりげなく聞こえる小田さんの声がとても懐かしく感じ、清々しい気持ちになりました。唯、個人的な欲を言えばお若い時の歌声が一番好きです。オフコースが全盛な40年ほど前のあの頃ですね。
@@杉本恵子-k9k さん早速のお返事ありがとうございます。そうですね、40年前は誰もが輝いていた頃ですよね(もちろん生まれていない方もおられるかと思いますが…)。自分も40年前と今とではやはり大きな差があります。あの頃のオフコースはやっぱり輝いているけれど、今も活躍している基盤がそこにあったということですよね。たくさんのミュージシャンが次第に活動を停止していく中で、今も残っている、というのは本当にすごいことですよね。私たちも彼らに恥ずかしくない生き方をしたいものですね。
@@mymykabukabu ご丁寧にお返事ありがとうございます。特に小田さんの活躍はすごいことですよね。私達の年代だけでなく若い世代にもファンがおられるようで多くの人々に好かれている
ということでしょうね。年のせいか昔を懐かしく思ってしまいます。オフコースだけでなくたくさんの素晴らしいアーティストがいましたから。小田さんや鈴木さんの足元にも及びませんが、できる限り偏ることなく寛容に生活していけたら、これからの人生をと思っています。中途の文章が返信になって失礼しました。
自分がオフコースの曲と出会ったのは1976年4月頃、シングル「眠れぬ夜」だから、この頃のオフコースってやっぱり暗かったんだなぁ…😓(でも嫌いじゃない)
でもほぼほぼ初期のファンですよね。「眠れぬ夜」も売れたわけではないので、そのあとですね、奇跡の時代がやってくるのは…。いい時代でしたね。
@@takeshiarisawa2420 さん 返信遅れましたが、彼らは当時数々のCMソングを手掛けてましたね。一応自分がリアルタイムで聴いたのは「花王エッセンシャルシャンプー」と「♪君はミニバーグ」(確か美容関係の)当時の彼らのハーモニーは完璧でしたね。
すごい転調だよなこれ。
ごめんなさい、はじめてなもので!名前だけそれもフルネームを残すとは!(;´д`)大好きな曲です!またお邪魔いたします。ありがとうございました!
コメントありがとうございました。この2曲続けてっていうところがまた素敵ですよね。ライブアルバムだと「別れの情景Ⅰ」のみの収録でしたが、こういう形が本来の完成形だったように一ファンとしては思ったりします。(3年前のコメントでしたが、返信してなかったので…。お元気にしておられるでしょうか?)
もう一度おふたりのコーラスが聴きたい❗です。
初めて聞きました、こね音源、ありがとうございます。未だマイナーな頃のオフコース時代。でもこの頃もクオリティ退位し。数年後にメジャーなビックバンドになるなんて、、。
小田さん、倒れそうな声。
mymykabukabuさんに。オフコースの初期の貴重な作品を聞かせて頂いているのですが「さよなら」前後のメジャーな作品は如何でしょうか。音楽の専門的なことはわからないので多くの人達が知っている「歌」を紹介して頂いたら嬉しいです。mymykabukabuさんなら素晴らしい感性をお持ちで造詣も深くていらっしゃるので、信頼して鑑賞できると思います。
そういえばその頃の曲はほとんどありませんね。売れ始めた1980年頃の音源をお持ちの方は多いのと、ラジオのスタジオライブなどもけっこうUPされているのと、著作権の関係で削除命令が来たりするなどの理由で「Yes-No」をはじめ、youtubeから消えています。本当はもう少しUPしていたのですが、なかなか公開が難しいのが現実です。消されない方もおられるようですが、そのあたりの基準がどうなっているのかよくわかりません。古い音源も本来はUPしてはまずいのでしょうが、タイトルを怪しい英語に換えることでみつからないようにしたんですが、それでも発見されてしまうものもあり、公開できなくなったものも多々あります。オフコースが好きだった人に昔を懐かしんで聞いてもらいたいという思いでUPしているのですが、著作権というワクの中ではそれも本当は許されないことなのでしょうがないですよね。気の合う仲間で集まってこういう音源を楽しむ会みたいなのができればいいんですけど、場所や時間にとらわれないyoutubeの良さというものもあるので、このワクから出られないことをご了承ください。
ご丁寧にありがとうございます。なるほど、色々な事情があるのですね。多くの昔懐かしい音楽を紹介して下さって、それだけで充分です。mymykabukabuさんは本当に音楽がお好きでオフコースを愛していらっしゃるのですね。
財津はブリットだけど小田メロは基本シャンソンだよな。
vf
二人時代オフコースのファンです。ファンにとって、こちらの音源は歴史的貴重品ですね。別れの情景Ⅰ、Ⅱのつながりは素敵です。昔の小田さんの繊細な声と、康さんとのハーモニーの良さよく出て、歌詞と相まって「オフコースの世界」そのものです。感激です。
ほんとにそうですね。あの頃は、「売れない」「お通夜みたいなコンサート」みたいな酷評が多かったですが、今も二人とも(のちの3人も)現役でステージに立っているというのは奇跡のようなことだと思います。
あの頃、二人があきらめなかったから今があるのだと思います。ずっと応援してきてよかったです。
小田さんと鈴木さんが大変な音楽の世界に進んでくれたからたくさんの素敵な曲に出会えて幸せだな❤
今以上に国公立大学の理系学生の進路はエリートコースだった時代に音楽という選択をしたのは希有なことだったといえるでしょうね。おっしゃる通り、大変な音楽の世界に進んでくれたから…という表現は的を射ていますよね
ライブが感動的な二人。当時はレコードより本物の声が良くて
あまりにハーモニーが綺麗で最初から感動が最高潮!最後まで、どうか今この時のトキメキが
が終わらないで欲しいと願って聴いていた
はかなくも、コンサートが終了してもしばらく心はずっと満たされていた事、今もはっきり覚えてる。
時間が経つほどにこの時の
オフコースの価値は高くなる様な気がする。当時のNo.1の曲は別れの情景1かな?
