【旧道探索のつもりがヤバかった】陸別町国道242号の旧道区間にある廃墟だらけの集落、しかしそこには地元愛を感じる建物も/小利別駅/池北線
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- Опубліковано 22 жов 2024
- 今回は、陸別町にある国道242号の旧道区間を
二箇所探索します。
陸別町は十勝地方北東部に位置する人口2200人ほどの町で、
陸別の名は、アイヌ語の「高い所にある川」を意味するリクウンペッ
から来ています。
明治35年(1902年)徳島から72歳にして一念発起し
北海道にやってきた関寛斎(かんさい)の入植を開祖とし、
酪農を中心産業とします。
町域は周囲を山に囲まれた盆地のため寒暖の差が非常に激しく、
日本一寒い町とも呼ばれます。
町域を走る国道242号と並走するように、かつては旧国鉄池北線が
延びていました。
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ふるさと銀河線がまだ走っている頃、陸別まで行ったんですよねー。
十勝から乗りました。
0番線でね。
1番線に乗ったら、メーテルが見えて。。。
ビビりました。
そんなに、月日は経っていないと認識してますが、線路もないんですね。
遠い昔の話になっちゃいました。
花火、見たんですよ。
北の空に舞う冬の花火でした。
祖父が幼少期を過ごした場所です。樺太から引き揚げてきたそうです。
小利別駅はNHKが日曜だったか土曜だったかのNHK特集で「日本一寒い駅」みたいな感じでドキュメンタリー作ってましたね。まだ国鉄で駅員も健在の頃でしたが。
明治35年に72歳で一念発起って凄いなぁ
昔の人は志が違うなぁ、なんて
こんばんは
貴重な動画ありがとうございます。
実は、小利別は母や祖父、曽祖父の生誕地です。母の生家が一瞬だけ見えた気がしますが、動画に写っていた場所には今も縁戚が住んでいます。
私が小学生の夏休みに母の生家(祖父の家)に泊まりにいくのが恒例でした。私にとって小利別は第二の故郷と言っても過言ではありません。
懐かしい風景の動画、ありがとうございます♪
こんばんは。
ご家族の故郷なのですね。どれほど寂れようと故郷は故郷、私の出身の滝上も寂れていますが、町並みを見ると懐かしさでたまらなくなります。
今日マジで4時間くらいこのチャンネルの動画見てました
今日(昨日の夜か?)発見したチャンネルですが既にハマってます
ありがとうございます!
萬才橋=万歳橋(ばんざいばし)でしょうね。恐らく。
駅ホームがたった16年ほどで自然に還るなんて…
2000年代ってついこの前って認識ですが、16年の歳月は容赦ないですね。
旧地北線の時に、国鉄の協力企業として西一線から置戸町堺まで線路保守作業をしていました。
西一線では利別川の崖に断層を見学できます。
最後の踏切跡の踏切名はたしか比留間踏切だったと思います。
旧川上駅から少し陸別に行ったところに網走本線締結の碑というのがひっそりとありました。
現在は、陸別鉄道の敷地内に移設されています。
大誉地の旧道も楽しいですよ。
なんと、保線作業に関わっておられたのですね。
十勝方面、この時が手付け始めでしたので、今後も探索を継続していきます。(遠いですが・・)
7:36 8:08 横断歩道の形が1992年に改正される前のハシゴ型ですね~
陸別探索お疲れさまでした。最初の旧道区間は比較的短いですが、最初から現道のルートにできなかったんですかね。
旧道の深雪橋の竣工=昭和33年を考えると、昭和20年代の土木技術で、現道と同じように高い築堤をくみ上げて、カーブしながら、利別川を渡る橋と鉄道跨線橋の両方を連続して2車線で作るのはかなり無理があったんじゃないかと思います。ちなみにこの当時、鉄道の方は「網走本線」時代です。
昔は踏切上等で道路つくってましたからね
技術的な部分に加えて、当時は道道でカネもなかったでしょう
何処か風情があって何処か寂しい家並みですね。配線跡やホーム跡いいですね。🐸
そう、まさに風情ですよね!
