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ユーコンってワイヤーが絡んで大変でしたよね。木村とか、パイロットとか、バルサで飛行機つくりましたね。何機か作って飛ばさずじまいでしたが、模型飛行機は楽しかった思い出ですね。50年以上昔をおもいだしますね。
コメントありがとうございます。工作をする楽しみも良い思い出になりますね。私も、丹念に作った35クラスの双発機「屠龍」をテスト飛行をしないまま廃棄することになり残念な思いをしたことがあります。Uコン技術(1974年9月号・No.55)に製作記事が掲載された本は今でも大切に保管しています。懐かしく思っていただき光栄です。ありがとうございました。
@@miyacame Uコン技術、ラジコン技術は、毎日学校に持って行ってみてましたねー。楽しかった思い出です。
@@寺島敏幸-l6s さん沢山写真を残していると思います。大切に保管してください。
当時中学2年でした。赤鷲、天馬号などなど懐かしく浮かんできます。お金持ちの楽しみでしたので、私ら貧乏少年たちが集まって、木村模型さんの09機と15機で1年間ほど楽しみました。当時お世話になった方は亡くなってしまいました。今は、手の届かなかったRCに夢が膨らんでいます。とりあえず古い機種やらエンジンをコレクションしているところです。とても懐かしい貴重な映像をありがとうございます。繰り返し見させていただいています。本当にありがとうございます。
水口信弘さん ご視聴ありがとうございます。当時中学2年生だとチームのメンバーと同じくらいの年代ですね。映像を懐かしく見ていただいて光栄です。私もエンジンのコレクションとまでもいきませんが、プロペラやエンジンなどを今も大切に保管しています。自作のRC機120クラスの複葉機(ニューポール)などを含め、トランスミッターは友人にあげて図面だけが残っています。唯一編集室の壁に、はじめてUコン機を作って飛ばした頃の09クラスの機体(レプリカ)が飾ってあります。また機会がありましたら動画を見にきてください。
Uコンって何かロマンがありましたね。「Uコン技術」という雑誌がありましたが、毎月それを見るのが楽しみでした。現代のおもちゃはどんどんハイテクになっていますが、それよりももっとワクワクドキドキ感があったように思うのは僕だけでしょうか?本当に楽しかったなぁ。。。
straytiger さん コメントありがとうがざいます。たしかにロマンがありましたね。完成品で楽しむこともなく、自作で試行錯誤していた時代が楽しかったですね。テスト飛行の緊迫感、双発機のエンジン音などは魅力がありました。
毎月、楽しみで拝読してたよなって懐かしいです。
チームイチモクサン!40年以上前に旭区でUコンをしていた50過ぎのおじさんです。感動しました。まさかここでM本さんの8ミリが見れるとは、当時私たちは旭区の都岡町近(現在スーパーの駐車場)の田んぼの中でUコン機を飛ばしていました。見よう見まね独学で試行錯誤していた時見慣れないお兄さんがKAWASKI-W!に乗って現れました!その方がM本さんでした。画像の方たちは私たちより少し先輩のwさんたちではないかと思います。チームイチモクサンは初代のwさんたちとその後に私たちと2代にわたって活動した気がします。B17B29、当時中学生だった私たちは憧れと驚きの連続でした。飛行会の様子を写真に撮ってもらってuコン技術に乗せていただいたり自宅に招いてくれたりと本当にお世話になりました。当時の経験が(工作技術、航空力学 エンジン構造 塗装技術)今の仕事に通じています。つい最近木村模型のフェニックスを作りました家内がや息子たちが何これ?と不思議そうにしています。50過ぎのおじさんが当時を思い出して居間に飾って焼酎を飲みながら余韻に浸っています^^こうして横浜の青少年たちは立派な大人になりました!
懐かしく見さしてもらいました。このころ、私はラジコンに移ってましたが、飛ばす場所探しで大変でした。uコンは相棒がいなくては飛ばせません、もう相棒も墓の中です。懐かしく昔を思い出しました。
yasuki tokuhara さん ご試聴ありがとうございます。懐かしく見ていただいて光栄です。ラジコンも飛ばす場所がなく、皆さん同じように苦労していたようですね。昔を思い浮かべながら、いつでもお立ち寄りください。
Uコンで4発のB17は珍しいですね。それも宙返りや背面飛行までこなして! なかなかです!
ご視聴ありがとうございます。単発機をはじめ、双発機でスタントをするメンバーも加わり有意義な時間と経験が出来たと思っています。その昔、B-17・B-29をページェントに展示した時のことですが、山崎 興 さんが四発機のコントロールワイヤーを動かしながら「舵はスタントやな」と呟いていました。確かに昇降舵の動きはスタント機並みでした。
この頃の少年たちは凄いです。ワクワク感が伝わってきますね!
