【ゆっくり解説】 中国史上最大級の敗戦 淝水の戦い 【前秦 東晋 五胡十六国時代】
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- Опубліковано 24 тра 2024
- 華北を統一した英雄、前秦の苻堅が圧倒的な兵力差を覆されて敗れた戦い「淝水の戦い」を紹介します。
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/ @c-history
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苻堅は崇高な理想をもって天下を束ねようと夢見て、統一が近づくほどに理想へ傾倒していったが
そうして迎え入れられた者たちはおおむね「強い者に従う」「崩れれば離反する」という常識的な振る舞いをしているだけだった・・・というところに非常に切なさを感じますね。
苻堅の末路にはまさに「あはれ」を感じるものです。嫌いにはなれない人物ですね。
まぁ、慕容垂は苻堅に義理立てしてたけど姚萇とか拓跋珪は強ければ従い崩れれば離反するだった。もっとも、姚萇は後に息子姚興が拓跋珪に大敗した時に苻堅とほぼ同じこと(姚萇が離反して苻堅を攻め滅ぼす)を赫連勃勃らにやられ、最後は後継者争いの末に国が南朝宋の初代劉裕に滅ぼされてしまう。
淝水の戦いで前秦が勝利していたら中国は統一されただろうけど、符堅の死後に各民族が自立してまた戦乱になっていたと思う。
苻堅は優しさと甘さを履き違えてしまった。残念だ。
各民族の自主性を保ったまま偽装退却なんて高度な戦法を採るから…。
純粋に戦術的な理由でその後数百年の歴史が変わったという、歴史的に見てもかなり希有な例ですねえ
ここで前秦が負けたから五胡十六国時代はさらに面白く、沼が深くなった(ぐるぐる目
やっぱりリアリストを失ったロマンチストの行き着く先が破滅なのは、悲しいけど世の常なんだなぁ
涅槃の王猛「おお、もう…」
新のあいつ「おお、もう…(新軍の敗北を知って)」
呉のあいつ「あ、もう…」
どんでんという架空武将が居るのか
曹真「おう、そう…」
「ドッゴーラ!」「王双がやられた。王双がやられた。う~ん。」
劉淵、石勒、苻堅、慕容垂、赫連勃勃。このチャンネルのお陰で好きになった五胡十六国時代の英傑たちです
苻堅大好きなんだけどなあ。やはり理想だけではダメなんか
最期の最期は理想とか現実的とか以前に戦術で負けてるから…
私も苻堅と王猛のコンビは大好きですが、理想実現のために王猛が不可欠だった時点で先はなかったのかなと。
漏れも彼の大ファン。
私も苻堅は好きだけど、時期が早すぎましたね。
内政に力を入れて中央集権化を推し進めて、東晋が孫恩の乱で揺れている時期に戦いを挑んでいれば統一できたかも知れない。
そもそも最後に理想を捨てたしな
王猛が生前に辞めとけと進言してて周りの臣下皆に反対されたのに天下統一したいがために臣下の意見を無視して戦争を進めた。理想を真逆の行動だよ
異民族への信頼が敗因だとよく言われますけど、自民族他民族を問わず臣下を掌握しきれず浮いてしまっていたのが根本だったように思えました。
まだ勝ち切ってない段階なのに敵から裏切った者を処分したのも悪手ですね。
いつになく短気で諫言を受け付けないし、建康に直進する即決ルートを設定しているのに兵站は弱含み、と何か過信と言うよりは焦った仕掛けてすよね。
まあ李世民ですら意味のない朝鮮出兵に妙にこだわったし為政者にはなんらかのツボというか独自のこだわりがあるんだろうなあ
劉邦「そんなに戦力差があるのに負けるとは信じられん」
王莽「ほんまそれ」
冒頓「劉邦に勝ったエッヘン」
王莽「実現ほぼ不可能な理想論を振りかざすからだよ」
劉秀「相手の国の状況や自軍の士気、統率を無視して理想を追求するからだ。」
陰麗華「そうですわね。若い頃のあなたとは真逆の人物ですね。」
項羽「俺なら勝てた」
蒋介石(ギクッ…)
驕りだよね。砂上の楼閣で飛び回る苻堅を亡くなった王猛はどんな気持ちで見てたのかな。
これ、状況的には天下統一を成し遂げた秀吉と同じなのでは?とも思う。
