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ファンだと自称する人達だけが彼に頑張れ、やってみせてと言っていた。「(勝手に)頑張って」「(外野から)応援する」だった。アンチと呼ばれる山屋は「無謀だ」「下山しろ」と叫んだ。最後まで科学的に論理的に彼をとめようとしたのは…ただの美談じゃなくて、本当に起こったSNSの悲劇。今もそう信じている。彼は挑戦していたのではないよ、無謀をおこしていた。言葉を選んで話す野口さんに脱帽。。
手作りの翼を着けてエッフェル塔から飛んだ男の話を思い出した。下で見守っていた観衆は無責任な喝采を送って…。事後には死体が転がり、観衆たちは立ち去っていた。この話(実話)を思い出しました。
ピオレドール賞を受賞した日本人最高峰の登山家、山野井泰史さんが、受賞時のインタヴューで「山をやる人に頑張れと言う応援はいらない」と言っていました。死と隣り合わせになる行動に、応援は合わないんだと。それが全てだと思います。栗木さんのやってきたことに、言いたいことはいっぱいありましたけど、最後は命で落とし前をつけた。だから、もう何も言わない。山に挑戦するということはそういうことだから。合掌。
応援や批判が時にプレッシャーになり判断を鈍らせる事に繋がったのかも。登山はもっと独りよがりでよい。そういう世界だと。考えさせられるコメントです。
家族や恋人なら頑張って、よりも、無理しないで、ダメだと思ったら引き返せ、と言うでしょうね。
地獄への道は善意で舗装されている、という言葉があるそうです。登山を職業にすると、難しい山に挑戦していく運命になるけど、登山はお金がかかるので、登山家はスポンサーと契約すれば自分の望む山に登りたい時の経費の負担が楽になる。
野口さんの言葉、本当に心に刺さります。
愛だなぁ。野口さんの言葉が栗城さんの心に届いていたならきっとまだ…。
すごく良質な動画を見た思いです。かなり言葉を選び、過去の記憶をよく辿り、これ以上ない説得力と、優しさと、野口さんの人柄が出ていました。最後に会った時の「テンションの低さ」。何かを予感させるには十分だったのかもしれません。想像するに、栗城さん本人も「本当はできないのではないか?」「本当はやりたくない。」と感じていたのではないでしょうか。もしかしたら「今回の登山で死んでもいい。死にたい。」とすら思っていたのでは?栗城さんのスタイルに必要以上に口を出さず、しかし、「やはりこれだけは伝えたい、解って欲しい!」ということを必要十分な言葉で栗城さんに伝えた野口さんの、死亡を告げる一報を聞いた時の落胆は、想像に余りあります。とても答えにくい質問に、丁寧に、しかし結局ほぼ本音で全力で答えた野口さんのこの動画は、とてもためになります。
栗木さんを語る他動画から、こちらに辿り着きました。野口さんの愛ある語りを聴け良かったです。栗木さん、マスコミとの契約など色々あって最後は引くに引けず相当苦しかったんじゃないかなと…野口さんの優しい語り口で救われました。
自分も同様の感想を抱きました。野口さんの真摯な人柄がよくわかる動画でしたね。ざっと観るつもりが誠実な語り口に引き込まれて結局すべてを観ました。栗城さんのことを本当に心配していたのがわかります。
野口さんは、大人ですね。言葉を選びながら自分の伝えたい事を喋ってる。 そして自分の中で後悔と言う2文字を抱えて居るのが、伝わります。
高地で生まれ育ってるとは言え、その登山を支えてるシェルパの人達って凄いなー
深すぎて言葉が出ない。言葉選びが秀逸すぎます。ただ応援する事がその人の為になる訳ではないって事。大事な教訓になりました。
言葉を慎重に選ぶ野口さに愛を感じますね。
辛辣なことを言うのは簡単だけど、素敵な方ですよね😊💕
「時に夢に殺される・・・」 「夢は希望を与える」とはよく言いますが、とても考えさせられる言葉です
SNS上の応援の声が本当に”応援”なのか。これは栗城氏だけじゃなく、すべてのSNS上で活動する人に当てはまる言葉だなぁ。
「夢は時に人をころすことがある」「間違いなく人に夢を与えていた」「捨てることで何かを掴める」「応援する側の教訓」
ただ山に登るだけでは金にならない。スポンサーを付けるにはそれなりにインパクトのある事をしなければならない。栗城さんはその点上手かったが、それが彼を制限し後に引けない状況を作ってしまったんだと思います。
栗城氏を直接知っている友人としての配慮が感じられる、とても良い話でした。そして、『何かを捨てる』という考え方は自分の人生にとても参考になります。貴重な話、どうも有難う御座いました。
栗城さんについて調べていてこちらの動画拝見致しました。『夢』との付き合い方。応援することの『責任』。わかりやすい言葉かつ、適切であり野口氏の人間性に興味を持ちました。為になる経験の共有誠にありがとうございました。
とても言葉を選んで話して頂きありがとうございます。しっかりと伝わりました。
いいお話をありがとうございました。当時、見ていた熱狂とか、批判とか思い出しながら、批判動画や検証動画をみていて少し引っかかっていたことがお話をされていく中でスッキリしました。栗城さんへの評価のモヤモヤがすごく晴れました。
正に断腸の思い、無念だったのですね。「捨てる勇気」は、極めて難しく、強いエネルギーを求められる決断です。貴重なお話しをいただき、ありがとうございました。
栗城さん、とても印象深い方です。 無謀だと思いながら当時テレビ番組を見ていました。野口さんのおっしゃる通り、捨てていれば、きっと明るく今も生きていらっしゃったはず。忘れられなかったですね、栗城さんって方は。生きてて欲しかったですね。とうとうこんなことに、と嘆いていた栗城さんのお父様がインタビュー受けてお話されていたのが心に残っています。今まで栗城さんの動画を見る気になれませんでしたが、やっと野口さんのお話を拝聴でき、当時野次されていた栗城さんに魅了されていた自分を認めることができました。野口さん、有難うございました。
この動画を見ているみんなに野口さんの配慮が感じられたと思います。栗城さんに対するコメント動画の中でベストの1本かもしれません。
野口健さん今後の人生の教訓になるお話ありがとうございました捨てる勇気、応援する側が考えるべき意識など勉強になりましたいろんな方々に見て欲しい動画だと思います
私も最近、過去の登山中の遭難事件の動画を観てました。日本の山でも色んな遭難事件があって本当に怖いって思ってました。身体的、装備的にきちんと準備することや、体調や山を知ることがいかに大切かを毎回思い知らされました。私は登山をしないし、何も分かりませんが、野口さんの言葉ひとつひとつがとても理解できるような気がします。
私は栗城さんのことは、遭難後入院され真っ黒になった指の写真が報道に出た時に知りました。そしてまた私は登山の知識経験はゼロな為「ああ、これは凄い人だな。ここまで来たなら是非目標達成して世界中からの賞賛を集めて欲しいな」と無邪気に思ってしまいました。その後、彼のエベレストからの発信など見るようになりましたが、同時に凄まじい数の批判も集中している事に気付きました。私はそれでも批判と応援が同時に集中している理由が良く理解できず、それでも、ああ頑張って欲しいな、と単純に思っていました。もしかしたら、頑張ってくださいね、の一言二言くらいコメントを送った事もあったかもしれません。それから数年後、彼が亡くなったと報道がされ、その驚きと共に詳細な情報を調べてみると、彼が実際にどういう事に挑戦しようとしていたのかを初めて理解しました。最近「エベレスト」と言う映画を見ましたが、あの映画を見ただけで普通の人間が無酸素でエベレスト登頂などほとんど不可能である事が改めて明確に理解出来ました。(もし成功出来る方がいるとしたら先天的な身体的資質が必要になるのではないでしょうか。)今回、野口さん、この質問動画を出されるかどうかお辛い部分もあったかと思います。ただ野口さんから改めて本件の話を聞く事が出来本当に良かったです、感謝致します。応援する側にも、応援する方に対するちゃんとした理解や、相応の責任が伴うのだと言う事を改めて学びました。ありがとうございました。
野口さんは栗城氏への批判を目的とせず、彼との思い出を語っている為、栗城氏にとってネガティブな情報、彼の何が批判を受けていたのかはこの動画だけだと分からないと思う。(私はその姿勢を批判するものではなく、寧ろその姿勢を貫き通している事も一つの誠実さだろうと思ってる)「栗城アンチ」とひとくくりにされる人達が繰り返し指摘していたのは、彼の標榜する「単独」が登山界における「単独」とは掛け離れていたのでは?と言う点。まず「登山中に必要なあらゆる物資を自力で運ぶ」事が求められ、更に「登頂までの全工程を自力でルート開拓する」必要がある。麓からベースキャンプまでの往復を何度も何度も繰り返す。そしてベースキャンプからその上の各キャンプまでもひたすら往復する。急な斜面に伝うためのロープを張ったり、ルート上に積雪で隠れたクレバスが無いか探り、見付けたら梯子(当然、これも自分で運び上げる)を掛け固定するなど、延々と登頂のための準備作業を行う事になる。その作業期間中に必要な飲食物の運び上げも全て自力だ。栗城氏のエベレスト挑戦の記録には、この部分がすっぽり抜けてる。本当に「単独」登頂が目標でぎりぎり登頂成功に届かなかったと言う敗退であったなら、彼の登頂記録の大半は物資運び上げとルート開拓の地道な作業で埋め尽くされ、いよいよ後は登頂を目指す最終アタックを残すのみ、と言う内容にならなければおかしい。そして、エベレストで一番選ばれているルートには、先行隊やシェルパがロープや梯子を既に掛けているのが普通で、ルートの難所では誰かの作ったルートを避けて自力ルートを設定するような空間的余裕も無く、シーズン途中から終盤に掛けて登頂を目指す栗城氏が「単独」ルートを設営するのは事実上不可能だ。実際、他の登山パーティの撮影記録に彼らが張ったロープを後から来た栗城氏と見られる人物(服装からの推定)が勝手に使うシーンが残されていたりする。「栗城アンチ」と呼ばれる人達の多くは、別に栗城氏が世間的に注目されている事を妬んで批判していた訳じゃない。実際問題、「単独」とは言えない登頂を「単独」だと言い張るのは、彼の挑戦を「単独」だと信じて支援・応援する人々を欺く行為だし、現実に「単独」で登頂成功した人達へのリスペクトをも欠いた行為だ。「栗城氏サイドこそがエベレスト挑戦の真の価値を貶めているのではないか?」と言う疑念の声が上がっていたのは必然だ。そして、彼のキャンプ地での振る舞いも理解し難い部分が多く(高山病の症状が出ても直ぐに下りない、など。症状を軽くするには高度を下げるしかなく、留まって回復する事は無い。登頂が難しいほどの症状が出たら低地へ向かう一択)、行き当たりばったりで到底登頂不可能なルートでただ進み、当然登れる訳も無い壁面前に留まり結局敗退するなどを繰り返し、登山技術、身体能力的な限界が見えていた。栗城氏の挑戦記録を詳しく追っていたアンチこそが、「このままエベレスト挑戦を繰り返していれば、本当に命を落としてしまうぞ」と言う警告を送り続けていたのだ。信憑性の薄い「単独無酸素登頂」と言う看板によって、彼は支援者と一定の名声を得たが、それによって彼は生き方の選択肢を失い、地に足のつかないなんちゃってエベレスト挑戦を繰り返して死に至った。彼を持ち上げたTVメディアは最後まで彼を挑戦者として称えて終わった。第二の栗城史多を生まない為にも、彼の登山家としての総括が必要なはずなんだがな……
