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第二次大戦の時、アメリカの空襲から姫路城を守るために城に黒い布などを掛けたりして、工夫していたと聞いた事があります。空襲の後、城があるかを見てほっとする毎日だったそうです。城はやはり象徴としての役割もあったのだと思います。
曾祖父さんから聞いた話。熊本城は戦国大名加藤清正の築城です。江戸時代改易で細川家に引き継がれました。熊本の民衆は深く加藤清正を尊敬していたのです。細川家はそれを知っていたので、遠慮して熊本城には代々、住みませんでした。天守は朝夕雨戸を開け閉めしますが、民はそれをみて「天守さんがおきなはった。とか天守さんおやすみ。」と清正公を思いながら語りかけていたそうです。今でも熊本市民は清正公を尊敬する人は多いです。西南の役で焼け落ちた天守閣が昭和30年代にコンクリートで再建されたとき、多くの市民は心の何処かでホッとしました。今でも、周辺何キロか以内は熊本城天守閣より高い建物は建てられません。アーロンさんは深く日本の城を理解されてますね。そうです、日本の城は日本人の心だと思う。
清正公は築城だけでなく、運河の造詣も深い殿様でしたね。
お城の前の坪井川も清正公の作品です。その川を隔てて建っている市役所11階だったかな食堂(今もあるかは不明)から見る熊本城は絶品でした。
アーロン先生の客観的な視点いつも興味深く拝見させて頂いてます。日本人が古来からの建築物を再建してまで残そうとするのは、先祖が作ってきた誇り高い技術や文化を子々孫々、親から子、子から孫へと引き継ぎ、伝え守っていきたいという祈りや願いの表れなのかなぁと思います。「櫻の木の下には屍体が埋まっている」という表現があるように「今、目の前にある美しい景色」は良くも悪くも長い年月をかけて先人たちの血肉が培ったものであり、お城は特に現代日本人にとって「血なまぐさい歴史の上にある美しくも平和な日常」を実感できる大きな存在なのだと思います。建築物としての造形美だけではなく、日本人すら無意識かもしれないそんな存在の視点に気づけるアーロン先生すごい!
天守閣を備えた我々が思う「日本の城の形」を最初に作り上げたのは、織田信長だそうです。本能寺の変で焼け落ちた安土城は、その時まで日本一の城だったとの事で、夜は松明や提灯でライトアップされ、昼は入場料さえ払えば一般人も場内見学可能でした。どちらも期間限定ではありましたが、16世紀の信長は現代人と同じ事やってる…。
先見の明が尋常じゃなかったんだよね。
@@楓佳-s6r 支配者層のみが使い被支配層は見上げるのみで畏怖の対象でしか無かった天守閣を近代的合理思考で一般に開放し観光資源にするなんて考え、ノッブ以外が思いつくまで300年はかかりましたね😅
アーロンさんの考察はとてもレベルの高いものですが。他の皆さんが「同じレベルで着いて行って理解して咀嚼している」事に改めて驚くと共に「やはり皆さん単なる外国人じゃない」と思い知らされます。日本に対する理解度も高いですし、そもそも知的レベルが高いのに「面白おかしく」話していただけるのが本当にありがたいです〜
アーロンさん、1点だけ完全に間違っている部分があります。明治初期に城が大量に取り壊されたのは時代遅れになったからではないです。当時全国に大量にいた失業武士の反乱拠点になる事を防止する事・維持費捻出が困難・土地が広すぎてもったいない為宅地や農業用地にした方が経済的メリットがあるといった理由です。
殿がいて、一族のお家で。そこに仕える家来がいて。日本の城って大きな大きな家なのよね
白鷺城に見られるような白亜の漆喰が日本の城のデフォルトになったのは江戸幕府成立後に軍事的意味合いが薄れたのと、漆喰が虫害や防火に効果があるってわかったイノベーションの2つの側面があるよね😊それ以前は黒板塀だったことが松本城を見るとわかる😌
日本の城が都市に多いのは、今の区画とさほど変わらない都市改造が江戸時代に完了していたからでしょうね。江戸時代の政策で取り壊された城も多数あります。また江戸時代より前のお城は現在形として残ってないだけで、田んぼの真中や山のてっぺん、人里離れた田舎とかにもあったりしますよ。現在確認されている城跡で2〜3千城。過去実際に建てられた城は3〜4万城あったとされています。とはいえやはり日本の美の一つとして天守閣を守り残していきたいってのは心の奥に有りますねえ🏯
江戸時代前は山城がたくさんありましたね。高山城や新高山城は山城です。
大阪城の庭部分には現役時代には本丸御殿という宮殿が建っていたんです。天守閣はあくまでも戦闘時の指揮所として機能していて。城主が普段居た場所は本丸御殿です。天守閣の復元時にそこまで復元しなかったということです。名古屋城ではそこまで復元しようとしています。
天守閣って実は間違ってるんですよ。正しくは「天守」。天守に閣が付いたのは大阪の通天閣が出来た後からで影響をうけたのではとのこと。通天閣が出来る前の資料には一切「天守閣」という単語は出てこない。それと今の大阪城は、徳川秀忠が建てた徳川大阪城の天守台石垣に当時情報の乏しかった豊臣大阪城の資料を基に想像で作った大阪城で架空の天守なんです。堀は大坂の陣で埋め立てられ、破却された豊臣大阪城の残骸も埋め立てられ、豊臣家の痕跡を跡形もなく消し去った上に秀忠が築城したので現在の大阪城復元図でも新しく見つかった書物や大阪図屏風を元にした実物に近い想像図なんです。なのでそこまで復元しなかったというよりも復元できないが正しいです。
@@大井降雪因みに今の大阪城の下には豊臣時代の石垣が残っていて一部だけだけど見学出来たかと。
@@user-ks117 教育委員会が大部分壊したけどね
日本には戦前まで170ぐらいの城が有ったようですが、多くが放置されてたのは事実です。大阪城も確かに全て燃えてしまったので現代建築で再建してエレベーターも設置しています。なので世界遺産にも登録されていません。しかし日本には現存天守の城(江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守)が12箇所有ります。例えば姫路城も国宝5城のひとつで一度も壊れたことが無いのだけど、50年に1度ぐらいの間隔で大修理をしています。その時にする大修理は出来るだけ当時の工法、漆喰など出来るだけ当時と同様の素材を利用してオリジナルに忠実に修繕工事は進められます。法隆寺や中尊寺などのお寺や神社も同様ですが、これは宮大工に職人技術を未来へ継続的に受け継ぐ目的もあります。
現代の大坂城天守は登録有形文化財です。
江戸時代に発布された一国一城令なんかも影響してるだろうね
@@kotetsu2679 江戸時代までは約3,000城のお城が有ったらしいですね。
今の大阪城は鉄筋コンクリート製だけど地区100年近いのでそれだけでコンクリートの劣化や劣化の防止などの建築的価値はありますよ
11:55 城がその町の(武士だけではなく庶民にとっても)ランドマークだったからです。同時に姫路城に代表される現存12天守の修復は当時のままの素材と技術が使われます。26:27 27:04 現代に生きる皆さんには理解し難いだろうし、理解しろとも言いませんが、日本人がアイデンティティを保ったのは形のある物ではなく「天皇」の存在です。天皇の戦争犯罪を糾弾するつもりだったGHQも、手を出したら日本人が統治を受け入れなくなることに気づいたからやめたんですから。
戦国初期までの日本の山城は、今の感覚だと砦って感じで、欧州のとあまり変わらないと思います。あと領境の放置された城趾とかは日本にもたくさんありますが、高温多湿な気候と木造建築のせいで、森に飲み込まれてしまいます。
お城もそうだし寺や神社も何度も立て直してるから、昔ながらの伝統の工法が宮大工さんに受け継がれていて、昔の染料とか部材も使われてる。木造だから故の耐久年や焼失する事も建て直しが繰り返される一因でもあります。だからと言って新しい素材や補強の仕方も取り入れる事を拒んだりもしないところが日本の柔軟なところだと思う。伝統工法は守って極力継承する努力はするけど、地震国でもあるし、だから新しい技術は必要。奈良の大仏殿も修理の際にその時代毎の技術を取り入れているそうです。現代の私たちにとっては過去ですが、当時の人々は積極的に取り入れていたんですね。
今現在の城は、内堀しか残されていない物を城とみられていますが、外堀・大外濠を作ってその中に、武家屋敷や町民が住む城下町が形成され、さらにその周りに農村が広がっていきました。その中心にあったのが城ですね、ですから外堀までが城ですね。
日本の城は新しい?大阪城のような近代手法で建て替えられた城などの説明もよいが、現存天守といって、創建当時の建物を、修復部分はあるが、そのまま保存してある城、姫路城、松本城、彦根城などについての話が聞きたかったな。これらの城は、釘一本に至るまで伝統的な建築の技法を求められ維持・保存されている。
私は那覇市出身で首里城の隣の高校に通ってた超地元の城が燃えると、かなりの喪失感を覚える。
お察しします😓
沖縄の象徴だもの。それは島外の日本人にとっても悲しいですよ。
あの火災はなんか沖縄のずさんさが露呈した事件でした、悲しいです。😢
沖縄旅行に行った後で首里城が燃えてしまってショックでした。地元の人なら尚更でしょう。城は日本人の心の拠り所じゃないでしょうか。無くなっても絶対再建するからね。
まず日本の城は天守閣が城じゃなくて堀から中が全てを城と言うんです!皆さんが言ってる城は天守閣です!
