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相変わらず凄まじいクオリティです。ファイナルファイトの他にも動画内に散りばめられている、時事ネタ、小ネタ、伏線が好きです。今回の時事ネタは宗教と政治、小ネタはケンシロウでしょうかね。国司と守護に関する一考察(前編)の小ネタはジャキネットでの炎上に関する一考察の小ネタはエリア88関羽と張飛に関する一考察の小ネタはレグと見せかけてライザ
これらの背景を考えると、先週の鎌倉殿のラスト、実朝の「上皇様を後ろ盾に幕府政治を行う」はとんでもないな。幕府の根底を覆してる。「北条の言いなりにならないもん!」くらいのノリで言ったんだろうが。こういう事も分かってて三谷幸喜脚本書いてるんだろうなぁ。どう繋がっていくか楽しみだな
右大臣になろうとしてなったのもその表れかも鎌倉右大臣は今百人一首の中の存在
国司と守護ってこういう経緯だったのか。めっちゃわかりやすい。
これは分かりやすくて良いですね。
義経といえば有名な那須与一の扇の的の直後、与一を称えて踊りだした老兵をそのまま射殺したというエピソードもあるしなぁ現代人の感覚でも相当アレなんだから当時の人にしてみたら最高に空気の読めないやつだったんだろうな
良い悪いは置いといて、空気読めないがために連戦連勝して平家を滅ぼした義経の身を滅ぼした原因も、空気が読めないからってのはキツい皮肉だこと…。それはそうと、源氏が朝廷側と頼朝側に分かれて抗争になったifも面白そう。
個人的に鎌倉幕府成立を1185年とするならば、江戸幕府成立は1600年にすべきだし、室町幕府なんぞ最悪成立年不明になるかもだから素直に征夷大将軍任命で良いんじゃね?と思っています。
私も同意です
室町だと明徳の和約が成立になるかな
幕府の成立って後世の学者の勝手な解釈だから覚えやすい年で良いですよねえ頼朝がよーし今日から幕府始めるぞって言ったんですか?て話ですよ
室町幕府は後醍醐を追い出して京都を制圧した1336年一択だな。
この動画の背景bgmの哀愁のある曲調がとてもすきです何という曲なのか伺えると嬉しいです
義経が空気読めないというより頼朝の政治センスが化物。
大学で講義ができるレベルですね。歴史における権威と軍事。視点が素晴らしい。勉強になります。
頼朝などの人物像については作家等の主観が入るのであえて触れないとして、戦における「こっちは暗黙の了解を守っているのだから相手もそうしてくれるだろう」といったナイーブな期待は最悪の結末に繋がり得るというのは現代社会にも通じますね。
2:40ポイズンはパンチはめを抜けられるのが厄介ですね
鎌倉時代成立の詳細な解説、ありがとうございます。一昔前は頼朝義経兄弟の悲劇は、九分九厘頼朝が悪役にされていた感がありましたが、ここ十数年で、頼朝の立場と義経の無分別な行動により起こった事という理解が主流になってきていますね。 後白河法皇を有能と評価されていますが、個人的に疑問符が付きます。後白河法皇の父・鳥羽法皇から「あれは天皇の器ではない」と天皇位を継ぐ時に言われてしまっていますし、兄の崇徳上皇からは「文の才も武の才もない」とこき下ろされ、信西からは「古今に見ざる暗君」と臣下から罵倒されてしまっています。後白河法皇を謀略家と評価する人もいますが、この時代を詳細に調べている人達からは後白河法皇は、「その場しのぎの決断を繰り返して何度も自身が窮地に落ちている」という感じに評価されていて、鳥羽法皇や信西の評価と概ね同じ感じです。
綺麗で可哀想な義経しか知らなかった頃に読んだ 火の鳥の源平時代は衝撃だった。英雄清盛に冷酷な頼朝、戦争ゴロツキな義経。年齢を重ねて、どんどん腑に落ちて行ったな‥
手塚神は色々と時代を先取りしてますね…。
頼朝さん、鎌倉でなにしてたんかと長年疑問でしたがメチャクチャ仕事してたんですね。ていうか鎌倉にいること自体が目的だったとは盲点でした。
鎌倉殿の13人では後白河法皇がヤリ手に描かれていましたが。実は頼朝さんの方が一枚も二枚も上手なんですね。
長生きしていたのもあるかも帝位についた息子は皆早死にだし
めっちゃ勉強になる。そして面白い
頼朝が労働組合委員長にみえてしょうがない。
なんか昔の人間偉すぎないか?