読みやすい文章で、その通りと頷きます。
ほんとにもう仰る通りだと思います。
栗城の行為は歴代の登山家面々、登山の歴史、文化を冒涜してる。「応援」していた取り巻き連中も同罪。
強く言えないだけだぞ、この人はこの人で本物のアルピニスト達からエセ扱いされてるんだからなこの人と栗城との違いなんかその人達から見れば、無謀なことをするかしないか程度だもん
この動画から私は多くのことを学びました。栗城さんの夢、生き方、それを語る野口さんのお人柄。多くの学びがありました。ありがとうございます。そしてどうか栗城さんが天国で安らかであられますよう改めてお祈り申し上げます。
日帰りでのんびり登山を楽しむレベルの私ですが、こんなレベルでも中止したり途中で下山するのって迷います。せっかく来たのにとか。雷注意報は出てるけど晴れてるなーとか。よく登る勇気よりも撤退する勇気が大事と言いますが、それでもやっぱり迷います。あらためて、やめる勇気を大切にしようと思いました。私は中止したあとにそのことをSNSに「前日の予報と違って雨が降ってきて、自分の技量では無理そうだからやめてドライブしてきた」など書き、つながっている山のお友達に「それがいいよ」「また晴れたときが楽しみだね」とか言ってもらうようにしてます。恵まれているなーと思いました。栗城さんのことは生前あまり詳しくは知らなかったのでなんともいえませんが、登山ってまさに「家に帰るまで」だと思っているので、とてもとても残念という気持ちです。登山の際にやめるやめないで迷ったとき、野口さんの今回のお話を思い出すようにします。
己を知り、敵を知り、地の利を知る。登山に向き合う方たちは良くわかっておられるかと思います。僕ごときがと仰る野口さんは立派だと思います。外野は無責任発言も気軽にできますが、技術だけでなく心の部分での円熟があってこそ登山家だと思います。栗城さんへの追悼考察は多く見ましたが、野口さんのお話に滲んでいた残念さに一番共感しました。彼は最期まで頑張ってたと思います。
深い良い話ありがとうございました。もうヒマラヤ登頂を超えて、人間と社会と自然に対する深い慧眼のある見方をなされていて、大変感銘を受けました。
登山に限らず挑戦には多かれ少なかれ常にリスクが伴いますね。例えば起業、大学進学、投資。だれでも始める事はできても、成功して終わらせるのは簡単ではありませんね。 挑戦する者は夢と現実の見境ができなくなり、リスクが見えなくなったりする時がありますね。良い話を聞かせてもらいました、ありがとうございます。
野口さんの言葉を選びながらのお話。私には参考になります。厳しい登山で培われた賜物だと感じました。社会生活にも必要な事ですね。😊
栗城さんは、みんなに認めて欲しかったんだろうね。
深い話。人生で何かを捨てることの大切さ。応援する側の責任の重さ。登山家野口さんの言葉だからこそ心に響きました。
批判の声は単に批判してるだけじゃなく、心配の声でもあったんだよな。ある意味では応援者より栗城さんの挑戦を冷静に見てたと思う。
野口さんが毎回きちんと帰ってきて、素人の僕等にわかりやすく、時に面白おかしく情報を発信してくれる事がとても嬉しくて楽しいです。今後も野口さんはどこへ行っても必ず無事に帰って来て下さい😊
冒険の共有が出来る場所では無いのは野口健さんも良く分かっていたんだなぁ。現実と乖離した計画の内実も、、、
登山だけでなく人生という中でとても大事なことを伺った気がします。手放す勇気。手放したことで手に入れられるものもある。心に響きました。ありがとうございます🙏
野口さんはエベレストの頂上直下で悪天候のため引き返したことがありましたね。難しい撤退の判断をする際、外部の意見が耳に入るとそれに影響されて判断を誤る事があるでしょうね。野口さんの意見はその通りだと思います。
何かを捨てる。深いですね。夢は大事 でも夢を目標にしたなら情熱だけでなく、何かを捨てて地に足を下ろして現実を見ることも大切ですね。
若い頃常識破りな面があった野口さんだが、亡くなった方の陰口など言いたくない、という極めて常識的な面を備える男になっていた。山が彼を大人の男にしたんだろう。
深い。勉強になります。
野口さんの優しさを感じました💖その通りだと思います。周りが見えなくなって冷静な判断が出来なくなった時、自然が牙をむく…🗻
栗城さんのファンは、冒険を応援してたというよりも、冒険型エンターテインメントを消費していたように見えます。今で言えばyoutuberみたいなものな気がします。そして、本人も気づかないうちに冒険家というよりも興行主みたいな感じになっちゃった。客をどう楽しませるか満足させるかに焦点が行っちゃってああいう結果になってしまったのかもしれません。
周りが止めてやれば。無謀だよ。皆わかっていたはず。
最近、登山のUA-camを視聴する機会から偶然か必然的か動画配信を見つけて視聴しました。また、視聴後には栗城さんの過去配信動画にも繋がり、テレビ番組で見た当時を思い出し感慨深いです。野口さんが、同じ登山家として栗城さんへの想いを語る貴重なお話しを視聴することができ、なるほどと改めて想いました。戻れ、行かせて下さい、途切れ途切れの無線交信を思い出します。栗城さんの配信動画も視聴してみます。ありがとうございました。
表情が真剣かつ、言葉をとても選んでいるのが伝わりました。周りの声が彼を殺してしまったとしか思えません。SNSでの発言は人の人生を左右するものだと思って気を付けようと思います。
お話しづらい内容を、栗城さんを傷つけないように言葉を選びながら配慮された内容でありがとうございます。栗城さんご自身で作り上げてしまったアイドル登山家。登山は命を懸けて行う行為ですので、本当の実力と本当の志がないといけません。栗城さんのご冥福をお祈りいたします。合掌
お話感動しました。そんな経緯があったとは…。栗城さんとの出会いから、登山家としてアドバイスもされてたんですね。それでも貫き通した異色の登山家。友人として心配されてたんですね。彼しかできない挑戦だったし、生きて帰ることができなかっのが心痛いです。
捨てる、引き返す、この判断できる人が1番勇気ある人です。いろいろ期待を背負い、協力者、スポンサー等すべての思いを捨てて引き返す。帰れば批判が待っている。なかなか出来ることではない。私も登山をしますが、日帰り登山で天候不良になっただけですが、引き返すのに「せっかく来たんだから・・・これくらいの雨なら・・・」とか、引き返すのがもったいなくなってしまいます。これが時間もお金も人生もプライドもかけた登山だったらと思うと、引き返す勇気が湧くとは到底思えない。行くしか選択肢がないと思ってしまうのも当然と思ってしまいます。
自己認識と本来の実力の乖離が、彼を追いやったと思う。本来の実力を認める事が大人になるって事で、「何かを捨てる」事で何かを実現する事に繋がる。野口さんは解らせようとしたんだろうけれど。彼の様に肥大化した自己認識を改めるのは大変な痛みを伴うのだろうし、その痛みに栗城さんは、向き合わなかった。
栗城さんは山を愛するって言うよりも、それ自体仕事としてやってたと思う。世間と違うのはその失敗が命に直結すると言う事
あれからもう5年が経ったのですね。私は当時、栗城さんに直接コメントとかをしたことはないですが、過去に野口さんが栗城さんに「これだけ多くの人に夢や希望を与えてきたのだから、あなたに死ぬ自由はないよ。多くの人が悲しむから」とおっしゃっていたというのは、ある意味救いですね。つまり野口さんほどのお方がそのような警告をおっしゃられたにも関わらず、無謀な挑戦をしたわけですから、我々一般人が何をコメントしたところで無駄であっただろうし、これはもう仕方がないことなのだと思います。指を9本失ったことによって、これは生かされたんだ、これからは命を大事に生きていかなくてはならない、という方向にはいかず、むしろナニクソ、こうなったら絶対やり遂げてやる、という方向にいってしまったような気がします。それと大人の事情もあったでしょう。引くに引けない事情というのもあったかもしれない。ただ、今回野口さんの話を聴いて、植村さんをはじめ、他の著名な登山家の死とはちょっと違うよな、と思いました。このようなことで亡くなるのは正直もったいなと思うと同時に、登山で生きて帰れなかったということはすなわち負けたということだと思います。どんな山でも必ず生きて下山するというのが鉄則ですからね。
きみならできる、力をもらいました、という応援より、やめろというアンチの方が、実は優しいファンだったかもしれない。私たちの人生にも、当てはまるけど。命や人生が関わってくる時は、特に。栗城さんに、もし子供さんがいたら、ちょっと判断も変わっていたかなと思う。
野口健さんの温かい配慮が素晴らしい。野口健さんこそ経験のある挫折を知った素晴らしい登山家です。
当時自分は登山のことを全くわからず、それがどれだけ無謀なことか、しかも、バリエーションルートや、アタックする時期、場所などもさらに難しくしていることなんて全く理解もできず、ただただ無闇に応援していた自分を反省しました。あの時、自分を含め、コメントで応援していた人たちが彼を死に追いやってしまったんですね。。。
栗城が「単独」という言葉の定義を歪め発信したことは絶対に許されないと思うけどな。それは命を賭けて山やってた人たちやサポートしてくれたシェルパたちに対する何よりの侮辱だ。
そうなんですか?
それはここで言うことじゃないでしょ。他で自分自身で発信しないと。野口さんの有名性を借りて言っちゃダメ。
単独(離れたところに人が居るor他のグループがいる)無酸素(ボンベは持ってきている)でしたっけ?
