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転車台だったり車両だったり残す事でかつて走っていた証拠残していて、行政に感謝
転車台は貨車の方転でも使われます武豊線武豊港駅跡にあり、草むらにおおわれてましたが、地元の小学生が見つけて町が復元しました
お疲れ様です😊廃線跡で保存車両を見つけると嬉しくなりますね🎵森の中にひっそりと残る自然と同化しつつあるプラットホームが、なかなかのけものフレンズ感✨😺✨
廃止から30年経っても、跡地が綺麗に整備されている所が多くて好感が持てますね。
厚床〜標茶の支線?の映像でもコメントしましたが、私は廃止の少し前になるのでしょうか、3月の雪が残るときに、往復しています。一面の雪景色で、駅の記憶はありませんが、終着の根室標津は覚えています。ここからバスで白鳥台へ行って、氷点下の寒い中、白鳥を見てきました。車で回れるようになってから、再び根室標津を訪れ、サーモン館で食事をしました。尾岱沼も行きました。別なときに中標津も宿泊したことがあり、ミルクロード、開陽台と回りました。しかし、駅跡はいずれのときも立ち寄ったことがなく、今回の映像はとても良かったです。駅によって、保存状態がまちまちで、西春別は見応えがありますね。線路跡は道内の他の線と同じく、発見は難しいもので、長い時の流れを感じます。自然と一体となったところが多く、徐々に鉄道があったことが忘れ去られてしまうのでしょうね。
屋外保存なのに車両の状態が比較的綺麗に維持されているのは嬉しいですね。西春別駅跡の鉄道記念公園もしっかり整備されている印象です。くじ引きで別海町を引いたのは大当たりでしたね。
この路線保存車がかなりあって最高ですね‼️
標茶駅懐かしいです。まだSLが走っていた頃に夜、駅で野宿しましたが、当時の雰囲気が残ってますねー。その時は、駅員さんが駅舎の方は寒いからホームの待合室で寝ても良いよって言ってくれて助かりました。当時はすぐ横に機関区がありました。
根室標津駅が薄暗かったので、中標津空港ウォークの前に撮影かと思いきや、厚床から根室標津に行ったんですね、お疲れ様でございます。効率的な撮影をされる綿貫先生にしては珍しい遠回りですね。
次は1日1便の紋別空港からの空港ウォークからの名寄本線跡探訪で。140kmぐらいですからね、なかなかの荒業です。キツさでいえば羽幌線もいい勝負。
上春別駅は草を刈ってくれてる人がいるんですね。なんか泣けてくる。
冬場の積雪もあるのに保存車両がきれいに維持されてますね。
登録者数4.98万人ですね〜!標津線愛されてるな〜保存されてるのではなく、ただ草木に覆われたホームを見られるのは珍しいです!何とか一度は行きたいです!
既に他界した 父が別海町上春別出発ですが、計根別駅が近かったと聞いた事がありました。母が50年以上前に、札幌から滝川・帯広経由で釧路で乗り換えし、標茶で再度乗り換えし計根別まで行ったそうです。
西春別の鉄道記念館にある駅名標は廃線前後の書体で保存されてます。適当に修復されてるのが多い道内の廃線の駅名標の中では、20年以上経ってもほぼ当時の状態にあって、ダントツで保存・修復に力が注がれてることがうかがえるので、いい光景をご覧になったと思います。
ネコがいるところが多和駅なんですね!わかりやすい、、、w
そのあとどうなった編は地味にいいですねいろいろ残してるんですね
北海道内乗り継ぎの旅で訪れたことを思い出しました。滞在時間は短かたったです。この線の大きな駅は中標津、西春別、別海かな。
根室標津駅の駅名票は元々はオレンジ色だったけど色褪せて白くなってしまいましたね。ちょっと盗り鉄が悪さをしそうで心配ではあるけど。廃線後も駅舎とキハ22が2両あったけど95年頃に消えました。西春別は「西春別駅前」と「西春別」の2種類の集落名があって結構紛らわしいです。資料館も以前は標津線関連ビデオが見れたけど、現在は壊れたまま放置プレイされています。
廃線跡の保存車がきれいに残ってくれることをこれからも期待したいです。
12:35 動く目印のある珍しい駅跡地として有名ですねw
これだけ保存物が多いというのはそれだけ地元民に親しまれていた証なんでしょうね
保存車のみならず駅の跡が残っているところが多くて面白かったです