「別れの情景1」は本当にレコードがすり切れるほど聞いていました。
でも、このライブの歌声と演奏も良かったですよね。
ギターとピアノだけの構成がより二人のハーモニーの美しさを際立たせていたようにも思います。
バンドになってからはこういう美しさは感じられなくなりましたね。
バンドにはバンドの良さがあったことはもちろんですが…。
いつ聞いても良いです。
私はこの頃のオフコースが好きです。お子様でまだ出会えてませんでしたが。
50代後半になって、改めて、この歌を味わっています。「季節は巡り色あせた日々よ」というフレーズが、何とも言えません。鈴木さんと小田さんの透明感あふれる歌声が、この曲の悲しみを一層、深めていますね。「別れの情景」は1も2も素晴らしい作品です。若い感性が、あったからこそ、出来上がったのではないかと思います。
あの頃だからこそ書けた曲なんでしょうね。コンサートでは「別れる歌ばかり書いてしまう」と言っていましたが、男子校出身で恋愛経験が少ない彼らならではの心情が初々しくて共感できるといえるでしょう。その後はこういう曲は影を潜めていきます。
返信ありがとうございます。おっしゃる通りですね。恋愛感情に初々しい純粋さは、年齢とともになくなっていくのでしょうか。私は、還暦近くになってオフコースの初期の作品に新たに感動をしています。女性と男性の違いかもしれません。しかしながら若いが故か小田さんも鈴木さんも、本当にきれいな声ですね。
オフコースの初期の作品は難解な曲が多いもののダイヤの原石のように様々な可能性を持った楽曲が多いですよね。1枚目、2枚目のアルバムが好きな人は多いです。
アルフィーの坂崎さんも1枚目、2枚目が好きだと言ってました。
3枚目の「ワインの匂い」から転調を控えめにしたり、ハーモニーを少なくしたりして一般受けする路線にしていったので明らかに変化がみられます。
これはプロデューサーの武藤さんの影響が大きいことと思います。そのため没になった鈴木さんの曲も多々ありました。
元々は鈴木さん主体だったオフコースが小田さん主体へと変わっていくきっかけが3枚目あたりにあったと思います。もっとも、のちの時代ほど露骨ではありませんでしたが・・・。
声のきれいさは、中音域はどちらが歌っているかわからなくなる、とご本人たちが言っていたほど似ています。
キレのあるハーモニーはCMでも重宝されていましたね。
古い楽曲で聞いてみたいものがあればリクエストしてくださいね。
ご丁寧に詳しく教えていただいて有難うございます。初期の頃。鈴木さんが主体だったとは、驚きでした。私個人の素人目での感想ですが、小田さんの曲はやはり昔から、光るものがあって、印象が強いと思います。鈴木さんも勿論、素晴らしいのですが。多数の大衆に受けるのは、小田さんの曲なのかもしれません。多くの懐かしい曲を紹介していただいていますが、「キリストは来ないだろう」という作品を聞いてみたいと思います。
「キリストは来ないだろう」はライブアルバムに入っていますが、その後も何度か歌っています。名曲ですよね。でも、「忘れ雪」とコンペで競い、結局お蔵入りしてしまいました。鈴木さんはその時、「白い帽子」という歌を出しています。これも「水いらずの午後」という曲に負けてしまい、オフコースは不本意ながらそのシングルを出すことになりました。だから、ライブでは「忘れ雪」「水いらずの午後」は一度も歌っていません。せめてもの抵抗だったのでしょうね。
のちにアルフィーは「水いらずの午後」をカバーしてアルバムの中に入れています。決して悪い曲ではなかったのですが、気分が悪かったのでしょうね。
「キリストは来ないだろう」はすでにUPしてあります。
ua-cam.com/video/aVfueugokk4/v-deo.html
でお聞きになれます。2曲目です。
こんな時代があったと思うだけで感慨深いものがあります。NHKBSで1982年6月30日オフコース武道館コンサートが放送されます。予約録画をして今からとても楽しみです。やっぱりオフコースの音楽は最高に素晴らしいですね。
また放送されるんですね
オフコースの人気は根強いものがありますね
NHKが持っている音源とかをFMとかで特集してくれたらすてきなんですけどね
売れる前の頃のがあったらなおすてきです!
@@mymykabukabu さん。早速のお返事ありがとうございます。FMといえば「心さみしい人よ」と「哀しき街」が印象に残っています。当時、早朝6時頃に流れていたように思います。
私はオフコース、正確に言えば
小田さんの作品ばかりなのですが、どれも歌えるほど覚えてしまっています。他のアーティストの人たちの作品は3つ4つぐらいしか心に残らないのですがオフコースは私にとって本当に特別な存在であり続けているのだと思います。
高校生時代においてよく聴いた曲。
貴重なUPありがとうございました😭
高校時代…ということは、同世代ですね? もう60代後半?? お互い歳を重ねましたね。幸せな人生でしたか?
別れの情景Ⅰ~別れの情景Ⅱ~もう歌はつくれない〜の流れと音源は貴重で、この場で聴けることに感謝!!致しますo(^o^)oオフコースの2人の頃から、ずっと良い曲があるのに、小田さんのライブで歌ってくれないことが、とても残念に思いますね(ToT)歌わないの勿体ない、気持ちでいっぱいです。
こちらの歌を初めて聴いたのは、今から42年前の高校2年生の頃。
そこから遡ること6年前に、「別れの情景」はリリースされました。
当時の私は思春期で、様々な感情が入り混じり、優越感とか劣等感、将来に対する希望や不安、そして理想と現実の狭間で思い悩んだり考えたりしていました。
勉強の合間に聴くオフコースの歌、特に小田さんに癒されました。
会った事もない小田さんに、恋焦がれて憧れていました。笑
「別れの情景」は、大好きな歌でした。私もこんな大人の恋愛そして別れをしてみたいと憧れました。
今でも、この歌を聴くと、あの頃の甘く切ない思いが甦ります。
少し風邪気味らしい若き小田さんの歌声に、今でも変わらずときめく私です。笑💕
貴重な音源をありがとうございました❣️
そのころの初々しい気持ちを上手に表現してくださって、ありがとうございます。こちらも胸が熱くなりました。
そうですよね、恋とか愛とかよくわからないのに、この歌やオフコースの詞からいろいろなことを考えたり妄想したりしていたように思います。
大学時代からピアノを始めたという小田さんはこの頃はまだよくミスタッチがありましたが、今ではとんでもない奏者になりましたよね。
これも努力は成果を裏切らない、という主義によるものなのでしょうね。
ヤスさんもすごく勉強熱心でふたりの音楽に対する情熱がいつも伝わってくるように思っていました。
あの頃がなつかしいですね。
やはり、オフコースはこの二人のハーモニーですよね
初期のこの二曲、秀逸すぎます。最高です。
メロディーもアレンジもハーモニーも秀逸ですね。何度でも聞きたくなる名曲だと思います。
小田和正さんは今でもライブに足を運んでます。ヤスさんとのユニゾンが絶品だったこの頃のオフコース。当時異色だった転調の多い洗礼された曲。オフコースの真骨頂です。懐かしい。大好き。
転調の多さが魅力でしたよね。
3枚目のアルバムあたりから転調はわかりにくいと影を潜めていきましたが、時代が全然彼らに追いついていなかったのでしょうね。
今ならその魅力がわかると思うのですが…。
まだ2人だった頃のオフコースの貴重なLiveを聴けるのはとてもありがたいです。透き通るような小田さんと繊細な鈴木さんのハーモニーが素晴らしいですね。
今思えばたしかに逸材の二人でしたね。
でも、二人だけでは真のオフコースにはなりえなかったのではないかと思います。
バンドサウンドへと変貌した結果、歴史に名を残すことができたのでしょうね。
一年前のコメントに失礼します。バンドサウンドでないとオフコースは、名を残せなかったのですね。悲しいですけど事実なのでしょう。唯、昔のアコースティックな作品を聞いていると、これらでも十分に世の中に訴えることができると感じてしまいます。私が、甘いのかもしれません。
いや、あの当時全く彼らに追い付いてなかった?のではないでしょうか。
小学校の頃は和むな〜って思ってました。さよならが毎朝ヘビロテで、かかって、この小田さんと分かるまで時間かかりました。五人も四人も好きやけど、この頃が一番、好きかも。。。切なかったです。周りはジャニーズて言ってて1人、小田さんの写真を下敷きに入れアコギ弾く小学校生でした。
小学生の頃にオフコースが好きになったなんてすごい感性ですね。
しかもアコギも弾けたなんて!