登山の「単独」の明確な定義は無いが、現在の 単独無酸素 ってのは、過去の登山家達の膨大な苦労と、そして 犠牲 の上に築かれた、一種の登山文化財だと思う。それを蔑ろにしてきた彼の登山行は残念だと思う。
@@NSato-cm1uiレスつけられる仕組みってそういうことだろ
あらためて野口さんに感動しました。他者を語る事で上に立つ事なく、よくぞこんなに良い人で居られるものだと。時間も環境も異なって野口さんほど登山は無理ですが、その中でしっかり考え抜く事が人として肩を並べられる方法なんでしょうね。自分の場合、語るとボロが出て自身の人間性は下がるだけ(苦笑)究極、自身の意見は黙す事しか。娘を、自身に見合わぬ程立派に育てたつもりでしたが野口さんのように慕ってはもらえません。上にあげた様な部分が異なるからだと、答えを見せられているような気分です。
21:13 「栗城さんなら単独、無酸素や何かを捨てても多くの人に夢や希望を与えることができた」全く同感です。一般人にはその凄さはよくわからないし、栗城さんほどの自己プロデュース能力があれば危険なことをやらずにノーマルルートを登るだけで充分だったと思う
そもそも、単独無酸素をしてない可能性が高い。アルピニストを侮辱しかしていない
栗城氏は自己愛性人格障害者の特徴に一致します過度の賞賛を欲するために、嘘や他人を利用してました普通に生きるのは無理でした
これだけの資金を集めるのだからビジネスマンとしてはとても優秀。一つでも何か捨てることが出来ていたら今でも成功者だったと思う。意地なのか、夢なのかビジネスなのかは知らないが結局1番大事な一つを無くしてしまった。
登山家、冒険家でもない私がコメントなんかおくがましいことですが…人生においては色々なことがありますまさに野口さんがおっしゃる"何かを捨てる"も勇気がいりますが生きていればまた挑戦できます…何度も野口さん、貴重なお話しを有難うございました
@@さらぱお-b1s 有難うございます🙏恥ずかしいですね😖
栗城さんは引くに引けなくなってしまった感じですよね。一部の山に詳しいファンは登山工程や日程について批判的、無謀さを指摘していましたがそういったファンはアンチとして処理し、ただ無責任に応援するファンばかりを残していったために、野口さんがおっしゃるように犠牲になってしまったと感じています。最後のエベレスト南西壁挑戦なんて自殺行為もいいところなのにそこに挑む、挑まざる得ない状況になってしまったこと、そのときの栗城さんの心境を考えると悲しくなります。
話を聞いていると富士山で滑落した生ライブ配信者と同じです。偉大な事は、事後報告で良いですよ。その後 共有は低山で簡単な時に生ライブを配信するようなスタイル 今なら山系youtuberでも十分だったのに。山って身の丈に合った楽しみ方をしないといけないなって改めて思いました。山や大自然へ畏敬畏怖の念を抱きながら登ろうと思う。人間なんてたった一個の石が当たるだけでも、どうなるか分からないし、少し踏み外すだけでどうなるか分からない。むしろそういう環境を楽しませてもらうくらいが丁度良いな。
01:57最近は知らないけど一時期コミットメント(宣言)して自分を追い込ませるという極端なやり方が流行りましたね。「やると言ったら必ずやるんですよ!」みたいなね、イキった発言を無理矢理させて、その自らの発言で自分を追い込むという手法。栗城がやっていたのは普通にこれをやっていただけで当時は珍しくもないやり方だったよ、登山の世界を除いては。登山というのは撤退の見極めが大事だからね、頑張れば必ずできるとかそういう世界じゃないから。個人的には登山が尊いのは死ぬからだと思っている。その登山に付き纏う死というものを理解できない人達の声を背負って登るというのは野口さんが仰るように無理があった。14:37栗城の死が関係しているのかいないのか分からないけど、ちょうどその死の頃からコミットメントさせて夢が必ず叶うとかなんだとか煽る手法使う連中は見なくなったね。栗城の死がそういう連中に煽られて洗脳されていた人達の目を覚まさせたのならそれはそれで栗城の死は意味があった。
冒険という字は「険しさを冒す」と書きます。誰に言われたでなく好きにすれば良いと思います。けれど、普通は準備だけは万端にします。彼がそうでなかったとは言いません。が、結果が全てです。引く「冒険」も必要なんですね。合掌。
野口さん。栗城さんを通して、冒険の厳しさと浪漫を伝える貴方は素晴らしい。
登山に明るくない自分でも知ってる野口さんが単独無酸素なんて無理って言うあたり相当無謀なことなんですね。厳しい冒険を乗り越えてきたからこその優しさを感じるいい動画でした。
イモトアヤコ登頂してるよ アルピニスト名乗る人が4回目も失敗するなんて恥ずかしくて名乗れないよ 三流しょ
私は音楽とスポーツ以外はいつも倍速で動画を見るのですが、こちらの動画は通常の速度で見ました。非常に重い証言でした。多くの人に夢を与え続けることの大変さがよくわかりました。野口さんのご意見はごもっともなんですが、素人は知識がないだけに無謀だとは思っていても時に大きな夢を託してしまうんでしょうね。出来るわけないことを誰かにやってもらってそれを目撃し、一緒に感動して歴史の証人になりたいみたいな気持ちが無意識に働いてしまうような気がします。挑戦する勇気は能動的なものなので持つことは容易いですが、「引く勇気、捨てる勇気」は後ろ向きのため持つのが難しいですよね。「指を失った」という言い訳が成り立った時がその勇気を奮う時だったのかもしれません。講演を聞かせてもらっていると錯覚するような素晴らしい内容の動画でした。
何か一つ捨てるって言葉は凄く説得力があります。熱中し過ぎると時には自分を見失うことは誰にでもあります。単独無酸素に拘って命捨ててしまったら、何のための公演だったのか?指を9本失った時に何故、冷静に考えなかったのか、疑問です。指を失った時に内心では自暴自棄になっていたのではないかと思います。登頂云々より、死に場所を探していたのではないかと思えてなりません。
私も当時注目していた人です、栗城さん自己啓発セミナーに危うく勧誘されそうになった大学時代を思い出します。本当の自分を見つけよう、そんな世の中の雰囲気が今よりも高かった気がします😂
ありがとうございます。涙しながら拝聴させて頂きました。彼が大学卒業頃(二大陸登頂頃)から応援していました。出発の新千歳空港に数人お見送り、スポンサー探し、講演会主催などを通して、栗城くんの目の美しさに心を惹かれていました。指を失った時、道が二つに分かれていたと感じます。その時の方向のゴールはここだったとどこかでわかっていて、最終的に貫いた気がしています。『その道しかなかった』そんなふうに感じて残念であると同時に、貫く彼の人生を登頂しきった気もしています。追い込まれてたどり着いたゴールかも知れないけれど、彼らしくも感じられます。今回の野口さんの動画は、彼への愛がたくさん詰まっていて本当に嬉しく思いました。観れて良かったです。ありがとうございます。
「俺は100mの高さからパラシュートなしで飛び降りて着地する」って言ってる奴を「あなたならできます」ってのは応援じゃなくて自殺幇助だね。
自分も海外の山を登ったりするくらい山登りが好きだけど、野口さんのこの話はすごく共感できます。栗城さんは、超一流の登山家たちが登るような高度なクライミング技術を要するバリエーションルートを登るスキルはないけど、高度に関しては、実際に単独でダウラギリやマナスル(正式なピークでは無いが)などの8000m峰をほぼ無酸素で登ってる訳で、高度には実際かなり強かったと思われます。なので、普通にノーマルルートでエベレストを目指したり、単独でなくてもパーティを組んでサポートを受けながら登るなどすれば、エベレストはもちろん、他の様々な山に登る事が出来たはずだし、そこでもっと面白い冒険の共有ができたはずです。彼には、超一流の登山家のようなスキルがなくても、人を巻き込む力や発信力は間違いなくあった訳で、その本来の自分の長所を見失って、純粋な登山家のカテゴリーに拘りすぎてしまった事が残念です。冒険の共有が一番の目的ならば、別に超一流の登山家がやることを真似て張り合わなくても、極地に挑む登山ユーチューバーでも良かった訳で、そうすれば比較されることもなく、むしろ、すごい面白いことに挑んでる若者として認知されたかもしれないのに・・
他のアルピニストの方達の口調の歯切れが悪いのは、やってる無謀さに対してその為の準備が見えないために、彼をどう評価していいかよく解らないからみたいですね。年間270日山に入ってて、冬の槍ヶ岳等にガンガン登って、年一回ぐらいの割合で海外の高山に登っていたら、若くて多少無謀なことをやってても後押しできますが、ニ○リ(だったかな?)がスポンサーを降りたのも、高地順応の為に高山に入っていないといけない時期に、日本でまだ講演活動をやってたりしてたので、そのアルピニストとしての姿勢に疑問をもたれて切られたらしいです。ある人が、彼は普段勉強しないのに毎年東大を受験する浪人生のようだと評してましたが、受験の失敗は大学に入学出来ないだけですが、高山での失敗は命にかかわるので、彼はいったい何がしたいのか解らず、そのため批判していいのか、応援していいのか判断できず、結果無視するようなかたちになってしまったようですね。
栗城さんは登山UA-camrじゃ満たされないし、超一流登山家の人達にも挑戦し続けてきたんだと思う。よくも悪くも強い人だし、野口さんがジェラシーを感じる時点で栗城さんも超一流の登山家だと思う。
単独・無酸素という規定がはっきりあるわけではいけど、一般に単独登頂とはベースキャンプから1人で荷物を持ち1人でルート作りをし登頂後1人でベースキャンプまで戻って来るアルパインスタイルだと思う。無酸素の場合はこの背負う荷物にボンベがないから実質酸素ボンベを吸う事が出来ない。1人で持てる荷物には限界があり体力的にも精神的にも時間的にも相当に負担がかかる偉業です。この偉業は過去に登山家達が命をかけて挑み、時には敗れ時には命を失いながら紡いできた重みのあるものだと思います。栗城氏は、ベースキャンプからチームを組みシェルパに荷揚げや酸素ボンベを運ばせ、ルート工作をさせながら、第2・第3・最終キャンプまで行き、最終キャンプから頂上まで1人ならば単独登頂という解釈変更を行いました。いくら単独登頂と言う言葉に明確な規定がなくても、それでは過去のベースキャンプから1人で命をかけて困難にチャレンジし達成した先人達の単独登頂そのものが軽いものになってしまいます。いくらインパクトがあるとはいえ単独・無酸素をかかげ単独・無酸素の解釈そのものを変えてしまった事が彼がバッシングされた原因だと思います。普通にチームを組んで登頂しても凄い事なのに、彼は単独・無酸素と言う言葉をかかげ、その言葉に自らも追い詰められるのです。当時、たくさんの応援する人と批判的な人がいましたが、本当の意味で彼の命の心配をしているのは批判的な人達の中にいて、実力的にも困難すぎる季節やルート、単独・無酸素なんて無謀すぎる、春のノーマルルートにチームで登頂でいいじゃないかって。応援してる人達は、彼が何をしているのか理解せずに、大きすぎる風呂敷をかかげた彼の背中を押していたんだと思います。