血気盛んで武功によって身を立てた家臣が多いと、王猛が居ない苻堅が抑えようと思っても結局同じことかと。
隴を得て蜀を望むとの光武帝劉秀の言葉、以前は自重の為だと思っていましたが、最近は家臣に対する牽制な気がします。
苻堅が勝ったところでこの時期の中国だとまだ中華として纏まるのは難しかっただろうからなぁ
北魏になってようやく華北が纏まるまでの段階でも淝水の戦いから50年も経っているんだし
そこから隋が統一するまで150年以上後だから苻堅の理想はあまりにも早すぎた…
淝水の戦いは数をそろえればいいってもんじゃないといういい例ですね。東晋軍は戦場がほぼ地元だし、数も少ないし、兵士たちも漢民族が中心なので、うまく統率が取れて、補給も比較的楽だったでしょうが、前秦軍は遠方からの遠征軍な上に、百万以上の大軍ですから、補給に苦労してそうですし、おまけに色々な諸民族・諸部族の兵士で構成されているので、統率も難しかった…、というよりできなかったんでしょうね。(言葉も全然違うから、意思疎通に苦労したとも思う。)
前秦に投降して、そこで厚遇されても東晋のために動く朱序もすごいですね。てか、彼の行動が前秦軍完全瓦解の決め手ですね。(彼がいなかったら、まだ軍勢を立て直せていたかもしれない。)これは東晋の忠臣。
でもまあ、仮に前秦がこの戦いに勝利して東晋を併呑しても、苻堅というカリスマがいなくなれば、全秦はあっという間に瓦解していたとも思いますね…。
でも、謝安も朱序もまさか東晋まで滅亡するとは思わなかったが。
勝利の報を聞いた後の謝安が良いのよ。人間らしいというか。
興味深い内容でした。
大軍を運用するなら、鍾会が確立したとも言われ、蜀を後には呉も滅ぼした多方面同時侵攻ドクトリンが有効だと思いますが、苻堅はなぜ一か所に固めてしまったんでしょうね。
やはり親征にこだわったせいなのか、あるいは大軍の圧力で自壊を誘い戦わずに勝つという絵図を描いてしまったのか。
また、負けた時のことも一切考えてなかったようですし。
大軍が敗戦し補給が崩壊すれば、食べ物がなくなって、生きていること自体が難しくなりますから。
ミクロで言うなら、どういう理由かはわかりませんが「苻堅とはともに天を抱かず」と決めて南に逃れてきた & 故郷と家族を守ろうとしていた東晋の将兵と、勝ち馬に乗って「安全な戦争」で一儲けしてやろうとしていた前秦の将兵たちとは、士気において天と地との差があったんでしょうね。
どんなに大軍であろうと最前線に立たされれば死地に立たされるわけで、安全圏にいられると思っていた前秦の兵士たちからすれば、全体が後退することで自分が最前線の死地に立たされる恐怖により自分だけは集団よりも先に逃げよう、という雪崩現象が起きたのかもしれませんね。
完全な想像になりますが、あまりにも大軍勢すぎたせいで一ヶ所に固めるほか無かったのかと思いました。
兵站面だとあっちこっちの戦線で大軍を維持しようとするよりは、総数は同じでも一ヶ所に運ぶ方が楽です。
また統率の面でも、皇帝が直接率いているという威光が無ければ統制を取ることも難しかったのではないかと思います。
分進合撃をしようにも、腹心で忠義に厚く、統率力のある将が足りないんじゃないんですかねぇ……
苻堅好きだけど、華北統一までに戦死した身内を持つ者は、慕容氏や姚氏を良い目では見れなかっただろうな。
そこが苻堅の現実感のなさか。
しかし、前秦の淝水の戦いでの補給はどうなっていたんだろう⁉️
食料や矢などの物資でもバカにならない物凄い動員力ですね‼️
兵力数の信憑性はさておき、前秦は兵力が多過ぎて補給に難があり統率が取れず自壊したということですね。
戦勝の知らせを聞いた謝安は客がいる時は平然としていたけど、客が帰った後に大喜びしていたエピソードも面白いです。
徳をもってと言いながら驕りが見える辺り、戦いでやらかさなかったとしてもその後の統治で崩壊していたように思います。
中国史の南北大戦の1つ「淝水の戦い」。これと赤壁の戦いは高校の世界史の教科書にも載ってますね。
いくら大軍といっても別働隊を編成して多方面から攻めた方が成功確率が高いだろうにと思ってしまう。それが可能な兵力差があったのだから…、と言っても後の祭😢