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 ありがとうございます。🐸✌️
今回は陸別ですか!小利別から訓子府・北見までの高規格道路の設計を1/1000の予備設計までやりました。
日産のテストコース近辺はテストコースが見えない様に切土区間とし両側を切土法面にした記憶があります。
訓子府ICは当初計画でトランペット型の立派なICでしたが交通量から考えるとあり得ない計画でした。
今は安いダイヤモンド型ICで完成していますね。ま、当然ですけど。
ふるさと銀河線の廃止をにらんで1/25000概略設計時は置戸経由のルートもありましたねー。
訓子府町~北見はモロにふるさと銀河線跡地を利用する計画をしていましたね。
とても懐かしいです。
実際に設計に携われた方のお話。企業秘密を配慮した道路設計などとても興味深いです。ICにトランペット型やダイヤモンド型などの名称があるのも初めて知りました(クローバー型は図鑑などで目にしますが)。銀河線沿いに置戸町を通さなかったのは、やはり過疎化で高需要も見込めないのと、建設費用圧縮、北見への速達性重視なのですかね。
最新のGoogleEarthみたところ、未開通の小利別~陸別間もかなり路盤建設が進んでおり、どこをどう通るかわかるレベルのものになっています。陸別~足寄間はまだまだ全通ほど遠しのようですね。
@@Su---- 高速に乗る為のICはトランペット型とダイヤモンド型があります。トランペット型は出入口が一つとなり線形は良いのですが広い用地が必要で高価なICですね。予算の潤沢だった札幌~苫小牧や札幌~旭川はトランペット型が多いです。
札樽道みたいな街中は用地買収が大変なのでダイヤモンド型が多いです。
十勝オホーツク道は元々は足寄~北見~網走の計画で当時は足寄と網走に高速を通すのが本来の目的でしたが、
強力に進めていた十勝選出の某氏の権限の低下と共に予算配分が減ってしまったんでしょうね。
本別~足寄が通ったので諦めたのかもです(網走は頑張ってますが)
@@58pacicle90 なるほど。土地や建設費の問題ですか。高規格道のICで日高道や広尾道など無人タイプで、乗る前に上下線が平面交差(一旦停止)する形は多いですが、あれが訓子府と同じダイヤモンド型でしょうか?
小利別~北見間は高規格道ができて、ものすごく早く、楽に、便利になりました。ふるさと銀河線の出番が無くなるのは目に見えて明らかでしたね。逆に置戸の街に寄る機会はなくなりましたが。
高速未開通の足寄~陸別間は下道国道ですが、以前よりは整備されて走りやすくなりました。でも「かったるい」区間なのは変わりません。某氏の生まれ故郷(大誉地)がその未開通の区間になったままというのが、何とも皮肉なもんですね。
うーん、下のコメントも含めて読ませて頂きましたが、勉強になる事が沢山で嬉しいです。高速の建設、当然ながら政治力が絡んでくるんですね。私は下道が好きなので基本高速は使いませんが、皆様の関心は強いと思うのでいずれ取り上げたいです。
なるほど切土の謎が解けたー。なんであそこだけ?と思ってました。
工事佳境での大雪で苦労されてましたねえ。
動画、ありがとうございます。利別川は、足寄以北と、以南で、様子がかなり違います。国道にかかる橋も、鉄橋も数がかなり多く、蛇行しています。鉄橋は、もう撤去されており、面影しかありませんが、小さな川にもかかっていた橋は、趣きがあります。
小利別は、利別、上利別と関連がある場所でした。
教えて頂きありがとうございます。
池北線の探索もいずれ増やしていきたいですね。
おはようございます、
凄いね、ふるさと銀河線跡はだんだんと
自然に帰って、木が生えているとは
自然の力が強いね、陸別町の懐かしい橋もよかったですよ(^ω^)👍
自然の力は容赦ないですね。
夏場は跡を追うのも困難でしょう。旧道の橋は味があって良いですね。
旧駅ホームも夏場は草に隠れて分からなくなりそうですね。
廃屋を見るとなんだか虚しさを感じます。
小利別の-38℃は強烈ですね⛄
航空写真や旧道との位置関係が分かって素晴らしいです。
ありがとうございます🌈
夏なら全然わからないでしょうね~あれは
一方で集落の脇にソーラーパネルが建設されているのが気になる。
ああやって地方の景色を侵食していくのか・・
深雪橋🌉60年以上経つのに目立った補修工事もなく堅牢ですね!ホントに欄干も古い!秋には落葉キノコ生えてそう🍄陸別町寒さで全国区(笑)でも道東日本でも屈指の寒さからタイヤメーカーとか家電メーカーさんの研究所やコースなんかもありましたよね。渋い道を探されますね✨
あの橋は堅牢そうでしたね。まだまだあそこにあることでしょう
寒いだけに寒冷地試験の宝庫でもあるわけですね。
国鉄池北線はふるさと銀河線に代わって安泰かと思われましたが、あっさりと廃線になってしまいましたね。
そこに暮らす人も少なくなって、立派になったのは通り過ぎていく道路だけですか。どこか虚しい感じが残ります。
高速があるからって集落に恩恵はほぼないでしょうしね。虚しいものです。
道路が立派になるのはいいけど維持管理がなあ
これ、取材は4月末くらいですかね?