中標津在住経験が有り、標津線跡を探訪してましたが、一番恩恵受けた筈の中標津が保存等に「一番熱量低い」感が有ります。街としては別海が「一番熱量高い」感が有りますね。
廃止跡はまさに「夏草や兵どもが夢の跡」ですね
標津線、こんなに残っている路線もここだけですよね。
懐かしい 根室標津駅
なんか懐かしい。途中の橋脚なども見たかったなぁ。
別海町地域おこし協力隊が上春別のホームに駅名標を設置したようです私もいつまでも大切に地域の遺産を守りたいです
現在JR北海道で動態保存されているC11型171号機が現役時代最後の活躍線区が旧標津線でした。それと旧西春別駅に保存されているD51型は日本政府が旧樺太に補償として輸出したもので旧富内線の振内駅にも保存されています。番号にハイフンがついているので見分け方は簡単です。
湧網線の廃線跡も良かったですよ
敗戦になって相当経つのにきちんと保存されてるのが多いと、地域住民の愛は感じます。一本の動画にまとめてしまうのが惜しいくらい。
4:58の商店で切符売っていました。
西春別は別海町だから別海駅の名称板があって、保存に力をいれているのか。二ヶ所も保存箇所があるのは珍しいかと
かつて私も巡った標津線跡。その時のプレイバック見てるようで楽しかったです。ただその時は、草蒸した中にポツンと残るホーム などは見つけることができず 、ちょっち悔いが残ります。丘陵地帯のアップダウンを繰り返しながら雄大なパイロットファームを行くキハ22。どれほど乗りたかったか‥。
いつか士幌線跡も是非全駅回って欲しいです
道東赴任中に営業でよく標津線周辺まわりました。懐かしい。ありがとうございました。
当幌のそこは、よく警察が速度取締りしてて有名ですね線路跡は映像の林を少し入った所にあった気がしましたが標津線跡って、林に少し入った所にある場所が結構あるのでパッと見、分からないですよ農家同士の敷地の境にあったりするので別海の農家やってる友達の家の隣にも線路跡があって、地震の時に線路跡を脱走した牛達が走ってたと言ってましたね標茶はまだ釧路方面からので使われてて、たまに標茶を抜けて直ぐの踏切のポールが下がってる時がありますね
因みに多和駅は仮乗降場だった国鉄時代は下り2本上り1本のみしか停車しなかった。その中には釧路からの急行しれとこが標茶からの各駅停車区間で停車していた。
jr北海道カラーのJRマーク珍しい!本来は白なんやけど黄緑に塗り替えたんやね
何年か前に標茶→標津→羅臼→知床→斜里って抜けたことがあったな。もちろん1日じゃ無理で羅臼に泊まった。よかったなぁ。さまざまな意味で。
やっぱり別海町は遺構が残っている!
標津駅のC11 離れたところにあったのを転車台まで持ってきたんですね🚂
猫が目印かー。難しいな・・・
次に北海道の廃線駅巡りをするときは幌内線をやってほしいですね
名寄本線を1992年に全区間廃線にしたことに驚き
昔の写真を見る限り、0:58~の文字盤は駅舎正面に掲げられてた物っぽいですね。なぜまた転車台のたもとに置いたんだろう(謎)
かつて根室標津から帯広まで繋がっていた標津線。十勝三股って駅名も知ってる。
あのC11、移設した際圧縮空気で走ることができるようにしたようですが、いまはどうでしょう?
横から失礼いたします。各地に走っている C11207、C11227、C11113が走っていいましたよ。まだ国鉄時代に。
熊居そう…
12:35 目印はネコ…!?いや、ネコはずっとそこにいないダロ…
12:32 その目印動くからw
復活して欲しい
12:16 う~ん、なにもない。
バスが採算取れるわけないから補助金漬けなんだろうけどいずれは自治体も補助金出せなくなって廃止なんだろうな。北海道は公共交通機関が全くない地域ばかりになると予想。
廃線代替バスって、どこも空気輸送状態ですよね沿線の通学客が減っているので、朝夕の登下校時以外は運行しないのでしょう北海道の公共交通網もドン詰まりが近ついてるのかもしれません
標茶に標津、知ってないとどこかどこだかわからなくなりそう。
更地多いですね
10:16カラーコーン猫に見えた。
1:10 腕木式信号機だ…
泉川駅は?
11:26
猫は目印にゃならないでしょうな。
廃駅跡、便所になりがち?