どんな伝説を読むよりも、今回のお話は、今後の私の人生の記憶に刻まれると思います。貴重なお話をありがとう。
ああいあ
なんだか泣けました。野口さん熱い。
栗城さんが与えたのは勇気と希望ではなく現実と戒め
登山家、冒険家ではなくエベレストに登る事で金を集め、金を産み出す企業の経営者だった登山家で登頂を目的とするならば、講演活動や資金集めに奔走するよりも、登る為のトレーニングを優先するはず
野口さんとか他の登山家を責めるのはお門違いな気がするね野口さんのこの動画とか、いろいろ情報を聞いてる限り、周りの山屋の人たちはその人たちなりに栗城さんを止めてた気がする
すごい考えさせられる内容でした。
栗城くんって、勇気と無謀は違うってことも教えてくれたよね。
否 同じ
成功したか失敗したかだよな野球で言うところの好走塁と暴走みたいなもんだ
@@HemeIron_17 失敗するべくして失敗したので努力して失敗した人と同列に並べちゃいかんよなんの価値もない失敗だから行動も結果もすべてが無駄だったね
風船おじさん 元気かな。
お前らはそんな挑戦さえできない無力な庶民だがな
動画を見て良かったです。
別の登山家の方が3.5流というような表現をしてらっしゃいましたが、お話おきいて意味がわかりました。わかりやすくも悲しいお話をありがとうございました。
栗城と野口は3.5流。なるほどと思った
@@打つ方はなんと貸します この二人は 登山家というには真摯に山に向かい挑戦している真の登山家に失礼な人間です、3.5流と言われても反論できないでしょう
@@打つ方はなんと貸します まあ、似たような二人だよね。
@@打つ方はなんと貸します 野口は三流だって言ってたろうが人の言葉を勝手に盛るな。それは最早栗城を美化してるよ。
ハットリ君も3.5流なんだけどなw
問題なのは栗城氏がやっていたのは、単独でもなければ、無酸素でもなかったという事実。日本でクラファンなどを通じて集めたお金で、ポーターを雇ってベースキャンプを設営・荷揚げまでしてもらっています。他人が設置したロープを使っての登山は、ソロ登山の定義に反します。無酸素に関してはエベレスト以外では無酸素は通常のことで、エベレストにアタックして失敗したらすぐに(誰かが用意してくれた)酸素ボンベに吸い付くというのは、お笑い草に思えました。
何度でもやり直せるというのは、生きてる前提だから言える言葉。死んだら全てが終わる。登山は、自分の実力を見誤ったら簡単に死ぬ。だからこそ、今のお前には無理という言葉を冷静に聞いて欲しかったな。14サミットを達成した人でも、アイガー北壁や谷川岳の一ノ倉沢をフリーソロで登れる人でも、エベレストの無酸素はなかなか難しく、しかも難ルートの南西壁を単独でなんて、人類にできるかもわからない程無謀な挑戦だった。ウエリシュテックでさえも死ぬ世界。それを驚愕の登山記録や初登頂や初登攀の記録もないただの登山愛好家が挑戦しようなんて、ただの自殺ととらえられてもおかしくないほど、馬鹿げていた。彼の周りの人も全力で止めるべきだった。起こるべくして起きた事故。冒険ではなく、ただの無謀。残念としか言えない。
応援する側の一般人は、難易度、難しさが実感でわかってないから、無邪気に応援してしまうんだよね。
近い立場の人の説明はわかりやすい。
死と隣り合わせの登山家にかける言葉を考えた時に、思いついたのは、「生きて帰れ」この言葉しかない。口先の応援は誰にでも出来る。彼の冒険は、確かに無謀だったかもしれない。失敗すれば、無謀だとか色んなネガティブな言葉を浴びせる。そのくせ、成功したら、素晴らしい、快挙だと色んな美辞麗句で飾り立てる、物凄い手のひら返しなわけだ。 所詮、世間とはそんなもの。そんなものに振り回される事なく己の意志で決断していくことが大事なんだと文字通り我が身を賭けて教えてくれた。命を賭けて何かを成し遂げようとする者に結果の成否で判断することは、非常に恥ずかしいし人としてすべきことではない。
野口さんの言葉が胸に染みました…。やっぱり優しい方なんですね。ところで私がずっと不思議に思っていることですが、栗城さんは南西壁を攀じたとなっていますが、本当なのか?藤木高嶺さん小西政継さん森田勝さん植村正巳さん(はちょっと立場異色ですが)も、攻めあぐねた壁ですよね。国際隊も喧嘩撤退し、のちにアメリカ隊が数々の記録をもとにようやく初登攀した壁。その後も滅多に近寄れない。これは超上級のロッククライミング技術が必要で、登山家が選ぶルートではない。なんで栗ちゃんがそこを選んだのか、なんで周囲は、そんな危険ルートを行かせたのか、それとも違う場所なのか。それに入国がチベットからだっていうのもおかしいです。いったいどういう遠回り!?どこかで何かがヘンだ。誰かが画策している?当時のスタッフたちが何か隠している?・・・本当を知りたいです。野口さんに聞いても仕方ないことなのですが・・・何か少しでもわかっていらしたら教えてほしいです。
体調を崩していたのですが、スポンサーやメディアからの注目的にも登山挑戦を体調不良で断念する事はできませんでしたかといって比較的簡単なノーマルルートでも幾度となく失敗をし、そのたびに批判を受けましたおそらく、8回か、9回目のトライだったと思いますかかっているお金もおそらく栗木さん規模ならトータルで億は越えてるかと思われますまた失敗しましたとおめおめ帰れない状況ですが、本人からしてもノーマルルートでさえ成功できると思ってなかったと思います(当時のライブ映像を見ればわかりますが肺炎的な咳を何度もしています)それは失敗するよ。仕方ない。と言われるルートを選ばざるおえない状況におかれていたかと思われますこれが関係者の中で噂されていた話ですが、自分は納得してしまいました参考までに
@@坂本竜馬-o9z さん、丁寧に返信してくれてありがとう。でもね・・・まあそれはいろいろなところで論議された事柄のなぞりなので周知の事ですよね。私が釈然としない点は、上に書いた通り。入山地点はネパールのはずがチベットだった不思議。小西さんでさえザイルを伸ばせなかった岩壁を、どんな理由があったとしても、そもそも攀じれないはず。きっと、現地を知っている人や野口さんも内心、どっかがヘン…って感じているのでは?これについての疑問発言はご法度なのか?
最初に運が良くて成功し過ぎたのだろう。
野口さんの人柄がすき🐥誰よりも優しく強い人だと思います
栗城さんのファンは、山に興味のない人だけだったと思います。少しでも山に興味があって、エベレストがどういう山かを調べ、栗城さんの登頂条件を考えれば、不可能であることは誰でもわかること。登山家ではない自分でもわかるくらいですから、栗城さん本人も分かっていたはずです。自分は、後ろに引けなくなった栗城さんが死に場所を求めていたようにしか思えません。彼には登頂の応援ではなく、登頂を止めるように声をかけるべきだった。ファンはもちろんのこと、スポンサーも契約を切ってでも止めるべきだった。
栗城さんの行いはまさに蛮勇。これを勇気と言ってはいけない。
まあでも行動力はあってたくさんの人に支持されたわけだし俺等とは違うだろ本人じゃないとわからないこともあるだろうしな
少なくとも良い行動ではなかったね。アムウェイなどネットワークビジネスの講演などで金集めとかもしてたようだし、これで指示するのはちょっと違うね。
まあ振り回された周りはかわいそうだと思うけど、本人としては自分の人生を全うしたかっただけじゃないかな勇気とか蛮勇とかっていう話ではないと思う
ここの返信も地獄への道は善意によって舗装されているという言葉のままだな勇気をもらったという言葉は受け取った側の人間だけに留まっていれば無謀なことを止めろとは同業の人やネットの人たちも言わないんだよその勇気をもらったという人たちの言葉は実績となって次の無謀な挑戦へのスポンサー集めの材料になる、おまけとして次の挑戦は前より難しい条件がつきやすくなるから命の危険がさらに近づく悪循環を生むだから評価できる余地を残したくないんだよ
死んだら意味がない、しがみついてでも生きないと…蔑まれようとも、死んだらあるのは虚無かな
言葉が悪くて恐縮だが、結局のところ単独無酸素という冒険ポルノの主人公という立ち位置に自分を縛り付けてしまったんだよ。そんな極端な物語にしなくても、地道にトレーニングを積んで有酸素でパーティーに参加して登頂したって十分感動や勇気は与えられただろうし3.5流なんていわれなかった。野口さんはあの番組で何故かとばっちり受けてたけど、少なくとも地道に登山家としての活動は何十年としてる。なぜそちらの道を選ばなかったのか不思議だ。
何かを捨てるってのは必ずしも諦めるって意味では無く優先順位を付けて行動すると解釈していれば、栗城さんは今も登山を続けられたように思います。
素晴らしい動画でした。
お二人のおかげで、3.5流という言葉を知りました。
はっとりんご
まあハットリ君も3.5流なんだけどなwww
山を知っている人は、無謀だって知っていたんでしょうね。
生きて帰れば世界初。遭難して帰れなきゃ無謀な挑戦で世間では終わる。けど常に無謀と言われる条件で挑戦し続けた栗城さんに勇気をもらったファンは間違いなくたくさんいる。無謀って言葉ひと言では片付けられません。
個人的な事はここでは書けませんが、栗城さんの時はえっ?っていう感じでした。野口さん、山でなくても下界でも健康に留意されご活躍される事を願っております。
心のプロは,自己の限界を知っているはずです。私の知っている登山者は,静かに自らと周囲の状況把握ができる人ばかりです…
栗城さんの人生を追った『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』を最近読みました。僕自身、栗城さんの講演に行き、握手してもらったこともあったので、死の真相がとても気になっていました。栗城さんを死に追いやったのは「メディアや一部のアンチのファンのせい」という意見をよく見ますが、的外れだと思います。なぜなら、栗城さんは自らメディアを上手く利用することかなり意識的にやっていたから。毀誉褒貶はありながらも自分の姿を見せることが、栗城さんのやりたいことでもあったから。メディアの責任が無いとは言いませんが、メディア「だけ」の責任では無い。では、マネージャーなど、栗城さんの近くにいた人はどうだったのか??野口さんもおっしゃってますが、栗城さんの登山に段々と無理が生じていることは側から見ても明らかでした。なので、多くの人は止めていた。まして凍傷で指を失ってからは。ではやはり、栗城さん本人が悪いのか??自己責任なのか??山は過酷な世界なので、自己責任だと断じることも出来るとは思います。しかし、凍傷で指を失ってからの栗城さんは相当精神的に追い込まれ、希死念慮を抱えておられたようです。でも「山を登る姿をメディアを通じて発信する」という生き方から今さら降りることが出来なかった。それは栗城さんだけの責任とも言えない様な気がします。煮え切らない、割り切れない、モヤモヤした気持ちになりますが、それぞれが少しずつ、栗城さんの死の「原因」のようなものを持っていると思います。『デス・ゾーン』の中には、栗城さんの社会発信が得意な姿は野口健さんに似ているということが出てきます。栗城さんも、野口さんのように、富士山清掃などの何らかの社会活動の道を見つけることが出来れば、山から降りられたかも知れない...と思います。亡くなった方にタラレバを言うのは失礼ですが、僕の中で結構ショックが大きかったので書かせてもらいました。ご冥福をお祈りします。