私は中2からギターを弾きはじめ、ラジオからオフコースの洋楽を幾度となく聞き、中3ではじめてステージを見ました。
二人だけのステージは、本当に誰のためでもなく、自分たちのために歌っているだけ…という印象でした。他のミュージシャンもたくさん出ていたコンサートだったので、オフコースの演奏時間はトイレ休憩っぽくて席を立って歩いている人がやたらと多かったのを覚えています。
「さよなら」以降は、チケットを取ることすら大変な時代になりましたが、「売れたい!」という目標があるときのほうが二人、そして五人の結束は強かったのでしょうね。
@@mymykabukabu 叔母からテープを貰ってa面チューリップ、B面にオフコースで小田さんの繊細なコーラスが衝撃でした。最初は鈴木さんのコーラス耳コピして歌ってました。クラッシックギターを買って貰ったので難しかったです。祖母が大正琴や舞踊等してたらしく楽器やレコードは沢山あって母が深夜ラジオ聴いてて洋楽も沢山、聴いたのでビートルズが大好きで。オフコースは五人になってコンサートに行ったので朝からチケット売り場に並びました。歌詞が得に好きです。周りがオフコースやjazzバンドを再開してるので今は民族音楽しつつ、たまあにシンセで歌ったりです。ギターはcodeを殆ど忘れてしまいました。リビングに色々な楽器が溢れて娘がベースしてるので凄い事になってます。
オフコースは毎日、聴いてます。落ち着くので。
@@miki.azuki35 チューリップも当時、大人気でしたね。
メンバーが変わっても継続していて、最近もコンサートをやったりしていてすごいことだと思います。
叔母さんからの贈りもの・・・人生に大きな影響を与えてくれたんですね。
音楽や楽器に囲まれての生活ってすてきです。
今は民族音楽ですかw
それもまたすごいです。
細野晴臣さんや坂本龍一さんが一時期けっこうはまっていましたが、そういう世界も心ひかれますね。
今もオフコースをお聴きになっておられるということで、それもまた良い時間をお過ごしですね。
うちも今、ギターが4台あって、置き場に困っています。
4日前に引っ越しをしたばかりで、荷物の中にいます。
広い家ならいいのですが、ギターやピアノなどはそれなりに場所を取るので困ります。
あ、違う話になってごめんなさいw
@@mymykabukabu 小3年だったかな人気とか分からず常に周りとズレてました。高校生の頃の友人はメタルのドラム演っててパンクやメタルもlive行ってます。パンクバンドがジャマイカに移行して縁があり今はジャンベ二台とディジュリドゥ2本で、まだ増えそうですw 先生はケニア人で自由で面白いです。息子の婚約者がオーストラリアに居て先住民が好きで買って来てくれました。息子はDJのターンテーブル押入れに直してます。アチコチに何かしら置いてます。楽器は処分できないですね思い出ありすぎて。
@@miki.azuki35 音楽は国境を越えて人と人とを結びつけてくれますよね。その種を蒔いたのはきっと小学校の頃。いろんな音楽に影響された今に至っているんですね。私もこうしてオフコースの昔の曲をUPしていますが、今はGroovyGrooveやKingnue、ずとまよなど、今の流行りの曲が好きです。「あの頃」に固執する必要はないなと思っています。
00000 oさんは息子さんが世界を広げてくれていて幸せですね。こうして音楽もリレーされていくのでしょうね。
一年前にコメントをいただいていたのに返事が遅くてごめんなさい。
今の小田さんがあるのはまさしくこの頃があるから
オフコース万歳
ホントに今に届けたい
2024年5月7日に視聴しました。画像には1974年5月7日の文字が…。ちょうど50年前。色褪せない美しいハーモニーに聴き入りました。ありがとうございました。
たしかにたしかに、記念すべき日に視聴していただいたんですね。あれからもう50年! 彼らも自分も年を取ってしまったなぁと思わずにはいられません。
返信するためのパスワードを忘れてしまっていて、今日たまたま入力したパスワードが大当たりだったので、半年以上たってのお返事となりました。失礼しました。m(_ _)m
素敵な楽曲とハーモニーと これがオフコースなんだと思います。
一度だけでいいので、小田さんとヤスさんと 歌ってほしいと思います。
僕らファンのためでなく 彼ら自身のために
コメントしたのですが、もう一度。心身共に疲れた時に、この歌を聞くと心が、落ち着きます。「安らぎが欲しい」「少し離れた方がいいみたい。こんなに疲れるなんて」、「ほんの小さな思いやりも忘れてしまった」還暦近くなって、この詩の意味と、美しいハーモニーが、心に深く、沁みます。様々な場面で、この言葉のような思いをしていますね。小田さんと鈴木さんは、素晴らしい音楽を、後世に残して下さいました。
いつも感想ありがとうございます。
そうですね。旋律も歌詞も秀逸だと思います。
もうこの歌をステージで歌われることもなくなってしまいましたが(ましてや二人で歌うことも・・・)、あの頃の音源は、タイムスリップさせてくれるかのようですよね。
名曲なので、カバーしてくれる人たちが出てきてもよさそうなんですけどね。
かつての二人のようなデュオが登場してオフコースコピーをしてくれたらすてきですよね。聴いてみたいです。
こちらこそ、ご丁寧に、お返事を下さり、恐縮しています。若い頃、オフコースの初期の作品を、あまり熱心に聞けず、ついメジャーな歌ばかり聞いていた頃が嘘みたいです。今は「別れの情景1」ばかり聞いています。そして、鈴木さんの「通りすぎた夜」や「青春」などに新たな感動をしています。かつてヒットした作品よりも、隠れた名作のような作品に魅かれる今の感覚は、一体、なぜなのかと思います。
ヒット曲にはヒット曲の法則みたいなものがあって、印章に残るサビや曲の構成、耳障りの良さ、感情移入できる歌詞などが求められます。オフコースも売れ線を狙った頃からそういう傾向が出てきました。「愛を止めないで」あたりからでしょうか。もちろん、好きな音楽を伸び伸びやるためには「売れる」ということが欠かせない要素だったわけですが、小田さんも不本意ながら書いた曲がいくつもあったと述べています。「さよなら」などもそういう曲のひとつだったようです。
鈴木さんの曲はヒット曲の要素は少なかったけれど、「好きな音楽」を貫いたところに良さがあり、小田・鈴木の二人で構成するアルバムは絶妙のバランスを保っていたように思います(あくまでも個人的感想ですが…)。
若い頃は、小田さんのヒット性のあるメロディーと歌詞に引き付けられがちですが、年を経た今聞くと、鈴木さんの楽曲もとても優れていて、聞きごたえのある作品だということに気づきますよね。
杉本さんのご意見に賛同できることばかりです。
ご丁寧に詳しくお返事を下さり、申し訳ありません。なるほど、そうなのですね。「さよなら」までも不本意に作られた作品だったとは。そう言われてみると、思い当たるような気もします。どんな世界でも「裏側」が、あるのだと改めて感じました。私は「セレクション1973-1978」のアルバムを今、気に入っています。鈴木さんも小田さんも、多くの年月を経て、「売れなかった」時代の作品を改めて見直され、優れた文化は不滅だということを立証されたようで、良かったと思います。
「セレクション1973-1978」は、「ヒット曲もないのにベストアルバムを出すことになった」と当時、小田さんが自虐的にステージで語っていましたが、今でも色あせないいいアルバムですよね。ビートルズが今でも聞かれているように、オフコースもずっと愛されていくといいですね。
Mymykabukabu san
オフコースの古い曲のアップ本当にありがとうございます!約40年前からオフコースファンです。私がファンになる前のこうした曲を聴けるのは望外の悦びです!