13:50 アメリカ「おっ、そうだな」
義経は空気を作れなかったが故の悲劇だったのか。
さらっとブロント語いれるの好き
見方を変えれば印象も変わるね😮英雄岳飛も嫌われシンカイも、武官と文官の見解の相違でしかないんだろうな🤔
源平合戦とそれ以前の戦史で謎に感じるのが動員兵力、兵力10万というのは足軽小者や輜重隊を含めての数なのだろうか。当時でそれだけの兵馬を常時雇用したり武具を製造できる経済があったとは思えないのだが。
勢力全体で10万人(一族郎党女子供含めて)と考えるとそんなものでしょうとなりますね
こうしたしっかりとした考察を見るといかに義経が美化されているかというのがよくわかるまぁ日本人は悲劇のヒーロー好きだから
この動画見るまで、源頼朝に対してあまりポジティブな印象を持っていなかったけど、こうして説明されるとものすごく有能だったんだなって気づかされました。数百年間変わらなかった統治のシステムそのものを抜本的に変えてしまったということで、日本史上でもトップ3に入るくらいとんでもないことを成し遂げた人物なのではないでしょうか。三国志の英傑である曹操や曹丕などですら、既存のシステムに則って「丞相」や「皇帝」になるのが精々だったことを考えると、頼朝がどれだけ革新的な改革者だったのかがよくわかるような気がします。
分断して統治せよ、か…
実際に義経以外にも朝廷から直接官位を貰って頼朝からお𠮟りを受けた御家人もいらっしゃいますしね。有名どころでは八田知家さんとか。
小さい頃に歴史の漫画で源氏が平家を打倒して戦争が終わって平和(?)になった後、なんで後白河法皇がわざわざ源氏同士を戦争させたのか当時は分からなかったが、要するに自分達の保身の為に源氏を弱らせようとしたというろくでもない理由というのが改めて分かった。
後白河は兄貴や甥っ子その上自分の息子とも対立構造の人でしたから
当時の武士たちは正々堂々どころか「勝てばよかろうなのだ」という思考の持ち主が多く、源為朝も夜襲の上に火攻めまで進言したものの、右大臣の藤原さんに「武士同士の私闘ではなく、貴族同士の国運を賭けた戦いなのだから卑怯な事はするな」などと却下されていますよね。
アイサツ前のアンブッシュは1度まではOKやで
この時に武士に渡った権力が全て返還されると大日本帝国が出来るのか。そう思うと、鎌倉幕府正立は物凄い事だったんだなあ と思う。
パイプ椅子で殴る時はシートの部分で殴るとダメージがそのまま全部頭に入ってかえって危ないそうな座面の裏で殴れば座面が抜けて飛んで行くのでダメージが少ないのです
1192で教わったが徴税権と治安権を確保で国家権力奪取の鎌倉幕府成立の方が正しいな
頼朝は善人だったから武士のために尽くしたんじゃなくて(そうなのかもしれないけど)自分の権力の源泉が武士に支持されていることであるって分かってたんじゃないかなって思ってます。権力とは「その時、実力(お金や戦闘能力など)を直接持っている人にどれだけ支持されているか」で決まるので…
そして昔の様に武士をキャン言わしたろうと頑張ったけど失敗しちゃったのが後鳥羽院、ってところでしょうか。
高3で日本史専攻のワイ、暗記した情報が動画のお陰で綺麗に点と線で繋がってめっちゃ腑に落ちた
後白河法皇は元天皇だったから偉かったというより、名目上の君主である天皇に対して「治天の君」という皇室の長者(家長)で替えが効かない存在というのが大きかったのではないかと思いました。確かに後白河法皇は政治的嗅覚にも優れていたでしょうが、それ以上に長生きして治天の君であり続けたことが最大の功績(以前の組織三代の話のように長生きしたこと自体に価値がある)のかと。例えば息子の高倉上皇という代わりの治天の君が存命中は、時の権力者(平家)との関係が微妙になっていた後白河法皇は冷遇されていたようです。
六条帝の時もそうだったのは前の平清盛でも描いてましたね(盤すごろく バックギャモンをやっていたシーンしか知らないドラマですが)
すごく面白かったですちゃんと前後半で終わってびっくりしました笑
凄くわかり易かったので学びになりました🙇🏻♂️
インソースとかで講師やってるの面白い
義経以外にも八田知家や小山朝政も無断任官したのを頼朝からめちゃくちゃ怒られてるからなぁ
今回もとても面白かったです。朝廷の安全保障について、というか朝廷の持っていた交渉材料について。武士はとても「験を担いだ」と言われます。各地の神社仏閣への宗教的影響力。出陣の時は神社で決起会のようなことやったでしょうし。「貴族化した戦争」では作法のために必要なものが得られないというのは強烈に不利。文化的・教養的な背景を利用した、士気向上や不満抑制…ための「お祭り」が盛り上がるような「あれこれ」ってとても重要で交渉材料になったのかもしれない。いまロシアも正教を抱き込んでますね。宗教とか文化いうのは今でも、思ったより影響力のあるものなのかもしれませんね。
武士「やぁやぁ我こそは!」義経「お?隙だらけやんけ!殺ったろ!」騎士「戦はお天道様の下で堂々とやるもの!」田舎娘「お?全員寝とるやんけ!殺ったろ!」さすが悲劇の英雄やね
聖女が聞いて呆れますね
意外(?)な共通点がw
那須与一の時も余興でみんなして喜んでいるのに射ち殺せ!と命令したKYな野暮助が義経
当時の爆発暴発の多かった大砲を撃ちまくって城壁の開いた穴に突撃するって基地害、軍人なら出来なかっただろう>田舎娘
そんな2人が信長の野望の特別シナリオで同時に登場!