後半の江戸城なんて天守閣無かったですからね、でもちゃんと城ですから
@@gonchan007「幕府金無いし、もう見栄だけの天守閣なんていらなくね?」ってミッツ・トクガワが😂
海外と違ってその城(天守閣)には住んでないしね。あくまでも空き家状態で倉庫がわりでしか使ってない。
全部とは言いませんが、中世ヨーロッパでお城の天守に当たるところはキープと言われて、キープだけを見たら、えっ…ショボってなりますね。
×天守閣○天守
復興のシンボルとしての城はあったと思います。それに当時は「日本とはなにか」という考えを多くの日本人が共有し、その答えとして「遺跡の発掘」や「はにわへの考察」が盛んに行われる様になったという説があります。どちらも確かな物証であり、日本人が過去から存在した証として受け入れられていました。
戦国初期は山城など防御に特化した城が多くあります。天守閣が作られたのは織田信長の安土城以降といわれています。初期は地方豪族の根城だったものが勢力を拡大するにつれ都市の中心として経済を発展させるための統治能力を示す必要があったものと思います。戦後に再興されたのはその地方の人たちにとって地元の戦国武将はヒーローでありその城が地元の人たちにとって誇りと思えたからでしょうね。まさかその時には外国の方に注目されて観光資源になるとは思ってもみなかったでしょう。
私の故郷にも山城は数か所残っていますね、天守閣が無いので砦みたいな感じですが城下町の雰囲気は未だにあります
私の地元の市には城が無いのですが、お隣の市には有名な武将が居た城が有るのを知った幼少期には凄く寂しい気持ちになりました。シンボルとして大切に思う気持ちは本当にあると思います。
城の場所が戦場というわけではないですよ。日本の場合は果たし状を出し一般市民が巻き込まれない形にして広大な野原や河川敷等へ移動しそこで決着をつけるという形をとっていたので、必ずしも城=戦争の拠点というわけじゃないです。もちろん攻められた時のために軍事的武力で防衛できるようにはしていましたが、基本的に西洋の戦争は違ってそこの市民を巻き込んだりはしていなかった。領主が変わったとしてもそこに元々住んでいた人が捕らえられたりしたわけでもないですし、戦争自体がそもそも西洋のものとは全然違うものなんですよね。
歴史的事実とはかけ離れたファンタジーだね。そうであって欲しい→そうであったに違いない、になる妄想というか自賛史観というか。戦国時代に対するまともな知識と判断力がないせいだろうが、ほとんどウソ、デッチアゲになっている。よく言えば恥ずかしいばかりの美化、脚色ってところかー特に西洋との対比の文言が。このチャンネルはそうしたバイアスの掛かった思想とは無縁なので来ない方がいいよ。繰り返すが事実の歪曲がひど過ぎる。
犬山城はあくまで「現存する中で」一番古い城です。これ以前にも城・砦はありました。石垣などは残っていても建物が残っていないのは木造なので朽ち果ててしまったからです。西洋は(といっても西洋も様々ですが)石造の物が多いので残る確率が高いです。安土桃山時代以降は軍事(天守や櫓)と政務(御殿や屋敷)を兼ねた作りになって行きます。廃城令の後は城の敷地に陸軍や役所が建てられた場合も多くありました。
「永遠に新しく更新される伝統的建築物」についての日本人の考え方の原型を知りたければ『伊勢神宮の式年遷宮』について深堀りすることをオススメします✨😊
名古屋城は、コンクリート製から古来の木造で再建しますよ。エレベーターを作るか作らないかで、激しい議論にもなっています。やはり、日本人も本当の城を欲しています。
エレベーターを付けるなら、今の取ってつけたような形じゃなく、天守の美観を損ねない形で付けて欲しいですね。要らないなんて事は言えない。要塞として再建するのではなく、あくまで観光地として建てるのだから、バリアフリーは必要。
エレベーターはともかく、木材にガラスを染み込ませて燃えにくくする技術とか使えばいいのにとは思っています。木材の接合部に金属を使ったりとか。とにかく災害に強くしてほしいです
@ そもそも石垣の上にあるわけで、入口や中で不審火があったり、空襲でもなければそうそう火事にはならないと思いますが、そういった人から火を移しやすい部分の周りにスプリンクラーを配備したらどうかな?木材そのものにコーティング加工するのは、もうコンクリで作ってるのと大差ないから。
名古屋城は、伝統的な工法にするか現代的(エレベーターとか付けて)にするか、ずっと議論していましたね。
@@ダンボ-m1r 「尾張名古屋は城で持つ」と言いますからね😌
姫路城を木造で修復した宮大工の方々に感謝です❣️
まず城と海外の方が考えている物は天守閣という物見台のようなものです。これはそれぞれの都市の象徴であり、戦後に市民からの要請で再建しました。もちろん税金からなので安価な現代建築です。昔の城はてんし天守閣を囲むように城主の屋敷、重臣の屋敷、執務を行う屋敷などが本丸部分だと思います。二の丸三の丸の外堀までが城です。
お城ってその地域の「顔」の役割をすると思ってる。天皇とかマスコットキャラクターもそうだけど何かを表したり象徴する顔だからこそ大切にすると考えてる。「顔」を守ることって日本人らしいとこの一つなのかなと。
最も美しい城と多くの人に支持されている姫路城は建造時代の木造建築のままです。近年屋根の漆喰(?)のやり直しを行い建造当時の白さを取り戻し、眩いばかりの美しさになりました。
5:47 城は江戸時代に一国一城とはなりましたが、明治維新時には数百あった。当然ながら大体は町の中心や交通の要衝にあったことから廃城後はそこが役所になったり学校になったりしたけど、高台にあり町を睥睨するような立地だった城趾はだいたい陸軍の練兵場が置かれました😊面白いのは中世に城が作られる前まで記録を遡ると平安時代や奈良時代にはそこに「国分寺」や「国分尼寺」それに役所の「国府」が置かれた場所だったことが多いこと。現に私の地元には「国府台」と呼ばれる高台に里見八犬伝にも出てくる城の阯があり、明治以降は練兵場が置かれたため、付近には被服廠(軍服の工場)があり、戦中には爆撃対象になりました😰
なるほど、それで爆弾落とされたところも多くあったわけですね。つながりました。
今でも一緒になっているところとして新発田城と新発田駐屯地が有名ですね。
日本の城は、戦のための山城から統治するための平地の城に変わっていった。つまり、城を中心として、その次は武家屋敷、それから町人の街と言うふうに作られている。ほぼ建造時のまま、しっかり管理されている姫路城は素晴らしい。大阪城のあたりでは、戦で多くの死傷者が出ている。だからと言って、そのエリアが忌み嫌われるわけでもない。それは日本人の抱擁力なのかもしれない。
日本の城は、天守と呼ばれる建物とそれを取り囲む公園など全てを総称してそう呼びます。
確かに大阪城などは再建されたものだと思いますが数ある城のほとんどは再建された部分から修復された部分など沢山あります。近代建築技法を取り入れた部分もあれば当時の技術を受け継ぎされた部分もありますよ。熊本城などは地震により城壁、石垣が崩れた内側には当時の技術で組まれた石垣や未発見だった箇所などがでてきました。瓦や漆喰は大抵が受け継がれた技法、材料で造られています。また、神社や寺なども。宮大工は今も釘をつかわない。当時と同じ釘を使うなど凄いです。組みだけで曲がりさえつくれる。釘なし木材だけで建築する技法は日本の宝ですね。失われた部分も沢山ありますし残念ですが。
大変面白く興味深い話でした😊
現代化に関しては、 大阪城をベーシックに考えて欲しくは無い。って思いはある。
外国人を通してみると考え方の違いがあっておもしろいなアーロン先生の回、好きやわー
一つだけ気になる間違いがあります。アーロン先生は、現代の城は現代の技術で再建されたような事を言っていましたが、正確には現代の城は造られた当時の時代の技術を使って再建されたのですよ。昔ながらの伝統的な技法を大切に保存しようと日本人は努力してますよ。代表的な例をあげると金剛組という世界一古い会社があります。金剛組は伝統的な古い技法で寺や神社の修復をしています。うろ覚えで申し訳ないですが、城も現代の鉄筋コンクリートなどで作られたら、文化財保護としての価値は法律的には認められなくなります。古い伝統的な技術を使って再建されたからこそ、文化的な価値が認められたんです。
俺もそこが気になった。何かのドキュメントで見たけど再建するのにわざわざ失われた技術をなんとか再現しようとしたり、木材も腐ったり虫食いで空洞になってるところだけを削ってなるべくそのまま使ったりしてた
アーロンさんの解説は、木造建築に詳しくないからの解説だったのか、あえて他の城の修復を無視したのか分かりませんが。あと江戸時代のように長く平和が続いた社会の文化を体感しにくいのかもしれない。
城(天守)と言っても分類されます。1)現存天守・・築城当時から残っているもの。2)木造復元天守・・文献・絵図・絵画資料・古写真・遺構などを元に当時の工法・構法を用いて忠実に復元したもの。3)外観復元天守・・文献・絵図・絵画資料・古写真を元に「外観」を復元したもの。4)復興天守・・天守は過去に存在し、同じ場所に現存する城を参考に、または想像して建てられたもの。5)模擬天守・・存在が確認できない、または特定に至らない状態で建てられたもの。今の大坂城天守は4で木造ではありませんが戦前に再建され残っているので登録有形文化財です。名古屋城や熊本城は3にあたり非木造です。
コメ主は誤解している様ですが、全ての城が当時の技術を使っている訳ではありません。大阪城は中が博物館になっていて鉄筋コンクリートで作られてます。それは仕方がない事だと思います。観光としてお金を貰っている以上、当時の技術だげでは、安全と維持費用が賄えません。
いや、大阪城は鉄筋コンクリート造りだよ。名古屋城も。現代の技術以外の何物でも無い。今の大阪城に至っては大阪城屏風をもとに想像で作られた架空の城だから当時の技術も何も無い。現存天守以外の天守の種類は、復元天守、復興天守、模擬天守、天守閣風建造物の4つに分類される。復元天守は当時の構造を忠実に再現したもので更に木造復元と外観復元に分けられ、国が復元として認めているのは木造のみ。名古屋城は外観復元した天守。木造復元は使用している材料、工法、構造が当時と同じことが条件。外観復元は名の通り外観のみが当時と同じことが条件。外観復元を選択せざるを得ない理由としては建築基準法が関係していることが多い。復興天守は天守が存在したことは確かだが、構造や城址内で立っていた場所関係なく規模や意匠を改変、推定などを含む天守のこと。大阪城や岐阜城がこれにあたる。もちろん材料なども当時と違っている。模擬天守は城は存在したが、天守の存在が確認出来ない城址に建てた天守のこと。天守閣風建造物は上記に当てはまらない建造物のこと。テーマパーク、役所など天守ぽい建造物のこと。安土城天守は城址でもなく当時の材料や工法でもないのでこれにあたる。この復元天守と復興天守をまとめて再建天守と呼ばれているので再建と言ったら現代建築技法で作られたものも含まれますので間違いではない。あと、今ある金剛組は世界一古いと言われた金剛組から宮大工部門を経営権譲渡により切り離した新しい金剛組。それでも技術を受け継いでいることから今でも世界最古をキャッチコピーに使用している。古い金剛組は不動産部門だけを残したあとに破産し、同族経営に終止符を打ったことから578年に創業した金剛組は事実上幕を閉じている。
海外の方でここまで語れる事が、日本人より日本を愛してくれてることの証明だと思いました😢✨
アーロン先生回うれしいです!
綿々と伝え続いてきた日本の先人達への想いを馳せる、まさしく日本人そのものだと思います。フジさん凄い✨
天皇は単なる象徴ではなく、恐らく殆どの日本人が知らないとは思うのですが、天皇になると、毎朝、決まった時間に祝詞をあげます。所謂、お祈りなのですが、それは日本のみならず世界で起きている様々な事柄について平和になるようという様な祈りです。なので、所謂、海外の王族とは役割が違うんですよ、その祈りに効力があるなしの論争はしないでいただけるとありがたいです。
アーロン先生の博識と独自の目線からの解説を楽しく拝聴させて頂きました。ありがとうございます!
名古屋城は戦災で失われた天守閣を鉄筋コンクリート造で再建しました、市民の願いである「二度と燃えたり、壊れたりしないように」という思いが込められています。
当時の名古屋の財政からしたら木造で再建することが困難だったからでは?そうでなかったらなんで今木造で作りなおそうとしてるんでしょうか。
厚生労働省本省に就職してから、3年間、名古屋に出向したが、目の前が名古屋城でした。岐阜県各務原市で育ったので、子供の頃、近場の岐阜城(金華山)や犬山城に行ったことがあります。犬山城は橋を渡ってすぐでした。花がたくさんあったことを記憶しています。
日本のお城巡りが趣味なので、歴史の話を英語字幕で見れるのはとても勉強になり、感謝しています!またディスカッション形式なのも大学時代を思い出して楽しみながら見ています!好きなお城は春日山城跡、岐阜城、小倉城です。個人的にはミュージアムになってるお城もその土地の歴史が知れて好きですし、昔の風貌を残してるお城も、山城で石垣くらいしか残っていないお城もそれぞれ良さがあります☺️また歴史の話題お待ちしてます!