ありがとうございます。オフコースのファンだというだけでその当時から「みんな友達」だと思っていました。
時を隔てた今もずっとそんな気持ちです。
コメントありがとうございました。
別れの情景はいつまでもオフコース原点の情景です。
聴くものに一瞬にして詩が産むドラマ、心に映る映像にいつの間にかに引き込まれてしまう、、転調と詩情景の妙、、才能溢れる小田氏の楽曲センスは時代が追いついていなかったのに苛ついてた、。
多感だったあの頃この曲を初めて聴いた時言葉が見つからないくらいの衝撃だった、。
たしかにこんな転調をする曲が書ける人って、当時はほとんどいませんでしたよね。ご指摘の通り、時代が追いついていなかったのだと思います。最近の若い人たちの曲は当たり前のように転調を取り入れたり変拍子を入れたりしていますが、オフコースはそういう音楽の先駆者だったといえるのではないでしょうか?
また、セカンドアルバムの冒頭のアカペラとボイスパーカッションの曲(プロローグ)もすごいですよね。ヤスさんが作ったんだと思いますが、日本のアルバムの中で最初にボイスパーカッションを取り入れたのはあのアルバムだったのではないかと思っているのですが、どうでしょう?
小田さん、鈴木さん、二人ともすごい感性と才能で繊細な音楽世界を構築していたことに改めて気づかされます。
コメントありがとうございました。
やはり彼らの音楽的背景に洋楽、カーペンターズ、S・G 等々が基盤にあってこそだったと思います。転調の話ですが鈴木氏の楽曲は確固としたオリジナリティがあり、自分も洋楽を嗜んでた者としてあの頃 潮の香り が好きで弾いてみたいとスコアを観た時のそのテンションコードに敷き詰められた転回の衝撃は今も忘れられません。この方只者ではない、と。当時いわゆる持て囃されてたフォーク歌手、バンドとは別格だと思いました。
あの楽曲は氏の名作だと今も思ってます。唯一無二の独自のメロディライン、詩は聴くほどくせになる、、🤔
小田氏とはまた違う目線(だから良かった)を持った🤔素晴らしい本物のアーティストだと思っています。
別れの〜 では自分の中ではこの続きが 秋の気配 で前期オフコースラブソング終焉だと勝手ながらも思ってます🙇🏻♂️
@@iyorit1089 さん
オフコースの出発点は洋楽コピーでした。PPMをはじめとするアメリカの楽曲をいかに上手くコピーして聞かせるか、が重要な時代からスタートし、コンサートでも洋楽を中心に唄っていましたが、やがてオリジナル曲の時代となり、彼らもその流れの中で自分の曲を作らなくては、ということで書きためていったのが、1枚目、2枚目のアルバムに結実していったんですよね。
ヤスさんのセンスも洋楽からのものでした。
ua-cam.com/video/faaxsHyyIzY/v-deo.html
この曲などは、ヤスさんの曲に強い影響を与えていると思われます。
「潮の香り」も名曲だと思います。
この曲はダークダックスの曲の影響を受けているように思いますがいかがでしょう?
ua-cam.com/video/FhrBDfDSm28/v-deo.html
もっともこれらの曲を参考にしながら自分の世界を構築していったのはさすがとしかいいようがありません。
こういう話を昔の音源を聞きながら直にすることができたらすてきでしょうね。
また厚かましくコメントさせて頂きます。小田さんのコンサートツアーが来年行われるようですが、小田さんのエネルギーに驚きと尊敬の気持ちを抱いています。私個人的にはオフコース時代の作品が好きであの当時の演奏を美化しています。さまざまな方のお気持ちがあると思いますが私はオフコースとして歌っておられたあの頃の小田さんが忘れられません。
杉本さん、お久しぶりです。
PCを変えたら、自分のyoutubeのパスワードを忘れてしまい、長く入ることができませんでした(笑)
今日、おそるおそる記憶をたどりながらパスワードを入力してみたら、数年ぶりに自分のyoutubeに入ることができて、やっと皆さんにお返事を書いているという次第です。
そうですね。なつかしいですよね。
自分たちにとって、その時の音楽が、自分の音楽であり、オフコースや小田さんもその時のまま記憶の中に残っているので、年を経るごとに美化されていきますよね。
クリ約を終え、ツアーを終え、ファーイーストカフェの活動を終え、今年は小田さんにとって終活の一年になりそうですよね。
最後まで見守りたいと思います。(オフコースファミリーの時からなんと50年以上にわたって会員でありつづけてきましたがとうとう終了の時が近づきました)
@mymykabukabu さん。
お返事ありがとうございます。「オフコースファミリー」といえばファンクラブのことでしょうか?私も一時期入会していた頃があります。いつ頃退会したのか覚えていないのですが。
小田さんも随分老けられたなあと感じるのですが、このまま鈴木さんとはずっと関わることはないのでしょうか?