51Vector さん ご視聴ありがとうございます。模型飛行機が好きな少年たちの情熱は計り知れないものがありました。なによりも、物事を素直に研究する気持ちが少年たちにありました。
この少年たちの真剣さと笑顔、自分で作った飛行機が飛ぶ楽しさが伝わってきます。カメラワークも素晴らしく、あの音と匂いまでして漂って来そうですね。私自身Uコンのブランクが長いですが、また復活したいと思います!
昭和50年小学4年。エンヤの09をテストベンチでみんなとエンジンの慣らし運転していただけで楽しかったです。FlghtMaxの燃料の臭いに09エンジンの音。思い出します
ls hiro さん コメントありがとうございます。エンヤ09!懐かしいですね。こんなコメントを頂くと私も昔を思い出します。私が始めて購入したエンジンはフジの09でした。当時は小遣もあまり無く低価格のフジ09エンジンで、マフラーを取り付ける時代でもありませんでした。思うようにエンジンが始動せず、あきらめきれず夕方になって家族のいる部屋の中でバッテリーを繋げてプロペラをクランクしていた頃を思い出します。燃料の臭いと言えば、自分で作るために父親と薬局へ行き「ニトロベンゾール・メチルアルコール・ひまし油」を購入して何%か配合していましたが、間違えて下剤用の「ひまし油」を購入したためペパーミントの様なスーとした臭いが漂っていたことを思い出します。懐かしいですね・・・
あまりの、懐かしさに涙ものです。35年前を思い出しますね。この映像の少年たちと、自分がかさなって、感動です。また、Uコンを始めるとは、思ってなかったですが、この少年たちの方が、はるかに上手ですね。おやじになると、涙もろくて、いけませんねえ。やはり、少年たちは、輝いてますね、ブラボーです!
ひげおやじさん ご試聴ありがとうございます。雑誌にも各地で行われる飛行会などの紹介が掲載されてUコンの最盛期だったかもしれません。懐かしく思っていただきありがとうございます。当時、少年たちは集中力も学力もあり、模型以外のことでも、よく人の話を聞く姿勢がありました。教え甲斐もありました。
30年以上前北九州でUコンをしていたものです。すばらしい映像ですね。見始めてUコン技術からの記憶がよみがえりました。チームイチモクサンですね。「ぼくの愛機です」コーナーのP-38、15四発のB-17,B-29や35双発の屠竜の製作記事,など、興味深く読んだ記憶があります。ハンドルネームから察するに、ご本人でしょうか。 多発機は未経験なので、発進シーンは、興味深く拝見しました。 カメラワークがまたいいですね。通常Uコンの飛行の動画はグルグルと単調になりがちですが、活き活きはつらつとしたUコン少年たちとともに全編軽快な躍動感にあふれていて、まさに「活写」というべきで すばらしいの一言です。 心に残る映像を、ありがとうございます。 最近は高校生の息子のRC機に付き合うばかりですが、昔のキットをまた作ろうかなと、いまそんな気分です。
栗原さん ご視聴ありがとうございます。そうでしたね、Uコン少年を見つけて藪をガサガサとかき分け、声をかけたのが当時YO〇さんのグループでしたね。KAWASAKI-W1S ! 懐かしいですね。W1Sはサウンドが好きで1台目2台目共に新車を乗り続けました。ヨーロッパスタイルでブレーキとチェンジギアが国産と反対でした。一期生のW〇さん、I〇さんに出会う前は、自動発進装置を作り、一人で白根公園で09クラスのUコンを飛ばしていました。そのうちにエンジンの音を聞き、遠巻きに見ている少年 I〇さんと出会い「僕もやりたい!」の一言がきっかけで、集まり始めたチームでした。当時、模型とはいえ航空力学について (テーパー翼の平均翼弦や主翼面積の求め方など) 熱弁したかもしれませんね。フェニックス! これも懐かしいですねー。50過ぎはまだまだ若い! 、これからですよ。私は50後半でサラリーマンを辞め映像の世界に飛び込んで苦労を味わいましたが、学ぶことがいっぱいです。
今の子供たちはバーチャル的なゲームばかりしているようですが、たとえローテクでも現実の世界で実際に存在するモノを使って遊ぶことの方が、バーチャルより何百倍も楽しいし、意義もあるように思います。なぜなら、バーチャルの世界で何かがいくらうまくできたとしても、現実の世界では何もうまくできないからです。
straymouse さん コメントありがとうございます。こつこつと材料を切り出すことから始まり、ひとつの作品(物)が出来上がる。まさに作り手の器用さと根気が必要な物造りがあるように、ゲームも始めから上手くできるものでもなく、根気よく続けることで上達し、いつしか新しい「ソフト」をつくってしまう可能性もあるかもしれません。気付かないうちに、その技術が将来に繋がることも・・・
この4発のスケール機はUコン技術の表紙になったものでしょうか?