姫路城を出して欲しかった。
日本のお城は、全国に点在するけれど、築城当時から現存するのは、姫路城とか松本城など、わずか12しか有りません。大阪城とか名古屋城など、観光ランドマークとして有名な城の大半が、再建されたものです。
真面目なコメントもおふざけもできるバイロンが無敵すぎる!
第二次大戦以前は大阪城は帝国陸軍第4師団の駐屯地として使われてましたが、敗戦後にGHQにより陸軍が解体されて、大阪城の敷地は管理が大阪市に移されてます。その際に公園のメイン施設として天守閣が再建されたんです。東京(江戸)からの支配の象徴だった徳川時代の天守閣の復元ではなくて、大阪が輝いていた豊臣時代の意匠で。
東京(江戸城)の場合は明治期から皇居となって宮内庁管轄という事も大きいでしょう。
「詳しくはプリンセス・トヨトミ参照」ってとこですね😂
大阪城天守閣は昭和6年に陸軍の許可を得て再建されたものなので、戦前からあります。ヒトラーユーゲントが来日した際の写真や大阪空襲後の古写真にも天守は写ってますね。たしか、近年まで陸軍所有だったと思います。
今の大坂城天守は徳川時代の石垣の上に屏風絵などを参考に下層は徳川時代・上層は豊臣時代を模したニコイチ天守です。再建にあたっては市民や会社から多額の寄付金がありました。
小田原城は、都市全体がお堀の中で、すごく広かったらしいですよ。
伏見稲荷の踏切が外国人で混雑しすぎて何度も電車止まってるらしい。そういう注意喚起動画も作って欲しい。映像みたら酷かった
昔は藩の主君に対する忠誠心は考えられないほど強いからね。まあその忠誠心が強くて悲劇が起きたのが忠臣蔵。その主君の象徴であるお城は人々から愛され、現代では街の顔になるので今でも愛される。
尾張名古屋は城でもつと言う言葉もある様に、日本人にとってのお城(天守閣)は色んな意味でやはり『象徴』なのではないかと感じます。ちょっと例にはそぐわないかもしれないけれど、富士山を眺めて『日本人としての誇り』を感じるかの如く。名古屋城は本丸御殿が木造で正確に再建されていますが、他の方も記されている様に天守閣も木造での再建の計画があります。問題は山積していますが、私個人としては何とか実現して欲しいものだと考えております。実現した際には是非ともこのチャンネルの皆さんに訪れて頂きたいと思います!
アーロンすごく勉強してるなぁあれだけ語れるのは凄い👍
アーロン先生 日本のお城を取り上げてくださってありがとうございます!大阪市内で生まれた私たちは、小学校5年生の時の写生会で大阪城に行ってみんなそれぞれ大阪城を描いていましたよ。(今もそうなのかはわからないけど)日本のお城、大阪城のことを取り上げてくださったんで、久しぶりに大阪城のことを思い出しましたよ。それにしても、”お城”について、こんなに深く考えたことなかったなぁ~。でも確かに、お城が造られたということは、その周りでたくさんの命が失われたということもあったんだろうなぁ。。。そしてバイロンさんがおっしゃったように、今現在の私たちは春には大阪城の周りでお花見をしに出掛けるんだもんなぁ。(しかも能天気に)いろんなことを考えさせられる動画でした。日本人の私よりも日本のお城に対する知識が豊富なアーロン先生 有難うございました。
横浜市しかも海の近くに生まれた私は毎年、写生大会というと山下公園でした。毎年同じものを描くのもなんなので学年ごとに氷川丸、マリンタワー、噴水、花壇、と分けられてたことをふと思い出しました😊
@ 横浜市の海の近くの小学校では毎年山下公園で写生大会があったんですね。同じ山下公園でも、学年ごとに描く対象を分けるってことは、山下公園にはたくさん絵になる場所があるってことなんですね(⌒∇⌒)こちらは、大阪城の他に小学校低学年の頃だったと思うんですけど、天王寺動物園でも写生会があった記憶があります。
海外が色々日本を勉強してくれるのは嬉しい限り。日本人も逆に、海外のイメージをステレオ的に理解してるんだろうなと思いながら興味深く聞いてました。日本人がイメージする西洋の城の美しさって多分、ディズニーの影響とかで、城と言いながら実質別荘のある意味欧州の城としては稀なノイシュヴァンシュタイン城とかを主にイメージしてる部分もあるから欧州の城も奇麗と言うイメージあると思う。欧州の人はそっちの異端的な城じゃなくて本当に戦った場所の城をイメージするからだと思う。でも、ノイシュヴァンシュタイン城も「城」って現地の人も言っているんだから(笑)、一番の違いは受け止め方だと思うけどね。あと、城の石の違いに色の違いは仕方が無いですよ。火山のある国の日本は、火成岩の花崗岩が6割以上で、黒くくすまないしね。それで言われるのは、西洋のお城が可哀そう。でも、戦国時代の茶道の始祖の千利休が生きていたら何と言ったかな、むしろ、「くすんだ色の西洋の今の城を、風情がある」と言ったと思うけどネ(笑)もう一つの影響は、日本の場合、明治時代、『廃城令』 によって多数の城の打ちこわしが行われ、各県や地域のに一つの城だけ、シンボルの様な城しか残らなかった。だから、シンボルになっちゃったから、公園になりがちだったんですよ。発言にあったように残っている城は新しく、戦国時代の合戦が盛んだったころの城は実質残っていません。現存天守12城と言われる今も残っている城があるけどいずれの天守閣も関ケ原の合戦が終わってから作られています。その頃の城は、戦の城としては作っていないんですよ。平和の足音が聞こえた時に作ったから煌びやかなのは当然で、日本の現存する城は常時闘う城じゃなく、殆どが行政のためのパレスとしての城なんですから・・・。(いざとなれば闘いますけど)戦国合戦真っ盛りの頃に作られていた城なら、デザインは違えども、気配は似通ってたと思いますよ。少なくとも、欧州も日本も、元々の城の目的は同じです。確かに、民族自体が違うから、同じ民族の人を守るために、しっかりとした城壁の中に都市を作ったという、欧州の大陸で多数の異なる民族で戦ったがゆえに、市民も城内に住んだという大きな違いがあるけどね。そのタイプは戦国時代の北条氏の小田原城位で、9キロ四方を総構え作って街を囲ったというのは、同一民族の日本の中では極めて稀です。あと、作り直したという話はそうですが、大阪城とか、伏見城?、今の名古屋城とか一部の鉄筋城を除いて、桃山時代末期から江戸時代にいざと言う時の城とパレスとしての行政所を兼ねた城を作ったのが今の城で、そのデザインは基本宮大工によって、refreshはされても、著しく変更はされてこなかったと思います。私も大阪人ですけど大阪城等の鉄筋系(笑)を見て、作り直し的なコメント言っているのかな?それ以外の多くは、彼らがイメージする作り直しは、あまり無いです。江戸時代の城としては、姫路城も基本は変わってませんよ。
金剛組は木で釘を使わない
アナのおっしゃる通り台無しです。天守閣の中にエレベーターはあるべきではありません。昔の階段が登れない人は、登るべきではないし、登る必要はありません。再建する名古屋城の天守閣についてもエレベーターもリフトも必要ないし、一般人でさえ登れなくしても良いと思います。それこそが、在りし日の名古屋城天守閣だからです。
今回の話はとても面白くアーロンさんの意見にフジさんの意見にも納得する物ばかりでした。お城つながりではありませんが庭園も国によって作りがだいぶ違うと思います。以前、イギリス人観光客の年配のご夫妻が日本庭園を見て「曲がった木なんてあり得ない!日本の庭は作り物でいっぱい😬」と呆れたように兼六園で言っている映像を見ました。高い山の無いイギリスだからこそ真っすぐな木になることを理解していらっしゃらなかったみたいです。日本の庭はなるべく自然の状態を表すように作られている点が海外とは違いますよね。各国の庭園に関する考え方の違いも知りたいです。
みんな頭がいいから単なるおもしろ動画にならないところがすごい
アーロンさんの日本へのリスペクトを持った城の解説は素晴らしいと思いました。
アーロン先生、今日もありがとうございました!先生のおかげで、日本の魅力に気付かされました。
大まかに言っての日本の城とヨーロッパの城の比較を海外の方からの視点で見るってのだから🏯😅違和感が少くなからずありますが…アーロンが日本の城の虜ってのはわかった😂
日本は地震等の自然災害が多い。そのため修復や復興し易い城というデザインになる。それに今現在でも宮大工という職業も伝統として残っている。城でなくても神社、仏閣は1000年以上の古い建物が街と自然と馴染んで見えるのも日本ならではなかろうか。
すごく面白かった!日本人なのに外国人であるアーロンさんから日本について教わるっていう😅大人になってから歴史を知りたいって思うようになったので、勉強になりました!
会津の鶴ヶ城天守閣が好きです。お城というと真っ先にそこが浮かびます。荘厳かつシンプルで美しい姿は歴史も含め一番印象深いお城です。
「日本の城は新しい」にひとつ補足するとすれば、日本の多くの城は当時の姿が分からないんですよね。たとえば立派な天守の中津城などは萩城をモデルに再建されましたし、明治まで存在していて写真が残っている天守閣でも内部の間取りや構造などは実は細かい事までは伝承されておらず資料がないのです。だから当時のままの形での再建に拘らないで(拘れない)建てられました。ただ戦前まであった名古屋城は詳細な図面があり当時のままの材料と工法でも再建を目指していますが、色々あってまだモメています。
今衆議院議員で前名古屋市長の河村たかし氏は名古屋城の木造による再建を目指しています。今の広沢市長も同じです。それは、建築技術の伝承という無形の文化財を残すこと意義があるからです。金剛組に触れたコメントをされた方のおっしゃるとおりです。これと反対なのが大阪城ですが、大阪城は寧ろ例外です。
アゼルバイジャンの方とお話したとき、貴方なの住んでる町を紹介して欲しいと言われ、地元松本城の写真を送ったら、めちゃくちゃ感動されました。
アーロンは賢いね。普通の人でも知らない知識をちゃんと知ってる。彼の中に流れる日本人の部分が、それを求めているからなんかね。
わ~。待ってました❣アーロン先生。 愛知県にある『犬山城』は国宝ですが、城主の、成瀬氏が明治から平成まで代々の末裔の、個人所有の唯一の城でした。今は財団法人が所有者です。 名古屋城は第二次世界大戦で、焼失しました。今はコンクリート製です😱 天守閣には、本物の金の鯱が載せられています。 それもあってか「名古屋人は金が好き」と言われていますが、確かに金好きは多いようです😁 今日も楽しかったです。ありがとうございました。
日本の城は地元の象徴だった事も大きいのでは?