まぁ色々叩いてる人も多いようだけど、みんな栗城さんの失敗を教訓にすればええんやないかな失敗する人は多いだろうけど、栗城さんのように知名度も高くて失敗する人はそれほどいないから失敗の教材としては素晴らしいと思う人間いつかは死ぬんだから彼が生きてきた証として今を生きる誰かの役に立ってるなら彼も本望であろう
ファンだと自称する人達だけが彼に頑張れ、やってみせてと言っていた。
「(勝手に)頑張って」「(外野から)応援する」だった。
アンチと呼ばれる山屋は「無謀だ」「下山しろ」と叫んだ。
最後まで科学的に論理的に彼をとめようとしたのは…
ただの美談じゃなくて、本当に起こったSNSの悲劇。
今もそう信じている。
彼は挑戦していたのではないよ、無謀をおこしていた。
言葉を選んで話す野口さんに脱帽。。
手作りの翼を着けてエッフェル塔から飛んだ男の話を思い出した。
下で見守っていた観衆は無責任な喝采を送って…。事後には死体が転がり、観衆たちは立ち去っていた。この話(実話)を思い出しました。
ピオレドール賞を受賞した日本人最高峰の登山家、山野井泰史さんが、受賞時のインタヴューで「山をやる人に頑張れと言う応援はいらない」と言っていました。死と隣り合わせになる行動に、応援は合わないんだと。それが全てだと思います。
栗木さんのやってきたことに、言いたいことはいっぱいありましたけど、最後は命で落とし前をつけた。だから、もう何も言わない。山に挑戦するということはそういうことだから。合掌。
応援や批判が時にプレッシャーになり判断を鈍らせる事に繋がったのかも。登山はもっと独りよがりでよい。そういう世界だと。考えさせられるコメントです。
家族や恋人なら頑張って、よりも、無理しないで、ダメだと思ったら引き返せ、と言うでしょうね。
地獄への道は善意で舗装されている、という言葉があるそうです。登山を職業にすると、難しい山に挑戦していく運命になるけど、登山はお金がかかるので、登山家はスポンサーと契約すれば自分の望む山に登りたい時の経費の負担が楽になる。
野口さんの言葉、本当に心に刺さります。
愛だなぁ。野口さんの言葉が栗城さんの心に届いていたならきっとまだ…。
すごく良質な動画を見た思いです。かなり言葉を選び、過去の記憶をよく辿り、これ以上ない説得力と、優しさと、野口さんの人柄が出ていました。最後に会った時の「テンションの低さ」。何かを予感させるには十分だったのかもしれません。想像するに、栗城さん本人も「本当はできないのではないか?」「本当はやりたくない。」と感じていたのではないでしょうか。もしかしたら「今回の登山で死んでもいい。死にたい。」とすら思っていたのでは?栗城さんのスタイルに必要以上に口を出さず、しかし、「やはりこれだけは伝えたい、解って欲しい!」ということを必要十分な言葉で栗城さんに伝えた野口さんの、死亡を告げる一報を聞いた時の落胆は、想像に余りあります。とても答えにくい質問に、丁寧に、しかし結局ほぼ本音で全力で答えた野口さんのこの動画は、とてもためになります。
栗木さんを語る他動画から、こちらに辿り着きました。
野口さんの愛ある語りを聴け良かったです。
栗木さん、マスコミとの契約など色々あって最後は引くに引けず相当苦しかったんじゃないかなと…
野口さんの優しい語り口で救われました。
自分も同様の感想を抱きました。野口さんの真摯な人柄がよくわかる動画でしたね。ざっと観るつもりが誠実な語り口に引き込まれて結局すべてを観ました。栗城さんのことを本当に心配していたのがわかります。
野口さんは、大人ですね。言葉を選びながら自分の伝えたい事を喋ってる。 そして自分の中で後悔と言う2文字を抱えて居るのが、伝わります。
高地で生まれ育ってるとは言え、その登山を支えてるシェルパの人達って凄いなー
深すぎて言葉が出ない。
言葉選びが秀逸すぎます。
ただ応援する事が
その人の為になる訳では
ないって事。
大事な教訓になりました。
言葉を慎重に選ぶ野口さに愛を感じますね。
辛辣なことを言うのは簡単だけど、素敵な方ですよね😊💕
「時に夢に殺される・・・」
「夢は希望を与える」とはよく言いますが、とても考えさせられる言葉です
SNS上の応援の声が本当に”応援”なのか。
これは栗城氏だけじゃなく、すべてのSNS上で活動する人に当てはまる言葉だなぁ。
「夢は時に人をころすことがある」
「間違いなく人に夢を与えていた」
「捨てることで何かを掴める」
「応援する側の教訓」
ただ山に登るだけでは金にならない。
スポンサーを付けるにはそれなりにインパクトのある事をしなければならない。
栗城さんはその点上手かったが、それが彼を制限し後に引けない状況を作ってしまったんだと思います。
栗城氏を直接知っている友人としての配慮が感じられる、とても良い話でした。そして、『何かを捨てる』という考え方は自分の人生にとても参考になります。貴重な話、どうも有難う御座いました。
栗城さんについて調べていてこちらの動画拝見致しました。
『夢』との付き合い方。
応援することの『責任』。
わかりやすい言葉かつ、適切であり野口氏の人間性に興味を持ちました。為になる経験の共有誠にありがとうございました。
とても言葉を選んで話して頂きありがとうございます。しっかりと伝わりました。
いいお話をありがとうございました。
当時、見ていた熱狂とか、批判とか思い出しながら、
批判動画や検証動画をみていて
少し引っかかっていたことがお話をされていく中でスッキリしました。
栗城さんへの評価のモヤモヤがすごく晴れました。
正に断腸の思い、無念だったのですね。「捨てる勇気」は、極めて難しく、強いエネルギーを求められる決断です。貴重なお話しをいただき、ありがとうございました。
栗城さん、とても印象深い方です。
無謀だと思いながら当時テレビ番組を見ていました。
野口さんのおっしゃる通り、捨てていれば、きっと明るく今も生きていらっしゃったはず。
忘れられなかったですね、栗城さんって方は。生きてて欲しかったですね。
とうとうこんなことに、と嘆いていた栗城さんのお父様がインタビュー受けてお話されていたのが心に残っています。
今まで栗城さんの動画を見る気になれませんでしたが、やっと野口さんのお話を拝聴でき、当時野次されていた栗城さんに魅了されていた自分を認めることができました。
野口さん、有難うございました。
この動画を見ているみんなに野口さんの配慮が感じられたと思います。
栗城さんに対するコメント動画の中でベストの1本かもしれません。
野口健さん今後の人生の教訓になるお話ありがとうございました
捨てる勇気、応援する側が考えるべき意識など勉強になりました
いろんな方々に見て欲しい動画だと思います
私も最近、過去の登山中の遭難事件の動画を観てました。
日本の山でも色んな遭難事件があって本当に怖いって思ってました。
身体的、装備的にきちんと準備することや、体調や山を知ることがいかに大切かを毎回思い知らされました。
私は登山をしないし、何も分かりませんが、野口さんの言葉ひとつひとつがとても理解できるような気がします。
私は栗城さんのことは、遭難後入院され真っ黒になった指の写真が報道に出た時に知りました。そしてまた私は登山の知識経験はゼロな為「ああ、これは凄い人だな。ここまで来たなら是非目標達成して世界中からの賞賛を集めて欲しいな」と無邪気に思ってしまいました。その後、彼のエベレストからの発信など見るようになりましたが、同時に凄まじい数の批判も集中している事に気付きました。私はそれでも批判と応援が同時に集中している理由が良く理解できず、それでも、ああ頑張って欲しいな、と単純に思っていました。もしかしたら、頑張ってくださいね、の一言二言くらいコメントを送った事もあったかもしれません。それから数年後、彼が亡くなったと報道がされ、その驚きと共に詳細な情報を調べてみると、彼が実際にどういう事に挑戦しようとしていたのかを初めて理解しました。
最近「エベレスト」と言う映画を見ましたが、あの映画を見ただけで普通の人間が無酸素でエベレスト登頂などほとんど不可能である事が改めて明確に理解出来ました。(もし成功出来る方がいるとしたら先天的な身体的資質が必要になるのではないでしょうか。)
今回、野口さん、この質問動画を出されるかどうかお辛い部分もあったかと思います。ただ野口さんから改めて本件の話を聞く事が出来本当に良かったです、感謝致します。
応援する側にも、応援する方に対するちゃんとした理解や、相応の責任が伴うのだと言う事を改めて学びました。
ありがとうございました。
野口さんは栗城氏への批判を目的とせず、彼との思い出を語っている為、栗城氏にとってネガティブな情報、彼の何が批判を受けていたのかはこの動画だけだと分からないと思う。
(私はその姿勢を批判するものではなく、寧ろその姿勢を貫き通している事も一つの誠実さだろうと思ってる)
「栗城アンチ」とひとくくりにされる人達が繰り返し指摘していたのは、彼の標榜する「単独」が登山界における「単独」とは掛け離れていたのでは?と言う点。
まず「登山中に必要なあらゆる物資を自力で運ぶ」事が求められ、更に「登頂までの全工程を自力でルート開拓する」必要がある。
麓からベースキャンプまでの往復を何度も何度も繰り返す。そしてベースキャンプからその上の各キャンプまでもひたすら往復する。
急な斜面に伝うためのロープを張ったり、ルート上に積雪で隠れたクレバスが無いか探り、見付けたら梯子(当然、これも自分で運び上げる)を掛け固定するなど、延々と登頂のための準備作業を行う事になる。その作業期間中に必要な飲食物の運び上げも全て自力だ。
栗城氏のエベレスト挑戦の記録には、この部分がすっぽり抜けてる。本当に「単独」登頂が目標でぎりぎり登頂成功に届かなかったと言う敗退であったなら、彼の登頂記録の大半は物資運び上げとルート開拓の地道な作業で埋め尽くされ、いよいよ後は登頂を目指す最終アタックを残すのみ、と言う内容にならなければおかしい。
そして、エベレストで一番選ばれているルートには、先行隊やシェルパがロープや梯子を既に掛けているのが普通で、ルートの難所では誰かの作ったルートを避けて自力ルートを設定するような空間的余裕も無く、シーズン途中から終盤に掛けて登頂を目指す栗城氏が「単独」ルートを設営するのは事実上不可能だ。実際、他の登山パーティの撮影記録に彼らが張ったロープを後から来た栗城氏と見られる人物(服装からの推定)が勝手に使うシーンが残されていたりする。