難波隆弘 さん ご視聴ありがとうございます。ありがたいことに 1974年1月号(No.46)の表紙になりました。テスト飛行のレポート記事も、その号にありますが、もう49年前のことになりますね。製作記事は、73年10月号・11月号に図面と製作手順や写真を掲載していただきました。表紙の写真をご存じとは・・・懐かしいですね。
@@miyacame さん私は中学の時Uコン少年だったのでUコン技術は隔月時代から購読しておりました。あの頃は小さなエンジンがかかってひまし油の匂いがするだけでときめいていました。
@@難波隆弘-x9n さん コメントありがとうございます。始動したときのエンジン音と共に周辺に漂うひまし油の匂い。好きな人は、その匂いがたまらなかったでしょうね。最近のグロー燃料はどんな匂いなのか、一度嗅いでみたいですね。
懐かしいですね、最近は、エンジンの始動に小型エンジンでもスターターを使いますが、当時は、手で始動するのが当たり前でした。粗悪なエンジン、燃料で、しかも中古で、まともな修理もせずに、(メーカーでも知識が無いので出来ない)時代でした。手で叩いても始動しないので、手が痛くなり、スリッパで叩いたら、キャブがスリッパに付いていた泥で泥まみれになりました。懐かしい思い出です。
mirror stone さん ご視聴ありがとうございます。なかなかエンジンの始動しない当時の光景が目に浮かぶようで懐かしいですね。私も、Uコンを始めたころは、エンジンの始動中に思いがけなく早くかかり、よくプロペラで指を叩かれて痛い思いをしたことがあります。それでも、当時は一生懸命でした。指に残る傷も懐かしいですね。
こんにちは。昔は、ほんとにエンジンが始動しませんでしたね、嫌になって家に帰り、夜に、室内でクランクしたら、一発で始動して慌てました。こんな事をしたのは、私だけだと思っていましたが、昔からの、マニヤの方なら、一度は経験されているようです。念願のシングルステックの送信機も製作したので、今、FMSで練習中です。画像の画質の件は、荒れ、乱れも、値打ちだと思います、歴史を感じる事ができますから。気がついたら、もう、50年も時間が経過していました、、、、(笑い)
ご無沙汰しております。ふと、チームイチモクサンが頭に、浮かんで検索したら懐かしい映像が出てきてびっくりしました❗46年前の自分や皆さんの姿が、昨日のことのようによみがえりました。現在私は、相変わらず模型やってますよ!20年ほど前からRC空ものを、やりはじめ、8年前からは、今でゆうドローンをやってます。また、あの時のように集まれたらとおもいます。
ひろあき わたなべ さん 懐かしいですね。古い映像の画質が当時を物語るように、懐かしさと思い出が浮かんできます。RCも長くやっているようですが、最近では流行のドローン(マルチコプター)?も飛行する条件が規制されて難しくなってきましたね。常識やモラルを考えずに行なう、一部の出来事で規制される対称になってしまい、模型の扉が狭くなってしまいました・・・。現在でも、初めて手にした09クラスのUC機が一機だけ編集室に飾っています。
此の度は貴重な映像を楽しく拝見いたしました。テレシネは綺麗ですね、当倉敷ムービーサークルでは20年前まで8ミリで映像発表会を行ていましたが、filmの入手困難で現在はビデオ映像発表会を毎年行っています。今年で36回目を迎えてます。ご健闘下さい。
+倉敷ムービーサークル さん ご視聴ありがとうございます。8mmからビデオへ、時代の流れを感じます。 36回目のサークルでの発表会!も仲間と楽しそうですね。発表会の様子をupしてみるのも面白いかもしれません。8mmフィルムの楽しみは、スプライナーでフィルムをカットしたり繋いだりするところにあるのかもしれません。カタカタと映写機の音を聞きながら、これといったBGMが無くても楽しく映像を見ることができたような気がします。当時、3分ほどのフィルムを無駄なく利用するには、どんなカットを撮れば良いのか試行錯誤しながら撮影をしていたことを思い出します。
40年前 中学校に通っていたころでエンジン模型は憧れでUコンを知って親にねだって エンジンを買ってもらってスクラッパーだったかな?一番安い機体を購入し始めた記憶が思い出す 多摩川河川敷で飛ばした規制が少なくいい時代だったのかもしれないいまでも エンヤ OS FUJI など思い出しますね
Rainz Freemanさん ご試聴ありがとうございます。当時のチームメンバーは、自分で小遣いを貯めて部品を購入していました。
uso souさん ご視聴ありがとうございます。当時、三強といわれた方々の名前は懐かしいですね。もう一人、茅ヶ崎のCHAC所属の原さんという方も強豪といわれていました。38年保存されていたエンジンを処分!・・・もったいないですね。私は、当時のエンジンやプロペラなどを今でも保管していますが、なかでも珍しいのはディーゼルエンジンで、始動するにはコツがありました。雑誌に製作記事が掲載されたものもや、クラブの紹介写真なども含め貴重な記録として保管しています。それに、はじめてUコン機を作り飛行させた思い出深い飛行機(復元)は、今も残してあります。
詳しく丁寧な説明有り難うございます! やはり旭区でしたか、実は一人一緒に高校時代にUコンを飛ばした人に似てるな~と思ったので、当時彼は双発機を飛ばして、見事なスタント演技でしたので!確信が出来ました!