京都には伏見城の戦いで自害した人を供養する為に建てられた、血天井が有るお寺がいくつか有ります。血の付いた床をお寺の天井にして、戦没者を供養しています。アーロン先生には是非行ってみてもらいたいです。既に行っていたらすみません😅
新鮮な考察でした!とても面白かったですアーロン先生ありがとうございました😊
私の地元のお城は廃城令を免れて、1945年まで存えました。敗戦の僅か3週間前に空襲で焼失しました。戦後にコンクリート製で復活し、今も時々見に行って嬉しく思っています。入場料が安くて、子供の頃よく最上階に上って四方を見渡すの楽しかったな。
大阪城天守閣は昭和天皇即位の記念事業として大阪城公園のシンボルとして建造された天守閣の形をした建築物としか大多数の日本人は捉えていないと思いますよ。インチキと本物は厳しく区別するのが日本人ですので。とは言え、城がもつ意味は西欧とは全く違うのはその通りかと思います。日本における天皇と国民の関係は、西欧における王と人民の関係と全く違うのと同じように。そもそも明治以前には天皇は堀も城壁もない京都御所に住んでいたことなど信じられないでしょうね。
姫路城には思い入れがあります泉鏡花の作品で天守閣が舞台でした作品の収録された文庫本と小さな金の獅子頭でこっそりと記念撮影をしてきました
お城を再建したというのは、アーロンが言ったことはありそうだなって思いました。確かに敗戦してアメリカナイズされていく中で、日本の象徴や誇りみたいなものを残したかったのかもしれませんね。日本は戦後自虐史観を植え付けられたというけど、お城を見ると、日本人ってすごいなって思える部分です。今お城を見ると先人に思いをはせることができます。こんな景色を見ていたのかとか、こんな技術をもってこんな素晴らし物を作っていたのかとか。当時再建しようと思ってくれたことにも感謝しますし、やはり何度も自然災害や火事などが起きても、再建したいと思うのは、日本人の心を失いたくないという表れなのかもしれません。
江戸城は復活するかもしれません。今選挙中の佐藤さんが千代田区の区長になったら建てるって言ってました。もう、当時の城の設計図は一部入手済みだそうです。税金無駄遣いしている某プロジェクトマッピングより推せると思います。
面白い企画でしたね。私はお城の近くに住んでましたがお堀しか残ってなくて再建せず役所が出来ました、当時は白けました。お城があったのにと思うと少し切ない気持ちになります。
戦国初期から真っ只中のお城は山城が多く、より実用的なものだったそうです。平城は基本的に防御力を高めるのが難しく実用的ではなかったようです。他の方のコメントにもあるように現在見られる城の多くは戦国後期に作られ、権力を誇示する意味の方が強かったようです。
お城はだいたい、大名のお家だったんです。私の出身は熊本で、熊本城は特別で(武者返し)が付いてる日本にあるたった一つの城です武者返しとは外から来る忍者が登ってこられないように作られてるのです熊本地震で熊本城の瓦が揺れでずり落ちる光景を見て心の中で悲鳴を上げました遠くに離れても、名高い大名が住んでいた歴史から言ってもお城は熊本の魂です今も再建していると思います。心のよりどころ、熊本と言ったら?熊本城です
戦国時代には、砦のような小さな城が沢山あったのですが、一国一城令や風化により無くなって、都市の中心にあるシンボリックな城が手入れされつつ残ったんです。で、ある人に言わせれば「城は支配の象徴」と言うのですが、城のある町に住む私たちにとっては町のシンボルです🏯お花見や散歩コース、デートなどの思い出と共にある城なんで、愛着があるから維持しているんだと思います。それはアイデンティティとも繋がる話かと。
日本の城は、内戦の絶えなかった戦国時代までは要塞、内戦の無く成った江戸時代(幕末明治維新期は除く)からは街の象徴/シンボル/ランドマークとして、その役割(存在意義)が変化しています。
天守が無い城(城趾)は沢山有りますね天守が出来る以前の城は館という感じで土地土地の権力者(豪族)の住まいだった天守というのは城主が住む為ではなく、権力の象徴で誇示する為のモノ見張り台の役割りだったり最後に籠城する為に存在した城主は本丸とか二の丸と言われる場所に住んでいるか、江戸時代には江戸に詰めている事が多く不在だったりした戦後(昭和?)に再建された天守(城)は地域の象徴としてランドマークの役割りとしてで、後に?観光資源としての役割りを担う事に再建する際に資料が残されていなかったり、忠実に復元しようという想いよりシンボルとしての意味合いが重視されたので現代工法が選ばれたんだと天守も時代によって建替えされて別のモノになったりしてる戦で落城したり落雷や城下の火災が延焼して無くなるケースも江戸城も敢えて再建しない道を幕府が選んだ現存天守の修復は当時のやり方に倣って行っている町中に城が有るのは戦になれば領民(農民)が戦にかり出されて戦う為で兵力を確保する為じゃないかな?兵力だけじゃなく年貢(税金)の徴収するのに人(田畑)は多い方が勿論、日本にも山城は存在する
アーロンさんの考えは正しいと思う。他の方も言っていますが、大阪城も名古屋城もランドマークとして建てられたもので、文化遺産として再建されたものではありません。特に大阪城の天守閣は、市民から集められた寄付によって建てられています。また姫路城のように建築当時から存在する城は、修繕も当時と同じ材料を使い建築技術も当時の方法を使って改修し、国(政府)が文化遺産として管理しています。
面白く語られましたが、まだまだ城を語るには歴史的文化があるので感想程度でお話しくださいね。
ちなみに秀吉の作った「大坂城」と家康が作らせた「大阪城」は別物だからね?😅秀吉の大坂城を敵憎しの一念で徹底的に破壊した瓦礫の上に今の大阪城は建っております😌
家康時代も「大坂」です。
ここで言う日本の城の美しさは近世時代に作られた安土桃山時代以降の城の天守閣などを述べているようですが、日本の城郭の素晴らしさは、基本的に、土塁や堀、そして、石垣の構築レベルの高さに尽くすことかなと思います。特に櫓の素晴らしさは、海外の城に見られない部分があるかと思います。また、日本は山城・平山城・平城といったタイプが異なる城郭が多数あり、特に、山城の曲輪などの凄さを理解してくれたら嬉しいですね~
日本の城は大名や武士やその家族が住んでいたところだから日常の中にも風流さが求められていたのではないでしょうかあと 現在で立て直した城もあるけども 昔からある城も6つくらい あったのかな 有名な姫路城や 松本城は昔からある城ですよね
現存天守は、青森県の弘前城、長野県の松本城、愛知県の犬山城、福井県の丸岡城、滋賀県の彦根城、兵庫県の姫路城、岡山県の備中松山城、島根県の松江城、香川県の丸亀城、愛媛県の松山城、宇和島城、高知県の高知城の12ヶ所の天守が、建てられた当時のままの天守です。
@@健司高濱 詳しい情報をありがとう
例えば建物が残ってなくても、城跡は特別な場所です。防衛のための遺構や、二の丸や三の丸、御殿や天守閣の跡などがあり、昔の人々がそこにいたと分かるので、ずっと残しておきたい場所。地元の人々が城跡に天守閣というお城の象徴を復元したいと思うのも、自然な気持ちなのかもしれません。例え素材がコンクリートでも、内部が博物館でも、その土地の象徴になるし、地域の人の心の拠り所になるのだろうと思います。私は熊本城が好きです。かっこいいし、戦国時代は鉄壁の城だったと今もわかるからです。…そういえば、戦国時代に使われた槍や刀剣を見に行ったことがありますが、武器なのに美しいんですよね。甲冑もお城も美しいです。善悪や美醜の感情をわけて、美しいと思うのは、日本人ならではでしょうか。
日本建築において、あらゆる分野の技術を使用して建造されるのがお城ですコンクリートで再建されたとしても、必ず木材を用いて作られます現在においては文化財の修復技術の継承の必要性もあり、当時の技術を用いて修復、再建されることが多くなりました特に日本人として我が故郷の城と言えば確かに心の拠り所とまではいかないまでも大事に考える人が多いと思います再建、修復の為に予算を出すことに反対することも少ないのではと思います当時の武将は見た目の美しさと機能性の両立には並々ならぬ情熱を燃やしてお金も、時間も使ったはずです軍事的にも文化的にも当時の最先端を競って建てたのだと思いますまたその様なお城を綺麗なまま保存し続けている陰の人達の努力も、忘れる事はできないですね総合するにお城の在り方がすでに美しいのではと考えます
いろんな気づきがあってとても面白かったです。あと、自分は小5の時に学校のクラブで初めて犬山城のプラモデルを作ってからいくつかのお城の模型を作ったのですが、海外にもお城のプラモデルとかってあるのでしょうか。日本ではシリーズ化されていて、子供から大人までファンが多いことからも、お城に対する日本人の気持ちの表れではないのかなと、思ったりしています。
城には無駄なものがないとは言わないけど、植木も弓矢の材料にするし、壁に食料になるものがぬりこめられていた。ホントに戦争のための建築物だった。ただし、戦後期時代後期になると平城が増えて大名の政庁とされたいた。天守閣は住居ではなく実際は御殿と呼ばれるお屋敷に日常は住んでいたんだね。再建されたのは国が豊かになってオラが国にも観光資源が欲しいなってなって再建されたものが多い。
侘び寂び的に言うなれば、「夏草や兵どもが夢の跡」なんだろうなぁ…城が美しいか否かは置いといて、ジャパニーズは物思いに耽るのが無上の喜びなのです
アーロン先生の話、とても面白かったです!私の住んでいた県は東西で方言や食習慣が驚くほど違うのですが、その主な理由が「もともと別の藩だったから」でした。城もそれぞれの藩のものがそれぞれの街中にあります。もちろん地形や気候の影響もありますが、廃藩置県から150年たった今もずっと住民のアイデンティティはあって、その象徴のひとつが城なんだと思います。
日本の歴史を城から学ぶという素晴らしい動画👏アーロン先生の城から歴史を見る切り口と欧米の城との比較がとても勉強になりました😊シリーズ化希望🎉リクエストは、欧米でのジャポニズムの歴史と日本の当時の超絶技巧品について深堀って欲しいです。2021年のルイヴィトンの市松模様商標権問題などが起こっている現代…欧米視点の日本の芸術と工芸についてアーロン先生の視点で語って欲しいです。
小学生の時に課外授業で松本城へ行って🏯建造物としての知識や城の歴史や時代背景⚔️🥷などを学んだ思い出📔✨️
ヨーロッパにも綺麗なお城、あると思うんだが………(ドイツのノイシュヴァンシュタイン城とか。世界一美しい城って呼ばれてるらしい。)
アーロン先生、ポール先生の授業大好きです♡天皇の話がチラッと出ましたが、現代においても無意識のうちに天皇の存在は心の拠り所になっているのではないかと思います😊最近政治に不安を感じることが多くなりましたが、結局トップは政治家じゃないから大丈夫。本当に日本のことを思ってくれている人がいる。という安心感は大きいです。あまり日本で大きな抗議が起きないのは心の拠り所があるからだと思います。(Xは荒れますがw)ちなみに日本のお城に対してもポジティブな印象を持つのは、やはり先祖に対する感謝と尊敬の念が大きいと思います!