「日本史空白の4世紀」の舞台裏だったり、それ自体が中国史の転機だったりと、むちゃくちゃ重要度の高い淝水の戦いの全体像に初めて触れることができました。あと、大軍は偽装退却みたいな小技には向いてないですね。なんやかんやで符堅、焦ってたのを強く感じます。
戦いの勝利の報告を聞いた謝安が喜んで飛び跳ねたところ足を挫いて怪我をした、というエピソードを田中芳樹氏の中国武将列伝で読んだ記憶があります。
勘違いだったらすいません。
「佞言は忠に似たり、姦言は信に似たり。」(宋史 李沆伝)なんて言葉がありましたね。北宋の宰相であった李沆が言ったとされる言葉ですね。その善政が讃えられた名君、苻堅であっても過ちを犯してしまう、更に諫める者があったにも関わらず、顧みる事が出来なかった。こういった話しは大切な教訓なんだと感じました。お話し良かったです。
なんと言うか、「驕れるものは久しからず」という言葉を文字通り体現してしまったように感じられますね……
この戦いと「鍾離の戦い」は日本でももっと注目されて欲しいな
「鐘離の戦い」をどこで知りましたか? 自分は鐘離の戦いは田中芳樹の小説で知ったのですが…👮
私も田中芳樹先生の小説で鐘離の戦いを知りました。
11:24 この扱いの差なんかは寛大さと厳格さの使い分けができるヒロイックな君主ムーブしてるように見えるけどなぁ
この決戦で勝っていれば趙匡胤に劣らぬ名君扱いだったんだろうけど、残念
中国は北部を統一した王朝が南部に攻め込んで敗退するパターン多いですよね。
モンゴルですら南部を滅ぼすのに結構時間かかったわけだし。
一方で江南から華北を征して中華を統一したのは明だけなんですよね。
ありがとうございます!
感謝……!只々感謝……!!
いつも本当にありがとうございます!!大変励みになっております!!
今日も仕事時間の前,台北から楽しく拝見致しました.堅さんは長い人類の歴史の中で極めて珍しい英雄で,そして知識豊富な天下の為に動いた偉人です.残念ながら時代によると下への縛りと残酷な仕置きができない彼こそこの世の無常と無情を語ってくれます.
このチャンネルのおかげで初めて淝水の戦いを知って自分で調べたら映画レッドクリフで有名な赤壁の戦い以上に面白かった
映画化とかしたら絶対面白いと思うんだけどなあ
王莽もそうだが、君主が理想主義に走り過ぎるとロクな事にならんという代表例だなぁ。ちなみにこの合戦の影の立役者である朱序は東晋に復帰し、武将として活躍したとの事。
Thanks!
いつもご支援いただき、感謝感激雨霰ェ!!
とっっっても励みになっていますッ!!
敗者がいれば勝者も必ずいるのに敗者側にばかりクローズアップされる淝水の戦い回だーやったー!!
親征なら永楽帝のモンゴル遠征をリクエストします
符堅が自ら出たがったのは天命論的なやつなのかなと思う。晋はなんだかんだ一応正統を継いでる王朝だからねえ
歴史上これだけのifとフラグを持った戦いってなかったのでは?政治史は勿論、文化史民族史などにおいてもこれほどの分水嶺はなかった、なーんて後に言えるんだからやっぱ歴史って面白いですね。いつもありがとうございます。
なるほどこの時でしたか。ありがとうございます。
理想主義者であっても、権力の持つ魔力の罠には抗えないのか。
切ないなぁ……
ローマは10万までって決めていたな
前秦や唐のように100万超って限度ってものがあるぞ
釈道安は襄陽戦の際に捕虜となり、苻堅の政治顧問となってますね。西域で名声を
高めていた鳩摩羅什を中国に招くよう苻堅に建言していましたが、淝水の戦いの惨敗
でそれどころではなくなり、鳩摩羅什が招聘されたのは後秦になってからでしたね
前秦を完全に滅ぼした姚興の時代ですね。苻堅も姚興も仏教を保護した。でも姚興もまたヒ水での苻堅の失策に学ばなかった。おまけに王猛の様な存在がいない。結果、北魏の拓跋珪に大敗して赫連勃勃らの離反を招き、一気に後秦は衰退へ。
投稿お疲れ様です!いつも楽しみに視聴しています。
この戦いで東晋が勝ったのは、東晋にそれだけの実力があったのも大きいと思う。この頃の東晋は、土断を断行した桓温の改革などにより国力が充実していた時期だったし。
前秦侵攻という危機が迫っても、内部分裂せずに一致団結できた東晋国内の安定感も勝利をもぎ取れた一因では。