Mandmako Utsuさん ご視聴ありがとうございます。40年前のことですので今はこの公園でUコンを楽しむ姿は見られません。しかし、この公園は現在も残っています。横浜の旭区に「よこはま動物園ズーラシア」という大きな動物園がありますが、その近くの「白根大池公園グランド」になります。少年野球が盛んなところです。双発機編隊飛行の場所は、白根神社の脇で通称「白根公園」といっていましたが、この公園は少し小さくなっているようです。いずれの公園も目の前に交番があります。
貴重な映像本当に、ありがとうございます。
これは貴重な映像ですね!8mmでよくこれだけ長時間撮影されていましたねー。すばらしいです!実は私も40年前、中1の頃、愛知でUコンを飛ばしてました。当時を思い出すような気がしますね。毎月「Uコン時代」を買って、確か佐々木正司氏(だったかな)のプリンスシリーズ、山崎与氏のREONA,藤田氏の飛燕の記事がいつも載ってて、非常に憧れたものです。実は丁度2年前38年保存しておいたREONAの残骸とENYAエンジンを処分しました。今思うと保存しておいたほうがよかったかなって思ってます。
貴重な映像楽しめました!この、Uコン飛行機を飛ばしている場所は、何処でしょうか?
koji Katakuraさん ご視聴ありがとうございます。高校生の息子さんと一緒にRC機を楽しめるなんて羨ましい限りですね。「チームイチモクサン」! 懐かしいですね。少年たちと私のUコンのクラブ名でした。「僕の愛機です」はすっかり忘れていました。それにしても製作記事を興味深く読んでくれていた読者がありがたいと思います。「こぼれ話」は、憧れだった今は亡き映画評論家の淀川長治さんの語り口を真似て書いたもので、編集部・友人知人からも好評でした。製作記事を書くことに伴い一眼レフカメラを購入したのもその頃です。図面と工作段階を写真に残すのも記録になりました。35双発の「屠龍」の製作は少々コクピットにこだわってしまい、最終的にテスト飛行をせずに数年後には無残な姿になってしまいましたが・・・ちなみに、当時購入したカメラはオリンパスの一眼レフカメラでした。RCの動画 「すばらしきヒコーキ野郎」にも立ち寄ってください。映像はボロボロですが・・・
捻れた翼ばっかりつくって飛ばしてました、楽しかったなって過去を思い出しました。
あーくんうみんちゅ さん ご視聴ありがとうございます。楽しかった頃の思い出になり嬉しいです。私が始めて作った09クラスの機体は、レプリカですが一機だけ今も壁に飾っています。エンジンも大切に保管しています。コメントを頂くとなんとなくエンジンを眺めてみたい思いがあります。
懐かしいです、私も、やってました。
ご視聴ありがとうございます。ときどき、私も懐かしく思いBDを見ています。はじめてUC機を見たのは、横須賀の臨海公園というところでした。確か09クラスの機体で、大人の方と中学生ぐらいの人が「面白いからやって見な」と声をかけられたことを記憶しています。作ってみたいと思いもあり、その機体と同じかどうか分かりませんが、初めて09クラスの機体を買って作りました。当時の機体はレプリカですが今も残っています。
情報有り難うございます!私の知っている人は7分20秒から操縦している○miyaさんですね!私と飛ばした時は多摩川河川敷迄電車で双発機を持って来てくれました!