城と宮殿的な棲み分けは日本だと『武士と公家』になるのかな。雅な方々は都に住んでおられましたから。日本にも『山城』と呼ばれる城があって、鹿児島では山城の跡地で石垣が見れる場所がたくさん残っていますよ。島津家は歴史は長いですが弱体化していた時期も長く、いわゆる島津4兄弟が現れるまでは常に内乱状態だったらしいですからね。城の再建は大きなものだけど、各地に武家屋敷が残っているのも木造なのに頑張っていますよね。
第二次大戦の時、アメリカの空襲から姫路城を守るために城に黒い布などを掛けたりして、工夫していたと聞いた事があります。空襲の後、城があるかを見てほっとする毎日だったそうです。
城はやはり象徴としての役割もあったのだと思います。
曾祖父さんから聞いた話。熊本城は戦国大名加藤清正の築城です。江戸時代改易で細川家に引き継がれました。熊本の民衆は深く加藤清正を尊敬していたのです。細川家はそれを知っていたので、遠慮して熊本城には代々、住みませんでした。天守は朝夕雨戸を開け閉めしますが、民はそれをみて「天守さんがおきなはった。とか天守さんおやすみ。」と清正公を思いながら語りかけていたそうです。今でも熊本市民は清正公を尊敬する人は多いです。西南の役で焼け落ちた天守閣が昭和30年代にコンクリートで再建されたとき、多くの市民は心の何処かでホッとしました。今でも、周辺何キロか以内は熊本城天守閣より高い建物は建てられません。
アーロンさんは深く日本の城を理解されてますね。そうです、日本の城は日本人の心だと思う。
清正公は築城だけでなく、運河の造詣も深い殿様でしたね。
お城の前の坪井川も清正公の作品です。その川を隔てて建っている市役所11階だったかな食堂(今もあるかは不明)から見る熊本城は絶品でした。
アーロン先生の客観的な視点いつも興味深く拝見させて頂いてます。
日本人が古来からの建築物を再建してまで残そうとするのは、先祖が作ってきた誇り高い技術や文化を子々孫々、親から子、子から孫へと引き継ぎ、
伝え守っていきたいという祈りや願いの表れなのかなぁと思います。
「櫻の木の下には屍体が埋まっている」という表現があるように「今、目の前にある美しい景色」は良くも悪くも長い年月をかけて先人たちの血肉が培ったものであり、
お城は特に現代日本人にとって「血なまぐさい歴史の上にある美しくも平和な日常」を実感できる大きな存在なのだと思います。
建築物としての造形美だけではなく、日本人すら無意識かもしれないそんな存在の視点に気づけるアーロン先生すごい!
天守閣を備えた我々が思う「日本の城の形」を最初に作り上げたのは、織田信長だそうです。
本能寺の変で焼け落ちた安土城は、その時まで日本一の城だったとの事で、夜は松明や提灯でライトアップされ、昼は入場料さえ払えば一般人も場内見学可能でした。
どちらも期間限定ではありましたが、16世紀の信長は現代人と同じ事やってる…。
先見の明が尋常じゃなかったんだよね。
@@楓佳-s6r
支配者層のみが使い被支配層は見上げるのみで畏怖の対象でしか無かった天守閣を近代的合理思考で一般に開放し観光資源にするなんて考え、ノッブ以外が思いつくまで300年はかかりましたね😅
アーロンさんの考察はとてもレベルの高いものですが。他の皆さんが「同じレベルで着いて行って理解して咀嚼している」事に改めて驚くと共に「やはり皆さん単なる外国人じゃない」と思い知らされます。日本に対する理解度も高いですし、そもそも知的レベルが高いのに「面白おかしく」話していただけるのが本当にありがたいです〜
アーロンさん、1点だけ完全に間違っている部分があります。明治初期に城が大量に取り壊されたのは時代遅れになったからではないです。当時全国に大量にいた失業武士の反乱拠点になる事を防止する事・維持費捻出が困難・土地が広すぎてもったいない為宅地や農業用地にした方が経済的メリットがあるといった理由です。
殿がいて、一族のお家で。そこに仕える家来がいて。日本の城って大きな大きな家なのよね
白鷺城に見られるような白亜の漆喰が日本の城のデフォルトになったのは江戸幕府成立後に軍事的意味合いが薄れたのと、漆喰が虫害や防火に効果があるってわかったイノベーションの2つの側面があるよね😊
それ以前は黒板塀だったことが松本城を見るとわかる😌
日本の城が都市に多いのは、今の区画とさほど変わらない都市改造が江戸時代に完了していたからでしょうね。江戸時代の政策で取り壊された城も多数あります。また江戸時代より前のお城は現在形として残ってないだけで、田んぼの真中や山のてっぺん、人里離れた田舎とかにもあったりしますよ。現在確認されている城跡で2〜3千城。過去実際に建てられた城は3〜4万城あったとされています。とはいえやはり日本の美の一つとして天守閣を守り残していきたいってのは心の奥に有りますねえ🏯
江戸時代前は山城がたくさんありましたね。高山城や新高山城は山城です。
大阪城の庭部分には現役時代には本丸御殿という宮殿が建っていたんです。
天守閣はあくまでも戦闘時の指揮所として機能していて。城主が普段居た場所は本丸御殿です。
天守閣の復元時にそこまで復元しなかったということです。
名古屋城ではそこまで復元しようとしています。
天守閣って実は間違ってるんですよ。
正しくは「天守」。
天守に閣が付いたのは大阪の通天閣が出来た後からで影響をうけたのではとのこと。
通天閣が出来る前の資料には一切「天守閣」という単語は出てこない。
それと今の大阪城は、徳川秀忠が建てた徳川大阪城の天守台石垣に当時情報の乏しかった豊臣大阪城の資料を基に想像で作った大阪城で架空の天守なんです。
堀は大坂の陣で埋め立てられ、破却された豊臣大阪城の残骸も埋め立てられ、豊臣家の痕跡を跡形もなく消し去った上に秀忠が築城したので現在の大阪城復元図でも新しく見つかった書物や大阪図屏風を元にした実物に近い想像図なんです。
なのでそこまで復元しなかったというよりも復元できないが正しいです。
@@大井降雪因みに今の大阪城の下には豊臣時代の石垣が残っていて一部だけだけど見学出来たかと。
@@user-ks117 教育委員会が大部分壊したけどね
日本には戦前まで170ぐらいの城が有ったようですが、多くが放置されてたのは事実です。
大阪城も確かに全て燃えてしまったので現代建築で再建してエレベーターも設置しています。なので世界遺産にも登録されていません。
しかし日本には現存天守の城(江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守)が12箇所有ります。
例えば姫路城も国宝5城のひとつで一度も壊れたことが無いのだけど、50年に1度ぐらいの間隔で大修理をしています。
その時にする大修理は出来るだけ当時の工法、漆喰など出来るだけ当時と同様の素材を利用してオリジナルに忠実に修繕工事は進められます。
法隆寺や中尊寺などのお寺や神社も同様ですが、これは宮大工に職人技術を未来へ継続的に受け継ぐ目的もあります。
現代の大坂城天守は登録有形文化財です。
江戸時代に発布された一国一城令なんかも影響してるだろうね
@@kotetsu2679 江戸時代までは約3,000城のお城が有ったらしいですね。
今の大阪城は鉄筋コンクリート製だけど地区100年近いのでそれだけでコンクリートの劣化や劣化の防止などの建築的価値はありますよ
11:55 城がその町の(武士だけではなく庶民にとっても)ランドマークだったからです。
同時に姫路城に代表される現存12天守の修復は当時のままの素材と技術が使われます。
26:27 27:04 現代に生きる皆さんには理解し難いだろうし、理解しろとも言いませんが、日本人がアイデンティティを保ったのは形のある物ではなく「天皇」の存在です。天皇の戦争犯罪を糾弾するつもりだったGHQも、手を出したら日本人が統治を受け入れなくなることに気づいたからやめたんですから。
戦国初期までの日本の山城は、今の感覚だと砦って感じで、欧州のとあまり変わらないと思います。
あと領境の放置された城趾とかは日本にもたくさんありますが、高温多湿な気候と木造建築のせいで、森に飲み込まれてしまいます。
お城もそうだし寺や神社も何度も立て直してるから、昔ながらの伝統の工法が宮大工さんに受け継がれていて、昔の染料とか部材も使われてる。木造だから故の耐久年や焼失する事も建て直しが繰り返される一因でもあります。
だからと言って新しい素材や補強の仕方も取り入れる事を拒んだりもしないところが日本の柔軟なところだと思う。伝統工法は守って極力継承する努力はするけど、地震国でもあるし、だから新しい技術は必要。奈良の大仏殿も修理の際にその時代毎の技術を取り入れているそうです。現代の私たちにとっては過去ですが、当時の人々は積極的に取り入れていたんですね。
今現在の城は、内堀しか残されていない物を城とみられていますが、外堀・大外濠を作ってその中に、武家屋敷や町民が住む城下町が形成され、さらにその周りに農村が広がっていきました。その中心にあったのが城ですね、ですから外堀までが城ですね。
日本の城は新しい?大阪城のような近代手法で建て替えられた城などの説明もよいが、
現存天守といって、創建当時の建物を、修復部分はあるが、そのまま保存してある城、姫路城、松本城、彦根城などについての話が聞きたかったな。
これらの城は、釘一本に至るまで伝統的な建築の技法を求められ維持・保存されている。
私は那覇市出身で首里城の隣の高校に通ってた
超地元の城が燃えると、かなりの喪失感を覚える。
お察しします😓
沖縄の象徴だもの。それは島外の日本人にとっても悲しいですよ。
あの火災はなんか沖縄のずさんさが露呈した事件でした、悲しいです。😢
沖縄旅行に行った後で首里城が燃えてしまってショックでした。
地元の人なら尚更でしょう。
城は日本人の心の拠り所じゃないでしょうか。
無くなっても絶対再建するからね。
まず日本の城は天守閣が城じゃなくて堀から中が全てを城と言うんです!皆さんが言ってる城は天守閣です!
後半の江戸城なんて天守閣無かったですからね、でもちゃんと城ですから
@@gonchan007
「幕府金無いし、もう見栄だけの天守閣なんていらなくね?」
ってミッツ・トクガワが😂
海外と違ってその城(天守閣)には住んでないしね。あくまでも空き家状態で倉庫がわりでしか使ってない。
全部とは言いませんが、中世ヨーロッパでお城の天守に当たるところはキープと言われて、キープだけを見たら、えっ…ショボってなりますね。
×天守閣
○天守
復興のシンボルとしての城はあったと思います。
それに当時は「日本とはなにか」という考えを多くの日本人が共有し、その答えとして「遺跡の発掘」や「はにわへの考察」が盛んに行われる様になったという説があります。
どちらも確かな物証であり、日本人が過去から存在した証として受け入れられていました。
戦国初期は山城など防御に特化した城が多くあります。天守閣が作られたのは織田信長の安土城以降といわれています。初期は地方豪族の根城だったものが勢力を拡大するにつれ都市の中心として経済を発展させるための統治能力を示す必要があったものと思います。戦後に再興されたのはその地方の人たちにとって地元の戦国武将はヒーローでありその城が地元の人たちにとって誇りと思えたからでしょうね。まさかその時には外国の方に注目されて観光資源になるとは思ってもみなかったでしょう。
私の故郷にも山城は数か所残っていますね、天守閣が無いので砦みたいな感じですが城下町の雰囲気は未だにあります
私の地元の市には城が無いのですが、お隣の市には有名な武将が居た城が有るのを知った幼少期には凄く寂しい気持ちになりました。
シンボルとして大切に思う気持ちは本当にあると思います。
城の場所が戦場というわけではないですよ。
日本の場合は果たし状を出し一般市民が巻き込まれない形にして広大な野原や河川敷等へ移動しそこで決着をつけるという形をとっていたので、必ずしも城=戦争の拠点というわけじゃないです。
もちろん攻められた時のために軍事的武力で防衛できるようにはしていましたが、基本的に西洋の戦争は違ってそこの市民を巻き込んだりはしていなかった。
領主が変わったとしてもそこに元々住んでいた人が捕らえられたりしたわけでもないですし、戦争自体がそもそも西洋のものとは全然違うものなんですよね。
歴史的事実とはかけ離れたファンタジーだね。そうであって欲しい→そうであったに違いない、になる妄想というか自賛史観というか。
戦国時代に対するまともな知識と判断力がないせいだろうが、ほとんどウソ、デッチアゲになっている。よく言えば恥ずかしいばかりの美化、脚色ってところかー特に西洋との対比の文言が。
このチャンネルはそうしたバイアスの掛かった思想とは無縁なので来ない方がいいよ。繰り返すが事実の歪曲がひど過ぎる。
犬山城はあくまで「現存する中で」一番古い城です。これ以前にも城・砦はありました。石垣などは残っていても建物が残っていないのは木造なので朽ち果ててしまったからです。西洋は(といっても西洋も様々ですが)石造の物が多いので残る確率が高いです。
安土桃山時代以降は軍事(天守や櫓)と政務(御殿や屋敷)を兼ねた作りになって行きます。廃城令の後は城の敷地に陸軍や役所が建てられた場合も多くありました。
「永遠に新しく更新される伝統的建築物」についての日本人の考え方の原型を知りたければ『伊勢神宮の式年遷宮』について深堀りすることをオススメします✨😊
名古屋城は、コンクリート製から古来の木造で再建しますよ。
エレベーターを作るか作らないかで、激しい議論にもなっています。
やはり、日本人も本当の城を欲しています。
エレベーターを付けるなら、今の取ってつけたような形じゃなく、天守の美観を損ねない形で付けて欲しいですね。
要らないなんて事は言えない。
要塞として再建するのではなく、あくまで観光地として建てるのだから、バリアフリーは必要。
エレベーターはともかく、木材にガラスを染み込ませて燃えにくくする技術とか使えばいいのにとは思っています。木材の接合部に金属を使ったりとか。とにかく災害に強くしてほしいです
@ そもそも石垣の上にあるわけで、入口や中で不審火があったり、空襲でもなければそうそう火事にはならないと思いますが、そういった人から火を移しやすい部分の周りにスプリンクラーを配備したらどうかな?