「栗城アンチ」と呼ばれる人達の多くは、別に栗城氏が世間的に注目されている事を妬んで批判していた訳じゃない。実際問題、「単独」とは言えない登頂を「単独」だと言い張るのは、彼の挑戦を「単独」だと信じて支援・応援する人々を欺く行為だし、現実に「単独」で登頂成功した人達へのリスペクトをも欠いた行為だ。「栗城氏サイドこそがエベレスト挑戦の真の価値を貶めているのではないか?」と言う疑念の声が上がっていたのは必然だ。
そして、彼のキャンプ地での振る舞いも理解し難い部分が多く(高山病の症状が出ても直ぐに下りない、など。症状を軽くするには高度を下げるしかなく、留まって回復する事は無い。登頂が難しいほどの症状が出たら低地へ向かう一択)、行き当たりばったりで到底登頂不可能なルートでただ進み、当然登れる訳も無い壁面前に留まり結局敗退するなどを繰り返し、登山技術、身体能力的な限界が見えていた。栗城氏の挑戦記録を詳しく追っていたアンチこそが、「このままエベレスト挑戦を繰り返していれば、本当に命を落としてしまうぞ」と言う警告を送り続けていたのだ。
信憑性の薄い「単独無酸素登頂」と言う看板によって、彼は支援者と一定の名声を得たが、それによって彼は生き方の選択肢を失い、地に足のつかないなんちゃってエベレスト挑戦を繰り返して死に至った。彼を持ち上げたTVメディアは最後まで彼を挑戦者として称えて終わった。第二の栗城史多を生まない為にも、彼の登山家としての総括が必要なはずなんだがな……
読みやすい文章で、その通りと
頷きます。
ほんとにもう仰る通りだと思います。
栗城の行為は歴代の登山家面々、登山の歴史、文化を冒涜してる。
「応援」していた取り巻き連中も同罪。
強く言えないだけだぞ、この人はこの人で本物のアルピニスト達からエセ扱いされてるんだからな
この人と栗城との違いなんかその人達から見れば、無謀なことをするかしないか程度だもん
この動画から私は多くのことを学びました。栗城さんの夢、生き方、それを語る野口さんのお人柄。多くの学びがありました。ありがとうございます。
そしてどうか栗城さんが天国で安らかであられますよう改めてお祈り申し上げます。
日帰りでのんびり登山を楽しむレベルの私ですが、こんなレベルでも中止したり途中で下山するのって迷います。せっかく来たのにとか。雷注意報は出てるけど晴れてるなーとか。よく登る勇気よりも撤退する勇気が大事と言いますが、それでもやっぱり迷います。あらためて、やめる勇気を大切にしようと思いました。
私は中止したあとにそのことをSNSに「前日の予報と違って雨が降ってきて、自分の技量では無理そうだからやめてドライブしてきた」など書き、つながっている山のお友達に「それがいいよ」「また晴れたときが楽しみだね」とか言ってもらうようにしてます。恵まれているなーと思いました。
栗城さんのことは生前あまり詳しくは知らなかったのでなんともいえませんが、登山ってまさに「家に帰るまで」だと思っているので、とてもとても残念という気持ちです。
登山の際にやめるやめないで迷ったとき、野口さんの今回のお話を思い出すようにします。
己を知り、敵を知り、地の利を知る。登山に向き合う方たちは良くわかっておられるかと思います。僕ごときがと仰る野口さんは立派だと思います。外野は無責任発言も気軽にできますが、技術だけでなく心の部分での円熟があってこそ登山家だと思います。栗城さんへの追悼考察は多く見ましたが、野口さんのお話に滲んでいた残念さに一番共感しました。彼は最期まで頑張ってたと思います。
深い良い話ありがとうございました。
もうヒマラヤ登頂を超えて、人間と社会と自然に対する深い慧眼のある見方をなされていて、
大変感銘を受けました。
登山に限らず挑戦には多かれ少なかれ常にリスクが伴いますね。例えば起業、大学進学、投資。だれでも始める事はできても、成功して終わらせるのは簡単ではありませんね。 挑戦する者は夢と現実の見境ができなくなり、リスクが見えなくなったりする時がありますね。良い話を聞かせてもらいました、ありがとうございます。
野口さんの言葉を選びながらのお話。私には参考になります。
厳しい登山で培われた賜物だと感じました。社会生活にも必要な事ですね。😊
栗城さんは、みんなに認めて欲しかったんだろうね。
深い話。人生で何かを捨てることの大切さ。応援する側の責任の重さ。登山家野口さんの言葉だからこそ心に響きました。
批判の声は単に批判してるだけじゃなく、心配の声でもあったんだよな。
ある意味では応援者より栗城さんの挑戦を冷静に見てたと思う。
野口さんが毎回きちんと帰ってきて、素人の僕等にわかりやすく、時に面白おかしく情報を発信してくれる事がとても嬉しくて楽しいです。
今後も野口さんはどこへ行っても必ず無事に帰って来て下さい😊
冒険の共有が出来る場所では無いのは野口健さんも良く分かっていたんだなぁ。現実と乖離した計画の内実も、、、
登山だけでなく人生という中でとても大事なことを伺った気がします。手放す勇気。手放したことで手に入れられるものもある。心に響きました。ありがとうございます🙏
野口さんはエベレストの頂上直下で悪天候のため引き返した
ことがありましたね。
難しい撤退の判断をする際、外部の意見が耳に入るとそれに
影響されて判断を誤る事があるでしょうね。
野口さんの意見はその通りだと思います。
何かを捨てる。深いですね。夢は大事 でも夢を目標にしたなら情熱だけでなく、何かを捨てて地に足を下ろして現実を見ることも大切ですね。
若い頃常識破りな面があった野口さんだが、亡くなった方の陰口など言いたくない、という極めて常識的な面を備える男になっていた。山が彼を大人の男にしたんだろう。
深い。勉強になります。
野口さんの優しさを感じました💖
その通りだと思います。周りが見えなくなって冷静な判断が出来なくなった時、自然が牙をむく…🗻
栗城さんのファンは、冒険を応援してたというよりも、冒険型エンターテインメントを消費していたように見えます。今で言えばyoutuberみたいなものな気がします。
そして、本人も気づかないうちに冒険家というよりも興行主みたいな感じになっちゃった。客をどう楽しませるか満足させるかに焦点が行っちゃってああいう結果になってしまったのかもしれません。
周りが止めてやれば。無謀だよ。皆わかっていたはず。
最近、登山のUA-camを視聴する機会から偶然か必然的か動画配信を見つけて視聴しました。
また、視聴後には栗城さんの過去配信動画にも繋がり、テレビ番組で見た当時を思い出し感慨深いです。
野口さんが、同じ登山家として栗城さんへの想いを語る貴重なお話しを視聴することができ、なるほどと改めて想いました。
戻れ、行かせて下さい、
途切れ途切れの無線交信を思い出します。
栗城さんの配信動画も視聴してみます。
ありがとうございました。
表情が真剣かつ、言葉をとても選んでいるのが伝わりました。周りの声が彼を殺してしまったとしか思えません。SNSでの発言は人の人生を左右するものだと思って気を付けようと思います。
お話しづらい内容を、栗城さんを傷つけないように言葉を選びながら配慮された
内容でありがとうございます。
栗城さんご自身で作り上げてしまったアイドル登山家。
登山は命を懸けて行う行為ですので、本当の実力と本当の志がないといけません。
栗城さんのご冥福をお祈りいたします。合掌
お話感動しました。そんな経緯があったとは…。栗城さんとの出会いから、登山家としてアドバイスもされてたんですね。それでも貫き通した異色の登山家。友人として心配されてたんですね。彼しかできない挑戦だったし、生きて帰ることができなかっのが心痛いです。
捨てる、引き返す、この判断できる人が1番勇気ある人です。いろいろ期待を背負い、協力者、スポンサー等すべての思いを捨てて引き返す。帰れば批判が待っている。なかなか出来ることではない。私も登山をしますが、日帰り登山で天候不良になっただけですが、引き返すのに「せっかく来たんだから・・・これくらいの雨なら・・・」とか、引き返すのがもったいなくなってしまいます。これが時間もお金も人生もプライドもかけた登山だったらと思うと、引き返す勇気が湧くとは到底思えない。行くしか選択肢がないと思ってしまうのも当然と思ってしまいます。
自己認識と本来の実力の乖離が、彼を追いやったと思う。
本来の実力を認める事が大人になるって事で、「何かを捨てる」事で何かを実現する事に繋がる。
野口さんは解らせようとしたんだろうけれど。彼の様に肥大化した自己認識を改めるのは大変な痛みを伴うのだろうし、その痛みに栗城さんは、向き合わなかった。
栗城さんは山を愛するって言うよりも、それ自体仕事としてやってたと思う。世間と違うのはその失敗が命に直結すると言う事
あれからもう5年が経ったのですね。
私は当時、栗城さんに直接コメントとかをしたことはないですが、過去に野口さんが栗城さんに「これだけ多くの人に夢や希望を与えてきたのだから、あなたに死ぬ自由はないよ。多くの人が悲しむから」とおっしゃっていたというのは、ある意味救いですね。
つまり野口さんほどのお方がそのような警告をおっしゃられたにも関わらず、無謀な挑戦をしたわけですから、我々一般人が何をコメントしたところで無駄であっただろうし、これはもう仕方がないことなのだと思います。
指を9本失ったことによって、これは生かされたんだ、これからは命を大事に生きていかなくてはならない、という方向にはいかず、むしろナニクソ、こうなったら絶対やり遂げてやる、という方向にいってしまったような気がします。
それと大人の事情もあったでしょう。引くに引けない事情というのもあったかもしれない。
ただ、今回野口さんの話を聴いて、植村さんをはじめ、他の著名な登山家の死とはちょっと違うよな、と思いました。
このようなことで亡くなるのは正直もったいなと思うと同時に、登山で生きて帰れなかったということはすなわち負けたということだと思います。
どんな山でも必ず生きて下山するというのが鉄則ですからね。
きみならできる、力をもらいました、という応援より、やめろというアンチの方が、実は優しいファンだったかもしれない。私たちの人生にも、当てはまるけど。命や人生が関わってくる時は、特に。栗城さんに、もし子供さんがいたら、ちょっと判断も変わっていたかなと思う。
野口健さんの温かい配慮が素晴らしい。野口健さんこそ経験のある挫折を知った素晴らしい登山家です。
当時自分は登山のことを全くわからず、それがどれだけ無謀なことか、しかも、バリエーションルートや、アタックする時期、場所などもさらに難しくしていることなんて全く理解もできず、ただただ無闇に応援していた自分を反省しました。
あの時、自分を含め、コメントで応援していた人たちが彼を死に追いやってしまったんですね。。。
栗城が「単独」という言葉の定義を歪め発信したことは絶対に許されないと思うけどな。それは命を賭けて山やってた人たちやサポートしてくれたシェルパたちに対する何よりの侮辱だ。
そうなんですか?
それはここで言うことじゃないでしょ。
他で自分自身で発信しないと。
野口さんの有名性を借りて言っちゃダメ。
単独(離れたところに人が居るor他のグループがいる)無酸素(ボンベは持ってきている)でしたっけ?