転車台だったり車両だったり残す事でかつて走っていた証拠残していて、行政に感謝
転車台は貨車の方転でも使われます武豊線武豊港駅跡にあり、草むらにおおわれてましたが、地元の小学生が見つけて町が復元しました
お疲れ様です😊
廃線跡で保存車両を
見つけると
嬉しくなりますね🎵
森の中にひっそりと残る
自然と同化しつつある
プラットホームが、
なかなかの
けものフレンズ感✨😺✨
廃止から30年経っても、跡地が綺麗に整備されている所が多くて好感が持てますね。
厚床〜標茶の支線?の映像でもコメントしましたが、私は廃止の少し前になるのでしょうか、3月の雪が残るときに、往復しています。一面の雪景色で、駅の記憶はありませんが、終着の根室標津は覚えています。ここからバスで白鳥台へ行って、氷点下の寒い中、白鳥を見てきました。車で回れるようになってから、再び根室標津を訪れ、サーモン館で食事をしました。尾岱沼も行きました。別なときに中標津も宿泊したことがあり、ミルクロード、開陽台と回りました。しかし、駅跡はいずれのときも立ち寄ったことがなく、今回の映像はとても良かったです。駅によって、保存状態がまちまちで、西春別は見応えがありますね。線路跡は道内の他の線と同じく、発見は難しいもので、長い時の流れを感じます。自然と一体となったところが多く、徐々に鉄道があったことが忘れ去られてしまうのでしょうね。
屋外保存なのに車両の状態が比較的綺麗に維持されているのは嬉しいですね。
西春別駅跡の鉄道記念公園もしっかり整備されている印象です。
くじ引きで別海町を引いたのは大当たりでしたね。
この路線保存車がかなりあって最高ですね‼️
標茶駅懐かしいです。まだSLが走っていた頃に夜、駅で野宿しましたが、当時の雰囲気が残ってますねー。その時は、駅員さんが駅舎の方は寒いからホームの待合室で寝ても良いよって言ってくれて助かりました。当時はすぐ横に機関区がありました。
根室標津駅が薄暗かったので、
中標津空港ウォークの前に撮影かと思いきや、
厚床から根室標津に行ったんですね、お疲れ様でございます。
効率的な撮影をされる綿貫先生にしては珍しい遠回りですね。
次は1日1便の紋別空港からの空港ウォークからの名寄本線跡探訪で。
140kmぐらいですからね、なかなかの荒業です。
キツさでいえば羽幌線もいい勝負。
上春別駅は草を刈ってくれてる人がいるんですね。
なんか泣けてくる。
冬場の積雪もあるのに保存車両がきれいに維持されてますね。
登録者数4.98万人ですね〜!
標津線愛されてるな〜
保存されてるのではなく、ただ草木に覆われたホームを見られるのは珍しいです!
何とか一度は行きたいです!
既に他界した 父が別海町上春別出発ですが、計根別駅が近かったと聞いた事がありました。母が50年以上前に、札幌から滝川・帯広経由で釧路で乗り換えし、標茶で再度乗り換えし計根別まで行ったそうです。
西春別の鉄道記念館にある駅名標は廃線前後の書体で保存されてます。
適当に修復されてるのが多い道内の廃線の駅名標の中では、20年以上経ってもほぼ当時の状態にあって、
ダントツで保存・修復に力が注がれてることがうかがえるので、いい光景をご覧になったと思います。
ネコがいるところが多和駅なんですね!わかりやすい、、、w
そのあとどうなった編は地味にいいですねいろいろ残してるんですね
北海道内乗り継ぎの旅で訪れたことを思い出しました。滞在時間は短かたったです。この線の大きな駅は中標津、西春別、別海かな。
根室標津駅の駅名票は元々はオレンジ色だったけど色褪せて白くなってしまいましたね。ちょっと盗り鉄が悪さをしそうで心配ではあるけど。
廃線後も駅舎とキハ22が2両あったけど95年頃に消えました。
西春別は「西春別駅前」と「西春別」の2種類の集落名があって結構紛らわしいです。
資料館も以前は標津線関連ビデオが見れたけど、現在は壊れたまま放置プレイされています。
廃線跡の保存車がきれいに残ってくれることをこれからも期待したいです。
12:35 動く目印のある珍しい駅跡地として有名ですねw
これだけ保存物が多いというのはそれだけ地元民に親しまれていた証なんでしょうね
保存車のみならず駅の跡が残っているところが多くて面白かったです