木材そのものにコーティング加工するのは、もうコンクリで作ってるのと大差ないから。
名古屋城は、伝統的な工法にするか現代的(エレベーターとか付けて)にするか、ずっと議論していましたね。
@@ダンボ-m1r
「尾張名古屋は城で持つ」と言いますからね😌
姫路城を木造で修復した宮大工の方々に感謝です❣️
まず城と海外の方が考えている物は天守閣という物見台のようなものです。これはそれぞれの都市の象徴であり、戦後に市民からの要請で再建しました。もちろん税金からなので安価な現代建築です。
昔の城はてんし天守閣を囲むように城主の屋敷、重臣の屋敷、執務を行う屋敷などが本丸部分だと思います。
二の丸三の丸の外堀までが城です。
お城ってその地域の「顔」の役割をすると思ってる。天皇とかマスコットキャラクターもそうだけど何かを表したり象徴する顔だからこそ大切にすると考えてる。「顔」を守ることって日本人らしいとこの一つなのかなと。
最も美しい城と多くの人に支持されている姫路城は建造時代の木造建築のままです。近年屋根の漆喰(?)のやり直しを行い建造当時の白さを取り戻し、眩いばかりの美しさになりました。
5:47 城は江戸時代に一国一城とはなりましたが、明治維新時には数百あった。
当然ながら大体は町の中心や交通の要衝にあったことから廃城後はそこが役所になったり学校になったりしたけど、高台にあり町を睥睨するような立地だった城趾はだいたい陸軍の練兵場が置かれました😊
面白いのは中世に城が作られる前まで記録を遡ると平安時代や奈良時代にはそこに「国分寺」や「国分尼寺」それに役所の「国府」が置かれた場所だったことが多いこと。現に私の地元には「国府台」と呼ばれる高台に里見八犬伝にも出てくる城の阯があり、明治以降は練兵場が置かれたため、付近には被服廠(軍服の工場)があり、戦中には爆撃対象になりました😰
なるほど、それで爆弾落とされたところも多くあったわけですね。つながりました。
今でも一緒になっているところとして新発田城と新発田駐屯地が有名ですね。
日本の城は、戦のための山城から統治するための平地の城に変わっていった。つまり、城を中心として、その次は武家屋敷、それから町人の街と言うふうに作られている。ほぼ建造時のまま、しっかり管理されている姫路城は素晴らしい。大阪城のあたりでは、戦で多くの死傷者が出ている。だからと言って、そのエリアが忌み嫌われるわけでもない。それは日本人の抱擁力なのかもしれない。
日本の城は、天守と呼ばれる建物とそれを取り囲む公園など全てを総称してそう呼びます。
確かに大阪城などは再建されたものだと思いますが
数ある城のほとんどは
再建された部分から修復された部分など沢山あります。
近代建築技法を取り入れた部分もあれば当時の技術を受け継ぎされた部分もありますよ。
熊本城などは地震により城壁、石垣が崩れた内側には当時の技術で組まれた石垣や
未発見だった箇所などがでてきました。
瓦や漆喰は大抵が受け継がれた技法、材料で造られています。また、神社や寺なども。
宮大工は今も釘をつかわない。
当時と同じ釘を使うなど凄いです。組みだけで曲がりさえつくれる。釘なし木材だけで建築する技法は日本の宝ですね。失われた部分も沢山ありますし残念ですが。
大変面白く興味深い話でした😊
現代化に関しては、 大阪城をベーシックに考えて欲しくは無い。
って思いはある。
外国人を通してみると
考え方の違いがあっておもしろいな
アーロン先生の回、好きやわー
一つだけ気になる間違いがあります。アーロン先生は、現代の城は現代の技術で再建されたような事を言っていましたが、正確には現代の城は造られた当時の時代の技術を使って再建されたのですよ。昔ながらの伝統的な技法を大切に保存しようと日本人は努力してますよ。代表的な例をあげると金剛組という世界一古い会社があります。金剛組は伝統的な古い技法で寺や神社の修復をしています。うろ覚えで申し訳ないですが、城も現代の鉄筋コンクリートなどで作られたら、文化財保護としての価値は法律的には認められなくなります。古い伝統的な技術を使って再建されたからこそ、文化的な価値が認められたんです。
俺もそこが気になった。何かのドキュメントで見たけど再建するのにわざわざ失われた技術をなんとか再現しようとしたり、木材も腐ったり虫食いで空洞になってるところだけを削ってなるべくそのまま使ったりしてた
アーロンさんの解説は、木造建築に詳しくないからの解説だったのか、あえて他の城の修復を無視したのか分かりませんが。
あと江戸時代のように長く平和が続いた社会の文化を体感しにくいのかもしれない。
城(天守)と言っても分類されます。
1)現存天守・・築城当時から残っているもの。
2)木造復元天守・・文献・絵図・絵画資料・古写真・遺構などを元に当時の工法・構法を用いて忠実に復元したもの。
3)外観復元天守・・文献・絵図・絵画資料・古写真を元に「外観」を復元したもの。
4)復興天守・・天守は過去に存在し、同じ場所に現存する城を参考に、または想像して建てられたもの。
5)模擬天守・・存在が確認できない、または特定に至らない状態で建てられたもの。
今の大坂城天守は4で木造ではありませんが戦前に再建され残っているので登録有形文化財です。名古屋城や熊本城は3にあたり非木造です。
コメ主は誤解している様ですが、全ての城が当時の技術を使っている訳ではありません。
大阪城は中が博物館になっていて鉄筋コンクリートで作られてます。
それは仕方がない事だと思います。
観光としてお金を貰っている以上、当時の技術だげでは、安全と維持費用が賄えません。
いや、大阪城は鉄筋コンクリート造りだよ。名古屋城も。現代の技術以外の何物でも無い。
今の大阪城に至っては大阪城屏風をもとに想像で作られた架空の城だから当時の技術も何も無い。
現存天守以外の天守の種類は、復元天守、復興天守、模擬天守、天守閣風建造物の4つに分類される。
復元天守は当時の構造を忠実に再現したもので更に木造復元と外観復元に分けられ、国が復元として認めているのは木造のみ。名古屋城は外観復元した天守。
木造復元は使用している材料、工法、構造が当時と同じことが条件。外観復元は名の通り外観のみが当時と同じことが条件。外観復元を選択せざるを得ない理由としては建築基準法が関係していることが多い。
復興天守は天守が存在したことは確かだが、構造や城址内で立っていた場所関係なく規模や意匠を改変、推定などを含む天守のこと。大阪城や岐阜城がこれにあたる。もちろん材料なども当時と違っている。
模擬天守は城は存在したが、天守の存在が確認出来ない城址に建てた天守のこと。
天守閣風建造物は上記に当てはまらない建造物のこと。テーマパーク、役所など天守ぽい建造物のこと。安土城天守は城址でもなく当時の材料や工法でもないのでこれにあたる。
この復元天守と復興天守をまとめて再建天守と呼ばれているので再建と言ったら現代建築技法で作られたものも含まれますので間違いではない。
あと、今ある金剛組は世界一古いと言われた金剛組から宮大工部門を経営権譲渡により切り離した新しい金剛組。それでも技術を受け継いでいることから今でも世界最古をキャッチコピーに使用している。
古い金剛組は不動産部門だけを残したあとに破産し、同族経営に終止符を打ったことから578年に創業した金剛組は事実上幕を閉じている。
海外の方でここまで語れる事が、日本人より日本を愛してくれてることの証明だと思いました😢✨
アーロン先生回うれしいです!
綿々と伝え続いてきた日本の先人達への想いを馳せる、まさしく日本人そのものだと思います。フジさん凄い✨
天皇は単なる象徴ではなく、恐らく殆どの日本人が知らないとは思うのですが、天皇になると、毎朝、決まった時間に祝詞をあげます。所謂、お祈りなのですが、それは日本のみならず世界で起きている様々な事柄について平和になるようという様な祈りです。なので、所謂、海外の王族とは役割が違うんですよ、その祈りに効力があるなしの論争はしないでいただけるとありがたいです。
アーロン先生の博識と独自の目線からの解説を楽しく拝聴させて頂きました。ありがとうございます!
名古屋城は戦災で失われた天守閣を鉄筋コンクリート造で再建しました、市民の願いである「二度と燃えたり、壊れたりしないように」という思いが込められています。
当時の名古屋の財政からしたら木造で再建することが困難だったからでは?
そうでなかったらなんで今木造で作りなおそうとしてるんでしょうか。
厚生労働省本省に就職してから、3年間、名古屋に出向したが、目の前が名古屋城でした。
岐阜県各務原市で育ったので、子供の頃、近場の岐阜城(金華山)や犬山城に行ったことがあります。
犬山城は橋を渡ってすぐでした。花がたくさんあったことを記憶しています。
日本のお城巡りが趣味なので、歴史の話を英語字幕で見れるのはとても勉強になり、感謝しています!またディスカッション形式なのも大学時代を思い出して楽しみながら見ています!
好きなお城は春日山城跡、岐阜城、小倉城です。個人的にはミュージアムになってるお城もその土地の歴史が知れて好きですし、昔の風貌を残してるお城も、山城で石垣くらいしか残っていないお城もそれぞれ良さがあります☺️
また歴史の話題お待ちしてます!