全然関係ないけど椅子はそこが抜けないようになっているから金属面で殴った方が痛くないらしいよ
源義経の肖像画って結局偽物だったんだよね🤔どんな風貌の男だったのか気になるなぁ、気になって気になって…
ファイナルファイト結構上手くて草w
弟のやらかしを梃子に人事権を握る弟を転した奥州藤原氏を討伐する骨までしゃぶり尽くすとはこの事か
まじで権力体制ここでガラッと変えたんだなぁ
義経が奇襲作戦を多用したのは,人望が無く人が集まらなかったことと,大軍をまとめる能力に欠けていたと言われてますね.見栄っ張りで虚栄心,承認欲求が強く狭量だったと言われる
今回も大変イイ内容でしたお疲れ様でした。・・・がすみません、一つだけ。これは浸透襲撃様ならご存じながらもあえて濁していたのかもしれませんが一応・・・義経が検非違使左衛門尉に任官したのは正確には平家滅亡前の話ですよね。なので頼朝が激おこったタイミングがいつなのかって結構ややこしかったりするところかと思っております。それから当方的に未だに、国司と国府が消滅したのっていったいいつなのか?色んな本読んでも分からないんですよ。いつか浸透襲撃様が分かりやすい解説動画作ってくれることを期待しております。
ルール無用が、義経の力、賛成ですよね。
朝廷のやってること昔のイギリスやんけ
確かに、義経の行動は当時の武士としてはモラルに反する(壇ノ浦で舟のこぎ手を狙ったとか)のかもしれませんが、判官贔屓で人気が出たのも皮肉な気がしますね。武士が一般民衆に比べて圧倒的に少数派でそうした価値観は無視されたのか、それとも頼朝があまりに有能すぎて一般人には理解できず、その反動で義経が善玉になってしまったのか・・・
身内のスキャンダルを逆手に取ってチャンスに変えるなんて、頼朝の頭の中は一体どうなってんの!?
国司眉毛描いてる最中アンブッシュ義経官職 ワイ閑職with without頼朝
安定の面白さ👍
ちょうど研修用のテキストと資料作りながら見ていた自分自分で作っておいてなんだけどこんなの使って研修したくないし受けたくない面倒くさすぎるw
てか国自体もヤクザと同じだと思ってます
その地域で勝ち残ったNo.1ヤクザが国家
戦国時代なんてもろヤクザの抗争上手く治めるというのは形態は違えど一緒ですヤクザも国も戦国大名も親分は下っ端に飯を食わせる下っ端はそれに奉公する
英伝6っぽいと思ったら英伝6だった
自分あんまり詳しくないから疑問なんだけど、この後国司ってどうなったのかな?実質的になくなってく感じ?だとしたら、貴族は資金源がなくなるし、朝廷も税収大幅カットやんね。鎌倉時代の貴族、どうしてたんだ?もしかすると、農民は二重に徴税されてたとかかな?特に承久の乱後とか西国まで守護が置かれていくわけだし、国司が鎌倉時代にどうなってるのかが気になる。
結局のところ土地の一元支配は戦国期まで待たないとならないのだと思います
昔日本史の副次資料を見ると守護地頭のテリトリは3割くらいで鎌倉期の承久くらいで半々室町初期で7割くらいへと段々移行していったで、戦国時代なんで即位も出来ぬほど窮乏したか・・・・という訳です(崩壊した)無論二重取り三重取りはされていただろうけどその後の検地がされた後のようなガッツリではないかと
減ったとはいえ、天皇関係や大貴族の荘園はあちこちにありますよ。
一周まわって平安末期の武士団=現代のPMC(民間軍事会社)かなぁ。
当時は現代と違って情報を簡単に集められる時代ではないから、権力者でも入ってきた情報を分析して正しく判断できるとは限らない場合があるのがな。
中高生の方々にこそ見てほしいチャンネル
教科書なんかだと貴族から武士の時代にガラッと変わった印象があるけど、実際には国司や守護、寺社勢力などが入り乱れたかなりカオスな世界が続いていたんですよね。それが鎌倉室町江戸という時代の中で少しずつ武士勢力に一円化されていく。複雑でわかり難いけれど、これも武士の時代の面白さではありますね。
実は、守護や地頭しながら、朝廷の役職していた小弐氏みたいな例もある。
右大将って右近衛大将のことですね義経さんに院宣だしたからそのお詫びの大将任官かな?そして世に出て10年もしない内にあの世へ旅立つ義経ただ守護地頭も全国すべてを手中に収めたわけでは無くて朝廷面々の荘園も15世紀までは割合を減らしながら残ったそれらが全て崩壊したのが戦国時代
恐るべき頼朝の政治力よ…。
これは講師になれるよなあおもしろくてわかりやすい頼朝の政治力高すぎてワロタ
江戸以前の両属は普通のことなので(粛清大好き頼朝でなければ)問題ないのでは?