そうでしたか・・・双発機でスタントをしていたのはW〇さんでしたが、数年前に逢った時は〇〇公務員になっていました。映像には映っていないT〇さんは、現役の航空〇〇〇でがんばっています。昔話でもしながら、飲食会もいいですね・・・
ありがとうございます。N〇さんでしたか。N〇さん、W〇さんも当時は模型飛行機に興味を示していたので上達は早かったですよ。多摩川河川敷といえば登戸のグランドでUコン大会に出たことがありますが、川遊びに夢中でした・・・
4:28 MARIKO KATAYAMAとはw
唐澤貴洋唐澤洋 さん ご視聴ありがとうございます。当時、近所に住んでいた小学生でアイドル的な存在の女の子でした。
@@miyacame さんいいっすね。自分も好きな女の子の家を鉄道ジオラマの一角に作ったりしてますw
@@唐澤貴洋唐澤洋 さんひょっとしてNゲージでしょうか・・・?実は私もC-11・C-62・D51・EF57・EF15・EF13 等々をコレクションしています。懐かしい形の車両を眺めているのも楽しいですね。本格的な鉄道ジオラマには程遠いのですが、たまにレールをセットして動かしています。動きが愛らしくて何とも言えません。
ユーコンってワイヤーが絡んで大変でしたよね。木村とか、パイロットとか、バルサで飛行機つくりましたね。何機か作って飛ばさずじまいでしたが、模型飛行機は楽しかった思い出ですね。50年以上昔をおもいだしますね。
コメントありがとうございます。
工作をする楽しみも良い思い出になりますね。
私も、丹念に作った35クラスの双発機「屠龍」をテスト飛行をしないまま廃棄することになり残念な思いをしたことがあります。
Uコン技術(1974年9月号・No.55)に製作記事が掲載された本は今でも大切に保管しています。懐かしく思っていただき光栄です。
ありがとうございました。
@@miyacame Uコン技術、ラジコン技術は、毎日学校に持って行ってみてましたねー。楽しかった思い出です。
@@寺島敏幸-l6s さん
沢山写真を残していると思います。大切に保管してください。
当時中学2年でした。赤鷲、天馬号などなど懐かしく浮かんできます。お金持ちの楽しみでしたので、私ら貧乏少年たちが集まって、木村模型さんの09機と15機で1年間ほど楽しみました。当時お世話になった方は亡くなってしまいました。今は、手の届かなかったRCに夢が膨らんでいます。とりあえず古い機種やらエンジンをコレクションしているところです。とても懐かしい貴重な映像をありがとうございます。繰り返し見させていただいています。本当にありがとうございます。
水口信弘さん ご視聴ありがとうございます。
当時中学2年生だとチームのメンバーと同じくらいの年代ですね。映像を懐かしく見ていただいて光栄です。私もエンジンのコレクションとまでもいきませんが、プロペラやエンジンなどを今も大切に保管しています。
自作のRC機120クラスの複葉機(ニューポール)などを含め、トランスミッターは友人にあげて図面だけが残っています。
唯一編集室の壁に、はじめてUコン機を作って飛ばした頃の09クラスの機体(レプリカ)が飾ってあります。
また機会がありましたら動画を見にきてください。
Uコンって何かロマンがありましたね。「Uコン技術」という雑誌がありましたが、毎月それを見るのが楽しみでした。
現代のおもちゃはどんどんハイテクになっていますが、それよりももっとワクワクドキドキ感があったように思うのは僕だけでしょうか?本当に楽しかったなぁ。。。
straytiger さん コメントありがとうがざいます。
たしかにロマンがありましたね。
完成品で楽しむこともなく、自作で試行錯誤していた時代が楽しかったですね。
テスト飛行の緊迫感、双発機のエンジン音などは魅力がありました。
毎月、楽しみで拝読してたよなって懐かしいです。
チームイチモクサン!40年以上前に旭区でUコンをしていた50過ぎのおじさんです。感動しました。まさかここでM本さんの8ミリが見れるとは、当時私たちは旭区の都岡町近(現在スーパーの駐車場)の田んぼの中でUコン機を飛ばしていました。見よう見まね独学で試行錯誤していた時見慣れないお兄さんがKAWASKI-W!に乗って現れました!その方がM本さんでした。画像の方たちは私たちより少し先輩のwさんたちではないかと思います。チームイチモクサンは初代のwさんたちとその後に私たちと2代にわたって活動した気がします。B17B29、当時中学生だった私たちは憧れと驚きの連続でした。飛行会の様子を写真に撮ってもらってuコン技術に乗せていただいたり自宅に招いてくれたりと本当にお世話になりました。当時の経験が(工作技術、航空力学 エンジン構造 塗装技術)今の仕事に通じています。つい最近木村模型のフェニックスを作りました家内がや息子たちが何これ?と不思議そうにしています。50過ぎのおじさんが当時を思い出して居間に飾って焼酎を飲みながら余韻に浸っています^^こうして横浜の青少年たちは立派な大人になりました!
懐かしく見さしてもらいました。このころ、私はラジコンに移ってましたが、飛ばす場所探しで大変でした。uコンは相棒がいなくては飛ばせません、もう相棒も墓の中です。懐かしく昔を思い出しました。
yasuki tokuhara さん ご試聴ありがとうございます。
懐かしく見ていただいて光栄です。
ラジコンも飛ばす場所がなく、皆さん同じように苦労していたようですね。
昔を思い浮かべながら、いつでもお立ち寄りください。
Uコンで4発のB17は珍しいですね。それも宙返りや背面飛行までこなして! なかなかです!
ご視聴ありがとうございます。
単発機をはじめ、双発機でスタントをするメンバーも加わり有意義な時間と経験が出来たと思っています。
その昔、B-17・B-29をページェントに展示した時のことですが、山崎 興 さんが四発機のコントロールワイヤーを動かしながら「舵はスタントやな」と呟いていました。確かに昇降舵の動きはスタント機並みでした。
この頃の少年たちは凄いです。ワクワク感が伝わってきますね!
51Vector さん ご視聴ありがとうございます。
模型飛行機が好きな少年たちの情熱は計り知れないものがありました。なによりも、物事を素直に研究する気持ちが少年たちにありました。
この少年たちの真剣さと笑顔、自分で作った飛行機が飛ぶ楽しさが伝わってきます。
カメラワークも素晴らしく、あの音と匂いまでして漂って来そうですね。
私自身Uコンのブランクが長いですが、また復活したいと思います!