だからだよな。謝安の死後半世紀も経たずに東晋も内部崩壊して滅ぶなんて。しかも、そこから梁の菩薩こと蕭衍が出てくるまで南朝も安定しない。華北も北魏の太武帝が統一した後も後継者争いがあったりしてようやく安定するのは女帝馮太后の時代。
理想はあったにせよ、負けるべくして負けたということはひしひしと感じさせる。むしろ後世への教訓として負けた理由が克明に記されて残されたのかな、とも
かつて誰も率いたことがない大軍勢。最初にして貴重なしくじり先生となった符堅
苻堅は度量も広そうなのに人の意見はあまり聞かないんですね
如果王猛还在,符坚一定不会大败,他一定会劝说符坚不攻打东晋。历史将会改写,如果符坚执意要讨伐东晋,最后也不一定会失败。东晋的成功绝不是偶然的,君臣一心,国家团结,还有像谢安这样的杰出人才和战斗力强悍的北府军。符坚的失败无疑是没经过深思熟虑就草率发动战争对东晋国情不了解和骄傲轻敌造成的。
一視同仁の理想は好きなんだけどな~。
戦という物は戦力に勝る方が勝つ物。ここで注意しなければならないのは戦力=兵力では無い、という事。兵力は戦力を構成する要素の1つだという事。淝水の戦いでは明らかに東晋軍の方が戦力的に上だったという事。前秦軍に勝目は有ったか、と言えばもう少し待てば良かったでしょう。この戦いの後、間もなく東晋は桓温の専横に依って事実上滅亡するのですから。
桓温ではなく息子の桓玄。
東晋はこの時抗わず素直に降伏していれば後の劉裕の簒奪にも遭わず子孫は幸せだったんじゃないか?と思う😅
仮にヒ水の戦いに勝ったとしても苻堅の死後に空中分解しただろうな
どうしちまったんだい鳥人間さん!?怒涛のUPじゃねえか!!地平線の彼方の浪漫が待ってるぜっっっ ふおおおおおおおおおおおおっ!!!!!
勝利の方を聞いた謝安のエピソード好き
これ記録の残ってるってことは見てた人いたのか?
ひすいのたたかいを取り上げてくれて嬉しい
五胡十六国時代の事が知れるのは、有り難い事です。
前秦崩壊までは北朝はいかにも遊牧民的な国家だけど、北魏あたりから禅譲したり、有力者が傀儡皇帝擁立とか権力構造が変わった感あるね
空前絶後の南下をしたサンシャイン苻堅
そりゃあゲームと違って忠誠100には出来ないし、いちいち画面停止して指示なんて出来ないし大軍の効率的運用なんて無理ゲーよ。
王猛が先に逝った時点で詰みやったね…。
勝った側の末路もそれはそれでもう、ね・・・
そう、まさか東晋が滅びるとは思わないけど、ヒ水の戦い辺りから既にその兆候はあった。謝安一族は貴族社会の東晋の最後の輝きで、謝安が亡くなると東晋はまとめる人間がいなくなって政治が劣化、孫恩の乱が発生する。その討伐の過程で台頭したのが桓玄と劉裕の両軍閥で両者の争いに勝った劉裕が東晋を滅ぼし、南朝の宋を建国。因みに劉裕は東晋だけでなく後秦も滅ぼしている。その後秦は苻堅とその後継者達(前秦)を滅ぼすまでは周辺勢力を支配下に治める程勢いがあったが、当時の皇帝姚興は苻堅の失策に学ばず、結果、北魏の拓跋珪に大敗。更に密かに暗躍していた赫連勃勃らの裏切りにも遭い、姚興が亡くなる頃には後継者争いまで勃発するなど崩壊寸前だった。劉裕が後秦を滅ぼすのは姚興の死の翌年のこと。でも、劉裕も晩年は軍師を失ったりして勢いがなくなり、宋も劉裕死後、短期間で崩壊。
世界史Bの資料集に載っている淝水の戦いだぁ😃
話を聞いてる限りここで勝ってたとしても西晋みたいに瓦解しそうな気がしなくもない。でも上手く対処していく気もする。
理想と現実の狭間の戦い
補給に不安があって長期戦を選べないのは、大軍の欠陥ですね。
襄陽を抑え四川も領土なんだから、南郡や長江沿いに拠点を伸ばしていった方が良かったように思います
建康を攻略するのに合肥を押さえるのは鉄板ルートとしても、荊州を押さえた上で二方面から侵攻していれば成功しなくても崩壊までしなかったかなと。
大軍なんて一か所にまとまってろくなことがない。
@@yuten1992親征だからまとまらざるを得なかったってのはありそうですね。
諸将が反対したのもちゃんと理由がありそう
陛下の動画が私の楽しみです。ありがとうございます😊
ご支援、まこと痛み入ります……!