守護地頭制度の何が上手いって、仮に朝廷に実権を返しても結局、治安維持のためには武士を雇わないといけない。「お前らにやらせてもやる事一緒やんけ」という話に。そしてgdgdで形骸化していた国司よりも、守護地頭が統治した方が上手く物事が運んだ点も大きい。
893と同じ ぶっちゃけましたね
本当に良い内容です。時間があっという間に過ぎました。ありがとう御座います!
うん、分かり易かった。
大昔、小学生だった頃、ムロタニツネ象の歴史教育漫画で読みました。頼朝が色々要求を突きつけ、後白河院は「ウッ」「ウッ」と呻きながらそれを呑むしかなく、頼朝が「後白河院は私追討の院宣を出した負い目があるから断れない」とほくそ笑むシーンが印象的でした。
検非違使は単なる治安維持以上に、都の清め祓いを司る役職であり、白拍子や非人と言った職能民(化外の民)を直轄する役割を果たしていた。弁慶は言修験系僧侶であり、義経自身も彼ら化外民との交流があったと考察できる(鞍馬山等アジールでの養育を通して)。化外の民(非定住民)は遊女を始め情報工作に優れた集団も内包していたことから、義経の工夫はこうした情報網を基に作成されたのだろう。また、検非違使への任命も単なる離間策の他にも要因があったのだろう。
朝廷が義経任官をしたのは 対立あおりもしたかったのだろうけど 一番は「人事権を手放したくなかったから」だと思う同じ官職任命でも間に頼朝が入ると 任官されたのは頼朝のおかげと思ってしまうだから義経に限らず 朝廷は武士に頼朝抜きで任官をやりたがったと思います要するに頼朝は 東国武士の人事権を全部自分のものにしたい 朝廷はそれを阻止したい そういう問題でもありますね
鬼灯の冷徹とかの義経に都合の良いシナリオしか見てないユーザーにも見てほしい動画だな
武士が、国司からなぜ酷使されたか社会の仕組みを理解して、それを打破する方法(交渉相手の朝廷と決裂せず、幕府というツールを用いて中庸なシステム)を考えた「頼朝」が凄いとお思いました。
検非違使左衛門(少)尉って警視庁「トップ」なのか?
今まで「義経さん大戦果を挙げたのに可哀想…」って、思ってましたが頼朝さんの立場を考えると残当ですね。後世の義経人気もそういった事情を理解してない一般市民が広めたんかなと思いました。勉強になります。
武力勢力を利用する点においては古代ローマと似ているが最大の違いは実はともかく名は朝廷が持ったままという点にある。一方西ローマは権威は教会へ移った。
背景ファイナルファイトで話の大筋が説明できるの草
源氏が戦でルール無用になるのは源頼義・義家親子の頃からの伝統だと思ってます。夜討ち焼き討ち兵糧攻めとやりたい放題。
7:48「クッションの方は体重を支えるために頑丈に作られてて意外と効く。逆で殴った方が椅子が壊れやすいから怪我しない」みたいな話は聞いたことある
武士はパンチはめのような卑劣な手段は好みません。だから、背景の動画の武士・ソドムさんはパンチに対して異様に強かったんですね。(ソドムはパンチに対して非常に強く、パンチのダメージが低すぎてパンチはめだと動画のようにめちゃくちゃ時間かかるうえにはめをミスると斬られる)
なお義経さんの様な天才ではないがそれに次ぐ位平家や義仲との闘いに貢献した範頼さんがどうなったかと言うと…
大義名分を作るのが上手いなあ。
やっぱり戦術は天才でも戦略はゴミなんよ…義経…戦争は他の手段を以てする政治の延長にあるって習わなかったのか…?クラウゼヴィッツ読め!(無茶)(ノシ 'ω')ノシ バンバン
今の日本は将軍に相当する位がないので問題が起こっていると思う。将軍に相当する地位として国家評議会(但し、国家元首)を置くべきでしょう。その長官が大統領であり、その下の閣僚評議会を置きその長として共和国首班とすべきでしょう。その下に庁とその長官として首先を置くべきだ
相変わらず凄まじいクオリティです。