去年の年末の紅白歌合戦でイルカや南こうせつ、アルフィーなどが歌ってくれて、とても良かったですしテレビで懐かしいアーティストたちが見れるのもありがたかったです。
「NHK紅白」とまでは望みませんが、なんとか小田さんと鈴木さんがお二人でご一緒してくださったらと願ってしまいます。
@@杉本恵子-k9k もしかしたらそんな日が思いもかけない形で訪れるかもしれませんよね。人生、何が起こるかわかりませんから…。そうなることを願いたいですね。
もう40年以上オフコースを慕っています。私の青春時代が甦ってきました。
アップありがとうございます♪
ほんとにこの頃の歌声を聴くと、青春時代がよみがえりますね。
当時、オフコースのコピーをしていました。まだオフコースを知る人も少なかったので、コピーデュオ同士知り合いになり、世界が広がったのを覚えています。
あの頃知り合った人たち、今、どうしていることでしょう。
コピーバンドは数多く存在しますが、コピーデュオで今も活動している人は少ないように思います。
この曲をコピーしていた人たち、少なくなかったと思います。会いたいなー。
九州宮崎で、夜になると東京のラジオが聞こえてきて、「ヤングタウン東京」が好きになり、準司会の杉田二郎が登場する前、前座としてオフコースが出てきて、この歌よくうたってました。懐かしいですよね。。。一慶さんや三枝さんから暗いとか言われてたような。。。w
私は愛知県だったので電波の入りの悪い「ヤングタウン東京」を必死になって聞いていました。
桂三枝もノリノリの時代でしたね。
みんな若くて それでいて何か燃えるような想いを感じさせてくれるような時代でしたね。
オフコースのコーナーは洋楽のコピーが中心でしたがすっごく感動して聞いていました。
今でもその時のことは鮮明に覚えているから不思議なものですね。
コメントをしたのですがもう一度。私は、30数年前、小田さんに、ほのかな恋心を持っていたのかもしれません。20代前半から後半にかけて、小田さんの作品に感動しては、色々な想いが、駆け巡っていたように思います。今、50代後半の年齢でもその作品に関しての感動は同じで、その曲を聴いているときは、20代の独身だった頃の若い「私」なのです。
そういう感覚ってありますよね。
今は写真やVideoがすっかり普及して、ちょっとしたことでも記録に残せますが、写真も映像もない時代だったあの頃のこと、ほんとに不思議なぐらい覚えていたりしますよね。
あの頃の自分に戻れる時間が持てるっていうのは杉本さんの感性が今も豊かだからだと思います。リクエストがあればまたお願いします。(…と、1年前のコメントへの返信でしたw)
懐かしいです。お久しぶりです。そしてお返事ありがとうございます。恥ずかしいのですが小田さんに対する想いは変わらず、今は「Yes-No」を聞いてしみじみしています。誰もが知るオフコースの名曲ですが聞けば聞くほど奥の深い詩だなと感じています。「うまく言えないけれど君のことばかり気になる」というフレーズなど心に沁みて20代の頃を思い起こしています。心の中だけ若くなっているような感じです。
@@NAOKO-i4r さん
「Yes-No」は今も小田さんがコンサートで歌っていますよね。それだけ愛着が深い作品なんだと思います。
フリューゲルホーンのゆるやかなイントロからリズミカルな展開へと進んでいくところもすてきでしたね。アルバムでは前奏はカットされていましたが、それも他の曲とのつながりを考えるといい感じでした。
心は年をとらないですよね。あの頃のまま、という人はきっと他にもおられることと思いますよ。
早速のお返事ありがとうございます。mymykabukabuさんのような感性をお持ちの方がオフコースをお好きで本当に嬉しいです。
いまだに失恋を引きずりながらオフコースしてます。ここまでアホは、いないと思います。しかし、君住む街を聴いていたときに、戻ってきてくれた思い出が強すぎて、また、戻ってくると信じ続けています。笑って下さい。失恋のす々めを、聴いたほうかいいかも。
風邪でも引いていたのか小田氏の声が絶不調ですね。
Ⅰではサビが出なくて鈴木氏の下でハモってる。
別の意味でも超貴重な音源ありがとうございます。
当時、小田さんは、年中風邪を引きやすくて、声の調子がいい時のほうが少ないとMCで語っていました。
今はだいたい安定した声が出せていますから(ちょっときつい時もありますが…)、かなり鍛えたということでしょうね。
この頃私は、中学生でしたその頃から、オフコースが大好きです小田さん大好きです、ずーっと歌に励まされ癒やされ、涙して支えになり寄り添ってもらい生きて来ました、とてもありがとうございます、これからも寄り添って行きます、よろしくお願いします大好き小田さん
コメントありがとうございます。
「歌に励まされ癒やされ 涙して支えになり寄り添ってもらい」っていう想いはたしかにありますよね。
小田さんの
「出会いも別れも知らぬままに
流れるうたをきいていた
なぐさめられてはげまされて
そして夢をみた」
という歌詞と共通するような想いですよね。
小田さん自身もそんなふうにいろんなうたから多くのことを受け取り、私たちにバトンタッチしてくれているんだな、とこの歌(風うた)を聴くと胸が熱くなります。
初期の歌に心ひかれるのは、売れるとか売れないとか、そういうことを抜きにして、当時の小田さんや鈴木さんの感情がそこに込められているからだと思います。
売れ線ねらいの曲とちょっと違うのは、そういうところにあるんじゃないかと思ったりしています。(違うかもしれませんが…w)
このつながりは、すごい
別れの情景Ⅰ もう歌は作れない
秋ゆく街で ではカットされたけどここで聞けて嬉しいです
名前がkeikosugimotoになってしまった杉本奈緒子です。たくさんコメントを書かせて頂きましたがmymykabukabuさんはお変わりなくお元気にお過ごしでしょうか。今回は、最近オフコースが新たに再び注目されているようで嬉しくなって書き込みをしています。先日2月11日土曜日午後8時からBSフジで「輝き続けるオフコース」と言う番組が放送されました。初期の頃からの作品の紹介から始まり出演者の座談会のような形で、曲が流れるたびに当時の映像が流れ、懐かしさと切なさで胸がいっぱいになりました。各界の著名人が集まって、オフコースを愛好している方は本当に多いのですね。やっぱり「オフコースは不滅」だなあとしみじみ感じました。久しぶりに「別れの情景1」が聞きたくなってコメントさせて頂きました。長い文章で失礼しました。
オフコースは50年位は聞いています。ファーストアルバム(勿論レコードですが)の僕の贈りものや地球は狭くなりました、でももう花はいらない、さわやかな朝をむかえるために、等をコピーしていました。その中に「貼り忘れた写真」と言う曲があります。別れの情景に繋がるのでは、と思っています。「めぐり巡る春の日は、思い出のなか」と。ただ、写真に写るのは、あいつと出てくるので、??ですが。このアルバムには、アリスの矢沢透(きんちゃん)がドラムで参加しています✌️。その通り、確か鈴木康博さんの2つ下?かな。二人のオフコースが大好きでした。勿論今も二人の大ファンです🙆。
オフコースは不滅は録画しました。二人ではないので、未だ観ていませんが…。
杉本さん いつまでもOFF CORSE
ファンで続けてください。
コメントを読ませていただきました。
グッと来ました。
@@わんわん-x9yさん。
杉本奈緒子と同一人物の杉本恵子です。嬉しいコメントをありがとうございます。今、63歳になりましたがオフコースばかり聞いています。
私の今のお気に入りは鈴木さんの「愛の終わる時」です。お返事が遅くなって申し訳ありません。
貴重な音源のアップに感謝します。今後、年月が経つにつれこういった過去の音源は価値を見出されることなく、埋もれて行ってしまうと思うので、若輩の私にとって大変貴重な音源として聞いています。
きっと当時の音源をカセットテープの形で持っている人はたくさんおられると思うのですが、世に出ることなく消えていってしまうのでしょうね。とても惜しい気がします。
特に売れる前のオフコースの音源、なんとか集められないもでしょうかねぇ。
名曲だぁ
やっぱり
めくるめく転調やばいですよね。
小田さんの鋭い言葉をメイジャーセブンにかぶせてくるテクニック。
そして鈴木さんの柔らかくセクシーなコーラス。
レコード盤では「ひとりにしてひとりに…」でフェードアウトしますよね。
たまらんですヽ(`Д´)ノ
「別れの情景Ⅰ」は、最初はギターでも弾きやすいのに転調からは伴奏が追いついていかなくなってお手上げでした(笑)。ヤスさんのギターは本当に上手かったです。また、ギターとエレピだけで充分表現できているのが素敵でしたね。
また、ⅠからⅡへとつながっていくところもいいですよね。
ライブアルバムでもこの2曲をセットで収録してほしかったと思います。(実際、「秋ゆく町で」では2曲連続で歌ったんですよね)
当時レコード盤で聞くと小田さん鼻声で風邪ひいたのかな?と姉としゃべっていました。とても懐かしいですね🎵
この数年後にはバンド編成となってしまう彼ら。デュオ編成のほうが(売れないが)曲としては完成度が高かった。
このあたりは好みなのでしょうね。古くからのファンは二人のオフコースが好きですし、バンド時代からのファンは古い時代のオフコースをあまり評価していません。また、成功したのはバンドになってからなので、おそらくバンド時代のオフコースのファンの方が総体としては多いのではないかと思われます。
しかし、こうしてわざわざUPしたのは、二人の頃のオフコースを私はこよなく愛しているからです。
だから想いは同じです!