ご厚意、五臓六腑に染み渡ります……!!
「ガキ共が勝ちよったらしいわ…」とかいうレベルの勝利じゃないですよ安石さん
淝水の戦いの前に内乱が度々起ってと考えると前秦が崩壊する兆候があったかも思います。領内の地固めを軽視しなければ、淝水の戦いで敗れても前秦もっと続いていたかもしれませんね。
大軍の運用は難しい
晋の統一から約100年後の戦いであり
隋が南朝を滅ぼすのは約200年後の話。
明日の晋が勝つって予想動画ありがとうございます‼︎
この戦い、テストに出ます。
負け方が大事
Vやねん前秦!アカン統一してまう
釈道安は襄陽を落とした時にゲットした人ですね。あと習鑿歯も。
符堅と王猛か。
王猛の言うことを聞いとけば(前)秦をしばらくの間は維持できたかもしれないのに。
どっちみち慕容氏あたりに滅ぼされるか乗っ取られていたかもしれないけど。たぶん。
拓跋氏。慕容氏も拓跋氏に敗れて国が分断され、一方は馮太后の一族に乗っ取られ、もう一方はあの劉裕に滅ぼされる。
苻堅の思想は大好きだし本人に能力もあったと思うんだけど、各種批評では甘ちゃんの理想主義者扱いされてて悲しい…あと野望を抱きつつも恩義がある苻堅を助けた慕容垂も好き
慕容垂が自立したのは苻堅が姚萇に滅ぼされてから。しかも、自立してから同族の敵西燕を滅ぼすが、息子の不始末で台頭して来た北魏の拓跋珪に敗れ、慕容垂は奮戦するも憤死。苻堅の死後、前秦はかなり抵抗したが、後秦の姚興に滅ぼされ、その姚興も北魏に大敗を喫してから征服した部族が自立。最後は後継者争いの中で亡くなり、後秦もまだ宋建国前の劉裕に滅ぼされた。
慕容垂が自立するのは苻堅が姚萇に滅ぼされた後。敵対する同族の西燕を滅ぼすが、勢力を拡大してきた北魏の拓跋珪との戦いに敗れて国を分断されてしまう。慕容垂は奮戦するが息子がやらかして多くの戦死者を出し、そのショックで慕容垂は死んでしまう。
@@user-kq2hj6wq3y ありがとうございます。やはり慕容垂好きです
王猛は慕容垂と姚萇を危険視し、除くよう苻堅に進言してるけど慕容垂は苻堅に義理を通し、長安近くまで苻堅を守る様に付いて行ったんだよな。だから、苻堅が反旗を翻した姚萇に捕えられ、殺されたと知った時にはショックが大きかったのでは。慕容垂が亡くなるのも自身は高齢でも奮戦してるのに息子がやらかして北魏の拓跋珪に大敗を喫し国を分断された上、そこで多くの戦死者を出したから。ヒ水でおびただしい惨状を見ていた慕容垂にはヒ水と同じ惨状を招いたことに耐えられなかったのでは。そして、慕容垂の部下として付いていたのが後の北魏の女帝こと馮太后の一族。後の馮太后は一族の人間が苻堅や慕容垂らの話をするのに耳を傾けていたのかな。
苻堅はなんだか途中から、趙括大先生を将軍にしようとした考成王みたいになっちゃったな。東晋側が流言をした訳でもないのに。
関係ないけどシャアが出てきただけでビクンしちゃった
「前秦陣営には未来の帝王がいっぱァい」
どこに撃っても敵に当たるぜ!並みの絶望感
苻堅は王猛が亡くなったとはいえ、この頃には優れた臣下を沢山抱えていたと思います。しかし彼らの意見をこの時期は殆ど取り上げていません。そこが大きな過ちの1つでは無いかと思いますね。
歴史上の名君は乾坤一擲の大勝負を制して名君になったが、苻堅は運悪く負けたからアレコレ評されているだけに見えるので、単に歴史における評価が気の毒すぎる😭
前秦の規模が群雄割拠くらいなら、全陣営を掌握できたんだろうけど、この戦争の直前くらいでは掌握できない規模になっていたんですかね。
100万を号する軍勢でも、遊んでいる部隊は多くなるだろうし指揮命令も末端まで届かせにくい。30万から50万くらいでじわじわ侵攻してセーブするイメージで広げていくほうが良かったのかなぁ。
兵站の維持費やばそう...