姫路城を出して欲しかった。
日本のお城は、全国に点在するけれど、築城当時から現存するのは、姫路城とか松本城など、わずか12しか有りません。
大阪城とか名古屋城など、観光ランドマークとして有名な城の大半が、再建されたものです。
真面目なコメントもおふざけもできるバイロンが無敵すぎる!
第二次大戦以前は大阪城は帝国陸軍第4師団の駐屯地として使われてましたが、
敗戦後にGHQにより陸軍が解体されて、大阪城の敷地は管理が大阪市に移されてます。
その際に公園のメイン施設として天守閣が再建されたんです。
東京(江戸)からの支配の象徴だった徳川時代の天守閣の復元ではなくて、大阪が輝いていた豊臣時代の意匠で。
東京(江戸城)の場合は明治期から皇居となって宮内庁管轄という事も大きいでしょう。
「詳しくはプリンセス・トヨトミ参照」ってとこですね😂
大阪城天守閣は昭和6年に陸軍の許可を得て再建されたものなので、戦前からあります。
ヒトラーユーゲントが来日した際の写真や大阪空襲後の古写真にも天守は写ってますね。
たしか、近年まで陸軍所有だったと思います。
今の大坂城天守は徳川時代の石垣の上に屏風絵などを参考に下層は徳川時代・上層は豊臣時代を模したニコイチ天守です。再建にあたっては市民や会社から多額の寄付金がありました。
小田原城は、都市全体がお堀の中で、すごく広かったらしいですよ。
伏見稲荷の踏切が外国人で混雑しすぎて何度も電車止まってるらしい。そういう注意喚起動画も作って欲しい。映像みたら酷かった
昔は藩の主君に対する忠誠心は考えられないほど強いからね。まあその忠誠心が強くて悲劇が起きたのが忠臣蔵。
その主君の象徴であるお城は人々から愛され、現代では街の顔になるので今でも愛される。
尾張名古屋は城でもつと言う言葉もある様に、日本人にとってのお城(天守閣)は色んな意味でやはり『象徴』なのではないかと感じます。ちょっと例にはそぐわないかもしれないけれど、富士山を眺めて『日本人としての誇り』を感じるかの如く。名古屋城は本丸御殿が木造で正確に再建されていますが、他の方も記されている様に天守閣も木造での再建の計画があります。問題は山積していますが、私個人としては何とか実現して欲しいものだと考えております。実現した際には是非ともこのチャンネルの皆さんに訪れて頂きたいと思います!
アーロンすごく勉強してるなぁ
あれだけ語れるのは凄い👍
アーロン先生 日本のお城を取り上げてくださってありがとうございます!
大阪市内で生まれた私たちは、小学校5年生の時の写生会で大阪城に行ってみんなそれぞれ大阪城を描いていましたよ。
(今もそうなのかはわからないけど)
日本のお城、大阪城のことを取り上げてくださったんで、久しぶりに大阪城のことを思い出しましたよ。
それにしても、”お城”について、こんなに深く考えたことなかったなぁ~。
でも確かに、お城が造られたということは、その周りでたくさんの命が失われたということもあったんだろうなぁ。。。
そしてバイロンさんがおっしゃったように、今現在の私たちは春には大阪城の周りでお花見をしに出掛けるんだもんなぁ。(しかも能天気に)
いろんなことを考えさせられる動画でした。
日本人の私よりも日本のお城に対する知識が豊富なアーロン先生 有難うございました。
横浜市しかも海の近くに生まれた私は毎年、写生大会というと山下公園でした。毎年同じものを描くのもなんなので学年ごとに氷川丸、マリンタワー、噴水、花壇、と分けられてたことをふと思い出しました😊
@ 横浜市の海の近くの小学校では毎年山下公園で写生大会があったんですね。同じ山下公園でも、学年ごとに描く対象を分けるってことは、山下公園にはたくさん絵になる場所があるってことなんですね(⌒∇⌒)
こちらは、大阪城の他に小学校低学年の頃だったと思うんですけど、天王寺動物園でも写生会があった記憶があります。
海外が色々日本を勉強してくれるのは嬉しい限り。
日本人も逆に、海外のイメージをステレオ的に理解してるんだろうなと思いながら興味深く聞いてました。
日本人がイメージする西洋の城の美しさって多分、ディズニーの影響とかで、城と言いながら実質別荘のある意味欧州の城としては稀なノイシュヴァンシュタイン城とかを主にイメージしてる部分もあるから欧州の城も奇麗と言うイメージあると思う。
欧州の人はそっちの異端的な城じゃなくて本当に戦った場所の城をイメージするからだと思う。
でも、ノイシュヴァンシュタイン城も「城」って現地の人も言っているんだから(笑)、一番の違いは受け止め方だと思うけどね。
あと、城の石の違いに色の違いは仕方が無いですよ。火山のある国の日本は、火成岩の花崗岩が6割以上で、黒くくすまないしね。
それで言われるのは、西洋のお城が可哀そう。
でも、戦国時代の茶道の始祖の千利休が生きていたら何と言ったかな、むしろ、「くすんだ色の西洋の今の城を、風情がある」と言ったと思うけどネ(笑)
もう一つの影響は、日本の場合、明治時代、『廃城令』 によって多数の城の打ちこわしが行われ、各県や地域のに一つの城だけ、シンボルの様な城しか残らなかった。
だから、シンボルになっちゃったから、公園になりがちだったんですよ。
発言にあったように残っている城は新しく、戦国時代の合戦が盛んだったころの城は実質残っていません。
現存天守12城と言われる今も残っている城があるけど
いずれの天守閣も関ケ原の合戦が終わってから作られています。
その頃の城は、戦の城としては作っていないんですよ。平和の足音が聞こえた時に作ったから煌びやかなのは当然で、
日本の現存する城は常時闘う城じゃなく、殆どが行政のためのパレスとしての城なんですから・・・。(いざとなれば闘いますけど)
戦国合戦真っ盛りの頃に作られていた城なら、デザインは違えども、気配は似通ってたと思いますよ。
少なくとも、欧州も日本も、元々の城の目的は同じです。
確かに、民族自体が違うから、同じ民族の人を守るために、しっかりとした城壁の中に都市を作ったという、欧州の大陸で多数の異なる民族で戦ったがゆえに、市民も城内に住んだという大きな違いがあるけどね。
そのタイプは戦国時代の北条氏の小田原城位で、9キロ四方を総構え作って街を囲ったというのは、同一民族の日本の中では極めて稀です。
あと、作り直したという話はそうですが、
大阪城とか、伏見城?、今の名古屋城とか一部の鉄筋城を除いて、
桃山時代末期から江戸時代にいざと言う時の城とパレスとしての行政所を兼ねた城を作ったのが今の城で、そのデザインは基本宮大工によって、
refreshはされても、著しく変更はされてこなかったと思います。
私も大阪人ですけど
大阪城等の鉄筋系(笑)を見て、作り直し的なコメント言っているのかな?
それ以外の多くは、彼らがイメージする作り直しは、あまり無いです。江戸時代の城としては、姫路城も基本は変わってませんよ。
金剛組は木で釘を使わない
アナのおっしゃる通り台無しです。
天守閣の中にエレベーターはあるべきではありません。
昔の階段が登れない人は、登るべきではないし、登る必要はありません。
再建する名古屋城の天守閣についてもエレベーターもリフトも必要ないし、一般人でさえ登れなくしても良いと思います。
それこそが、在りし日の名古屋城天守閣だからです。
今回の話はとても面白くアーロンさんの意見にフジさんの意見にも納得する物ばかりでした。お城つながりではありませんが庭園も国によって作りがだいぶ違うと思います。以前、イギリス人観光客の年配のご夫妻が日本庭園を見て「曲がった木なんてあり得ない!日本の庭は作り物でいっぱい😬」と呆れたように兼六園で言っている映像を見ました。高い山の無いイギリスだからこそ真っすぐな木になることを理解していらっしゃらなかったみたいです。日本の庭はなるべく自然の状態を表すように作られている点が海外とは違いますよね。各国の庭園に関する考え方の違いも知りたいです。
みんな頭がいいから単なるおもしろ動画にならないところがすごい
アーロンさんの日本へのリスペクトを持った城の解説は素晴らしいと思いました。
アーロン先生、今日もありがとうございました!
先生のおかげで、日本の魅力に気付かされました。
大まかに言っての日本の城とヨーロッパの城の比較を海外の方からの視点で見るってのだから🏯😅
違和感が少くなからずありますが…
アーロンが日本の城の虜ってのはわかった😂
日本は地震等の自然災害が多い。そのため修復や復興し易い城というデザインになる。それに今現在でも宮大工という職業も伝統として残っている。城でなくても神社、仏閣は1000年以上の古い建物が街と自然と馴染んで見えるのも日本ならではなかろうか。
すごく面白かった!日本人なのに外国人であるアーロンさんから日本について教わるっていう😅
大人になってから歴史を知りたいって思うようになったので、勉強になりました!
会津の鶴ヶ城天守閣が好きです。お城というと真っ先にそこが浮かびます。荘厳かつシンプルで美しい姿は歴史も含め一番印象深いお城です。
「日本の城は新しい」にひとつ補足するとすれば、
日本の多くの城は当時の姿が分からないんですよね。
たとえば立派な天守の中津城などは萩城をモデルに
再建されましたし、明治まで存在していて写真が残っている
天守閣でも内部の間取りや構造などは実は細かい事までは
伝承されておらず資料がないのです。だから当時のままの
形での再建に拘らないで(拘れない)建てられました。
ただ戦前まであった名古屋城は詳細な図面があり
当時のままの材料と工法でも再建を目指していますが、
色々あってまだモメています。
今衆議院議員で前名古屋市長の河村たかし氏は名古屋城の木造による再建を目指しています。今の広沢市長も同じです。それは、建築技術の伝承という無形の文化財を残すこと意義があるからです。金剛組に触れたコメントをされた方のおっしゃるとおりです。これと反対なのが大阪城ですが、大阪城は寧ろ例外です。
アゼルバイジャンの方とお話したとき、貴方なの住んでる町を紹介して欲しいと言われ、地元松本城の写真を送ったら、めちゃくちゃ感動されました。
アーロンは賢いね。普通の人でも知らない知識をちゃんと知ってる。
彼の中に流れる日本人の部分が、それを求めているからなんかね。
わ~。待ってました❣アーロン先生。 愛知県にある『犬山城』は国宝ですが、城主の、成瀬氏が明治から平成まで代々の末裔の、個人所有の唯一の城でした。今は財団法人が所有者です。 名古屋城は第二次世界大戦で、焼失しました。今はコンクリート製です😱 天守閣には、本物の金の鯱が載せられています。 それもあってか「名古屋人は金が好き」と言われていますが、確かに金好きは多いようです😁 今日も楽しかったです。ありがとうございました。
日本の城は地元の象徴だった事も大きいのでは?
京都には伏見城の戦いで自害した人を供養する為に建てられた、血天井が有るお寺がいくつか有ります。血の付いた床をお寺の天井にして、戦没者を供養しています。アーロン先生には是非行ってみてもらいたいです。既に行っていたらすみません😅
新鮮な考察でした!