小利別駅駅舎から国道に向かって直線的に伸びた舗装道見えてますが、あれ、数年前までケモノ道しかなかったと思います。
国鉄時代のS50頃から無人駅でしたが、まさかこんなとこに高速のインターチェンジできるなどとは考えられませんでした。
ゴールデンウィークなので5月初旬ですね。
確かにあの道は昔の航空写真にはありませんでした。
言われてみるとすごい所にICありますよね。
7:31頃から出てくる赤い屋根の平屋建ですが元は個人商店兼簡易郵便局でしたので相当手を入れてここまで綺麗にしたと思いますね。
郵便局だったんですね。
わざわざあそこにやってきたのは自然環境が良いからなのかな
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 数年前まで喫茶店として営業してましたがやはりコロナ禍の影響か廃業してしまったのが残念です。
お疲れ様です、真冬に仕事でその辺りに行った事あります、朝は本当に寒いです。トラックのエンジンが掛からなくて…。
お疲れ様です
ああ〜それは困りますね。
一度バッテリー飛んだことありますが、あれは困った
「いいですねぇ~」の前に、小さく“ぁ”が入るのがイイ‼️
池北線が現役だった頃、川上駅は駅は残っていたが民家は既に無かったなぁ~。
駅だけってのも秘境感はありますが虚しいですね・・
昭和29年の橋の割に桁とか作りはしっかりしてるように見えますね、仮枠なんて檜の平板だろうから近寄るとそういうのも見えると思いますね、
ポンプ打ちではないのでコンクリートも固めなのかもしれません、爆裂加減も程々だし、
ジャンカ?でしたっけ。ポンプ打ちの方が発生しやすいんでしょうか。
かじっただけの知識ですが・・
こんばんわ🌷
池北線の踏み切り跡や子利別駅舎、橋梁跡等々の鉄道の跡が残っている日本一寒い町!!マイナス38度って❗️ 想像できませんが、廃墟の原因のひとつでもあるのかな?鉄道の他に(^^; 旧道ってまだまだ探索する面白さがありそうですね👍️ これからも配信よろしくです!
ありがとうございました🍀
私の故郷の滝上も死ぬほど寒いですが、陸別には敵いません(笑
でもマイナス20℃下回るのは珍しくなかったな
現役の旧道探索も今後進めていきますのでどうぞよろしくです。
最初の方の旧道、いい雰囲気ですね😊
私もそう思います。
萬才橋らへんの川の雰囲気とかが好き過ぎる……
旧道なんてそうそう無いわwと思ったが旧中山道も旧川越街道も旧道だったわ
工事で閉鎖された大宮バイパスも旧道と言えば旧道…いやこっちは廃道か
川の名前は、十勝川水系、小利別川ではないかと思います。源流の殆どは日産自動車テストコースから流れているみたいです。
ありがとうございます。
動画でテストコースなどに全然触れてませんでしたね。
うっかりです。
若い頃に日産テストコースの新築工事に携わってました。その時の記憶が蘇りました。こちらこそありがとうございます。
動画とは無関係ですが、音更町にある三菱のテストコースの工事には、三菱以外の車や文房具などは持ち込み禁止でした。
たぶん万才橋では。
ああ、万才か…
本題と全く関係ないのですが、鴻之舞鉱山跡を彷徨った時に 8:27 の道路左側にあるような、乗用車1台分あるかどうかの路側帯?、ふくらみがところどころにあるのが謎でした。北海道ならではの道路事情か何かあるのでしょうか? どうにも不思議だったので…(ちょこっと下車しての写真撮影に重宝しましたが😅)
多分昔は民家などがあって、その取付道路じゃないかなと思うんですが、どうなんでしょう。海岸沿いも下に降りていく道としてそれらしいのはあります。
なるほどです。半世紀から1世紀前のストリートビューが欲しいですね(^^;
小利別の駅舎現役の他の駅舎より綺麗だね🤣
今回も北の大地の姿を堪能させて頂きました! 8:50頃の橋、どうやら萬才橋(ばんざいはし)のようです「才」の字が変ですよね💦 川の名前は小利別川とのこと。「全国Q地図」さんと「川の名前を調べる地図」さんを頼ってドヤってみました😅
ありがとうございます。
そのふたつのサイト、めっちゃ便利そうですね!利用させていただきます。
ヨタハチとすれ違っている スゲー
ああ、あれは貴重な車なんですね
毎回綺麗な映像で楽しみにしています。天気は良いのですが、廃屋が寂しく…寒さを感じてしまいます。
春先だけに余計感じてしまいますね。
でもあれも哀愁ある光景…
橋も寿命かな
廃止必死