17:25
ダウンタウン松本おるやんけ!
せめて親征ではなく、釈道安の献策の通りに本人は長安なり洛陽でどっしり後方で構えてればなぁ。。。
この動画とは関係ないのですが、動画中によく「中山国」のサムネイルを見るのに、検索しても、春秋戦国のプレイリストを見ても、動画が見つかりません。何故でしょうか?観たいのですが。
申し訳ありません。今はもうメンバー限定動画に戻っています。
@@c-history 回答ありがとうございます。そうなのですね。ただ、他のメンバー限定動画は検索結果に表示されるのに「中山国」の動画は表示されませんでしたよ。何の加減でしょうかね。
符堅にハンニバル、アルミニウス、陸遜、真田昌幸、島津義弘のいづれかの傑物が居なかった事を嘆くしかないですね…。
まぁ主ご贔屓筋の曹操ですら挫折した南征。
中国史的にも垂涎の泥沼展開に引き込んだ抱腹絶倒の歴史的1戦です。
夢想家・符堅の見事な敗れっぷりに乾杯ですwww
大兵力による決戦はハイリスクハイリターンの博打ですね
理想は、素晴らしかったけど、補佐する者達の言葉を聞き入れないほどになった時点で、この戦いの趨勢は決まってたんだろうな。
劉邦「普通この戦力差で負けるか〜??」
項羽「ほんまよな〜?普通負けないよな〜?」
符堅は理想主義者であるのは良かったのですが、様々な部族の烏合の衆に近い112万人の兵員を兵站を考えずに進軍し、伝令・伝達が発達していない時代で内側からも敵を出したのがいけなかったですね。せめて、精強で練兵された軍団を少数進軍させ、後詰めに一般兵を大量投入すればまだ戦えたかも
4:55 凄い解説をしてるはずなのに謝安に全部持ってかれて内容が入って来ない(泣)
官渡の戦い”のドラマか何かで曹操が言ってたのが
兵力差が開けば開くほど有利になる、でしたね
出典が何処なのか分からないですが
苻堅の理想主義は横において……南朝攻略といえば襄陽攻略→合肥攻略なわけで鉄板の侵攻作戦だった。
が、大兵力が一か所に集結しているとホントろくなことにならんね。まともに全軍の指揮ができないのに、動揺からの恐慌状態だけは素早く伝わってしまう。
それは違うのである
勝者の勝因より、敗者の敗因の方により多くの学びがある
勝ちに不思議の勝ちあり
負けに不思議の負け無し
降伏させた(特に異民族の)敵勢力の王族男子は生かしてはならない事がよく分かる動画
勝てない寿春・合肥ルート
上流を落とさないとねぇ、おまけに補給で完全に詰みや
理想の多民族国家を追い求めた苻堅だけど、
根っこは持論を押し付ける承認欲求の塊で
忍耐力が低い点は新の王莽と同類みたい。
劉秀のような謙遜さと辛抱強さがあれば……
中華統一待ったなし!
Vやねん!前秦!!
前秦タイガース!
@@user-fn5nm5jq3l 33-4
映画化しないかなレッドクリフみたいにワンチャン当たるかも
古代中国マジで他の国と戦争の規模が違う
112万の兵站ってどんな規模なんだろ・・・見てみたいものだ
112万并不是同时到达战区,有的快有的慢
合戦時の兵数は苻融の先鋒27万しかありません。
苻堅自ら5000人の近衛兵を率いて苻融と合流した。
大部隊が途中で一部が長安より出ていませんw
実際の兵力が前秦27万5千vs.東晋8万ですね。
@@temujinborjikin7223 私が言ったのはこの意味で、ほとんどの兵員はまだ戦場に到着していないが、符堅全国の兵力は確かに100万前後ある
淝水之战是中国历史上重要的一场战役,使得原本可以统一的时间推迟了几百年,中国历史继续战乱了想当长一段时间,直到隋文帝王坚再次完成大一统。