ファイナルファイトの他にも動画内に散りばめられている、時事ネタ、小ネタ、伏線が好きです。
今回の時事ネタは宗教と政治、小ネタはケンシロウでしょうかね。
国司と守護に関する一考察(前編)の小ネタはジャキ
ネットでの炎上に関する一考察の小ネタはエリア88
関羽と張飛に関する一考察の小ネタはレグと見せかけてライザ
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右大臣になろうとしてなったのもその表れかも
鎌倉右大臣は今百人一首の中の存在
国司と守護ってこういう経緯だったのか。
めっちゃわかりやすい。
これは分かりやすくて良いですね。
義経といえば有名な那須与一の扇の的の直後、与一を称えて踊りだした老兵をそのまま射殺したというエピソードもあるしなぁ
現代人の感覚でも相当アレなんだから当時の人にしてみたら最高に空気の読めないやつだったんだろうな
良い悪いは置いといて、空気読めないがために連戦連勝して平家を滅ぼした義経の身を滅ぼした原因も、空気が読めないからってのはキツい皮肉だこと…。
それはそうと、源氏が朝廷側と頼朝側に分かれて抗争になったifも面白そう。
個人的に鎌倉幕府成立を1185年とするならば、江戸幕府成立は1600年にすべきだし、室町幕府なんぞ最悪成立年不明になるかもだから素直に征夷大将軍任命で良いんじゃね?と思っています。
私も同意です
室町だと明徳の和約が成立になるかな
幕府の成立って後世の学者の勝手な解釈だから覚えやすい年で良いですよねえ
頼朝がよーし今日から幕府始めるぞって言ったんですか?て話ですよ
室町幕府は後醍醐を追い出して京都を制圧した1336年一択だな。
この動画の背景bgmの哀愁のある曲調がとてもすきです
何という曲なのか伺えると嬉しいです
義経が空気読めないというより頼朝の政治センスが化物。
大学で講義ができるレベルですね。歴史における権威と軍事。視点が素晴らしい。勉強になります。
頼朝などの人物像については作家等の主観が入るのであえて触れないとして、戦における「こっちは暗黙の了解を守っているのだから相手もそうしてくれるだろう」といったナイーブな期待は最悪の結末に繋がり得るというのは現代社会にも通じますね。
2:40
ポイズンはパンチはめを抜けられるのが厄介ですね
鎌倉時代成立の詳細な解説、ありがとうございます。一昔前は頼朝義経兄弟の悲劇は、九分九厘頼朝が悪役にされていた感がありましたが、ここ十数年で、頼朝の立場と義経の無分別な行動により起こった事という理解が主流になってきていますね。
後白河法皇を有能と評価されていますが、個人的に疑問符が付きます。後白河法皇の父・鳥羽法皇から「あれは天皇の器ではない」と天皇位を継ぐ時に言われてしまっていますし、兄の崇徳上皇からは「文の才も武の才もない」とこき下ろされ、信西からは「古今に見ざる暗君」と臣下から罵倒されてしまっています。後白河法皇を謀略家と評価する人もいますが、この時代を詳細に調べている人達からは後白河法皇は、「その場しのぎの決断を繰り返して何度も自身が窮地に落ちている」という感じに評価されていて、鳥羽法皇や信西の評価と概ね同じ感じです。
綺麗で可哀想な義経しか知らなかった頃に読んだ 火の鳥の源平時代は衝撃だった。英雄清盛に冷酷な頼朝、戦争ゴロツキな義経。年齢を重ねて、どんどん腑に落ちて行ったな‥
手塚神は色々と時代を先取りしてますね…。
頼朝さん、鎌倉でなにしてたんかと長年疑問でしたがメチャクチャ仕事してたんですね。
ていうか鎌倉にいること自体が目的だったとは盲点でした。
鎌倉殿の13人では後白河法皇がヤリ手に描かれていましたが。
実は頼朝さんの方が一枚も二枚も上手なんですね。
長生きしていたのもあるかも帝位についた息子は皆早死にだし
めっちゃ勉強になる。そして面白い
頼朝が労働組合委員長にみえてしょうがない。
なんか昔の人間偉すぎないか?