登山の「単独」の明確な定義は無いが、現在の 単独無酸素 ってのは、過去の登山家達の膨大な苦労と、そして 犠牲 の上に築かれた、一種の登山文化財だと思う。それを蔑ろにしてきた彼の登山行は残念だと思う。
@@NSato-cm1uiレスつけられる仕組みってそういうことだろ
あらためて野口さんに感動しました。
他者を語る事で上に立つ事なく、よくぞこんなに良い人で居られるものだと。
時間も環境も異なって野口さんほど登山は無理ですが、その中でしっかり考え抜く事が
人として肩を並べられる方法なんでしょうね。
自分の場合、語るとボロが出て自身の人間性は下がるだけ(苦笑)
究極、自身の意見は黙す事しか。
娘を、自身に見合わぬ程立派に育てたつもりでしたが
野口さんのように慕ってはもらえません。
上にあげた様な部分が異なるからだと、答えを見せられているような気分です。
21:13 「栗城さんなら単独、無酸素や何かを捨てても多くの人に夢や希望を与えることができた」
全く同感です。一般人にはその凄さはよくわからないし、栗城さんほどの自己プロデュース能力があれば
危険なことをやらずにノーマルルートを登るだけで充分だったと思う
そもそも、単独無酸素をしてない可能性が高い。アルピニストを侮辱しかしていない
栗城氏は自己愛性人格障害者の特徴に一致します
過度の賞賛を欲するために、嘘や他人を利用してました
普通に生きるのは無理でした
これだけの資金を集めるのだからビジネスマンとしてはとても優秀。
一つでも何か捨てることが出来ていたら今でも成功者だったと思う。
意地なのか、夢なのかビジネスなのかは知らないが結局1番大事な一つを無くしてしまった。
登山家、冒険家でもない私がコメントなんかおくがましいことですが…
人生においては色々なことがあります
まさに野口さんがおっしゃる"何かを捨てる"も勇気がいりますが生きていればまた挑戦できます…何度も
野口さん、貴重なお話しを有難うございました
@@さらぱお-b1s 有難うございます🙏
恥ずかしいですね😖
栗城さんは引くに引けなくなってしまった感じですよね。
一部の山に詳しいファンは登山工程や日程について批判的、無謀さを指摘していましたがそういったファンはアンチとして処理し、
ただ無責任に応援するファンばかりを残していったために、野口さんがおっしゃるように犠牲になってしまったと感じています。
最後のエベレスト南西壁挑戦なんて自殺行為もいいところなのにそこに挑む、挑まざる得ない状況になってしまったこと、そのときの栗城さんの心境を考えると悲しくなります。
話を聞いていると富士山で滑落した生ライブ配信者と同じです。偉大な事は、事後報告で良いですよ。
その後 共有は低山で簡単な時に生ライブを配信するようなスタイル 今なら山系youtuberでも十分だったのに。
山って身の丈に合った楽しみ方をしないといけないなって改めて思いました。
山や大自然へ畏敬畏怖の念を抱きながら登ろうと思う。人間なんてたった一個の石が当たるだけでも、どうなるか分からないし、少し踏み外すだけでどうなるか分からない。むしろそういう環境を楽しませてもらうくらいが丁度良いな。
01:57最近は知らないけど一時期コミットメント(宣言)して自分を追い込ませるという極端なやり方が流行りましたね。
「やると言ったら必ずやるんですよ!」みたいなね、イキった発言を無理矢理させて、その自らの発言で自分を追い込むという手法。
栗城がやっていたのは普通にこれをやっていただけで当時は珍しくもないやり方だったよ、登山の世界を除いては。
登山というのは撤退の見極めが大事だからね、頑張れば必ずできるとかそういう世界じゃないから。
個人的には登山が尊いのは死ぬからだと思っている。
その登山に付き纏う死というものを理解できない人達の声を背負って登るというのは野口さんが仰るように無理があった。14:37
栗城の死が関係しているのかいないのか分からないけど、ちょうどその死の頃からコミットメントさせて夢が必ず叶うとかなんだとか煽る手法使う連中は見なくなったね。
栗城の死がそういう連中に煽られて洗脳されていた人達の目を覚まさせたのならそれはそれで栗城の死は意味があった。
冒険という字は「険しさを冒す」と書きます。誰に言われたでなく好きにすれば良いと思います。けれど、普通は準備だけは万端にします。彼がそうでなかったとは言いません。が、結果が全てです。引く「冒険」も必要なんですね。合掌。
野口さん。
栗城さんを通して、冒険の厳しさと浪漫を伝える貴方は素晴らしい。
登山に明るくない自分でも知ってる野口さんが単独無酸素なんて無理って言うあたり相当無謀なことなんですね。
厳しい冒険を乗り越えてきたからこその優しさを感じるいい動画でした。
イモトアヤコ登頂してるよ アルピニスト名乗る人が4回目も失敗するなんて恥ずかしくて名乗れないよ 三流しょ
私は音楽とスポーツ以外はいつも倍速で動画を見るのですが、こちらの動画は通常の速度で見ました。
非常に重い証言でした。
多くの人に夢を与え続けることの大変さがよくわかりました。
野口さんのご意見はごもっともなんですが、素人は知識がないだけに無謀だとは思っていても時に大きな夢を託してしまうんでしょうね。
出来るわけないことを誰かにやってもらってそれを目撃し、一緒に感動して歴史の証人になりたいみたいな気持ちが無意識に働いてしまうような気がします。
挑戦する勇気は能動的なものなので持つことは容易いですが、「引く勇気、捨てる勇気」は後ろ向きのため持つのが難しいですよね。
「指を失った」という言い訳が成り立った時がその勇気を奮う時だったのかもしれません。
講演を聞かせてもらっていると錯覚するような素晴らしい内容の動画でした。
何か一つ捨てるって言葉は凄く説得力があります。
熱中し過ぎると時には自分を見失うことは誰にでもあります。
単独無酸素に拘って命捨ててしまったら、何のための公演だったのか?
指を9本失った時に何故、冷静に考えなかったのか、疑問です。
指を失った時に内心では自暴自棄になっていたのではないかと思います。
登頂云々より、死に場所を探していたのではないかと思えてなりません。
私も当時注目していた人です、栗城さん
自己啓発セミナーに危うく勧誘されそうになった大学時代を思い出します。
本当の自分を見つけよう、そんな世の中の雰囲気が今よりも高かった気がします😂
ありがとうございます。
涙しながら拝聴させて頂きました。
彼が大学卒業頃(二大陸登頂頃)から応援していました。
出発の新千歳空港に数人お見送り、スポンサー探し、講演会主催などを通して、栗城くんの目の美しさに心を惹かれていました。
指を失った時、道が二つに分かれていたと感じます。
その時の方向のゴールはここだったとどこかでわかっていて、最終的に貫いた気がしています。
『その道しかなかった』
そんなふうに感じて残念であると同時に、貫く彼の人生を登頂しきった気もしています。
追い込まれてたどり着いたゴールかも知れないけれど、彼らしくも感じられます。
今回の野口さんの動画は、彼への愛がたくさん詰まっていて本当に嬉しく思いました。
観れて良かったです。
ありがとうございます。
「俺は100mの高さからパラシュートなしで飛び降りて着地する」って言ってる奴を「あなたならできます」ってのは応援じゃなくて自殺幇助だね。
自分も海外の山を登ったりするくらい山登りが好きだけど、
野口さんのこの話はすごく共感できます。
栗城さんは、超一流の登山家たちが登るような高度なクライミング技術を要する
バリエーションルートを登るスキルはないけど、高度に関しては、
実際に単独でダウラギリやマナスル(正式なピークでは無いが)などの
8000m峰をほぼ無酸素で登ってる訳で、高度には実際かなり強かったと思われます。
なので、普通にノーマルルートでエベレストを目指したり、
単独でなくてもパーティを組んでサポートを受けながら登るなどすれば、
エベレストはもちろん、他の様々な山に登る事が出来たはずだし、
そこでもっと面白い冒険の共有ができたはずです。
彼には、超一流の登山家のようなスキルがなくても、
人を巻き込む力や発信力は間違いなくあった訳で、その本来の自分の長所を見失って、
純粋な登山家のカテゴリーに拘りすぎてしまった事が残念です。
冒険の共有が一番の目的ならば、別に超一流の登山家がやることを真似て張り合わなくても、
極地に挑む登山ユーチューバーでも良かった訳で、そうすれば比較されることもなく、
むしろ、すごい面白いことに挑んでる若者として認知されたかもしれないのに・・
他のアルピニストの方達の口調の歯切れが悪いのは、やってる無謀さに対してその為の準備が見えないために、彼をどう評価していいかよく解らないからみたいですね。
年間270日山に入ってて、冬の槍ヶ岳等にガンガン登って、年一回ぐらいの割合で海外の高山に登っていたら、若くて多少無謀なことをやってても後押しできますが、ニ○リ(だったかな?)がスポンサーを降りたのも、高地順応の為に高山に入っていないといけない時期に、日本でまだ講演活動をやってたりしてたので、そのアルピニストとしての姿勢に疑問をもたれて切られたらしいです。
ある人が、彼は普段勉強しないのに毎年東大を受験する浪人生のようだと評してましたが、受験の失敗は大学に入学出来ないだけですが、高山での失敗は命にかかわるので、彼はいったい何がしたいのか解らず、そのため批判していいのか、応援していいのか判断できず、結果無視するようなかたちになってしまったようですね。
栗城さんは登山UA-camrじゃ満たされないし、超一流登山家の人達にも挑戦し続けてきたんだと思う。
よくも悪くも強い人だし、野口さんがジェラシーを感じる時点で栗城さんも超一流の登山家だと思う。
単独・無酸素という規定がはっきりあるわけではいけど、一般に単独登頂とはベースキャンプから1人で荷物を持ち1人でルート作りをし登頂後1人でベースキャンプまで戻って来るアルパインスタイルだと思う。無酸素の場合はこの背負う荷物にボンベがないから実質酸素ボンベを吸う事が出来ない。
1人で持てる荷物には限界があり体力的にも精神的にも時間的にも相当に負担がかかる偉業です。
この偉業は過去に登山家達が命をかけて挑み、時には敗れ時には命を失いながら紡いできた重みのあるものだと思います。
栗城氏は、ベースキャンプからチームを組みシェルパに荷揚げや酸素ボンベを運ばせ、ルート工作をさせながら、第2・第3・最終キャンプまで行き、最終キャンプから頂上まで1人ならば単独登頂という解釈変更を行いました。
いくら単独登頂と言う言葉に明確な規定がなくても、それでは過去のベースキャンプから1人で命をかけて困難にチャレンジし達成した先人達の単独登頂そのものが軽いものになってしまいます。
いくらインパクトがあるとはいえ単独・無酸素をかかげ単独・無酸素の解釈そのものを変えてしまった事が彼がバッシングされた原因だと思います。
普通にチームを組んで登頂しても凄い事なのに、彼は単独・無酸素と言う言葉をかかげ、その言葉に自らも追い詰められるのです。
当時、たくさんの応援する人と批判的な人がいましたが、本当の意味で彼の命の心配をしているのは批判的な人達の中にいて、実力的にも困難すぎる季節やルート、単独・無酸素なんて無謀すぎる、春のノーマルルートにチームで登頂でいいじゃないかって。
応援してる人達は、彼が何をしているのか理解せずに、大きすぎる風呂敷をかかげた彼の背中を押していたんだと思います。
どんな伝説を読むよりも、今回のお話は、今後の私の人生の記憶に刻まれると思います。貴重なお話をありがとう。
ああいあ
なんだか泣けました。野口さん熱い。
栗城さんが与えたのは勇気と希望ではなく
現実と戒め
登山家、冒険家ではなく