バンドになってからの方が、確かに音楽は聴きやすいと思います。しかし古い時代のオフコースを評価しない事とは、違うような気がします。若い時のコツコツ積み上げた努力があったからこそ、年月がかかっても大きく成功したのではないでしょうか。全て、つながっていると思います。
多分、売れなかった時代でもプロの音楽関係者からは絶大な評価を受けていて、いつかは一般ユーザーに認められると確信していたのではないでしょうか?
そんな時代に下積みの長かった他のアーティストも、未だに一線で
活躍していますよね
当時のオフコースの音楽のレベルは群をぬいていたが、彼らの実力に時代が追いつけなかった。
何度もコメントしてすみません。今、鈴木さんのソロになられてからのアルバム「Acoustic」を気に入って聞いています。世の中がコロナウイルスで不安定なためか静かな音楽が心を落ち着かせてくれるようです。しかしながらこのアルバムは何度も繰り返し聞けば聞くほど、良さが増してきます。改めて鈴木さんの魅力なのだなと感じています。思いつきでコメントして恐縮なのですがmymykabukabuさんはお変わりなくお元気でしょうか。
大好きな歌。
悲しすぎる
同感です。
貴重な音をありがとうごさいます。
Iで小田さんは鈴木さんの下を歌っていたのですね。小田さんが喉を痛めたとか、熱が出たとかいう記事を読むと、切なくて涙が出ていたおぼこい昔を懐かしく思い出します。
オフコースのLIVE アルバムを隣の6歳上のお姉さんから借りて、小6の私はすっかり小田さんのファンに。小田さん自筆の文字がカッコよくて何度も何度も読みました。
中学で仲間を見つけましたが彼女は新しいレコードばかり買うので、私は遡って古いアルバムをお小遣いを貯めて集めました。洋楽や当時流行ったフォークなどカバーがオシャレで子どもながら痺れました。
今でも古いアルバムの歌は歌詞を忘れません(w
瀬戸内の田舎にいたのでコンサートなんて夢の夢。82年の武道館はフィルムコンサートで田舎の公民館のパイプ椅子で観ました。今考えてもあんな田舎でよく上映したなと!!何ヶ所で上映したのかしら?!
東京に来れば小田さんに会えると思っていたあの頃。上京して35年になろうとしていますがコンサート以外で小田さんに逢えたことはありません😆
夫は北山修さんのファンで、小田さんがゲストで「花のように」を歌ったライブのレコードを持っていて、私はその一曲をエアチェックで聴いたことがあり、それが縁で仲良くなりました。
貴重な思い出を書き綴ってくださりありがとうございました。こちらもその頃の画像がイメージされて頭に浮かんできました。
武道館のフィルムコンサートは、240箇所で393回上映されたそうです。すごいですよね。
もちろん私も見に行きました。武道館コンサートは6月24日に見に行きました。
名古屋から新幹線だったので、アンコールの「時に愛は」のイントロを聞きながら武道館を後にしたのを今でもはっきりと覚えています。
私の音楽の入口はフォークルで、北山修さんが大好きでした。中学生の頃は、北山さんの著書や詩集に傾倒し、自分でも曲を作るようになっていきました。そして中3の頃にオフコースに出会ったのです。「花のように」のアルバムももちろん持っています。
そういうことが縁で結ばれることもあるんですね。すてきです。
フォークルも今は北山さんだけになってしまいましたが、今も応援しつづけています。夫さんによろしくお伝えください。w
mymykabukabu フィルムコンサートに行った人の延べ人数は大変な数ですね。音楽には音だけでなく、その時のその人の思い出や気持ち、その場面の風景まで一緒に記憶されているのが素敵です。私は音楽を創ることはできませんが楽しめて幸せです。貴重な音源上げて下さり改めてありがとうございます😊
我家には、北山修さん/自切俳人のレコードもあります!
椛の湖ピクニックに行くために中学生だった夫はヒッチハイクで会場まで行ってテント泊で参加したそうです。宵々山コンサートも好き、関西フォーク系好きだった彼はオフコースのさよならがヒットした頃は女々しい歌詞だと思っていたとか(w 思い出話、長々と失礼しました😆
@@mozytj7989さん
ご主人とはかなり趣味が合いそうです(笑)
私も北山さんのアルバムは全部持っていました。(フォークル時代からソロまで)
でもヒッチハイクで会場まで行く、というような根性はありませんでしたw
小田さんは杉田ジローさんや北山修さんらとも交友があり、最近ではくるりともジョイントしていました。くるりが関西フォーク系だとか言うと叱られそうですが、当時は味のあるミュージシャンがたくさんいました。
一昨年ぐらいに、きたやまおさむ著の『コブのない駱駝』(岩波書店)という本を読みましたが、北山さんがたどってきた人生を自伝風にまとめてある面白い内容でした。ご主人はご存知でしょうか? amazonで購入できますよ。
感謝します。この流れでのそれもLIVEの音源で聞けるとは・・もう二度と無理だと思うのでが・・もう一度二人の歌が聞きたい
この頃の二人は、「売れないミュージシャン(←ミュージシャンという言葉すらあまり使われていない時代でしたね)」でした。liveも「お通夜みたいな」と形容されたほど静かで淡々と進行していました。でも、無理に?話していたMCも当時のファンは応援しながら聞いていたものでした。ファンはあのころに戻って二人で歌ってほしいと願いますが、二人にとっては実は黒歴史なのかもしれません。当事者にしかわからないこともあるでしょうね、きっと。
何はともあれ売れてよかったです。
厚かましくコメントを致します。今のだれもが知る小田さん、鈴木さんだからこそ、あの頃が良かったなどと私達は言うのかもしれません。「売れない」時代は私もまだ10代の前半だったと思うので詳しいことは知らないです。でも、そういうコツコツと積み上げてきた努力が、こんなに大きく実って、良かったですね。
この頃の二人はいつも「売れたい」ともらしていました。
実際、同時期に活動していたバンドやデュオで消えていった人たちは数知れません。「あかてん」や「じゅうじろ」などもきれいな歌を歌っていましたが、今は知る人もほとんどいないでしょう。
オフコースは5人とも今も現役というのがすごいです。そして、それぞれ味のある活動をしています。小田さんのようにツアーで40万人も動員できる人はアーティスト全体でも稀な存在ですが、他のメンバーもちゃんと活動できていてすごいです。
@@mymykabukabu
あかてん=がむがむでしたっけ?