13:50 アメリカ「おっ、そうだな」
義経は空気を作れなかったが故の
悲劇だったのか。
さらっとブロント語いれるの好き
見方を変えれば印象も変わるね😮英雄岳飛も嫌われシンカイも、武官と文官の見解の相違でしかないんだろうな🤔
源平合戦とそれ以前の戦史で謎に感じるのが動員兵力、兵力10万というのは足軽小者や輜重隊を含めての数なのだろうか。
当時でそれだけの兵馬を常時雇用したり武具を製造できる経済があったとは思えないのだが。
勢力全体で10万人(一族郎党女子供含めて)と考えるとそんなものでしょうとなりますね
こうしたしっかりとした考察を見ると
いかに義経が美化されているかというのがよくわかる
まぁ日本人は悲劇のヒーロー好きだから
この動画見るまで、源頼朝に対してあまりポジティブな印象を持っていなかったけど、こうして説明されるとものすごく有能だったんだなって気づかされました。
数百年間変わらなかった統治のシステムそのものを抜本的に変えてしまったということで、日本史上でもトップ3に入るくらいとんでもないことを成し遂げた人物なのではないでしょうか。
三国志の英傑である曹操や曹丕などですら、既存のシステムに則って「丞相」や「皇帝」になるのが精々だったことを考えると、頼朝がどれだけ革新的な改革者だったのかがよくわかるような気がします。
分断して統治せよ、か…
実際に義経以外にも朝廷から直接官位を貰って頼朝からお𠮟りを受けた御家人もいらっしゃいますしね。
有名どころでは八田知家さんとか。
小さい頃に歴史の漫画で源氏が平家を打倒して戦争が終わって平和(?)になった後、なんで後白河法皇がわざわざ源氏同士を戦争させたのか当時は分からなかったが、要するに自分達の保身の為に源氏を弱らせようとしたというろくでもない理由というのが改めて分かった。
後白河は兄貴や甥っ子その上自分の息子とも対立構造の人でしたから
当時の武士たちは正々堂々どころか「勝てばよかろうなのだ」という思考の持ち主が多く、源為朝も夜襲の上に火攻めまで進言したものの、右大臣の藤原さんに「武士同士の私闘ではなく、貴族同士の国運を賭けた戦いなのだから卑怯な事はするな」などと却下されていますよね。
アイサツ前のアンブッシュは1度まではOKやで
この時に武士に渡った権力が全て返還されると大日本帝国が出来るのか。
そう思うと、鎌倉幕府正立は物凄い事だったんだなあ と思う。
パイプ椅子で殴る時はシートの部分で殴るとダメージがそのまま全部頭に入ってかえって危ないそうな
座面の裏で殴れば座面が抜けて飛んで行くのでダメージが少ないのです
1192で教わったが徴税権と治安権を確保で国家権力奪取の鎌倉幕府成立の方が正しいな
頼朝は善人だったから武士のために尽くしたんじゃなくて(そうなのかもしれないけど)自分の権力の源泉が武士に支持されていることであるって分かってたんじゃないかなって思ってます。
権力とは「その時、実力(お金や戦闘能力など)を直接持っている人にどれだけ支持されているか」で決まるので…
そして昔の様に武士をキャン言わしたろうと頑張ったけど失敗しちゃったのが後鳥羽院、ってところでしょうか。
高3で日本史専攻のワイ、暗記した情報が動画のお陰で綺麗に点と線で繋がってめっちゃ腑に落ちた
後白河法皇は元天皇だったから偉かったというより、名目上の君主である天皇に対して「治天の君」という皇室の長者(家長)で替えが効かない存在というのが大きかったのではないかと思いました。確かに後白河法皇は政治的嗅覚にも優れていたでしょうが、それ以上に長生きして治天の君であり続けたことが最大の功績(以前の組織三代の話のように長生きしたこと自体に価値がある)のかと。例えば息子の高倉上皇という代わりの治天の君が存命中は、時の権力者(平家)との関係が微妙になっていた後白河法皇は冷遇されていたようです。
六条帝の時もそうだったのは前の平清盛でも描いてましたね
(盤すごろく バックギャモンをやっていたシーンしか知らないドラマですが)
すごく面白かったです
ちゃんと前後半で終わってびっくりしました笑
凄くわかり易かったので学びになりました🙇🏻♂️
インソースとかで講師やってるの面白い
義経以外にも八田知家や小山朝政も無断任官したのを頼朝からめちゃくちゃ怒られてるからなぁ
今回もとても面白かったです。朝廷の安全保障について、というか朝廷の持っていた交渉材料について。
武士はとても「験を担いだ」と言われます。各地の神社仏閣への宗教的影響力。
出陣の時は神社で決起会のようなことやったでしょうし。「貴族化した戦争」では作法のために必要なものが得られないというのは強烈に不利。
文化的・教養的な背景を利用した、士気向上や不満抑制…ための「お祭り」が盛り上がるような「あれこれ」ってとても重要で交渉材料になったのかもしれない。
いまロシアも正教を抱き込んでますね。宗教とか文化いうのは今でも、思ったより影響力のあるものなのかもしれませんね。
武士「やぁやぁ我こそは!」
義経「お?隙だらけやんけ!殺ったろ!」
騎士「戦はお天道様の下で堂々とやるもの!」
田舎娘「お?全員寝とるやんけ!殺ったろ!」
さすが悲劇の英雄やね
聖女が聞いて呆れますね
意外(?)な共通点がw
那須与一の時も余興でみんなして喜んでいるのに
射ち殺せ!と命令したKYな野暮助が義経
当時の爆発暴発の多かった大砲を撃ちまくって城壁の開いた穴に突撃するって基地害、軍人なら出来なかっただろう>田舎娘
そんな2人が信長の野望の特別シナリオで同時に登場!