昭和50年小学4年。エンヤの09をテストベンチでみんなとエンジンの慣らし運転していただけで楽しかったです。FlghtMaxの燃料の臭いに09エンジンの音。思い出します
ls hiro さん コメントありがとうございます。
エンヤ09!懐かしいですね。こんなコメントを頂くと私も昔を思い出します。
私が始めて購入したエンジンはフジの09でした。当時は小遣もあまり無く低価格のフジ09エンジンで、マフラーを取り付ける時代でもありませんでした。
思うようにエンジンが始動せず、あきらめきれず夕方になって家族のいる部屋の中でバッテリーを繋げてプロペラをクランクしていた頃を思い出します。
燃料の臭いと言えば、自分で作るために父親と薬局へ行き「ニトロベンゾール・メチルアルコール・ひまし油」を購入して何%か配合していましたが、
間違えて下剤用の「ひまし油」を購入したためペパーミントの様なスーとした臭いが漂っていたことを思い出します。
懐かしいですね・・・
あまりの、懐かしさに涙ものです。35年前を思い出しますね。この映像の少年たちと、自分がかさなって、感動です。また、Uコンを始めるとは、思ってなかったですが、この少年たちの方が、はるかに上手ですね。おやじになると、涙もろくて、いけませんねえ。やはり、少年たちは、輝いてますね、ブラボーです!
ひげおやじさん ご試聴ありがとうございます。
雑誌にも各地で行われる飛行会などの紹介が掲載されてUコンの最盛期だったかもしれません。懐かしく思っていただきありがとうございます。
当時、少年たちは集中力も学力もあり、模型以外のことでも、よく人の話を聞く姿勢がありました。
教え甲斐もありました。
30年以上前北九州でUコンをしていたものです。すばらしい映像ですね。見始めてUコン技術からの記憶がよみがえりました。チームイチモクサンですね。「ぼくの愛機です」コーナーのP-38、15四発のB-17,B-29や35双発の屠竜の製作記事,など、興味深く読んだ記憶があります。ハンドルネームから察するに、ご本人でしょうか。 多発機は未経験なので、発進シーンは、興味深く拝見しました。 カメラワークがまたいいですね。通常Uコンの飛行の動画はグルグルと単調になりがちですが、活き活きはつらつとしたUコン少年たちとともに全編軽快な躍動感にあふれていて、まさに「活写」というべきで すばらしいの一言です。 心に残る映像を、ありがとうございます。 最近は高校生の息子のRC機に付き合うばかりですが、昔のキットをまた作ろうかなと、いまそんな気分です。
栗原さん ご視聴ありがとうございます。
そうでしたね、Uコン少年を見つけて藪をガサガサとかき分け、声をかけたのが当時YO〇さんのグループでしたね。
KAWASAKI-W1S ! 懐かしいですね。
W1Sはサウンドが好きで1台目2台目共に新車を乗り続けました。ヨーロッパスタイルでブレーキとチェンジギアが国産と反対でした。
一期生のW〇さん、I〇さんに出会う前は、自動発進装置を作り、一人で白根公園で09クラスのUコンを飛ばしていました。そのうちにエンジンの音を聞き、遠巻きに見ている少年 I〇さんと出会い「僕もやりたい!」の一言がきっかけで、集まり始めたチームでした。
当時、模型とはいえ航空力学について (テーパー翼の平均翼弦や主翼面積の求め方など) 熱弁したかもしれませんね。
フェニックス! これも懐かしいですねー。
50過ぎはまだまだ若い! 、これからですよ。私は50後半でサラリーマンを辞め映像の世界に飛び込んで苦労を味わいましたが、学ぶことがいっぱいです。
今の子供たちはバーチャル的なゲームばかりしているようですが、たとえローテクでも現実の世界で実際に存在するモノを使って遊ぶことの方が、バーチャルより何百倍も楽しいし、意義もあるように思います。なぜなら、バーチャルの世界で何かがいくらうまくできたとしても、現実の世界では何もうまくできないからです。
straymouse さん コメントありがとうございます。
こつこつと材料を切り出すことから始まり、ひとつの作品(物)が出来上がる。まさに作り手の器用さと根気が必要な物造りがあるように、ゲームも始めから上手くできるものでもなく、根気よく続けることで上達し、いつしか新しい「ソフト」をつくってしまう可能性もあるかもしれません。
気付かないうちに、その技術が将来に繋がることも・・・
この4発のスケール機はUコン技術の表紙になったものでしょうか?