エベレストに登る事で金を集め、金を産み出す企業の経営者だった
登山家で登頂を目的とするならば、講演活動や資金集めに奔走するよりも、登る為のトレーニングを優先するはず
野口さんとか他の登山家を責めるのはお門違いな気がするね
野口さんのこの動画とか、いろいろ情報を聞いてる限り、周りの山屋の人たちはその人たちなりに栗城さんを止めてた気がする
すごい考えさせられる内容でした。
栗城くんって、勇気と無謀は違うってことも教えてくれたよね。
否 同じ
成功したか失敗したかだよな
野球で言うところの好走塁と暴走みたいなもんだ
@@HemeIron_17 失敗するべくして失敗したので
努力して失敗した人と同列に並べちゃいかんよ
なんの価値もない失敗だから行動も結果もすべてが無駄だったね
風船おじさん 元気かな。
お前らはそんな挑戦さえできない無力な庶民だがな
動画を見て良かったです。
別の登山家の方が3.5流というような表現をしてらっしゃいましたが、お話おきいて意味がわかりました。わかりやすくも悲しいお話をありがとうございました。
栗城と野口は3.5流。なるほどと思った
@@打つ方はなんと貸します この二人は 登山家というには真摯に山に向かい挑戦している真の登山家に失礼な人間です、3.5流と言われても反論できないでしょう
@@打つ方はなんと貸します まあ、似たような二人だよね。
@@打つ方はなんと貸します 野口は三流だって言ってたろうが
人の言葉を勝手に盛るな。
それは最早栗城を美化してるよ。
ハットリ君も3.5流なんだけどなw
問題なのは栗城氏がやっていたのは、単独でもなければ、無酸素でもなかったという事実。
日本でクラファンなどを通じて集めたお金で、ポーターを雇ってベースキャンプを設営・荷揚げまでしてもらっています。他人が設置したロープを使っての登山は、ソロ登山の定義に反します。
無酸素に関してはエベレスト以外では無酸素は通常のことで、エベレストにアタックして失敗したらすぐに(誰かが用意してくれた)酸素ボンベに吸い付くというのは、お笑い草に思えました。
何度でもやり直せるというのは、生きてる前提だから言える言葉。
死んだら全てが終わる。
登山は、自分の実力を見誤ったら簡単に死ぬ。
だからこそ、今のお前には無理という言葉を冷静に聞いて欲しかったな。
14サミットを達成した人でも、アイガー北壁や谷川岳の一ノ倉沢をフリーソロで登れる人でも、エベレストの無酸素はなかなか難しく、しかも難ルートの南西壁を単独でなんて、人類にできるかもわからない程無謀な挑戦だった。
ウエリシュテックでさえも死ぬ世界。
それを驚愕の登山記録や初登頂や初登攀の記録もないただの登山愛好家が挑戦しようなんて、ただの自殺ととらえられてもおかしくないほど、馬鹿げていた。
彼の周りの人も全力で止めるべきだった。
起こるべくして起きた事故。
冒険ではなく、ただの無謀。
残念としか言えない。
応援する側の一般人は、難易度、難しさが実感でわかってないから、無邪気に応援してしまうんだよね。
近い立場の人の説明はわかりやすい。
死と隣り合わせの登山家にかける言葉を考えた時に、思いついたのは、「生きて帰れ」
この言葉しかない。口先の応援は誰にでも出来る。彼の冒険は、確かに無謀だったかもしれない。失敗すれば、無謀だとか色んなネガティブな言葉を浴びせる。そのくせ、成功したら、素晴らしい、快挙だと色んな美辞麗句で飾り立てる、物凄い手のひら返しなわけだ。
所詮、世間とはそんなもの。そんなものに振り回される事なく己の意志で決断していくことが大事なんだと文字通り我が身を賭けて教えてくれた。命を賭けて何かを成し遂げようとする者に結果の成否で判断することは、非常に恥ずかしいし人としてすべきことではない。
野口さんの言葉が胸に染みました…。やっぱり優しい方なんですね。
ところで私がずっと不思議に思っていることですが、栗城さんは南西壁を攀じたとなっていますが、本当なのか?
藤木高嶺さん小西政継さん森田勝さん植村正巳さん(はちょっと立場異色ですが)も、攻めあぐねた壁ですよね。
国際隊も喧嘩撤退し、のちにアメリカ隊が数々の記録をもとにようやく初登攀した壁。その後も滅多に近寄れない。
これは超上級のロッククライミング技術が必要で、登山家が選ぶルートではない。
なんで栗ちゃんがそこを選んだのか、なんで周囲は、そんな危険ルートを行かせたのか、それとも違う場所なのか。
それに入国がチベットからだっていうのもおかしいです。いったいどういう遠回り!?
どこかで何かがヘンだ。誰かが画策している?当時のスタッフたちが何か隠している?・・・本当を知りたいです。
野口さんに聞いても仕方ないことなのですが・・・何か少しでもわかっていらしたら教えてほしいです。
体調を崩していたのですが、スポンサーやメディアからの注目的にも登山挑戦を体調不良で断念する事はできませんでした
かといって比較的簡単なノーマルルートでも幾度となく失敗をし、そのたびに批判を受けました
おそらく、8回か、9回目のトライだったと思います
かかっているお金もおそらく栗木さん規模ならトータルで億は越えてるかと思われます
また失敗しましたとおめおめ帰れない状況ですが、本人からしてもノーマルルートでさえ成功できると思ってなかったと思います(当時のライブ映像を見ればわかりますが肺炎的な咳を何度もしています)
それは失敗するよ。仕方ない。と言われるルートを選ばざるおえない状況におかれていたかと思われます
これが関係者の中で噂されていた話ですが、自分は納得してしまいました
参考までに
@@坂本竜馬-o9z さん、丁寧に返信してくれてありがとう。でもね・・・まあそれはいろいろなところで論議された事柄のなぞりなので周知の事ですよね。
私が釈然としない点は、上に書いた通り。入山地点はネパールのはずがチベットだった不思議。小西さんでさえザイルを伸ばせなかった岩壁を、どんな理由があったとしても、そもそも攀じれないはず。
きっと、現地を知っている人や野口さんも内心、どっかがヘン…って感じているのでは?これについての疑問発言はご法度なのか?
最初に運が良くて成功し過ぎたのだろう。
野口さんの人柄がすき🐥誰よりも優しく強い人だと思います
栗城さんのファンは、山に興味のない人だけだったと思います。
少しでも山に興味があって、エベレストがどういう山かを調べ、栗城さんの登頂条件を考えれば、不可能であることは誰でもわかること。
登山家ではない自分でもわかるくらいですから、栗城さん本人も分かっていたはずです。
自分は、後ろに引けなくなった栗城さんが死に場所を求めていたようにしか思えません。
彼には登頂の応援ではなく、登頂を止めるように声をかけるべきだった。
ファンはもちろんのこと、スポンサーも契約を切ってでも止めるべきだった。
栗城さんの行いはまさに蛮勇。
これを勇気と言ってはいけない。
まあでも行動力はあってたくさんの人に支持されたわけだし俺等とは違うだろ
本人じゃないとわからないこともあるだろうしな
少なくとも良い行動ではなかったね。アムウェイなどネットワークビジネスの講演などで金集めとかもしてたようだし、これで指示するのはちょっと違うね。
まあ振り回された周りはかわいそうだと思うけど、本人としては自分の人生を全うしたかっただけじゃないかな
勇気とか蛮勇とかっていう話ではないと思う
ここの返信も地獄への道は善意によって舗装されているという言葉のままだな
勇気をもらったという言葉は受け取った側の人間だけに留まっていれば無謀なことを止めろとは同業の人やネットの人たちも言わないんだよ
その勇気をもらったという人たちの言葉は実績となって次の無謀な挑戦へのスポンサー集めの材料になる、おまけとして次の挑戦は前より難しい条件がつきやすくなるから命の危険がさらに近づく悪循環を生む
だから評価できる余地を残したくないんだよ
死んだら意味がない、しがみついてでも生きないと…蔑まれようとも、死んだらあるのは虚無かな
言葉が悪くて恐縮だが、結局のところ単独無酸素という冒険ポルノの主人公という立ち位置に自分を縛り付けてしまったんだよ。
そんな極端な物語にしなくても、地道にトレーニングを積んで有酸素でパーティーに参加して登頂したって十分感動や勇気は与えられただろうし3.5流なんていわれなかった。
野口さんはあの番組で何故かとばっちり受けてたけど、少なくとも地道に登山家としての活動は何十年としてる。
なぜそちらの道を選ばなかったのか不思議だ。
何かを捨てるってのは必ずしも諦めるって意味では無く優先順位を付けて行動すると解釈していれば、栗城さんは今も登山を続けられたように思います。
素晴らしい動画でした。
お二人のおかげで、3.5流という言葉を知りました。
はっとりんご
まあハットリ君も3.5流なんだけどなwww
山を知っている人は、無謀だって知っていたんでしょうね。
生きて帰れば世界初。
遭難して帰れなきゃ無謀な挑戦で世間では終わる。
けど常に無謀と言われる条件で挑戦し続けた栗城さんに勇気をもらったファンは間違いなくたくさんいる。
無謀って言葉ひと言では片付けられません。
個人的な事はここでは書けませんが、栗城さんの時はえっ?っていう感じでした。
野口さん、山でなくても下界でも健康に留意されご活躍される事を願っております。
心のプロは,自己の限界を知っているはずです。私の知っている登山者は,静かに自らと周囲の状況把握ができる人ばかりです…
栗城さんの人生を追った『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』を最近読みました。
僕自身、栗城さんの講演に行き、握手してもらったこともあったので、死の真相がとても気になっていました。
栗城さんを死に追いやったのは「メディアや一部のアンチのファンのせい」という意見をよく見ますが、的外れだと思います。なぜなら、栗城さんは自らメディアを上手く利用することかなり意識的にやっていたから。毀誉褒貶はありながらも自分の姿を見せることが、栗城さんのやりたいことでもあったから。メディアの責任が無いとは言いませんが、メディア「だけ」の責任では無い。
では、マネージャーなど、栗城さんの近くにいた人はどうだったのか??野口さんもおっしゃってますが、栗城さんの登山に段々と無理が生じていることは側から見ても明らかでした。なので、多くの人は止めていた。まして凍傷で指を失ってからは。
ではやはり、栗城さん本人が悪いのか??
自己責任なのか??山は過酷な世界なので、自己責任だと断じることも出来るとは思います。しかし、凍傷で指を失ってからの栗城さんは相当精神的に追い込まれ、希死念慮を抱えておられたようです。でも「山を登る姿をメディアを通じて発信する」という生き方から今さら降りることが出来なかった。それは栗城さんだけの責任とも言えない様な気がします。
煮え切らない、割り切れない、モヤモヤした気持ちになりますが、それぞれが少しずつ、栗城さんの死の「原因」のようなものを持っていると思います。
『デス・ゾーン』の中には、栗城さんの社会発信が得意な姿は野口健さんに似ているということが出てきます。栗城さんも、野口さんのように、富士山清掃などの何らかの社会活動の道を見つけることが出来れば、山から降りられたかも知れない...と思います。
亡くなった方にタラレバを言うのは失礼ですが、僕の中で結構ショックが大きかったので書かせてもらいました。ご冥福をお祈りします。
まぁ色々叩いてる人も多いようだけど、みんな栗城さんの失敗を教訓にすればええんやないかな
失敗する人は多いだろうけど、栗城さんのように知名度も高くて失敗する人はそれほどいないから失敗の教材としては素晴らしいと思う
人間いつかは死ぬんだから彼が生きてきた証として今を生きる誰かの役に立ってるなら彼も本望であろう