全然関係ないけど椅子はそこが抜けないようになっているから金属面で殴った方が痛くないらしいよ
源義経の肖像画って結局偽物だったんだよね🤔
どんな風貌の男だったのか気になるなぁ、気になって気になって…
ファイナルファイト結構上手くて草w
弟のやらかしを梃子に人事権を握る
弟を転した奥州藤原氏を討伐する
骨までしゃぶり尽くすとはこの事か
まじで権力体制ここでガラッと変えたんだなぁ
義経が奇襲作戦を多用したのは,人望が無く人が集まらなかったことと,大軍をまとめる能力に欠けていたと言われてますね.見栄っ張りで虚栄心,承認欲求が強く狭量だったと言われる
今回も大変イイ内容でしたお疲れ様でした。
・・・がすみません、一つだけ。これは浸透襲撃様ならご存じながらもあえて濁していたのかもしれませんが一応・・・
義経が検非違使左衛門尉に任官したのは正確には平家滅亡前の話ですよね。
なので頼朝が激おこったタイミングがいつなのかって結構ややこしかったりするところかと思っております。
それから当方的に未だに、国司と国府が消滅したのっていったいいつなのか?色んな本読んでも分からないんですよ。
いつか浸透襲撃様が分かりやすい解説動画作ってくれることを期待しております。
ルール無用が、義経の力、賛成ですよね。
朝廷のやってること昔のイギリスやんけ
確かに、義経の行動は当時の武士としてはモラルに反する(壇ノ浦で舟のこぎ手を狙ったとか)のかもしれませんが、判官贔屓で人気が出たのも皮肉な気がしますね。武士が一般民衆に比べて圧倒的に少数派でそうした価値観は無視されたのか、それとも頼朝があまりに有能すぎて一般人には理解できず、その反動で義経が善玉になってしまったのか・・・
身内のスキャンダルを逆手に取ってチャンスに変えるなんて、頼朝の頭の中は一体どうなってんの!?
国司眉毛描いてる最中アンブッシュ
義経官職 ワイ閑職
with without頼朝
安定の面白さ👍
ちょうど研修用のテキストと資料作りながら見ていた自分
自分で作っておいてなんだけどこんなの使って研修したくないし受けたくない
面倒くさすぎるw
てか国自体もヤクザと同じだと思ってます
その地域で勝ち残ったNo.1ヤクザが国家
戦国時代なんてもろヤクザの抗争
上手く治めるというのは形態は違えど一緒ですヤクザも国も戦国大名も
親分は下っ端に飯を食わせる下っ端はそれに奉公する
英伝6っぽいと思ったら英伝6だった
自分あんまり詳しくないから疑問なんだけど、この後国司ってどうなったのかな?実質的になくなってく感じ?だとしたら、貴族は資金源がなくなるし、朝廷も税収大幅カットやんね。鎌倉時代の貴族、どうしてたんだ?もしかすると、農民は二重に徴税されてたとかかな?特に承久の乱後とか西国まで守護が置かれていくわけだし、国司が鎌倉時代にどうなってるのかが気になる。
結局のところ土地の一元支配は戦国期まで待たないとならないのだと思います
昔日本史の副次資料を見ると守護地頭のテリトリは3割くらいで
鎌倉期の承久くらいで半々室町初期で7割くらいへと段々移行していった
で、戦国時代なんで即位も出来ぬほど窮乏したか・・・・という訳です
(崩壊した)
無論二重取り三重取りはされていただろうけど
その後の検地がされた後のようなガッツリではないかと
減ったとはいえ、天皇関係や大貴族の荘園はあちこちにありますよ。
一周まわって
平安末期の武士団=現代のPMC(民間軍事会社)
かなぁ。
当時は現代と違って情報を簡単に集められる時代ではないから、
権力者でも入ってきた情報を分析して正しく判断できるとは限らない場合があるのがな。
中高生の方々にこそ見てほしいチャンネル
教科書なんかだと貴族から武士の時代にガラッと変わった印象があるけど、実際には国司や守護、寺社勢力などが入り乱れたかなりカオスな世界が続いていたんですよね。それが鎌倉室町江戸という時代の中で少しずつ武士勢力に一円化されていく。複雑でわかり難いけれど、これも武士の時代の面白さではありますね。
実は、守護や地頭しながら、朝廷の役職していた小弐氏みたいな例もある。
右大将って右近衛大将のことですね義経さんに院宣だしたからそのお詫びの大将任官かな?