この間小田さんのコンサート行ってきました。
もちろん最高でした。
でも、小田さんと鈴木さんの声が合わさった歌を生で本当に聞いてみたかった。
タイムマシンがあればな………
なんだか切なくなっちゃいますね(;-;)
私も来週、小田さんのコンサートに行く予定です。本編の千秋楽なので(中止になった大阪公演が1月にありますが…)、サプライズがあったらな・・・と期待していたりします。地元横浜での最終日。なつかしい人がゲストで来て、同じステージに立ってくれたら一生の思い出になると思うのですが・・・。そんな夢みたいなことは起こらないでしょうかねぇ。
凄く感動です🙋 UPして下さって感謝致します💖 なんて懐かしいSound🎵 このころこそ原点ですね😊音楽家として貫こうと決意して、不安な中を、頑張っているステージ🌈
ほんとに原点ですよね。ファンもあまり多くなくて、ステージも緊張、それを見守る会場も緊張・・・というピアノの発表会みたいなコンサート(リサイタル)でしたねw 初々しいけれどしっかりとした音楽性を貫こうとしている姿勢がすてきでしたよね。
この日本青年館のコンサートには行ったな。大学の友達の一人がオフコースの大ファンで、このコンサートにもカセットを持ち込み、部屋に戻って.曲をコピーしまくってた。彼らは、新宿ルイードにもよく出演していて、雑談で小田さんが、小学生の時初めて鈴木さん会った頃の話とか、大学受験で千葉大の医学部を受けようと思っていたが、大学訪問をしたら、病院のカーテンがすごく汚くて、それに失望して東北大に変えたみたいなこと言ってた。ルイードでは、当時無名だった荒井由実と共演したことがあって、荒井由実がオフコースの後なのでちょっとビビッてますなんて言ってた。
貴重な体験談、ありがとうございました。なつかしい時代ですね。新宿ルイードのコンサートは語りも多くて、出来の良し悪しに関わらず力を抜いて演奏されていたように思います。
ユーミンとの共演の話は知りませんでした。どんな曲を一緒にやったのでしょう? あるいは別々にやったということかもしれませんね。いずれにしてもそんな貴重な体験をされたことがうらやましいです。
ユーミンもオフコースの二人も現役で活躍していてすごいですよね。その頃まいていた種が今では大木になった感じです。
すごく遠くの事でしたが、あっという間に時は経ちますね。透明感のある哀愁は今もとても胸が締め付けられます。ありがとうございます。
本当に「透明感」という形容がぴったりな当時の二人の歌声でしたね。なつかしいです
この時代私は、中学生でした、懐かしいです、小田さんに憧れていたと思います
オフコースのコーラスは最高🎵✨✨✨
ほんとに中音域から高音域が溶けあっていてとてもきれいなコーラスになっていますよね。最高だと思います。
感動しました♪素晴らしい貴重な音源をありがとうございます♪
超貴重な音源のUP、ありがとうございます!!
懐かしく聞いております。もう40年経つのですね。
本当に40年!
あっという間のような気もします。
あの頃のオフコースの二人は
売れてなかったけど
自分の生き方を貫こうとしていて
とても気高くステキに見えました。
そして今も第一線で活躍している小田さん。
あの頃は40年後の今を到底想像することはできませんでした。
コメントされてる方々のように私もこの頃は小田さんに恋心を抱いておりました。大好きでした。今でも好きですが。私の青春です。
今でもあの頃の小田さんの写真を見るとキュンと来てしまうのは私だけでしょうか。別れの情景。どちらも神曲です。
本当に名曲ですよね。あの頃のあの雰囲気だからこそ胸にしみるのかもしれません。初期のオフコースには、小田さん・鈴木さんの区別なく少しでも多くの人に彼らの存在をわかってほしい、と思うファンが多かったと思います。二人だけのステージを見守るファンの人たちは、家族がピアノの発表会に出る、みたいな気持ちで「どうか失敗しませんように」なんて祈るような感じで応援していたように思いますw
その後、すっかり有名になって、コンサートのチケットも何度電話してもつながらなくなったあたりで、離れていったファンの人たちも多かったように思います。私は1973年から今に至るまでオフコースと小田さんのコンサートに足を運び続けていますが、初期の二人がひたすら取り組んでいた洋楽コピーは和田唱さんと小田さんのコラボで再生し、ハーモニーへのこだわりは委員会バンドが踏襲しているように思います。
小田さん・鈴木さんの二人の良さはあの頃にそっとしまっておいて、今は今の小田さん・鈴木さんの「あり方」を支持してあげたりです。
小田さんに恋心を抱いていたファンの方もきっと少なくなかったことでしょう。青春ですね。きらめてましたね。
なつかしい歌声から当時をふり返ってもらえてよかったです。コメントありがとうございました。
ああ、涙が止まらない。
僕もオッサンになってしまいました。
わかります。みんなジジババになりましたw
でも、心はあの頃のまま…の部分もありますよね。
@@takeshiarisawa2420 身も心もすっかり汚れてしまいました。
私が小学5年生の頃にこんな活動をされてたなんて....
この画像も音源も初めて聴きました。感動しました。ありがとうございます。
喜んでもらえてよかったです。
今でも小田さん、鈴木さんは現役でがんばっているからすごいですよね。
我々もがんばらなくては!
Ⅰ とⅡの繋ぎ!感激です!
こういうシンプルな構成で2曲がつながっているととっても味わいがありますよね。
2曲とも名曲ですねー。
やっぱりこの頃の完成度をリメイクが超えることはないと思います。
この音、この声、この二人だからこそ醸し出せた世界だと思ってます。
UPありがとうございます!
Their voices made great harmony. and the song reminds me of my young days. Thanks for sharing.