とても面白かったです
アーロン先生ありがとうございました😊
私の地元のお城は廃城令を免れて、1945年まで存えました。
敗戦の僅か3週間前に空襲で焼失しました。
戦後にコンクリート製で復活し、今も時々見に行って嬉しく思っています。
入場料が安くて、子供の頃よく最上階に上って四方を見渡すの楽しかったな。
大阪城天守閣は昭和天皇即位の記念事業として大阪城公園のシンボルとして建造された天守閣の形をした建築物としか大多数の日本人は捉えていないと思いますよ。インチキと本物は厳しく区別するのが日本人ですので。
とは言え、城がもつ意味は西欧とは全く違うのはその通りかと思います。日本における天皇と国民の関係は、西欧における王と人民の関係と全く違うのと同じように。そもそも明治以前には天皇は堀も城壁もない京都御所に住んでいたことなど信じられないでしょうね。
姫路城には思い入れがあります
泉鏡花の作品で天守閣が舞台でした
作品の収録された文庫本と小さな金の獅子頭でこっそりと記念撮影をしてきました
お城を再建したというのは、アーロンが言ったことはありそうだなって思いました。確かに敗戦してアメリカナイズされていく中で、日本の象徴や誇りみたいなものを残したかったのかもしれませんね。日本は戦後自虐史観を植え付けられたというけど、お城を見ると、日本人ってすごいなって思える部分です。今お城を見ると先人に思いをはせることができます。こんな景色を見ていたのかとか、こんな技術をもってこんな素晴らし物を作っていたのかとか。当時再建しようと思ってくれたことにも感謝しますし、やはり何度も自然災害や火事などが起きても、再建したいと思うのは、日本人の心を失いたくないという表れなのかもしれません。
江戸城は復活するかもしれません。
今選挙中の佐藤さんが千代田区の区長になったら建てるって言ってました。
もう、当時の城の設計図は一部入手済みだそうです。
税金無駄遣いしている某プロジェクトマッピングより推せると思います。
面白い企画でしたね。
私はお城の近くに住んでましたがお堀しか残ってなくて再建せず役所が出来ました、当時は白けました。お城があったのにと思うと少し切ない気持ちになります。
戦国初期から真っ只中のお城は山城が多く、より実用的なものだったそうです。平城は基本的に防御力を高めるのが難しく実用的ではなかったようです。他の方のコメントにもあるように現在見られる城の多くは戦国後期に作られ、権力を誇示する意味の方が強かったようです。
お城はだいたい、大名のお家だったんです。
私の出身は熊本で、熊本城は特別で(武者返し)が付いてる日本にあるたった一つの城です
武者返しとは外から来る忍者が登ってこられないように作られてるのです
熊本地震で熊本城の瓦が揺れでずり落ちる光景を見て心の中で悲鳴を上げました
遠くに離れても、名高い大名が住んでいた歴史から言ってもお城は熊本の魂です
今も再建していると思います。心のよりどころ、熊本と言ったら?熊本城です
戦国時代には、砦のような小さな城が沢山あったのですが、一国一城令や風化により無くなって、都市の中心にあるシンボリックな城が手入れされつつ残ったんです。
で、ある人に言わせれば「城は支配の象徴」と言うのですが、城のある町に住む私たちにとっては町のシンボルです🏯
お花見や散歩コース、デートなどの思い出と共にある城なんで、愛着があるから維持しているんだと思います。
それはアイデンティティとも繋がる話かと。
日本の城は、内戦の絶えなかった戦国時代までは要塞、内戦の無く成った江戸時代(幕末明治維新期は除く)からは街の象徴/シンボル/ランドマークとして、その役割(存在意義)が変化しています。
天守が無い城(城趾)は沢山有りますね
天守が出来る以前の城は館という感じで土地土地の権力者(豪族)の住まいだった
天守というのは城主が住む為ではなく、権力の象徴で誇示する為のモノ
見張り台の役割りだったり最後に籠城する為に存在した
城主は本丸とか二の丸と言われる場所に住んでいるか、江戸時代には江戸に詰めている事が多く不在だったりした
戦後(昭和?)に再建された天守(城)は地域の象徴としてランドマークの役割りとしてで、後に?観光資源としての役割りを担う事に
再建する際に資料が残されていなかったり、忠実に復元しようという想いよりシンボルとしての意味合いが重視されたので現代工法が選ばれたんだと
天守も時代によって建替えされて別のモノになったりしてる
戦で落城したり落雷や城下の火災が延焼して無くなるケースも
江戸城も敢えて再建しない道を幕府が選んだ
現存天守の修復は当時のやり方に倣って行っている
町中に城が有るのは戦になれば領民(農民)が戦にかり出されて戦う為で兵力を確保する為じゃないかな?
兵力だけじゃなく年貢(税金)の徴収するのに人(田畑)は多い方が
勿論、日本にも山城は存在する
アーロンさんの考えは正しいと思う。他の方も言っていますが、大阪城も名古屋城もランドマークとして建てられたもので、文化遺産として再建されたものではありません。特に大阪城の天守閣は、市民から集められた寄付によって建てられています。また姫路城のように建築当時から存在する城は、修繕も当時と同じ材料を使い建築技術も当時の方法を使って改修し、国(政府)が文化遺産として管理しています。
面白く語られましたが、まだまだ城を語るには歴史的文化があるので感想程度でお話しくださいね。
ちなみに秀吉の作った「大坂城」と家康が作らせた「大阪城」は別物だからね?😅
秀吉の大坂城を敵憎しの一念で徹底的に破壊した瓦礫の上に今の大阪城は建っております😌
家康時代も「大坂」です。
ここで言う日本の城の美しさは近世時代に作られた安土桃山時代以降の城の天守閣などを述べているようですが、
日本の城郭の素晴らしさは、基本的に、土塁や堀、そして、石垣の構築レベルの高さに尽くすことかなと思います。
特に櫓の素晴らしさは、海外の城に見られない部分があるかと思います。
また、日本は山城・平山城・平城といったタイプが異なる城郭が多数あり、
特に、山城の曲輪などの凄さを理解してくれたら嬉しいですね~
日本の城は大名や武士やその家族が住んでいたところだから日常の中にも風流さが求められていたのではないでしょうか
あと 現在で立て直した城もあるけども 昔からある城も6つくらい あったのかな 有名な姫路城や 松本城は昔からある城ですよね
現存天守は、青森県の弘前城、長野県の松本城、愛知県の犬山城、福井県の丸岡城、滋賀県の彦根城、兵庫県の姫路城、岡山県の備中松山城、島根県の松江城、香川県の丸亀城、愛媛県の松山城、宇和島城、高知県の高知城の12ヶ所の天守が、建てられた当時のままの天守です。
@@健司高濱 詳しい情報をありがとう
例えば建物が残ってなくても、城跡は特別な場所です。
防衛のための遺構や、二の丸や三の丸、御殿や天守閣の跡などがあり、昔の人々がそこにいたと分かるので、ずっと残しておきたい場所。
地元の人々が城跡に天守閣というお城の象徴を復元したいと思うのも、自然な気持ちなのかもしれません。
例え素材がコンクリートでも、内部が博物館でも、その土地の象徴になるし、地域の人の心の拠り所になるのだろうと思います。
私は熊本城が好きです。かっこいいし、戦国時代は鉄壁の城だったと今もわかるからです。
…そういえば、戦国時代に使われた槍や刀剣を見に行ったことがありますが、武器なのに美しいんですよね。甲冑もお城も美しいです。善悪や美醜の感情をわけて、美しいと思うのは、日本人ならではでしょうか。
日本建築において、あらゆる分野の技術を使用して建造されるのがお城です
コンクリートで再建されたとしても、必ず木材を用いて作られます
現在においては文化財の修復技術の継承の必要性もあり、当時の技術を用いて修復、再建されることが多くなりました
特に日本人として我が故郷の城と言えば確かに心の拠り所とまではいかないまでも大事に考える人が多いと思います
再建、修復の為に予算を出すことに反対することも少ないのではと思います
当時の武将は見た目の美しさと機能性の両立には並々ならぬ情熱を燃やしてお金も、時間も使ったはずです
軍事的にも文化的にも当時の最先端を競って建てたのだと思います
またその様なお城を綺麗なまま保存し続けている陰の人達の努力も、忘れる事はできないですね
総合するにお城の在り方がすでに美しいのではと考えます
いろんな気づきがあってとても面白かったです。
あと、自分は小5の時に学校のクラブで初めて犬山城のプラモデルを作ってからいくつかのお城の模型を作ったのですが、海外にもお城のプラモデルとかってあるのでしょうか。
日本ではシリーズ化されていて、子供から大人までファンが多いことからも、お城に対する日本人の気持ちの表れではないのかなと、思ったりしています。
城には無駄なものがないとは言わないけど、
植木も弓矢の材料にするし、壁に食料になるものがぬりこめられていた。
ホントに戦争のための建築物だった。
ただし、戦後期時代後期になると平城が増えて大名の政庁とされたいた。
天守閣は住居ではなく実際は御殿と呼ばれるお屋敷に日常は住んでいたんだね。
再建されたのは国が豊かになってオラが国にも観光資源が欲しいなってなって再建されたものが多い。
侘び寂び的に言うなれば、「夏草や兵どもが夢の跡」なんだろうなぁ…
城が美しいか否かは置いといて、ジャパニーズは物思いに耽るのが無上の喜びなのです
アーロン先生の話、とても面白かったです!
私の住んでいた県は東西で方言や食習慣が驚くほど違うのですが、その主な理由が「もともと別の藩だったから」でした。城もそれぞれの藩のものがそれぞれの街中にあります。
もちろん地形や気候の影響もありますが、廃藩置県から150年たった今もずっと住民のアイデンティティはあって、その象徴のひとつが城なんだと思います。
日本の歴史を城から学ぶという素晴らしい動画👏
アーロン先生の城から歴史を見る切り口と欧米の城との比較がとても勉強になりました😊シリーズ化希望🎉
リクエストは、欧米でのジャポニズムの歴史と日本の当時の超絶技巧品について深堀って欲しいです。
2021年のルイヴィトンの市松模様商標権問題などが起こっている現代…
欧米視点の日本の芸術と工芸についてアーロン先生の視点で語って欲しいです。
小学生の時に課外授業で松本城へ行って🏯建造物としての知識や城の歴史や時代背景⚔️🥷などを学んだ思い出📔✨️
ヨーロッパにも綺麗なお城、あると思うんだが………
(ドイツのノイシュヴァンシュタイン城とか。世界一美しい城って呼ばれてるらしい。)
アーロン先生、ポール先生の授業大好きです♡天皇の話がチラッと出ましたが、現代においても無意識のうちに天皇の存在は心の拠り所になっているのではないかと思います😊最近政治に不安を感じることが多くなりましたが、結局トップは政治家じゃないから大丈夫。本当に日本のことを思ってくれている人がいる。という安心感は大きいです。あまり日本で大きな抗議が起きないのは心の拠り所があるからだと思います。(Xは荒れますがw)ちなみに日本のお城に対してもポジティブな印象を持つのは、やはり先祖に対する感謝と尊敬の念が大きいと思います!
城と宮殿的な棲み分けは日本だと『武士と公家』になるのかな。
雅な方々は都に住んでおられましたから。
日本にも『山城』と呼ばれる城があって、鹿児島では山城の跡地で石垣が見れる場所がたくさん残っていますよ。
島津家は歴史は長いですが弱体化していた時期も長く、いわゆる島津4兄弟が現れるまでは常に内乱状態だったらしいですからね。
城の再建は大きなものだけど、各地に武家屋敷が残っているのも木造なのに頑張っていますよね。