そして世に出て10年もしない内にあの世へ旅立つ義経
ただ守護地頭も全国すべてを手中に収めたわけでは無くて朝廷面々の荘園も15世紀までは
割合を減らしながら残ったそれらが全て崩壊したのが戦国時代
恐るべき頼朝の政治力よ…。
これは講師になれるよなあ
おもしろくてわかりやすい
頼朝の政治力高すぎてワロタ
江戸以前の両属は普通のことなので(粛清大好き頼朝でなければ)問題ないのでは?
守護地頭制度の何が上手いって、仮に朝廷に実権を返しても結局、治安維持のためには武士を雇わないといけない。「お前らにやらせてもやる事一緒やんけ」という話に。
そしてgdgdで形骸化していた国司よりも、守護地頭が統治した方が上手く物事が運んだ点も大きい。
893と同じ ぶっちゃけましたね
本当に良い内容です。時間があっという間に過ぎました。ありがとう御座います!
うん、分かり易かった。
大昔、小学生だった頃、ムロタニツネ象の歴史教育漫画で読みました。
頼朝が色々要求を突きつけ、後白河院は「ウッ」「ウッ」と呻きながらそれを呑むしかなく、
頼朝が「後白河院は私追討の院宣を出した負い目があるから断れない」とほくそ笑むシーンが印象的でした。
検非違使は単なる治安維持以上に、都の清め祓いを司る役職であり、白拍子や非人と言った職能民(化外の民)を直轄する役割を果たしていた。
弁慶は言修験系僧侶であり、義経自身も彼ら化外民との交流があったと考察できる(鞍馬山等アジールでの養育を通して)。
化外の民(非定住民)は遊女を始め情報工作に優れた集団も内包していたことから、義経の工夫はこうした情報網を基に作成されたのだろう。また、検非違使への任命も単なる離間策の他にも要因があったのだろう。
朝廷が義経任官をしたのは 対立あおりもしたかったのだろうけど 一番は「人事権を手放したくなかったから」だと思う
同じ官職任命でも間に頼朝が入ると 任官されたのは頼朝のおかげと思ってしまう
だから義経に限らず 朝廷は武士に頼朝抜きで任官をやりたがったと思います
要するに頼朝は 東国武士の人事権を全部自分のものにしたい 朝廷はそれを阻止したい そういう問題でもありますね
鬼灯の冷徹とかの義経に都合の良いシナリオしか見てないユーザーにも見てほしい動画だな
武士が、国司からなぜ酷使されたか社会の仕組みを理解して、それを打破する方法(交渉相手の朝廷と決裂せず、幕府というツールを用いて中庸なシステム)を考えた「頼朝」が凄いとお思いました。
検非違使左衛門(少)尉って警視庁「トップ」なのか?
今まで「義経さん大戦果を挙げたのに可哀想…」って、思ってましたが頼朝さんの立場を考えると残当ですね。
後世の義経人気もそういった事情を理解してない一般市民が広めたんかなと思いました。
勉強になります。
武力勢力を利用する点においては古代ローマと似ているが最大の違いは実はともかく名は朝廷が持ったままという点にある。一方西ローマは権威は教会へ移った。
背景ファイナルファイトで話の大筋が説明できるの草
源氏が戦でルール無用になるのは源頼義・義家親子の頃からの伝統だと思ってます。夜討ち焼き討ち兵糧攻めとやりたい放題。
7:48
「クッションの方は体重を支えるために頑丈に作られてて意外と効く。
逆で殴った方が椅子が壊れやすいから怪我しない」みたいな話は聞いたことある
武士はパンチはめのような卑劣な手段は好みません。
だから、背景の動画の武士・ソドムさんはパンチに対して異様に強かったんですね。
(ソドムはパンチに対して非常に強く、パンチのダメージが低すぎてパンチはめだと動画のようにめちゃくちゃ時間かかるうえにはめをミスると斬られる)
なお義経さんの様な天才ではないがそれに次ぐ位平家や義仲との闘いに貢献した範頼さんがどうなったかと言うと…
大義名分を作るのが上手いなあ。
やっぱり戦術は天才でも戦略はゴミなんよ…義経…戦争は他の手段を以てする政治の延長にあるって習わなかったのか…?
クラウゼヴィッツ読め!(無茶)
(ノシ 'ω')ノシ バンバン
今の日本は将軍に相当する位がないので問題が起こっていると思う。
将軍に相当する地位として国家評議会(但し、国家元首)を置くべきでしょう。
その長官が大統領であり、その下の閣僚評議会を置きその長として共和国首班とすべきでしょう。その下に庁とその長官として首先を置くべきだ