貴重な音源ありがとうございますm(_ _)m
はじめて聞きました。ほのぼのしたオフコースの素敵な音楽。
アマチュアの雰囲気を引きずっていたころのオフコース。たしかに「ほのぼのとした」という表現がしっくりきますよね。小田さんのミスタッチもけっこうあり、なかなか二人でミスせずに最後まで行き着くことがなかった時代でしたが、そんなオフコースがとっても身近に感じられていた幸せな時代でした。
初々しく、みずみずしく感じるのは自分だけか🙆♂️
素晴らしいコード展開と繊細なアレンジ、コーラスには小田氏の才能、センスがちりばめられている。鈴木氏の的確で力強いギターと小田氏の声に見事に絡む歌声は運命的なものさえ感じます。
あの時代にはまだ求めていなかったグループだったということだったのか、、いや早過ぎたと言うべきか、、
もう一度だけでいいから2人の原点とも言うべきこの純なアコースティックコンサートをある意味もう肩の力は抜いてやっていい時は来ていると思う🤦♂️真に 今だから〜 でしょう。
お気持ちは、よくわかるのですが、このコンサートの再来のようなことは、現在は無理なのではと思います。過去は、どんなことでも戻ってくれないので。本当に美しい声で、素晴らしい音楽だと思います。小田さんと鈴木さんだけでなく全ての人が、「昔」には、あらゆる意味で戻れないのです。やりきれないぐらい残念ですが。
みなさん、同じように感じておられると思いますよ。ピアノとギターだけでこれだけの演奏を聴かせるのは、二人の美しい歌声があるからですね。
たぶん、あの頃の二人は何度も音楽を続けるべきかやめるべきかと悩みながらステージに立っていたことと思います。
それでも続けて今に至っているからこそ、この音源も意味あるものになっているのだと思います。
二人とも音楽については初志貫徹できてよかったですね。
そんな二人の生き方を見習いたいと私も今日まで生きてきました。
1年前のコメントでしたが、お返事していなかったので書かせてもらいました。
ありがとうございました。
ご丁寧にありがとうございます。今、得体の知れない「病原菌」のために暗くなりがちな毎日の中で、このような美しい音楽が聞けて幸せだと思います。「命あっての物種」とはよく言ったもので「平凡な日常」がとても有難く感じますね。
もともと悲しい歌なのにギターとピアノだけでやったら余計悲しくなってしまう笑
これは・・・シビれた!
Ⅱも聞けるとは うれしい
原石の時代。
たくさんコメントを書かせて頂いた杉本奈緒子です。
コロナで翻弄される今日この頃、別れの情景1と2は心を落ち着かせてくれますね。
小田さんと鈴木さんの歌声が癒しのように感じます。
1日も早くコロナが終息してコンサートなどが自由に出かけれるようになりたいですね。
先日、小田さんは横浜でのステージに立ったようです。だんだんとコンサートも制限つきながら開催できるようになってきていますね。
鈴木さんもコンサートをやったりライブ配信をしておられます。
二人とも活躍中でうれしいですね。
@@mymykabukabu さん。お返事ありがとうございます。
小田さんも鈴木さんも活動をされているのですね。お二人ともお元気なようで。色々なことが少しずつ日常に戻っていっています。小田さんは少し前NHKのみんなの歌で歌声が流れていましたね。さりげなく聞こえる小田さんの声がとても懐かしく感じ、清々しい気持ちになりました。唯、個人的な欲を言えばお若い時の歌声が一番好きです。オフコースが全盛な40年ほど前のあの頃ですね。
@@杉本恵子-k9k さん
早速のお返事ありがとうございます。
そうですね、40年前は誰もが輝いていた頃ですよね(もちろん生まれていない方もおられるかと思いますが…)。
自分も40年前と今とではやはり大きな差があります。
あの頃のオフコースはやっぱり輝いているけれど、今も活躍している基盤がそこにあったということですよね。
たくさんのミュージシャンが次第に活動を停止していく中で、今も残っている、というのは本当にすごいことですよね。
私たちも彼らに恥ずかしくない生き方をしたいものですね。
@@mymykabukabu ご丁寧にお返事ありがとうございます。特に小田さんの活躍はすごいことですよね。私達の年代だけでなく若い世代にもファンがおられるようで多くの人々に好かれている
ということでしょうね。年のせいか昔を懐かしく思ってしまいます。オフコースだけでなくたくさんの素晴らしいアーティストがいましたから。小田さんや鈴木さんの足元にも及びませんが、できる限り偏ることなく寛容に生活していけたら、これからの人生をと思っています。中途の文章が返信になって失礼しました。
自分がオフコースの曲と出会ったのは1976年4月頃、シングル「眠れぬ夜」だから、この頃のオフコースってやっぱり暗かったんだなぁ…😓(でも嫌いじゃない)
でもほぼほぼ初期のファンですよね。
「眠れぬ夜」も売れたわけではないので、そのあとですね、奇跡の時代がやってくるのは…。いい時代でしたね。
@@takeshiarisawa2420 さん 返信遅れましたが、彼らは当時数々のCMソングを手掛けてましたね。一応自分がリアルタイムで聴いたのは「花王エッセンシャルシャンプー」と「♪君はミニバーグ」(確か美容関係の)
当時の彼らのハーモニーは完璧でしたね。
すごい転調だよなこれ。
ごめんなさい、はじめてなもので!
名前だけ
それもフルネームを残すとは!
(;´д`)
大好きな曲です!
またお邪魔いたします。
ありがとうございました!
コメントありがとうございました。この2曲続けてっていうところがまた素敵ですよね。ライブアルバムだと「別れの情景Ⅰ」のみの収録でしたが、こういう形が本来の完成形だったように一ファンとしては思ったりします。(3年前のコメントでしたが、返信してなかったので…。お元気にしておられるでしょうか?)
もう一度おふたりのコーラスが聴きたい❗です。
初めて聞きました、こね音源、ありがとうございます。未だマイナーな頃のオフコース時代。でも
この頃もクオリティ退位し。数年後にメジャーな
ビックバンドになるなんて、、。
小田さん、倒れそうな声。
mymykabukabuさんに。オフコースの初期の貴重な作品を聞かせて頂いているのですが「さよなら」前後のメジャーな作品は如何でしょうか。音楽の専門的なことはわからないので多くの人達が知っている「歌」を紹介して頂いたら嬉しいです。mymykabukabuさんなら素晴らしい感性をお持ちで造詣も深くていらっしゃるので、信頼して鑑賞できると思います。
そういえばその頃の曲はほとんどありませんね。売れ始めた1980年頃の音源をお持ちの方は多いのと、ラジオのスタジオライブなどもけっこうUPされているのと、著作権の関係で削除命令が来たりするなどの理由で「Yes-No」をはじめ、youtubeから消えています。本当はもう少しUPしていたのですが、なかなか公開が難しいのが現実です。消されない方もおられるようですが、そのあたりの基準がどうなっているのかよくわかりません。古い音源も本来はUPしてはまずいのでしょうが、タイトルを怪しい英語に換えることでみつからないようにしたんですが、それでも発見されてしまうものもあり、公開できなくなったものも多々あります。
オフコースが好きだった人に昔を懐かしんで聞いてもらいたいという思いでUPしているのですが、著作権というワクの中ではそれも本当は許されないことなのでしょうがないですよね。
気の合う仲間で集まってこういう音源を楽しむ会みたいなのができればいいんですけど、場所や時間にとらわれないyoutubeの良さというものもあるので、このワクから出られないことをご了承ください。
ご丁寧にありがとうございます。なるほど、色々な事情があるのですね。多くの昔懐かしい音楽を紹介して下さって、それだけで充分です。mymykabukabuさんは本当に音楽がお好きでオフコースを愛していらっしゃるのですね。
財津はブリットだけど小田メロは基本シャンソンだよな。
vf