難波隆弘 さん ご視聴ありがとうございます。
ありがたいことに 1974年1月号(No.46)の表紙になりました。
テスト飛行のレポート記事も、その号にありますが、もう49年前のことになりますね。
製作記事は、73年10月号・11月号に図面と製作手順や写真を掲載していただきました。
表紙の写真をご存じとは・・・懐かしいですね。
@@miyacame さん
私は中学の時Uコン少年だったのでUコン技術は隔月時代から購読しておりました。
あの頃は小さなエンジンがかかってひまし油の匂いがするだけでときめいていました。
@@難波隆弘-x9n さん コメントありがとうございます。
始動したときのエンジン音と共に周辺に漂うひまし油の匂い。好きな人は、その匂いがたまらなかったでしょうね。
最近のグロー燃料はどんな匂いなのか、一度嗅いでみたいですね。
懐かしいですね、最近は、エンジンの始動に小型エンジンでもスターターを
使いますが、当時は、手で始動するのが当たり前でした。
粗悪なエンジン、燃料で、しかも中古で、まともな修理もせずに、(メーカーでも知識が無いので出来ない)時代でした。
手で叩いても始動しないので、手が痛くなり、スリッパで叩いたら、キャブが
スリッパに付いていた泥で泥まみれになりました。
懐かしい思い出です。
mirror stone さん ご視聴ありがとうございます。なかなかエンジンの始動しない当時の光景が目に浮かぶようで懐かしいですね。
私も、Uコンを始めたころは、エンジンの始動中に思いがけなく早くかかり、よくプロペラで指を叩かれて痛い思いをしたことがあります。
それでも、当時は一生懸命でした。
指に残る傷も懐かしいですね。
こんにちは。昔は、ほんとにエンジンが
始動しませんでしたね、嫌になって家に
帰り、夜に、室内でクランクしたら、一発で
始動して慌てました。
こんな事をしたのは、私だけだと思っていましたが、昔からの、マニヤの方なら、一度は経験されているようです。
念願のシングルステックの送信機も製作したので、今、FMSで練習中です。
画像の画質の件は、荒れ、乱れも、値打ちだと
思います、歴史を感じる事ができますから。
気がついたら、もう、50年も時間が経過していました、、、、
(笑い)
ご無沙汰しております。ふと、チームイチモクサンが頭に、浮かんで検索したら懐かしい映像が出てきてびっくりしました❗46年前の自分や皆さんの姿が、昨日のことのようによみがえりました。現在私は、相変わらず模型やってますよ!20年ほど前からRC空ものを、やりはじめ、8年前からは、今でゆうドローンをやってます。また、あの時のように集まれたらとおもいます。
ひろあき わたなべ さん 懐かしいですね。
古い映像の画質が当時を物語るように、懐かしさと思い出が浮かんできます。
RCも長くやっているようですが、最近では流行のドローン(マルチコプター)?も飛行する条件が規制されて難しくなってきましたね。
常識やモラルを考えずに行なう、一部の出来事で規制される対称になってしまい、模型の扉が狭くなってしまいました・・・。
現在でも、初めて手にした09クラスのUC機が一機だけ編集室に飾っています。
此の度は貴重な映像を楽しく拝見いたしました。テレシネは綺麗ですね、当倉敷ムービーサークルでは20年前まで8ミリで映像発表会を行ていましたが、filmの入手困難で現在はビデオ映像発表会を毎年行っています。今年で36回目を迎えてます。ご健闘下さい。
+倉敷ムービーサークル さん ご視聴ありがとうございます。
8mmからビデオへ、時代の流れを感じます。
36回目のサークルでの発表会!も仲間と楽しそうですね。発表会の様子をupしてみるのも面白いかもしれません。
8mmフィルムの楽しみは、スプライナーでフィルムをカットしたり繋いだりするところにあるのかもしれません。カタカタと映写機の音を聞きながら、これといったBGMが無くても楽しく映像を見ることができたような気がします。
当時、3分ほどのフィルムを無駄なく利用するには、どんなカットを撮れば良いのか試行錯誤しながら撮影をしていたことを思い出します。
40年前 中学校に通っていたころで
エンジン模型は憧れでUコンを知って
親にねだって エンジンを買ってもらって
スクラッパーだったかな?一番安い機体を購入し
始めた記憶が思い出す 多摩川河川敷で飛ばした
規制が少なくいい時代だったのかもしれない
いまでも エンヤ OS FUJI など思い出しますね
Rainz Freemanさん ご試聴ありがとうございます。
当時のチームメンバーは、自分で小遣いを貯めて部品を購入していました。
uso souさん ご視聴ありがとうございます。
当時、三強といわれた方々の名前は懐かしいですね。もう一人、茅ヶ崎のCHAC所属の原さんという方も強豪といわれていました。
38年保存されていたエンジンを処分!・・・もったいないですね。
私は、当時のエンジンやプロペラなどを今でも保管していますが、なかでも珍しいのはディーゼルエンジンで、始動するにはコツがありました。
雑誌に製作記事が掲載されたものもや、クラブの紹介写真なども含め貴重な記録として保管しています。
それに、はじめてUコン機を作り飛行させた思い出深い飛行機(復元)は、今も残してあります。
詳しく丁寧な説明有り難うございます! やはり旭区でしたか、実は一人一緒に高校時代にUコンを飛ばした人に似てるな~と思ったので、当時彼は双発機を飛ばして、見事なスタント演技でしたので!