中標津在住経験が有り、標津線跡を探訪してましたが、一番恩恵受けた筈の中標津が保存等に「一番熱量低い」感が有ります。街としては別海が「一番熱量高い」感が有りますね。
廃止跡はまさに「夏草や兵どもが夢の跡」ですね
標津線、こんなに残っている路線もここだけですよね。
懐かしい 根室標津駅
なんか懐かしい。途中の橋脚なども見たかったなぁ。
別海町地域おこし協力隊が上春別のホームに駅名標を設置したようです
私もいつまでも大切に地域の遺産を守りたいです
現在JR北海道で動態保存されているC11型171号機が現役時代最後の活躍線区が旧標津線でした。それと旧西春別駅に保存されているD51型は日本政府が旧樺太に補償として輸出したもので旧富内線の振内駅にも保存されています。番号にハイフンがついているので見分け方は簡単です。
湧網線の廃線跡も良かったですよ
敗戦になって相当経つのにきちんと保存されてるのが多いと、地域住民の愛は感じます。
一本の動画にまとめてしまうのが惜しいくらい。
4:58の商店で切符売っていました。
西春別は別海町だから別海駅の名称板があって、保存に力をいれているのか。
二ヶ所も保存箇所があるのは珍しいかと
かつて私も巡った標津線跡。
その時のプレイバック見てるようで楽しかったです。
ただその時は、草蒸した中にポツンと残るホーム などは
見つけることができず 、ちょっち悔いが残ります。
丘陵地帯のアップダウンを繰り返しながら
雄大なパイロットファームを行くキハ22。
どれほど乗りたかったか‥。
いつか士幌線跡も是非全駅回って欲しいです
道東赴任中に営業でよく標津線周辺まわりました。懐かしい。
ありがとうございました。
当幌のそこは、よく警察が速度取締りしてて有名ですね
線路跡は映像の林を少し入った所にあった気がしましたが
標津線跡って、林に少し入った所にある場所が結構あるので
パッと見、分からないですよ
農家同士の敷地の境にあったりするので
別海の農家やってる友達の家の隣にも線路跡があって、地震の時に線路跡を脱走した牛達が走ってたと言ってましたね
標茶はまだ釧路方面からので使われてて、たまに標茶を抜けて直ぐの踏切のポールが下がってる時がありますね
因みに多和駅は仮乗降場だった国鉄時代は下り2本上り1本のみしか停車しなかった。その中には釧路からの急行しれとこが標茶からの各駅停車区間で停車していた。
jr北海道カラーのJRマーク珍しい!本来は白なんやけど黄緑に塗り替えたんやね
何年か前に標茶→標津→羅臼→知床→斜里って抜けたことがあったな。
もちろん1日じゃ無理で羅臼に泊まった。
よかったなぁ。さまざまな意味で。
やっぱり別海町は遺構が残っている!
標津駅のC11 離れたところにあったのを転車台まで持ってきたんですね🚂
猫が目印かー。
難しいな・・・
次に北海道の廃線駅巡りをするときは幌内線をやってほしいですね
名寄本線を1992年に全区間廃線にしたことに驚き
昔の写真を見る限り、0:58~の文字盤は駅舎正面に掲げられてた物っぽいですね。
なぜまた転車台のたもとに置いたんだろう(謎)
かつて根室標津から帯広まで繋がっていた標津線。十勝三股って駅名も知ってる。
あのC11、移設した際圧縮空気で走ることができるようにしたようですが、いまはどうでしょう?
横から失礼いたします。各地に走っている C11207、C11227、C11113が走っていいましたよ。まだ国鉄時代に。
熊居そう…
12:35 目印はネコ…!?
いや、ネコはずっとそこにいないダロ…
12:32 その目印動くからw
復活して欲しい
12:16 う~ん、なにもない。
バスが採算取れるわけないから補助金漬けなんだろうけどいずれは自治体も補助金出せなくなって廃止なんだろうな。
北海道は公共交通機関が全くない地域ばかりになると予想。
廃線代替バスって、どこも空気輸送状態ですよね
沿線の通学客が減っているので、朝夕の登下校時以外は運行しないのでしょう
北海道の公共交通網もドン詰まりが近ついてるのかもしれません
標茶に標津、知ってないとどこかどこだかわからなくなりそう。
更地多いですね
10:16
カラーコーン猫に見えた。
1:10 腕木式信号機だ…
泉川駅は?
11:26
猫は目印にゃならないでしょうな。
廃駅跡、便所になりがち?