確信が出来ました!
Mandmako Utsuさん ご視聴ありがとうございます。
40年前のことですので今はこの公園でUコンを楽しむ姿は見られません。
しかし、この公園は現在も残っています。
横浜の旭区に「よこはま動物園ズーラシア」という大きな動物園がありますが、その近くの「白根大池公園グランド」になります。少年野球が盛んなところです。
双発機編隊飛行の場所は、白根神社の脇で通称「白根公園」といっていましたが、この公園は少し小さくなっているようです。いずれの公園も目の前に交番があります。
貴重な映像本当に、ありがとうございます。
これは貴重な映像ですね!8mmでよくこれだけ長時間撮影されていましたねー。すばらしいです!実は私も40年前、中1の頃、愛知でUコンを飛ばしてました。当時を思い出すような気がしますね。毎月「Uコン時代」を買って、確か佐々木正司氏(だったかな)のプリンスシリーズ、山崎与氏のREONA,藤田氏の飛燕の記事がいつも載ってて、非常に憧れたものです。実は丁度2年前38年保存しておいたREONAの残骸とENYAエンジンを処分しました。今思うと保存しておいたほうがよかったかなって思ってます。
貴重な映像楽しめました!この、Uコン飛行機を飛ばしている場所は、何処でしょうか?
koji Katakuraさん ご視聴ありがとうございます。
高校生の息子さんと一緒にRC機を楽しめるなんて羨ましい限りですね。
「チームイチモクサン」! 懐かしいですね。少年たちと私のUコンのクラブ名でした。
「僕の愛機です」はすっかり忘れていました。それにしても製作記事を興味深く読んでくれていた読者がありがたいと思います。
「こぼれ話」は、憧れだった今は亡き映画評論家の淀川長治さんの語り口を真似て書いたもので、編集部・友人知人からも好評でした。
製作記事を書くことに伴い一眼レフカメラを購入したのもその頃です。
図面と工作段階を写真に残すのも記録になりました。
35双発の「屠龍」の製作は少々コクピットにこだわってしまい、最終的にテスト飛行をせずに数年後には無残な姿になってしまいましたが・・・
ちなみに、当時購入したカメラはオリンパスの一眼レフカメラでした。
RCの動画 「すばらしきヒコーキ野郎」にも立ち寄ってください。映像はボロボロですが・・・
捻れた翼ばっかりつくって飛ばしてました、楽しかったなって過去を思い出しました。
あーくんうみんちゅ さん ご視聴ありがとうございます。楽しかった頃の思い出になり嬉しいです。私が始めて作った09クラスの機体は、レプリカですが一機だけ今も壁に飾っています。エンジンも大切に保管しています。コメントを頂くとなんとなくエンジンを眺めてみたい思いがあります。
懐かしいです、私も、やってました。
ご視聴ありがとうございます。
ときどき、私も懐かしく思いBDを見ています。
はじめてUC機を見たのは、横須賀の臨海公園というところでした。確か09クラスの機体で、大人の方と中学生ぐらいの人が「面白いからやって見な」と声をかけられたことを記憶しています。
作ってみたいと思いもあり、その機体と同じかどうか分かりませんが、初めて09クラスの機体を買って作りました。当時の機体はレプリカですが今も残っています。
情報有り難うございます!
私の知っている人は7分20秒から操縦している○miyaさんですね!私と飛ばした時は多摩川河川敷迄電車で双発機を持って来てくれました!
そうでしたか・・・双発機でスタントをしていたのはW〇さんでしたが、数年前に逢った時は〇〇公務員になっていました。
映像には映っていないT〇さんは、現役の航空〇〇〇でがんばっています。
昔話でもしながら、飲食会もいいですね・・・
ありがとうございます。
N〇さんでしたか。
N〇さん、W〇さんも当時は模型飛行機に興味を示していたので上達は早かったですよ。
多摩川河川敷といえば登戸のグランドでUコン大会に出たことがありますが、川遊びに夢中でした・・・
4:28 MARIKO KATAYAMAとはw
唐澤貴洋唐澤洋 さん ご視聴ありがとうございます。
当時、近所に住んでいた小学生でアイドル的な存在の女の子でした。
@@miyacame さん
いいっすね。自分も好きな女の子の家を鉄道ジオラマの一角に作ったりしてますw
@@唐澤貴洋唐澤洋 さん
ひょっとしてNゲージでしょうか・・・?
実は私もC-11・C-62・D51・EF57・EF15・EF13 等々をコレクションしています。
懐かしい形の車両を眺めているのも楽しいですね。本格的な鉄道ジオラマには程遠いのですが、たまにレールをセットして動かしています。動きが愛らしくて何とも言えません。